はてなキーワード: 部活とは
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タイトルの「道具が買えなくて部活を辞める・・・「家が貧しいから」と言えない日本の子どもたち」から「子どもが、自分の貧困を訴えることは非常に大変なことですので、まずは周りの大人が『アンテナ』を張らなければ、問題は解決しないのです」」までを入れた。
凄い。部活の話が消えている。
でも、重要な「アンテナ」が抜けてしまっている。「Number of Summary Sentence 」を増やせば、つまり出力文字列数を増やせば出てくるが。
ところが、タイトルが「道具が買えなくて部活を辞める」で始まっているからか、部活の記事だと勘違いした人が多かった。
学校の教師はやる気がなくて全く生徒を見ない授業をしててもクビにはならないけど
塾の講師はクビになることもある
毎月塾生の増減があるので評価のサイクルが短いしね
今のわたしは怒られることが死ぬほど無理です。怒られたら100%泣きます。怖くて怖くて涙が出てきてしまいます。誰か止めてくれ〜〜と思っても嗚咽が止まらねえ。
怒られるの、怖い、恐ろしい。
正義を振りかざされる、わたしは完全に悪(それはそう)。わたしは完全に悪なんだけど正義振りかざして正論言ってわたしの精神をぼっこぼこにしてくるのはやめてくれない?死ぬから。
わたしは小学生の頃からよく宿題をやらないで怒られてた、まあ当然なのかなと思う。みんなやってるのに出さないのは変らしいね。でも特に気にしなかった、小学生の時は怒られてその場で終わりだったから。特に怒られて別のところに連鎖とかしなかったから気にしなかった。そんなこんなで小学校は忌引きと胃腸炎になった時以外休まなかった。インフルとかなったことないしなんなら熱出したことが人生でほとんどない。胃腸炎が感染性じゃなかったから出席停止にならなくてインフルとかで休んでる奴らなんかよりずっと出席日数多かったのに奴らが皆勤賞でわたしが皆勤賞貰えなかったのは今でも腹立たしい。お前らわたしより休んでただろ、ふざけんなよ。
中学生になった時も相変わらず宿題はやらなかった。もちろん怒られた、でもそこで完結しなかった。部活の顧問に死ぬほど怒られた。「終わってないくせに部活なんか出やがって、お前のことは信用できない、どうせ終わってるって言った課題も終わってないんだろ」と言われた。ちなみに終わったって言った課題は終わってた。言い返したかどうかはもう覚えてない。たぶん言い返してない。とにかくお前は信用できないと言われたことが人格を否定されたと感じてとにかく怖くて死にたかった。小6の時の担任は「宿題を終わらせないのは良くない。でも貴女は笑顔が素敵だ、良いところがある。(わたしの卒アル用の写真を見ながら)こんなに素敵なんだからマイナスになることはやめよう」と言ってくれた。ここまで言われて宿題終わらせないわたしはドクズなんだけど、この先生は本当に良い人だった。
(ちなみになんだけど部活の顧問は女で小6の時の担任は男、口調の差で笑える。)
生まれて初めて人格否定された。この時からわたしは怒られると死にたくなるようになった。この当時わたしは部活で別の問題も抱えていた。同じパートの同級生からの技術面での悪口を言われ、その同級生の姉が同じ部活だったため先輩達からも攻撃を受けた。それから別の同級生の親から勘違いでモンペ攻撃も受けていた。色々重なってとにかく部活が怖かった。中学の部活は強制だったため学校に行く=部活に行かなくてはならないという式が頭に浮かんだ。学校に行くのは怖くなかったけどとにかく部活が怖かった、放課後になるのが怖かった。最初のうちは放課後になると具合が悪いと言って帰った。でもいつまでもそれが通用するわけじゃないとわかっていたのでもう休むしかなかった。
朝行きたくないと言って親と喧嘩した。ごめんね親、短大入った今でも引きこもりだよ。
