はてなキーワード: 目から鱗とは
【3/22 タイトルを「障害者の手助けをしたくないと思った話」から変更しました。
本文は変更しておりませんので、障害者差別に嫌悪感を持つ方はこの記事を飛ばしてくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。】
このモールは古い設計というか、バリアフリーについてあまり考えてなくて、車椅子で買い回るには少し不便だったりする。
今日の午前中は暖かくて、緊急事態宣言も解除されて、久しぶりにモール全体が賑わっていた。人通りの多さもあって、尚更その人は動きづらそうに見えた。
従業員休憩室に向かう道すがらで、困っているお客様にはお声掛けしましょうというモールの方針をバカ正直に守ろうと、声をかけた。
その人は男性で、車椅子の左右の肘掛け(?)に名前と住所と連絡先が書かれた名刺サイズのカードを1枚ずつ貼り付けていた。
「近くのトイレに行きたいんやけど」
と言われたので、車椅子を押した。広いフロアに男性用トイレは1つで、道は狭くて、しかも場所もすごくわかりづらくて、途中に急なスロープまであって、申し訳ない気持ちになったりした。
雑談(というか愚痴聞き?)をしつつ、人のあいまをぶつからないようにゆっくり抜けながらお話をしていたので、たぶん私に対して親しみを覚えてくださったんだと思う。
と聞かれた。名札をさしながら苗字を答えた。
と言われたので、人を疑うことを知らない私はバカ正直に下の名前(以下、A子とする)を答えた。
「A子ちゃんか。歳いくつなん?」
「A子ちゃんは下着売り場で働いてるんやな」(名札に店名も書いてある)
「試着室でお客さんのおっぱい揉んだりするん?」
「トイレ行くついでに下の世話もしてや」
など、困惑している私を差し置いて次々聞いてきた。途中から1人で喋っているも同然なのに勝手に盛り上がって声も大きくなったりした。
ショップは女性向けが多くて、もちろんお客様も女性が多くて、本当に本当にいたたまれなかったし恥ずかしかった。
私はただ困ってる人を助けただけなのになんでこんな辱めを受けないといけないんだろうって、あの時声なんか掛けなければよかったって、本気で思った。
結局プライベートに関する質問は全部無視して、トイレの前まで送り届けた。
と言われたけど、男性用トイレには入れない決まりですって適当に答えて逃げた。手を握って引き止めようとしてきたけど振りほどいて逃げた。
初め声をかけた時とても嬉しそうな顔をされていたし、もしかすると普段からあまり人と接することがなかったのかもしれない。お話する人がいなかったのかもしれない。親切にされることが少なかったのかもしれない。
連絡先カードをたくさん貼っていたから、脳になにか後遺症的なものがあるのかもしれない。そのせいで声のボリュームをしぼれなかったり、その場にあった話題かどうか判断できなかったのかもしれない。人との距離感も計れなかったのかもしれない。
考えればいくらだってその人の背景を想像できるし、(健常者の驕りみたいになるけど)同情する部分もたくさんあると思う。
でも、それって、見知らぬ人のプライベートな部分を大声で聞いたりする免罪符になる?
