はてなキーワード: 男性自身とは
その増田に男性が反論しないのは、男性がことばを「奪われてる」(=被害者だ)って証明にはなるが、何で男性自身が言葉を「奪ってる」(=加害者だ)って証明になるの?
anond:20220414230131 にも同じことを聞くが。
https://anond.hatelabo.jp/20220413111033
『独身非モテ男性にとって選挙の争点ってマジでエロ漫画規制くらいしかなくない?』には怒らず
『男性から「ことば」を奪っているのは男性自身ではないか』には怒る
「男性差別」論者なんて
そりゃあ好き好んでその立場にいて永遠に救われるつもりなんてないしそれで満足なんだろ?としか言いようがない
このブログの事ね:
>https://amamako.hateblo.jp/entry/2022/04/14/064715
お前みたいな「男性差別は男性側に問題があるんだ!」的な事をいう奴が、
「そうだ、男性が悪い!」って賛同する馬鹿(ブコメに例が沢山)が男性を揶揄するから男性は黙らざるを得なくなるだろ。
第一、お前のいってんのは「差別の原因は差別される側にある」って言ったも同然だろ?
>男性の自殺率の高さは(中略)、一義的には「本人のこころの問題」です。誰かが明白に「おまえは自殺しろ」というわけでもない
ああ、直接は言わないな。「あの人、(男性のくせに)無職なんだって、ヒソヒソ」とか言って追い詰めるだけで。
お前がこの手の無自覚な差別主義者の一員だから、自殺の原因がわからないだけだろ。
それともこの手の事を言って男性を追い詰めるのは男性だけで、女性は言わないとでも思ってんの?
>このような議論を「『お気持ち』は議論に値するものではない」として揶揄してきたのは、他ならぬ男性自身
あー、やっぱり男性を追い詰めるのは男性だけだと思ってんのね。証拠は?
元の記事(http://s-scrap.com/7509)は男女両方がジェンダーロールを押し付けて男女両方が苦しんでるって趣旨だっただろ。
なのにお前は男性だけが男性にジェンダーロールを押し付けてると思うんだ。へー。
あと、まさにおまえが今現在進行系でやってるのが、「お気持ちを否定」だよな。
せっかく「男性から「ことば」を奪ってる」って声を上げてくれた人が出たのに、それを否定してんだから。
>僕も一応男性
ごめん。俺が悪かった。
確かに男性の「ことば」を奪ったのは男性(=このブログの著者)だったわ。
追記:
このブログの著者が言いたいのが「男性も言葉を持て」なのは分かってる。だがそれを「ことばを持てない原因が男性側にある」って言った瞬間に被害者叩き&さらにことばを奪う原因になるだろって話。
男女逆にして「女性差別は女性自身がことばを自己検閲するのが原因」って書いたら意図はどうあれ明確な差別発言だってわかるだろ?
追記2:
私がここまでハッキリ「苦しかろうが何だろうが男性の自己責任にされる差別が辛い、差別に声を上げても被害者叩きで自己責任扱いされて辛い、そのせいで男性自殺率が高くなるほど辛い」って趣旨の事書いてんのに「いいからさっさと男性の辛さを語れよ」って言ってるコメ何なの?
> はてぶが「弱者男性」を実在しているかのように語っているのが謎
https://anond.hatelabo.jp/20220319181840
トイアンナ氏が語った言説がよかったので、議論の下敷きとして、リンクを貼る。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83163?
ざっくりいうと、男性自身も家父長制度の枠組みの中で求められる役割を達成できないことが、自虐だったり自信のなさ、社会での居場所のなさの原因であり、弱者男性のあり方もフェミニズムが解決すべき課題のひとつだと認識している。
異存はない。ただし、この論説の通りに社会が動いたとしても、今の弱者男性が救われるかどうかは別物だというところが問題として残ってしまう。
弱者男性の問題の原因を紐解いた時に、自己責任論で片付けれる問題はほぼない。社会のせいだ!〇〇のせいだ!と言いたい気持ちの方がよく分かる。努力できることも才能だと思うし、むしろ努力すれば報われる環境があったとは到底思えない。昭和の頃は何をやっても成功体験に結びついていたような時代とは全く違うのだから。
弱者男性が存在する理由は、まず100%本人に責任はない。というところからスタートしなければ、彼らを私達の分身として包摂することはできない。私達が私達として、存在している理由になんらかの責任はない。
彼らは私がそうなり得た一つの答えであり、さまざまな成長過程を経てたどり着いてしまった、もうひとりの自分なのである。お互いにそのことを理解できない限り、社会問題の解決にはつながらない。認識しておかなければならない最初の立ち位置だと思う。
トイアンナ氏の提案は未来に向けた一つの提言だと思うし、都市部では歓迎されるだろう言説だと思う。ただそれで生きづらい人の方が多く出るだろう、今の日本で理想主義を体現しながら生活できるのは、ごく一部の恵まれた人だけである。ただし、そのモデルが広まっていけば、数十年をかけて世の中が変わっていく可能性は十分にあるだろう。この30年で町中に痰が落ちてない世の中に変わったように。
ただ、団塊ジュニア世代を見殺しにして新しい世界に進むという未来でもあるし、そうなるしかない諦念も強い。
自分は団塊ジュニア世代の一回り下だが、団塊ジュニアのいとこらやその友人もいて、その苦労をけっこう見聞きしている。
収入は少ないが、人柄が悪いわけでも、能力がないわけでもない。ただ時代が悪かったとしか言えないし、そのせいでいろいろな経験が省かれているようにも見えたりする。
弱者男性問題が世代間対立の問題として見られやすいのは、上記のとおり団塊ジュニア世代が受けた社会情勢に影響された、努力と収入(社会的地位)のミスマッチの結果なのだろうと思っている。(資料なし)
少子化問題・年金問題・所得低下・国力低下・世代間対立・ナショナリズムの台頭、これらはすべて弱者男性に関連するテーマではある。国家運営という目線に立って一つづつ解決を目指さないと、日本が
ただ、男性弱者の問題に関して、この視点は一切いらない。これまでの結果がすべて社会のせいだったとしても、弱者男性はこれからどうすれば幸せになれるのだろうか?
