はてなキーワード: 自己肯定感とは
私の将来はどうなるのか?
今は24歳、もうそろそろで25歳だ。
なぜ、私は何もできないだろうと、思っているのか?
私は、成す事ができないだろうと、思ってる節がある。
無能で狂っている。他人を信用できない。母親から愛されていないと感じる。
私は今からどうするのか?
18歳の受験生の頃に戻れば良いのか?
自分の肩に、法人、地域、親、将来や期待が架かってると自覚して、いや狂っているからそう感じるようになっ…
いや、そう吹き込まれていたのか、それとも事実としてそうなのか、私は判断できなかった。
私はそう育てられたのか。あるいは素質があったのか。
私は私のしたい事も、委ねられた事も、どちらもする事が出来なかった。
私は逃げ出したのだ。私の判断で決めて良い事ではないように思えた。
私は私がすることを肯定してくれる誰か、あるいは何か、が必要だった。
私のような悩みを抱えたことがないように見える同級生や大人が、自己のための将来に邁進できているように見えて羨ましかった。
今の私は、どうなのだろうか?
私は私の判断で行動できているだろうか?
だが、自分の将来は決めれるだろうが、それが他人に響くような判断はできてない。
なにもしないということが影響してる、なにもしないという判断が、そうなしているのだから、先論は矛盾しているのだろう。
人は、どうやってもお互い影響し合う。それは良い事でもあり、場合によっては悪い事もある。
私は、完璧でなければいけない。私は、他人の気持ちを害してはいけない。私は、他人の言いたい事を汲み取るべきだ。私は、他人を傷つけてはいけない。私は、家業のために人生を捧げなければいけない。私は、教師や親の言う事を聞かなければいけない。私は、感情をむき出しにしてはいけない。私は、物事には全力を持って当たらなければいけない。私は、失敗してはいけない。私は、医者にならなくてはいけない。私の自由は、医者になってから始まる。私の使命。
「いつかきっとお前に神様から啓示がくるだろう(医者になるという啓示がくるだろう)」
孤独か孤立か。周囲とは打ち解けなかった。侮蔑していた。装っていた。気付いた時には何もできなくなっていた。
悪い事もあったが良い事もあった。
母や兄は、ネガティブなアドバイスを言ってくる。「お前を思っていってるんだよ」と言うが、そんなこと微塵に感じず、言いたいことを言ってるだけじゃないかと思うだけ。それは私の心がオカしいせいで、曲解してるのか?
意味を確かめる意味で尋ねるが、「砂を噛んでいるようだ」と言って一方的に話を切ってしまう。
母親を憎んでいる割には、頼っているところがある。地域一帯の介護施設の経営主だからだろうか?実母だからだろうか?
愛憎。なんだろうな。
成すべきことではなく。気の赴くままにやればいい。今はこれでいいと思う。
母や父が倒れ、法人を相続する時が早まる可能性がある将来、不安。そのもしもの為に対処法を考える必要はあるのか?
するべきなのか?
それをするために私は欲求を抑えなければいけないのか?
途中まで自分のことかと思った。
何年か前に読んだとき「これ当てはまるけど」と思いつつ、「ここまでひどくない」と自分に言い訳した。
友達に「なんでよりによってあの人を選ぶの?」と呆れられながら付き合ってた彼と結婚した。
結婚してから、母親と彼がそっくりなことに気がついた(普段は優しいのに、いざというときに突き放す)。
幸せなはずなのに結婚直後から辛くて、でも共依存状態から抜け出せず、
うつ病っぽくなって、カウンセリング受けて、やっと本に書いてあることを実感した。
変わろうとしたら、DVが始まった。
歪んだ関係で均衡を保っていたのだとしたら、
そういうこともあるから気をつけて。
基本的には http://anond.hatelabo.jp/20130329190303 の補遺。ただしこれは男性教師→女子生徒限定かな。
周囲の女性(周囲に女がいません、という意見は却下する)を観察してみてほしい。女性が数人いれば1人くらい、「たくさんの男に愛されたり欲情されたりすることが女の勲章」と思っているような女性がいると思う。増田の周囲(非教え子)にもいた。
小学生の頃はどうか分からないが、中高生になってくると女子はそういう意識を表に出してくる。しかも中高生の方がかえって「表に出し方」が不器用だったりする。だから教師やってると、そういう手に取るように分かる子もいる。が、潜在的にそう考えてるけど表に出してない子もたくさんいるだろうことが想像つく。
そしてもう一つの事実として、現在の日本では中高生の自己肯定感が半端なく低い。自分が価値のある人間だと思う高校生は36%だとかいう調査結果が出ていたが、実際に教えていても「みんな誉められてないな」というのは感じる。そういう中で、「教え子は女として見てないよ」と言うのは、教え子に何人もいるであろう「男に欲情されるのが女としてのステータス」な女子に対して「俺にとってお前はダメだ」と言っているのと等しい。
教員としては、クラスに40人いるならその40人にできる限り配慮しないといけない。(だから先生の話は40人全員に配慮するという制約の結果、つまらなくなる。制約が無い中で教員同士などで話していると意外と面白い人も多い)。「男に欲情されるのが女としてのステータス」と思っている生徒と、「生まれつき、あるいは思春期で性への嫌悪感を持っている」生徒とではどちらの数が多く、どちらに配慮すべきかというと、天秤はどうしても前者に傾く。セックスヘイトの生徒がいるのは承知だが、じゃあそういう子だけ除外して性教育[※やらしい意味ではなく]をすることができるかというと不可能だし、性教育に限らず割と大っぴらに性の話題している生徒も多いがそれを全面的に禁止することはできない。
だから俺は「可愛いと思う子いる?」と聞かれると「いるよ。誰なのかは絶対に教えないけど」と答える。
>正当化するな
し て ま せ ん。これははっきり言っておく。俺は教え子に手を出したことは未遂を含めありません。
>せっかく増田さんが手の内を明かしてくれたんだから、学生の方達にこの記事を読んで欲しいですね(少し難しいかもしれないけど)。
これが一番近くて、学生とかあるいはもっと教育委員会とか文部科学省の人とかがこういう現実を踏まえて有効な対策取って欲しいと思う。痛くもない腹を常時探られている現状がはっきり言って辛い。
ちょっと増田が言葉足らずだったかもしれない。はっきりした悩み事の相談として知る以外にも、授業中の私語の内容とか、少し時間が余ったときや休み時間に入ったとき、あるいは掃除中などの会話の中からそういう『今生徒が抱えている悩み』も分かってきて、そこから『攻略法』に結びつくことも多い。
ただ、そういう普段の会話の中から生徒の悩みや考えていることを分かる能力がある先生ってのは、やっぱり良い先生じゃないとできない。ありきたりなことを言うようだけど、教員に力がなかったらいじめ対策なんかもできない。ただ一方で、その力の使い方を間違えたら体罰や性犯罪にもなる。その力の振るい方が今の日本の学校では、教員の裁量に委ねられすぎではないかという問題意識で例のエントリを書いた。
