はてなキーワード: 男性自身とは
日常生活で会話する男女はまともに会話できるのに。
マッチングアプリで出会う男女は、社会人常識レベルの会話が成り立たない人もいるのは何故だ。(特にSNS常駐)
私も人生経験が多いほうじゃないので人間に高望みしているところがあるかもしれない。
もはや気持ち悪い。ちょっと精神的な病気なんじゃないかと疑うレベルである。
知らないだけで男女というのは本来こういうものなのだろうか?私はごく一部の人間が異常だと思っていたけれど、実際はまともな男女(自制ができる)の方が少数派なのではないのか?
男性自身は、以下の特徴があてはまる同性を見たことはあるかチェックして欲しい
・5歳の女に「誕生日だから」と誕生日プレゼントをやる、焼肉を奢ろうとする
・女が食事中に遊ぶので食事が全て飛んでくる。パーテーションがなかったのでシューティングゲームのように避けなければならなかった
・7歳の女を自宅に連れ込もうとする。手を出そうとしても出せなかったので「そんなつもりないし。何勘違いしてんの?」と逆ギレする
・話すことがない(もしくは会話が下手)ので5時間のドライブで永遠にガンダムの豆知識を語る
・子供もたくさんいる映画館で開演前にクソデカい声でポケモントレカの話をする
・真夏に初デートで日陰の公園(少し丘になっている・二十四時間営業)に連れて行くとお山を登らされ「あきた、じゃあ降りようか」と野球部くらい走らされる
・「どこで食べようか?好きなところ言って!」とハードル低そうなお店(本当に気軽にオッサン一人でも入れそうなラーメン屋さんレベルのお店)を選んだら10語ほどの長文で「あんぱんまんがよかったの!」と突然ドタキャンされる。ママに電話すると「もう知らないわよ!連れ出したんだから最後までみてよ…」と怒られて弱気になったので「ごめんね」と謝ったら後日デートしたけど距離感がよくわからないまま関係が終わる(かなりチキンなパパだけかも)
・初デートが終わり、また電話しましょうと言って別れようとするのに、なかなか話をやめず道のど真ん中でオムツにクソしやがって周りの目が痛かった
・一日中ドライブでプリキュアの話しかしない。私に質問してもわからないのでもはや「うん」の返事すらしてなかった。
・一緒に写真を撮ろうと言ってくる。「パパの思い出にしたい」本人が嫌だと言ったら子供のように機嫌を悪くする。付き合ってないのに気持ち悪い
・一度も世話してないのに「そういうところがかわいいね♡」とニコニコしてくる
これはごく一部のパパたちであり、一方でまともな男親も少なからず存在する。
私に見る目がないだけなのか…そう思うと余計に自信がなくなる。もう恋なんてしないなんて言わないよゼッタイ~♪
今のコスメがすごくてちょっと心配になるレベルに関連してマーケティング部門からコンニチワ!
いやぁメンズコスメ流行ってるねぇ!色んなところで特集が組まれたり男性インフルエンサーが紹介してくれたりなど今や男もメイクをする時代!
・・・と言いたいところなんだけど、私はマーケティング部門の人間なのでお察しの通りポジショントークである
どうしてアナタたち男性は「へぇメンズコスメ流行ってるんだぁ。俺はNot For meだが」と思ってしまっているのか!?
それはメンズコスメレビューを依頼した男性インフルエンサーのフォロワーが女性ファンで占められているという何ともし難い問題があるせいなのだ!!!!!
YoutubeでもInstagramでもTiktokでも日常的にメンズコスメを利用してくれていて、しっかりと知識があり、メンズコスメを突然紹介しても違和感のない美男子のファンは女性だ!!!!!
レビュー依頼をした男性インフルエンサーから視聴者層情報を提供して貰って調査すると視聴者の9割が女性!!!!!
メンズコスメは男性への商材のはずが全く男性自身へ届いておらず広告をいくら打っても費用対効果が悪いことが判明しつつある!!!!!
