はてなキーワード: 難病とは
https://www.haramedical.or.jp/content/provision/bank#sec06
日本国籍を有する者
(2)生活
たばこを吸ったことがない、あるいは、喫煙歴が合計1年以下であり、過去3か月以内ではないこと
犯罪歴がないこと
(3)精子所見
(4)感染症
次の感染症が全て陰性で、既往もないこと。また、これを6ヶ月ごとに継続的に検査すること
HTLV1
50歳以下で亡くなった3親等以内の血族が2名以下であること
本人と3親等以内の血族の家族歴から、特定の遺伝性疾患、先天性疾患、難病指定の疾患における家族歴がないこと
(6)倫理観
生命倫理観を持ち、社会的配慮があること。精子提供における倫理観について自分の意見をもっていること
(7)精神面
精神疾患の既往がないこと、安定していること
(8)その他
他の精子バンクで精子凍結をしていないか、他の精子バンクで既に精子の凍結をしている場合はその凍結バイアル数が2バイアル以下であること
数年前に旦那がある難病にかかってしまい、腎臓移植が必要になりました
旦那家族含めていろいろ相談した結果、旦那の妹が提供することになって、無事手術を終え今は仕事にも戻って普通の生活を送っています
その妹さんが、先月結婚したのですが、相手がバツだったみたいで家族同士の挨拶と友人だけのパーティーをしたそうです
遠方に住んでるので、電話かメールで結婚の報告をうけたようです
そこで相談なのですが、旦那がお祝い金を20万送ると言っています
普通5万からいっても10万なので、相場の2~4倍にびっくりして止めたところ
移植の時は手術費はこっち持ち、妹さんが休んでる間のお金は払っています
又聞きですが、手術後体調を崩した?かなんかで仕事を一ヶ月前ほど休んだそうで、
そういう経緯もあるので、何かあった時に移植をたてにたかって来ないかも心配で、20万送ったら妹さんは調子に乗るんじゃないかと思います
これからたくさんお金もかかるのに、旦那の妹への甘さにイライラします
こういう場合、どうしたらいいですか?
とてもおっとりしていて、私と目が合うだけでデレデレして、
周りの人が全員「私さんのこと好きなんだね」って言っててバレバレで笑ってました。
その後付き合い、私は体調がだいぶ悪くなっていたので辞めることになりました。
「初めて見た時からずっと好きだった。一生守りたい。一緒にいたい」、と。
私は期待させちゃ悪いと思って正直に難病持ちであること、子どもはたぶん産めないことを伝えました。
夫は「ずっと見てたからなんとなく、体よくないんだろうなとは思ってた。だから、俺がずっとそばに居たら守ってあげられると思って。なんでもするよ。子供はいらない。さたけさんさえいれば…」
当時は私も若かったけどさすがに三十近くなったら落ち着くかな、と思いきや。今でも毎日綺麗、可愛い、美人、って褒めてくれます。
https://twitter.com/ringotomatosuki/status/1557243101366079488
仕事帰りに呼び出されてヘトヘトになって実家に帰ったら家族全員が深刻そうな顔している。
告げられたのはやはり兄がまた病気になった、という話だった。今度も癌だそうだ。
兄は特段体が弱いわけではない。
だが、何故か大病ばかりする体質だ。
身バレする可能性が高いので病名は詳しく書けないが、兄は高校の時に難病になった。そのせいで高校は退学せざるを得なかった。兄の必死に治療する姿と、両親から「兄に比べてお前は恵まれているんだから頑張りなさい」と何度も何度も言われたことが印象に残っている。
数年かかったが幸い兄の病気は寛解した。兄は向学心が旺盛なので大学に行きたいと言い、通信制の高校に通うことを決意した。兄が治療している間、俺は普通の高校に通い、親からのプレッシャーを受けつつも大学合格し、兄より先に大学生になった。