結局途中で学校が退部させてくれた。でも休むことに慣れてしまってもう学校は殆ど行かなかった。3年間。
なんとか高校に入った。相変わらず課題はダメだ。親と先生方がたくさんサポートしてくれた。冬になると学校に行けなくなった。親と先生方がたくさんサポートしてくれた。なんとか3年に進級させてもらった。3年の7月、入った高校を辞め通信制に転入した。3年の初っ端から学校に行けずになんか諦めてしまった。1年と2年の時は冬だったからなんとかなったけど初っ端から休んだら確実に冬も休むのにもうダメだと思ってしまった。でもなんとか現役で大学に入るために通信制を卒業した。短大にも受かった。憧れの大学に受かった。
前期はなんとか1単位以外は落とすことなく終えた。でも前期の最後めちゃくちゃ嫌なことがあったな〜と今思い出した。そう、怒られた。もちろん泣いた。思考停止して泣いた。課題が出てなかったそうな。本人には言えないが完全に教授側の伝達ミスでわたしに伝わっていなかった。理不尽だと思った。死ね。理不尽に単位落とされそうになった。死ね。まあ単位はなんとか貰えたんですけど。
そして今後期なんだけどほっとんど行ってねえ。殆ど全て行ってねえ。後期の始めに体調を崩した、とにかく体がだるくて何もできなくて気がついたらアパートで失神してたこともあった。わたしの通ってる大学には欠席課題とかいうクソみたいなものがある。これを出さないと単位が貰えない。クソ。後期の始めから体調崩しまくりの女、欠席課題がすぐにたまった。あ〜〜〜〜人生終わったなと思った。さてここで問題です。わたしは欠席課題をやる気になると思いますか〜〜〜〜??やる気になるわけねーーーーーーだろ。馬鹿か。わたしは授業の担当のことをよく知らない、だって出てねえもん。よく知らない担当職員の中に怒るやつがいるかもしれない。怖い、怖すぎる。本当に恐怖だ。
つーわけで今日も大学には行かなかった。休みすぎて単位は落ちることが決定している。わたしはある職業に就きたくて短大に入ったがもうその職業への興味が微塵もない。やりたいことは特にない。強いて言えば美味しいものが食べたい。
中学生の頃、僕は好きだった子に告白をした。恥ずかしさが勝って直接言うことはできなかった。授業中や放課後にやり取りしていたメモ書きの延長線上で、思いの丈を書きつづった手紙をこっそり渡した。
その翌日、下校しようとしていた僕はその子から手紙を受け取った。
「じゃあね」
間違いない。告白の返事だろう。結果は何も分からないのに、勢い余った嬉しい気持ちが胸にこみ上げてきた。
下校するのを止めた僕は、滅多に人が来ない最上階の踊り場に駆け上がると、すぐに手紙を読み始めた。
「好きになってくれてありがとう。」
手紙はそんな言葉で始まっていた。天にも昇るような気持ちになったものの、読み進めていくうちに徐々に冷静さを取り戻していく。
雲行きが怪しい。手紙の最後は「ごめんね。」という言葉で括られていた。
じわじわと別の波が押し寄せてくる。悟った。ふられた。
優しい彼女は、言葉を選びに選びつくして、僕ができるだけ傷つかないように手紙をしたためてくれたのだろう。彼女の真意にすぐに気づくことができず、それだけ失恋の反動は大きかった。
しばらく独りになりたかった。日の当たらない最上階の踊り場は、陰鬱な気持ちに拍車をかける。ここではないどこかへ行きたくなった。
僕の通っていた学校は、最上階の渡り廊下から校舎の屋上を眺めることができた。そして廊下の付け根から手すりを乗り越えると、屋上まで歩いて渡ることができた。もちろん、そんなことをしてはいけないのは明白だった。
それでも、好きな子から手紙を受け取った高揚感とふられてしまった喪失感が妙に入り混じったその日の僕には、冷静な判断ができなかった。
人生で初めて屋上に立ち入った僕は、屋上の床が見た目と違って意外とふかふかしていることに感動した。いつもは教室や渡り廊下からしか見下ろせなかったグラウンドを見渡してみる。部活中の生徒が小さく見えた。周囲には学校以上に高い建物はなかった。空が広かった。