http://anond.hatelabo.jp/20130222222510
いや文章みるにつけ君の方がずっと稼いでるようではあり、そんな私が共感するのも変な話ですけど。
で、嫁さん妊娠中はそんな空気の中に私もいたんです。 まだ1年前くらいか
「まぁ生まれる前だが生命保険にも入っておいたし、いきなり死んでも大丈夫だよな。いやとりあえず死にたくはないけど」
が、生まれてしばらくすると「おぉっと」「あひゃー」な感じでした。
新生児のウンチって水っぽいんですけど、ウンチの海の中で足をばったんばったんしたりするんです。
「うわ、どこから手をつけたらー、あぁぁあ」とか
噴水のように母乳を吐き出したらとかでも「あぉあ?!わー!」とか声出したり。
自分はどちらかというと引きこもり傾向であり、理系で無口な人間なんですけど、
「あぉあ?!わー!」とか言う日が来るなんて思ってませんでした。 新鮮な自分の一面。
昔は「女に金つかうくらいだったらメモリ買った方がいいよね」って飲み屋で言うタイプだったのに。
それと男性にもよるのでしょうが、私は出産直後は父親になった感覚が全くありませんでした。
一方、嫁さんはというと出産直後からなんか妙な感じで、自分の変化にそわそわしてましたが。
男性は父親になった感が得にくいので、その辺の男女間ギャップはあると思っておくと良いかな、と。
出産直後は赤子観点でもあまり男女の区別がついてないんで、父親にもすがってくる(というか男と認識してない風である)のですが、
数週間たつと「母親にべったり」になります。 母親しか見てない、みたいな。
試しに「母親との間に入ったら視線もらえるかなー」と思って二人の間に入ってみたら泣かれました。
そんなに見たいの? と。 お前インプリンティング中か、と。
「この野郎、俺が男だと気づくようになったな」と。
父親観点では大変しょんぼりする期間ですが、母親を褒めたらいいかなと思います。
今の社会って結構いびつで、女性が「母親であるというだけで褒められる」なんて空気はなくなりました。
なんかこう男女共同参画社会基本法以降「母親かつ仕事も正社員で」みたいな風潮が作られてきました。
女性はそういうロールモデル観の中にいるので、育児だけだとなかなか自己肯定感が得られません。
「でもまぁ、赤ちゃんの体重が増えてれば成果として捉えていいんじゃない? 割と計測しやすい成果でもある。
みたいな感じで彼女の自己肯定感を増やしてあげられたらなー、と他人事ですが思ったりします。
「母親超ラブ期」は父親観点ではしょんぼりですが、女性の「母親としての自己肯定感」を増やすフェーズとして利用できて良かったな、と今では思います。
男女の違いがはっきり現れる時期であり、母親としての嬉しさ、誇りみたいなものを得やすいタイミングかな、と。
更にしばらくすると子供観点で父親は「なんか面白い/新しい事をやる人間のようだ」みたいな認識をしてきます。「お? またお前か。なんか新しい事する?」な目で見てきます。
「お母さんといると安心できるけど、お父さんといると楽しい」みたいな。
この段階になって、私は自分もまぁ父親になったのかね、って気持ちになってきました。
別に嫁さんに「俺は父親になった気がしないんだー!」と宣言する必要は全然ないのですが、まぁタイムラグありますよ、と。
「母親ではない者が、母と子にどう向かうのか」って観点で描いているマンガって少ない。
絵柄はアレなんですけど、これを読んでおいて良かったなと思いました。
産後の母子密着によって徐々に母親が壊れていく過程が良く描かれていたと思います。
(登場人物が姉妹なのは、男女の話にすると、描きにくいというか、汚いというか、四年生、五年生みたいな話になってしまうからかな、と)
http://anond.hatelabo.jp/20130209124403
元増田は「身なりを整える」ようになったんだろ?
どういう心境の変化で?
そこんとこ伝授してやれば、その「中学生並みのメンタルの女たち」も化けるかも知れないよ?
「マイ・フェア・レディ」だ。
http://anond.hatelabo.jp/20130124230959
「夫婦にとって子どもが一番大切なの? 」って言われると違う。
昔、深夜作業を終えてタクシー拾って帰るときにさ、私は良く運ちゃんと話をしてたのね。
タクシーの運ちゃんって、割と家庭的な人が多くて、家族のために仕事を変えたって人がいる。
そういう家族を大切にするような人に当たった場合には「いや、自分、最近結婚したんすよ。でもね、離婚とか多いですよね最近。どうすればいいんすかねー」的な話をぼんやーりとするようにしてた。
(もちろん、まったく話さない運ちゃんもいる)
会社でも既婚者男性に聞いていた訳だが、「新婚生活?そりゃ新婚旅行が終わるまでだ」とか、家庭内別居してるとか、×3だけど家を買っちゃった、とかノーフューチャーな話ばかりで参考にならなかった。
私は転職した。 その後、その会社は一部上場した。まぁ勢いがある会社って何かを犠牲にするもんかな、と思う。閑話休題。
ある運ちゃんの「なんかいい方法ないですかねー」的な質問の答えが面白かった。
「うちは3人、娘なんですが」「方法っていうと、子供より母親を優先する事でしたね」
「普通、子供が生まれたら、男だって子供見るじゃないですか、可愛いし」
「でもそれだったら『嫁さんは誰が見るんだ』って話ですよ」「誰にも見られないでしょ?」
「なんで私は嫁さんだけに集中することにしました」
「嫁さんと手を繋いで歩いてるじゃないですか。その時、子供は後ろを歩かせる。前だと危ないしねw」
「そうすると、後ろから私らの間に割って入ろうとする」「それはさせない」
「かーちゃんは俺のもんだって見せつける」
「もちろん、私がいない時は子供と母親だけなんだし、その時はたっぷり甘える」
「もうね。母親は子供の方ばっかみてました」「たぶん『育児するのは私しかいない』みたいなとこもあったと思うけどね」
私は「でも、あなたを見てくれる人はいないんじゃないですか?」って思ったけど、
まぁ、そんな事はどうでもいいよね。 私はオタクだし、見られるのはまっぴらごめんだし、どちらかというと見る方が好きだ。
それ以降、私は子供ができたら、嫁を優先すると決めた。
今はうまくいってる。 正直やっているのは家事ばかりであり(これは二人きりの時からしてた)、
育児参加してるかというと、時々、嫁がトイレに行く時などに遊んでるだけの様ではあるのだが、不思議と感謝されている。
(時々、オムツを替えたりもする。 でもウンチがついていると思われる場合、積極的に動きたくはない)
今時の男性が結婚を決めるのは、ほとんど狂気に近い。 今でも既婚者男性を見ると「あぁ、この人は、ちょっとした狂気を許容できる人なんだな」って目で見てる。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」みたいな。食われなくて良かったですね、と。
親権や養育費関連の離婚に関わる条件が、男性にとっては悪すぎる(フランスは離婚の点では平等なそうな)
子供をつくる上での覚悟だけど、別にパートナーが信頼できる感じだったら不安はないんじゃない?
