はてなキーワード: 習い事とは
25歳。男性。
もともと女性に対してグイグイ行くようなタイプではなかったが、
押すとある程度うまくいくことがわかってから積極的になるようになった。
イケそうな人ばかり狙って、好きになってから付き合った人がいないことに。
そこで、自分はどんな人を好きになるのか考えてみた。
その結果、母親のような人だった。
一緒に買い物とか行くと姉に間違われることもある。
次に、優しい。
反抗期にひどいことを言ったときや、兄妹喧嘩したときは怒られたが、
それ以外で怒られたことはない。
あと、一途。
うちの両親は、高校生の時から付き合って結婚したらしいが今でも仲が良い。
両親みたいな夫婦になりたい。
両親のように温かい家庭を築きたい。
以上、可愛く優しくて一途な人がタイプって何ともありふれた答えになった。
こんな人いたら誰でも好きになるよなあ。
韓国では日本における子育て支援センターや児童館にあたる施設が有料で高い。習い事や塾の学費も一々高い。それに、一歳のお誕生祝いなど、行事に多額の費用がかかる。
子供は贅沢品ってこと。
あと少子化の原因になってそうなことは、長男偏愛文化なのでおそらく上の世代では女子が間引かれて男女の人口に偏りがあるだろう(上の世代全体の人口は多くても、出産出来る女性の数がそれに見合ったほど多くなく、次世代が適切な人数生まれなかった可能性)ということ。家父長制なので婚外子やその母親は冷遇される……すなわち、日本と同じで結婚した夫婦の間でしか子供は作らない文化なのだろうということ。
それと、男性に徴兵制度があるので、兵役に着くぶんキャリアのスタートや昇給が遅くなるので、自然と婚期が遅れてしまい、子作りに支障が出がち、というのが影響してると想像。
(とりあえず年内中に吐き出したかったので、すべて記憶に頼って書いてる。間違いがあったらすまない。)
(ネタバレ注意。)
そもそも、ep6の続きを作るなんて、本質的に無理だと思っていた。
スター・ウォーズの世界は、その全てがルーク・スカイウォーカーを活躍させるために構築されている。
ep6でルークが「あがり」をむかえ、わだかまりが解消された以上、もう「めでたしめでたし」で終わった話なのである。その先には、もう何も残されていない。
だから、正史の続きの映画シリーズが作られると聞いたとき、大丈夫なのかと心配になった。プリクエル(前日譚)でもスピンオフでもなくep6の続きを、ドラマシリーズでもアニメでもビデオゲームでもなく実写映画でなんて、完璧にやったとしても二番煎じにしかならなそうなのに、どうすんだと。
何か勝算があるのかと思った。正史の隙間を埋める二次創作しかできない部外者と違って、公式ならばどんな飛び道具でも使える。これならいけるぞというアイデアが何かあるのかなと。
そしてep9が終わってみてわかった。結局、何もなかったのだ。
全てがルーク・スカイウォーカーを活躍させるために構築されている、というのは、たとえば血統によってジェダイになったこと。
スターウォーズの世界設定では、ジェダイは世襲ではない。ジェダイの掟は恋愛や結婚を禁じている。ep1~ep3では、たくさんのジェダイがワチャワチャ出てきたが、誰の血縁だなんて話は特になかった。作品世界の歴史においてはep4~ep6の出来事が例外的なのである。
また、親父が一代にしてレジェンドになった傑物、というのも重要だ。考えてみてほしいが、ルークの家系が代々続くジェダイの家系だった、なんて設定だったら楽しくないのだ。幼いころから厳しい修行を強いられ、偉大な先祖を比較されて品定めされ……ウンザリするだけだろう。堅苦しい伝統とは無縁でありながら、血の繋がりによってスゴい能力を授かっている、というのが心地よいのだ。
ジェダイが滅ぼされたというのも重要である。同世代のライバルと競わされ選別されることはない。「あいつがいるから、おまえいらない」と言われる心配が無い。
ルークはただジェダイなのではない。歴史的にも特別なジェダイなのである。