兄が通信制の高校を通い始めて暫くして、兄に癌が見つかった。腹を切る手術を受けないといけないと言われたため、兄はそれに従った。両親は何で兄ばかりが、と言って「お前は大丈夫だろうね?」と通帳を見ながら俺に尋ねた。多分金がカツカツということだったんだろう。
無事兄の手術は終わり、兄は高校を通い終えた。
だが今回の影響で大学受験には間に合わなかったため、来年大学受験に向けて頑張る、と言った。両親は病気にも関わらず懸命に頑張る兄に感動して、いくらでも金は出すから頑張りなさいと言った。俺には金の心配させたよな?と自分は言いたかった。
大学受験前に受けた兄の健康診断で、別の病気が見つかった。これも身バレするので書けないが、また手術と治療をしないといけないとのことだった。兄は流石に堪えた様で、鬱っぽくなり安定剤を飲むようになっていた。まぁ自分が兄の立場なら分かる。両親も安定剤を飲むようになった。両親は兄と連動するなよ。
俺は早々に大学を卒業して就職した。当たり前だが兄の治療費で家に金がないからだ。実のところ色々勉強したかった。研究したかった。教授にも勿体ないと言われたくらいだ。だが俺が少しでも家に金を入れないと危うかった。
兄は無事手術が終わり、治療フェーズに入った。今回の病気が治るにつれてうつ病も治っていった。両親は俺に「お前は恵まれているから頑張って働きなさい」と毎日言われ続けた。昇給が決まった時、当たり前に一人暮らしを選んだ。うつ病の兄を残すのは心苦しかったが、正直俺も限界だった。両親は決まった金額を毎月送金する事で渋々納得した。
治療が終わる間際、兄はまた大学に行きたいと言い出した。金ないんだから諦めてくれ、と俺は言いたかったが、本音を言えば俺も大学に残りたかったし、勉強したい気持ちは理解できた。両親はめげない兄に感動し、二つ返事で了承した。俺が送金する金額は増えた。兄の学費のためだそうだ。
兄は頭が良い。キチンと勉強をして、俺よりも良い大学に入ることができた。俺は素直に喜んだ。言い忘れていたが別に俺と兄は仲が悪くない。寧ろ兄は俺を幼い頃から可愛がってくれた。小学生の時に両親に秘密でゲーセンに連れて行ってくれたことを思い出す。少ない小遣いを貯めて俺にゲームを買ってくれたこともあった。うつ病の時は滅茶苦茶大変だったけど。
で、先日起きたことが冒頭の件だ。兄はまた癌になった。ようやく大学にも慣れて、歳は結構違うが大学でも友人ができて、頑張っていこうとした矢先だった。
何で兄ばっかりこうなるんだ?と言う憤りと、また俺の色々な負担が増えるのか、と言う嫌気と、純粋に病気ばかりする兄への憐憫と、俺に精神的な負担をかけまくる両親への怒りがごちゃ混ぜになって、突いて出た言葉が「もういい加減にしてくれ」だった。言ってはいけない言葉だったとすぐに理解したが、それより早く父親に殴られまくった。母親は泣いていた。兄はやばそうな目つきでどこかを見ていた。
俺は友人が少ないから分からないんだが、世の中の人ってこんな病気するもんなの?両親と俺はムカつくほど健康だけど?兄は常時デバフか呪いでもかけられてんの?間接的に俺が影響受けてんだけど?
どうすりゃいいんだろうな。本当。もう訳わからん。
因みに俺は職場の健康診断で一個引っかかって早急に病院に行けと言われたが、こんな状況で行ける訳がないので放置している。もう知らんよ本当に。
山上を全く理解できない。同情するはてなーも意味が分からない。
僕について語る。
僕は地方で生まれ、指定難病と、それとは別の厄介な持病持ちで、高卒。
幼少期はネグレクト、中学校過ぎると「お前は最低の人間だ」と言われ続け、殴られて育った。
なんとか高校卒業はしたけど、周りには、僕より酷い子も結構いた。都会のはてなーは信じられないかもしれないけど。
いじめで登校拒否になって小卒になった同級生を3人知ってるし、他にも
家の乗っ取り、家が破産、親が自殺、性的暴行、酷いアトピー、不細工でいじめられ、
