はてなキーワード: 給食とは
https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/497948.pdf
委託者「福島県」を甲とし、受託者「日清医療食品株式会社仙台支店」を乙
甲の負担:光熱水費
まず、陰謀論って聞いて大体の人が思いつくであろうヤバいオッサンとオバサンの形をうちの親はしている。目がイカれてるし、肌がパサパサで2人とも清潔感がない。誇張じゃなく年齢より15歳くらいは老けて見えると思う
前提としてネットでよく見るディープステート的なベーシックな陰謀論と、反ワク的なエセ医療と、ホタテパウダーで野菜を洗うみたいなトンチキ自然派は親和性が高くて、1つ罹患するとぜんぶ患う奴が多い
うちの親はそのタイプで、添加物を異常に怖がる自然派から電磁波に怯えたり薬を嫌がるようになり、コロナ禍で完全に親ロとディープステート的な陰謀論に転がり落ちていった
あと母親は子宮系みたいなカルトにも過去にハマってま◯こにパワーストーン入れたり、ガチ障害者の弟に指入れさせたりしてた。詳しくは子宮系で調べて笑ってほしい。それ関連のきしょい本が今も家のどこかに積み上がってる
父親は反ワクデモとかノーマスクデモに参加してたし、一時期話題になった反ワク団体にも入ってた。子供の頃は行き過ぎた母親の自然への執着に苦言を呈してくれる唯一の人間だったが、仕事が行き詰まったのと同時に母親と一緒に陰謀論にどっぷりになった。趣味はヤフコメを実名で荒らすこと。YouTubeに真実があると信じてる
訳あって自分は子供時代の一部を祖父母の家で育ったんだが、家に戻ったら知的障害のある弟が爆誕して全裸で走り回ってるし、両親もどっちもぶっ壊れていて子供ながらにショックだった。
この障害のある弟も、根拠のない食事療法と発達障害が治るサプリ(笑)で育てられたものだからかわいそうだった。昔は意思疎通がある程度できてたが、環境が悪すぎて今は完全に二次障害を起こしてクソ漏らしながら家で暴れ回ってる
息子が障害持ちだったのも親がぶっ壊れていった理由の1つやと思うが、子供ながらに親父も母親もなんか障害持ってんじゃねえかと思っていた。あと、子供の頃は自然派系のキャンプとかキャンドル作りとかに連れて行かれたが、参加している大人がみんな異常に空気が読めなかったり不器用だったから、そういう気質の人間がホイホイされるんだと思う
あと共通点で言うとみんな清潔感がなかった。自然派的なものに傾倒すると風呂に入らなくなったり、謎の自家製シャンプーや石鹸を使うようになるので、きちんと皮脂や汚れが落とせていないのだ。独特のすえた匂いがする
親が使ってる手作りシャンプーを使うとフケが制服に落ちて最悪だったから、わいは中学生から自分で薬局で買ってた
ある程度の年齢までごく普通の祖父母の家で育ったから一般的な家庭の常識が身についたが、子供の頃からあの家で過ごしてたらと思うと今でもゾッとする。実際小さい頃にめちゃくちゃマク○ナルドとコンビニ弁当の悪口を言われたせいで今も若干食べるのに抵抗がある
結局、陰謀論もカルト宗教の教祖と信者と同じ仕組みなんだろうなと思う。YouTuberとか謎の作家とか謎の専門家が、メンタルに何らかの異常を抱えているプライドの高いバカを騙して本やらサプリやらパウダーやら売りつけてんだよな
高校入るタイミングでまた祖父母が引き取ってくれて普通を取り戻したんだが、中学時代とかは親が給食の添加物ガー!!!って担任に鬼電したり、歴史の教科書を炭で黒塗りしたりとかマジキチすぎて辛かった
未成年だった時は実家も結構行く用事があって出入りしてて、コロナ禍とかいくたびに両親がぶっ壊れていくのが分かってホラーすぎた。あと片付けられないのに謎の手作りグッズ(電磁波を跳ね返すやつ)とかケースで買わされたっぽい水とかお茶が増えていってて、ゴミ屋敷ってこうして作られていくのかもしれないと思った
今はほぼ顔を合わせないようにしてるけど、一応なんかあったとき用に唯一ブロックしてない家族のLINEグループには“ワクチンを接種した人間の脳みそに寄生虫発見!”みたいな怪文書が頻繁に届く。
