はてなキーワード: エンドレスとは
指摘できないんだろw本当に頭悪いなw(メソッド2)
自分でちょっと考えれば分かる事を教えてもらいたがるとかw低能すぎるw(メソッド3+4)
ほんとエンドレスに続けられるな
ここで、対立する二派を、仮に「きのこ派」と「たけのこ派」とする。
1. 議題設定
相手方に理不尽な議題をふっかける。
例「『自分達に反感を抱くのはたけのこ派以外存在しない』って、きのこ派は本当に低能だなw」
(注:ここでは、実際にきのこ派がそう言っているかどうかは問題としない。)
おもわず反論してしまった相手方を即座に否定し、その理由は示さない。
例「本当に頭悪いなwこれだからきのこ派はw」「反論になってないwさすが低能きのこw」
「誰がそう言っているのか?」「具体的にどこが反論になっていないのか?」「本気で分からないから教えてよ」等、相手方から質問があっても答えない。
例「馬鹿なきのこ派に教えてもわからないだろうからw」「自分で考えろw」
4. レッテル貼り
反論者はすべて相手方の一派と見なして煽る(繰り返しも可能)。
2chであればIDで発言者の同一性がある程度は担保できるが、増田では不可能であるため、言い逃れが可能。
例「俺がいつそんなこと言ったか指摘してみろよw」
上記に関連して、リンク/引用をせずに自発言に言及するというメソッドも。実際発言していたとしても、探すコストを相手方に負わせることができる。
例「俺は既に説明した」「何度も言ってるだろ」
対立派から「こいつと議論しても無駄だ」等の呆れや、茶化す発言が出てきたときに使える。
例「論点ずらししかできないのがきのこ派w」(類義語:「議論から逃げる」)
○山中郁子君 だから、一世一元というのは千三百年の伝統じゃないんですね、これを御確認なさいますかということを伺っているわけです。
○政府委員(清水汪君) 私からただいまの大臣の御答弁をもう少し補足して申し上げたいと思いますが……
○山中郁子君 そうか、そうでないかだけでいいんですよ。エンドレステープはいいです。
○政府委員(清水汪君) 一世一元ということは、つまり天皇の代がかわることを一つの契機として元号が改められるということを意味するわけでございますが、そのような元号の改まり方というものは先ほどもお話にありましたように、すでに千三百年来の伝統の中にいわば含まれていたということが言えるわけでございまして 元号の歴史と申しますのは、一世一元あるいは変わり方としてはそのほかの変わり方、御在位中の変わり方ということも含めまして、元号というもので存続をしてきたと、このように理解をしておるわけでございます。
○山中郁子君 だから、私最初に申し上げましたように、私たちが質問することにちゃんとまともに答えてくださればいいんです。いまお話伺ったのは、私もももうたくさん伺いました。そして衆議院の議事録も読みました。要するに一世一元というのは千三百年の伝統ではなかったんですね。そのことを確認してくださいということを申し上げているんです。
○政府委員(清水汪君) 一言でという御要求でございますが、やはり元号の長い歴史というようなものでございますので、なかなか簡単には言い切れない面があろうと思いますけれども、ただいま申し上げましたように、代がわりによる改元ということも含めて元号は千三百年の伝統を持っているというふうに申し上げることができると思います。
○山中郁子君 委員長から御注意いただきたいんです。私は一世一元が千三百年の伝統ではないんだな、そのことはそうでないならそうでないと言ってくださいと質問しているんです。御注意してください。
○政府委員(真田秀夫君) 御要求がございましたので、一言で申し上げますと、一世一元が制度として確立したのは明治以来でございます。その前には天皇御一代の間に、もう何回も改元が行われ、最も多いんでは元号が八回も九回もあったことはございます。一世一元が制度として確立したのは明治以来でございます。
○山中郁子君 制度として確立したのは明治以降だと、だから少なくとも制度としての一世一元は千三百年の伝統ではないと、こういうことですね。
○政府委員(真田秀夫君) 元号制度が日本でずっと行われておったのは大宝以来なんです。それが千三百年近くなります。
○山中郁子君 そんなこと聞いてない。質問に答えてくださいよ。そんな答弁されたら質問できませんよ。
○政府委員(真田秀夫君) そこで、御質問者に一言でお答えしますと、一世一元が制度として確立したのは明治元年以来でございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/087/1020/08705291020012c.html