男で極端な低身長、暴力で障害が残った子、それらの複合など。。。
山上は自衛隊に入れるほど健康体で、頭もトップクラスで、資格も取れてる。
少なくとも地方の氷河期独身40歳の状態として考えると悪くないんじゃないか。
僕の持病は他の人に言わせると自殺したくなるレベルのハードモードらしいので
僕の話に戻すと、20代に入った会社では病気の事をねちねち言われて退職した。
次の会社ではトラブルの責任を僕のせいにされ、退職する流れになった。
その後の飲食店ではヤクザみたいな店長に毎日大声で怒鳴られ、やめた。
それから難病も悪化し、外ではまともに働けない体になっている。外出はできるけど。
食費月1万円の生活、シェアハウスの生活、ボロアパートや極貧も経験した。
その後個人事業主としてリモートで仕事をしまくって、平均年収に近づいて、今に至る。
僕の「ころ〇たいリスト」には沢山の人間が書いてあるが、山上みたいに実行する気はなく、
妄想はするけど、実行しようと具体的に思った事はない。
僕のクラスにいた小卒の子も、極端に不細工な子も、破産した親の子も、親が自殺した子も、
みんな事件を起こさずに、つつましく、必死に生きていると思う、多分。少なくとも事件は起こしていない。
山上はむしろ余裕があったというか、本人が「米国で生まれたら乱射してたかも」と言ってたように、
たぶん狂気や暴力性や反社会的な欲望が先にあって、それから後付けで対象を探していたんじゃないか。
なので秋葉原の加藤とか、池田小の宅間とか、京アニの青葉の同類で、
事件も本当なら「SP1人死亡、1人重傷、安倍氏が軽傷」あたりで終わってて、
宗教も騒ぎにならないものだったと思う(ある意味そこが一番の不幸なのだが)。
あの銃を作る時間があれば、僕がやってるようなネット販売の仕事など、副業で稼げるはずだし、
あのスペックであれば、贅沢しなければ結婚だって出来ると思う。
境遇が生んだモンスターではなく、反社会的な性格を持ったモンスターが、たまたま、対象にしたのが宗教だったという事件だと思う。
便乗して言いたくなったので書くやで。
急病・急死が気の毒だったし、なんとなくもうちょい総理やってほしかったなー、という思い出。
たまたまインタビュー記事とか読んだことあるし、森さんに接した人が口をそろえて
「個人としては面倒見が良くて良い人」
みたいなことを言っていたので、そうなんだろうな、という感じ。
ただ、いくらなんでも総理としてテレビカメラ前で言ってはいけないことがあるよね。
なんか失点があると国民感情的にすぐ総理変えろって雰囲気になってた気がする。
今にして思えばメディアのネガキャンがまだ大いに機能していた気もする。
カッコ良かったし選挙に鬼強かったしなんとなく好きだった。
すごい右からもすごい左からもめっちゃ嫌われていたが中道というか国民全般にはけっこう好かれていたと思う。
自民党本体をもっと改革したかったんだろうけど、そこにたどり着くまでに本人のモチベが無くなっちゃったイメージ。
余談として、総理辞めた後、東日本大震災後の妄言の数々にはガッカリさせられた。
小泉さんが中途半端に自民党をぶっ壊しちゃったせいで誰がやってもキツかったと思う。そこは同情する。
この頃からネットがそれなりに普及したせいか? 総理や閣僚の失言がめっちゃ取沙汰されるようになった思い出。
森さんみたいにテレビカメラ前で言うのは言語道断であるが、そうじゃなくて、支持者向けの講演会みたいなとこで喋った話がネットに出回るようになって、メディアにも取り上げられるようになった感じ。
色んな失言自体はもちろんダメなんだけど、支持者向け講演会というどちらかと言えばクローズドだったはずの場での発言を切り取られる時代になったんだなー大変だなー、と思ったことを覚えている。
難病でとてもお気の毒ではあったが、病気を理由に退陣したのはめっちゃ言い訳くさくてイメージ悪かった。
何かしたっけ?
