はてなキーワード: 蕎麦とは
ごく正直なことを言うとね、田舎のイオンってのは別に娯楽施設じゃないのよ。
無印だのUNIQLOだのがあって、服屋や飯屋があって映画館もあって、
結構な娯楽じゃない、とか言うでしょう?
んで、返す刀でファスト風土だの画一化だの言うじゃない。
あのね、田舎ってのはなんにもないのよ。
道の駅に物産は売ってる。野菜はどこでも取れるものばっかりだけど。
そりゃ、味噌だの干物だのは土地に根ざしてるからココだけかもしれんが、それがウチを代表する食品か?
問題はだ、ここはどこにでもある何の変哲もないところで、よそと置換できる程度の土地柄ってところなんだ。
そんなところでよ、下手にテレビでも見てみなさいな。
映画館は大きな街に行かなきゃねえって生活が、街に洋菓子店が1件って生活がよ、耐えられるかってことだよ。
生きていくって意味で言えばよ、ど田舎、ほんとに村とか山ん中みたいなトコに比べりゃ都会だよ。
DASH村みたいなな、娯楽つーと犬と遊ぶことでテレビ観るより星観たほうが良いって土地柄じゃ無え。
そんな半端なところにはな、もう特色なんてのは無いんだよ。
まあ、あるよ?郷土資料館にゃ土地の歴史ってのは沢山あることになってる。
寺社仏閣の由来だとか、変な石碑だとか、まー、観光客が来なくもない場所ってのも無くはない。
ただよ、例えば国の重要文化財に指定されている豪商のお屋敷と、神社の本殿拝殿があったとしてよ、
それが何なのよ。
神社の参道にある土産物屋とか、アメだのウドンだのを江戸の頃から売ってたみたいな店が潰れました。
近所にファミレスとマクドナルドと牛丼屋が出来てそっちに人が流れて。
それはファスト風土なのか?
そもそもの土産物屋だのうどん屋だの、もっといやどこぞから勧請してきた神社は、ファスト風土じゃねえのか?
あれか、全国にある小京都だの落ち武者の村だのは、ファスト京都とか言うつもりか。
どんだけ貴人が腰掛けた石が世の中にあると思ってんだよ。
まあいいよ、三丁目の夕日みたいな自分がちっちぇえころに既に懐かしかったモノを懐かしむって感覚は判らんでも無い。
品揃えが豊富ってほど豊富かは判らんが、スーパーより断然イイ。
UNIQLOなら都会だろうが田舎だろうが多少量が少ないだけでラインナップがまるで違うって事はなかろう。
参考書とドリルと女性向け雑誌しかねえような街の本屋に比べりゃ、多少微妙でもチェーン書店は魅力だわ。
そういうな、いわば村に電気が来た、って状況なのよ。
人が多いってことはイヤイヤ行ってるわけじゃ無えってことぐらいは判るだろ。
それでも撤退するってことはよ、そもそもやってけねえってイオン側が音を上げたわけだろ。
儲かってるコンビニの近所に直営店を出店させるのとはわけが違ってよ、
イオンが地元の商店街を潰そうと思って出店して、んで潰して、仕事終えて撤退するわけじゃねえだろ。
つまりだよ、その程度の客数商圏しか無えところで、イオンに人が吸い上げられて潰れる商店ってのは、
そもそもが潰れる運命にあったんだよ。
つうかよ、分り易くこういう言い方してもいいな。
オレらは、不満を持って仕方がなくその店を使ってた。そこしか無かったから。
それはつまり、画一化されたスーパーのほうがマシだったってことだ。
んで、その延長でイオンが来て、時期的に爺婆も弱ったり死んだりして閉店ラッシュになってよ、
まそりゃ直接の原因は違っても、イオンがって共通の仮想敵作って愚痴れば平和だわな。
商店街の端っこにあった文房具屋と共通の街の本屋を潰したとは考えたくないわな。
Amazonが悪い、うちも厳しい、ネットは無情だねってので微妙な感情を潰して飲んだり見まわり当番するのが大人だよ。
イオンってのは、そりゃもう室町だの江戸だのの頃から日本の地方が連綿とやってきた
んで、一極集中して、ソコが無くなったとする。
不便にはなるけどな、それだけよ。オレラは離島に住んでるわけじゃ無え。
そこそこの近所には大きな街もある。そこまで足をのばせば良いのよ。
つうか、そもそもからしてお母ちゃんのバイトだしな。新規に生まれた雇用が、元に戻るだけだあな。
商店街がすげえ人雇っててよ、イオンがその雇用を奪って売上も奪って、それでいなくなられたら困る。
でも、そうじゃねえんだって。
スーパーは無くなったから、自転車で行ける距離から車で行かなきゃならなくなった。そりゃ不便さ。
でも、それだけだよ。
ああ、いっこ思いついた。
マダム向けの洋服店ってあるだろ。何だあの服1500円って、みたいな店。
雇用だの洋服店が無くなって困るだのって人は、どんだけ居るかってのに似てるな。
金物屋の近所にホームセンターが出来て、金物屋が潰れた。で、ホームセンターが撤退した。
それですげえ困るし、地方の問題だって血圧上げるほどのことかよ、っていう。
車で行ける距離にいっこもホームセンターが無えってこた無えよ。
だからよ、生活インフラをイオン一社によりかかるのが問題だ、イオンには責任が、とか言うんであればよ、