人を助けるために自分の時間や体力を多少削るのは全然問題ないと思ってるけど、嫌な思いや恥ずかしい思いをするのは違うと思う。
障害を持つ方みんながこの人と同じとは思わない。でも、たぶん私は今後、男性の障害を持つお客様に対して多少なりとも警戒心を持つと思う。
それぐらい嫌な思いをした。
3/22追記
別のお客様からモール宛にご心配のメールを頂戴したということで、情報の共有とアドバイスいただいたものを対策として提案してきました。一従業員なのでどこまで話が通るのかわかりませんが、きっとお客様にも従業員にもいい方向に進んでいくと思います。ありがとうございました。
「この男性を「障害者」という括りに入れるのはどうか」というコメントですが、
わざわざ「見捨てる」という人聞きの悪い言葉をチョイスされた辺りに「自分は弱者だ」「弱者だからこのぐらい許されるだろう」という、この男性のあざとさというか、悪どさが透けて見えた気がしました。ではこの人を「弱者」と定義する要素は何か?と考えると、わかる限りでは障害を持っているという部分だけでした。
また、若い方にも、お年を召された方にも、女性にも、(モールの客層やショップのターゲットの関係上数は少ないですが)男性にも、道案内を含めたお困り事の相談を受けることは多々あります。丁寧な方も横柄な方も老若男女の区別なくいらっしゃいましたが、ここまで嫌な思いをさせられたのは初めてです。なので過去のどなた様にも該当しない括りとして「障害者」を当てました。
もちろん全ての障害を持つ方に対してこの男性と一緒にする意図はありませんし、この男性と同じように嫌悪を感じはしません。
それでも、全くの別人とわかりつつも「(一度嫌な思いをさせられた人と同じ属性の)障害者を手助け(することによってまた同じような経験を)したくない」気持ちが湧いてしまうこともどうかご理解ください。
後出しの情報で申し訳ないですが、目元や服装など見た目は50代に差し掛かるぐらい、声の感じや話題から40代半ばでもおかしくはないとお見受けしました。
どのような方を「老害」と指すのか、不勉強のためわかりませんが、少なくとも「老人」と言われるほどのお年ではないかと思います。
「障害を持つ人全員が常識人で腰が低いと思わないで欲しい」というコメントですが、
恥ずかしながらこの男性に話しかけるまでは、障害者も健常者もみんな大小の差はあれど他人を思いやれる人で、横柄な態度の方はたまたまそのとき余裕がないだけだと思っておりました。
お客様には少しでも快適に過ごしていただけるよう、一従業員としてこれからも笑顔を心がけていきますが、障害を持つ/持たないに関わらずそのよう方がいることも頭の片隅に置いておきます。アドバイスありがとうございます。
記事への反応、はてブも含めて、こんな吐き捨ての文章にたくさんのコメントをありがとうございます。
3/22追記2
「障害者のフリをするために車椅子に乗る人もいる」というコメントについて、
そのような方がいるとは想像しておらず、目から鱗が落ちました。
それと同時に、自分の世間知らずさと鈍感さと、生活してきた環境が恵まれていることを痛感しました。
「障害者」と見た目で判断することは軽率であったと深く反省しております。
教えて下さりありがとうございました。
「この人はただの変質者で、そこに不要な属性を持たせて障害者を差別しないで欲しい」というコメントについて、
上記の件も合わせまして、今後は「障害を持つ/持たない」「男性/女性/エックスジェンダー」などの分かりやすい属性で人を見るのではなく、全ての人に対して変質者である可能性を考慮して、一様に警戒心を持つようにします。
今まではお困りの方(道が分からない、ショップが見つからない、動きづらいなど)には、快適過ごしていただきたい一心で積極的に声をかけていましたが今後は控えます。
誰かを手助けしてまた同じような経験をしたくない気持ちが湧いてしまうことはどうかご理解ください。
なるほどなぁ目から鱗だったわ
もともと俺は14歳の時に好きになった女の子のことを20歳になるまで引きずって、その6年で同じ女性に2回告白して2回お断りをいただく位どうしようもない男だった。で、そこから3年経ち、「本当に好きな人と付き合うなんて幻想は捨てよう、とにかく一回彼女を作ろう」と一念発起した。
当時のスペックは大卒、ややブラック気味の会社で働いている、東京住みのサラリーマン。見てくれは背の低さ以外は普通だったと思う。
本に書いてあったことは大体やった。
とにかく「猿山」を作った。猿山というのは、「自分がこの中で一番優れている」と意中の女性に思わせるテクニックのことだ。
町コンや合コンに参加するときは〇〇が趣味ですという名目で集まっている場を選んだ。その〇〇については俺は実力も実績もあったからだ。〇〇だと想像しにくかったら、ここでは便宜上ボルダリングとしておく。
そして「この〇〇一点においては俺はこの中で一番すごいぞ」というのを示した。「あそこのジムの一番難易度高いところまで行ったわ」みたいなやつ。
そうやって他の男をけん制しつつ、なるべく初心そうで純粋に自分に尊敬の目を向けている感じの女性に声をかけた。「××さんは普段どれくらいやってるんですか?」
そこで「いやそんな、増田さんみたいにうまくできないです。興味はあるんですけど~」というような返事が返ってきたら「よかったら一緒にやらん?ああいうのはコツがわかればできるんで、教えますよ」と誘う。
ここで乗ってくれば、だいたい勝ち。
猿山から一人連れ出して二人きりになって、その二人になった時に自分の実力を見せて、そして向こうが登ってるのをアシストしたり応援したりとやって、帰り道に一杯やって「いやーいい汗かきましたね!でも××さんも良い感じでしたよ!」というふうにおだてた結果。
そこに感動はなかった。
一緒にいても楽しくない。セックスも想像していたより気持ちよくなかった。
書いてあることをやっただけなのに、向こうが俺に向けてくる感情はどんどん大きくなり、向こうから「今日は…しないの?」などと聞いてくるようになった。なぜだろう、全然うれしくなかった。
結婚とかそういうことを意識しているような発言も増えていて、俺は空恐ろしいものさえ感じていた。
結局俺は、この時の女性のことを「説明書通りに操作すれば思い通りになるなにか」としか思っておらず、人間扱いしていなかったんだと思う。
人間扱いしていないものから愛情を受け取っても、自分の飢餓感はさっぱり満たされなかった。
これで満たされるのは「俺には彼女がいる」という自尊心だけで、そのちっぽけな自尊心のために相手の人生を奪ってはいけないという最後の良心が働いた結果、
彼女を振った。
人でなしだと自分でも思う。ひどいことをしたのは分かっている。
しかし、どうしようもなく満たされなかったのだ。
「自分が愛されていない」という、生まれたときからずっとあったコンプレックスが、あの子が自分に愛情を向けていることを理解したときに氷解してくれればよかったのに、
「でもこいつは俺の恋愛工学にあっさりひっかかって騙されてる女だ」「この子が向けてる愛情は俺の詐術によるものだ」と思ってしまったために、あらゆることがうまく行かなかった。
あれから3年経つ。あれ以来彼女はいない。作ろうとしたこともない。
