はてなキーワード: 習い事とは
もうすぐ小学校の頃に仲の良かった友達がAV男優としてデビューする
しかも女装ものの作品で男にケツを掘られるというデビュー作にしては過激すぎると思う。
彼がどんな思いでAV男優になることを決めたのかは分からないが、小学校の思い出からその推測をしてみようと思う。
なんかツイッターでガンガン自分を発信してたからここに載せておく。
twitter:https://twitter.com/sinosukedesu
いつも赤い服を着ていてちょっと小太りでクラスの中でも背が低かった。
親が中国人で家に遊びに行くといつもキムチが置いてあり、彼はいつもお昼ご飯にキムチを食べていた。
自分の家で食べるキムチとは違って本場なのかキムチはとても臭くてゲロみたいな匂いがした。
何も気にせずムシャムシャと食っている彼は、遊戯王やろうぜと僕を部屋に誘ってくる。
本当にゲロみたいな臭いがして、くさいと言いたかったけど、彼が傷つくと思って、鼻を押さえながら、僕は笑顔でいいよーと言った。
彼のおじいちゃんはとても優しくて、彼が欲しいと思ったレアカードはすぐに買ってきてくれる。
彼の部屋は遊戯王カードでいっぱいだった。そのおかげで僕が「このカードちょーだい」と言ったらタダでもらえた。
ある日、一枚7000円もするレリーフレアカードを買いたいと彼はおじいちゃんからもらったお金を握りしめて、カードショップに行っていた。
彼が家に戻ってくると泣きながら財布を握りしめていた。
自転車から降りて財布を自転車カゴに置いたままお店に入ったので、取りに戻った時にはお札だけ抜かれていたらしい。
財布をカゴに置いたままお店に入るかと僕は思ってしまうが、そんなことは言ったら彼は傷ついてしまうので言わない。
「まじかー、盗んだやつ誰だよ、ありえないよな。」と彼の側について犯人を罵った。
そうやってドジなところばかりな彼だったが、何をやっても楽しかった記憶がある。
部屋もキムチ臭くて、エロ本がお父さんの部屋にあって、いろいろ変なところはあったけど、彼と遊んでいる時間はとても楽しかった。
でも時々けんかをすることもある。
足が遅くて、運動が苦手な彼はいつも体育の時間は笑われものだった。
たぶん彼にも葛藤はあったと思う。
彼は知らないうちに数々の習い事を始めていた。
マンガ家を目指したり、スイミングスクールに通ったり、野球をやったり、クモンに通ったり、いろんなことに挑戦していた。
彼なりに輝ける場所を探していたのだろう。
嫌いな人がいるときは仲の良い友達を集めて暗い部屋のすみにある勉強机の下にライトを灯し、一人ずつその人の悪口を言っていくという遊びをしていた。
悪口をみんなで言い合う雰囲気を狭くて暗い空間として演出していたのだが、みんな楽しんでいたと思う。
お父さんの部屋にあったエロ本を使って、小学3年生の時に友達同士でオナニーを試した。
やり方はわからなかったけど、女性の裸がたくさん見れることに、いままで味わったことのないような気持ちになることをただ楽しんでいた。
部屋に小説や漫画本が増えてきたので選別のために流し読みしていた。息子をどんな人間にしたいか習い事で書かされる欄を埋めなきゃと思いながら、書けるわきゃないけどモテる男にしたいと思いながら。
太宰治はだめんずだけど母性本能擽るし女の機微に聡いしこりゃーモテるわ。
村上春樹はうまいことあらを見せないでやれやれとかいいながら特別な人間になりたい女をうまいこと転がせる感じが都会的でモテるわ。
アンデルセンはだめだ。コミュ症コンプを女の浅はかさのせいにしてる感。物語の中で少女がひたすらかわいそう。モテねぇモテねぇ
夫曰く「女はクソだと思って雑に貶した方がモテるんだよ(ただしモテたことがない)」
私の知っているスゲーモテるな!て男の人はナチュラルに下品に全方向に女の子いじって不快にさせないテクニックがあったけど、あれの極意を、すごさをよくわからん奴が夫みたいなことを言うんだろうな…
あと全方向にモテるわけじゃないかもしれないけどいい女ばかり惚れさせる人がいた。小柄でいつも全身無印良品ファッションでめっちゃくちゃマメで聞き上手だった。姉が三人いると言ってたからそこにアドバンテージの高さがあったのか
見目が良くてモテる人もいるけど彼らも第一印象が良すぎて中身にマイナス要素があると一気にやいやい言われるからなんらかの、稼ぐ力なり技術なり持っててすごいと思うの
見目だけで生涯求められること多分そうそうないし
いや、結局は積極性かね!行動力をいつの時代も女は評価してるのかね!根底に自信と好奇心が必要だと思うんだけどここは親の育て方にかかりそう。というか男女関係なく。人間として?