そもそも洋品店だの金物屋だの、肉屋電気屋氷屋みたいなのが高齢化して店畳んでるのも同じ問題だろうがよ。
でも、金物屋の爺さんが歳だから店閉めたいって言った時に、地域社会に対して無責任だって言わねえだろ。
繰り返すけどな、田舎にゃなんにもねえ。でも、ホントになんにも無えわけじゃ無え。
イオンが集中させた程度で潰れる店ってのには、しっかりしたスーパーは入って無え。
中学校に納品してたとこがアスクルに取られた、みたいなのの方がよっぽどヤベエよ。
だから、イオンが来て、そのしわ寄せを食って辺り一帯焦土になって、それでイオンが居なくなった。
じゃあ、となり町まで行くべか、って程度の話だよ。
なんか誘致するのに税金投入してなかったっけ?とかのが問題だと思うんだよ。
廃墟モールにゾンビは沸かねえけど、やっぱガキは溜まるし変に治安悪化の要因になるだろうしな。
頭良い人はよ、ソッチのほうの問題考えてくれねえかな。ファストファスト言ってねえで。最近はあんま言わんか。
飯のネタが完全にマンネリになったので、ずっと敬遠していた地元の謎の蕎麦屋に入ってみた。僕の地元と言えばまともに食える飯屋がほとんどなく、常にチェーン店頼みになる。しかしそのチェーン店もよくぞここまで雑魚キャラを集結させたなと思えるほどの逆オールスターっぷりであり、中華のなんとかとかいう店が我が物顔で幅を利かせている有様だ。
またなぜか同じジャンルの店が半径100m以内に密集しており、パスタ屋は三軒ある。どれもどうでもいい味だが、その中でもジョリーパスタは確実にいらないだろう。
そんな訳で僕の地元でご飯を食べようと思ったらその度に頭を悩ませ、またその度にあまりの使えるカードの少なさに呆然とするのは必定である。僕はこの不毛地帯に16年も住んでいる。おまけに今はニートなのでもはや発狂寸前だ。
蕎麦屋に入店した時点で店内最年少が僕であるのは明白であった。じじばばどもが跋扈する店に小僧っ子が一人入ったことにより、緊張が走る。僕はこの店の均衡を崩したイレギュラーだ。ただの素人が紛れ込んできただけなのか、それとも相当の手練れか。じじばばどもの目が光る。そんな殺気を感じながらも、何食わぬ顔で着席する。
店を見渡し、唯一仲間にできそうなのは一人黙々と丼ものをかっこんでいる恰幅のいいOLだ。しかしよく見てみるとOLは丼もののセットを頼んでおり、前屈みになりつつ蕎麦も大事そうに抱え込んでいた。全神経を食事に捧げようとするその態度には見習うべきところがある。もはや僕がつけ入る隙はないように思われた。
このような八方塞がりの中、おまけにこちとら睡眠不足で両手が小刻みに震えるというコンディションである。流れは完全に店側にあった。「焦るんじゃない。店の空気にのまれるな」。脳内の五郎が唸る。戦況は明らかに不利だ。しかもよく見たら僕の半ズボンのポケットには穴が空いている。これだからニートはダメだ。
店員がやってきたので、動揺を悟られぬよう、焦らずに「もり」とコール。小慣れた感じを気取って「もり」とだけ注文してみたのだが「もりそばですね?」などと確認をされてしまい、向こうはこちらの心情は全てお見通しだとでも言わんばかりの貫禄だ。
しばらく待ったのちに蕎麦が運ばれてくる。出てきた蕎麦はしっかりとおいしかった。常に両腕が震えていた為、薬味などは箸に挟まれつつプルプルとよく分からない動きをとったりしていたが、僕もなんとか奮闘した。完食である。たまに鼻の奥を突くそばの香りに、少しぜいたくな気分になった。こういう店もいいじゃないか。また来よう。
店を出るとお昼休みが終わったのか、スーツ姿の人達がいそいそとどこかへ歩いていく。頑張れ、と僕は心の中でエールを送る。俺もいつか大物になろう。満足気な気分に浸りながら家路につき、僕はリビングのテーブルに昼食代のお釣りを置いて、部屋のドアを閉めた。さぁ、これからどんな出来事が俺を待っている。どんなドキドキやワクワクが。そう考えると僕はいつだって少年に戻れるのだ。
閉店タイミングまで含めて100%条件を満たしたそば屋があったのを思い出した。
もちろん、老舗に負けただけと思う。ダンピング云々は謎。
当地は駐車場なし=即死、という田舎なので、駐車場のない店は余程の魅力がない限り開店休業
一方、老舗は看板でやってきた客をさばける規模の駐車場を持ってる。
お店の継続性(http://anond.hatelabo.jp/20130608135515)を見て思ったこと。
的外れかもしれないが、以前から気になっていることがある。こちらは田舎住み。
蕎麦が好きなのだが、最近近所には「脱サラして飲食店をやりたいんだ!」的な感じで開店したプチ本格風な手打ち蕎麦屋が増えた。「プチ本格風」という変な表現をするのは、なんかいかにもコンサルか何かに吹き込まれみたいに妙に店構えの似た、十割手打ちとかをうたい文句に幟をあげて、確かに本格的な店っぽく見えるし、一応いい材料を使っているようで味もまあまあなのだけれど、老舗の本格店とはいくつかの点で異なるから。
そして、その「異なる点」というのが、「お店の継続性」という観点で、非常に問題なのではないかと思っているからだ。