○国務大臣(三原朝雄君) いま審議室長が申し上げましたように二十数代の天皇の際にはそういうこと、一世一元の制をおとりになったということは史実の上に明らかになっておるわけでございますが、しかし、いま申されましたように、それが一代の中に数回の改元がなされたりするようなこともありましたので、それを合理的に適正な方法でということで、明治以後におきましては、それを一世一元でいくぞという方針がとられたということは御指摘のとおりだと思うのでございます。
○山中郁子君 行政官布告詔書にそういうふうに書いてあるということの確認をいま求めたわけで、そういうふうに書いてあるということですね。
○山中郁子君 確認なさったわけですね。ちゃんとそういうふうにわかるように言ってくださいね。
そうしますと、いままでの、皆さんが千三百年の伝統とおっしゃる元号はだれが決めてきたのか。
○国務大臣(三原朝雄君) 当時は側近の輔弼の任に当たる者が原案を策定をして、天皇にこれを申し上げてまいったのでございまするけれども、最終的には天皇がお決めになると、そういうことでまいったと受けとめておるわけでございます。
○山中郁子君 天皇が決めたということについての例外はないわけですね。その決め方の中身に多少の違いはあるということは何回もおっしゃっていましたけれども、例外はないわけですか。
○政府委員(清水汪君) 私どもが理解をしております範囲では格別の例外はなかったように思います。もちろんいまお言葉のように実質的には、たとえば将軍家による影響というようなことはもちろん間々見られたところだというふうに学者などの解説があるところでございます。
○山中郁子君 そうしますと、一世一元は伝統ではなかった。天皇が決める、つまり勅定ということは千三百年の伝統であると、こういうことになるわけですけれども、伝統を重んじてということから言うと、どうして天皇が決める、そうすると当然天皇が決めると、こういうことになるのが伝統を重んじることになるんじゃないですか。どうして天皇が決めるということにならないんですか。今回の元号法案、伝統を重んじて出したという元号法案。
○政府委員(真田秀夫君) どうも山中先生、一世一元が伝統だというふうに私たちは言っているわけじゃないんでございまして、元号という制度、これはもう千三百年に近い伝統があるということを言っているわけでございまして、天皇が決めるとかだれが決めるというんじゃなくて、元号制度を存続させるというのが実は今度の法案のねらいでございまして、だれが決めるということにそうわれわれはこだわっているわけじゃなくて、いまの憲法のもとにおいて、これは民主的な制度のもとでございますから、国会で法案をおつくり願って、その御委任を受けてそして政令で決めるということでありまして、元号だから天皇が決める、それが伝統であって、そうでなければ元号という制度になじまないとか、そういう気持ちは毛頭ありません。そういう気持ちで法案をつくったんじゃございませんので、もう国民の大多数の人が元号制度を残したいと、将来にわたって。そういう国民の御希望にこたえて元号制度を残すと。で、だれが決めるかどうかというのは、それは日本の歴史を見ますと、先ほど審議室一長が申しましたように、最終的には天皇がお決めになったという歴史はあります。ありますが、しかし、それはいまの憲法の制度のもとでは天皇がお決めになるというわけにはまいりませんので、それで法案をお出しして国会でお決め願うと、最終的な決定権を国会にゆだねて、そしてその御委任を受けてその都度政令で決めるという手続をこの際はっきり認めておらうというのが現在の国民の要望にも合い、かつ現在の憲法の精神にも適合するという気持ちで法案を起案したわけでございまして、決して天皇が決めなければ元号とは言わないなんというような気持ちは毛頭ございません。
○山中郁子君 だれも天皇が決めなきゃ元号と言えないじゃないかなんて言ってないんだから、よけいなことは答えていただかなくていいんだけれども、要するに、そうすると天皇が決めると憲法上問題があると、憲法違反だと、こういうことですね。
○政府委員(真田秀夫君) いまの憲法のもとにおける天皇の国家機関としての天皇の御行為につきましては、これはもう御承知のとおり憲法に列挙してある、天皇は憲法に定める国事に関する行為のみを行うと、そういうふうに書いてございますから、元号を決める権能を天皇に与えるというような法律をつくることは、これはいまの憲法のもとではもうとても考えられない事項でございます。
○山中郁子君 だから、天皇が決めるということは憲法違反なんですね。
○政府委員(真田秀夫君) 天皇に元号の決定権を与えるような法律をつくることは憲法違反でございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/087/1020/08705291020012c.html
基本的に心が弱い人。強くなろうとできない人だ。
最近は大分落ち着いてきたのだが、薬を飲み忘れたり疲れたりすると、すぐネガティブに落ちる。
弟嫁ちゃん私のこと嫌ってない?大丈夫?