その一点に絞るべきだろう。社会が成長すれば全ては解決するのは正しい、ただ十年で解決できる問題ではない。アベノミクスで盛り上がったのに、収入は増えなかった。十年でも解決出来なかった。それが事実だ。
男性の生涯未婚率は、このままいけば20%は超えるだろう。1000万人の団塊ジュニア世代の200万人が結婚しないという計算になる。
https://nayami-sodan.net/dokushin-mikon-ritsu-20-30-40-50/
KKOの母集団を200万人と置いた時(もちろん母集団には、金が有るけど結婚しない人も、KKだけど楽しんで生活している人もいる。)
見つめるべきは、200万人が幸せになれそうな未来を描くための、即効性のある解決策はすでにない。という残念な事実しか残っていない。
社会がなんとかしてくれる・景気が良くなれば雇用が増えて、とかいうレベルで自然と解決することも、諦めるしかない。
200万人分が、家族を養えるだけの高収入な仕事につくウルトラCな法案があるか?社会運動が作れるか?できねーよ。
ただ、考えてみてほしい。日本が戦後あれだけの惨禍から復活したのは、日本政府がすごかったからか?それとも、民間企業が頑張ったからか?どちらも違うだろう。
民間企業ですらなかった人も含めて、個々人がそれぞれレベルでなんとかしようとした人がたくさん居たからだと思っている。
もう一つは、戦争でたくさんの人が亡くなり、既存の仕組みにスキマがたくさんできたからなのだと思う。
これから色んな所に、社会のほころびが出てくる。町内会が動かなかったり、
これから増えていく社会のスキマを埋める人がいれば、必ず重宝される。その懐の深さは、社会の多様性さが生み出すのだろう。まだそれだけの懐の深さは日本社会も持っていると思っている。
人間なんて、だいたい腐ってるんだから、8割腐ってるなら、残りの2割のまともなところでうまいこと行くようにやろうぜ。
◯ーチンだって、まともそうな顔して、あんなことしちゃうんだから。
あれに比べたら弱者男性の言説ぐらい、読める文章を書いてるだけ凄いじゃん。
分断ではなく、共感を。
支援ではなく、協力を。
ちゃんと生きてたら、おはようございます。って声かける。それが社会的包摂じゃないの。
そういう日常の繰り返しをちゃんとすることでしか、救いはないんじゃないか。と思ったり、思わなかったり。
まぁ都会に住んでたら難しいっていう気持ちはめっちゃ分かる。人間扱いされないし。だから田舎もいいよ。珍獣扱いされるけど。上京2世だったら、帰郷するのも一つの手だというのをオススメしたい。偏見のある田舎もあるけど、結構悪くない所も多い。もちろんIターンも。リスクもあるけど、人間というだけで歓迎されるところも多い。ってか地方だとそういう社会的包摂を意識した活動を知ている人は、ちゃんといるし、地方にいるとそういう人ほど目立つから情報も見つけやすかったりする。大学時代の友人が「だれでも来れる畑」というのをやり始めて、交流の場としてまずまずうまく行ってるらしい。人手さえあれば、何かしらの生産活動ができるのが地方の良いところ。
と書いていて、お前はどうなんだと聞かれたら、KKOだけど楽しく暮らしている友人のFBにいいね!するぐらいしか出来ないし。
一軒家の向かいに住んでるひきこもりのにいちゃんにちゃんと挨拶して、なんかあったらちゃんと声掛けようと心積もりをしておく。ぐらいしか出来ないのだが。
> はてぶが「弱者男性」を実在しているかのように語っているのが謎
https://anond.hatelabo.jp/20220319181840
トイアンナ氏が語った言説がよかったので、議論の下敷きとして、リンクを貼る。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83163?
ざっくりいうと、男性自身も家父長制度の枠組みの中で求められる役割を達成できないことが、自虐だったり自信のなさ、社会での居場所のなさの原因であり、弱者男性のあり方もフェミニズムが解決すべき課題のひとつだと認識している。
異存はない。ただし、この論説の通りに社会が動いたとしても、今の弱者男性が救われるかどうかは別物だというところが問題として残ってしまう。
弱者男性の問題の原因を紐解いた時に、自己責任論で片付けれる問題はほぼない。社会のせいだ!〇〇のせいだ!と言いたい気持ちの方がよく分かる。努力できることも才能だと思うし、むしろ努力すれば報われる環境があったとは到底思えない。昭和の頃は何をやっても成功体験に結びついていたような時代とは全く違うのだから。
弱者男性が存在する理由は、まず100%本人に責任はない。というところからスタートしなければ、彼らを私達の分身として包摂することはできない。私達が私達として、存在している理由になんらかの責任はない。
彼らは私がそうなり得た一つの答えであり、さまざまな成長過程を経てたどり着いてしまった、もうひとりの自分なのである。お互いにそのことを理解できない限り、社会問題の解決にはつながらない。認識しておかなければならない最初の立ち位置だと思う。
トイアンナ氏の提案は未来に向けた一つの提言だと思うし、都市部では歓迎されるだろう言説だと思う。ただそれで生きづらい人の方が多く出るだろう、今の日本で理想主義を体現しながら生活できるのは、ごく一部の恵まれた人だけである。ただし、そのモデルが広まっていけば、数十年をかけて世の中が変わっていく可能性は十分にあるだろう。この30年で町中に痰が落ちてない世の中に変わったように。
ただ、団塊ジュニア世代を見殺しにして新しい世界に進むという未来でもあるし、そうなるしかない諦念も強い。
自分は団塊ジュニア世代の一回り下だが、団塊ジュニアのいとこらやその友人もいて、その苦労をけっこう見聞きしている。
収入は少ないが、人柄が悪いわけでも、能力がないわけでもない。ただ時代が悪かったとしか言えないし、そのせいでいろいろな経験が省かれているようにも見えたりする。
弱者男性問題が世代間対立の問題として見られやすいのは、上記のとおり団塊ジュニア世代が受けた社会情勢に影響された、努力と収入(社会的地位)のミスマッチの結果なのだろうと思っている。(資料なし)
少子化問題・年金問題・所得低下・国力低下・世代間対立・ナショナリズムの台頭、これらはすべて弱者男性に関連するテーマではある。国家運営という目線に立って一つづつ解決を目指さないと、日本が
ただ、男性弱者の問題に関して、この視点は一切いらない。これまでの結果がすべて社会のせいだったとしても、弱者男性はこれからどうすれば幸せになれるのだろうか?