ブコメどうもです。
enator 7か月育てた程度で結論出そうとしている時点でモグリですこの人
すみません。まだ結論は出ていないんですが「36歳男性 7か月男児あり そんな私の観点」という1サンプルとお考えください。
あと何かより良い方法がありましたらコメントいただけると幸いです。
おぉ信頼感重要ですね。
これはそう。 私は別に嫁さんがいれば子供はいらない派だったんだけどね。嫁さんの希望でして。
まぁできてみると子供も面白いね。とはいえ、私観点で「幸せが増えたか」というとビミョー。
嫁観点で増えたかというと(自己申告ではあるのだが)たのしいらしい。特に子供の変な顔が。
hidamari1993 両親はどう思ってたか知らないが、常に親の前か後ろを歩いて育った人間としてはやっぱやりきれない孤独感が残ってしまいました
uduki_45 これまかり間違うとむしろ家庭崩壊フラグに見えるんだけど・・・ 子供が育って思春期迎えるようになってもこの認識は危ないと思う
思春期は私にとって未知ですね。そして幼児期より思春期の方が難しい、というのはネットでもちらほら観測されますね。
なにか「こうした方がいいぜ」というのがありましたらツッコミいただけると幸いです。
osakana110 結婚して、母親と妻が対立したとき妻に味方した方がいいってのを思い出した。まぁ確かに子供ばかりみてると離婚するかも
どもども。あと子供もってみて思ったのは「嫁より子供優先だと、育児方法で喧嘩になりやすい」って思った。
「子供が大事」って強すぎると、なんか嫁さんの育児方法で「こっちの方がいいよ」って小言がいいたくてたまらない、という。
(ただウチの嫁みたいな素敵な人はめったにいないかもしれないので、普通の嫁さんを持つ旦那であるならば、もう少し育児にコミットした方が良いのかもしれない)
どもども。 嫁さんの幸せが最優先事項ですよ。
で、更に言うと、嫁観点で幸せだと育児に専念できる、という点もありまして。
嫁観点で「自分を支援してくれる人がいる」「(育児の)結果に関して、素敵だと、素晴らしいと褒めてくれる」
という感じで、自己肯定感が持てると全力で対象に向かえると思うんだよね。これは職場でも同じではないかな。
flowerload 当面は離婚への不安を克服したいってのならそれもアリだけど、子供ってびっくりするような理由で「自分は親から愛されてない」と思い込む事もあるから、何年後かにはまたスタンスを見直すといいと思う
そうですね。数年後、もういちど考えたいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20130122131752
出産を経験すると変わる、という女性は結構いる。私の嫁も変わった。
赤ちゃんの授乳間隔(新生児だとランダム、六カ月児でも2〜3時間おきに起きる)
ホルモンバランスも変わって浅い睡眠で対応できるように変化したりする。 http://il-mano.jugem.jp/?eid=571
あとこれは私の嫁さんの話なんだが、出産翌日、
嫁「ウチの子だけじゃなく他の子供の泣き声がしても気になる。かわいく見えてしかたがない」「なんか赤ちゃん周辺だけ違うように見える」
私「寝不足なのでは?」
嫁「それもあるけど、徹夜明けの感じとは違うね」
私「それって出産前はそういう気分になったことってあった?」
嫁「ない。」
というやりとりがあって、いやはや出産って(予備知識としては持ってたんだけど)パラダイムシフトな体験なんだな、と思った。
(もちろん、様々な理由からこういった「母親になった」という感覚を『得られなかった女性』というのもいて、
母親になった自覚がもてないみたいな人は育児に苦労したりする)
「母親の眠りを浅くした方が赤ちゃんが死ににくい」「産後、母親は赤ちゃんに対して強い感情をいだく」みたいな機能を獲得したんじゃないかね。
そういう個体の方が死ににくかった。 それって母子ともに悲しみが減る素敵な進化だと思う。
大抵の女性は妊娠の間、9ヶ月くらいは徐々に母親になる自覚を醸成していくし、
産前休暇も強制であるので自分の生活に変化が訪れることを認識しやすいのに対して、男性にはそういったフェーズがない。
イクメンって言葉をはやらせる一方でそういった面へのフォローはないので、
最近の若い女性の旦那への期待値、イメージだけが高まる傾向にあると思う。
こういう事って社会的にはアナウンスされてないんで、構図に気づかない人は参っちゃうんだろうな、と思う。
私自身は離婚はしたくなかったし、嫁とは産後もハッピーでいたかったので、
出産前に
「ホルモンバランスが変わって睡眠が浅くなるんだって、進化って凄いね」「一方、旦那は赤ちゃんが泣いても目が覚めなくなるらしい。友達がいってた。慣れてしまうんだそうな。まぁ会社もあるしな」
「産後うつって大変らしいよ」「産褥期はしっかり休んだ方がいい」みたいな書籍なりで得た知識を
『出産前に』話しておいた。
出産前なら笑って話せるからね。 本当に結婚ってテクニカルな問題だと思う。出産を控えた増田がいたら気をつけてほしい。
『産後の不便さ』→『旦那への不満』→『便利グッツの通販ページ』という構成なので、
割とBefa!はおもしろかった。 ベネッセ観点だと養殖事業みたいなもんだろか。子供を増やそうとしてるようだ。未来が暗そうな会社ではあるが頑張ってる。
でさ、嫁さんは限りなく要求してくる訳で、嫁さんに合わせてたら休む暇が作られないだろ。
とりあえず、1〜2日くらいどっか漫画喫茶でも一人になった方がいいと思うよ。 なんか嫁のいいなりになってないか?
嫁さん側の家族の支援があるなら1〜2日くらい失踪しても良いような気もするんだが、どうかね。
これは男女逆パターンもあって、旦那が厳しすぎる嫁さんを想像してみてくださいよ。 嫁さん休んだ方が良さそうに見えるでしょ?