ジェダイだのフォースだのも、ルークの活躍を支援するために存在する。
ジェダイの思想? そんなもんクソどうでもいい。ep5で、ルークは師匠の言うことに逆らってハンを助けに行く。頭の固い年寄りの言うことを従順に聞く主人公なんて魅力的ではないのだ。ジェダイの掟なんぞは、友情を引き立てるダシにしとけばいい。(余談だが、あのあとヨーダとオビワンはわりと辛辣に「あいつはダメだ」って批判してた気がする。)
ストームトルーパーも、顔が見えないので、人を殺している感じがしない。(スターウォーズを初めて見た幼少期の私は、ロボットだと思っていた。ep4のデススター侵入でアーマーを奪って着たりとか、叫び声がドロイドとは違う感じになってるとかで、「推理」することはできたが、あまり実感はなかった。直接的な描写は避けられていたように記憶している。)
反乱軍の兵士は顔出ししていて、その死は人の死として弔われるが、帝国兵はそうではない。
ライトセイバーやビームブラスターも、鉄の刃や弾丸による戦闘と違って、血が出ない。生々しい人死にの感触はいらないのだ。
このように、ルークの活躍をストレスフリーで鑑賞するための仕掛けに満ちている。
そんな、ルーク・スカイウォーカーのための世界は、ep6の後どうなるだろう。
ジェダイは、子供たちに嫌われる習い事みたいになるだろう。健康診断で素質ありとなったら、ジェダイスクールに通わされる。遊ぶ時間も奪われる。
そんな退屈な平和。映画の観客にとっては退屈だが、そこの世界で暮らす人々にとっては尊い平和。
ep6の続きが作られることになったため、平和は訪れなかった。
観客は退屈な平和なんて見たくないのだ。
カイロ・レンが生まれたのも、観客を退屈させないためだ。レイアとハンの子供が順風満帆でジェダイになるなんて話が見たいか?
みんな大好き「血統の物語」だが、前述の通り「親はポッと出」「他と比較されない」といった要素と組み合わさった場合にだけ楽しいのだ。ep4~ep6でそれは消費されてしまったため、ep7~ep9では使えない。そのせいでベン・ソロは歪んでしまった。
ベン・ソロがダークサイドに堕ちるに足る理由なんぞ、結局、何もなかった。意外性を出すためにダークサイドにしよう、と、それだけ。
無理やり悪をやらされてる感があって気の毒なのであった。だが、そのどっちつかずな感じが「何かある」という錯覚を生み、それらしい苦悩の描写と、アダム・ドライバーの熱演もあって、妙な奥深さを感じさせていた。ep8までは。
ep9で痛感した、「やっぱり無理だったか」。
マスクの扱いが象徴的である。ダースベイダーにとって、マスクは生命維持装置でもあり、必要があってかぶっていた。カイロ・レンにとっては、マスクは特に必要ない。ダースベイダーの表層的なモノマネに過ぎない。これが、「必要ないのにマスクをつけてるワナビー(なりたがりの未熟者)である」という意味をなしていた。
ep8でスノークはこれを看破して、マスクをボロクソに貶したのだろう。マスクを捨て、カイロ・レンは悪として成長を見せた。劇場で見た当時の私は、期待を込めて「ep9では完成した悪としてついに大成するであろう。ただ、その後すぐ死んでしまうだろう」などと書いていた。
ep9でカイロ・レンは再びマスクをつけた。ep8での成長を経て一体どういう心境なのだろうかと注目していたが、特に意味はなかった。
みんなep4~ep6が楽しすぎたせいで目が眩んでるのだろうが、血統の物語のオイシイところはもう使い切っちゃったし、スターウォーズは血統の物語じゃなくてもいいんだよ。
ep8で、レイは「何者でもない」としたのは、慧眼だと思った。ep1~ep3の頃のノリに戻るだけだし。だが一部のファンには不評だったようである。ep9で台無しにされた。
ep9は、ep8の良かったところを台無しにした。