直接口に出されこそしない「使えねーな」「もうちょい急げよオラ」を毎日浴びせられて過ごしている。
毎日のように削り取られていく自尊心を癒やすために『いつか凄い人として羽ばたくサナギとしての自分』をいつも空想している。
両親から運動音痴と自閉症スペクトラムを引き継いだ所に早生まれが重なったせいで生まれついての引きこもり気質。
保育所の広場で遊ぼうとすれば「お前がいると負けるから来るな」と追いやられ、一人でブランコをしようとすれば体格のいい子に追い出され、仕方がないからいつも絵本を隅っこで読んでいた。
小学校に入ってからはせめて勉強ぐらいは頑張ろうとしたが、運動も会話もまともに出来ないくせに勉強だけは頑張っていたのをメガネザル系のキャラとして扱われ、頑張って勉強していい高校に入ったら周りは運動も勉強もできる人ばかりで何も持ってない底辺として暮らす日々。
大学でも同じような現象が起き、周りは自分と同じ程度の学力だけどソレ以外の能力では圧勝されているので自分に自信を持つことは全く無い。
学歴を印籠みたいにかざして無理やり通り抜けようとした就職活動はボロボロになり、自棄糞になって受けた公務員試験でもペーパーで取った有利を集団面接で全部吐き出し切って完敗に終わる。
やりたい仕事もやるべきだと思う仕事も稼げる仕事も遠ざかり、とにかく数を集めて谷底に突き落とすタイプの会社に入って、適性もないままに椅子にしがみつくことでなんとか生き延びてきた。
自分が仕事の中で相性が良いと感じることを上から上げていくと「分析」「整理」「定型化」だと思うのだが、自分が主にやらされているのは「営業」「懐柔」「折衝」で、正直この辺は死ぬほど苦手でせめて電話・口頭中心じゃなくてメール・チャットでやらせて欲しくてたまらない。
企業風土が自分とあっていると思えないのだが、この仕事を通して積み上げてきたものが自分と相性が悪すぎるからそれを売り込んで入れるような転職先は結局同じような所だろうという蟻地獄に人生が囚われてしまった。
無能扱いされてもいいからせめて平穏に暮らせたら良いのに、毎日のようにせっつかれるしなんだか分からない責任問題に次々巻き込まれている。
本心から望んでいるのは「貧乏でもつまらなくてもいいから平和に暮らすこと」だ。
でもその競争倍率がクソほど高くなってどこも高値で売りつけられていると聞いてもう怖くなって完全に動けなくなってしまった。
毎日この人生からまるごと降りたさに包まれながら職場に向かっていて、そうして一日かけて傷つけられた心を風呂場やベッドに入って「でも僕は近いウチになんか良く分からんがビッグになって大逆転するんだ」という中身のない妄想に浸ることで癒やしていく。
なんなんだろうこの人生は。
最底辺の人間が敷き詰められた狭いアパートで寝起きして、最低限の味と栄養しか無い配給食を食べるために並んで、残った時間は図書館で老人と本や新聞を奪い合いながら暇つぶしをするだけの人生でもう十分なんだ。
どっかの金持ちが無駄な背伸びを繰り返し使い切られてしまったこの世界の余裕を補充し直すために、自分の心を砕きながら社会のひび割れを埋めさせられるのにいい加減うんざりする。
なんでただ生きるためだけに毎日こんなつらい思いをする必要があるんだろう。
最低限度の生活の値段が高すぎる。
生活の値段が高いと言うより、あらゆる労働の性質が非人道的すぎる。
人道的な労働環境に生きたい。
俺の本当の願いはそれだけだ。
でも叶うとは思えないから「ある日凄い人になった自分が凄くチヤホヤされるから、今の苦しみはその時に全部相殺されて「生きててよかった」と思えるはずだ」を毎日妄想するんだ。
辛い……そうして「いつか自分は凄くなるんだ」を握りしめてるせいでかえって人生が苦しくなっている面もあるんだろうな。
これはもう麻薬みたいなもんだ。
どいつもこいつも平然とした顔で「いつかビッグになるよ。良く分からないけど。だから今は頑張ろうね」と麻薬を高値で売りつけてきやがる。