ごめんね、私また働いてないよね。駄目な嫁でごめんね。
私の相手してたら疲れるでしょう、休めなかったよねごめんね。
多少なら「大丈夫だよー」と励ませるのだが、何度も何度も何度もそんなことを聞かれたり言われたりしていると、こちらが疲れる。
その疲れる出来事を思い返して、ふと思った。
弱い人は贅沢だな、と。
いつでも大丈夫だとかあなたが好きだよという言葉を要求し、それが返って来ないと「嫌われている」と相手から逃げる。
自分で自分にその言葉をかけるわけでもなく、他人からエンドレスに分けてもらおうとする。
好きか嫌いかの二極化しかないんですかと思ったりもする。好意的な行動以外は、大抵嫌悪なのかと勘違いしている。
「そんなことないよ」とそんなに言って欲しいのかとも思う。
正直、日々の行動に若干問題があったとしても、たとえ兄嫁が家事を何もしなかったとしても、いつも大丈夫だの好きだの要求されるほうが疲れる。
病気だから仕方がないとは思うが、仕方がないから策を練る必要はないとは思わない。
とりあえずひとつ、やってみるといいことを提案しておいたが、多少改善されるのだろうか。
されるといいなぁ。
「自説に都合のいいように相手の言動を解釈する」
「レッテルを貼り、相手を蔑む」
↑これをやめても同じ事。
どういう反応をしようがループは続く。
「知能障害を起こす」これは詭弁のガイドラインか。
ツリーの先端をよく読めと書いたはずだが。
パターンに入るのはやりとりそのもの。エンドレスに陥るのはやりとりそのもの。
ループ回避する対応をとってもエンドレスパターンに陥るのは、ツリーの先端の記事に例示を挙げた。
後は何をしようと同じ事。
「自分の都合のいいように相手の言動を解釈する」これは詭弁のガイドラインに該当するのがあったかな。
「相手を自分と同じであるとムリヤリ定義する」これも加えようか。
というか、「自分の言いたい事だけ主張する」って、これお前の事だろうが。自論にとって都合のいい解釈だけ相手の言動に当ててるだろお前。
お前が横じゃないって前提で書いてるからw話が通じないとか言う前に、まずそれを踏まえて読み直してみるんだな。
勝手に議論吹っかけてきて、普通に返答された事に対して、顔真っ赤にして怒るから、パターン入るんだぞ?
そもそも、罵倒を始めたのは噛み付いてきた側である事だという事くらいは自覚ある?
そもそも議論も何も望んでいないエントリに対して、議論を吹っかけている側こそが、エンドレスパターンを作っていると気付いている?
「どう答えようがエンドレスパターンに入る」とは最初のエントリで名言しているはずだが。
質問にきちんと答えても入る。
都合よく知能障害を起こしてきちんと答えていない事にされて、パターンに入る。
そしてパターンは終わらない。
今みたいにね。
お前らが噛み付いてきた時点でエンドレスパターンに入るんだよ。十時間でも二十時間でもな。
「つまらない、下らないところに噛み付いて大騒ぎする(騒ぎたいだけのバカ丸出し)」かな。
で?