皆さんへ大谷翔平の全力ストレート並みに聞いちゃうけどさぁ?大谷翔平が美容の広告に出るってスゲー違和感あるでしょ!?w
大谷翔平も世界的に有名になっちゃって付き合い的に断れない仕事もあるんだろうなぁとか思っちゃうでしょ!?w
大谷翔平じゃないけどウチが手がけてるメンズコスメの動画CMを最後まで観てくれてるのも大半が女性でさぁ・・・美男子採用してるからだと思うけど・・・いやぁコレどうしたもんかね!?!?!?草wwwwwww
だからと言ってなかやまきんに君を採用してお前らメンズコスメ買うか?って言ったら買わないじゃん!サプリメントよりもプロテイン、美容器具よりもトレーニング器具を紹介してくれたほうが説得力あるじゃんwwwww
ウメハラがいきなりメンズコスメ紹介してみろよ買うか?wwwウメハラが攻めの姿勢でメンズコスメ紹介したってネタとして苦笑しながら動画は見ても買いはしないだろ!!!!!wwwww
東海オンエアにさせるか?www何か違うだろ!!!!!wwwwwww
今年書いた増田で、あまり反応をもらえなかった増田がいくつかある
今後の参考にしたいので、評価してもらえたら嬉しい
極道の組長かと思わせるようにミスリードを狙った。実際は町内会の組長
重言だけで書いた
はてな民はIT系が多いので「画像イメージ」や「HDDドライブ」に違和感があるかと思ったが、そんなことはなかったのかな
単純に知りたかった
志村けんのイメージによって「志村」の姓のイメージも変わるという、志村けんによって人生を翻弄される世の中の全志村さんの悲哀を描いたつもりだったが、共感を得られなかったか
単純に怒りが湧くので書いた。あるあるネタではない?
まだ怒りが収まらない
単純に疑問
はてなに登録されているあらゆる男性自身の説明を見てみようという企画
増田が水曜日のダウンタウンに出たら、というネタ
実際に引けるくじ引き。反応が少ないと悲しい
おちんぽ売りの少女 anond:20220812234157 と同じシリーズ
多すぎると思うのだが、共感は得られなかった
Apple製品を買うと付いてくる、いつも持て余してしまうシール
増田に貼ってみた
増田に切り取り線を取り入れてみた
(おまけ)直近でバズった増田
○ご飯
朝:なし。昼:カレー。夜:考え中。
○調子
真面目でお淑やかな五条風華、ヒーローが大好きで正義感に満ち溢れた田丸火凛、小動物系ではわわな湯浅水無、無口な不思議系英土麗美、彼女たちは小学生から仲良しの幼馴染の女子高校生4人組。
必ず一人には死が訪れるゲームを前に、少女たちは否応なしに本音をぶつけ合うことになる。
という設定が開幕5分で説明されて突然デスゲームが始まるホットスタートなノベルゲーム。
4人は「死刑囚」「ピエロ」、そして二人の「断罪者」がランダムに役職として決められる。
「断罪者」が「死刑囚」を有罪の判決を下し、執行のレバーをおろせば「死刑囚」以外の3人は助かる。
無罪の判決を下した場合「ピエロ」と「死刑囚」の立場が入れ替わる。
デスゲームものではあるが、ゲームのルールを利用した画策やルールの意外な盲点などの味は限りなく薄い。
そのため本題になるのは「女の子はみんな万華鏡」という作品のテーマに沿った、女子高生たちのやりとりだ。
具体的には、生き残りたい死刑囚はピエロよりも自身が役に立つことやピエロが劣っていることを表明し、ピエロは自信が死刑囚にならないよう死刑囚を貶める。
そんなデスゲーム編と、それが始まるまでの回想編が交互に進行する構成になっている。
回想編ではとても可愛いらしい絵柄に沿った女の子同士の友情と学園生活、そして小学生の頃の淡い初恋の話。
デスゲーム編では暴力、暴言(死ねや殺すは当然として、ゲロ、小便、下痢便などの汚物で相手の容姿を形容するところが良いですね)が飛び交う素敵な展開が待っている。
まんがタイムきららとヤングマガジンを交互に読んでもまだここまでの落差はないだろう。
4人全員がそれぞれに腹に何かを抱えており、それはもう醜いやりとりが繰り返される。
生き残るためならどんなに汚いことでもするのは当然かもしれないが、女の子はみんな万華鏡といえば何を言ってもよい免罪符らしく、とにかく暴言が飛び交う。
声優の熱演も要チェックで、特に風華役の茜屋日海夏さんの小便や下痢便などの汚物を比喩にした罵倒語は最高だ。
そんな、ほんわかふわふわ萌え萌えキュンと、暴の世界の交互浴の先に、このデスゲームが始まったわけが見えてくる。
見えた先には、なんと「弱者男性」は全員が自業自得であることが判明する。
まさか、社会の決定権の多くを今まで握っており、社会を形成してきた男性自身にはその社会のありようが決めた責任があり、競争から脱落して惨めな人生を送るのは、競争社会のみを褒め称える単一の価値観しか持っておらず、そんな社会を良しとしてきた男性の自業自得であり社会のせいではなかったなんて、驚き。
そして女性はそんな男性とは異なり、万華鏡のような価値観を持っているため、多様な人間がより幸せに暮らすことができる社会を作れるのかもしれない、ってことを示唆する展開も驚き。
そんないわば「幻想牢獄のTwitter」がデスゲームの先に待っている。
まあ、ライターの竜騎士07さんがこういう剥き出しのテーマ性を書くのは本当にらしいので、きっとこの仕事をしているとき、はてなブックマークやTogetterにハマってたのかもしれませんね。
最後、少し茶化してしまったし、事実そこだけ物語というオブラートに包まれてないありのままのTwitterが出てきて驚いたんだけど、だけど、面白いは面白かった。
かなり綺麗なオチも付き、丁寧にまとまっている中編といった感じ。
ボリュームは2時間ほどでクリアしたが、これぐらいが丁度よく感じたし、物語のフリとオチがしっかり付いていてスッキリ。