ふかふかの屋上に寝転がって、ポケットに突っ込んだ手紙を広げてみる。何度読んでも結末は同じだった。
いつの間にか日も暮れかかって、少し肌寒くなってきた。下校時刻だ。屋上に侵入したときと同じ手すりを乗り越えて、渡り廊下に戻ってきた。
その時、死角にいた初老の先生と目があった。普段は高等科の担当で、週に一回は中等科でも授業を受け持っている数学の先生。お互い顔は見知っていた。
血の気が引いていく。どう言い繕ってもごまかすことはできない。叱られる。終わった。
そんな絶望感に苛まれた僕に、先生がかけた言葉は意外なものだった。
そう言うと先生は、何事もなかったかのように渡り廊下を抜けて職員室の方へと歩いていった。
何が起こったのか、しばらく頭の中で整理がつかなかった。
何となく落ち込んでいる雰囲気を察して、今回は見逃してくれたのかもしれない。先生のちょっとした優しさが、今の僕には嬉しかった。
最近、実家に帰った時に自分が通っていた中学の前を通った時に思い出して、イライラがぶり返してきたので、書きます。
私は運動がめっぽうできない人間で、100m走や3000mの持久走などの走る系の競技は必ず学年でビリ。持久走大会は全校生徒全員で走るのだが、それでもビリになるかならないかレベル。
中学1年の時の体育教員は定年直前のおじいちゃんで、「頑張ることに意味がある。記録なんか気にしなくていい」と言ってくれていたのですが、新年度になりその先生が定年し、新しい体育教員が来ました。その教員が脳筋の頭が逝っている教員でした。
私の通っていた中学は某球技が全国でトップ10に入るほど強豪で、日本代表が出るほどでした。新しく来た教員は、この中学を卒業し、その後も某球技が強い高校に行った後、体育系の大学に行って某競技の研究をして、教員免許を取って来た教員で、某球技の部活の顧問として呼ばれたような教員でした。(教育委員会のお偉いさんが送り込んだらしい)
見た目は一般的な20台後半みたいな感じで(実際20台後半)、おかしい人だとは思わなかったのですが、体育の初回授業で豹変しました。新年度最初の体育の授業は体力測定なのですが、その結果を見た後、生徒ごとへの接し方の態度があからさまに変わりました。
運動が出来る生徒(クラスの上位5~6人くらい)には友達のような態度で接し、運動が全くと言ってできない私と数人にはいじめと捉えられるような態度になりました。体育の授業終了前の10分程度で器具の片付けをしなければならないのですが、それをいつも私達数人に命令をするような形でやらされました。その間、私達以外の生徒は先に解散させられ、その教員もそそくさと職員室に帰ってしまいます。最初のうちは他の教員が心配してくれましたが、1ヶ月もすると誰も気にしなくなりました(というより体育教員になにか言われたと思われる)。
そのうち、運動が出来る出来ないの序列で生徒に上下関係をつけ始めました。私達、運動が出来ない生徒は運動が出来る生徒に対し、敬語で話すことを強制させられました。体育の授業中だけだと思っていましたが、廊下などでも注意をされるようになり、ひどい時(学年で一番運動能力が高い生徒と話していた)には指導室で怒鳴られたりすることもありました。
この状況はおかしいと、運動が出来ず私と同じ扱いをされている生徒と相談し、担任や教頭に相談をしたのですが、全くとり合ってもらえず、口を揃えて「校長には黙ってろ」と言われました。
この頃、ちょうど定期考査の時期だったのですが、体育教員に「お前らは実技の点数が無いに等しい。筆記テストでそれなりの点数を取らないと、通知票を1にするぞ」と脅されました。
さすがにこれはおかしいと思い、友人の親(役所勤め)のつてで市の教育委員会に訴えを出したのですが、揉み消されたか、子供の言うことなんかを聴く必要はないという判断だったのかで、なにもアクションは起こりませんでした。