そもそもこちらは議論をする気がないので返答を返しているだけと書いているのに、「反論がなされていない!」とか指摘するとか、コミュ障?w
で、増田特有のものでないから、匿名の場ならどこでもあり得ることだから、それが何?
何で反論する必要があるの?
こういうエンドレスループに入るのはクズだねと指摘しただけなのに、他でもある事だ!と噛み付いてきた奴がいたってだけの話。
クズをクズと言っているだけであって、いずれにしてもクズなのは変わらない。
他でもある事だから認めなければいけないというのは論理としておかしい。
対話がしたいなら、相手の言っている事をよく読む事だね。
どう返したところでエンドレスパターンの内側に入る、という事を既にツリー頂点の記事で説明しているはずだが。
読んでから来い。
>自分のエントリーに噛み付いてきた人にくだらない、冷静に反応しない、という対応が取れずガキみたいに暴発する
うん、それお前がやっている事だな。
>ホントにつまらないな。噛み付かれて大騒ぎするんだから。(騒ぎたいだけのバカ丸出し)
うん、それお前がやっている事だな。
>顔真っ赤だなは言われてないが、誰よりも感情的にレスして煽っている↓。
うん、それお前がやっている事だな。
>しかし、噛み付いて来た側とは議論する。
うん、それお前がやっている事だな。
>君のやったことはあらかじめ何とでも言える屁理屈を並べ立てて、レスしてきた増田にそれらをあてはめて罵倒しているだけ。
>君の事実を指摘してあげたから、自分に酔っていると言ってくれ。
言葉をそっくりそのまま返すけど。
うん、それら全部お前がやっている事だな。はじめに罵倒してきたのもお前。屁理屈並べてるのもお前。
お前の事実を指摘してあげたから、自分に酔っていると言ってくれ、道化師さん。
そうそう、一つ追加するのを忘れていたよ。
“都合が悪くなると横のふりをして、前までの言動は自分のものではないと言い張る”
コレがあったわ。
人の意見は人の意見、人の日記は人の日記、でスルーできずに噛み付いてきて、
で反論した自分のエントリに普通に返答されただけで、また顔真っ赤にして反応するから、
その実例をしっかりと示した、サンプルみたいな増田だね。
適用するなら、「上記のいずれかに戻る、以下エンドレス」のチャートかなこの場合。
例外的だが。
一連の流れがずっとエンドレスで繰り返されるなら、内容がどれだけ多岐に渡っていてもその様式全体は「ワンパターン」と表現されるからな。
しばらく、数ヶ月くらい観察してたんだけどさ。
反応がワンパターンなんだよねー。
他人のエントリに噛み付いてくる、その行動理由は大体くだらない感情から(冷静に“反応しない”という対応が取れずガキみたいに暴発する)
↓
つまらない、下らないところに噛み付いて大騒ぎする(騒ぎたいだけのバカ丸出し)
↓
指摘されたそれは100%些細な問題なので、エントリ主が反論すると、必ず“顔真っ赤だな”と言う(顔が真っ赤なのは、誰よりも感情的になっている自分自身の方なのに)
↓
事実とは異なるので否定すると、“さらに顔真っ赤”と言う。(バカの一つ覚え)
↓
冒頭の些細な問題からどんどん話をずらしていこうとするので、話題を引き戻して改めて論拠を揃えて反論すると、“そんなことない”みたいに根拠もなく感情的に反駁する。(低脳の露見)
↓
それでは反論にすらならない事を指摘すると、再び話題をずらして全く関係ない侮蔑的な質問を投げかけてくる。(低脳ゆえの逃げ)
↓
その非礼を咎めつつ返答すると、“そんな事は訊いてねえよ”と答える(会話が成立しない)
↓
訊かれたから答えた、答えを求めていないなら質問するなと返すと、“何を言うのも自由でしょ?”と権利を訴える(もはやただのコミュ障)
↓
上記のいずれかの項目に戻る、以下エンドレス
匿名の影に隠れて人を殴り逃げできるとでも思ってんのかねえ?