結局、この人も「総理としてテレビカメラ前でそれを言うのはアカンやろ」という感覚を最後まで持てなかったよね。
ボンボンでめっちゃ金持ちなせいか、庶民的な金銭感覚を持ってない、みたいな批判をめっちゃされていた思い出。
総理が庶民感覚を持っていてもそれはそれでおかしいが、庶民に寄り添おうみたいな姿勢はまったくなかった。
この頃の自民党には目に見えるというか国民感情を逆撫でするような失点があり過ぎて、政権交代に至った。
麻生さんというより自民党全体がぶっちゃけ緩んでいたと思うが、党首として麻生さんが緩ませた結果という気もする。
良い方向に日本を変えてほしい、自民党以外にやらせてみようという国民の期待を背負った鳩山さん。
ところが、就任数か月でもうコイツだめだろ……となったのに、何故か一部メディアがめっちゃ持ち上げていた思い出。
なんか麻生さんなら叩かれてるような金額の飯を食っていても鳩山さんは何故か叩かれていなかった。
この頃のメディアの報道姿勢からメディア不振に至ったインターネットの民も多いのではないだろうか。
なんだかんだ震災対応を頑張っていたとは思うが、専門家軽視? と言うのか、科学的にそれはアカンやろみたいなことがめっちゃ目立った。
今になって管さん意外とよくやってたよ的な評価をする人もいるが、やっぱ活動家気質というのか、国民の多数に何となく嫌われていたような。
自民党以外にやらせてみよ! ……やっぱアカンかったわ……と国民に思わせた張本人の一人。
民主党衰退の直接的原因だと思う。
鳩山さんよりも菅さんよりもすごい実務家気質っぽい感じで淡々とやることをやっていたイメージ。
ただ民主党全体に対する不信感みたいなものがめっちゃ醸成されていたため、誰がやってももうダメだったと思う。
最後っ屁的に消費税増税して終わったが、実際何をしたかったのか。
どうせ辞めるなら増税してから辞めたろ! みたいなノリだったんだろうか。
アベノミクスのおかげで新卒就職がいきなりめっちゃ売り手市場になった思い出。
本人の言動や支持基盤的に左からめっちゃ嫌われていたが政策的には意外と中道左派系というか貧困層を救おうとしていた。
ただ長期政権化した弊害なのか、政権後半・末期になると色々と緩んでいたし、本人の口が滑るしご婦人も色々と総理夫人としてはアレだったし。
本人のやりたいことをめっちゃ実現していたのだが、総理としてはあまりにもテレビカメラ前で喋れなさ過ぎた。
辞める前後で「実はこんな感じでめっちゃ良い人」みたいなエピソードがやたら出てきた思い出。
ただ、総理と言えども(むしろ総理だからか?)テレビカメラ前で潜在的な支持者にアピールできなきゃそりゃ人気でないよね。
今後に期待したい。
今回の事件の元凶は自民党と統一教会が繋がっていたことと、同時に弱みに付け込まれて破産して家族を守れないほど実体のないものに金を注ぎ込んでしまった事例である。そもそも日本には信仰の自由がある。現金を巻き上げるカルト宗教を取り締まれと言っても「お布施は個人の責任、個人の意思で支払ったのだから合法」と言えばどうしようもないし、支払った本人が満足しているなら金の使い道を外野がどうこう言うことはできない(という理屈ははてな民が大好きな理屈だ)。たとえそれが洗脳によるものだとしても、洗脳であることを100%証明することはとても難しいし、洗脳だったと本人が認めることがかなり残酷でもある。
実体のないものに多額の金銭の支払いを求めること自体を違法化するなら、次はソシャゲのガチャが規制される。骨董品なんかも原価から程遠い額のものは規制されて、有名なアンティークだとしてもその価値も数値化できないので宗教と同様になる。骨董品はガラクタとなり、コレクターは拝金者として嘲笑される。おもちゃ博物館なんかも「そんなもの取っておいて維持費ばかり大変」と次々取り壊しにあう。
推し活と行って給料全部を推しに注ぎ込む行為もグレーゾーンになり、商業的にグッズもなかなか作れない状況になる。ファンの行為も宗教的と見なされて跡部景吾生誕祭なんかは完全にカルトの領域として「国家転覆を企む隠れ蓑になっていないか」と公安から監視され、薄い本やネットの夢小説まで検閲が入ることになる。