そういう店には、大体以下のような特徴がある。
・そこそこ余裕のあった(蕎麦とか好きな)会社員が、「残りの人生を好きに過ごす」ために、脱サラして始めたようだ。
・店構えやメニュー内容など、いちいち「こだわり」があるようで、それを全面的にうたったり雑誌記事の切り抜きを嬉しそうに貼ってたりする。
・店主はたいてい50代後半で、いまのところは元気。店員はたいてい身内で、バイトはほぼ使わない。蕎麦打ち、茹で等すべて店主一人でやる。
・客筋も、ゆくゆくは似たようなことをしたいと思っていそうな連中が多い。
・いかにも高そうな、そしていかにも買わされたぽい年期の入ってない一枚板のテーブル・カウンター。
・やたら三立て(挽き立て・打ち立て・湯がき立て)とか、半可通の用語を強調する。当たり前のことに過ぎないのに得意げに強調する。
・高い。確かに、まっとうな蕎麦はそれほど安く提供できないことは分かっているが、同ランクの老舗と比較しても2~3割高い印象。
・蕎麦湯を「ゆで汁」でなく、わざわざそば粉をお湯で溶いたもので出してくる。量が少ない。
・基本的に駅などから遠く、車でないと来にくい場所にある。その割には駐車場がそれほど大きくない。
・3~4年くらいで経営方針が変化する。なんか利用しにくい感じになる。気がつくと潰れている。
地元民として、蕎麦屋のレベルを上げてくれるのは歓迎だが、同時にこういう店は「後進の育成」という、店の継続性において重要な費用を切り捨てることで、価格ダンピングをしているという側面があるのではないか。いかにも年配の主人、あるいは奥さんが体ナリを壊したり調子を崩しただけで、経営が立ち行かなくなって、店を畳むことになる。後を継いでくれそうな職人さんやら弟子やらはいない。
要するに、そもそも「自分らの趣味」と割り切って店をやっていて、たとえば自分たちの店が地域の食文化なりの一端を担っているという発想がない。店を開くのも勝手だし畳むのも勝手だと思っているのだろう。しかし、こういう店が「ダンピング」によって売り上げを出す陰には、「継続性」を考慮してきちんと商売をしている地元の老舗の被害があるという可能性を忘れるべきではないのではないか。
わずか10年やそこらだけ繁栄すればいいや、あとはそこがどうなっても知らね、というやり方で店を運営するのは、とても不道徳なことなのではないだろうか。そういうことを考えると、最近その手の店で蕎麦を食う度、微妙な気分になる自分が居る。
(追記)
「高いのにダンピングとはこれいかに」というブクマコメントを見て、少し反省して追記。
いや、つまりさ。普通の老舗は、その辺上手に手を抜いて、ぶっちゃけ「少し悪いものをうまく調理して」出してるのね。言わせんなよ。
それは、普通に経営していこうと思うと、仕方ないことで、それはそうなんだよ。しっかりツユ作って、粉もいいのつかって、それなりの職人が打って茹でて、そこそこ便利なところにそれなりに広い店だして…そんなの1,000円そこそこで客に出して引き合うわけないでしょ。かといって、さすがに蕎麦一食に数千円出せる人がごろごろいるわけでもないと思うんだよ。
ところが、そういう「プチ本格」の脱サラ店は、腕こそ劣るものの、それなりにいい材料で作る蕎麦を1,500円くらいの値段付けて出すわけさ。「蕎麦として素晴らしいか」と言われれば若干微妙だけど、蕎麦食いなんておおむねジャンキーだから、ぶっちゃけ粉がよければ蕎麦掻きだって食いたいわけさ。同じ材料で老舗が作れば、多分倍の値段をつけなきゃ引き合わないだろうなと思う。けど、そもそもそんな値段つけたら売れやしない。
脱サラ店は、そういう具合にして、老舗店に対抗し「競争」しているつもりなんだろう。けど、その実態は必要なコストを計上していないも同然の価格ダンピングであり、公正な競争ではないんじゃないかね、という話。「高い」というのは絶対的な値段の話で「ダンピング」というのは相対的なコストに対して付いてる価格の話。
そういうことをしてて、その老舗の経営が傾いて潰れたとして、10年後どうなんのかというと、残った脱サラ店も後継者いなくて潰れて、結局誰も得しない。そういう商売が一時的にでも成り立ってしまうのは、みんな(店もユーザーも含め)で「将来にわたっての利益(店、地域にとっての)」を、わずか10年で食いつぶすから。要するに焼き畑商法。ユーザーとしては、「今食ってる蕎麦はそれなりにコスパいい」「けど、これ続けてたらダメくね?」「かといってこれ規制のしようもないわ」で、もやもやする、ということです。分かりにくくてごめんね。
いや、そりゃお高いレストランならね、店員さんが椅子引いて待ってるほうが女性の座る席だし、ナイフ・フォーク・スプーンは全部並べられてるからいいですけども、デートってそういうとこばっかじゃないですし…
あと西洋のマナーっていうけども、お互いに気分が悪くならない・スムーズに事を進めるためにあるのがマナーだからそのへんのカジュアルレストランだと米欧和(時に中)のマナー折衷とかふつうじゃね?