結局、これ以上何も出来ずに、親に相談するのも当時、嫌だったので、我慢するしか無いと決意を決めて、2年間 卒業まで持ちこたえるしか無かったですが、今考えてみれば、新聞に投書するなどの方法もあったのかなぁと思う次第です。
まさにこれ。
小中とそういう環境で育って来たんだけど、うちは貧乏だったけど親が教育熱心だったから大学に向けて勉強はしていた。
でもサッカーして貰ったりキャッチボールして貰ったりとかは全然なくて、運動部に入ったりとかしても落ちこぼれだった。
まあそれは根性足りなかったのかもしれんが。
高校は公立だけどそれなりのところに行って、ようやく勉強も評価されるようになったけど、やっぱり部活とかで成果出してるやつの方が評価高くて
勉強もいいけど、あくまでサブでやってそこそこ結果出すのが格好いいみたいな。
実際部活も頑張ってて勉強もそこそこやってるやつの方が多かったし。
俺は結局勉強でも中途半端で浪人しちゃったけど、一浪で東大に入れたから、やっぱり人生変わったんだとは思っていて、親にも感謝している。
でも、やっぱりそれまで育った価値観から逃れられてなくて、向いてないのに華やか(?)なサークルに入って、そこでまたちょっと落ちこぼれてたりした。
勉強が一番重要で、それをやってればいい、って信じようとはしているけど信じられない、みたいな。
運動やコミュ力では落ちこぼれなのに、そこで評価してもらいたい自分から逃れられない。
だから、勉強とかキャリアアップに全力に出してるやつにかなわないし、どこかそれは格好悪いとか思っちゃう。
理性ではそれが正しいはずとわかっているのに。
そんなだから、就活も力を入れきれずに失敗して不本意な結果に終わっちゃう。
皮肉な事に、そういう不本意な状態から目を背けて現実逃避してる時が、一番勉強とかが捗る。
結局頑張って転職して現状はけっこう満足いくものになった気がするけど、周りの人の向上心についていける自信がやっぱりない。
頑張らなきゃいけないところ、ちゃんと努力が実を結んだところ、それが分かってても別の場所で受け入れてもらいたかった自分から逃げられない。
ひたすら格好悪い。
山月記の虎よりもなお悪い。
美術部だった学生時代、私が恋をした相手は身長が高くとても絵の上手い、メガネをかけた大森という男だった。そして、某アニメの猛烈なオタクだった。彼には篠崎という親友がいて、その篠崎もまたその作品の猛烈なオタクであった。
大森と接点を持ちたかった私は、そのアニメについて少し知識を身につけた。大森と距離を縮めようとすると、必然的にその親友である篠崎との距離も縮まった。
結局ストイックで堅い部分のある彼との距離はちっとも縮まることはなく、私は想いを告げるも無かったことにされ気まずい関係となりその後の学生生活ではほぼ口をきかないまま卒業を迎えた。想いを引きずりつつ、もはや自分が彼の前に存在していることすら、私の記憶の中に大森がいることすらも申し訳なくなってしまいメールの履歴を全て消去した。電話番号も、メールアドレスも消して、ラインもブロックして自ら連絡が取れない状況を作った。そして大森と篠崎の2人は卒業後遠方へ進学し、私は近県へ進学し地元に残ることになった。卒業式を迎えた春休みのある日、私は篠崎から告白をされた。大森への想いを断ち切れずにいた上、新幹線の距離へ引っ越す篠崎から想いを告げられたところで今後の展開をうまく想像することができず私は断った。その後は大森とも篠崎とも疎遠になり、さらに大森は私に限らず同級生と音信不通になっていた。篠崎は交際相手として見みることはできなかったけれど、友人として、また近い分野の学問を学ぶ人間として尊敬できる相手であったので疎遠といいつつもその後も細々と連絡を取っていた。
それから数年が経ち、アニメの猛烈なオタクであった篠崎はその作品の「公式」と呼ばれる側の仕事に就いた。私は学んでいた資格を活かし、公務員になった。日々、失敗したり壁にぶち当たりながらなんとか生きているがうまくいかない日々が続いている。大森に関しては、どこで何をしているのか、はたまた今はどんな姿をしているのかも全くわからなかった。卒業後、部活のお別れ会の後にプラットホームへ続く階段を降りて行った背中を見た後はもう全く姿を知らない。