やり返す主義の奴には必ずやり返されるのにね。
まあ、増田っていうのは、ネットでもなければこういう通り魔犯罪者みたいな真似もできないようなチキン野郎の集まりみたいだから、しょうがないのかね。
もう少しまともな、比較対象で言えば糞ねらー共よりは少しはマシな連中だと思って見ていたんだけどなあ。
失望したわ。
「良い子の皆! ネット界隈ではからかわれても殴られてもスルーする人を“空気読める”などと賞賛するが、賞賛を送っているのは殴る側だ!」
みたいな、さ。
まっ、こういう事書くと「噛みつかれるようなエントリ書く奴が悪いんだ!」とか言って顔真っ赤にして低脳の頭から湯気立てて反論してくる奴が出てきそうだけど、そういう人は、一番上に書いてある、「アノニマスダイアリー」の意味を思い出してねえ。
んじゃま、引き続き快適な増田ライフをどうぞお気の済むまでお続け下さい、っと。
楽しく見物させてもらうわ。
ばあちゃんとか母親がいつまでも食べ物を山盛りエンドレスで出すのは愛、みたいな風潮どうにかならんの。
少なくとも、もうお腹いっぱいだからいいよ、って言われたら止めるのが思いやりだろ。
例えその「いいよ」が遠慮だったとしても、相手の主張は尊重しろよ。
相手が拒否してんのに自分がそうしたいからっていつまでも食い物責めにすんのは、どう考えても相手に対する愛よりも自分が満足したいエゴが勝ってるんじゃないの。
もてなしってのはさ、まず自分のことは二の次で、相手が心地よいと思える状態を作り出すことじゃん。
高級旅館とか一流レストランとかで、客がもういいって言ってんのに食事を出す手を止めないとか、客がまだ寝ないっつってんのにフトン敷き出すとかありえないよね。
なのにそれがばあちゃんや母ちゃんだと許されちゃうのはなんでなの。
ばあちゃんは自分が昔ひもじかったから、孫には同じ思いをさせたくなくてつい沢山ゴハンを出してしまう、って推測はわかるよ。
でもさ、孫はそんなにひもじがってないわけよ実際は。ばあちゃんのその願いは時代が達成してくれてるの。そしてばあちゃんはボケてなければそのくらいのことは理解できるはず。
だから、もしばあちゃんが上記のような理由で孫相手にゴハンをエンドレスしているとしたら、それは孫のためを思っている以上に、孫を依り代に自分の過去に復讐しているに他ならないと思うわけだ。
果たしてそれは愛か? 思いやりか? と。
愛ってのは、本当の意味で相手を思いやることだろ。
自分の基準にしがみついて、思いやりという錦の御旗で武装して、逆らえなくなった相手を好き放題にすることじゃないだろ。
愛してるなら相手をちゃんと見ろよ。話を聞く姿勢を持てよ。想像する手を抜くなよ。
食べきれないほど出されてやっぱり食べきれなかった孫が、そのたんびに申し訳ない思いをして自分を責めてるんだぞ。
まさにあれだ、AVを鵜呑みにしたアクロバティックなセッ○スで彼女も喜んでると信じて疑わない独りよがりバカと同じだ(台無し)。
オバマ帰った?