あと日本のマナーでいえば、女性の場合は汁物すするのとか音を立てるのはマナー違反ですね。蕎麦をすするのとかもほんとは☓。
男を立てるのもマナーなので、遠慮合戦になってお先にとめられたらおとなしく従うというのもやはり作法です。意固地に自分の価値観を押し通すのはむしろマナー違反だろ。
あ、まず前提として、
はたして貴女を幸福にするかどうか、それはまた別問題だけれど。
IT系の超かしこい男なども多く、
したがって、釣り師たる女たちにとっては、
なかなかあなどれない釣り場です。
では、日本酒大好き男に「どの日本酒が好き?」と訊ねられたとき、
あとはお燗酒、そして(毎週行くほどではないけれど)日本酒居酒屋が大好きな、
貴女はかれの目を見て、微笑みとともに質問など無視して、こう言いましょう、
「わたしが、家でお酌をしてあげる♪」
これこそまさに必殺の答えです。
そこで日本酒大好き男が、えへへ、とやにさがったならば、
貴女は、ひそかに、「熱燗、ぬる燗、人肌燗くらいの種類のお燗のつけ方」あたりを
ひそかに練習しておきましょう。これで成功まちがいなしです。
しかし、ここでは、もう少しハイブロウな(?)いわゆる日本酒好きの男の
落とし方をお伝えしましょう。
日本酒居酒屋でよく飲むの、甘みがあって、どの種類を飲んでもおいしいし、
もしも貴女がそう答えたならば、
かれの貴女への恋心は、
20%増量になるでしょう。
独特の甘みと旨味がありつつ、すっきり切れる、
そして香りも華やかな、誰もがうなずく美味しさ、
石数が少ないから、そこがまた
質高くふるまっていて、なおかつ、
全国新酒鑑評会で金賞を受賞した功績もあって。
本来なんの接点もないまったく縁もゆかりもない別々の世界に生きている、
岸本セシル似の綺麗系OLと、玉もあれば石も混じっている、そんな日本酒大好き男たちが、
●
では、参考までに、危険な回答を挙げておきましょう。
「辛口の酒がうまい酒」という考えは、日本酒大好き男にとっては天敵なんです。
また、もしも貴女が「純米酒が大好き♪ あたし純米酒しか飲まないの♪」
と答えたとしても、同様の効果をもたらすでしょう、
昔、三増酒と言われたように、よくないアル添酒も存在しますが、
純米酒しか飲まないと言うと、偏屈な女だと勘違いされるでしょう。
最高に好きなのは純米大吟醸♪ 香りもいいし、飲みくちもすっごくおいしいの。」
と、答えたとしたらどうでしょう?
たしかに山形の十四代は、ラベルが chick であるのみならず、
味も最高においしいんですけれど、
しかし、貴女の答えを聞いて、日本酒大好き男はきっとおもうでしょう、
(なんだよ、お高くとまった女だな、カネかかりそう)って。
なぜならば、すず音は、ふつうのOLにもマニアにもともに愛されるめずらしい日本酒で、
貴女がその名前を挙げても必ずしも、あなたが日本酒おた宣言をしているとは受け取られないでしょう。
しかし、たとえば、ほんのり甘口の飲み心地の福島・ロ万にせよ、
ゆったりとした味わいの静岡・喜久酔にせよ、
安定の旨さの岐阜・小左衛門にせよ、
ましてや貴女が、「秋田の新政が大好き♪ わたし、もうNo.6のType S、Type R、
亜麻猫とか、もうほとんど全種類、飲んじゃった♪」
と答えたならば、どうでしょう?
これはかなり博打な答え方で、
なるほど、新政は、協会酵母の6号酵母を提供した蔵で日本酒の超絶有名蔵ゆえ、
あなたがそう答えた瞬間、日本酒大好き男がいきなり超笑顔になって、
しかし、逆に、(なんだよ、この女、日本酒おたくかよ)とおもわれて、どん引きされる可能性もまた大です、
なぜって、必ずしも日本酒大好き男が日本酒大好き女を好きになるとは、限らないですから。
男たちは、女を導き高みへ引き上げてあげることが大好きゆえ、
もしも貴女が、「新政の日本酒が大好き♪」なんて言ってしまうと、
そこにはもはや、男が貴女を日本酒教育する余地がまったく残されていません、
したがって貴女のその答えは、
日本酒大好き男の貴女への夢を潰してしまうことに他なりません。
ま、ざっとそんな感じです、貴女の目には男たちはバカでスケベで鈍感に見えるでしょうが、
しかし、ああ見せて、男は男で繊細で、傷つきやすく、女に夢を持っています、
貴女の答え方ひとつで、男の貴女への夢は大きくふくらみもすれば、
一瞬で、しぼんでしまいもするでしょう。
●
では、スキットを繰り返しましょう。
日本酒居酒屋でよく飲むの、甘みがあって、どの種類を飲んでもおいしいし、
そして、その瞬間、日本酒大好き男の目がらんらんと輝いたなら、
貴女はこう重ねましょう、
「それからね、いま、わたしが行ってみたいのは、
日本酒の蔵見学、もっとあなたと一緒に日本酒のことを知りたいの。
あなたのお暇なときがあったら、わたしを蔵見学へ連れてって♪」
これでもう完璧です。
そうなったらこっちのもの、
ジルスチュアートの可愛いワンピではなく動きやすい服を着てゆきましょう。
元ネタ:
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002457/dtlrvwlst/3464106/
http://anond.hatelabo.jp/20130509010206
あと、お店とか少ないところに住んでる、とくに大人たちはどこで気晴らしするの?