教師も親も誰も彼もが平然とお互いの口に麻薬を詰め込んで適当に酔っ払ってるすきに自分の好きなように操れないかと画策してる。
なんなんだろうなこの世界は。
俺は本当にもう疲れた。
いつ死んでもおかしくない。
・保育園の先生が優しい。自分が保育園の時(30年前)は保育園の先生はめちゃくちゃ怖かった。給食をこっそり捨てていた子をボイラー室に閉じ込めるなど日常的にあった。今なら大問題だろうな。
・今は世の中の仕組みやルールを子供向けに説明した本がめちゃくちゃたくさん出ている。自分が子供の時にこんな感じの本に出会えていれば、もっとはやく世の中のルールが分かって生きやすかったんじゃないかなと思う。
宇宙人とみつける仕事図鑑という本、こんな本が自分が子供の時もあったらよかったなあ。子供の時に読みたかった。
・自分は5歳くらいから、歩いて10分くらいの友達の家や公園に1人で行っていたが、今では未就学児が1人でどこか行くなんて考えられないよな。なんなら小学生だって登下校に親が付き添ってたりする。こんなふうに親が付き添うようになって、実際、事故とかは減ったのかな。
・今は小学校の宿題の丸つけは親がするんだってな。自分が小学生の時は、担任もしくは自分で丸つけのどちらかだった。小学校教師の負担軽減のためか。でも親が忙しい家庭はどうしているんだろう。
目黒の女児虐待死事件の記事を昼間に読んでしまったからかなぁ。
明日出社なのにこんな時間にこんなもの打ってていいのかな、サクサクいこう。
フェイク入れるよー
20代女
中高私立
ずっと精神科に通ってる
今はCMが流れるくらいには大手の企業で正社員として働いています
もちろん金のない家の虐待の方が何倍も地獄なんだろうけど、金のある家の虐待も地獄です。
幼い頃の記憶がほとんどなくて、色んなところが抜け落ちてるからもしかすると事実と違うところもあるかもね。(補正がかかってしまっているのかも)
あと中学高校の時も事情があって記憶がないから、あやふやかも。ごめん。
まず、父親が異常者。
子供が泣いてたら指を指して大笑いする人なんだよね。おかしいよね?普通は慰めるよね。
なんで殴るの?って聞いたら俺がイラついてるからって答えてくる。今でもそう。
会社では部下を虐めて休職や退職に追い込むのが趣味で、この間も女の部下に「ブスなのに仕事もできないのかよ」と言いまくって休職に追い込んで退職までさせたのを家族に自慢してきた。
あと、私が小さい時からずっと学生時代のいじめ自慢をしてきた。小学生の時に貧乏な同級生の掘っ建て小屋みたいな家を壊しに行って、その家のお母さんやお婆さんが泣きながら「やめてくれ」と頼んできたけど壊してやったぜ!みたいな話を笑いながらするような人。
幼少期の話
・これは後から聞いた話。父親が一歳半の私の足を持って振り回して、投げ飛ばした。頭を打った私はぱっくりいってしまって出血。救急車。頭を縫うことになった。今でも私の頭の上の方には縫った跡がある。
・これも後から聞いた話。父親が無理やり煙草を私に食べさせて緊急搬送、胃洗浄。父親は笑ってたらしい。
・これは記憶にある。家族でマクドナルドに行った時、何故か両親が4歳の私にトレーを持たせたんだよね。それで、階段で転んじゃって、トレーにあったハンバーガーとか飲み物とかポテトとか全部ぶちまけちゃった。やばい、思い出して泣いてしまってる。
三人分で重かったんだよ……
で、父親が激怒。マクドナルドの店内で殴る蹴るをされて、優しい店員さんが新しいのを全部用意してくれた。本当に嬉しかったけど、その時に父親が「こんなことをするお前はもう食事をするな」と言ってきて、食事禁止令が出た。
母親はこの時転職活動中だった。(出産で退職して、私を育てていた)だから、家にいた。
地獄だった。自分でも分かんないんだけどさ、子供って親から絶食って言われて従っちゃうんだよね。しんどかった。今でもトラウマで、絶食系の虐待のニュース見る度にフラッシュバックする。
給食がないからさ、本当に何も食べられない。母親が父親に「水は飲ませてもいいですか?」と聞いて、父親が「水ならいい」と答えてくれたから母親は私に水は飲ませてくれた。お腹タプタプになるまで飲んでもさー、お腹って空くんだよね。