その一点に絞るべきだろう。社会が成長すれば全ては解決するのは正しい、ただ十年で解決できる問題ではない。アベノミクスで盛り上がったのに、収入は増えなかった。十年でも解決出来なかった。それが事実だ。
男性の生涯未婚率は、このままいけば20%は超えるだろう。1000万人の団塊ジュニア世代の200万人が結婚しないという計算になる。
https://nayami-sodan.net/dokushin-mikon-ritsu-20-30-40-50/
KKOの母集団を200万人と置いた時(もちろん母集団には、金が有るけど結婚しない人も、KKだけど楽しんで生活している人もいる。)
見つめるべきは、200万人が幸せになれそうな未来を描くための、即効性のある解決策はすでにない。という残念な事実しか残っていない。
社会がなんとかしてくれる・景気が良くなれば雇用が増えて、とかいうレベルで自然と解決することも、諦めるしかない。
200万人分が、家族を養えるだけの高収入な仕事につくウルトラCな法案があるか?社会運動が作れるか?できねーよ。
ただ、考えてみてほしい。日本が戦後あれだけの惨禍から復活したのは、日本政府がすごかったからか?それとも、民間企業が頑張ったからか?どちらも違うだろう。
民間企業ですらなかった人も含めて、個々人がそれぞれレベルでなんとかしようとした人がたくさん居たからだと思っている。
もう一つは、戦争でたくさんの人が亡くなり、既存の仕組みにスキマがたくさんできたからなのだと思う。
これから色んな所に、社会のほころびが出てくる。町内会が動かなかったり、
これから増えていく社会のスキマを埋める人がいれば、必ず重宝される。その懐の深さは、社会の多様性さが生み出すのだろう。まだそれだけの懐の深さは日本社会も持っていると思っている。
人間なんて、だいたい腐ってるんだから、8割腐ってるなら、残りの2割のまともなところでうまいこと行くようにやろうぜ。
◯ーチンだって、まともそうな顔して、あんなことしちゃうんだから。
あれに比べたら弱者男性の言説ぐらい、読める文章を書いてるだけ凄いじゃん。
分断ではなく、共感を。
支援ではなく、協力を。
ちゃんと生きてたら、おはようございます。って声かける。それが社会的包摂じゃないの。
そういう日常の繰り返しをちゃんとすることでしか、救いはないんじゃないか。と思ったり、思わなかったり。
まぁ都会に住んでたら難しいっていう気持ちはめっちゃ分かる。人間扱いされないし。だから田舎もいいよ。珍獣扱いされるけど。上京2世だったら、帰郷するのも一つの手だというのをオススメしたい。偏見のある田舎もあるけど、結構悪くない所も多い。もちろんIターンも。リスクもあるけど、人間というだけで歓迎されるところも多い。ってか地方だとそういう社会的包摂を意識した活動を知ている人は、ちゃんといるし、地方にいるとそういう人ほど目立つから情報も見つけやすかったりする。大学時代の友人が「だれでも来れる畑」というのをやり始めて、交流の場としてまずまずうまく行ってるらしい。人手さえあれば、何かしらの生産活動ができるのが地方の良いところ。
と書いていて、お前はどうなんだと聞かれたら、KKOだけど楽しく暮らしている友人のFBにいいね!するぐらいしか出来ないし。
一軒家の向かいに住んでるひきこもりのにいちゃんにちゃんと挨拶して、なんかあったらちゃんと声掛けようと心積もりをしておく。ぐらいしか出来ないのだが。
これまでAVを一万本以上は見てきたと思う。
成人を跨いだ男性には珍しいことじゃないと思うが、これまでの人生で多分一万本から十万本の間くらいは、AVを、つまりはアダルトビデオを見てきたことと思う。
初めてAVに触れたのは高校生の時分で……などと書いていると些か気分が滅入ってくる。何故か惨めな気持ちになってくる。
ともかく、高校生の頃にいわゆるサンプル動画を見たのが最初だった。
何で俺はこんなことを話しているのかよく分からなくなってくる。ともかく、痩せてはいるものの張りのある肉体に男の身体が鈍くぶつかる。そこまで激しくぶつかっているわけではないが、肉と肉が強く優しくぶつかる音がして、女は声を上げるのではなく息を呑んでいた。今にして思えば中々質の良いサンプル動画だったようにも思う。
当時の高校生がアクセスできるような、つまりは大通りに面したネットの界隈に看板のように掲載されていたサンプル動画だったから、それなりに選り抜きだったのかもしれない。
ともかくも、それが俺のAVとの出会いであり、それ以降はそんな感じで動画を求めてネットを散策するようになった。
◇
つまり何を話したいのかと言うと、イマジナリー子宮の話である。
男には当たり前だけれど子宮は無い。だから、その存在ついて想像することはできても、実際の感覚として認識することは恐らく不可能である。
当たり前の話過ぎて何を言ってるんだと言われかねないだろうけれど、俺が言いたいのはAVの話であり、そこに子宮やら産道やらというものが大きく関わっているという話である。つまり、AV鑑賞をしている限りで、男は女性特有の器官について考えざるを得ないし、そこから逃れることはできないのである。
(いやそりゃAVに限らず現実の性的接触においても同じことが言えるだろう、と言われればその通りなのだが、俺は人生においてそこまでたくさん性的接触の機会を持つことが無かったので、どっちかと言うと俺の性的接触の本場は現実ではなくAVの中の仮想空間になってしまったのだ。)
AVをより楽しむ方法があるとすれば、それは女性の感覚について理解することだと思う。
要するに、AVを鑑賞している際に視覚的に認識できるのは棒の出入り以外の何物でもないわけで、その出入りを視覚的に認識するだけではつまらないのである。よりAVを楽しみたいのであれば、映像を通してまぐわっている人間の感覚を追体験し、両者の感覚をよりリアルに体感するべきなのだ。
無論、男優の感覚に関しては概ね追体験が可能である。性別という共通項が存在しているからだ。