もちろんアイドル業界も大打撃を受ける。総選挙や握手券などで無駄にCDを買わせるなど言語道断。ファングッズなども原価での販売を強いられ、集客が出来ないということで歌やダンスというパフォーマンスはどんどん先細っていく。人々を扇動するという理由で反体制的なロックやラップは規制され、歌手は国家を讃える歌しか歌えなくなる。それすらも気持ち悪いというクレームが相次ぎ、歌を発表する人もいなくなる。
同様にかわいい動物や漫画ゲームのキャラクターも次々と自主規制が始まる。「信仰の対象」を捨てることがブームになり、本やグッズの大量廃棄が相次ぐ。ペットショップは閉鎖され、里親を探しても「かわいいからという理由で動物を飼育することは宗教に該当しかねない」と世話を拒否する人が続出し、社会問題になる。結果野良ペットが街に溢れることになる。
単純な趣味すら宗教と見なされ、車やバイク、登山やアウトドアなどの趣味は白い目で見られるようになる。「弱者を優先させずに個人の快楽に興じた」という風潮になるので、レジャー施設は軒並み閉鎖されてそこで動いていた金は障害者福祉へ回される。「自分の好きなことより弱者へ金を回そう」が合言葉になり、「施し」がブームになる。
これにより「弱者集団」が台頭し、事故で障害を負った者が「弱者集団」を形成して施しを受け取ることが奨励される。公安も「施し」なら良いと目こぼしをするようになる。
人々は労働に明け暮れ、趣味を持つものは宗教的と見なされ公安にマークされるようになる。レジャー産業や広告業界、芸能界は廃れて悪の拝金主義者と見なされる。テレビも公安の検閲が入り、ネットではファンサイトは死滅する。動画配信など以ての外だ。男女の出会いの場も減り、婚活業界が盛んになる。
やがて「施し」に過度な金銭の動きが見られるようになる。「うちの子はこんなにかわいそうなんです!お金を恵んでください!」「こっちは難病で死にそうです!かわいそうでしょう!」「余命宣告された母に美味しいものを食べさせてやりたい!母は牛丼という庶民的なものをよく食べます!」「キモくて金がないオッサンだから配偶者を恵んでください」「理解のある彼くん募集中」など金銭に留まらず様々なものが「弱者」という名目で巻き上げられるようになる。「弱者」の中でもアピールできる層とそうでない層で分かれ、「お前はまだ弱者アピールできないんだから恵め」と言われる。
次第に「弱者」は働かなくても生きていけるようになる。親は子供を弱者にしようとわざと事故を装い障害者にすることが流行し、エリート弱者になることが推奨される。どれだけ馬鹿でどれだけ弱いかが大事になるのだ。勉強なぞ以ての外。勉強なんかしたら「施し」がもらえないんですからねと甘やかされた子供が増える。ちなみに子供は無条件で弱者になるので一世帯50万円が毎月支給されるようになるので子供の数は増えた。
そんな中老人は「目先の欲のためにそんな弱者になることばかり考えていると痛い目に会うぞ、自分の好きなことをして生きろ」「こんな世の中は間違っている、実力行使しかない」と警告をするが、「国家に仇なす自由主義の手先」と公安にマークされて投獄され、山奥の作業所で監視されながら考えを強制される。「万歳!弱者優先の国家万歳!私たちの考えは間違っていた!自由など愚か者の考えだ!我々は弱者のために奉公しているにすぎない!この壺を原価で売って奉仕をするのだ!」
その通りで権力なんかもう本来持ってないものを、周りがいつまでもチヤホヤして調子乗らすからこんなことになっちゃったんだよ。
1回目はほんとに難病を発病しちゃったんならしょうがないにせよそんな体でまた総理やらせろとしゃしゃって、結局新コロの感染拡大で都合が悪くなってきたらまたケツまくるような政治家はいい加減見放すべきだったのに、いつまでも甘やかして「なんなら総理3回目いけるかも、無理でも影のフィクサー()やれるかも」なんて思い上がらせちゃってさ。
右も左もこんな人をいつまでも担ぎ上げたり悪魔化したりして本人の実態より大きく見せかけちゃった点では同罪だと思う。
ホント誰なのこういう終わってる政治家におべんちゃら使っていつまでも調子づかす連中は。
こんな辞め癖の強い終わってる政治家の出涸らしを「こんな強大な力を持った人間を政治の座から降ろすにはもう物理的に命を奪うしかない」と犯人に勘違いさせちゃった連中は。
今現在不登校に悩んでいる中学、高校生の中にも死んでしまいたいと思って日々の時間が過ぎていくのをただ待っているだけの生活を送っている人がいるかもしれないけれど。地獄のような生活から逃げ出したい一心で自殺を考えている人には、少しだけでも楽しいと思えることができる日が来るのを待っていてほしい。どうか自殺へと行動を移さずに、今も流れ続ける時間を忘れられる方法で一日を過ごしてほしい。