一週間くらい何も食べさせて貰えなかったらなんかもう頭がおかしくなって、畳のい草食べた。美味しかった。めっちゃ美味しかったよ。
みたいなことがまあ多々あったんだけど、よく覚えてない。
大学に入ってから受けたカウンセリングで無理すんなって言われたから蓋をしたままにしておく。
毎日殴られてたし蹴られてたし、父親は不機嫌になると頭からビールをかけてくるからビールが大嫌いだった。今でも飲めない。
その後ビールで汚れたカーペットは幼い私が処理しなきゃいけなかった。
時期はぼかすけど弟が生まれた。
弟の方が酷い扱い受けてるんだけど、小3くらいから私は父親から性的虐待を受けているので、トントンかなーと思うよ。
書きたくもないから詳細は書かない。女児は抵抗できないからね。
今でも隙あらば私の胸や股間を触ろうとしてくる。スマホのカメラを向けて、ムービー撮影を開始すればやめてくれるから、スマホは手放せないけど今は何もされてないよ。
風呂に入ってたら風呂に乱入してくるから、父親が帰ってくる前に風呂に入らなくちゃいけないのがネック。夜遅くに帰ることになったら父親が寝るまで待つか、朝早く起きるしかない。
小学校に入って、家庭が異常なことに気づいた。気づいたきっかけは、父親に「愛人」がいた事。今でも愛人がいるよ。母親公認の愛人。家族全員愛人がどんな人でどんな名前なのか知ってる。だって愛人との話を家でしてるからね。
行政は助けてくれない。当たり前。だって世間体がいいもん。母親も転職っていうか、再就職か。大手企業に再就職してさ、外面は二人とも凄くいいから子供を虐待してるなんて思ってくれなかった。
金がある家はこれが出来ます。
家出も数回したけど、家出をすれば見つかったあと更に酷い目にあうから家出は選択肢から無くなった。
父親がやばい人なのは祖父母から縁を切られていることで何となく察した。高校進学の時に「金は出すから」と言われて、一人暮らしをすることになったらしい。武勇伝のように語っていたけど、父親は都内の出身だし、都内の高校に通っていた。一人暮らしをする理由はないから、多分捨てられたんだと思う。
今は関係修復してて(祖父母も孫は可愛いよね)、祖父母のことを知っているけど、めっちゃ金持ち。
遊びに行くと必ず5万円くれる。これが非常に助かった。(後で書く)
学歴社会に生きてきた両親なので「MARCHはゴミ」と言われて育った。
私はそんなこと思ってないし、ヤバすぎると思う。
小4の頃から中学受験の塾に入れられた。成績が良ければ褒められたし成績が悪ければ殴られて蹴られた。
凄い話をすると、成績が落ちた時に椅子に縛り付けられて、トイレはペットボトルでしなさいって言われたよ。机から移動するな、ずっと勉強しろって事だね。
そんなこともあってか(?)、無事に偏差値の高い第一志望へ合格出来た。
中高が地獄だった。
まず、私立の学校に入れば周りは金持ちばかりだ。私の家だって金持ちの部類だけど、子供の娯楽には金をかけない家だった。
携帯?持ってない。
旅行?行かない。行ったことない。旅行は父親が綺麗な愛人と行くもの。お土産も買ってくれない。
ゲーム機?買ってもらえるはずがない。
お小遣い?ない。
そんな感じで、周りとの格差に愕然とした。友達が出来てもさ、あー……ウチ、おかしいんだわ……とテンションが下がっていく。ブランド物バッグの話してる金持ちの同級生とかね、なんかもう、世界が違いますよ。
何度か、お小遣い欲しい。携帯欲しい。って言ってみたことがあるんだけど、「それなら女なんだから風俗で稼げ」って言われた。
毎日のように殴られたし蹴られた。
タオルで鞭打ちされるのが本当に痛くて、赤い痕が身体中にあった。
この時期に弟が発達障害であることが分かった。父親は激怒して「俺の遺伝子に障害の血は無い」と母親を怒鳴って殴って、何故か私も殴られた。
そんで、父親は弟を他県に連れて行って、置いてけぼりにした。