ep8は野心的だがガタついてる印象がある。ベン・ソロがダークサイドに転向したきっかけとか、ワープ特攻とか、無茶すぎる。だが、フィンとローズのバディムービーっぷりとか、カイロ・レンの成長とか、レイの出自とか、レイロ(レイ/カイロ・レンのカップリング)とかは良かった。
特にレイロ。ep9の意趣返しについては、べつに好きにやったらええよアンタの映画だし、という気分だが、レイロだけは違う。ep8は最高のバトンを渡して来たんだから、他のなにもかも台無しにしてでも、そこだけはちゃんと引き継いでほしかった。
なんであの程度でカイロ・レンからベン・ソロに戻るのかと。ep7で父殺し、ep8で師匠殺しを達成して、これは過去の正史映画で誰も成しえなかったことなのに(ep6のは、ベイダーからアナキンに戻ってるので何か違うじゃないすか)。
みんな小物だとバカにしていて、実際小物な面もあるんだけど、それでもやることやってんだなあ、というところが、見るからに威圧的で尊大なふるまい一辺倒の悪役よりも「新しい」気がして感心していたのに。
ep9で大成すると期待してたのに、なんだか小さくまとまって終わっちゃって。ああ、ワナビーのままだったな、と。
カイロ・レンが締まらなかったせいで、レイもなんだか微妙な感じになってしまった。悪い意味で揺るぎねえから、自分ダークサイドに堕ちるかもしれないッス、ってシーンでも「ふーん」って感じで。ep7,ep8のカイロ・レンの方がまだ、こいつライトサイドに戻っちゃうんじゃねえのとハラハラした。
レイはシリーズを通して成長しているが、カイロ・レンもまた成長していた。極まった二人の力がぶつかり合う瞬間を楽しみにしていた。だが、二人の対決は、なんか普通のライトセイバー戦で終わってしまった。
で、キスしちゃうのな。レイロ勢に媚びた安易な燃料投下だと感じたが、まあ、対決が不発だったうえに燃料投下も無かったらマジで残念な感じになるので、ダメージコントロールとしてアリだったのかもしれない。(少なくとも、「ローグ・ワン」やep8の無意味なキスシーンよりはマシだったし。)
レイは自分のことを「レイ・スカイウォーカー」と名乗ったが、なんだか釈然としない。
ep8の頃の「何者でもない」レイだったら、納得できたかもしれない。スカイウォーカーの魂は血縁を超えて継承されていくんだなあ的な。だが、シディアスの孫とかやっちゃったのにそれは。
かといって、レイ・パルパティーンとか名乗られても、銀河に悪名高いシスの名前だからちょっと不穏すぎる。
このシーンで私は、「ハン・ソロ」でソロのファミリーネームが成り行きで決まってしまうシーンを思い出した。だがレイ・ソロって名乗るも、やっぱり違う。
書いてて気付いたのだが、母方の姓を名乗るのが無難な気がしてきた。でもそんなん名乗っても、観客としては「何?」だろう。
まあ、ぶっちゃけスターウォーズに人間ドラマにはそれほど期待してないので、レイロが微妙でもメカの出来さえよければ満足だった。私の原体験がそれだから。スターウォーズを初めて見たのは幼少期の頃で、ストーリーとかまったくわからなかったのだが、それでもメカ活劇に夢中になった。光る剣。宇宙を疾走する戦闘機や艦船。月のように大きな要塞。
ep7で、レイがスターデストロイヤーの残骸を漁ってるシーンと、カイロ・レンが焼けただれたダース・ベイダーのマスクを拝むシーンには、制作陣の「我々はこうやって偉大なる旧作の遺産を食いつぶして細々とやっていくしかないのだ」という諦めの入ったメッセージを言葉ではなく映像で叩きつけられたような気がして、ちょっとビビった。新しいものを作るんだっていう虚勢を張るもんだと思ってたら、こんな赤裸々に弱音を吐くんだ、って。
ep7~ep9のメカを振り返ってみて、旧作から続投しているものを省けば、記憶に残ったのはbb-8とカイロレンのマスクくらいだ。
ep9は特に低調だった。なんだファイナル・オーダーって。あの世界の乗り物は、製造されてるわけじゃないですか。「ローグワン」とep4でデススターの設計者・設計図を巡るドラマがあった。「ソロ」では、製造中のスターデストロイヤーを望むシーンとか、ファルコン号を巡るドラマがあった。それが、念力を込めたら地中からボコボコ出てくるとか。ただでさえスターデストロイヤーをたくさん並べただけという芸の無さがキツいのに、もうちょっと真面目にやってほしかった。
