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はてなキーワード: 楽しいとは

2024-08-13

anond:20240813123437

自分たち楽しいと思うんじゃなくて・・・

他人のことを考えてください・・・

傷つく人たちだっているんですよ・・・

名前を隠して楽しく日記

ここにいる人の体感8割くらいが怒ってて面白いね。

かにそういう人を見てると楽しいかも。

私は今日映画天国と地獄」を観ました。

正確に言うと途中まで。

シンイチくんが無事だってわかったから半分もたってないけど見るの飽きちゃったわ。

友達同士と家族連れで旅行したりすると楽しいよ?」

かーちゃん独身なんだけど、ぼけたのか?

友人の母親子供がみんな社会人になって親元離れたからと、親の友人同士で観劇に行ったり登山行ったりマシンピラティス始めたりと多趣味で楽しそうな老後を送ってるのにうちの母親は毎月40万も仕送りしてるのにお金が無いお金が無いと嘆いて、子育て介護人生潰された私の人生なんだったんだと嘆いてる

しんどい

もっと楽しい老後送って欲しい

今が幸せと思ってほしい

ジーンズ発祥の地児島

岡山県倉敷市児島出身の者なのだ

自分にとっては児島は寂れた町というか

パッとしないというか

盛り上がらない場所なんだよね

岡山県楽しい場所と言えば

倉敷市の美観地区か(ゴリゴリ観光地景色もよい!)

岡山駅周辺(岡山イオンもあってさかえてます)

だと思っておる

私の地元児島ジーンズ発祥地で、ジーンズ好きにとっては聖地らしいので

有名人とかがときどき児島に来るんだが

あの児嶋駅周辺の栄えてない田舎雰囲気をどう感じるんだろう

有名人児島にくると「わざわざこんなとこ来ちゃって……」と思っちゃう(私だって地元児島から高い交通費払って何度も児島に帰ってるくせに)

まあ、児島ジーンズ目的で来る人は良いジーンズとの出会いがあれば

児島のものが栄えているかなんてどうでもいいよね

児島で生まれて、ずっと児島にいる人は稀で

高齢者だらけだねあそこは

7月開始アニメで視聴を継続している作品を今さら2行くらいで感想言う

負けヒロインが多すぎる!

内容はようわからん

ノリとか絵が良いから見てる

恋は双子で割り切れない

美人双子姉妹ハーレムもの

主人公君が双子ちゃんに劣情煽られまくってるのが楽しい

VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になってた

VTuberの人ってこんなこと毎回してるの?おれオッサンからわかんねぇ

その人(VTuber)のことがよほどお気に入りじゃないとみてられないよね、という物珍しさがある

ダンジョンの中のひと

ダンジョン勤務をホワイト企業風に描くとこうなる

ほんわか風に見えてモンスターの首や腕がちぎれ飛ぶ

小市民シリーズ

ヤベェ女の小佐内さん

彼女奇矯を楽しむ

菜なれ花なれ

チアリーディングの動きがすごい

負傷療養中の子が復帰するのかが一番気になる

異世界失格

太宰治異世界

マイナス思考異世界無双する

グミレガシー

3話あたりまで爆笑

最近ちょっとパワー切れ

真夜中ぱんチ

最近増えた動画配信者モノ。OPEDが良い

上記VTuberなんだが~」と同じく物珍しさから

かつて魔法少女と悪は敵対していた。

エロい

3話めくらいまであった主演声優による本編全部コメンタリーはもうやらない?