強制的に始めさせられた習い事なり競技なりがあって、続けてはきたが自分にはどうしても合わない!みたいなことってあるじゃん そういうことになってる人から相談を受けたら、良識ある人なら「無理に続けることはない」「やめたらいい」とか言わない? 人生も同じだろ
若者の自殺を認めたら社会が成り立たなくなる みたいなこと言う奴もいるけど、そんな社会そもそも成り立つべきじゃないだろ 「若者は視野が狭いから自殺したくなるがもっと大人になって視野が広がると死にたくなくなる」なんてマジで言ってんのかな 惰性から抜け出せなくなっただけだろ 鈍ったのを成長と捉えるのはマジで見苦しいぜ
薬代・死体の処理代を合わせた額を払えばササッと安楽死できるようなシステムがあってしかるべき そうじゃなきゃ国として死ぬ権利を保障しているとは言えないからな
小学校高学年から不登校になり30歳を過ぎて中卒(定時制高校中退)の鬱病患者で就労支援施設通いという身分になってやっと落ち着いた妹の半生から学んだこと。
親は妹を学校に戻そう大学に進学させよう就職させようと20年近く頑張ったけど、どれも失敗して鬱病だから普通には働けないとの医師の診断が下りてようやく諦めることができて解放された。
この結果が最初からわかっていたなら妹に親が使った金も時間も労力もいらなかったし妹も鬱病になるまで追い詰められなかったろうにと思う。
うちはわりと裕福で無駄になった妹のための学費や治療費のせいで自分の進学や部活や習い事が制限されたということは無かったので、その点で妹を恨まずに済んだのは良かった。
しかし「自分は長子だけど家を出ていくからお父さんとお母さんが要介護みたいになったら家から出られないお前が面倒をみてね」とわざわざ口に出して妹に言ってしまったのは我ながら理不尽だけど妹に八つ当たりせずにはいられない気持ちがあったのだろう。
悪いのは両親の方だと理性ではわかっているのだけど妹が「まとも」だったら自分の子供時代はもっと平和だったろうにと思わずにいられなかった。
そんな自分ももうすぐ人の親になるわけだが、もし子供が「学校に行きたくない」と言い出したら「あっそう。行かなくていいよ」で済ませることに決めた。
不登校が始まってから落ち着くまでの間で妹が唯一楽しそうにしていたのは親がカウンセラーの「見守りましょう」という指示にしたがってネット漬けになるがままに放っておいた半年ぐらいの間だけだったのを覚えているから。
30代帰国子女。
子供が幼稚園に入園し、小学校への入学を考え始めた時、日本の小学校に入れるのが夜も眠れないぐらい不安になってきた。
小学校の途中でアメリカから帰ってきた私は、いじめにあうどころか、物珍しさかクラスのリーダーグループに入れてもらい、長く海外で育った帰国子女としては珍しく非常にスムーズに日本に適応できた方だと思う。その後、特に問題なく中学受験・大学受験にも成功し、日本人としてきちんとこの年まで人生を送ることもできた。
それでも、日本の小学校のことを思い出すと、不安になり、子供をどうしても通わせたくないと思い、インターナショナルスクールなどを検討し始めた私を、日本生まれ日本育ちの夫は怪訝な顔で見ている。
そんな時ネットでたまたま鴻上尚史さんの、帰国子女のお嬢さんに対するアドバイスを読んで、首がふりきれるぐらい頷きたくなった。
https://dot.asahi.com/dot/2018081000019.html?page=1