「本当の純愛なんてものはない!ロマンチストほどモテない!ブスでもいいから彼女を一度作れ!」
色んな本で何度も見たフレーズだ。
まあでも、確かにあの本には、彼女ができたら幸せになれるとは言ってなかったかもしれないな。だから著者を責めるわけにもいかない。
14歳から20歳まで、一人の女の子に胸が焦がれるほどに恋をした10代の自分のことを思い出す。
ちょっと話しかけられるだけでその日目に映るすべてが虹色に見えた。笑いかけてくれただけで、辛いことをすべて忘れられた。
こちらから話しかけるときは自分でもわかるくらい心臓がバクバク言った。
恋愛工学に手を出して、人を人とも思わないふるまいをして、一人の女性を傷つけてしまった自分の罪は分かっている。
だけど許されるなら、もう一度あの時のように、心の底から誰かに恋してみたい。
・・・・そうなったとして、それで幸せになれるかはわからないけれど。
(追記)
ごめん、初めて反応貰ったからどう言及していいかわからないのだけど、ここに追記という形でも大丈夫だろうか。
それが怖くなった理由。相手が当時30前半位で、子供を作れるタイムリミットみたいな話を出してきたから、ものすごく怖くなった。
自分の無責任さが一番浮き彫りになる部分だったから言及を避けていた、申し訳ない。
沢山の反響を貰って驚いた。いろんな方向に気持ちが動いて、でもなんか、うれしかった。
この話は周りに殆ど相談したことがなかったから、客観的に見た自分の状況がわからずにいたし、自分が自分の殻に引きこもってたことを自覚した。
また恋愛をするかとかはわからない。そもそも今はコロナのこともあって人と出会う場が限られてるからな…
あと俺、2年前までは会社員だったけど今フリーランスになってて、得意なことをバリバリやれて暮らしてるのは楽しいけど、恋愛市場的な意味での価値は落ちてそう。とか、後ろ向きになる部分もあるけど。
でも、一種自罰的を通り越して自堕落に「どうせ俺なんか」ってなってた部分を、これからちょっとずつ直していこうかと思う。適当になってた食生活とか、諸々。
自己肯定感の低さが原因では、といった話もなんとなく腑に落ちた。
>女子側にも色々テクニックはある。こりゃ引っ掛かるわ〜と思えるんだったら引っ掛かる女の子を軽蔑することも無くなるかも。
頂いたこの意見とか目から鱗だった。それは今の俺にとってすごくいい処方箋になると思う。
どうしても、言葉にするとおかしな感じになってしまうけど…今までよりも自分で自分のことを大切にしようと思えた。
皆ありがとう。
僕は関東圏に住んでいるものの、まったく東京に縁がなく、興味もなかった。しかし、都内の大学に進学し、東京のいろんな名所が気になるようになった。
その名所の一つがラーメン二郎だった。ラーメン二郎といえば、コールと呼ばれる独特な注文方法や極端に量が多いことで有名だ。しかし、僕はどちらかというと、ラーメンの味そのものに興味がわいた。太麺と分厚いチャーシュー、そして大量のニンニクが乗ったどんぶりにはスープが少し垂れている。見るからにジャンキーなあのラーメンは、どんな味がするのだろう。某掲示板などでは「豚の餌」と言われることもあるけど、本当に「豚の餌」なのか確かめたくなった。
さて、先日都内に用事ができたので、ついでにラーメン二郎に行くことにした。目的の店舗は三田本店。定期区間外の電車賃をケチるために新橋で下車し、東京タワーに寄り道してから三田本店に向かった。約2kmの散歩で、腹の具合は準備万端である。
午後2時近い時間にもかかわらず、7人ほどの行列ができていた。ラーメン二郎初心者のために書かれたネット記事を復習しながら待つ。前の人がひとりずつ食券を買っているので、それに合わせて食券を買った。もちろん、初めてなので注文するのは「小ラーメン」。麺の量は半分にしてもらうことにした。
店内の雰囲気は、イメージしていたよりも柔らかかった。吉野家のコピペのような殺伐とした店だと思いこんでいたが、なんてことはない、忙しい人気のラーメン屋という感じだった。創業者の山田拓美氏らしき人物と、二人の店員さんがせっせとラーメンを作っている。もちろん、中には殺伐とした店舗もあるのかもしれないけれど。また、「コール」が上手くできるか不安だったが、「ニンニク入れますか?」「お願いします。」でサラッと通じた。
小ラーメン(麺半分)(ニンニク有)が出てきた。ゴワゴワした太麺は噛みごたえがあって、すごく好みだった。スープは少ししょっぱすぎる感じがしたが、極端に脂っこい感じはしなかった。友達は「二郎は家系ラーメンをもっとジャンキーにした感じ」と言っていたけど、個人的には家系の方がジャンキーな味だと思った。二郎も味は濃いし、アッサリヘルシーの対局にあるような味だけど、家系の方が油っこくコッテリしている分、こちらの方がジャンキーだと思った。
ヤサイはそれ自体の味が薄いけれど、スープに絡めると丁度いい塩梅になって意外とうまい。ブタと呼ばれるチャーシューは少し硬かったが、食べごたえがあってこちらもなかなかだ。
ヤサイとブタをつまみながら、黙々と麺をすする。ヤサイの下にある麺をたぐって、すする。ぱっと見た感じでは、麺半分ということもあって思ったよりも麺は少ないらしい。序盤から中盤に差し掛かるまでは、そう思っていた。
何かがおかしいことに気づいたのは、ヤサイの2/3とブタ半分を食べ終わった時だった。この時点で麺はもう少ししかないはずなのに、どんぶりの底からいくらでも麺が湧いて出てくるのだった。
誤算だった。大量のヤサイに目を奪われ、その下に隠された麺の多さに全く気づかなかった。たとえ麺の量が半分だったとしても、二郎は二郎だったのだ。
それから、僕と小ラーメン(麺半分)(ニンニク有)との闘いが始まった。
いや、小ラーメン(麺半分)(ニンニク有)が僕の目の前に現れたときから、闘いはとっくに始まっていて、ついにこの瞬間、それに気がついたのだ。闘いが始まっていること、そして相手は手堅く策を打っていたことに、僕は全く気づかなかった。数分前の自分を甘さを心底恨んだ。
わずかに残ったヤサイと麺をかきこみ、ブタにかじりついた。僕は、食べ残しという二郎最大の罪(ギルティというらしい)を背負えるほど神経が太くない。多少気持ち悪く感じながらも、必死で眼の前の丼に向き合った。終盤では水で口のものを無理やり流し込み、なんとか食べきることができた。あと一口か二口多かったら食べきれなかったと思う。
店を出た時、大体どんなもんか分かったし、もう二度と来なくていいやと思った。確かに旨かったけれども、目から鱗が出るほどのものではなかった。そもそも、なぜラーメンを食べるのにあそこまで神経をすり減らし、全身全霊で丼に向かわなければならないのか。ただ、ラーメンを食べるだけなのに。
しかし、これを書いている今は、もう一度行ってみたいと思っている。喉元すぎれば何とやら、とは当にこのことかもしれない。
ただ、次回行くときは麺を1/3にしてもらう事を忘れないようにしたい。
※新宿から歩いたという記述がありましたが、正しくは新橋からです。訂正させていただくとともに、おかしい表現があったことをお詫びいたします。(2021/2/5 22:44)
ある日のこと。夫と2歳前の息子と出かけて帰ってきたときのことである。ジャンパーを脱ぎ手を洗って部屋に暖房をつけて、息子はすぐお気に入りのトミカで遊び始めた。私も横に座り一緒に遊ぶ。