ep1では、ep4~ep6とは明らかに違ったデザイン体系のメカがでてくる(アールヌーヴォーって言うの?)。ep2,ep3と話が進むにつれてep4の体系に近づいていくというのが、帝国の勃興とメカデザインが連動していておもしろかった。
帝国という魅力的な装置はep6で使い切っちゃったので、ep7~ep9ではなんの変化もなかった。
面白い新作メカを作る余地はあったと思う。現在、「トポロジー最適化」「ジェネレーティブデザイン」といったものが登場したので、それを取り入れるとか。
あと、バトルドロイドの可能性は掘りつくしてない気がする。ep5で少し登場しただけの賞金稼ぎドロイドには妙な存在感があった。ep1でドロイデカの登場には、なるほどこれはep4~ep6制作当時のVFX技術じゃ作れなかっただろうと興奮した。ep1より後に作られた「ローグ・ワン」のk-2soといい「ハン・ソロ」のl3-37といい、キャラが濃くて面白かった。ep7~ep9で、改めてバトルドロイドを登場させたら良かったかもしれない。
だが、「こんなのスターウォーズじゃない」と不評に終わる可能性が高いだろう。それが予想できたから、きっと冒険しなかったのだろう。
この娘は親から教えられた方法を親に返しているんじゃないかなって。
この娘がしたことは、相手をバカ扱いし、その意思を尊重することなく、勝手に物事を決めて実行したわけでしょ?
これって毒な親が典型的にやることだよね。
これって嘘をついて子供が納得しないまま望まない進学先に進学させたり、習い事をさせたりすることと何が違うの?
相手との合意をとることなく、親が思ったことを無理やりやらせるのが当たり前の環境で育てられたなら、それを子供がしただけでなぜ咎められる?
実家ってどんなに嫌でも理由なく出られないから、何かしらの理由をつけて出て、それ以来音信不通だったんだろうなって思った。
あとは、もともと老人ホームに入るということで娘が話をしていたのに、親はそれを全く理解していなかったという話もありそうだけどな。親が耄碌してきたので何とか一人で生活できる場所を娘が探して来たら、なぜか親が同居するという話だと思い込んだとか。本当に娘と同居する大きな家を買って住むという話なら、家探しにちょくちょく上京してそうなもんだけどな。
座っていた子が椅子から少しお尻を浮かせている間に椅子を引いて、その子が座ると椅子が無いため尻餅をつくやつ。
私も何度もやられたしみんなお互いに悪戯しあっていた。なので私も友達に同じことをしたらその子が泣いて先生に注意された。みんなやってるのに私だけ。
あとは、クラスの男子が私にちょっかいをかけてきたことがあった。あまりにもしつこいので頭を叩いたらその日の帰りの会で名指しで「叩かれて嫌でした」と言われた。
相手が先にやってきたこと、何度辞めてと言っても辞めなかったことを言おうとしたら担任に「いいから謝りなさい」と言われた。
納得がいかなかったが抗えないので謝る。相手はドヤ顔して帰っていった。
イライラしながら帰ろうとしたら担任に呼び止められ「ああいう時は大人になるんだよ」と言われた。まったくもって理解できなかった。あちらにも非があるのに私が悪者になれば全てが丸く収まるから、と意味がわからない。
あとは、給食にプリンがてたことがあった。プリン容器は食べ終わったあと、図工か何かで使うため各自洗って窓際で乾かすよう給食前に担任からみんなに言われていた。
私は言いつけを守りしっかり洗って窓際へ置いた。
だが、クラスの誰かが1人だけ洗わずに汚いままベランダに置いた。
それを見つけた担任は少し怒りながら「洗ってないのを置いたのは誰か?すぐに洗ってきなさい」とみんなに呼びかけた。だが誰も出てこず。多分名乗り出たら怒られると思ったのだろう。