そう、きっと私はこの同調圧力が怖いのだ。
みんなと一緒でなければいけないというプレッシャーに、子供ながらに悩み苦しみ、日本社会で生きていく中でそれなりに折り合いをつけてやってきたつもりであっても、まだまだそれが怖くて、子供をそういう環境に入れたくないのだ(そして私も親としてその環境に関わるのが嫌なのだ)
子供が大事にしている価値観や趣味、子供ながらに抱いている自分に対するプライドを潰してしまうかもしれない環境が迫ってきているのが不安で不安で仕方ないのだ。
ただ、一番の問題は、子供が日本の小学校に行きたがっているということ…。英語の小学校は嫌だと全面拒否をしている。
子供には英語の習い事などをさせているが、親も先生も英語が話せるのに自分だけが話せないのが苛だたしいのか、私が英語を話すと激しく怒る。
母国語できちんと考える力を身につけるためにも、本当は日本語環境においてあげたいのだが、日本語かつ同調圧力が低いという環境が全く見つからない。
私立・国立の小学校も調べてみたが、小学校受験に対応している小学校は近所の公立小学校より更に同調圧力が強そうで、完全にオプションから外した(そもそも、小学校受検のために、親としてネイビーのワンピースを来て、小学校受検の塾に通わないといけないというのを想像するだけで辛い)
最終的に、子供の願いを叶えて日本の小学校に入れてあげるべきなのか、インターナショナルスクールに無理矢理入れてあげるべきなのか、悩みは尽きない(インターナショナルスクールに合格してからどちらに行かせるか悩めばいいという夫の実務的なアドバイスに従い、とりあえずひたすら願書を準備している)
子供の頃から何ひとつ秀でたところがなく、自分に自信が持てなかった。容姿は平凡で、人前で話すのも苦手だし、勉強が得意なわけでもなくて、もちろん芸術的な才能もなかった。だから、将来の夢を聞かれると困った。何もできる気がしなかった。ぼんやりと浮かんでいたのはお母さんだ。自分自身の母親のように、おやつを手作りするお母さん。そういう大人になれたらいいなとなんとなく思っていた。
地元の中学から普通科の高校に進み、普通に普通の大学に入った。普通に就職して、得た職は普通の事務。電話応対、伝票管理、簡単な書類作成が主な仕事で、昇給もないが残業もない。ちなみに制服はあった。そこで3年務めた後、同期の営業マンと結婚した。妊娠を機に退職し、以降は専業主婦をしている。
30歳を過ぎ、独身を謳歌していた友人たちの結婚・妊娠ラッシュが来た。大企業勤務や公務員はまず出産退職なんて考えたこともないみたいで、産休育休後の復帰が前提。資格持ちの子はスッパリ辞めたが、次の職場は見つかるだろう。子供を産んでも正社員の座から降りない、降りないことを許されたママたち。小さな会社で激務をこなしていた子だけが唯一退職したものの、ベンチャー企業でフル在宅での仕事が決まったのだと言う。無能なママには決してないルート。今もっとも求められる『有能なママ』枠だ。
子供といるのは幸せだ。でも、旦那は決して高収入ではない。材料にこだわった無添加おやつをつくっている場合じゃなかった。教育や習い事の費用を考えると、お金はあるにこしたことはない。私は今後、パートという形でしか家計に貢献できないだろう。正社員の道はほぼ閉ざされている。