大学進学と同時に実家を出てしまったので正しい回答が出来る自信はないが、個人的な意見で答える。
「お店とか少ないところ」の「お店」ってのは、スーパーじゃないよな?
とりあえず、実家にあったお店というのは、こんなだよ。
スーパーはある。
ドラッグストアはない。
小さな薬局があった。
コンビニは、高校に入った頃に出来た。
お菓子屋はあった。
服屋というのは、高校指定の制服とかジャージとか売ってる店を指すならばあった。
雑貨屋に相当する店というと、文房具とプラモデルを売っている店があった。
食器を店頭販売もしている窯元があった。
スナックもあった。(入ったことがないので詳しくはわからない)
そして、それらは点在していて、モールや駅前商店街という一角に集まってるわけじゃない。
言い忘れたが、駅はない。
パチンコ屋があった。
あとは、神社とか、寺とか?
大学進学と同時に実家を出てしまったので、成人男性成人女性がどこでどう気晴らしをしてるかはよくわからない。
田舎はパチンコくらいしかとよくいわれるが、当時高校生だった自分には経験がなかった。
パチンコ屋もどんどん潰れてたので、田舎の娯楽を独占してるというわけでもない気がする。
で、どこでといわれると、圧倒的に「家で」だ。
「だれだれんち行こーよ」
だった。
都会っ子でも小学生とかはそれだろ?
高校くらいになると、原付乗って出かけるということを覚えたりだけど、基本は「誰々の家に行く」が遊びの基本だった。
そんなノリで異性を連れ込んじゃうし、ホイホイやってくるもんだから、デキ婚率が高い。
出かけるとなると、ミニバンに乗って、今で言えばイオンがあるような大きな街まで。
アメリカじゃバーベキューセットが、日本の田舎ではホットプレートになり、フローリングの広い部屋が、畳に布団で引き戸に代わる感じ。
オープンカーにタンクトップとキャミソールの男女が4人乗ってヒャッハーのアメリカの風景が、スウェットのガキどもがミニバンでNHKFM聞きながらで田んぼ道。
当たり前だけど、田舎にも一定の割合で他人と遊ぶのが嫌いなやつがいる。
一人でテレビゲームしたりとか。
俺もそっち側の人間だった。
慣れだよ慣れ。
言うまでもなく都会の方が便利。
ピザが食べたけりゃピザ屋に電話一つ、セックスがしたかったらデリヘルに電話一つ。
でも、休日はゲームして、明るいうちから風呂に入って腹いっぱい飯食って、ちょっとだけ飲んで、寝て、それで幸せだし。
わざわざ、映画行きたいとか、ディズニーランド行きたいとか、そういう願望が湧いたことがないのでちょっとわからん。
(ディズニーランドは行ったことがないのでなんともいえんが)
純粋にね、国防とか飢えに備えるためならば、主食はトウモロコシ。寒冷地ではジャガイモ。
北朝鮮はそれをやってる。
そもそもさ、米を選択する理由ってなんだと思う?
(土地の特性)×(その作物の収率)×(その作物の売価)
日本のほとんどの地域で、これを最大にさせるものが、コメだった。
収率がいいのは認める。
土地あたりどれだけのカロリーのある作物を生産できるかといえば、トウモロコシの出現を待つまでコメはトップだった。
しかし、それぞれの土地の特性を考慮しても、その収量面で魅力的な作物だったかといえば、そうではないと思う。
江戸時代の中頃までは、寒冷地は稗粟蕎麦を作っていたし、小麦だってかなりあった。
やはり、売価だ。
税の歴史を各国で比べると、ほとんどの国で税の最初は物納だった。
貨幣経済が発達するにしたがって、物納だった税金を、貨幣に変えた。
おそるべしコメ本位制。
コメ価格の高騰と下落を防ぐために、幕府が買いオペ、売りオペまでやるという徹底ぶり。
そりゃコメを作るよ。
俺だって、日本銀行券を自宅で印刷していいってんなら刷るもん。
明治以降、水田一辺倒だったのが、工業用地に転向していくし、新しく開墾した土地を桑畑けにしたり、水田面積は減りはしないものの、新しい土地は違う使い方を始めたりして相対的に水田率は減る。
農家一件あたりの面積は平均で1ヘクタール(わかりやすくいえば100m四方)
もう40代半ばなのに、中華料理とかメンチカツとか、脂っこい料理が好きで困る。
飲み会とかでも、揚げ物を先に取ったり、炭水化物系を食べたり。
本来値段が高い刺身・寿司系より、腹に溜まるモノがあると満足してしまう。
以前先輩が「35歳を過ぎると、味覚が変わり、さっぱりしたモノが好きになる」と
言っていたが、自分はそのような「進化」をしなくて、40半ばでもそういうのを食べてるから困る。
一方、上の子(小学生)などは、小学生のくせに、脂っこいのが嫌いで、
先日も、近所の中華屋が中華弁当300円タイムセールしてるのだが、
それを買って食べたい自分と、そういうのが嫌いな上の子でバトルとなった。
こういう食生活してると体重オーバーになり勝ちだが、幸い現状では
(あと、朝を食べない、というのも大きい)
しかし、下の子を世話しなくて済むようになったときの体重が・・・
「量より質の名店」を知っていておかしくない年齢・階層になっているのに、
自分は「質より量」の店ばかり興味が偏ってるので、仕事的にも、そろそろヤバイ?