するとそれを見た夫が言った。
「息子さん、上脱がないと寒くなっちゃうよ」
なに言ってんの?と思った。
なんで上着脱ぐと寒くなるの、逆じゃん。ははーん、夫は言い間違えをしたのだ。
「(暖房を入れたから)上着脱がないと暑くなっちゃうよ」と言いたいところを、きっと「寒くなっちゃうよ」と言い間違えたんだろう。
だから「暑くなっちゃうよ、でしょ」と笑いながら答えたら「いや寒くなるでしょ」と一蹴。
どういうことだよと夫の方を見たら、怪訝な顔した私に向かって怪訝な顔をし返して説明してくれた。
「上着着たままの温度に慣れたら、脱いだ時寒く感じちゃうでしょう。だから家入ったらすぐ上着脱がないと」
目から鱗がぽろぽろ落ちた。
我が実家では誰もそんなこと言わなかった。
はぇ〜と思わず唸った。
約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。
今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。
俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。
俺には少し年の離れた兄がいた。
その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。
両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。
それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、
自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。
でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、
人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。
自分は勉強も運動もできる、天才で特別な人間である、勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は
人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。
当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、
今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。
吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性の身体的なアドバンテージや、
大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。
勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルをキープし、そこそこの大学に入れた。
テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的なタイプだったし、
志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。
ハンカチ王子やまーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。
運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。
兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。
ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。
俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。
大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。
高校までの自分の理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。
学校の勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。
大学の勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。
そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。
交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。
そのうちに、ストリートアートの才能がある人物と出会って、イベントをやる事になった。
結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。
実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。
あげく、彼とはイベントの打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。
絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、
自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。
同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。
彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。
二十歳を過ぎてからは六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。
知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。
そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランクの人達は馬鹿にしてた。
でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。
今日〇〇の社長とキャバクラだから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。
その人達ですら、自分で事業を作り上げて必死に改善して、本来は尊敬すべき人だった。
あまりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローンで借金してインドで1ヶ月ワーホリした。
俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。
一浪した就活では、人材系大手のRから内定を得ることができた。