https://twitter.com/han_org/status/90374472095371265
でも、夫婦の接触時間は夫婦関係満足度にほとんどなんの影響も与えない。
ベータ係数をみると、夫の情緒的サポートだけが他を圧倒する影響を示している。
https://twitter.com/han_org/status/90367934932856833
稲葉さんのディストレスの調査にせよ、婚姻関係の安定性に関する調査にせよ、やる調査やる調査、ことごとく、夫の情緒的サポートが圧倒的に強い影響を示しますね。夫がきちんと愚痴を聞く夫婦ほどストレスなく安定する。夫の家事参加や上司のサポートなんてほとんど影響を及ぼさないのに。
勘違いした努力をしないようにね(既知だったらごめんなさいね)
あとさ、落ち着いた後で思い出してほしいんだけど、エンジニアって一人の時間が必要だと思う。 成長のために。
この辺も産前に(というよりはラブラブ期のウチに)話ができるとよかったのだが。
悲しいけどそういう「自己投資が必要」みたいなのが理解できる女性は少ないのよね。
それと組み込み系ってそんなダメかな? 私はWeb系SEなんだけど、Web系からすると組み込み系は
最近のMakerムーブメントもあって、これから熱くなる分野なんじゃないの? って気もするんだが。
(もっともMakerムーブメントが金になるか、というとビミョーな感じもするが)
追記
元増田は何日か休んで欲しい。 私は転職するとき無職期間というか、2週間くらい休みを取ったんだけど、天気が良い時、嫁と河原を散歩したんだよね。
「こんなゆっくりしてていいのかな?」とか「今すぐRSSフィードを消化すべきではないか?」とか「なにかもっと有意義な事を探した方が」みたいな事も頭をよぎるんだけど、「まぁいいじゃん。2週間あるし」で、のんびりした。
ゆっくり歩く。 時間をゆっくり使う。 なんかそれまでサービス拡張で死にそうになってて、むしろ来世に賭けたい感じだったんだけど、なんか凄く幸せで泣きそうになった。今は死のうとは思わない。
一緒に歩いてくれた嫁には今でも感謝してる。 ただ嫁観点ではあまり良く分かっていないようではあるが。
(まぁ散歩したのは一度きりで、残りの時間は自宅で技術的な検証ばっかしていた。でも散歩も良い思い出ですよ)
それからでいいんだけど、まぁ組み込み系も悪くないようにみえるよ。というかトラ技をわくわくしながら買ってみるんだけど今のところ私には作れる気がしません。積んでますがいつかやってみたいと思います。
追記
少し元気になられたようでなにより。 たぶん私よりずっと難しい状況なんだろうな、って思って気になってたのです。
それとブコメどうもです。
id:iroha2_hohe 女性がそうなら、男性は養う機械?それなら今じゃポンコツだね
うん、そうですね。 この辺は女性の社会進出とトレードオフの関係になる。
女性の高学歴化は結婚年齢の上昇に、キャリア指向は出産年齢の高齢化につながった。
また女性の賃金の上昇は「男性へ期待する年収」を上げてしまった(ハイパーガミー、上昇婚)。
結果として女性観点では「男性はポンコツだね」と見えることになった。
もちろん、女性の経済的自立には良い面もある。が、生殖の機会(and 結婚の機会)を失った女性も多かろうね。
この辺はトレードオフ。
id:multiplex00 子供を生む準備に入ると、精神構造から全部切り替わって出産・育児特化していく様が機械的と思ったんじゃね
フォローありがとうございます。そのとおりでございます。
そういう事なのです。文面を修正しました。
id:yukitanuki そらまあ妊娠出産を経験してないから自覚を持ちにくいのはもっともだけど言い訳にはならんでしょ。そんな「生物学的に男は浮気をするものだ」みたいな
これは弱っている女性にもフォローは必要、という事でもあります。
今回は男性へのジェンダーバイアスって結構強いものがあるんだなー、と思いました。 言い訳は良くないですね。すみません。
id:kananaka 『書籍なりで得た知識を『出産前に』話しておいた。出産前なら笑って話せるからね』産前だろうと、その程度の知識披露されても全然笑えないのは私だけ?あとそんなホルモンの化け物扱いしないで^^;
あー、カップルのどちらが詳しいか、というのはケースバイケースですね。 多分、私があなたの旦那だったら、私は何も言わないでしょう。
ありがとうございます。 習得までに時間がかかること、アウトプットまでのもやもやを自分の中で組み立てる時間くらいはどうしても必要になると思っています。
私も学生の時、Linux 1.8くらいの時、カーネルのリビルドって結構時間がかかるもので、でも彼女は「ずっと甘えたい、全力で一緒にいたいと思います」と求められて分かれた、という事がありました。
「この技術を習得するのは、多分、二人にとって良いことだと思う」と説明をしたんですが、なかなか理解が得にくい。
結果として別の女性と今は幸せなんですけどね。 技術の習得って結構時間がかかる。 あの時、技術の習得に時間を割けたのは本当に無駄ではなかったと思ってます。
見ていたら、早めに「技術の習得には時間がかかる」ってパートナーに小出しで言っておいてほしいです。
今だとIT革命以後なんで、もう少し話が通りやすいんじゃないかな。
ただそれでも「それを受け入れてくれるか?」は人による。元増田の嫁さんは難易度が高いパターンだと思う。
id:masa_rst 知り合いのとんでもないエリート女性も子供産んで完全に家庭に入った(本人の意思で)。産む機械が差別的にしか受け取られないこと自体おかしいんじゃ。誇りをもって産む機械になればいいじゃない
そうなんですよね。 「産み育てる」って、もう少し(女性自身の中で)評価されて良いと思うんだけど。
id:apricotbarley 機械ってのはひどいね。人間だから産後うつにもなるんでしょうに。夫婦どちらにも休養は必要。
妊娠、出産には人間性とは別に「機械的な面がある」(「妊娠適齢期」といった機能的な面、産後、育児に最適化していく側面。もちろん男性も変化しますが、女性にのみ現れる変化がある)という事を、
社会は女性に対して、ここ二十年くらい隠蔽してきたような気が私はします。
その事が原因で 産みたくても産めない、不妊治療に悩む女性が大量にできつつある、と思っています。
「高齢出産時はリスクが高くなる」みたいな話は10年くらい前、団塊Jr女性が30歳くらいの時にはちょっと出てました。
(医療の現場ではもっと早い段階で認識はあったでしょう。丸高って概念はあった訳だし)
産婦人科対象に訴訟が連発して産婦人科医を目指す人が激減しましたよね?