先生も頑固なので犯人が名乗り出るまで待った。時間が経っても名乗り出ない。
挙句には「ちゃんと自分で洗っておいたなら置いた場所覚えてるよね?」と言い出し、自分が置いた容器を各自取りに行くよう指示した。
みんなどんどん取っていく中、あの洗われていない容器と1人の生徒が残った。だが、その子は自分が置いていた容器がなくなっていると言った。
先生は犯人を知っているようだがあえて自ら指摘せず、自己申告させたかったらしい。だが、帰りの会が長引くにつれどんどん名乗りにくい雰囲気が出てくる。
10分で終わるのが30分まで伸びた。
途中、習い事をしていた男子が「習い事に遅れる」と声を上げた。
先生は「このあと用事がある人は帰りなさい」と指示した。半分近くが帰った。
その後、カップが空いていた場所は教室の奥側の位置だったので前側の人は帰りなさいだとか、先生はあなたが洗いに行くところを見たのであなたは帰っていいとかどんどん人がいなくなった。
最終的に残ったのは私含め4人ほど。
それでも犯人は絞れなかったのでお開きとなった。
帰り際先生に呼び止められた。
じゃあ帰せよ。1時間以上残ったのになんだそれは、と小学二年生の私はイラついていた。
人が少なくなっていく中、自分の無実もはらせず、周りからは「あいつが犯人じゃない?」と陰口を言われたあの惨めな時間。とても辛かった。
結局犯人は日にちが経っても現れなかった。あの容器は見せしめのように教室の前のほうに置かれたままだった。犯人が出るまでこのままですと担任は言い切っていた。
だが、数日後、クラスの女子2人が「あのままだと気分辛いから洗いたい」と名乗り出て容器を洗った。
じゃああの無意味な時間はなんだったのか。私が1時間以上も無意味に拘束されたあの帰りの会はなんだったのか。
自分は間違いなくコミュ障である。だから社会における自分の価値を「有能である事」としてきた。
自分で言うのもなんだけど、昔から幸い人よりも地頭や要領が良かった。
小学校の時、仲間内で同時期に始めた習い事で一番成績やランク(段位や進度など)が上である事が殆どだった。
中学校の時、クラスで一番成績が良かった。部活もレギュラーだった。
高校生ぐらいになるとネットの世界に出る事を覚えた。凄いなと思ったものを真似してみたらすぐに成果物は出来てそれなりに見てもらえた。
大学生になってバイトを始めると、やはり仕事を覚えるのは早くて、店のエースだと持て囃された。
新卒で会社に入社すると、すぐに同期で一位の成績になって、近年稀にみる逸材だとか噂された。
なので人生都度都度、褒められてきた。
「増田さんは〇〇が出来るなんてすごい!」とか「増田さん本当に頼りになる!」とか「増田さんのお陰で〇〇が出来た!」とか「増田さんが皆のお手本になってね」とか。
褒められて気持ちいいってのもあるのだが、それ以上に自分はここに居て良いという事に安心していた。
だが、小学校から……いやそれより前、生まれてこのかたコミュ障が治らない。
先天的ド陰キャなのである。要領は良いのに、悲しい事に人間として基本的にダメだ。
コミュニケーションといっても、業務的な報連相をするのは超得意科目だ。
友達いるっちゃいるけど、類が友を呼んでるので友達も大抵コミュ障でおひとりさま属性だ。
いつもどこかの段階で、気付いたらなんだか浮いた存在になってる。
同期には成績では勝っていても、人間として確実に敗北している。
特に一生かけても勝てる気がしないっていう、コミュ力の化け物みたいな子がいる。
どうしてそんなに上手に会話が出来るのか。こんなコミュ障とも上手く会話をすり合わせて溶けるように会話が出来るのか。
会話テクニックと優しい気遣いの出来る性質が相乗効果を起こしている。こんな風になりたいけどなれない。
コミュ障なのにこれで「役に立つから」という理由でそこに居場所を作ってもらえる。
だけど有能でなくなったら、上手くいかなくなったら、自分はコミュニティからきっと切り捨てられてしまうんだろうなといつも思う。