天穂のサクナヒメ

ゲームやってたか

正直、鬼うんぬんの話はいいかコメ作る話だけやってほしい

ラーメン赤猫

今季最大の癒し

見てるとあっという間に時間が過ぎる

逃げ上手の若君

キャラ絵が可愛らしい

色合いもきれい

0歳児スタートダッシュ物語

5分もの異世界転生

箸休め

戦国妖狐 千魔混沌

たまがあんまり出てこなくなって

もう惰性で見てる

SHY

キャラが良い感じ

惟子がそろそろヒーローにならないかと思いながらみてる

義妹生活

淡々悶々してて良い

どうせ最後はやるんだろうと思いながらみてる

疑似ハーレム

正直、早見さんの演技見るためだけにみてる

内容は関係ない

時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん

主人公ハイスペでありながらあたりの優しい感じに好感が持てる

女の子を丁寧に扱う主人公って最近増えたなぁ

先輩はおとこのこ

主人公トランスジェンダーよりも

ちびっこの闇の深さに興味が持っていかれる

魔導具師ダリヤうつむかない

ファンタジー作品として普通におもしろいのに

冒頭の「過労死の後転生」って設定、わざわざいる?その後も一切触れられることないし

NINJA KAMUI

アクションシーンのカネの掛け方が尋常じゃない

硬派・ハードボイルド

推しの子】第2期

とりあえず「第17話 成長」だけで2000円くらい課金してもいい

今期は出だしおとなしい感じだったのに急にアクセル全開

2024-08-12

人は来ないし遊びにも誘われない

小学生の時とか休み時間になる度自然と机に友達が集まって来る子っていたじゃん

自分は行く側だったんだけど集まられる側になりたくてある日いつも行く友達の所に行かず休み時間座ったままにしてみたんだよね

案の定誰も来なくてさ恥ずかしいやら悲しいやらでとりあえず寝たフリして、次の休み時間からは行く側に戻った

まられる側になりたいって気持ちはあるもののそうはなれず、大学生になった今同じようなことが起きてる

1対1とか少人数の遊びに全然誘われないんだよ

から自分から誘おうとしてるんだけど、相手が忙しくないかとかウザがられないかとか自分そいつに会いたいだけで楽しい時間提供できるとは限らないよなとか色々考えたりしちゃって誘うのも下手くそだしさ

このままは嫌だなと思いつつ上記したような小・中学生時代思い出してずっとこうだなと苦しくなってる

どうすりゃいいんだ

自分人間的魅力がないのがいけないんか

エロ漫画を描き続けた結果、女に嫉妬する化け物になっていた

俺はエロ漫画家だ。

と言っても専業ではない。所謂兼業作家で、エロ漫画イラストを描いている。

アカウントがバレたら本当に生きる糧を失うため割合はボカすが、本業作家業で去年は1300万円程度稼いでいた。それくらいの規模のアマチュアだ。

増田投稿しようと思ったのは、自分感情思考を吐き出せる場所をどこも作っていなかったからだ。俺の過失なのに、本当に申し訳なく思う。

女々しく、醜く、気持ちが悪いと自分でも理解しているが、感情吐露したくてこの日記を書いている。

結論から言う。俺は女創作者やそのファンが許せなくなった。

正確に言うと、女であることを武器にしている女創作者とそれに群がる男たちが許せない。

それは作家業に限らず、配信者やVtuberなど全てにおいてだ。

そして、それに嫉妬している自分自身が何より許せない。

ことの発端は、とある創作アカウントを見つけたことだった。

執筆の休憩がてらX(旧:Twitter)を覗いていると、ひとつのR18系の創作アカウント投稿が目に留まった。所謂ちょっと攻めた性嗜好の開示イラストだった。

その投稿からアカウント本体のページに飛んでみると、本格始動から三カ月程度で、フォロワー数は三桁台。先ほどの投稿フォロワーからすれば十分に伸びていた。

俺はメディア欄を漁り、そのほとんどが一次創作であることに驚いた。

いまどき、一次創作にこだわる奴は馬鹿だ。名を上げたければ二次創作をやったほうが遥かに効率がいい。YouTubeで有名な某絵師もそれを認めているし、推奨している。

からこそ、俺はこのアカウントに好感を持てた。

昔、一桁イイねがザラだった時代に数百のイイねがついたときを思い出した。その時はフォロワー数のエグい有名作家たまたま俺の投稿をリポストしてくれた影響が殆どだったが、それでも、俺の絵が認められたような気がして本当に嬉しかった。今では数百数千のイイねなんて当たり前だ。

から二次創作勝負しないなんて骨のあるやつだと。俺は勝手シンパシーを覚え、応援気持ちを込めて、フォローしてリポストもした。

それから1か月後、件のアカウントが気になり、メディア欄を確認した。

その中にネイルアートを施した色白で細い指の写真があった。

まぁ、分かっていた。描き文字の癖や画面の構成的に、女だろうとは予想していた。

俺は人じゃなくて、作品を観て評価しているのだから、こんな投稿別にどうだっていいはずだった。

不意に、自分の指を見た。ごつごつとした男の指。幼いころの習い事で出来た傷痕。冬場だったからか、少しささくれが目立つ。

俺が同じ投稿をしたらどれくらいの反応が貰える?