ttp://anond.hatelabo.jp/20140413020052
これ読んだの。
なんか偉そうとかオナニーキモいとかプリン食ったのだ誰だとかタケノコ派の陰謀だとかブコメではけちょんけちょんですけど、元増田の言ってることはわかる。
でも僕もちょっと乱暴だなぁと思うの。
例えば車を勧める時に、日産にしろとか、アウディにしろとか、ルノーはやめとけとか言うなら、そのメリットを同時に提示しないと人は納得しないと思うの。
おまえ車の知識ひけらかしたいだけだろとかすぐ言われるの。
増田はベーシックな商品を推す理由をもっと丁寧に説明するべきだと思います。
んでじゃあ僕はっていうと、この増田の言ってることは大枠では正しいと思ってるんだけど、僕なりにベーシック商品を推す理由を書くっす。
おまえ誰やねんて話でしょうけども。何様?ねぇ何様なの?って話でしょうけどもちょっと聞いて。
こっちきて。
てかこれしかないんだよね。
家具でもなんでも、シンプルなものって、どんな部屋にも合うじゃない。
でもゴシック調の飾りのついた猫脚のキャストは、どんなに価値があっても部屋を選ぶじゃない。
軽井沢のバンガローには合わないじゃない。明けない夜はないじゃない。
無印のキャストなら、まぁ、100点では絶対ないけど50点以下にはならないじゃない。
でもさ、でもだよ?
ちみたちはアレでしょ?モテ=オシャレでしょ?んでオシャレ=デザイン性っていう筋肉直結バカ右脳でしょ?
オシャレ=デザインじゃないよってことを今日は思い出して帰って欲しいな先生は。
君たちはできる子だから、そんなのわかってると思うの。
これ読んで、何を今更wwwとかプックスしてるとおもうの。
普段そんなデザイン性高い文具とか、食器とか選ばないはずなの。
でも洋服屋さんに行くと、ついついカッコ良さげなギミックとか、カラフルな切り替えとか、可愛らしいフリルとか、ちょっと捻りのきいた柄物を、これくらいならいけるかなー?って選んじゃうの。迷子なの。子羊なの。知ってる。神様は見てる。
じゃあもういい。
知ってるから。どんなに言っても、君たちがそういう服選んじゃうの知ってるから。
オシャレ心が君たちを殺してるの見てきたから。モテ目線で言うならね。
じゃあ、今日連れて帰ってきちゃったそのエッジのきいたちょっと派手目なパーカー、何に合わせんのって、その臭そうなクローゼットを覗いて見て欲しい。
先生は、UNIQLOのTシャツや無印のデニムと合わせたらよくね?って思います。
元増田が言うような、ベーシックアイテムの追求ってのはその先にあると思うの。一歩先。
でもその一歩先は底なしの探求コースなの。エンドレス。一周回ってオシャレなの。
んでみんなも薄々そんなことはわかってるから、元増田のエントリーの端々から感じ取れるから、ムリ!ってなっちゃうと思う。
でも優秀なのは認めないといけないと思う。
おかんに、シマムラよりUNIQLOで買いなよって、僕なら言う。
尊敬するデザイナー秋田道夫氏の言葉で「機能を増やすには技術がいるが、機能を減らすには哲学がいる」という言葉があります。
哲学を持って完成されたシンプルさには、必ず美が宿っていると思っています。
僕の文章は一向にシンプルになりませんけども。
はてな界隈の「少子化は由々しき問題だ」という論調に流され、ふと試したところ、本当に子どもを授かってしまった。
何度もシミュレーションして、30代の平均年収以下(首都圏在住・フルタイム正社員・年収300万円台)でも、
今と同じ、「共稼ぎ」を一生続けることができれば、資金面では不足はないと確認した。
逆にいうと、一生涯働き続ける覚悟がなければ、もはや産み育てられないほど、「子どもは金持ちしか持てない贅沢品」だ。
庶民には、手が届かない高嶺の花。一人はともかく、2人以上は高所得者だけの特権。
しかし、それでも、比較的安全・平和な国、日本に女性として生まれた以上、
大学進学、就職、結婚(結婚式・新婚旅行)、そして出産・子育てという「人生のフルコース」を味わいたいと思ってしまった。
子育ては、コース料理の最後の「デザートビュッフェ」のようなもの。食べる/食べないは、個人の好み。
次々と新しいお菓子が出てくる「デザートビュッフェ」は、一度、足を踏み入れたら欲望が止まらない、半エンドレスなステージ。