それが恐ろしくて、今日も頑張って足掻いている。
当然仮名だけど、話したいポイントは押さえてあるので今回はこれで行く。
自分は名前を間違えられやすい。この酷い不快感と生まれてこの方付き合い続けている。
というのも「瑞紀」という名前が、よりメジャーな同音の「瑞希」に誤植されがちなのだ。
また「瑞希」になっている名前の表示を見てはぁまたか……といつも酷く落ち込んでしまう。
「みずき」なんていう名前はキラキラネームという訳でもなし、漢字も別に当て字ではない。
キラキラで間違えられるのなら両親を恨んでも良いかもしれないが、そういう訳でもない。
そもそも自分の考えとして、人の名前を間違えるなんて最低だという価値観もある。
難読で読めないという事はある程度しょうがないが、書き間違えはただの不注意でしかない。
齋藤の齋の字のような画数が多く普段書く機会のないような難しい漢字を少し間違える事はあるかもしれないが、「紀」に間違える要素はない。
ただ単に、「瑞希」というより知名度や一発変換に恵まれた同音の名前があるだけだ。
要するにただの不注意でしかなく、人の名前をぞんざいに扱われていると感じ、腹立たしくてたまらないのだ
重要度の高い書類や何かの登録において名前が間違っていたら、それは指摘しなければいけない。
そこで指摘を渋ると発行が二度手間になったり、無効になってしまったり、かえってややこしい話になる。
しかし、日常のちょっとした間違いにおいていちいち指摘するのは逆に面倒な人になってしまいそうで、なかなか言い出せない。
一番多いのは郵便物だ。
毎年年賀状の宛名を「瑞希」にして送ってくる人がいる。多分もう登録データベースに間違えて登録してしまっているのだろう。
今更なかなか「本当は瑞紀なんだけど」とは言いだせないものだ。
メルカリで物を買った時も「瑞希」宛に届いた。「届いたからいいけど郵送事故の可能性あるから気を付けてね」とコメントしようか半日迷った。
ダイレクトメールは一番クソである。くっだらないDMを名前を間違えて送ってきやがったと憤慨する。この会社の商品は買わない。
でも郵便屋さんは親切なので、ちょっと漢字が違うだけならいつも届いてしまう。しかし受け取る方はいちいち不愉快だ。
そろそろ「瑞希なんて人はこの家に住んでないから届けないで」と申請して一斉にシャットアウトできないものだろうか。
新卒で入社した会社の歓迎会に呼ばれた時、ネームプレートの漢字がやはり間違っていた。
しょっぱな間違えて覚えられたらマズいのでその時は自己紹介をしながら「本当は希望じゃなくて紀元前の紀なんですけど~」と述べる事にしたが。
今社会人の習い事をしているが、そこで渡されるプリントに記載されているのもやはり「瑞希」だ。指摘する機会も無く、毎週瑞希を眺めて過ごしている。
たった一文字間違えられているだけで何故こんなに腹立たしいのだろう。
自分は「瑞紀」であって「瑞希」などという人間ではない。増田瑞希さんなんて日本のどこかにいるだろうし、それは自分ではなく他人を指す単語だ。
初めて何かしらのコミュニティに属する時、殆ど必ず間違えられてきた。
最初は「こんな事もあるのか」という感じだったが、こうも続くとイライラしてくる。
本当は自分がこんな事でイライラしないように変わるのが最も手っ取り早いのは分かってる。
間違えられやすいっていうのはこの先も変わらないし、この先何度もまた間違えられるはずだからだ。
ただとりあえず今一番知りたいのは、誤植をさり気なく指摘する良い感じの方法である。
以前社外に少し滞在する期間があり、そこで登録を行った時「もう既にあらかた済んでるので(ドヤァ)」みたいな顔をされながら見せられたのがやはり「瑞希」だった。
さらにその時はフリガナが「ミズキ」ではなく「ミヅキ」になっている誤植祭りだった。
登録間違えたら何かあったときややこしいので、「名前が間違っているので直してもらえませんか」とその時は頼んだ。