なんとなく、その投稿無視した。

俺の中でこと切れたのは、そこからまた1か月後のことだった。

そのとき、俺は1時間くらいかけたカラーラフイラスト投稿していた。

少し手心を加えたカラーラフは労力の割に結構伸びる。フォロワー勝手に完成形を想像、補完し、期待を膨らませる。

すぐさまイイねがつく。いつも通りの伸びだ。いまだに通知欄に溜まる数字を見ると心が高鳴る。この数字は俺の努力に対する報酬だ。

作品が売れるのも嬉しいが、拡散され、俺を知る人間が増えるのはもっと嬉しい。

肯定でも否定でも、コメントがつけば心が躍る。それがアンチでも、無視されるよりよっぽどいい。

通知欄を眺めていると件のアカウントもイイねをつけてくれていた。この前のネイル投稿以来、考えないようにしていたのだが、久々にアカウントを覗いた。

フォロワー数は四桁に達していた。ファンボックスなんかも始めている。いつも通りメディア欄を確認した。

そこには、セーターとスカート姿の首から下の自撮り写真があった。

どこぞのテーマパークに行ってくると、添えられていた。

300イイねくらいついていたか

俺が、それくらいのアカウント規模の時は、300イイねも貰えなかった。

俺は、その300イイねを貰うために、様々な努力を重ねた。

受験勉強に耐え、そこそこの大学に進学した。

学歴はある種のリスクヘッジになると考えていたから。

休みが多く経営の安定している大手メーカー内定を何とか勝ち取った。

安定した生活創作の基盤になると考えていたから。

二次創作はしてはならない。

それは才能のない弱者のやり方だと考えていたから。

創作者は自我を出さない。

消費者作品を求めるのであって作者を求めていないと考えていたから。

それなのに、コイツは生まれ持った性別だけでこんなにも注目されているように思え、心底妬ましくなった。

そして、コイツにとって創作とは人生の一側面に過ぎず、それ以外は幸せで満たされ、煌びやかで充実しているとさえ思えた。

瞬間、今までの人生で抱いた不満や違和感連鎖が始まり、俺の狭い世界は毒で溢れた。

どこもかしこも、脳死で女を持てはやすばかり。

女を強調したコンテンツばかりが伸びている。

卵子に群がる精子が如く、釣られた馬鹿な男たちが挙って金と時間を注ぐ。

自分に才能があると錯覚した女が調子づく。

俺のような男は才能があっても誰も見向きもしない。

結局は男の配下となり生きていくのに、どうしてそんな無慈悲なことをするのか?

大人しくしていろ。

卑怯だ、下劣だ、妬ましい、羨ましい。

全てが俺の妄想なのに、真実のように思えて仕方がなかった。

そして、憎悪と同時に俺は自己認知の歪みにも気がついた。

俺が努力と呼んでいた全ては、創作にとって何の関係がある?

俺が勉学に励んだこと、自身を抑圧することに一体何の関係が?

俺は、世界は常に公正で秩序があり、自身は報われるべき存在の一つである錯覚していた。

自身正当化するため、自分の置かれた現実さえ捻じ曲げながら生きていた。

時間にして数分だったと思う。何か夢を見ていたような気がした。

そして、今までの人生がとんでもなく惨めに思えた。

自分創作人生を顧みる。

エロ漫画家になりたいと思ったのは、学生時代寮生活で貸してもらったペンギンクラブというにエロ漫画雑誌に心を動かされたからだ。

エロ漫画家に憧れるなんて変な話かと思うかもしれないが、モテない男たちが漫画雑誌を片手に賑やかに談笑する様を見て、もし俺の描いた漫画でこんなに楽しいひと時を作れたらどれだけ幸せだろうと思えた。本当に当時はそう思った。