面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。
今思えば入社前のこのタイミングが軌道修正する最後のタイミングだったように思う。
入社したRでは、退社した人材が起業したり有名企業の要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。
自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。
そもそも自分の理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりにもつまらなかった。
転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。
当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。
そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから。職種も全然違うし。
同期たちは努力やホスピタリティーやら自分の長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。
今まで努力や反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。
自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、
何の成長性もなく、ただただ自分の現実と向き合ってないだけだった。
みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、
自分の限界に挑戦しないから自分の能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。
周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない
より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。
アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事でとあるクリエイターに出会った。
大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。
その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才のノブレス・オブリージュみたいだなと思った。
高IQゆえの他者・社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才の証明だったのだ。
天才は友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間だから。
自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。
話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆の人生だった。
自分はコミュ力と友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。
意を決して、精神科を訪ね、IQの検査を受けた。IQ120弱くらいだった。
天才とメンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。
天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。
だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。
天才だ特別だと言い張っていたのに、そうでない人生を今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。
IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。
検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。
本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、
何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。
幸い、人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが非常に低かった。
同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、
それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。
本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。
勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。
特別な人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者を馬鹿にし、虚構の優越感に浸り、
生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。
あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。
元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。
余裕の無さが更に成功を遠ざける。
うまくいくはずが無かった。
どんどん追い詰められていった。
兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミングの勉強をして実力をつけていた。
いくつかの現場を経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。
子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。
兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。
でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。
求職者が企業と面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。
人材業界のビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。
既存の人材紹介業は、求職者が入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。