先日、ひょんなことから大森が大好きだった作品に彼の名前がクレジットされていることを知った。大森もまた、篠崎とはちがう形で「公式」と呼ばれる側の仕事に就いたことを知った。空回りしてばかりの毎日を送る私と、夢を叶えていった大森と篠崎との間に隔たりを感じた。そして、身近だった彼らの活躍を耳にして背筋が伸びた。直接伝えることはできないけれど、あなたのこれまでの努力が実ったことを心から祝っています。おめでとう。それと決めたことに対し身を粉にして努力をする、ひたむきなあなたの活躍と幸せを遠くから祈っています。誰に話せるわけでもなく、本人に伝えられるわけでもないのでこんなところに書いてみた。名前は仮名。
だって“本職”なのに他の運動部に負けちゃったりしたら恥ずかしいし。
かといって1位だったとしても“勝てて当たり前”としか言われないし。
だから体育祭の部活対抗リレーの時は陸上部員は準備係とか審判員とか記録係をやってたんだ。
そもそも部活対抗リレーなんてものは体育祭におけるある種の余興みたいなものだったからね。
運動部は基本、自分らの部活の大会用ユニフォームを纏って出場する。
剣道部は剣道着・袴・防具一式身につけて裸足で全力疾走していた(バトンは竹刀)
柔道部は柔道着で、確か帯をタスキリレーしてたんじゃないかな。
球技の部活は“球”をバトンリレーしてたように記憶しているけど、受け渡し方にそれぞれ特色があった、筈。
バレー部はテークオーバーゾーンでバレーボールをトスしてたし、ラグビー部は後ろにパスを出してたと思う。
サッカー部はドリブルしながら走行する決まりの年もあったけどあまりに不利なので次の年からは普通にボールを抱えながら走ってた。
twitterで「#先生死ぬかも」というタグが流行っているので以前、私の勤務していた地方の私立高校のことを書こう
20年くらい前なのだが就職して寮に入るように言われた、寮とは職員の寮ではなく生徒の寮である
その高校での教員の一日はまず、寮で6:30にワンフロア15人位の点呼を取る、その生徒たちと一緒に草刈りや掃除をする
7:30に生徒と同じ食堂で給食を摂り、校舎に向かう(寮は校舎の隣りにある)、授業をして、部活をする、これは他の学校と同じだ、ただ高校なのだが生徒と一緒の食堂で給食を摂らねばならない
その後18:00に3度めの給食を食堂で摂り、その後はだいたい学校に戻り仕事をするのだが、週に1,2度19:00から寮の生徒と何らかの行事・会議(寮にも学校と同じように委員会がある)をやる
このような生活なので学校の外に出ることがほとんどなかった。行くのはコンビニだけである、しかし、夜にまちがってコンビニで生徒と会おうものなら最悪で夜間に無断外出ということでその処理が始まり収集がつかなくなる
もちろん男子高校生が夜の10時ころ近所のコンビニにいきトラブルになることなどほとんどないのだが、みつけたらそうなるので、近所のコンビニには行かないようにしていた。近くにパチンコ屋とゲームセンターがあってそこに生徒がいると通報が入り、夜、見回りの仕事が増えたこともあった
部活動は希望が通ればいいのだがだいたい通らず、運動部になったので日曜は練習や試合である、(ちなみに私学なので土曜日は授業があった)
よかったのは平日に授業がない日がありその日は学校に行かなくてもよいというルールが有り、少なくとも午前中(午後は残務処理や部活のためだいたい学校に行った)は寮の部屋で寝ていてもよかった、この半日があったから死ななかったのかもしれない
このようなシステムでは本当に死ぬと思い担任になる前に15年ほど前、勤続3年でその学校をやめてしまった(最もその年で寮は出ることになっていたのだが、結婚したら夫婦でまた数年間入らなければいけないという法律を無視した内規があった)