でもいつしか、その目的手段に成り下がっていた。

できない、やらない理由創作押し付け自分人生犠牲にして皆を笑顔にしているのだと本気で思っていた。

結果、エロ漫画を利用してチヤホヤされたいだけの、小さな世界に閉じこもった醜く浅ましいミソジニストに成り果てていた。

疲れても苦しくても、ネームを描き、作品を仕上げていたのは読者のためではなく、肥大化した自己愛をどうにかして慰めたかたからに他ならない。

俺はただ、誰かに認められ、愛されたい人間であることにようやく気がついた。

俺は今でも創作を続けている。もう習慣になってしまっているから。

自分で作った毒が消えない。いまだに女の作るコンテンツ直視できない。

承認欲求をこじらせた無名のうわ言に付き合ってくれてありがとう

行為はどうすれば上手くなるのか。

たすけてくれ。

このままではセックスレスになってしまう。

 

新婚ぴちぴちだけど、既にセックスができなくなりつつある。

ギャグみたいな楽しい話ばかりしてエロい雰囲気にならないのもあるし、なにより私の技術が下手くそなんだ。上手くなりたいけど、何をどうすりゃ性行為技術があがるのかわからない。

 

 

パートナーは昔から相当モテてたようだしかなりのヤリチンだったようなのでビックリするくらいセックスうまい技術としてもコミュニケーションとしても持って生まれものとしても、多分ステキな感じなんだと思う。

対して私は、彼の技術がどんなもんかの見当もつかない凡人。初体験20代経験人数は付き合ってない人を入れても5人くらいだし、交際歴なんかほとんどないみたいな人生を送ってきたのでパートナー出会うまでにしたセックスは多分総計20回もない。恐らく、本気で200倍くらい経験値が違う。

 

ど、どうすればいいんだ。

からしたら、幼稚園児と大人行為をしてるようなもんだ。(技術的な差の話ね)

何やったって「何やってんだ?」と思われるのがせきのやま!

 

クラブでウェイウェイした延長で始まるセックスみたいなの私わからないし!!!セクシー美人燃えるようなセックスとか知らないし!!涙

彼を性の面で楽しませてあげることが多分全然できてない。悲しい。運動量も向こう任せだし。

上手くなりたくても何をどうすりゃいいのかわからないよ!!涙

みんなはどうやってセックス技術を磨くの!?おしえて!!!

ちなみにめちゃくちゃ仲良しなので「どうしたらいい?」とかは全然聞けるんだけど、毎回聞いてもよくわからないし本番が練習みたいになってまったくうまくできなくて結局彼が動いてくれて…はっきり言ってムードへったくれもないよ!!これが交際中も含めてもう数年!!彼も私の技術については諦めムード!!新婚なのに!!メロメロにさせたいのに!!

たすけて!!!

anond:20240812193737

休日リフレッシュする方法や新しい趣味アイデアをいくつか提案しますね。

1. 自然の中で過ごす

ハイキングキャンプピクニックなど、自然に触れることでリフレッシュできます。近場の山や公園に出かけてみるのも良いでしょう。

2. アートに挑戦する

絵を描く、陶芸写真撮影など、アートに触れることでクリエイティブな刺激を受けられますワークショップ教室に参加するのもおすすめです。

3. 料理お菓子作り

新しいレシピに挑戦して、料理お菓子作りを楽しむのも良いリフレッシュになります特に自分で作ったもの家族や友人とシェアするのは楽しいですよ。

4. 新しいスポーツを始める

ヨガピラティスランニングなど、気軽に始められるスポーツに挑戦してみてはどうでしょうフィットネスアプリオンラインクラス活用できます

5. ボランティア活動

地域ボランティア活動に参加することで、新しい人との出会いや、充実感を得ることができます

6. 新しい場所を探索

まだ訪れたことのない街やエリアを探索してみるのも、新鮮な気分転換になりますカフェ巡りや街歩きも楽しそうです。

7. 読書映画鑑賞

リラックスしながら新しい知識や感動を得ることができる読書映画鑑賞も良い過ごし方です。ジャンルを変えてみると、さらに新鮮に感じられます

これらのアイデアを取り入れて、次の休日を楽しんでみてください。

こっちがタメ語使ってるのに相手がずっと敬語であるとか。

楽しい話題を振ってるけど笑ってもらえないとか。

こっちは困ってるのにずっとふざけてニヤニヤされてるとか。

こういう時に「あーこの人はわたしに興味がないんだ」と感じるようになっている(これはたぶん定型発達者思考の癖)