俺は数千時間という時間を掛けて、AVをより楽しみ、より大きな快楽を得るべく、男女の感覚の追体験という作業に没頭していった。
◇
つまり、ある程度女性の認識や感覚を、少なくとも映像を通して認識できるようになったのである。
想像の中に存在する、女性特有の感覚を追体験し、想像するための仮想の女性器官。それがイマジナリー子宮だ。
そう、俺がAVを鑑賞する時には、常に女性の下腹部にはイマジナリー子宮が存在している。映像において直接現れているわけではないが、想像力によって成立したイマジナリー子宮が、女性の下腹部に存在させられている。
その際に生じる女性の感覚は、本来ならば男性に想像できるはずのないものである。
しかし、疑似的な追体験、近似値的な予想については不可能ではないと思う。少なくとも、俺は経験と想像の集積として存在している、イマジナリー子宮を通して、ある程度正確に女性の感覚を認識できるようになったと自負している。
無論それは疑似的な感覚に過ぎず、完全なトレースにはなっていないだろう。
とは言え、その精度が低いかというとそうでもない気がする。女性が何をすれば嫌がるのか、何をすれば愉しめるのか、それを、女性の視点に立って想像することは、時間さえ掛ければ決して不可能なことではないのである。イマジナリー子宮を生み出した今、改めてそう断言することができる。
女性の表情やその他の情報を参照することで、一体女性においてどんな感覚が走っているのかをある程度トレースすることはできるようになった。更には、空想上の、女性の体験を追体験的に理解しようとした結果、あくまで想像上の存在ではあるものの、俺の脳内には女性の中に存在しているであろうところの仮想の子宮が生み出されたのである。それを俺は数々の鑑賞体験を経ることで、生み出してしまったのであった。
(勿論、本来このようなトレース作業・想像作業は性行為を通じて行うべきなのだが、俺の場合は間違った方法において実践されてしまったのである。)
これを異常な作業だと思われるだろうか。
俺は決してこのような追体験や想像作業が異常な作業であるとは思わない。つまり、より性行為を理解し楽しみ、パートナーにも楽しんでもらうためには、パートナーの感覚の理解が欠かせないからである。
2月24日の昼間はそれでもちきりになった。
この文書が面白いのは信憑性ではない。むしろ、いま起きていることがちゃんと過不足なくそのまま表現されているという印象だ。
私は一般の人間でただウクライナ戦争に興味を持っただけだが、わたしの目から見たこの戦争のポイントを書き残してみたいと思った。
現在の諸国の指導者の中でも、プーチンはキャラがトップクラスに立っているほうだ。
ウラでは、プーチンという権力にとって邪魔な人間がバンバン消えている。
事実がどうということはおくとしても、明暗のコントラストというだけでもすごい。
しかし、対するウクライナのゼレンスキー大統領のキャラも、ぽっと出にしては立ちすぎている。
ゼレンスキーは、テレビドラマで大統領役をやって好評を博し、そのイメージのまま大統領選挙に出たら通ってしまったという経歴だ。
しかもそのコメディアンであったときの持ちネタのことも散々話題になっている。
そのうえで、大統領として首都キエフに残って戦い続けるという姿勢を堅持していることから支持率も爆上がりしているらしい。
そりゃあそうだろうな、という気分である。
いや、まったくキャラが立っている。
プーチンというデフェンディングチャンピオンと、挑戦者ゼレンスキーの戦いという観点からするととてもいい勝負だと言わざるを得ない。
もうその時点で目が離せない。
この対決で例えば普通の指導者を失脚させるという場合には、よく、スキャンダルのようなものを引っ張り出してきてどうにかするということがある。
プーチンはもう20年もトップにあるので、あらかたスキャンダルのようなものは出尽くしてしまっているし、そのうえで、余計なものは洗い出されて消されている。
対するゼレンスキーは、Twitterでも散々話題になっているが、そもそもが、テレビに出て壇上で男性自身でピアノを弾くという、ある意味ノーガード戦法フル・モンティ戦術で立っている。
これを見て、内心で楽しまないひとというのはやはり人間として「どうか?」と思う。
ロシアが他国に攻め込むということはもう言い古されたことだが重大すぎる意味を持っている。
議決で拒否権を行使すると他のどれだけの国が賛成していたとしても否決される。
国連安保理で意思表示をしましょう、という議決があって、200近い国のほぼ全部が賛成しても、たった1国、常任理事国がNOと言ったらNOなのだ。
それがロシアだ。
ロシアは常任理事国だから拒否権を行使するだろうとみんな思ったし実際にそうなった。
ただ、今回の戦争で、この仕組みにも、ちゃんとフェイルセーフがあることがわかって勉強になった。
つまり、緊急会合という、常任理事国の拒否権の及ばない形で、国連として意思表示ができる仕組みがあり、ちゃんとそれが発動したことは、よく考えられているなあと思った。
これはとても意味がある。
国連はロシアの行動を公式に戦争と認めたということにほかならない。
明治維新で言えば、菊の御紋、錦の御旗だ。
こうなれば本人がどれだけ「特殊軍事作戦だ」と言い張ろうと、戦争は戦争だ。
アメリカは第二次世界大戦のあと、何度も他国に軍を派遣しているが、朝鮮戦争以後の戦争でペイしたのは湾岸戦争である。
つまり、安保理が動かないことにはどんな国も動きたくないのである。
そういう、世界の安全保障に対して大きすぎる責任を負っている安保理常任理事国が、よもや侵略戦争をおっぱじめるなんて思いもしないことがおきたというわけだ。
侵略戦争というのはつまり、他の国の領土をぶんどろうということである。
日本の首相も「武力による現状の変更」と繰り返しているが、そういうことだ。
G7の会合で首相が、ロシアが核兵器を行使することをちらつかせることに対し、自分の地盤である広島を持ち出して、反対の意思を表明したのはなかなかいいなあと思った。