漢字を直してほしかっただけで、別に必要以上に空気を悪くさせたい訳でも、怒りをぶつけたい訳では無い。
が、漢字を直してくれと言うとこの気まずい空気はほぼ避けられない。
なんとかして空気を保ちながら漢字を直してもらう方法はないか、今それが一番の悩みだ。
それとも不可避なのだろうか。これは。
あと重要度が低く、別に間違えられていても手続き的な支障はない私的なもので間違えられた場合も指摘していいものだろうか。
【追記】
元増田です。気付いたら沢山のトラバやブコメがついていて驚きました。
まずは沢山の参考になるご意見ありがとうございます。
同様の方の体験もありがとうございます。
書き忘れていた事を思い出したので、後出し情報で恐縮なんですが、自分には幼少期から「瑞希」という友達がいました。
なので「瑞希」という名前が自分のものではないという感情が非常に強く植え付けられていました。
「希望の方」と「紀元前の方」と呼び分けられたこともありますし、同じ読み方の友達だからこそ、一字の違いが本当にアイデンティティだったのです。
本文の通り「名前を間違えるなんて失礼」というのもあるのですが、それは自分ではない!という反応が極めて強いのは、この辺りにも由来があると思います。
本文中に書いた通り、本当は自分が気にしない境地に達するのがもっとも手っ取り早いとは思っていますが、それまではなんとか回避しながら立ち回らなければいけないなと思います。
私の父方の祖母は御年80で、とにかく元気だ。
叔母一家(父の妹の一家)と同居している二世帯住宅で、掃除洗濯料理の全ての家事をこなし、面積の広い家庭菜園の管理をし、二日に一度は市民プールで泳ぎ、夏になったら近所の夏祭りに出店し、習い事をしていて友人も多い。
昔は小学校教師で、その縁で祖父と知り合ったらしい。今でも当時の教え子の方からの年賀状が届く。
スマホやLINEの使い方は少し不慣れだけれど、勤勉で好奇心旺盛で、若者の趣味に何の偏見も持たずむしろ興味を抱いている。
年末の紅白歌合戦では米津玄師のパフォーマンスを絶賛していた。
私が帰省して祖母の家に顔を出そうとすると、いいと言ってるのに毎回必ず車で送り迎えをしてくれる。
「少し痩せたんじゃない?ちゃんと食べなきゃだめよ」と成人済みの孫にお小遣いを握らせてくる。
「あなたが元気ならそれでいいの。東京で上手くいかなくたって、元気でいてくれれば何も問題は無い」
未だに大きな病気一つしていない、遠い地にいる祖母は今日も、背筋をピンと伸ばしてエプロンを巻き、山内惠介の演歌やドラマを見ながら溌剌と家事や趣味に勤しんでいるのだろう。
母も父も、「あれだけ元気なら100歳まで生きるんじゃないか」と冗談ともつかないことを言って笑う。
祖母と一緒に暮らす叔母もその血を受け継いでいるのか、もう成人する子供がいる世代だけれどジャニーズのコンサートに足繁く通い、お布施をしている。
だからいつか必ずお別れの時が来るのかと想像するだけで、途轍もなく悲しくなる。
余程のことが無い限り、私よりも先に祖母はお墓に入るだろう。
その時私はどうするのだろうか。祖母がいない人生なんて、考えても考え付かない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/c_5/n_10537/
認可外なんてろくに補助金もないんだから金がなけりゃ潰すしかないのは一般企業と同じなのに(ってかただの一般企業だしな)
「勝手に潰すのはおかしい」って方がおかしいだろ、で終わる話だけど。
どうせ税金入れようとしたら「認可を満たさない劣悪施設に税金を出すのはおかしい」ってなるだけなんだろうし。
なら最初から認可基準満たさない施設の開設は許さない、ってするしかないけどな。
そうしたら「認可外保育園」ですらない、法的にはただの習い事教室と同じ位置づけの施設に変わって余計に環境悪化するだけだろうけどね。
経営者は金がなかったんだろ。
経営者も子供や親のことを思っていれば金が空から降ってきたはず、って思ってんのかね?