そのためには、女性であっても、仕事に熱心に取り組み、配偶者に頼らず、自分一人の力で子どもを育てるという強い覚悟が必要。
ただ、実際に体感してみて、今の日本で少子化が進むのはやむを得ないと感じた。
「つわり」と総称されるさまざまな身体変化・不快感は、仕事と両立しない。
検索すると、どうやら、かなり軽い部類らしい。軽度でもこんなに不快なら、重度の人はまったく仕事にならないだろう。
少子化対策として、育休・産休取得者1名につき、国が相応の補助金を出せば、企業側の負担は減り、一般社員は、会社の業績や人員配置を気にせずに報告できる。
誰でも思いつくような、こんな簡単なことがなぜできないのか。
もう一つ、雑誌やインターネット上のエセ科学に辟易した。妊娠したらオーガニック推奨、健康に気をつけて、ではなく、
年齢や性別、体調を問わず、「健康的でストレスのない生活」を送れるようにするべき。
不安につけ込む関連ビジネスのカモにされている感は否めない。結婚式を含め、こういう独特の雰囲気が嫌いな人も多いはず。
未婚化・少子化の隠れた要因の一つかもしれない。
なぜランナーズハイが起きるのか、考えてみたことはあるかい?マラソン選手が「無心」に走るとき、いやマラソン選手じゃなくてもいいけど、人が走るとき、その人の脳内で何が起きているのか、それを考えてもみてくれ。
「無心」という言葉がある。また、「無為」という言葉がある。それらは何を意味する言葉なのか、ちょっと考えてみようか。
例えば、「美味しそうな桃があるなあ」と思って、桃をつかむ。これは「有心」なわけですよ。やろうと思う→動こうと思う→動く→反応がえられる。必ず、こういう順序になっているわけ。これはね、人生の最も普遍的な構造の1つなんだ。あらゆる所で、今言った順序のプロセスがついてまわる。
ところがだよ、「美味しそうな桃があるなあ」と思ってつかんだら、前の席の女の子のお尻だった。これはどう考えるべき?
「無心」に近いのだよ、これは。たしかに「やろうと思った」。桃をつかもうとした。でも、痴漢行為という違うことをやっちゃったわけ。つまり、桃に関しては「有心」かもしれないが、痴漢に関しては紛れもなく「無心」。やろうと思わないで、動こうと思わなかった動きをやった。そしてビンタされるという反応をもらった。簡単なことだろう。
これは、先ほどの矢印で表すなら、 動く→反応 というシンプルな構造をしておる。これが無心の構造だ。
有心と無心の構造の違い、それが何をもたらすのか?ここが重要なところであるぞ。有心だと、「やろうと思う」「動こうと思う」という意志が行動に先行していた。すると何が起きるかというと、動きがよく意識される。当たり前だ罠。やろうと思って動こうと思って動いたんだから、その動きはよく自覚される。当然である。
ところがどっこい、無心の場合は動きが「特別視」されない。ここがポイントね。特別視されないから、動きと反応が渾然一体となって、心に「どぴゅっ」と入ってくる。射精音を「どぴゅっ」と最初に表現した人は天才だと思う。話がそれた。渾然一体となって行動とその反応が入ってくるから区別がつかない。これが「主客未分」とか「無我」なわけです。
おそろしく単純だけどそれを厳密にやるのは難しい。だから「無我」はむずかしい。からまりの糸をほぐさないと外れない、でも外れたフリは簡単にできる、そんな知恵の輪がそこにある。
以上から、「無為」のヒントが分かったろう。「やろうと思う」「動こうと思う」といった「意志の想念」を無くせばよい。もちろん難しい、難しいけど無くせればもうそこには「無為」がある。
ランナーズハイのえもいえぬ快楽はまさにこの「どぴゅっ」であろう。ランナーは走り去る景色を見ながら走る。過ぎ去る路面を見ながら走る。やがて走ろうという意志が消えて走行が自動化すると、何ということでしょう、過ぎ去る景色が「どぴゅっ」「どぴゅっ」と飛び込んでくる。エンドレス射精が気持ち良くないなんて人はこの世にいるだろうか?いや居ない。射精だに気持ち良いのに、いわんや連続射精においてをや。世間では「ちんぽには勝てなかったよ」という名言があるそうだが、それは自身のちんぽとて例外ではないということだ。話がそれた。
私はジョギング以外にスキーもやるのだが、スキーにも似た感覚がある。過ぎ去る景色がやがて「どばばばば」という射精感で飛び込んで全身の喜びとして一体化される。バイクはやらないんだがバイクなんかもそうなのだろうか?