年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。
求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。
人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが低いというのは、それが由縁だ。
中小企業や、スタートアップ・ベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。
加えて、エージェントはとにかく求職者が入社すれば高額な手数料が得られるので、
「求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要な人材か」を無視して、
「内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。
つまり、エージェントが売上を追求すると、求職者・企業の利益を損なうケースが出てくるのだ。
3万円もらえるという転職サービスでは、企業は面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。
企業がエージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。
これは、既存の転職市場・人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。
このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。
転職市場・人材業界のパイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊的イノベーション。
最初は思わずネガキャンした。悔しかったから。でもどうしようもなく憧れた。
どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。
自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。
仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブな感情が無限ループしている。
一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。
それでも、特別な人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、
という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。
ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。
自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする。
このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・」
という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。
ロックダウンに備えて色々買い出しへ行っている間に、思っていた以上のコメントを頂けてびっくり&嬉しい限り。
本当は人気ランキングに載っている方がされているように引用しつつ返事を書きたかったのだけど、
「はてな記法…???」というずぶの素人+はてなのヘルプを開いてすぐ理解するのを諦めてしまったので、追記という形で御礼を言わせてください。
皆さん色々アドバイス・分析ありがとうございました。原因として考えられるものを大別すると4つかなあ、と。
・やはりコロナ禍に外出したのが思慮不足だった
・SNSの使い方が悪かった
・そもそもコロナ以外のことが原因(友人自身が疲れている or 自分の別の部分が嫌いになった)
まずSNSについては、後出しになってしまうのだけど、元々自分にインスタやるように勧めてくれたのはこの友人で、「海外の様子を増田を通じて色々見たい!」って言ってくれてたんだよね。
加えて、友人は海外ドラマ好きで、フランスが舞台になっている映画やドラマを見ては、「増田がもしここ行く機会があれば写真送ってほしい」旨もロックダウン前には何度か言われていたから、なるべく積極的に使うようにしてたんだ。ただ、その言葉を額面通りにそのまま受け取ってしまった自分は考えなしだったと思う。ちなみに、友人の体調面は、憶測の域を出ないけど、インスタを見る限りでは楽しい日常を送っているみたいだから、この可能性は低そう。
一方で、別要因で普通に嫌いになっただけ、というのは目から鱗、というかその考えに至らなかった自分の傲慢さがとても恥ずかしい。頂いたコメントの中にも、海外駐在員に対してあまりいい印象を持っていない方のご意見がちらほらあり、こういう自分の無神経さが積み重なって距離を置かれてるのでは、と悲しいけれど個人的には一番納得した。会って話せば「いや、それは違うだろ!」とか「うざい!」って冗談交じりで文句も言えるだろうけど、インターネット上のやり取りではここが可視化しにくくて、もやもやするよね。「こっちでは~」って良かれと思って情報共有しちゃったこともあったと思うな。当時の自分を殴りたい。
あと、嫉妬の感情は誰もが持っているだろうけど、自分と友人とは考え方が180度違う事も多くて、その価値観を共有出来なくてもお互いに理解・尊重は出来るというのをベースにやれていたので、同様に嫉妬を超えた関係を構築出来ていると思っていたんだ。でも、コメントを読んで、とにかく距離感を近くしすぎてしまっていたこと、友人に多々甘えていた部分が原因の本質じゃないか、と深く反省したよ。本当に皆ありがとう。
解決策のアドバイスで一番多かった「直接聞いたら?」はおっしゃる通りで、聞かなきゃ始まんないよね。そして、聞いても本当のことを教えてくれるかもわからないもんね。どこかでこの邪推が杞憂に終わればいいな、とまだ未練がましく思いながら、このままフェードアウトは寂しすぎるので、頑張って連絡取ってみるようにします。もし年末一時帰国出来るようなら、地元が一緒なので2週間の隔離を経た上で、会いに行くのを打診しようかなあとか考えてる。(神奈川は東京ほど、感染者数多くないよね…?)ちなみにその時のBGMはDaft punkではなく山崎まさよしのone more time one more chance の方を思い出してしまった。男同士だけど、気分は失恋に似たものがあるので…w
最後に同じように海外駐在されている方、見てくれてありがとう。私の例を反面教師に、友人や好きな人との関係を何よりも大事にしてほしい。隣国にいらっしゃる方は南?北?東どちらだろう?南はこの問題になったバケーションで行った国だけど、皆マスクつけてて偉いな、と思ったよ。フランスはコメントにもあった通り、ロックダウン開始なのになかなか浸透しないよね。どこの国も大なり小なり大変な時期だと思うけど、なんとかこの冬を乗り越えて春には何も考えず皆で笑えているといいな。日本にいる皆も、くれぐれもご自愛ください。それでは良い週末を!