( 産婦人科医が足りない!産科医療崩壊の足音 http://research.goo.ne.jp/database/data/000680/ )
あの辺でもう少し女子高齢化に伴う出産リスク、不妊化は話題になって良かった。でもそうはならなかった。
表に出せなかった、というのが実状ですかね。 女子高齢化と不妊に関してタブーが解かれたのはここ1〜2年、NHK報道以後です。
「形あるものはいつか壊れる」ってフレーズだと受け入れらるのに、生殖の話題になるとタブーにしてしまったのは、うーん、女性団体の失敗だったと思っています。
産後うつにケアが必要なのはもちろん同意ですよ。 私も産後、3週間ほど有休を取りました。
嫁曰く「よく分からないんだけど不安になる、涙がでる」「あなたの事がきらいな訳じゃない」「映画みたい」。私はTUTAYAに走りました。
ベネッセの動きは面白いと思います。たぶん少子化のインパクトを認識して全力で最善をつくしてる。 でも未来は無いな、とも思いますが。 この部分はまた明日(ひょっとすると明後日)追記します。
もしよろしければ見ていただければ。私も面白いと思うんですけどね。。。なかなか着目する人は少ないような気が。
追記
経済のことは詳しくないのでまぁ話半分で。
少子化のインパクトを受けそうな産業って結構あると思うんですよね。 例えばバンダイだったり、ゲーム産業だったり、教育産業だったり。バンダイやゲーム産業は元のターゲットとしていた層はだいぶ減ってしまったんだけど、別の層を取り込んで規模を維持してる。
で、教育産業でそれが可能かな?って考えると難しいかな、と私は思ってる。
大人向けの教育(英語教材だったり自己啓発本)って細分化してるし、既に小さな企業がレッドオーシャンのように見える。
子供用教材のノウハウが適用しにくい市場な感じがするんですよね。
市場規模も確実に減ってる。
統計局ホームページ/人口推計(平成21年10月1日現在)http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2009np/index.htm
少子化は割と決定事項ではある。 この辺は調べればすぐ分かるし、ベネッセも認識してると思う。
少子化の要因はいくつかあって
1,団塊Jrが結婚できなかった http://www.geocities.jp/yamamrhr/ProIKE0911-66.html
2,女性が高学歴化( それに伴う上昇婚、ハイパーガミーの激化 )
3,育児が大変過ぎて第一子だけで第二子をもうけない。完結出生児数( not 合計特殊出生率 )
ベネッセが着目してるのは「3」かな、と思ってる
( 「1」はもう無理、「2」は教育産業として女性の高学歴化は否定できない )
「3」の「育児が大変過ぎる」ってのにもいろいろ理由があって、
・そもそも赤ちゃんを見たことがない。育児がイメージできない。理想と不安だけがある。
・核家族
・一人っ子だったケース
・里帰り出産ができない
・おばあちゃんも働いてる( 昔は専業主婦率が高く、里帰り出産というのが可能だった )
・それぞれ言ってることが違う。 正しさを「自分で決定しないといけない」
とかいろいろあると思うんだけど、
Befa!が面白いな、と思ったのは
( 結構、異端だと思う。 男性向けと思われるプレジデント ファミリーですら男性を責める記述はある )
・男性向け冊子がある( なんかR25をパクってきたようなレイアウトだった )
・なんか育児本ってデカいのばっかなんすよ。 忙しいのに読めませんて。
・女性の体に現れる変化を( 妊娠何ヶ月とかに合わせて )読めるようになってる。
・女性自身が「いま体の中で起きてること」をイメージしやすくなってる。
・出産に対してポジティブなイメージを植え付けようとしている。
・これ重要。 初産って基本不安なものだと思う( まぁ私は痛くないのだが )
一方でプレママ向け通販雑誌って「女性の不安を煽る」->「不安を解消するにはこの商品」みたいな感じで、不安を煽って買わせる構図。
これは女性誌にも見られる構図で、女性誌の多くは整形外科とアパレル業界の広告出稿がある。
・この辺が広告収入や通販で利益を上げるビジネスモデルの育児雑誌と違うところだと思う。
最近の若い女性の悩みとしては、育児の現場を見たことがないにも関わらず、
里帰り出産もできず( 専業主婦率低下 )、経産婦も身近にいない( 非婚化 )、
そんな中でいきなりOJTで、ごにゃごにゃと赤子をいじらなければならない。
これはママが悪いわけでは全くない( このような社会にした存在に目を向けるべきだろう )
でも、そういった暗黒時代を過ごした女性は第二子を産みたがらない。
祖母の社会進出を否定できない立場なら、男性の育児参加をうながし、育児ノウハウと自己肯定感を増やして
なんとか第二子を増やすような構図に持っていきたいところ、
と考えているんじゃないかな、と読んでて思ったんですよねー。
「ピアノ作る」→「ピアノ弾けるように音楽教室つくる」→「ピアノ欲しがる人間ふえる」→「教室の中から教師になる人間もでる」→「教室ふやす」
みたいな感じでベネッセも考えてるんじゃないかな、と。 そんな感じで私はウォッチしてる。
養殖って話で未来の夫婦の形態に関しても考察しようとしてる、ようでもある。
変わる性別役割意識 ― 子どもにどのような力を育てるか http://benesse.jp/berd/berd2010/center_report/data37.html
まぁぶっちゃけ「結婚のマッチングうまくいくのかな?」って事でもあると思う。
自分は取るに足りない人間だという思いにとらわれて気分が塞ぎこむ。こういう感情は一年に数十回ほど経験するのでとっくに慣れっこである。付き合いが長いということは、一度も問題が解決されたことがないという事でもあるのだが。
で、自己肯定感を得るにはどんな能力を獲得すればいいか、何ができるようになればいいかと考えていたところ、不意にそういう問題設定がそもそも筋が悪いんだろうなと思った。条件を満たせば肯定感が得られるという仮定は、条件を満たさなければ肯定感が得られないということと等価だ。つまり、自分に自己肯定感が備わっているいるのかどうか常に判定しつづけていなければならない。それはまた、判定に失敗して肯定感を失うリスクを常に抱えているということでもある。
そういうやり方は、安定した自尊感情の供給には繋がらない気がした。
きっと自分が自分でいいんだという感覚は、何かの結果として得るようなものじゃないのだ。獲得するものではなくて信じるものなんだと思う。「そういうもの」として受け入れて、なるべく疑わずにやり過ごすもの。
元増田です。
恋愛も結婚も子作りもバカのすること、と思ったり言ったりしながら、本当は望んでいる、というか、できるわけないと思ってるけどできるものならしたい、って方向で解釈していいよね?
あぁ、書いてみてよかった。
そうそう、その内なる矛盾を飼いならせそうにないことに困惑しているというか。
世間一般の方はそういった矛盾は気にすることすらないししないんでしょうけど。
嬢から「モノはデカイし実年齢より若いし」と言われ、職場の後輩からは「それだけ活動的ならモテてもよさそうなものですが」と言われたので、以前よりは自己肯定感が高まっております。
もうアラフォーで時間も限られてきましたが、人生は楽しまなきゃ損ですよね。
ヤバイ、ちょっぴり泣きそう。
アスペルガー症候群と診断された。知的障害のない自閉症。高機能自閉症ともいうらしい。
どういうことか簡潔にいうと、自分の感情をうまく表現できないし、他人の感情もうまく理解できない。
生まれつき、脳機能に障害があって、共感する能力や想像力に乏しいらしい。
これで空気が読めなかったり、無神経な言動をしたり、感情を表情に表せなかったりするんだけど、
そんなことはどうでもよくて。
もちろん、どんどんひとが離れていくし、一度築いた人間関係もぶち壊す。
1年以上続いた友達なんて、いない。
2浪してようやく入った大学で、どうにかできた友達も、どんどん離れていく。
もちろん、自分のせいで。
脳は孤独を常に望んでいるんだそうだ。
いや、少なくとも僕の意志では、友達と遊んだり、仲良くしたいけど。
心と脳は違うらしい。
けど今は、どれもいってない。
なんというか、身体が動かないのだ。
いや甘えとかじゃなく、まじで。
どんなに気をつけても、アスペルガー症候群は嫌われるらしい。
友達ができないのではなく、友達関係が継続しないっていう障害だ。
いやもうこれほど辛いことはないって。
20年間、どこいっても、なにやっても最後は必ず嫌われるんだもん。
クラス全員に嫌われたことは、何度もある。
すげえ仲良かった友達が、1年経つ頃は口もきかない仲になってたことが、何度もある。
もう、嫌われ者のオーラ?プレコックス感っていうのがあるらしい。
もうやだ。
だって、ひとを不快にさせるような態度や言動を俺がしてんだもん。
でも、どうにもこうにも治せないのよ。
でも、治らない。
なんで普通の人と同じようにできないんだ!っていつも思ってた。
反省していても、表情に感情を表すことができないから、また怒られる。
そして、また同じミスを繰り返す。
ADHDも併発してるから、落ち着きもないし、ひとの話を最後迄聞いて理解できない。
ん?ってなる。
それもこれも、自分が悪いんだーって思って20年間生きてきた。
それが自閉症の一種の、アスペルガー症候群でADHDでって診断されて。
治療法はないって言われて。
それじゃあ、今まで通り変わんねえじゃんっていう。
どんなに気をつけても、友達はいつか離れていくよー!そういう不治の病だよー!ってさ。
ふざけんなマジで。
もうほんとやだ!