逆に、「これ以上近づかないで欲しい」と感じてる時には、相手に「同調しない」態度をする。すると相手には「なるほどこの話題は嫌なのか」とか「話しかけられたくないんだな」と伝わるはずである、というこれもまた思考の癖である

anond:20240812123207

いい感じにあったまってきた時に横から割り込むと楽しい😀

[]【高橋源一郎にきく】今あえて社会内面化しない勇気

本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。

「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。

何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。

まり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だからジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。

パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正明治で同じようなことがあった、とか。

時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白ものって今にはないかな、と。

そうやって見ていくと、最近若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。

今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱なっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。

そもそも、ご自身文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います

あの、本書の前半では、2022年9月13日フランス映画監督ゴダールの死について書かれています高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別存在なんでしょうか?

これは世代的なもので、僕の世代芸術音楽映画文学好きな人ゴダールに影響を受けていない人はいないと思います

皆さん結構しますね、やっぱり。

当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画ニュースもなかった。テレビニュースやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。

僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画クレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。

しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGS映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダール作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイル特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的編集映画を作るというスタイル

引用が多い。ゴダール作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用作品を作る。だから過去世代否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います

最後作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真バンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。

どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダール作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画テーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。

ゴダールは、自分映画自殺映画だと言っていて、主人公死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後主人公自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後自分意思表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。

「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品現実境界を取り払うことを考えていたんです。作品現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。

映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダールアメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールもっとからそれをやっていた。それがかっこよかったんです。

また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?

いや、面白いですよ。単純に普通面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。

でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。

でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。

普通おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいか普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のもの尊重するってことなんですよね。つまりおかしくても存在意義がある。

これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。

僕も色々調べました。障害ある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます特に父親最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。

魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。

でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存保証された。

でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。

結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。

これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。

セコさんの漫画マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますからよろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?

自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています

一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります

例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。

転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。

そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。

例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。

プラン75もそうですが、年寄り不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。

でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。

僕は政治テーマとして、全世代連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。

これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。

社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。

ジャニーズ問題玉音放送について、高橋さんテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末ジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか

あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBC放送した直後に番組審査員を辞めて、最後番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。

でも、やっぱりテレビ局は商業放送から視聴率が下がることが怖いんですよね。だから視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。

今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディア動画サイトSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。

から、僕も言ったんですが、面白動画サイト番組テレビより面白いですよ。テレビバラエティなんてやめたらいいと思います個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビお金も人もあるんだからもっとできることがあるはずなんですよね。

Netflixドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います

江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サド作品を絶賛されていた話もあります。今の時代言論空気感についてどう感じていますか?

メディアテレビラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。

一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史捏造じゃないですか。

今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。

ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものから

ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会から空気で決めるというのはやばいポリティカル・コレクトネス空気で決められるようになっているのが、日本事情なんですよ。

上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。

その辺が、日本という国は忖度する社会から空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。

大杉栄についても言及複数見られます思想生き方性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?

大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。

例えば、子育てをしていたんです。普通政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。

彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供から自分 Permalink | 記事への反応(1) | 08:25