流石に現在はこのような運営はしていないはずだが、ここ数年で現役の教員が3人死んでしまったと学校の関連サイトに載っていた
私事だが、この夏で50歳になった。
新卒時に「嫌だな〜、これから40年も働くのか」と思ったサラリーマン人生も残すところあと10年となった。
仕事そのものは、予想に反して楽しく過ごさせてもらったが、収入はなんともだった。インターネットが普及してからは「平均」というものをググったりもしたけど、ピンと来なかった。
同じ思いの人も多かろうと思い、匿名をいいことに赤裸々にしていこうと思う。
財閥系総合商社勤務の父の元、比較的裕福に育つ。幼いころはアトピー、喘息と親には心配をかけたであろう。4人兄弟の長兄。
喘息を治す為に習った水泳はその後、特技となり、大学生の時はイントラなどのバイトをした。公立小学校→公立中学→私立付属高校→F欄私大文系。
全国展開している学習塾系の広告代理店営業に新卒で営業として入社。なぜか社長に気に入られ、直轄のプロジェクトなどを担当。2年目のボーナスの少なさに腹を建てるのと、担当したプロジェクトで出会ったデザイナー側になるべく、転職。なぜなら営業よりもデザイナーのがかっこよく楽しそうだったから。ちなみに新卒時に入った会社は今は整理され、もう無い。
その後、ベンチャーに就職し、マッキントッシュと出会う。個人的には人生が変わったと思っている。Photoshop、illustrator、afterEffect、director、MAYA、3Dmaxなどのソフトなどを習得する。ここでの報酬はそう悪くなかったが、デザインする内容に飽きてしまい、転職。ちなみに今、この会社は一部上場。
その後、転職した会社で現在に至る。組合のあるのんびりとした雰囲気で過去に大きな成功体験がありそこから抜け出せていない会社。外部から来た人間という事で割と新しい事業を任されがち。たまたまそこで結果を残し、特許を取得するなどをし一定の地位を得る。会社のリソースは有限で発言を積極的にする人間や声の大きい人間がそれを使えるんだなあと理解。
現在の役職は技術系の部署の部長。得に資格手当などはなし。現在の月収は456,590円。組合が今、闘ってくれているまもなく振り込まれるであろう賞与の額は956,907円。夏は908,100円だった。去年は103万くらいだったのになあ。あ、3月の給与には調整金の名目で8万円程度加算される。いわゆる期末賞与的な。
なんとなく年齢*万円を目指してきたけども、うちの会社の規定ではこの年令になると難しい。新卒で入った会社の最初のボーナス(夏ではなくちゃんと計算になる冬)が16万円程度だったのに腹を建てて辞めたもんだが、この年令ではそのような動機で辞めてしまうと再就職が難しいので、行動に移せない。
前述の通り、これが人と比べて多いのか少ないのかはわからない。誰もはっきりと教えてくれないし、平均では実態がよくつかめないし。俺は近所の同世代くらいの野郎がいくら貰ってんのかを参考にしたいのよ。
ちなみに妻はパートタイマーで今年は103万をちょっと超えたくらいの収入だそうです。
パートタイマーで働いてくれている嫁が1人と子供が3人いて家計が火の車なのは確かです。ってか借金地獄。子供は上から私立文系大学1年生で自宅からの通学。真ん中が公立の中高一貫校、下が公立の中学。大学は別として下2人は公立なので、世間的にはかかっていない方かと思いますが、塾!これが痛い。
また、大学生の子には奨学金を借りてもらっています。不甲斐ない父親で申し訳ない。俺自身は借りなくても住んだし、一人暮らしもさせてもらったってのにごめんな。
塾は月額それぞれ、25,000円くらいかかってる。子供が小学生のころはスイミングなども習っていましたが、+6,000円くらいかかってしまうので、断念せざるを得ませんでした。