そんな思いで書いています。
成人して数年、久しぶりに一本の煙草を吸ったらいろいろな記憶が蘇った。あの頃までは元気になんでもできるような気がしていたのに、ある時をきっかけに学校へも通えなくなった。
時を遡ると、高校に入学した15歳のころ。ある程度の学力がある人々が集まっていた高校なのに、私のクラスではいじめがあった。被害者はNくんとしておこう。Nくんは比較的活発なグループからまずいじめられはじめ、もともと彼が仲良くしていたおとなしめのグループからもいじめられるようになった。彼がいじめられる姿を見て、情けない姿を皆が嘲笑うようになった。私はそこに存在するただの傍観者だった。
時々、私は彼と帰った。Nくんは太鼓の達人が大好きで、放課後のゲームセンターで上手なプレイを見せてくれた。彼は確かに挙動不審なことが多かったが、それでもいじめられる理由にはならないはずだった。私はその中で、彼がいじめられ続け精神的に追い込まれ部活も行けなくなったこと。勉強も手につかなくなったことを知った。それでも私は彼とたまに帰宅する程度の仲を保っていた。
このころ、母が国指定の難病に罹患してしまった。そして私は最低の行為をしてしまった。うつ病の薬のこともあり記憶にもやがかかっているが、自分が最低のことを母にしてしまったことは覚えている。
体調を崩し脱衣所で四つん這いになったままの母に、私は「何してるの? 大丈夫?」という声をかけながら、心の中では私だって忙しいしつらいのになんで家事をしてくれないんだろうと母を責めた。もちろんそれは口に出さなかったが、それと同じくらい非道な言葉を母に投げかけた。
「体調が悪いふり?」なんて、今考えるとどうしてそんなことを言ってしまったのかわからないほどの言葉を投げかけたのだ。当時私は母が何に苦しんでいるのかつゆ知らず、難病のことも知らされておらず気を許せる友達もいない戦場のような高校に必死に通っていた。
母はまもなく入院となり、それが信じられなかったのかもしれない父は私には何も教えなかった。家庭から笑顔は消え、父は仕事、私は学校へ通い夜は二人で家事をするという無機質な日々だけが続いた。
母が数か月後家に帰ってきたとき、彼女は骨と皮だけのような姿になっており、帰ってきて階段を上がりきった途端にリストカットするような素振りで「死にたい」と何度もつぶやいていた。私は綺麗だった母が幽霊のようになってしまったこと、悲壮感に溢れた声にもならない声で言ったことに大きなショックを受けたことは覚えている。
数か月後、母は元気になった。朝に起きられるようになり、私の朝ごはんを作ってくれるようになるまで元気になった。抜け落ちていた髪も、青々と茂る夏の木々のように生えそろった。
朝ごはんを食べ終わり、自室に鞄を取りに戻って登校しようとしたある日、私は階段を下りながら涙を流してしまった。すすり泣く私を母が見つけ、その日は学校を休んだ。思えば、この日が私の不登校と出不精のはじまりになってしまった。今思うと、知らぬ間に心にダメージを負っていたのだと思う。
この数か月前から、授業を聴いていても何も頭に入らず、自分がひどく落ちこぼれたような気がして意気消沈していたのを覚えている。数学のテストでは一桁の点数を取り、頭の良い生徒ばかりの高校ではあり得ないほどの点数を取った私は、周囲から馬鹿にされた。盗み見られたその点数を見て。Nくんをいじめていた悪魔から「あたまわっるいね、馬鹿になっちゃった?」と言われたことを、今日煙草を吸いながら思い出した。
体調が悪いと言って登校しなかったその日から、私は完全に学校に行きたくなくなった。もうすぐ高校二年生になるころだったのに、私は自宅でうつろに日々を過ごすのみだった。このあたりの記憶は防衛反応によるものなのかほとんど残っていない。覚えているのは、今でも大好きな昔の映画を観たり、小さいころに観ていたポケモンのアニメを見ながら昔は良かったなと思いを馳せていたことくらいだ。まるで老人のようなその生活を見た母は、私を精神科へと連れて行った。そこでひとまず一種類の薬を飲むようになり、だんだんと種類が増えていったあたりから私は昼過ぎまで起き上がれなくなった。