男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。
男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります。
同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。
だから、世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています。
それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独な人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ、自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています。
「保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。
家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。
それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴も無視される差別として働いています。
若者が遭遇しやすい実例として、バイトやサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。
これは、男性の方が不安や心配事が少なく、お節介な干渉もされず自由に生きやすいというメリットととらえることは確かにできます。
しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから、自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります。
実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。
でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分の不安や恐怖に気づけなくなります。
しばしば指摘される中高年男性の自分語りの下手さや、困りごとをうまく伝えられずかんしゃくを起こす傾向などは、彼らが自分の苦痛や不安を認識する能力を社会に破壊されているからでしょう。まして適切な言語化などできるわけがありません。
他にも色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性は自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます。
たとえばトイレ。
男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器を露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。(道端は許されないと思うならハイキングや海釣りや森林浴を想定してください)
不安や羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまいます。
この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから加害者である男と戦えるもんね」という扱いでもあります。
一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性の感情は最初から考慮されていない。
このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分を勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります。
夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。
最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性を区別することは本人にすら困難です。
この論法は「たとえ当事者が男性差別を否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別は存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。
ネットでは、男性はセルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、男性のセルフケア能力の低さは数十年にわたる「男性は自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。
セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人のセルフケア能力を育て直すため、社会が反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。
しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって成長しろ、社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています。
男同士で友人を作っても、それは楽しさや得意分野を分かち合うには向いていますが、弱みを見せ合い癒し合うことには向いていません。「今日はパーっと遊んで嫌なことは忘れちまおうぜ」のような会話がその典型です。
男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。
腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿げやすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力と共感能力の低さ、など。
しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。
統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります。
そして、フェミニズムと弱者男性論の共闘が難しいのはここが主な原因でしょう。
「性犯罪は男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性が被害者になる方が多いですが)」「腕力が強くて制止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、フェミニズムと弱者男性論は真っ向から対立しています。
統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います。
もっとも「社会を運営するにはマクロ視点の統計的差別が必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態は現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。
今までも男性差別については、男性は加害者として認められやすく被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは女から男への悲惨なセクハラや暴力事件がほとんどです。
それも由々しき問題ですが、男性差別の根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。
特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います。
フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別は問題視されづらいのです。
「女子供は弱いから保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」という扱いは、信頼的差別などと呼べそうです。
この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係や恋愛や経済やジェンダーロール面の困難や、弱者男性の存在自体が不条理に否定される、などの論点と対立しません。
警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係や恋愛関係のハードルを上げます。
経済的貧しさについては、一般的な貧困問題に加えて、男性は公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力が社会により破壊されている点に、男性特有の困難があります。
男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。
弱者男性論自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われることや、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」の一種ですね。
また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。
現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。
少なくとも私は、男の乳首も露出NGにしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人のちんちんポロリシーンやハゲネタはダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントだから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。
男女平等に近づけることには合意されるとしても、男性も女性くらいに保護する方向と、女性も男性くらいに放任する方向では、目指すものは大きく変わるでしょう。
細かな調整が必要な問題ですから、今はまだ最終要求を問われてジャッジを受けるほど議論が深まっていません。
あくまで私の主観的な意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っているので、保護よりも放任、安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています。
人間に限らず生物が「男性的な物、強そうな物、醜い物」へ抱く警戒と嫌悪は途方もなく根深いので、男性もケアされる男女平等の実現可能性は絶望的であり、女性も雑に扱われる男女平等の方がまだ実現可能性があるだろうという予想のせいでもあります。
本エントリの書き方だと皆が保護される平等を求めているように見えるかもしれませんが、私個人はそれが実現しそうにないと絶望しているので、皆が放任される平等を目指した方がマシだと感じている、ということです。この絶望感をぬぐえるならぬぐっていただきたい。お前にサン(son)は救えるか!
【追記】
母親と妻、そして「女をあてがえ論」についても書きました。
『男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因があります(anond:20220909191646)』