結局ウクライナの戦争というのはNATOの話なので、日本としては関係ないのだが、まあ、そういう形で「核兵器は許さん!」と息巻いてもふつうならドッチラケになる。でも、ホームタウンが広島ということになると意味が随分変わってくる。
だから議論がどう変わるかということは一切ないけれど、「ああ、このひとはそういう強いお気持ちがあるのね」というのは伝わるだろう。
ヨーロッパの軍事連合体のNATOはロシアの拡大の可能性に対して身構えるなか、一気に大きな動きがあった。
歴史からすれば「まさか」ということがいくつも積み上がってコピペまとめになっていっている。
いくつかあるが「ドイツが軍拡を表明するレベル」「スイスが中立を破って経済制裁に加わるレベル」というものだ。
ドイツが作った車を売る。
まわりの国はドイツに働きに行って車を作る。
ただ、その都度イキってしまって空気読めなくて調子乗って、それで戦争おっぱじめてボコボコにされるというパターンだった。
今回は満を持して、連合国側に入った。これがアツい。
背景となったことで重要なのはロシアが、SDGsという国連の枠組みを追い風にして、他の欧州諸国に対して自分たちの輸出するエネルギー・資源に依存するように仕向けていった流れがある。
グレタ・トゥーンベリなんかに対してプーチンはずいぶん肩を持っていた。
いまにしてみるとなるほどと理解できる。
SDGsから石炭を回避して、天然ガスにしたいという世界というか特にEU・欧州の流れを、資源大国であるロシアは歓迎していたのだ。
展開としてひときわ興味を引くのは、その超大国ロシアに攻め込まれた小国ウクライナが、意外にも持ちこたえてしまったことだった。
ウクライナを攻略せんと投入された戦車は、道路をなんと64キロも埋めつくしているという。
なんという数の大軍だろうか。
その戦車は、なにをしているかというと、1週間以上待機している。
なぜ道路しか通れないかといえば、ウクライナの平原は現在の時期、雪解けのために泥濘になってしまっている。
この泥濘はいかな戦車といえど突入するやいなや沈んでしまい、行動不能に陥る。
しかもそのタンクローリーは、ウクライナ軍に狙い撃ちされてあえなく喪失してしまった。
なんだよ、このコントみたいな展開は。
戦車だけでなく、投入された兵士たちも練度が浅く、すぐに戦線を離脱しているというウクライナ側の発表も続いている。
それを鵜呑みにするのではない。
アルファブロガーのfinalventは、この戦争の基軸を、クリミアとアゾフ海の保全だろうJK、とYoutubeで言っていた。
これは3週間経った時点でもいちおう一定の見通しとしてはまだ成立してはいる。
彼以外でも、ロシアの動きとしては(ウクライナの)「北では雑、南は緻密」という見方が広がっているようだ。
北が雑と言っても、もう流石に北も飽和してきている。
総攻撃まで時間の問題だろうというのはペンタゴンも言い始めている。
やはり露助の物量はすさまじいので、おおかたのひとが予想したように、ロシアは悪虐街道を爆走中である。
しかもその悪虐を全部ウクライナ側のやったことだと主張している。
どうやらマンションに地対空ミサイルが突っ込んだのはウクライナ側らしいとも言う。ただ、街の広場に巡航ミサイルが突っ込んだのはロシアのものだともいう。
大事なのは、そうした主張・発表の整合性を、政権の中枢や、大本営発表だけでなく、駐日大使あたりまで全部整合性を取るように徹底している。
もちろん、古来、大使・外交官という存在は、リモートかつオフラインの状態でありながらも、自国が駆動している根本の論理を考え詰めて、どんな状況を突きつけられても、その場で取り繕えるような論理の訓練をしているのだということは、例えば佐藤優が書いていたように思う。
もっとも佐藤優はこの事変のさなかで随分、親プーチン的な姿勢を批判されているが。
専門家としてTwitterでながく生息していたミリオタのひとが有識者としてメディアに出ずっぱりになっているのも面白い。
そのハンドルネームが「丸の内OL(27)」だったり「コスメ女子@美容垢」だったりしてネタになることも華を添えている。
いまは「人」だ。
ただ、彼を中心とした専門家たちも結局ほんとうにどうして起きたのか、何が起きているのか、これからどうなるのかということはわからないでいる。
わからないでいるのであれば何も考えなくていいいかといえば、そうではない。
事実として、現在進行系で、ひとは確実に死んでいるということがわかる。
これは重大である。
米国は、ロシアが侵攻するまでの意思決定をかなりの精度で把握した上で、それをおおっぴらにすることで、かえって侵攻を抑止しようとしたと言われている。
そういうわけで、わたし自身は、基本的に情勢を、ペンタゴンの分析を軸に見ていくのがいいと思っている。
ともあれ、現状では何もわからないままだ。
だから、開戦1週間はずっとこのウクライナの話題を追いかけてしまった。
しかし、1週間をすぎたあたりから、戦況が膠着から、どんどんウクライナ市民の被害が拡大していくなかで、冷静に恐怖が高まってきた。
どう考えても落ち目の国のロシアだが、資源と核を握り続けている分、他の国は手を出せない。
そういう、暗い、なんというか耐え難いビジョンを前に、正気を保つというのはそれ自体が困難な挑戦だ。
さて、笑い話ではないところとして、この事例は、顔貌がよく似たひとびととの実力行使のうらで生じうる破壊工作がどのように起きていくかという現在進行系の事例であることだ。
そうした、個々の情報がリアルタイムで出てくることに対して、どう反応するかということを自分で鍛える絶好の機会である、ということだ。
これは日本にとっても決して見逃してはいけない瞬間であると思う。
似た顔、似た容姿、深い断絶の関係から、潜入してくる存在にどう対処するかという格好の事例となるだろう。
特にSNS、つまりリアルタイムで情報端末に全世界のひとびとがつながっている状態で発生した戦争ということで、乱れ飛ぶナラティブが、ロシアもウクライナ側もすごい。
陰謀論はかまびすしい。