こうして”立派”な不登校になった私は、デ・ニーロのグッドフェローズやダニー・ボイルの(ユアン・マクレガーの名前を出したほうが分かる人が多いかもしれない)トレインスポッティングを観たり、破滅的な思考をなんとか創作の中で味わい続け、自殺を耐えていた。
詳しいことは知らないが、3年生に上がるころ担任から「3年生になると2年生のころのように不登校のままだと卒業ができなくなってしまう」ことを告げられ、私は仕方なく登校を再開した。
正直2年生のころも同じようなことを言われて、もうどうせ進級もできなくて中卒不登校のひきこもりになってしまう未来しか見えていなかった私は、4月から懸命に学校に通った。死にたいことを何度もほのめかす私を。父と母は応援してくれた。父は通勤用の車を私のために家に残し、毎日40分近く自転車を漕いで通勤していた。母は私を学校と自宅まで送迎してくれた。毎日だ。
途中、休むときもあったが基本的には登校ができていた。Nくんへのいじめが常態化していたクラスにいたことで脳にダメージがいっていたのか、相変わらず記憶が思うようにいかず勉強はさっぱりできなくなってしまっていた。1学期、定期テストではひどい点数を取り、受験どころか卒業が危ぶまれた。担任から何とかならないかと言われたけれど、何とかなんてならないことは私が一番分かっていた。
あのころどうしていたのかは分からないけれど、2学期からは死に物狂いで勉強をし、数学では及第点、1学期で0点に近かった世界史のテストでは90数点を取った。とりあえず3学期もまた90点ほど取れれば卒業はできるだろうと考えて、3学期も同じくらいの点数を取った。記憶がうまくできなかったので、本当に反復の反復、さらに反復のような状態だった。(今では治った)
大学ももともと目指していた高偏差値のところなんて行けるはずもなく、必死に受けたセンター試験を利用してそこそこの大学に入った。幸い、高校に入学するまでに相当勉強していたのでほとんど勉強しなくても9割近く3教科は取れたのだ。それでも自分にとってはショックで、大学に入っても落ちこぼれた印象はずっとついて回った。
心を入れ替え大学に通い始めたけれど、不登校の癖がついてしまっていて社会的生活に恐怖を感じていた私は、数か月で電車通学が苦しすぎて中途退学してしまった。
今、その大学に入りなおしてそろそろ卒業を迎える。内定も得て、自分のやりたかった職業にチャレンジできる未来が見えている。
それでも、いじめを見て疑心暗鬼になっていたことの私の時間は帰ってこない。電車に乗って高校生を見ると、あのころ違う高校に通っていればあんな思いもせずに記憶障害のようなものに悩まされることもなかったのかもしれない、と思ってしまって稀に目に涙が浮かんでしまう。
それでも時は流れ、日々は続いていく。あの頃は帰ってこないし、私ももう20台中盤だ。物事に折り合いをつけられるようになり、バイトまでできるようになった。他人と話すのが怖かったくらいだったのに、今ではコミュニケーション能力も高いよね、と年齢が上の方々からも言っていただけるようになった。(バイトを通して苦手だったコミュニケーションを何度も何度も練習するつもりで磨いた)
今、どうしようもなく不安になってこの日記を書いてしまったが、最近はうつ病のような症状も収まりひきこもる頻度も減った。それでも時折、元気がなくなると数日ひきこもってしまう。大学生活だってストレートにはいかなかった。体調を崩しひきこもった瞬間もあった。
それでも父と母は私を理解してくれ、応援してくれた。父に関しては昭和の男だから鉄拳制裁を喰らって殴り合いのけんかになってしまったこともあるけれど、いつの日かを境にうつ病を抱えている私を理解してくれるようになった。遊びに誘ってくれたり、断っても体調が悪いなら仕方ないと理解してくれるようになった。
うつ病の薬を断って、大学でのストレスからやせ体形だったはずなのに食にストレスをぶつけてしまって今では30㎏ほど増えてしまったし、今の体形の自分は嫌いだけれどそれでも毎日を楽しくは過ごせている。だからこそ、今不登校に悩んでいたり死んでしまいたいと思っている中、高校生や学生の同じくらいの年齢の方々に伝えたい。
どうか諦めずに、つらい今は好きなことをして時間が経つのを待ってみてほしい。
男だから泣くんじゃない、女だからはしたないことなんてするななんて声は無視してしまえ。男だって泣いていいし、女だって冒険をしてもいい。