警察沙汰になったんだけど、外面が良いからあの手この手で言いくるめてすみませんでしたーで済ませてた。許せなかった。本当に今でも怒りで身体が震える。
弟がパトカーから出てきた時に真っ先に抱きしめた。まだ覚えてる。母親も泣いてた。
あの時、ミッキーの絵柄のネクタイの刑事さんだけが父親を怪しんで追及してたのを凄く覚えているし、最後まで納得してなくて「これからは気をつけてくださいね」と嫌味みたいな言い方でチクチクしてくれたのが気持ちよかった。ちょっと怖い見た目の刑事さんだったんだけど、ミッキーのネクタイだったし、優しい人なのかなーと思った。
(ちなみに私はディズニーなんて行かせてもらったことなかった)
後日、父親に「迷惑かけてすみませんでしたって謝りに行け」と言われたので何故か母親・私・弟で菓子折りを持って警察署に謝罪しに行った。
ほんとなんで?お前が行けよ。
もう、何もかもの記憶がない。気づいたら学校にいて、気づいたら家にいた。分からない。
それでも成績は維持してた。
親の金盗んでたのがバレて、父親に半殺しにされた。家に入るなってベランダで生活をすることを強要された。まあこれは私が悪いと思ってたので夜中もベランダで過ごした。
色々ぼかすけど、この辺で自殺未遂を起こして、母親が私がおかしくなってることにようやく気づいてくれた。この時に私を児童思春期の精神科に連れていってくれたことが良かったのか……悪かったのか。
なんか凄く謝られた。私の中の母親と言えば父親に従って、殴られて蹴られて、私に「○○ちゃん、辛いよぉ……」とヨシヨシを求める人だったから、まともだったんだーってびっくりした。
母親が仕事の形態を楽なものに変えた。年収1000万→800万くらいになったけど、その代わりほぼ定時退社。職場も異動願出して家に近いところにしてくれた。家庭を大切にするようにしてくれた。
私は弟の世話のために小学校を休めと言われ、まともに小学校に通えてなかった時期があるので(かなりこの事がトラウマなので書けなかった)凄い進歩だと思った。女性のキャリアが厳しい世の中で、母親は昇進を諦めた。
小学校に通えてなかった時期のことに触れてしまったので、書いておこうと思う。
一歳の弟の世話を私に任せて両親は仕事に行っていた。当然私は学校には行けない。
なんか、弟が、あれ……わかんないな、ごめん、覚えてないんだけど、変な風になったことがあって(ひきつけ?みたいな?分からない……吐いちゃったような気もする)、どうすればいいか分からなくて、でも親の携帯の電話番号なんて覚えてないし、泣きながら赤ちゃんの弟を抱えて近くの家のピンポンを押したことがある。
出てきたのはおじいさんとおばあさんで、事情を察したのか、なんか、色々と処置をしてくれた。助けてくれた。ちょっとトラウマの発作が出てきたからもう書くのを止める。
中学で私は完全にダメになってしまって、不登校になった。鬱で身体が動かなくて、寝たきりだった。
風呂も職島も排泄も介護なしでは出来なくなったんだけど、母親が全部やってくれた。
母親は今でもヒステリー持ちだけど、この時期からまともに会話ができるようになって、普通に良い関係が築けている。
周りとの格差には悩み続けた。金持ちの学校に通ってる貧乏人の気分を味わったよ。帰りに買い食いなんて出来ないし、学食なんて夢のまた夢。
悩んでたら母親がお小遣いをくれるようになったんだけど、それが月2000円だった。月2000円でもありがたかったけど、まあ足りないよね。
2000円は交通費になった。
これが本当に助かった。じいじ ばあば ありがとう。孫は貴方たちのことが本当に大好きです。
弟は私より酷い目にあってたけど、可哀想だから書かないでおく。まず、父親には発達障害持ちってことで人間扱いされてないです。
今でも。
これを書きながら父親が弟を罵倒する声が、リビングから聞こえてる。
高二になって、母親に携帯契約していい?って聞いたらいいよって言われたので母親名義で契約することに成功した。
やっと父親の性的虐待から逃げられて、一安心した。スマホをかざすと逃げるの、ウケる。そんなに証拠を撮られるのが怖いか!なら最初からやるな!クソボケ!