この二週間で、いろいろなプーチン擁護やウクライナ陰謀論が出てきた。
それがロシアから出てくるならわかるが、ぜんぜん関係ない日本のタレント評論家勢がそうしたことをタレ流しているらしいことが伝わってくる。
肩を持たないまでも、「両論併記」のようなことをいう。
本稿はどちらが正しいかを論じるわけではないけれども、私は西側主流派の見解をいちおう沿って考えているので、そうした見方を、両論併記まで含めて、ある程度の陰謀論として遇する。
ここで言いたいのは、陰謀論というのは、「認知的不協和の否認」として出現するのだなということがハッキリわかったということだ。
あと、歴史を除く人文の研究者らしきひとがTwitterとかにでてきて「いまこそ思想の研究が大事なんだ」と絶叫する例が流れてきたりした。
そりゃないだろ、と思う。
せいぜい役に立つとしたら、人間の社会性にビルトインされたバイアスをときほぐす、社会心理学のような取り組みにとどまるだろう。
つらつらと書いてきたが、おおっぴらに書けないことばかりなので、増田に上げる。
まず、「コロナに飽きた」ということからして、オモテでは書きづらい。
医者だからといってまともじゃないのもいっぱいいるが、医者だからといってちゃんと考えられるわけでもない。
私がコロナについて知りたいのはもっとどうして発症するのかとか、どうして死ぬのかとか、そうしたメカニズム面でのことだった。
「男」は強くなきゃ、なんてない。
https://media.lifull.com/stories/20220125185/
言っていること自体は実に真っ当なんだけど、読み進めると「違う、そうじゃない」と突っ込まざるを得ない文章。
男性学の人が非常に不満なのは、「中高年男性の無職、非正規、主夫に対する差別的な視線や扱いをやめるべき」という本来あるべきストレートな主張ではなくて、男性に対して「内面化した男らしさの呪縛から解放されるべき」という、男性自身が努力して解決すべき問題にしたがること。パート労働や保育など、女性が多数派の現場の中で男性が感じている居心地の悪さは、すべて「男らしさの呪縛」のせいなのだろうか。
絶対おかしいでしょ?女性の2倍いる、自殺まで追い詰められた男性を守るためにまず言うべきことは、追い詰めているような言動をしている、女性を含めた無数の人々を批判・非難することであるはずだ。フェミニズムだと当然、女性差別的な言動をしている人々への批判が大々的に展開されるのに、男性学では全くそのような批判がなく、男性自身が自分で「男らしさの呪縛から解放する」努力をすべきだという話に結局なっている。
そもそもジェンダー規範は社会全体が求めていることなので、男性でも個々人の自助努力で克服できるようなものでは全くない。田中先生もわかっているとは思うんだけど、最終的には男性の自助努力を求めるものになっている。
なんで女性を食い物にしないといきていけないとおもってんだろう
乳幼児でもあるまいし
ママがいないといきていけないっていっていいのは乳児だけなんだよなぁ
幸福感が自己制作できないから女性から輸入しなくちゃ!みたいなことをまいかいいってるけど
悪徳領主かよw なんでネットで愚痴るだけであとは会社いけば給料もらえる男性に女性が人生まるごと納税しなきゃいかんのよ
政府だってワクチンとかものすごく働いてるぞw ネットで一日愚痴ってる男に納税するくらいなら政府に投票するわ
だいたいが、「その手の書き込みの存在」自体が男性の不公平感をふやして男性自身の不幸感ふやしてるんだろ
岡村じゃないけど風俗でもいってこいっていいたくもなるよほんとに
女性に不満をいいつづけ都合いいデータだけ抜き書きしたいやがらせすることを男らしさと勘違いしないでほしい
わざわざ男女分割せずに世界中の知恵ある人間が団結してあたらなければいけない課題がめちゃくちゃあるんだよな
この野党感たるやw
ハートネットTV みんなで考えるジェンダー(2)〜なぜ差別をしてしまうのか〜の一部書き起こし。一回目の書き起こしはこちら。
https://anond.hatelabo.jp/20211106003314
特権というのは、いわば「持てる者の余裕」であり、自分が持てる側だという事実にさえ気づいていない、自然で穏やかな状態である。
荻上:多くの方は自分が差別をしたいという権利を自覚して反発しているのではなく、自分にはそんな気がないのに、濡れ衣だと考える方が多いと思います。差別はいけないものだという規範はあるはずで、自分は差別主義者ではないと思いたい。だから、これは差別に含まれない、だからセーフとしたい。
石川:過去の自分もそうだったけど、何が差別かを全然学んでこなかったし、教えてくれる人もいなかった。現状、差別の問題って本を読んだりとか、学びの場に行ったりとか、そういうところじゃないと届かなかったりする。どんな生活をしていても「差別とはどういうものなのか」を学ぶ環境を整えていってほしい。
石川:私達も自分でやってるわけなんで、社会に対して思うことがあるなら声をあげっててください。そうすれば賛同する人も増えていくと思う。私に言ってくる人は私を黙らせたいから言ってくるのかなと思っちゃうんです。私じゃなくて、社会に向けてやってほしいと思います。
水無田:なかなか弱音がはけないとか、男なんだからとか言われて育ってると思うんですよね。命の問題や健康に関わる問題って、日本の場合男性の方が深刻で、自殺、孤独死、ひきこもりは男性の方が多い。これは、男性の方が強者でいるはずという社会も想定しているし、男性自身も強くなきゃ、稼がなきゃというプレッシャーが強い。
荻上:男性差別は制度的にも組織社会的にも存在はしている。私はストーカー被害の調査など行ってますけど、男性の被害者というのはまだまだ取り上げられていない。シェルターの受け入れも男性は拒否される。
でも、存在する差別を訴えるときに、女性差別の問題を訴えている人に対して、これも言ってくれ、言わなければフェイクだみたいなことを言うのが適切かというと、結局何も動かない社会を肯定してしまうことになる。個別の議論を一緒に進めていくというのが重要だと思います。