有能なママが活躍の手を差し伸べられるのは正しいと思う。だけど、【女性活躍】と声高に叫ぶ社会に手を差し伸べられたと思ったら「あ〜……あなたは活躍厳しいっすねwww大丈夫です、近所のスーパーでレジでも打ったら?」と言われてるような気分になる。その隣で有能なママには、「出産前までは編集者!?営業!?エンジニア!?デザイナー!?はい、みなさーん!このように子持ちの女性もバリバリ働けるんです!!」ってスポットライトばーんってやってるから、影から見てると虚しくなるよ。まあでもわかる。自分が経営者なら無能な子持
ちは絶対雇わない。でも有能なママなら雇いたい。無能のフルタイムよりよっぽどいい。柔軟な姿勢もアピールできるしね。
あとやっぱり、仕事のできるママたちは賢い。ネットの情報を取捨選択できる。でも無能なママはまともな職につけないからリテラシーの高い人間関係をつくれない。だから、一度間違ってトンデモ科学とかに興味を持つと、正してもらえずに突き進むことになってしまう。そしてまた、バカにされる。バカにされるから意地になり、そうなるとさらにバカにされる。一時期義理の姉に自然派育児を進められ、ハマるところだった。
今の日本は(別に日本しか知らないんだけど)で正社員を降りて休む(育児、介護、病気、その他)ができるのは、有能な人たちだけだと思う。無能な人に残されたのは、我慢して休まず働き続ける道だけだったと、最近になって実感した。無能が貧乏になるのは自己責任なんだろうけど、今はなんだか、めちゃくちゃしんどい。
小さい頃から変な母親だった。幼稚園の母親の集まりで居酒屋に行き、酔っ払いイケメン店員に抱きつき離れず、他の母親に窘められていたこと。
私の習い事の先生と私と妹と母で食事に行き、途中で小学校1年生の私と幼稚園の妹を二人だけでお祭りに行かせて、先生とイチャついていたこと。
親戚の集まりでほとんど初対面の人の彼女の写真を見て悪口を言っていたこと。
祖父母(母親の実親)に土下座させたことや叔母家族に対して会うたびに、話に出るたびに暴言を吐くところ。
産まなきゃ良かった、死ね、障〇者、と言われ叩かれたり引きずられたこと。
可愛くない、嫌いと私に言うくせに、外で他の子が褒められていると私の娘の方がすごいと言い張るところ。
50近い今でも私はかわいい、私って若く見られると平然と他の人に言うところ。
とにかく会うたびに嫌いが募る。
今はまだ丸くなった方だけれど、きっと結婚式に出たら酔っ払って祖父母と喧嘩をすると思う。
どうして毎日煙草吸ってお酒飲んでるのに病気にならないんだろう。どうして早く消えてくれないんだろうと毎日思う。
最近ね、頭頂部が薄くなってきたんですよ。髪が細くなってきて、伸びるスピードが遅くなってきた。あぁ、男はこうやって髪の毛が薄くなるのかと思った。髪をつまむ、明らかに前よりも細くてふにゃふにゃしている。
髪が細くなり伸びるスピードが落ちてくる。だけど何で頭頂部だけ?全体的に同じ様に下がれば全体的に薄くなったと思うだけなのに何でそこにわざわざザビエル的な風味を追加するのだ我が体よ、ホルモンよ。
と思っていたのだけど、最近ふと「あ、自分は死に向かって軌道修正をしたのだな」と思うようになった。離陸した飛行機はいつかは着陸する、この着陸に向かって高度を下げ始めた感じといえばいいだろうか。軟着陸してほしい。ハードランディングは避けたい。