生活するのに手一杯で息だけしてる

仕事キツイし安いか結婚とか相手探している暇も無い。

マッチングアプリでは鼻も引っ掛けられない。

このまま無意味年金払って貰う前に早死にしそう。

10年前都会から地元で働く事になってしまって今まで積み上げて来た経験が活かせなくなってしまった。

未開の地に飛ばされた気分だ。

今50歳。

生きる事で楽しいと感じた事がこの10さら苦痛が増した。

テレビ見るとオリンピックとかやってるけど、

そんなの別世界に話で関係無い。

地獄から抜け出したい。

転職先も無い。

都会に戻っても前の業種には経験が古くて活かせるか分からないし、

そもそも雇うなら若い人雇うと思う。

それでもこんな生活から抜け出して生きていきたい。

育児の影響で読書する時間が足りなくてつらい

4歳と1歳の子母親で、専業主婦をしているのだが読書する時間がびっくりするほど少なくてつらい

4歳の子が平均的な4歳より手がかかる 子供の遊びタイム、甘えタイムにつきあっていたら本を読む時間が足りなさすぎてつらい 読んでるもの小説だとしたら脳内でいちいち情景を思い浮かべないといけないのに、 頻繁に「ママー!!」と呼ばれてつらい 1歳児は私の顔を真っ直ぐ見て泣いて「抱っこして」アピールめっちゃする 1歳児をだっこしながら読書すると急にのけぞるので危ない