(会食の店を見つくろう際に困ったり。)
スルーしそうになっていたのだけれど、我慢できないのでやっぱり書いておきます。
ガガ撮影写真家逮捕 レスリー・キー容疑者“男性器写真集”販売
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/02/05/kiji/K20130205005128840.html
わいせつか芸術か……有名写真家レスリー・キー容疑者逮捕で物議
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130204-00000036-rbb-ent
【衝撃事件の核心】「紀信さんに憧れ…」越えた一線 ガガさんら撮影、有名カメラマンの写真集は男性器のオンパレードだった
http://sankei.jp.msn.com/smp/affairs/news/130216/crm13021618000012-s.htm
写真家の猥褻罪での逮捕は十年一日のごとく繰り返されているけど、そのたびに「あの写真集にチンポが写ってた!」「マン毛が写ってた!」と中学生のごとく大騒ぎ。まるでアホです。
そのつど繰り返されるのが、お馴染みの「これはアートなのかポルノなのか論争」。しょうもなさここに極まれり。
いいですか。
なぜなら、レスリー・キーは写真学校で写真の訓練を受けて、ギャラリーで個展を開き、問題の写真集も、ギャラリーで販売されたものだからです。
ギャラリーに置かれたもの、美術館に置かれたものは、アート作品です。これは自明です。便器に「泉」って書いて置いてあってもアート、缶詰めのパッケージをプリントしたやつがあってもアートなのです。
別に、俺はこんなものアートとは認めない! っていう人がいてもいでしょう。しかし、俺は蕎麦は手打ちしか蕎麦と認めない! っていう人がいても、実際に流通し消費されている手打ちじゃない蕎麦が存在し、蕎麦であるように、アートも、美術館やギャラリーにあるもの、またはそれら周辺の制度で評価されているもの、ぐらいの定義しか、もはやできないんです。象徴的にいうと、デュシャン以降、ウォーホル以降は。
アートの枠組みを問うこと自体がアートになり、行き着くところまで行った結果こうなりました。
理想化された神話的なヌードから、生身のネイキッドへの転換という美術史の流れで起こった論争など、はるか昔の話しなのです。
生身の裸がエロティックに表現されていたからといって、アートではないといえたのは、近代以前のことです。
無論、ここでの「アートである」とは「アートとして優れている」ことを必ずしも含意しません。
アートだからすべて偉い、崇高なものなんだ、というのは単なる権威主義です。
作者の慰みにしかならないような、誰にも評価されないクソみたいなアート作品もあれば、社会や人間に対する深い洞察を含んで、歴史的な鑑賞に耐えるポルノもありうるのです。
純文学とライトノベル、どっちが素晴らしいのかを問うようなもので、しょうもない純文学もすごいライトノベルもあるに決まっている。
警察は、チンポが写った写真集が売られたら捕まえる。これは、まあ、当たり前です。そういう法律があるんだから。
夜中にクラブで客踊らせたら逮捕されるのと一緒で、そういう法律があるんだから、逮捕も起こりうるでしょう。法治国家なんだから。
むしろ警察が芸術か否かを判断して法律を運用することのほうが不当なのではないかとも思います。
アートかポルノかなんて警察に判断できるわけがないし、されるべきでもない。
では、どうすべきか。
この場合、真に批判され、変わるべきは警察ではなく、こんなカビの生えた法律を放置している日本国民の意識である、と私は考えます。
根本的に間違ってるのは、警察ではなく法律なんです。そして、アート/ポルノ論争とか始めてしまう、ダンスは健全な文化なのか論争とか始めてしまう、幼稚な日本人です。
どれだけ俗悪で、低劣な表現であっても、被害者がいない限りは、ある朝突然、国権に身柄を拘束されることがないのが民主主義なのではなかったのでしょうか。
タテマエでは日本では猥褻なものは売られていないことになっている。これが欺瞞でなくてなにが欺瞞なのでしょう。
アダルトビデオにモザイク入れて、警察の天下り機関でチェックして、これはモザイク入ってるのでポルノじゃないです、猥褻じゃないですって、これが茶番でなくてなにが茶番なのでしょう。
ポルノ大国の日本で、写真集で外国人の写真家が逮捕されたというニュースは、海外からはどう見えるんだろう。
ちなみに、私はレスリー・キーの写真が低劣だと言いたいわけではないです。むしろ、写真集持ってるぐらいには好きです。腕もあると思います。