死に向かっていると感じたときに急に人生の意味なんて別にないんじゃないかとか、若者たちがありもしない人生の意味を追いかけて必死になっているさまを見て何アホなことやってんだろうと思うようになった。なんか一生懸命鼻息荒くやっているけどそれがお前の設定した目標になにか近づくの?とか思うようになったが盛り上がった若者に説明するのなんか単にしらけることを言う嫌な奴としかおもわれないから何も言わない。
多分人間はこうやって老害化していくのだろうと思った。要は若者たちのやっていることがアホなことに見えるようになったからだ。
ただ、自分のやっていることが素晴らしいと思えるほどに自信家じゃないので老害化はしているが公然と嫌味を言ったり批判したりという人間にはまだなっていない。ただ、そんな意味もなく人生を浪費している彼らを見て「自分そのもの」について考えるようにはなった気がする。
多分人は成長の中で意味のある20%の、意味のない80%の試行錯誤を繰り返すんだろう、とか漠然と思うようになった。そして多分自分もそうだ。やってみて単に時間をお金を費やしただけ、ということはけっこうある。学びもあるが費やした時間とお金に見合っているかというと疑問を感じることも多い。
社畜として生きていた自分、会社は会社に俺がアウトプットする業務とその成果に興味はあるが俺そのものには興味はないと思う。夫として生きていた自分、家族は家庭に俺がアウトプットするお金やヘルプに興味はあるが俺そのものには興味はないとおもう。
振り返ってみると、何かをして「ありがとう」と言われることはあった。だけどそこまでだ。ありがとうの先はない。ありがとうの先に何があるかというと自分を人として尊重する、ということだと思うが、仕事をして家庭を持って、趣味をやめ、遊びをやめ、起きてから寝るまでの間自分の自由な時間なんか殆どないがそれを「ありがとう」で片付けられている。ありがとうと言っている側は趣味に習い事に遊びに時間をふんだんに使っている。ありがとうと言っている側は懐がどんどん潤っている。
ありがとうの対価に会社は利益を得ているようだし、家族はより良い暮らしを手に入れているようだが、それらが自分になにか還元されているのだろうか?ありがとうと言われているうちに週末にどこかに遊びに行きたいとはもはや言えなくなった。家族が遊びに行くから運転しろとは言われる。行き先の選定に自分の意見が入ったことはない。つまり週末も自動的に自分の時間は奪われている。
自分の予定を入れていても結局変更させられる。「それって来週にできないの?どうしても今週じゃなきゃだめなの?」と言われる。「じゃぁ来週にずらすよ」と言う。「ありがとう」と言われる。翌週も同じことをする。「ありがとう」と言われる。消化されないやりたいことは山のように溜まっていく。それを覆い隠すように更に大量のありがとうが降り注ぐ。
周囲の人はみんな「ありがとう」を忘れない。これまでは自分もそれでいいと思っていた。だが、「死」を意識したときに急にこの「ありがとう」が自分にとって何の意味もないものに成り下がった。
「ありがとう」というから限界ギリギリまで、たまに限界を超えてまで一生懸命仕事をするんでしょ?
「ありがとう」というから自分の都合を全部後回しにして周囲の人を優先するんでしょ?
なにか自己主張する、許されない、ごめんなさいと言わされる、土下座をさせられる。そしてありがとうと言われる。
このありがとうってどういう意味なんだろう?相手の口から放たれた「ありがとう」に対して「いやお礼とか良いからいい加減自分の尊厳を主張させてください」と言ったら土下座させられるんだろうか?