ずっとうつ病だけど、頭が良いことが助かった。父親より偏差値の高いところに進学することが出来た。
家にいたら風俗やって稼げと連呼されるので、バイトを詰めて家に寄り付かないようになった。
なんか疲れてきたから後は書かない。まだうつ病は治ってないし、ぶっちゃけ虐待事件のニュース見る度に発作が起きて頓服飲んでる。
学費を出してくれただけ、マシなんだろうなーと思いながら生きてる。
実家は色々あって出れてない。出たいんだけどねー、私が出たら母親見捨てることになるからね。あんまり非情になれない。色々意見あるだろうけど、母親が「私を置いていかないで」と泣きながら頼んできたことあるし、まあいいかな。
……働き始めてから月8万円を入れることを強要されてて、辛い。
初任給の手取り23↑だけど、8入れるの辛かったよ。地方の中小と変わらんやん!ってなった。
今度交渉したい。
学費を出してやっただろうが!といわれたことがあるんたけど、それなら奨学金借りたかったよ。奨学金の方がうんとマシ。
ちなみに父親はもうすぐ取締役のポストが見えているらしい。第二のビッグモーターになるのかな。
記事へ反応で前にも見たことあるって言われてるから一応違いますーってことで書いとくと、はてな匿名ダイアリー書き方知らなくて改行?空白行の挿入?が出来ないから「 」(空白)を入れて改行してる!
選択とかしてみたら分かるかも。
その人は私と同じように「 」改行の使い手?
はてなブログ初めて書くから、誰かスマホからの改行の仕方教えて欲しいです。(検索をするほどの余裕はないし、もう遅いから寝る)
体調悪くて暇つぶしにはてな匿名ダイアリーの人気エントリ?みたいなのを漁ってたら目黒の虐待事件のやつを読んでしまって、その後色んな虐待記事を読みまくったらみんな金のある家に云々みたいなのを見たから書こうかなと思ったのが発端。
(かなり前に書いたものですが、バービンハイマーのミーム騒動などもあり改めて知ってみたいので、一部修正の上再掲します)
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
組み合わせて例えてみれば、「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
別の例を挙げれば、「人権 本物はやたらに言わない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなものもその一種かも知れない。単に流行に乗ったのかそれともオウム真理教に対する何らかの確固たる意志があったかは分けられるだろうが。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「(社会的・歴史的な何かについて)〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、それについて見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど、当時の環境も添えてほしい。
社会生活を営むことができる程度に軽いが、確かに愛着障害をきたしていることに気がつき、その原因となるような出来事はなかったかを探した。幼い頃の記憶は薄い。薄いなりに幼稚園を脱走したことがあるらしいとか、ブランデーを一匙舐めさせられたとか、階段から滑り落ちる夢ばかり見ていたとか、戦争や殺人が怖かったとか、給食を食べるスピードが遅くていつも最後まで食べていたとか、夜になると母親がプレイするバイオハザードをずっと見ていたとか、両親が喧嘩してケーキがぐちゃぐちゃになったこととか、そういうことを思い出した。母親から「死のうと思って泣きながら包丁を持っていたら、あなたがお腹痛いの?大丈夫?とずっとそばにいてくれた」と教えられたことも。