彼の仕事は、LGBTアクティビズムとしても、アートとしても、ポルノとしても、素晴らしい価値のあるものだとおもっています。
実は、ヌード撮るのってすごく難しいんですよ。嘘だとおもった人は、手持ちのカメラで自分の裸を撮ってみてください。立体感も質感もなんもない、みすぼらしい写真のできあがりです。
実は、ただのゆで卵でも、陰影をつけながら、その白さや丸さを撮影で表現するのすら、すごく技術や経験のいることなんです。いわんや人間を美しく、そして自分の表現になっている写真にすることはとても難しいことなんです。
写真というのは、見たものが見たまま写るというものではないです。たとえば、見慣れた花が、写真家の写真でみると、とんでもなく艶かしく、エロティックに写されたり、グロテスクに写されたり、ロマンティックに写されたり、こんな世界の見方があったのか! と驚嘆できるのが写真です。
当然ヌードも、そこには様々な解釈があり、無限の文脈があるものなのです。そこにモザイクという検閲が入ると、文脈は抹消され、猥褻なものがそこにはあった、という意味だけが立ち上がってしまいます。性器を隠した不自然なポーズやトリミングも同様です。
もちろん、春画などの例をだすまでもなく、ポルノもアートとして制度に回収され、認められる場合もありますが、現状、猥褻の線引きは、鑑賞者や捜査員がエロいと思うか、勃起するか否か、メールヌードに至ってはペニスが写っているかで判断されてしまいます。この思考停止。
ポルノは(特に性的少数者のそれは)作者が自分自身にとことん正直な、まさにパンツを脱いだ嘘のない表現に出会える数少ないジャンルです。どれだけ反社会的に思われ、政治的に正しくないものでも、実存の奥底にある、どれだけ押し込めても潰しきれない、人間のどうにもできないものが表現されてしまうのがポルノです。その凄みや執念は、アートのそれを上回るとさえ思えます。
我々は、アートやポルノ、健全さや猥褻さの枠組みの中で表現を擁護するのではなく、そして巧拙で擁護するのでもなく、低俗か高尚かで擁護するのでもなく、すべての表現を、すべての表現者を守るのだ、と宣言するべきなのです。
しかし、このニュース関連のツイートや、ダビデにパンツ履かせろクレーム、会田誠騒動などをみていると、法律を変えるなんて、あと数十年は無理っぽいですけどね。
ややこしい国に生まれたなあ……。
東京が羨ましいというか憎いが、住みたくなるのも分かる。政治も金も情報も仕事もぜーんぶ東京集中。おまえら原子力発電所以外は独占しすぎやろと。少しは地方に回せよ。と言いたくなる。でも、個人ではどうしようもないので、東京に出たくなる気持ちよく分かる。東京圏で仕事して暮らしたとしても、部屋の大きさ、通勤時間が長くなるなど生活のレベルが落ちたとしても十分受け入れられるレベルだし。そう思うと人々がますます東京に出ていくのは仕方ないのかなと思う。
ちなみに、自分は地方都市に住んでる。都市から1時間程度の郊外。完全に車社会。車なくても生活できるけど、生活の潤いのためには車が必要。人間贅沢なんで基本的な衣食住だけではだめで、車は生活の質を向上させるためには必須アイテムなんです。車が運転できなくなる=地方では”豊かな”生活できなくなると言っても過言ではない。
こんな自分の生活も田舎の人からすると自分はかなり恵まれたほうなんだろうけど…ね。
「かくいう私の生家は渋谷から歩いてまあ15分程度、都心といえば言えなくもない立地にある。今でもそこに住んでおり、家賃というものを支払っている事実はない。従って、都心の地代が高かろうが安かろうが関係ないと思われがちな立場ではある。」
http://d.hatena.ne.jp/mizchi/20130115/1358216244
ほとんどの人には関係ないのかもしれないが、東京の不動産持ちはとにかく羨ましい。彼女が田舎出身で土地持ちで山持ってるとかそんなレベルだけど、正直足かせになってる雰囲気。帰省するたびに誰か死んだり、誰か引越したりしているレベルらしい。そんな地域の土地欲しいか? 相続税払っても要らない。誰かに同じ値段の現居住地と東京の土地どちらかあげると言われたら狭くても東京選びますわ。
WEBでもそうだけど東京の話題ばかり。一時期は上野にしかパンダがいないような報道。東京の人ってまるで地方に関心がなさそう。すごい疎外感を感じる。
ちょっと天候が悪くなっただけで東京の◯◯線がー。帰れないー。とかそんなに時間使われても地方の人には要らない情報なんですが。。。
地方の人は、スカイツリー、東京駅改装、東京ゲートブリッジの話は知っている人多いと思いますが、逆に東京の人に大阪や名古屋の新スポット聞いてみたいですね? 知ってます?