私は小学生の頃から初詣で、「これから先の人生が楽なものになりますように…」と祈ってたような真面目系クズ。私生活では空き時間をダラダラすることに費やし、情熱を持って趣味をやり込んだり、何かに挑戦することが嫌いな子供で、昔からやる前から「どうせ私にはみんなみたいに上手くできないしな」と諦めてばかりいた。残念ながら、現在までこの性格はそんなに変わっていない。
しかし、大人になってからそろそろ今の自分ではあまりにもマズイのではないかという気がしてきた。そこで、少しでも自主的に色々なことに挑戦できるように、脱真面目系クズを目標にして、何かを始めてみようと思いたった。それが今年の初めである。
とりあえず、まずは簡単なことから始めて自信をつけようと思い、「そうだ、自動車免許だったら1〜2ヶ月で取れてそんな大変じゃないし、資格ももらえて一石二鳥かも〜」と思いつきその日のうちに30万を払って入校した。
結果、自動車学校は私にとってはめちゃくちゃ大変だった、苦労した内容は割愛するんだけど(ちなみに学科はそんなに苦労しませんでした、実技がやばかったです)、毎回車に乗る前には緊張のあまり、短時間で5回くらいトイレに行って胃の辺りを抑えながら教官を待っていた。今にして思えばたかが自動車教習になんであんなに緊張していたのかわからないが…
このことを友人たちに話すと、「えぇ!半年以上もかかったの?」と驚かれる。基本的にみんな長くても3ヶ月くらいでサクッと卒業したらしい。
これを聞いて、「なんで私ってみんなみたいに上手くできなかったんだろう、やっぱり私は何をやってもダメなのかな」と落ち込んだんだけど、友人たちの話を聞いて、私が上手くいかないのは単に人生経験が圧倒的に少ないからだなと思った。
友人たちは学生時代の習い事で、めちゃくちゃ緊張した機会や、嫌いな先生に毎日怒られながら必死こいて部活してたことに比べたら、自動車学校なんてマシと言っていた。教官に注意されても、悪い部分は直し、理不尽なことを言われたらスルーするスキルも持っていた。
私は昔から特に何かを頑張ったり、厳しい人に何かを習ったり、プレッシャーを感じるような機会がほぼなく、ゆる〜〜く生きてきた。そんな真面目系クズの私は人より出遅れた分今から何かをするときには人より多く失敗しながらでないと技術の習得や、挑戦による成果を得ることはできないのだなと残酷な事実に気づいた。
気づくのが遅すぎた………
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190901-00580615-shincho-ent
移動先はクレしんが土曜4時半・ドラが5時、でコナンは6時なんだから
5時半~6時にブランクあるのすぐ分かるだろ?
んでこの時間に入ってるミックスは視聴率精々4%で、ドラにもクレしんにもコナンにも3%ほど及んでない。
内容的にもドラクレしんとコナンミックスじゃ対象年齢が違うだろう。後者の方がやや高い。
今ドラやクレしん見てなくてミックスも見てなくてコナンだけ見てる人は
ドラやクレしんがコナンの2時間前からに移動したからと言って全部見ようとは思わんだろ。
大体平日夕方ってのがもう無理あると思う。
今の子供は共働き家庭が増えたし習い事や塾行ってる子も増えたしで、平日夕方は忙しくて
金曜の夜7時からアニメ見る暇がある子って昔と比べたらかなり減ってる。
保育園や学童行ってたら7時は帰宅したかどうかって頃だし、帰宅してても飯食わせながらアニメ見せたくないって家庭なら録画するしかないし。
拝啓 俺
殴る蹴るなどの暴力は振るわれていませんが、毎日精神的に追い詰められていますね?
できたことじゃなくてできないことばかり指摘されてそこから人格否定の嵐、嵐、嵐、、、
君は自分なりの学び方を見つけても、たとえそれでどんなにいい成績をとっても見つける端から親に否定され禁止されますね?
やりたいことがあっても親に「そんなくだらないことをするならあっちをやれ」と言われてますね。
そう、あなたの親は何時間も漢字を覚えるまで書き続けることが好きなんです。教科書通りにやれない人間は人間と思っていないんです。
みんながやっている習い事をするのが素晴らしいことだとおもているんです。そうしない人間はバカだと思っているんです。
本当に辛いでしょう?自信をなくしていじめられたり級友に良いように利用されましたね?学校にいけなくなっても誰一人心配なんかして
くれなくて所詮自分の周りの人間なんてそんなものだと思いますね?