しあわせってさ、友達や家族がいてさ、楽しく暮らすことがさ、大事じゃないのか?
あー、そういや幸せって感じたことない。
そりゃ、人にも幸せを感じさせることが、できるわけないな!
というか、自閉症は幸福を司るドーパミンの分泌異常による、らしい。
なら、そもそも俺は幸せを感じる部分が欠落してるってことか。
具体的な症状を言うと。支離滅裂な言動や、思ったことをそのまま言ってしまったり、一貫性のない言動、
無表情、無気力、怠惰感、運動能力欠陥、注意力欠陥、空気の読めない言動、冗談がわからない、
状況に応じた判断、行動ができない、言語外の意味がわからず、なんでも間に受ける、
ほんと今迄関わった人全員ごめんなさい!
ただ治そうとしても、どうにも治らないんです。
身体が思ったように動かないんです。
だからわかっていても、つまずくし、失敗を繰り返す。
ただ俺は何度も何度も繰り返す訳で、その度東大生が幼児を責める。
自尊心の異常な低さの原因はこれ。
ほんと自分が嫌いだ!
世界で一番嫌いだ!
死ね!
あ、でもやっぱ誰かと話がしたい。
誰かと仲良くしたい。
10年後も20年後も友達でいてくれるような人が1人でもいてくれたら、
僕はもうしあわせだ。
アスペルガー症候群と診断された。知的障害のない自閉症。高機能自閉症ともいうらしい。
どういうことか簡潔にいうと、自分の感情をうまく表現できないし、他人の感情もうまく理解できない。
生まれつき、脳機能に障害があって、共感する能力や想像力に乏しいらしい。
これで空気が読めなかったり、無神経な言動をしたり、感情を表情に表せなかったりするんだけど、
そんなことはどうでもよくて。
もちろん、どんどんひとが離れていくし、一度築いた人間関係もぶち壊す。
1年以上続いた友達なんて、いない。
2浪してようやく入った大学で、どうにかできた友達も、どんどん離れていく。
もちろん、自分のせいで。
脳は孤独を常に望んでいるんだそうだ。
いや、少なくとも僕の意志では、友達と遊んだり、仲良くしたいけど。
心と脳は違うらしい。
けど今は、どれもいってない。
なんというか、身体が動かないのだ。
いや甘えとかじゃなく、まじで。
どんなに気をつけても、アスペルガー症候群は嫌われるらしい。
友達ができないのではなく、友達関係が継続しないっていう障害だ。
いやもうこれほど辛いことはないって。
20年間、どこいっても、なにやっても最後は必ず嫌われるんだもん。
クラス全員に嫌われたことは、何度もある。
すげえ仲良かった友達が、1年経つ頃は口もきかない仲になってたことが、何度もある。
もう、嫌われ者のオーラ?プレコックス感っていうのがあるらしい。
もうやだ。
だって、ひとを不快にさせるような態度や言動を俺がしてんだもん。
でも、どうにもこうにも治せないのよ。
でも、治らない。
なんで普通の人と同じようにできないんだ!っていつも思ってた。
反省していても、表情に感情を表すことができないから、また怒られる。
そして、また同じミスを繰り返す。
ADHDも併発してるから、落ち着きもないし、ひとの話を最後迄聞いて理解できない。
ん?ってなる。
それもこれも、自分が悪いんだーって思って20年間生きてきた。
それが自閉症の一種の、アスペルガー症候群でADHDでって診断されて。
治療法はないって言われて。
それじゃあ、今まで通り変わんねえじゃんっていう。
どんなに気をつけても、友達はいつか離れていくよー!そういう不治の病だよー!ってさ。
ふざけんなマジで。
もうほんとやだ!
しあわせってさ、友達や家族がいてさ、楽しく暮らすことがさ、大事じゃないのか?
あー、そういや幸せって感じたことない。
そりゃ、人にも幸せを感じさせることが、できるわけないな!
というか、自閉症は幸福を司るドーパミンの分泌異常による、らしい。
なら、そもそも俺は幸せを感じる部分が欠落してるってことか。
具体的な症状を言うと。支離滅裂な言動や、思ったことをそのまま言ってしまったり、一貫性のない言動、
無表情、無気力、怠惰感、運動能力欠陥、注意力欠陥、空気の読めない言動、冗談がわからない、
状況に応じた判断、行動ができない、言語外の意味がわからず、なんでも間に受ける、
ほんと今迄関わった人全員ごめんなさい!
ただ治そうとしても、どうにも治らないんです。
身体が思ったように動かないんです。
だからわかっていても、つまずくし、失敗を繰り返す。
ただ俺は何度も何度も繰り返す訳で、その度東大生が幼児を責める。
自尊心の異常な低さの原因はこれ。
ほんと自分が嫌いだ!
世界で一番嫌いだ!
死ね!