近所にはものすごいおうちがいっぱいある。普通の家とすごい家が通りによっていろいろ建ってて、自分の家は新興住宅地にありそうな普通の一戸建て。
立派な庭園の家は多くて、バスケットゴールとか置いてあるのは全然普通で、中には長く続く高い門がすごすぎて家が全く見えない家とか、何部屋あるのか外からじゃ皆目見当もつかない家とかある。
ただ、近所付き合いのあっさりした地域なので町内会でも細かく分かれた同じ班の限られた人にしか会ったことない。
でも今回バチェロレッテ見てて
この家々の持ち主は必ずしもここにだけに住んでるんじゃなくて「神戸のおうち」「仙台のおうち」という感じで複数の家を持っているのかもしれないのか!と初めて合致して、目から鱗。いやー庶民には思い至らなかった。別荘地ではないから、そういう考えなかったわー。
都内に何個かおうちある家庭とか避暑地に別荘を1つ持つ家庭とかなら確かに出会ったことあるし、多拠点生活もわかるんだけど、近所の豪邸と繋げて考えたことなかった。生活拠点が大きな規模でいくつも存在するとか世の中には考えもつかない生活の仕方があるんだなぁ。
いや本当にそうかはわかんないんだけどね。
いわゆる2Eってやつ。
多分普通級になる。
来年度は、手のかかる子が多く入ってくる予定らしく、
まぁ、その代わりというわけではないけど、この一年、しつこいくらいに見学はさせてもらう約束をした。
公立だけど、「小学校は来れたら満点なんですよ」というところらしく、
本当に行くたびに、めっちゃほめてくれるので、本人は小学校への恐怖感が大分薄れてきている。
それはとてもありがたい。
「苦手なこともあるでしょうけど、得意なことに着目して伸ばしていきましょう!
せっかくの才能をつぶしては勿体ないです!」ってやつ。
聞くたびにすごく不安になる。
具体的に何をするつもりなんだろう?
他の小学校だけど、1個上の学年の子が、算数の時間にずっとサポートの先生とお絵描きしてて、
静かに着席できていましたって報告が来るよって話を聞くと、
それはうちの子には悪手だ!て血の気が引く。
まだ半年もあるけど、すごい勢いで要望書とか作った方が良いのかな。
たしかにIQは高い子だけど、図鑑の動物を「一度見たし」で書き出す子だけど、
板書とか長時間着席は絶対にできないから、どうやってお願いしたらいいんだろう。
授業の内容については全く心配してない。
授業の参加が出来るかを心配している。
本人も親も、究極的に望むのは穏やかな学校生活で、
本人の生活の助けになるなら、才能を伸ばしてほしいと思ってますって。
書いても、「そんなん分かってますよ!」って教育のプロには言われてしまうかな。
やっぱり要点だけ書いた方が、先生は行動が制限されなくて楽なのかな。
□追記□
自分のこういう振る舞いが、傍からどう見えるか良く分かったし、
親と先生の前で態度が違うというところに、そういえばそうだった!と思い出しました。
家では絵にかいたようなジャイアンだけど、幼稚園ではパニックを起こした時以外は、
そこそこ馴染んでいるという話なので、そう言うところなのでしょう。
とても心強かったです。
小学校の均一さになじませなくてはと、焦っていましたが、
変な子なら出来そう、と肩の荷が軽くなった気分です。
子供が本を読んでいる時間、ずっと教頭先生が付き添ってくださっているので、
その時に深刻にならないように少しずつお話しできればと思います。
考えたら、それだけしてくださっているのだから、先生方を信じても良いのですね。
子供の先生がそうだとは限らないのだと、ようやく理解しました。
今できることは全てやってみて、先生方と良い形を探していけたらと思います。
今回、目から鱗が山ほど落ちました。
ここに書いてよかった。本当にありがとう。