それでも偉いと思います。あなたの大事な持ち物は何もかも破壊されて操り人形にされたけど良く耐えて生き続けました。
いま、かなり年を取りました。そんな頑張っている君に何十年かたった将来の自分がどうなっているかを教えますね。
今も操り人形のままです
物心ついた時から、誰かに褒められたり自分が特別な存在になる妄想ばかりしている。頭の中に隙間ができれば必ずそのことを考える。
最近でいうと街で困っている人を助ける、難しい仕事を自分の裁量でやり遂げる、転職に成功して大活躍する、などなど。共通しているのは、困難を克服して成果を上げること、どのシチュエーションでも目撃者がいることだ。それも私のことを知っている人が現場を見ていて、一目置いてくれる、評価してくれる。
認められたい気持ちがあるのは分かっていて、実際に人に褒められるとめちゃくちゃ嬉しい。誰だって認められたい気持ちはある、人並みのことなのかもしれないが、あまりにも執拗に常にそればかり妄想してしまうので、何かあるんだろうと思い始めている。最近は私がシングルマザーとして立派に子どもを育て上げて周囲に認められたいがために旦那に死んでもらうのもいいかなとまで妄想している。
小さい頃はよく褒められた記憶もないけど、褒められなくて悲しかった記憶もない。両親は生真面目な人たちで、これからの時代は女も男と同様に自立できるようにと育ててくれた。私自身も真面目な性格なので突飛なことをしなかったからかもしれないが、基本的に放任で何でも好きにさせてくれた。小学生の頃、青や紫のスニーカーに男の子用のマウンテンバイクに自分をボクと呼んでも咎めなかった。部活も習い事も自由だったし勉強を強制されたことはない。夜更しして勉強していると早く寝ろと無理矢理消灯させられた。
一般的に見れば恵まれた人生だ。勉強は中学校まで学年トップで高校は進学校、旧帝大を卒業して都内の大企業に入り結婚して子どもを二人産みやりたい仕事を続けている。全て自分が望んだことの結果だ。
なのにどうしてこんなに褒められたくて認められたくて一目置かれたいのだろう。親子関係に原因があるのではとずっと考えていたが、書いてみると人並みだ。他に原因があるのだろうか。
でもやめられない。
まだ未就学児の子供がいるけど、ずっと子供と遊ぶのに限界があるとき、テレビでアニメなど子供向け番組の動画を見せている。子供も動画が楽しいのがわかっているので、飽きるまでおとなしく見ている。
その間に休んだり、本を読んだり、家事をしたりしている。その間子供が抱っこをせがんできたりした時だけ相手をするけど、少し相手をすると満足してまた動画を見始める。時間は有効に使えているけど、動画で育児をごまかしている罪悪感を感じる。
動画を見せられて育った子供って、どういう風に成長するんだろう?やっぱり良いことないのかな?
旦那に相談したけど、自分が子供の時はもっと酷い扱いだったらしい。テレビゲームをたくさん与えられで、ほとんどゲームをして過ごしていたらしい。でも、小学生になってからは習い事(水泳)の方が楽しくなって、ゲームはあまりやらなくなったそうだ。成長したらしたで、他に楽しいことが見つかるから大丈夫と言われた。そんな旦那は、子供が動画を見ている時に一緒になって見ている。そんな姿を見ると余計不安になる。
土日のどちらかに子供を旦那に預けて不倫してます。全く疑われてません
旦那に疑われない不倫のしかたですが、まず日頃家事や育児は完璧にこなしていることが前提です。その上で、土日に息抜きで習い事がしたいとお願いします。
そして、その習い事には嘘をつかずにちゃんと通います。習い事はなんでも良いわけではなく、終わった後にシャワーを浴びるものにします。
私はホットヨガに通っています。美容やダイエットに良いのでオススメです。スイミングなどでも良いと思います。
ホットヨガの時間は1時間程度ですが、終わった後は疲れるからお茶して帰るとか適当に理由をつけます。
習い事が終わった頃あたりに、不倫相手と待ち合わせして、相手の家かラブホに行って行為を楽しみます。そして夕飯前には家に帰ります。
このやり方で、もう半年くらい不倫してます。おかげで、女であることを思いっきり楽しめてます。
私は旦那に不満はありません。旦那は家事にも育児にもかなり協力的だし、稼ぎも申し分ないです。性格も優しく、家族のために大変つくしてくれています。セックスにも不満はないです。
問題は私の方にあります。性欲旺盛というわけではないのですが、旦那のセックスに不満はなくても、旦那だけでは満足できないのです。
両親は、高齢出産で頑張って最低でも5000万は自分に投資してくれたのに何にもならなかったんだぜ?