暇を持て余している神々のような方が読んでくださればうれしいです。
http://wired.jp/2012/08/16/disney-vs-miyazaki/
こちらの記事を読んで個人的に感じたことを。
結婚について今更ながら考えるところのある33歳独身の女です。
うちの父にちょっと似てるな、と思い、なんとなく懐かしく思いながら読みました。
本人に育児方針など直接聞いたわけではないんだけれども。
父はとにかく宮崎アニメの大ファンで、わたしが小さいころから、新作が公開されるたびに家族で鑑賞するのが恒例でした。
わたしが初めて風の谷のナウシカの映画を見たのは4歳のときでした。
子どもに聞かせるつもりで話していたのかどうかわかりませんが、父が、クラリスやシータの受動性と対比させつつ、ナウシカの勇猛果敢でありながら豊かな母性に溢れる高潔な精神を繰り返し賛美していたのをよく覚えています。
「ナウシカ=父の理想の女性像=わたしがナウシカみたいになればお父さんは喜ぶに違いない=わたしはナウシカのようにならなければならない」
という式をわたしは自分の中で早い時期から確立させていたように思います。
もともとの性格に加え、夫の転勤について行く専業主婦、という立ち位置が余計に母をそうさせていた面もあるのかもしれません。
「これからの時代は、女性も社会に出て男性と対等に働いていかなければならない。そのためには小さいころから努力しなさい」
「お母さんのように専業主婦になってはいけない、これほどむなしい生活はない」
と母から繰り返し聞かされて育ちました。
ですからわたしは、周囲に比べるとよく勉強していたほうの子どもだったと思います。
ローラ姫を助けたときに抱いた嫌悪感を、今でもわたしはよく覚えています。
「なんて依頼心の強い女なんだろう!こんな女にだけはなりたくない!」
努力が実り、わたしはまずまずの大学を出て、同世代の他の女性に比べるとわりとお金をたくさん稼げて、しかも長く続けやすい仕事に就くことができました。
今の仕事に就くまでにはずいぶんと紆余曲折があり、決して順風満帆ではありませんでしたが、まあとにかく、わたしは母が願っていたとおり、社会的に自立した女性になりました。
このポジションを得てから、わたしの自己肯定感は急激に強く満たされました。
いろいろ考えてみると、そのひとつに
「これで父の期待にも応えられたはずだ」
という達成感があることに気づきました。
この仕事は、女という性の特質、具体的には「母性」を発揮するのに非常に適した仕事でもあったからです。
自分の中で、ナウシカという強く優しい理想の女性への父のあこがれと、母から期待される「女としての自立」という目標とが混ざり合い、そのすべてを叶えることができた自分が、何かすばらしい存在に思えたのだと思います。
念のために書き添えておきたいのですが、多くの若者がそうであるように、親の期待や願望の言いなりではなく、わたしもあくまで、ときに両親に反発もしながら「自分の意志」で道を選び続けてきました。
今から自分の落ち度というか、重大な取りこぼしを書くのですが、それを両親の育て方のせいにしたくて書いているわけではありません。
この文章を書いているのは、幼少期からの親との関係性がどのように「自分の意志」の形成に影響してきたのかを自分なりに分析してみることが、これからの自分の人生にとって、なにかしらの糧になるだろうと思ったからです。
わたしの取りこぼしとは簡潔に言うと「努力が報われるのは、正しい方向に努力したときのみである」ことを失念していたことです。
仕事で成功したいのであれば仕事を頑張ればよい。スキルを上げることはもちろんのこと、上司や部下との円滑な人間関係の構築、根回しのやり方なども含めて、的確な努力を続けていればだいたい結果はついてきます。
当たり前ですが、仕事を頑張ってついてくるのは通常、仕事の成果のみです。
という話は、わりとあるように思えるかもしれませんが、そのふたつは直結はしていないと思います。
仕事を頑張る姿に惹かれて、というのはあくまできっかけでしかありません。
過程には必ず、純粋に「結婚を成功させるための努力」があるはずです。
ここを穿き違えていたことがわたしの失敗でした。
「彼女たちは、男性との関係以外にも、自分というものを持っている。たとえば『千と千尋の神隠し』では、10歳の千尋が両親を助けるために自分の身を危険に晒す。ストーリー構成に含まれるロマンスは、本題から外れており、千尋の生活の中心ではなく、両親を助けるという使命のサイドストーリーにとどまる。こうした特徴は、『ハウルの動く城』など宮崎作品の多くに共通する。
わたしはロマンスに反対しているわけではない。わたしの大のお気に入りである宮崎作品は、『ハウルの動く城』と『耳をすませば』の2作品だ(後者は宮崎氏は脚本を書いたが監督はしていない)。いずれも完全に公式に従った古典的ロマンスだが、この2作品のヒロインであるソフィーと雫はいずれも、異性との関係のほかに、関心事や自分の生活、個性を持っている。」
他ならぬ『風の谷のナウシカ』も、まさにそうです。
多くの宮崎アニメにおいて、ロマンスはサイドストーリーなのです。
わたしは自分の人生において、これをそのままなぞってしまったのです。
その結果、33歳独身、あんまりさびしいから猫でも飼うか、などと考えているマンション暮らしの独身女性がここにひとり、できあがりました。
ナウシカとアスベルは最後まで結ばれません。千尋とハクだって。
ハウルとソフィー、雫と聖司は結ばれますが、後者が前者と違うのは、やはり作中で「恋」「愛」そのものに向かい合った努力をしているところです(耳すまでは、その努力をしているのは主に聖司のほうですが)。
ナウシカや千尋は、恋い慕う相手と結ばれることを努力目標にはしていません。
心が通じ合う喜びを知りこそすれ、そこまでです(ナウシカは原作を読むとその辺の距離感がよりわかりやすいのですが)。
そもそも、風の谷のガンシップとアスベルの赤いガンシップが「おい待てよ~」「つかまえてごらんなさいよ~」なんて楽しく追いかけっこをしているようなナウシカなんて誰も見たくありません。
ナウシカは、みんなの姫様であると同時に誰も同じ境地を理解しえない孤高の存在でいるからこそナウシカなのです。
千尋も「ハクと離れるくらいなら千のままでいい!」なんて言ってしまったらすべてが台無しです。
ともすればストイックなまでの、あの潔さが宮崎アニメのヒロインたちの魅力を何倍にも引き立てているのです。
そしてくどいようですが、わたしは自分の人生において、これをそのままなぞってしまったのです。
そりゃストイックにならざるを得ない人生が待ち受けているに決まっています。
もともと、結婚願望はそれほど強くありませんでした。
でも、したくないわけではありませんでした。
結婚はまさに「サイドストーリー」として、おまけのようについてくるものだと思っていました。
自分の今やるべきこと(=仕事)を頑張っていればそのうち結婚もできる、と、両者を直結させて同一視していたように思います。
ディズニープリンセスも最近ではいろいろで、リンク先にあるように宮崎アニメとはっきり対極をなしているヒロインばかりではないようです。
「伝統的スタイルのディズニー作品は、古くからある「囚われの姫君」モデルに頼っている。『眠れる森の美女』や『白雪姫』、『シンデレラ』といった物語のヒロインは、状況を打開するための行動を、ほとんど何もしない。ヒロインは自分自身のドラマのなかで主体になっていないことも多い。ただ料理や洗濯、掃除をして、美貌で王子を夢中にさせるだけだ。そしてヒロインに夢中になった王子が、ヒロインが受動的に身を委ねている苦境から彼女を救い出す。
ただし、新しいスタイルのディズニー作品では、少なくとも、物語に登場する女性たちも主体になり、しばしばヒロインは王子を救うために行動する。だがプリンセスの行動は、もっぱら王子との関係のために行われるものだ。」
あくまで王子との関係性において力を発揮する、という意味で、ソフィーは極めてディズニープリンセスに近いヒロインだと思います。
そして「ハウルの動く城」のラストは、ソフィーとハウルのキスシーンで締めくくられます。大団円です。
「恋」「愛」に正面から向かい合ってひたむきに(そして的確に)努力し、苦難を乗り越えたからこそ、彼女たちは王子様と結ばれたのです。
彼女たちにとっては、それはサイドストーリーではなく、達成すべき目標そのものだったのです。
ソフィーのモチベーションが「ハウルを助けること」ではなくて「世界平和」だったら、きっとハウルとは結ばれなかったでしょう。
「昔ながらのディズニー・プリンセスも、新しいスタイルのディズニー・プリンセスも、男性を虜にして、ぜひ自分の妻にしたいと男性に思わせるだけの美貌と魅力を備えている。プリンセスが登場するどのディズニー映画でも、ロマンスは「引力の法則」、もっと率直にいえば性的関心に基づいている。
父親であるわたしがさらに不満なのは、ディズニー・プリンセスの性的魅力が、周囲の男性を変えていくほどの強い影響力を持つことだ。『美女と野獣』や『アラジン』、『塔の上のラプンツェル』といった映画について考えてほしい。ディズニーのおとぎの国では、性欲に駆られた結果として、男性が「いい人」になるのだ。
わたしは個人的に、自分の性的な魅力によって彼らを変えられると信じて、感じの悪い男性と性的な関係に陥る多くの女性たちを知っており、娘たちにそのような女性になってほしくない。これはディズニー映画の問題ではなく文化的問題ではあるのだが(われわれが購入しなければディズニーも販売しないはずだ)。 」
しかし実際、意中の男性を虜にするには、十分な性的魅力がなくては話にならないのです。
「感じの悪い男性」と関係を持つのは確かによくありませんが、だからといって性的魅力がないと王子様とのロマンスも生まれません。
性的魅力を磨くことと、「感じの悪い男性」に引っかかることは直結しません。
ディズニーの王子様達は女性にとっても魅力的な男性ばかりで、このような男性と結ばれるには女性にもそれ相応の魅力が必須である、というメッセージはなんら間違っていないと思います。
このように十分な性的魅力を持ったプリンセスたちがまさに王子様との愛のために奮闘する物語、この要素が、わたしには決定的に抜け落ちていたのです。
リンク先にもあるように、古典的なディズニープリンセスのモチーフである「囚われの姫君」は、極めて非力で弱々しく、受動的な存在として描かれます。
この弱々しいお姫様が王子様によって助けられ、めでたしめでたし。
なんて女性にとって都合のよい展開なのでしょう。
なぜ彼女たちは、助けてもらえるのでしょうか?