子供たちがもっと成長したら読書もっと増やせることを祈る

子供たちが成長したらフルタイムで働くつもりだから仕事時間がとられるからうなっちゃうんだろとは思う

読書楽しいよね

クラスにフワちゃんやすこが居たら

私はフワちゃんと仲良くなると思う

絶対にそっちの方が楽しいから

夢でも救われた

救われた夢というか、自分が一番見たかった夢というか、これが現実であればと空想していた夢

子供時代、転校を繰り返してていたのだが、どこいってもいじめられていた

といっても、小学生当時はいじめられた認識はなかった。

ただ、転校後にもらった手紙

いじめらていた君がいなくなったから、代わりにいじめられるようになった」とか書いてあって

あ、自分はいじめられていたんだと思うようになった。

振り返ると、普通の遊びと、いじめとかからかいとかの区別を感じれないくらい、

学生時代から自尊心はないまま過ごしてたんだなと思う。

小学校はまあそんな感じだったのだが、中学は完全にいじめられていた

教室の中で自分けがからかい対象になり、はたかれ殴られ、泣きながら家に帰ったシーンを今でも思い出す。

まあそれでも何故か不登校になるようなことはなく、中高大となんだかんだいじめからかいを繰り返しながら卒業したのだが、

自尊心がぼろぼろなのに気づかず社会にでてしまったので、会社入ってから全くコミュニケーションがとれず完全に病んでしまった

あ、なんか自分おかしいんだと思って、色んな本読んだり、いろんな精神科心療内科に通った

会社ではなんとか普通に見られるように必死擬態してたけど、

自信なさげに周りの目を気にしてキョドってるから会社の人にバカにされるし、

時に「生きてて楽しい?」とか言われても、侮辱されたとか怒りとか感じることができず、

当時は話のネタができたくらいにしか感じれないくらい心が病んでたと思う

それからいろいろあって、今は心は落ち着いている。

ただ、友達がいない

ドラマ漫画学生時代友達と会い、昔話に花を咲かせるみたいなことは、全然できない

はいっても中高大のときの級友は友達だったか?と言われるとたぶん友達じゃない気がする

対等な関係じゃなく、たた自分卑下して無理にくっついてた感じがあるし特に会いたいとも思わない

ただ転校前の小学生時代友達だったと自分でも思ってる。

中高大では感じなかった、楽しいとか一緒にいて安心するとかの感情は当時確かにあった

ただ転校後のいじめコミュ不足から自分から連絡を断ってしまった

会いたいなとか空想しても、もう一生会うことはないんだろうなと思っていたら

今日、夢に出てきた

結構な年月がたって同窓会?的なところに自分が参加してる感があった

夢の中でも、自分の事覚えてるかな?みたいな不安を覚えながら皆のところへ足を運んでいた

何人かが振り返って自分の事を覚えていそうで安心した気がする

その時、友達の誰かが自分を抱きしめてくれた

声を交わしたは覚えてないが、

「転校してから辛かったよな」

いじめられて辛かったんだよ」

みたいな心のやりとりがあったと思う

一応現実は安定しているから、自分では過去いじめとか病とかは振り切ってたつもりだったのに、

から覚めて

ああ、これが一番待ち望んでいたことだったんだと思ったことに、

驚いたとのもあるし安心したのもあるし、なんか救われた感じがした

現実であればなおいいんだろうけど、夢とはいえ自分の心の傷を癒やしてもらった友達感謝したい

ありがとう

anond:20240811235841

学習や習熟ができる奴はセンスがあるし強くなれるだろ

元増田みたいに自分で向いてないって自覚できるぐらいセンスない一生弱いままのヘタクソプレイヤー別に元増田だけじゃなくどのゲームでも大量にいるけどマジで理解出来ない

勝てもしないのにサンドバッグになり続けて楽しいの?上達しないなら辞めればいいのに

2024-08-11

女と一緒にいて楽しい事ってセックスしかないじゃん

セックスエロエロして気持ちよくなることしか楽しくない

プランニング仕事趣味面白くなくなる

エンジニアです。

仕事趣味で作りたいものがある場合にはまず最短でできる手順を考えていた。これを勉強してあれを触ってみてるとなんとなく仕組みが理解できてうまくできるようになりそうだ、といった感じで。

それらをプランニングしているときは夢が広がりとても楽しいのだが、いざ手を動かすフェーズで急に面白くなくなるときがある。タスクをやらされている感みたいなものが強くなってしまい、机に座って何かをするモチベ気力がなくなってしまうのである

最短距離ではないかもしれないが、プランも考えずに行き当たりばったりやって試行錯誤を続けるのが一番面白いのかなと思い始めてきた今日この頃無駄時間もあるが楽しくできる気がする。モチベーションを保てるのが一番良いのではと思うようになってきた。

他の人はどうやっているのだろう。

記憶って大したもんやなぁ

今日はな、記憶っちゅうもんについて考えてみたんやけど、ほんま大した話やで、ほんまに。

 

まずな、エントロピーっちゅうのは、情報幾何学っちゅう視点で見ると、確率分布の集合における距離概念と関連があるんやわ。

ほんで、確率分布間の距離を測るのに使われるんが、情報利得っちゅうやつやねん。

これ使うとやな、ある状態から別の状態への情報の「距離」っちゅうもんを測れるんやで。

 

ほんで、記憶形成っちゅうのは、脳内の神経ネットワークでのトポロジカルな変化として捉えられるんや。

トポロジーではな、空間の連結性やら穴の数を考えることで、系の安定性を評価できるっちゅうわけや。

記憶が安定してる状態は、トポロジカルに「閉じた」状態としてモデル化できるんやで。

 

脳の構造はな、微分幾何学っちゅうのを使って、曲率や接続性を考えることで、情報の流れを表せるんやわ。

リーマン多様体概念を使うとやな、脳内情報の流れを曲面上の最短経路(測地線)として表現できるんやで。

これで、情報がどないに効率的に伝達されるかを理解できるっちゅう話や。

 

ほんで、脳が情報を処理する過程は、作用素代数っちゅうのを使えばええんちゃうかな。

ヒルベルト空間上の作用素を考えることで、情報操作や変換がどないに行われるかを数学的に記述できるんや。

そんで、記憶形成情報統合がどないに行われるかを理解できるって話やで。

 

要するにやな、記憶を作るっちゅうのは、エネルギー効率的に使うて、エントロピーを下げて脳内の秩序を保つプロセスやっちゅうことや。

これを意識して、毎日楽しいことを覚えておくと、心の中のエントロピーが下がって、より豊かな人生が送れるんちゃうかな。

今日はこの辺にしとくけど、明日エネルギー使うて、楽しい思い出をいっぱい作るで!

人生は一度きりやからエントロピー下げて、笑いを増やしていこうや!ほな!

脳!脳!脳に!電極いれた~い!電気を流して楽しい脳に

脳に電極を入れて電気を流せば性格も改変できてしま

いつも後ろ向きな感情自分は駄目だとか焦燥感があっても

脳に電極を入れて電気を流すだけで一瞬で気分が明るくなる

お酒を飲んで楽しくなるよりも早く明るくなる

しかも酔っぱらう事もないと言うのが最高だ

脳に電極を入れられるようになればそんな楽しい事が待ってる

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