お高い習い事もさせてくれたし塾にも沢山通わせてくれた
それなのに出来損ない
https://note.mu/beatangel/n/nb97e6f0ef9d6
これ読んでて思い出した。
社会人になってからとある趣味の習い事というかワーキンググループみたいなものに参加してみた。
それはインドアな趣味なんだけど僕は自分で言うのもなんだけどそれに関する才能というか適性があるし
何よりそれが大好きなので昔からずっとやってた。
なのでそのグループでぶっちぎりで上手かった。というかほとんどの分野で先生より上手かった。
その価値観の中で一番だった。
そしたら明らかに女性にもてもてになった。そのグループ内でだけ。
最初は技術的なことを聞きたくてやたら接触してくるのかと思ってたけどそうじゃなくてモテた。
ああこんなにモテるのかとなんかびっくりした後恐ろしいというかおぞましい気持ちになった。
僕はモテモテじゃなくて1人の女性となんかこうよく知りあったり付き合ったりしたいしそれがモテるだと思ってたんだけど
実際に体験したモテるっていうのはそうじゃなくて急にウワッとくる感じで
よってくる相手を次々に消費するような欲望を持ってる人なら楽しいのかもしれないけど
そうじゃない人間にとっては「なんだこれは…」という感じでしかない。
社会人になってからそういう集まりに参加することの動機の1割ぐらいは彼女が欲しいとか婚活したいという思いがあったけれども
それはなんかこう1人の人と気が合って徐々に仲良くなってみたいなことをイメージしてた。
逆にモテない場ではなんにもない凪だ。
要するにモテというのはコツコツ真面目に誠実に取り組むとか、人格的なつながりを求めるとか、そういうことがあまりにも報われない場所なんだ。
あの人もそこに強いショックを受けて、だからあんなに露悪的に「相手を人間と思わずマーケティングみたいな発想でモテましょう、それが効率的です」という極論に辿りついちゃったんだと思う。
何も足せない、為せない、作れない。
「二十歳過ぎればただの人」という言葉があるけれど、もれなく私はそれ以下で。
文字通りの「人でなし」が露呈しつつある、そんな今日この頃である。
昔から、親の喜ぶいい子で過ごしてきた。
親の押し付ける習い事は続けていたし、テストは常に100点が求められた。
自分が何か意見や疑問を言えば、それは否定され、彼らの手で摺り潰された。
「医者になれ」と言われても、たかだか高卒の親から鳶が生まれてくるはずもないのに。
勉強なんて暗記が精いっぱいで基礎なんて身についちゃいなかった。
球技も個人技も下手だったから体育では「使えないやつ」だったし、いくら練習しても美術は下手なままだった。
音楽のトラウマで未だにカラオケで歌うことはできないし、手先の不器用さも相まって技術も家庭科も良くて2。
本を読んでも、感想文など書けなかったし、文章力が壊滅的だったから小説も選考に通りさえしなかった。
字も下手、生活力皆無、体系もだらしないし、顔なんてその辺の雑草の方がマシなレベル。
対人的なコミュニケーションも壊滅的で、はっきり友達と言える相手など人生でいるかどうかも分からない。
そもそも会話の話題が頭に出てこない。空気も読めなければ、主体的な行動なんてなおさらできない。
その上、ものごとに対する疑問が一切浮かんでこないので、ディスカッションはまず無理で。
何も話さず、何も身につかず、のそのそと目的もなく、上や周囲の命令を聞いて動き回るだけ。
これまで何とか二十余年間やってきたけれど、企業に就職して、もうヒトとして、社会で過ごすのが無理になりつつある。
親からは早く結婚するか医者になれ、金を入れろの三言しかない。恋人どころか、異性に恐怖すらあるのに?
いや、異性どころか人間に、社会に対してさえ恐怖を感じている。そんな状態だから、土台無理な話である。
だが、吐き出す先はもうここくらいしかない。こんなところにしか、逃避の場所がないのだ。