2011-11-22

3人の馬鹿

色んな考え方の人がいる以上、話し方を聴き手に対して変える必要がある。

僕は大学生から大学で例えるけど、

哲学科の奴にいきなり経済の素晴らしさを語ったり、電子工学科のやつにカントが~とかいきなり自分のことばで語りだしたって、何が伝わるだろう。

人間は「ある程度理解が得られるであろう内容/話し方」で話すものだ。

しかネットは「誰でも見れる」。

ターゲット以外の奴が、1人の人の書いたものを読める。

から、読み手に対して自在に変化を遂げ、否定的に解釈されにくい、抽象的な言葉が生き残りやすい。

人はよくわからないと思ってるものに対しては、お互い意見を対立させようとは思わないものだと僕は思っている。

具体的な言葉を用いると、どうしても現実的な様々な解釈意見が入り混じる。

具体的な話であれば会話がしやすいか?細かいニュアンス表現が必要とされるがために、それは逆に難しいのだ。

文字だけで、それまで何のコミュニケーションもとらず前提確認も取れず、細かい話をするのは非常に困難だ。

はいっても、ネットでは主に言葉コミュニケーションを取らねばならない。

しかし、どんな言葉を使っても(もちろんこの日記も例外にはなれない。)何かしらの否定はされ得る。

それはモニターの外も漏れず、どんな時だってそうなのだが。

僕にとって一番大事発言者は、ぼくの話をちゃんと聞いて、反応してくれる友達だ。

その信頼感は、ネットを使ってでも、直接会ってでも、電話でも変わらない。

そんなインターネット(と現実)で、からまれたくないし、全力で逃げたいと思ってる3人の馬鹿を挙げる。

発言者による発言の優先度が、僕にとって一番低いのが彼らと言っても過言ではない。

彼らから真っ先に逃げる為に、一度言葉にして確認することにした。



独白に突っ込む馬鹿

ツイッター

・個人の日記

しかしここで犯罪告白をする人は、新宿とかのでかい公園犯罪を何千回も叫ぶ(コピペ、RTされる)ようなことをしてるんだから警察に引っ張られてもしょうがない。

やましいことするなら隠れてしないと捕まるのは当たり前。そこくらい知恵使えと言いたい。

主題違いに突っ込む馬鹿

・個人の情報ブログ

意見を出すブログHP

十分な議論ができる環境ではない(コメント欄でどれだけの納得が得られようか。)のにも関わらず、1から議論しようとする人。

offでお茶会でも開け、と言いたい。

自分かわいさに相手を否定する馬鹿

ツイッター

ブログ

・この現実世界のどこでも

「間違ってるやつは正さないといけない」「間違ってるやつが正さないのは傲慢だ」「間違ってるやつは攻撃していい」というロジックを君が使うなら、「そう言う君が間違ってるから君を攻撃していい」「そういう君が間違ってるのに直さない、傲慢だ」「そういう君は(略)攻撃していい」と僕が言うことも正しい。

そうなれば、卵が先か鶏が先か、エンドレスループだ。

そんなループに見ず知らずの名無しさんラブラブランデヴーしたくないから、僕は全速力で逃げる。できる限り自由にやりつつ、できる限り君と関わらないような人間になる。

僕はこの人には何も言いたくない。目視し次第とにかく逃げる。

吉川英二の『宮本武蔵』で、

無知はいつでも、有知よりも優越する。

 相手の知識を、括として無視し去ってしま場合に、無知が絶対に強い。」

という一文がある。

文脈はともかく(そんなではいけないのだが、)僕はこれは本当にそうだと思っている。

ぶつかったら負け、の戦いからは、逃げることが負けないことなのだ。

僕はそいつと戦わないから、勝たないが、負けない。戦いたくもない。

いやいや、過小評価できない(付き合えば十分に面倒くさいことになる)から逃げるのだ。

僕にとって、勝つよりも、負けないことの方が重要だ。

からこれからも3人の馬鹿とは無縁の僕でいたいと思う。

僕は、類は友を呼ぶという言葉も信じているから、出来る限り自分自身が3人の馬鹿にならないようにしたいと思う。

僕にできるのは、僕を変えることだけだ。

これが僕の最大限だ。

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