事実富裕層や権力者は利権の椅子の上に座りながら、男同士会合を開いて旨味の独占をしたり、妻の世話をあてにしたりしているはずだ。
増田が男性特権に心当たりがないだけで、心当たりのある男性は沢山いる。
単に増田にとってnot for meなだけ。
あと、同じ「無職」でも女性だと「大変だね」になるのに、男性だと「情けない」という感情が瞬間的に沸き起こってないだろうか。これも「特権」なのだろうか。
むしろ男社会に迎合しすぎた人間の仕草だろう。特権の副作用だろうが、これとフェミニストを混同しているのはよくわからない。
女性の多くも付き合う相手を決める時、男性のルックスとか年収とか社会的地位を無意識に考え、友達に紹介するときに恥ずかしくないかどうかを気にしたりするのはごく普通である。それはいい悪いではなく、人間である限り仕方のないことだ。男性だけが異性をモノ化しているってことは絶対にない。完全にお互い様の問題について、男性だけが非難されるのは理不尽だと思う。
男性だけが非難されるという感想は、特権階級であったがゆえの認知のズレだろう。重罪で平民を踏んできた貴族が、お互い様だろ、平民に悪口を言われても黙ってなければならないなんて、理不尽だ!と言うようなもの。女性も非難されているし、なんなら非難以上のことをされている。
ルックスや経済力で測られるプレッシャーと性的モノ化を対立させて考えてるのが意味不明。別の問題だ。
性的なモノ化は日本では当たり前になりすぎて人権を軽視するレベルに至っている。
風俗や舞妓やAV被害者やセクハラが別の名前で横行していた映画業界もそうだろう。これを改善させるべき、というロジックに何一つ不備は見当たらない。
「男が30にもなって定職もなくて情けない」「男は結婚して家族を養って一人前」という規範は、男性自身が内面化している部分も確かにあるけど、それは世間や社会が求めているからであって、自分の意志で自由に脱げ捨てられるものではない。女性だって「女らしさの呪縛」を捨てて、化粧も何もかも一切やめればいいじゃない、という話になる。というか、「女らしさ」については、それを押し付ける人々への批判や非難になるのに、どうして「男らしさ」については「男らしさ」を押し付ける人々への批判に向かわず、男性自身が自己責任で脱するべき、という話になるのか。明らかにおかしい。
これはわかるな。
女性に対しても、女らしさの呪縛を維持する本人の自己責任という視点があまりに欠けている。
社会的弱者が多いために、社会構造によって否応なく適応せざるを得ず、自ら脱するのが難しい側であるという配慮は必要であり、男性の男らしさは周囲を抑圧することやボーイズクラブを含んだ、男らしいプライドによる女性排除や支配の概念のことなのは分かるが、
まず断っておくと、自分はフェミニストか否かという点では、フェミニスト寄りである。白饅頭や青識のようなアンチフェミは心底嫌いだし軽蔑もしている。ただ、フェミニストがやたらに好む以下の論法には、一男性として強く反発している。
「特権」という言葉を使う場合、権力者や富裕層などに対して、自分の意思で自由に捨てられるものだけを指すべきだと思う。いじめやパワハラで引きこもりになって無職で……という男性は決して少数の例外ではないと思うが、こうした男性に何の自由に捨てられる「特権」があるというのだろうか。あと、同じ「無職」でも女性だと「大変だね」になるのに、男性だと「情けない」という感情が瞬間的に沸き起こってないだろうか。これも「特権」なのだろうか。
女性の多くも付き合う相手を決める時、男性のルックスとか年収とか社会的地位を無意識に考え、友達に紹介するときに恥ずかしくないかどうかを気にしたりするのはごく普通である。それはいい悪いではなく、人間である限り仕方のないことだ。男性だけが異性をモノ化しているってことは絶対にない。完全にお互い様の問題について、男性だけが非難されるのは理不尽だと思う。
「男が30にもなって定職もなくて情けない」「男は結婚して家族を養って一人前」という規範は、男性自身が内面化している部分も確かにあるけど、それは世間や社会が求めているからであって、自分の意志で自由に脱げ捨てられるものではない。女性だって「女らしさの呪縛」を捨てて、化粧も何もかも一切やめればいいじゃない、という話になる。というか、「女らしさ」については、それを押し付ける人々への批判や非難になるのに、どうして「男らしさ」については「男らしさ」を押し付ける人々への批判に向かわず、男性自身が自己責任で脱するべき、という話になるのか。明らかにおかしい。
こういう意見を見るたびに、フェミニストは教室の中でひどいいじめを受けていた男子とか、パワハラでいつの間にかいなくなった男性社員とかが、全く目に入っていないんだな、とつくづく思う。だから主張が間違っている、というわけではないけど。
(追記)
気がついたら炎上しているけど、言いたかったのは、本来のフェミニストの仮想敵はジェンダー規範そのもののはずであって、「男性」ではないこと。
既存のジェンダー規範を変えるためには、政治とマスメディアの役割が大きく、それに働きかける社会運動が必要になる。それは、個々の男性の自己犠牲の精神で実現できるものでは絶対にないし、そもそも自己犠牲できる余裕のあると思える男性は貧困者に限らずほぼいないだろう。そんなものに期待してはいけないのである。
(追記2)
時々感じるのは、フェミニスト「男性は・・・すべき」という言い方の中に、「男らしさ」が要求されているように感じられること。「女性を押し除けてまで男性が前に出るなんて、男らしくない」みたいなジェンダー規範が、特に男性フェミニストの中には確実に存在する。まさに田原俊彦の歌の意味での「フェミニスト」(誰も知らないか)。