保育料を採算取れるレベルまで上げたらそれはそれで叩くくせに。
26歳男のIT屋さん。
週2〜3通えるやつ。
できれば運動は苦手だが好きなのでボクシングとかやってみたい。
あしたのジョー好きだし。
でもすごく怖い。
ネットで調べたら「向こうも商売でやってるので怖い思いはしない」って言うけどすごく怖い。
なんだろう。
あれが何故かすごく怖い。
行ったら良くしてくれるとはわかってるけどすごく怖くて一歩踏み出せない。
こういう時に友達がいればいいのだが残念ながらいない。
どうすれば良いのだとここ2年は地団駄を踏んでいる。
叩きたくもなるんだろうとは思うけど
やっぱり叩く必要って本当にあるのかなって思う
一度言って聞けば叩かないだろうし
何度言っても言うこと聞かないならそれは何かしら原因があるんじゃないの
俺は子どもの頃、食べるのが遅くて
父親が食べ終わるまでに自分も食べ終わらないと箸の裏で頭をパチンと思い切り叩かれた
それが本当に痛くって泣きながら毎日完食してた
小学校にあがると給食は普通に時間内に完食してたけど、そんな思い出もあるので食事する事が好きでなくて
その後成人してグルメな恋人に出会うまで食事する事に楽しみを見出だせなかった
またある時は習い事の練習を母親が見てくれていて上手くできな買った時に庭に投げ飛ばされた
つまり、大人の自分達が普通にできる事を、子供ができないのが腹立たしいのかね
叩かなければ良い子に育つって確約はないけど
でも俺は親が年取って耄碌して食べるの遅くなったりしたら、ちゃんと箸の裏で思い切り頭を叩きつけてやりたいと思う。
あの記事には男児版しかなかったので女児版を勝手に追記しておく
小学生低学年から組曲キッズやメゾピアノなどのブランド物を着せろ
綺麗な服を着せるのは見栄えをよくするのももちろんだが、「自分は綺麗な服を着る価値のある存在だ」と自己認識させる目的がある
そして高学年になったら充分な小遣いを与えて自分で服を買わせろ
乳児のときから欠かさず日焼け止めを塗れ 中学から化粧を教えろ 美容グッズに金を惜しむな
親に縮毛矯正やスカートなどのフェミニンな服装をさせてもらえない女子と生きる力に差をつけよう
座った時は脚を閉じる、食事マナー、鉛筆の握り方、全て親が入念に叩き込め
不細工は圧倒的に不利なステータスなので元凶となる親が金銭的支援をすべき
なぜ高校からかというと、カーストにおいて中学までは成績や内申やスポーツの割合がまだ多少を占めるものの、高校からは容姿が圧倒的に一番優先されるからだ
逆に容姿が良ければ軽度の知的障害や発達障害があっても充分取り戻せる
空気を読み、会話では適切なタイミングで相槌をうち、綺麗に口角の上がった笑顔が出来れば合格点だ
女子同士のコミュニケーションにLINEは呼吸と等しく必須なので、小学生のときからスマホを持たせろ
バレエ、ピアノなどフェミニンでかつ文化的な習い事をさせるべき
サブカル好きは腐女子が多いのでサブカル文化に触れさせてはいけない
サブカルは成人してからでも楽しめるし、女子には漫画アニメゲームより楽しいものがたくさんある
掃除ができない、締め切りが守れない、協調性や落ち着きがない、喋り方や身のこなしが気持ち悪い、空気が読めない、etc..
発達障害は女子のアドバンテージをことごとくマイナスにするものしかない