小学校高学年からの記憶はあり、そのとき、家庭はほとんど崩壊していて、両親はつねに怒鳴り合いの喧嘩をしていたし、父親は浮気、母親は自殺しようとして、私の娘としての務めは母親の味方兼カウンセラーであることだった。家庭内別居で父親の悪口をひたすらに聞かされる時間もあった。もっともそのあたりのことは乗り越えたと思っていたが、自分が覚えているよりも前から私の家族は壊れていたのではないか?なにより私自身も…ということに気がついて(なぜか自分が幼い頃は幸福な家庭だったと思い込んでいた)奇妙な気分になっている。虐待されていたわけではないけれど決して十分ではない環境で育てられた中、まともに働けている私はそうとう立派なのではないかと思うし、 結婚や育児がどれほどに難しいのかを痛感させられたし、見捨てられ不安があるわけではないので試し行為はしないが恋人を心の安全基地にするくらいは許してほしいと願ったり。ね。
はじめての出産を機に知り合った先輩ママ友。既に上に2人のお子さんがいる。彼女曰く「すべての病気は肉、魚、卵、貝、乳製品の摂取をやめることで防ぐことができる」らしく、論文やデータも見せてもらった。またピロリ菌やサナダムシなどはむしろ免疫を高めてくれる共生関係にあり健康には必要不可欠とのこと。
「ワクチンを打たない」、「肉、魚、卵、貝、乳製品をとらない」、「サナダムシを飼う」、「水道水の利用をやめて塩素を抜き、井戸水や湧水を利用しピロリ菌を飼う」を守ればほぼ全ての病気の可能性を排除しつつ穏やかなメンタルのまま100歳を超えるまで健康に過ごせるらしい。
実際にこれらが自然に実践されてた江戸時代に癌患者は一人もいなかった。
ワクチンに関しては「接種させない」ができる。コロナももううるさくなくなったし、他の予防接種だって強制されているわけじゃない。
サナダムシも手に入れられそう。
給食もダメだし、友達と遊んでる時に知らずに食べちゃうこと普通にありそう。
一回でも食べたらダメらしい。
どうすれば。
仕事やめるにしてもできるだけ損しないように、みたいな話を産業医から聞いて改めていろいろ考えてみた
結果、やっぱりやめるのが一番手っ取り早そうだなって
休職からの傷病手当も考えたけど、休職って復職前提だし、休職したら有給使えないから給食からの退職コンボが決められなくなるし、
今の会社自体がストレスになってると思ってるから、休職と傷病手当だと休んでてもへその緒みたいに会社とつながってる感覚してストレスかかるし
傷病手当のお金は魅力的だけど、失業手当とほとんどかわんない(保険金高いから)し
120日以上なおらないなら傷病手当有効かもだけど、もうそんな状態ならやめるだろうし
制限期間後に4か月正道で失業手当もらうのがもうめんどくさくないかなって
特定理由離職者ってのも調べたけど別に給付期間が増えるわけでもないから、すぐお金にこまるわけでもないなら診断書やら通院やらの手間かけてまでやるもんでもないかなって
診断書だしたら確定で通るわけでもないっぽくて無駄になるリスクもあるし
あーもうこうやっていろいろ考えることすらめんどくさい
さっさとやめんとだめだな
何も考えず有給消化にさっさと入りたい
こども家庭庁、予算5兆円で「Jリーグとコラボ」「育児経験語り」「子どもの意見聞きます」「優先レーン設置」の迷走ぶりに「解体しろ」の声
https://smart-flash.jp/sociopolitics/244375/1/1/
長谷川ういこ Uiko Hasegawa @uikohasegawa
5兆あれば18歳までの医療、保育、給食、学童を全国で無償化できるし、保育士・教員の待遇改善も、子どもの特性や学びに寄り添うために保育・教育現場に人を増やすこともできる。こども家庭庁は、こどもや家庭の方を向いていない。
https://rongkk.com/nanikore-2019-4-7-6/
あとこの映画で始業式の様子が写ってる。
中学校は生徒が1人だが、学校には校長、教頭、担任、副担任、養護助教諭の5人の先生がいて、給食は新くんのお母さんが作っている。島に同世代の子どもがおらず、新くんは放課後 毎日のようにお父さんと海釣りをし、釣った魚を自分でさばいて夕食に食べる生活をおくっている。学校生活では、定期的に本土の運動会やクラブ活動に参加して本土の生徒と交流もしており、時には本土の友達が島に遊びに来ることもある。島では、新くんが淋しくないように島民の方々が学校の行事に積極的に参加、島の住民みんあと多くの時間を一緒に過ごしてくらしてきた。