自分の生活の周りにはないモノの話をSNSで自慢(本人にはさほど悪気はないのだろうけど)されて、自分の生活と比較して落ち込む。
同じ大学の同期が、個性的なバーとか喫茶店の料理写真を載せているわけ。それを自分は食べログとかでチェックして、次に東京行ったら行こうとか思うわけですよ。友だちからしたらすぐ手に入るものなのに自分は+新幹線代(数万)をかけてしか手に入らないという。代替商品も自分の生活圏にはどうしても無いわけですよ。
最近、NHKで富士そばの経営について特集されていたんですよ。立ち食いそば食べたいなーと思ってしまったんだけど、地方には富士そばやゆで太郎のような業態ないんですよ。立ち食いそばすらない…。普通の蕎麦でええやん。と思うかもしれませんが、今は無性に富士そば食べたい。
イベントに参加した系とかもそう。ブログで誰かの投稿見るたびに、世界違うなーと思っちゃう。
勉強会に参加していないITエンジニアはダメみたいな話もあったけど、地方だと…ねぇ。そう言うとお前が開催すれば良いとかマッチョな意見が出てくるんだろうけど。
インターネットが地方が救うみたいな議論が昔はあったけど、ソーシャルWEBになってからますます都会に有利なインターネットになってしまったと思う。地方民は都会民のリアルな日常生活の良い面だけを見て、羨ましがっている人も多いと思う。
東京で流行ったビジネスモデルを地方で展開するってのがある。地方民にとっては代替製品なんですが、ニセモノ消費させられている感が半端ない。
自分の興味範囲だとラーメン二郎とかだな。地方だとラーメン二郎のインスパイア系があって、そのときは食べて満足はするんですが、結局はニセモノなんですよね。ネットとかで話題についていけないし、そもそもニセモノ欲しいかっていう根源的な問がある。
◆東京の羨ましいポイント5。女性が多くてこんな俺でもモテそう(ネタ)
女性の選択肢が多いのも東京ですよね。母数が多いから、こんな俺でも好きになってくれる女性がいるはず…。俺が彼女いないのは女性の少ない地方のせいや…クッソwwwwwwwwww
これまで出尽くしたような論点はあえて外しました。
ドラッカーやアルビン・トフラーが言ってそうですが、情報化社会は都会有利ですね。
また、おそらく東京の人間は、地方のことをせいぜい製造業の工場、温泉、観光地、食べ物の生産地、原発の置き場くらいにしか思ってないんじゃないんですかね。
とはいえ、東京のことを単純に憎めない。優秀な人や中枢が多くありますから。大地震のリスクを抱えているので、その日が来たときは本当に怖いですね。日本どうなっちゃうんでしょう。そうなる前に政治くらいは地方に移せよ。と思ってしまうんですが。
重量あたりのカロリーだと、油脂はすごく優れているけど、土地あたりで考えると穀物にはかなわないと思う。
一見脂っぽく、豪勢にみえる肉食よりも、だれもが米を食べる日本のほうが自然環境の恵まれ方だとずっと上。
米がとれない地域では小麦をつくり、小麦がとれない地域では大麦や粟や稗や蕎麦、ヨーロッパならライ麦、それすら栽培できないところでは、牧草地で牛や羊を飼って食べていたはず。
貧しいから麦混ぜ飯とか、あれは半分は嘘みたいなもんだ。
そんな言い方をすると米はちょっとしか採れない贅沢な作物みたいだが、条件さえ整えば収量なら圧倒的に米。
一粒から何倍の粒を収穫できるかだと、穂によっては1000倍、田んぼ全体でも100倍は多少のヘマしても下回らない。
小麦なんてアメリカだって20~25倍、ヨーロッパだと20倍を切る。
どんなに働けど暮らしなんか楽になんねぇよ。
日本が貧しかったと言ったって、貧しさのレベルがぜんぜん違う。
ヨーロッパなんか疫病で人口が何割減ったとか、飢えで人口が何割減ったとか、一割二割当たり前にバッタバッタ死んでる。
日本人がちょっとの塩辛いもので白米ばかり食べて、脚気になった江戸時代、ほかの国は金持ち以外みんな飢えてた。
アメリカ大陸という広く肥沃な土地と、トウモロコシとジャガイモの発見、奴隷労働がなければ、ヨーロッパはずっと腹ペコだった。
穀物で腹を満たせないから、山で鳥をとったり、兎をとったりして食べてた。
食用油脂が高価だったのもあるけれども、脂っぽいもの(肉類、油脂類)を食べなかったのは、世界の平均からするとむしろ恵まれてたと言えるんじゃなかろうか。
そういえばさー、帰省してるときに月経で血がでてたんだけど正座してたら盛大に尻漏れしてパンツとズボン通して正座してた靴下(足の裏)まで染みてさあ。
ふー
それで絨毯じゃなかったからよかったけどシーツの上あるいてシミがついちゃって大迷惑掛けたわけよ
そんでさー
よくかんがえたらホタテ(二枚貝こわい)を食べたあとの年越し蕎麦コンボで2回吐いてるわわたし
あそこんちの蕎麦は出し効きすぎでさー、しかも十割そばでさー、しかも量多めでさー、具が天かす。
っつか二回目だからしっかり症状把握しすぎて症状軽いとおもってるだろ医者!
いきおいよくとびだしたぞ、年越し蕎麦が口から!ぴゅーってマーライオンだよ!おまえ出せるのかよ!!
かわいそうにおもって点滴しよう是非しましょうくらい言えよー
あー実家にかなり迷惑かけたのに宿代がわりのお金もおいてこなかったし
ほんとダメダメだったわー。
年だねー