その気持ちよさを味わってみると、ああ人間ってのはなんて自分の動きにやたらと注意を払う生き物なのかと叫ばずにいられない。そのようにhumanbeingを特徴づけても差し支えないくらいに、自分の動きを意識しすぎている。それは挙動不審とか自意識過剰とよばれる。自然界から有心な生き物だけ集めると、すまないがホモサピエンス以外は帰ってくれないかってことになる。
要するに、「○○しよう」って意志が人間を人間たらしめ我らが誇る文明を築き上げてきたのであると同時にだな、人間を大きく縛り付ける枷(かせ)ともなっている、と言いたいのだ。
その枷から逃れる術は実はあるのだがここでは詳しく立ち入らない。簡単に触れると、動きの意志からの離脱が動きを無為へと解放したように、「意志の意志」というか「意志へのこだわり」を捨てればよい。さすれば、己が意志すらも「どぴゅっ」と飛び込んでくる。イメージとしては川の上流が滞りなければ、中流も下流もさらさら流れやすいだろ?そういうこと。感覚としては小学生でも分かる簡単なことだ。また、部分的実行もさほど難しくない。だが完璧な実行は、言うは易く行うは難し、である。
だから、意志は最小化(minimize)したい。そう思うのも当然だね?それをシンプルに「没頭したい」「熱中したい」と言い換えることも可能だ。人々は意志の中身を問題にするが、意志の量はあまり問題にされない。意志の量を問題視しよう。
アメリカの政治家ナサニエル・シモンズはいみじくも「習慣は最高の召使か、最悪の主人のいずれかである。」と言い放った。
しかし、こと意志の最小化に関しては、習慣化は善である。すなわち、習慣化すれば意志は減る。換言すると、動きを自動化すれば、動きに関して気にすること(daily hassles)が減る。当然だよね(キュウべえ口調)。
習慣化なんてやだよーと枕に顔をうずめて手足じたばたさせているそこの貴方に朗報。習慣化しなくても意志は減らせます。キーワードは「リズム」。リズムに乗れば確実に無駄な意志は減ります。ジョギングってリズム運動じゃないすか~?だから効くんすよ~。
リズムというと「リズムに乗る」という言い方をするだろう。「リズムに身を任せる」ともいう。意識せずとも身体が動く。無為。これはもう完全に、意志で「動こうとする」のとは正反対のことですわい。
ジョギングでも音楽演奏でもなんでもいいんだけど、リズム運動するとき最初はリズムに「乗ろうとする」。けど、やがて「リズムに乗る」。すると、意識の上でも逆転現象が起きる。こういう順番なわけ。
逆転現象ってのは、世界と自分を対立させて自意識過剰にキョドってうまく動こううまく動こうとするモードから、世界に乗って世界のあやつり人形となったお任せモードへと変わる。あやつり人形なんておそろしい言葉・・・。しかし、これはあくまで行動の細部が自動化されることを感覚的に表現しただけで、実際に大筋を決めるのはモニタの前に座ってるそこの貴方だ。びしっ。
是非ともこの逆転ということを幾度となく経験してどんなものか掴んでほしい。「無為ってなあに?無為ってなあに?」と彷徨っていると夜のとばりが突然降りたかのようにガラッと変わるから。
自分の動き、自分の身体が景色の一部に取り込まれて、景色全体が一挙にドドドドドドと押し寄せてくる、飛び込んでくる感覚。
そして、そのとき漏れなく付いてくるのが「どぴゅっ」である。それも連続。つまり、「ドドドドドトド、どぴゅどぴゅどぴゅどぴゅ」なのである。