つうか男性の中の一部の男性自身が男はみんな女にセックスしか求めない、女なんてそんなもんという言動でそうじゃない男性を虐げて気にしてない図だよね
元のTwitterはそこまで言ってなくて弱者男性は女性に救いとともに異性としての役割を求めるからやべー目にあう率が高くメリットがないとだけ言っている
それを元増田がは?弱者男性が劣等なわけじゃなくて男はみんなそうだが?とキレている図
「弱者男性はセックスを求める」からさらに男全体を下に下げて男はみんなそうという話にした
なんで弱者男性へとるべき態度の問題でその話をしたのかが謎なんだけど自分が女性に対して隙あらばセックスを求める人間だから弱者男性(揶揄)と同レベルの人間だと言われたみたいで不快だったのかな?
そして本当の弱者男性への差別的な見方を強化しても別に問題ないと思っている
女性の辛さの代表である「性被害に遭う」に運悪く当てはまってしまった男性(加害者も多くは男性)なのだから、男性性被害者は「弱者男性」のはずだ。
なのに、なぜそういうことを言う人がいないんだろう?
この人は「女はずるい」と女性サバイバーをネットで中傷して回り、その女性サバイバーに親身になってもらって救われたとある。
女は弱者男性に手を差し伸べない?差し伸べてるじゃないか!男性性被害者という弱者男性に。むしろ男の方が無関心で冷酷だ。
みんなが嫌いなフェミニストの方が男性性被害者に優しく、心を痛めたり問題提起している。一部のミサンドリストは男も性被害にあえばいいとか言って炎上したりしてるが。
「性犯罪において、男性は法律で差別されている。僕は男性被害者にも強かん罪を適用してもらう活動を行っていますが、当の男性自身が無関心です。
同じ被害を受けても男性と女性で罪の重さが違うという、分かりやすい男性差別に関心がない。ネットで男性差別と騒ぐわりに、です。
多面体さんもakiraさんも男性被害者に強かん罪が適用されないことを問題視していますよね。(日本の強かん発生率は低いでしょう。一方の性別には強かん罪は適用されないのだから)
この男性サバイバーの願ったように、男性相手にも強制性交等罪が成立するようになった。嘲笑うのもタブー視されるようになった。
すまんがワシぁ男性自身様やで😷
元増田です
僕は今はまだこう考えるまでは至っておりません
きっと「女性作家が描く男性が男性自身が描く男性より生々しく現実的だと感じた事は僕もこれまで何度かあります」の件を読んでそう思われたのでしょうが、
「女性作家が描く男性が男性自身が描く男性より生々しく現実的だと感じた事はこれまで何度かある」だけで、
「女性作家の描く男性が(いついかなる時も)男性自身が描く男性よりも生々しく現実的だ」とは今の段階ではまだそう思っていないのです
具体的な作家さんの名前を出しますと、所謂「24年組」と呼ばれる少女漫画家さん達が描かれた漫画に登場する「日和見主義なおじさん」的なキャラクターはとても生々しく現実的だと読んでいて思いました
現実にはこういうおじさんは確かに存在するのに、男性向けの漫画の中だとそういう「普通のおじさん」は描いてもつまらないという理由からなのか出て来ないので、正に少女漫画と女性作者さんならではの視点だと感銘を受けました
ですが、同じように少女漫画に登場する例えば「容姿端麗な王子様」のようなキャラクターは、やはり女性が好ましいと思う要素で構成されているからかもしれませんが、こういう男性は現実ではあまり見ないな、と思います
そういう「現実には存在しないけれどフィクションの世界では古くから好まれるキャラクター」の存在は正に創作ならではという事で僕個人としては好ましく思っています
女性作家さんの「男らしさに苦しめられている男性が描かれる作品」に出てくる「男らしさに苦しめられている男性」キャラクターも確かに女性にはこう見えているだろう、という現実味のある存在なのだと思います
ですが、元の日記でも書いたように『「女性の目線から描かれた男性」の「男性の生きづらさ」なので、これ現実の男性像と微妙にずれてる様な…という違和感を僕は拭えない』で居る事もまた事実です
僕が疑問に思っているのは、やはり元の日記のタイトルもそうなのですが「何故女性が男性の問題を描こうとするのだろう?」という所になります
トラックバックやブックマークで非常に多くの方達から意見を貰えたので、それを読めば何か自分なりに一つの解釈を出せるかもしれない、出せたら良いのになぁ…と思っています
手芸は「呪い」を解く? 男子高校生が編み物を通して自分を取り戻す漫画「ニッターズハイ!」作者に聞く
「男が手芸なんて変だし」。自分にかけられてしまった「呪い」やジェンダーバイアスを解体していく物語『ニッターズハイ! 』。「男子高校生が編み物をする」というテーマはどのようにして生まれたのか。作者の猫田ゆかりさんに聞いた。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_60dc293fe4b0b84c3be32135?ncid=tweetlnkjphpmg00000001
詳しくは知らないけれど最近流行りの「他人にかけられた『呪い』や『ジェンダーバイアス』から解き放たれる人間を描く」作品であるらしい
LGBTなど多様性を受け入れる事の重要性が説かれる今、編み物といういかにも女性的な趣味の男性を描く作品はなるほど確かに「男らしさを降りて良い」と男性を勇気付かせる物なのだろう、きっと
だけれど、僕は以前からこの手の作品やキャッチコピーを目にする度に思う事がある
「男らしさ」という物に苦しめられている男性は確かに存在するだろうし、そんな物を捨てたい自由になりたいと思っている男性もきっと世の中には存在する
だけれど…何故その「男らしさという呪いに苦しめられた男性」を描くのが、
「男らしさに苦しめられている男性」ではなく、
決まって「男らしさに苦しめられている男性を描きたい女性」なのだろうか?