プリンセスの性的魅力は、王子様を意のままに操る絶大なパワーを秘めているのです。
そのことに気付いたのは、大人になってからでした。
思春期のわたしが彼女に嫌悪感を抱いたのは、美しいお姫様だから、というだけで周囲に何もかもお膳立てしてもらえるのが気に食わなかったからですが、ではなぜ気に食わなかったのか。
本当は、そういう存在にもあこがれていたからなのだと思います。
自分の中の奥深いところには、ナウシカが理想像として根付いてしまっています。
しかし、小学生女子が当たり前に生活していて、いわゆる典型的な「お姫様」的概念に触れないでいることはまず不可能でしょう。
自分の家にはなくとも、たいていの友達の家には少女漫画がありますし、ディズニーのビデオ(当時はビデオ)だって。
思春期、わたしはまさに、ディズニープリンセスになるべきか、ナウシカになるべきか、で葛藤をし続けていました。
今思えば両立も決して不可能ではありませんでした。
わたしはナウシカを選びました。
そのまま中学生になり、高校生活を過ごし、大学生になり、社会に出ました。
そして、ディズニープリンセス達の力がいかに強大なものかを知ったのです。
彼女たちは、同期ばかりでなく上司や先輩の男性に対しても、強大な力を見せつけてくれたのです。
そして彼女たちはいつでも「恋」と「愛」については全力投球でした。
努力は彼女たちをますます美しく魅力的な女性へと成長させ、そうして十分に性的魅力を獲得した彼女たちは、王子様のもとへと嫁いでいきました。
プリンセスにも、いろいろいました。
賢くて仕事がとてもできる人、そこそこ普通に仕事をこなしてる人、どっちかっていうとあんまり仕事ができない人。
でも、彼女たちの結婚に、仕事で頑張っていたかどうか、は関係しませんでした。
あくまで女性として魅力的かどうか、でした。
当たり前すぎる話です。
もちろん、プリンセス達にも悩んでいる人はいるかもしれませんけど。
かつてのわたしの母のように。
わたしも今の人生を後悔しているわけではありませんし、今からでもご縁がないわけではないのかもしれません。
けれども自分にもし女の子が生まれたら「美しく魅力的な女性になってほしい」というメッセージは発し続けたいと思っています。
仕事を「サイドストーリー」にするかどうかは本人次第だけれども、性的魅力を高めておくことの大切さを知ることは、非常に重要だと考えます。
長すぎました。
申し訳ありません。
正直、普通の人が普通に持ってるぐらいの自己肯定感やら安定感すらない人とは付き合い続かないよ
自己否定が強い人って、いくら明るく取り繕ったって不安定感透けて見えて面倒くさいんだよね
ちょっとした出来事を勝手に当て付けみたいに受け止めて傷つくし、好かれようとしてやってる小手先の発言・行動が痛々しい
誰かと繋がってないとって「がっつき」があるから、逆に距離とりたくなる
「友達いなくなったら寂しいどうしよう(オロオロ)」って必死にしがみついてるキョロ充より
「ワイワイやるのもいいけど、一人なら一人で十分楽しいわ」ってソロ充のほうが一緒にいて楽だし面白いし
気軽に声かけていい感じがするから何かあるときにちょいちょい声かけてみると周りにとけこむの早いし楽しかったりする
実に嫌な奴だ、何という人間のクズ、と思っていた。生活保護の問題が浮かび上がる前から。
森三中の小太りの子、と書こうとしたらみんな小太りなので、一番背が低い子が結婚発表をして、おめでとう、おめでとう、と言い合っている時に、河本は「この男を逃したらおまえみたいなブスには次はないで」というような内容のことを言い、空気を固まらせていた。これが山田花子が相手だったら「じゃかあしいわ、出来そこないのフクスケみたいな顔をしてるおまえが何を言うてんねん」と切り返せただろうし、花子の温情によってギャグという形にして貰えただろう。しかし森三中のその女子は、芸能人としてのポジション的にも、河本に切り返しが難しく、女子としての自意識と芸人としての欲をいまだ調整しきれていないように見えた。河本は芸人としても場の空気を見誤ったわけで、同じ毒舌キャラであっても有吉がいえば芸になっても河本が言えばただのモラハラ、セクハラ、パワハラなのであった。
バッテリーとしての信頼があって初めて投球できるシンカーにカーヴがかかった魔球をいきなり初対面の人に放ったようなもので、芸としての計算ではない、ただ単に河本が思いつきで、自分の性格から出た悪意ある毒舌を放っただけだった。普通にゲスな男である。
さて、そのゲスな男であるが、小中学校でオダギリジョーと同級生であり、オダギリ当人を前にして、俺はオダギリよりももてた、大阪ではおもろいのが一番もてんねん、と鼻を高くしていた。それは河本にとっては心からの魂の叫びであっただろう。別に河本がもてなかっただろうというつもりはない。ただ、普通は謙遜するものである。オダギリのように、正真正銘もてる男ならばここで謙遜しなければ社会的生命が危ういだろう。しかし「お笑い」はひたすら自我をだだ漏れさせることが許されるのである。自我を拡大させるための手段が牛丼屋かお笑いかと言う違いはあっても、その幼児的な全能感はワタミの社長に似ている。河本は自意識の中では「二枚目」として生きている。それが滑稽だと言えば滑稽だが、滑稽なのが問題なのではない。普通は生きていくうえで矯正されたり隠したりする全能感、絶対的な自己肯定感情が「お笑い」といういわば批評者の立場にたつことで、なんら矯正もされず、結婚を控えた女子に「おまえはブスだからこれが最後のチャンスだ」と計画性もなく無意識に投げつける男が、「人の嫌がることをするような人は消えればいいのに」と言えてしまうのである。この盲目性。絶対的な自己中心性。これはもはやほとんどサイコパスであろう。