ちなみに私自身も20代の頃から続けていたジム通いを断念。今は自宅での筋トレと近所を走ることにしています。ジムのいいところはジャグジーとかプールとかだったのですが、モチベーションや侘しさは別として年齢なりの運動強度は得られているかと考えています。ジム、行きたいけどね。時々電車の中から見えるジムの光景が眩しくて泣ける。
家は持ち家です。ローンはまだ19,259,788円残っており、月々96,404円返しています。これは金利0.857%で借り入れています。
車は1台所有。来年の車検が頭痛の種。あと来年の大学の学費どうしよ。
らしいです。
高校時代に同じ部活の男子たちからシュレックに似てると陰口を叩かれてたのが忘れられません。
22歳女子大生です。
あれから結構容姿は変わったつもりだけどたまに思い出したように「シュレック 画像」で検索していややっぱ似てるわ…………としみじみしてしまいます。
ゲジゲジの眉毛、パンパンの顔、でかい鼻に不潔そうな肌、どれをとっても写真の中の高校一年生の私にそっくりです。
変わった変わったと色んな人に言われてもすっぴんはシュレックです。というかそもそも大して変わってません。元がシュレックなんだからどうあがいても人間の顔にはなれません。
増田ちゃんが一番可愛いよといってくれる彼氏ができてもいやでもシュレックだしなあ…………と受け入れることができません。
半年に一回ぐらい盛れに盛れた写真を出会い系アプリに登録していいねがつくのを眺めるのが好きです。でも結局はいいね数もそれほど伸びず現実を思い知るのみです。
いつまでシュレックに囚われ続けるんだろう。これはもうシュレックの呪いです。
シュレックと言ってきた男子は勿論のことわたしが男を嫌うのを見て「そんなに嫌わなくてもいいじゃん〜〜お互い様だよ〜〜」と言ってきた女も嫌いです。
いつかシュレックのことを忘れて楽しく暮らせる日が来ることを願っています。それだけです。
いやそれだけじゃないわ。最初にシュレックとか言い始めた奴は死んでくれ。もう嫌です。はーーーーーーーーーあなんでわたしはシュレックなんだろう。
頑張るのをやめた。
自主練の時間だったので自主練をして、片付けの時間になったのに、その時間まで遊んで練習してなかった人達が突然練習しだして片付けの時間が伸びて帰りが遅くなった。
それが嫌で自主練に参加するのをやめた。
それでも自主練に参加してる人よりも成績が良かったので選手に選ばれていた。
部活の全体の練習で、一部がふざけていてうるさかったので嫌になってよく部室で過ごしていた。練習量は初期の半分以下になった。
この経験から努力したって、頑張ったって、身を結ばない関係ないってわかった。真面目にやる方が馬鹿らしくなってしまった。意識高くあれと言われるけれどもう意識高く何かに対して努力する意味を感じない。頑張ったって、頑張らなくたって変わらない。別のことで今は頑張らないといけない、努力しろと言われている。干渉はやめてほしい。こっちは勝手に適当にやるから放っておいてよ。
https://anond.hatelabo.jp/20181128191150
この一文で増田が人でなしのように言われてるけど
地域によっては実際にあるよね
10~15年前の中学校の話
叔父さんの葬儀で部活を欠席した女子がいちゃもんつけられて顧問の男性教師に突き飛ばされて机に頭をぶつけた事件があって
傷や痣ができるほどじゃなかったから表沙汰にはならなかったけど
もうこいつクビにしろよって思ってたら次の年養護学校に異動になってて本当に愕然とした
そりゃあ熱心ないい先生もいるけど「30人学級を担当する力量のない人」が選ばれることも多いかなという印象
人数が多かったり難しい生徒が多かったりする学年は実力ある先生が振り分けられて消去法でちょっとアレな人が残ったり……
はてなーって凄くいいところに住んでるんだろうなあって思う案件がまたひとつ増えた
いや私が住んでるところが民度低いだけか