「いやそんな事は無い。男らしさの有害性に苦しめられ声を挙げている男性はとても多い」という人も居るだろう
ただ、僕の観測範囲の問題なのかは知らないけれど、僕がこれまで目にした「男らしさに苦しめられる男性」を描いた漫画家さんは、決まって皆女性だった
『違国日記』ヤマシタトモコが語る、“口うるさいマンガ”を描く理由 「人のあり方は多様でいいと気づくのはすごく難しくて苦しい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/190e00f82bd10f71e69750a969bd72110b0109e3
たった3例だけれど、男性が「男らしさの呪いから解放されたい」と当事者目線で主張している例を僕をこれまで見た事が無いので、
結果的に「何故か女性が男性の生きづらさについて熱心に語っている」印象が僕の中にはある
その男性の生きづらさにしても、「女性の目線から描かれた男性」の「男性の生きづらさ」なので、これ現実の男性像と微妙にずれてる様な…という違和感を僕は拭えない
ところで最近、「ワンダーエッグ・プライオリティ」という様々な問題を抱えた女子中学生達の苦悩と戦いを描いた作品があった
かつて数々のヒット作を手掛けた男性脚本家・野島伸司氏が手掛けた作品であり、何の事前情報も無く見た所面白くて三か月間楽しませてもらった
この「女子中学生の苦悩」というのが男の僕から見た所本当にリアルなのかどうかは分からなかったけれど、「ああ、こういう事本当にあるんだろうな…」程度の気持ちでリアリティはそこまで意識せず見ていた
Twitter等で感想を見る分には女性受けもそこまで悪くなかったような印象があるけれど、実際の所は僕には分からない
「ああ、これって典型的な男が考えたリアリティの無い女だな」と思った女性も大勢居たかもしれない。それは僕には分からないけど、そう思った女性が沢山居ても不思議ではない、と思う
だとそのキャラクターや作者を嫌う女性を僕は昔から時々見かけてきた
僕が「男らしさというジェンダーバイアスに苦しむ男性」を描く作品や女性漫画家に対して抱く「何故貴方達女性が男性の生きづらさを描こうとするんです?」というちょっとした反感は、それに近い物かもしれない
【追記】
全くかは分かりませんが、男性が男性の生きづらさについて女性作家ほどに書かないなら、
「男性の感じる男性の生きづらさ」は「女性の思う男性の生きづらさ」よりそれほど深刻な物ではないのではないでしょうか…?
客観視できるからでは? 自分も女性を見て「型にはまってるな~」と思うことはある/作者が自分と同じ性別・同じ性格・同じ境遇の人しか描けなかったら作品が作れない。
女性作家が描く男性が男性自身が描く男性より生々しく現実的だと感じた事は僕もこれまで何度かあります
ただ、「男性の描いた女性」に対して「女性をよく客観視出来ている、リアリティがある」と褒めている女性をこれまであまり見た事が無く、「男にだけ都合が良い現実味が一切無いヒロイン」と貶す人ばかり見てきました
作者が自分と同じ性別・同じ性格・同じ境遇の人こそ「解像度の高い」キャラクターとして描きやすくなるんじゃないかな、と僕は思っています
【追記2】
誤字を訂正しました
"自分と同じ性別・同じ性格・同じ境遇の人こそ「解像度の高い」キャラクター"< これを言い出すと「ユダヤ人を600万人殺さないと『本当の』ヒトラーは描けない」に行き着くので、気にし始めたらキリがありませんよ。
そういえば嘘か本当かは知りませんが、先日キャラクターのリアリティについて面白い噂話を聞きました
「機動戦士Zガンダム」にパプティマス・シロッコという何を考えているのかよく分からない天才的な能力を持った悪役キャラクターが登場するのですが
監督の富野由悠季は天才的玩具デザイナー・村上克司氏をこのシロッコというキャラクターのモチーフにしたのではないか?という話が一部では有名で
シロッコが何を考え動いているのかを富野監督はシロッコに成り切って必死に考えた結果「こんな奴が何を考えているかなんて分からん!」と途中から嫌になってしまったそうです
「作者が自分と同じ性別・同じ性格・同じ境遇の人こそ「解像度の高い」キャラクターとして描きやすくなる」>残虐な支配者が描いた歴史書はさぞ解像度が高いだろうね
残虐な支配者に支配された側の話は支配された側の方が解像度高く描けると思いますし、支配した側の話は支配者側の方が解像度が高いのではないでしょうか?