「中学受験したのにまた勉強かよ」と思って全く勉強せずにいたらドンドン落ちこぼれて中3くらいになると全くついていけなくなり、「もはやこれまで」と追いつくことも諦めて高2で留年(事実上の退学)の危機になったりしたけど結局卒業までいた俺からすると、中高一貫で勉強できないことは結構辛いので不登校の原因である可能性は高い。小テストできないと昼休みに追試とかやらされたり居残りで補修授業とか追試とかさせられたりして劣等感植えつけられたし、自信がなくなると体育が不得意になってつまらなくなるし、友達との交流もうまくできなくなる。俺の場合は部活には友達いたけどクラスにはあんまり馴染めなかった。自信がないから。親が一時期「期待はずれだったわ」みたいな態度とってきたのもキツかった。
と言うわけで気がすむまで休めばいいんじゃないかな。それか退学とか。俺の友達2人辞めたけど1人は美大行ってるし、もう1人は理系の中堅私大行ってるから辞めても絶望ではない。みんなで卒業なんてありえないのが私立の中高一貫。
アニメ観てて今回は神回だっていうネットの意見を参考にしつつ視聴してるんですけど、「まぁたしかに泣けるけど、良回程度で神回ではないな」と思ってガッカリすることがある。
自分がアニメを見過ぎているのかもしれないが、アニメ大量放出のこの時代に神回判定が緩くなっていないか?僕はもっとコードギアスR2の最終回とかセーラームーン無印の最終回とかそういうのを神回というのだと思うんだよな。歴史に残るエピソードレベルじゃないと神回と認めたくないわけ。
最近はすぐ神回だとか神曲とか神作品とかいうじゃん!最近の神判定は奈良判定並みに緩いぞ!アニオタ歴史20年の僕はそう思うんだ。君はどう思う?
ブコメで既に出てたところ申し訳ないが神回判定が緩いなと思ったのはゾンビランドサガ第8話だよ。サガ民はゴブリンと戦い過ぎて逆にサガの評価下げてるからな。だけどゾンビランドサガのOPは神だな!
コードギアスR2より第1期の最終回の方がたしかにこれからどうなるんだろうって期待が非常に高かったよな。今は廃れちゃったけど当時は神MAD動画がたくさん作られててニコ動観るのが楽しかったんだ。今では例のアレとかVtuberにその勢いを奪われてしまったけど、まぁそんな懐古厨的なもんなんだ。
ちなみに自分がメジャーなところで神回だなと思ったのはるろうに剣心アニメ版の京都編で剣心が薫に別れを告げるシーンな。セル画最盛期に蛍の光り輝く描写、カヴァレリア・ルスティカーナのメロディでまさに明治剣客浪漫譚というところ。
マイナーなのだと刀語の最終話のとがめのシーンとか蒼穹のファフナー(無印)の翔子回とか、〜ef〜シリーズとか、あとうる星やつらの映画版でガラス越しにらむとあたるが語り合うシーン。
マキバオーとカスケードの日本ダービーの戦い。あとヨルムンガンドのアール退場シーンでしょ、ふしぎ遊戯はEDの入りが毎回神ってるし。33話の柳宿との別れは泣いたし。
追追記
みんなコメントありがとな!お互いの神回を語り合う、そういうのが好きなんだよ。
リアルだとアニメの話してもロボ系が好きかアイドル系が好きかとか細かに趣味が分かれてんだよね。だから意外と今回良かったよねとか気軽に話せないからネットの声聞いちゃう。そういう意味では神回判定が緩くなってもリアルに恩恵を受けてる感じはあまりないかな。
コメントへの返答
シャーロットは尻すぼみ感があって2クールやれたら神作品だったかもよね。
プリキュア時代は部活に打ち込んでたもんだから見てないんだ。すまん...
カウボーイビバップ出してくるのはセコいな〜笑 第5話は神回だと思う!
エグゾダス第9話は神回だ!初代から観てきた人間としては神としかいいようがない。
あとネットでは酷評だったけど鉄血のオルフェンズもすこなんだな。リアルで追っかけてたし、1期のビスケット亡くなり〜からのMISIAはまじで神演出だった。
今後最強な神回があったら天照大神回とか表現方法変えて欲しいよ。天照大神回だったら絶対みるもん。九十九神回ならなるほどなって思うし。