この間、友人何人かとお花見をした。
友人の中には旦那さんや子どもと一緒に来ている子もいて、致死量の幸せを浴びたらいまの私はどうなってしまうのだろうかと少し不安だったけれど、存外楽しく過ごして帰ってきた。
久しぶりに会う子もたくさんいたので、いま言うのはなんだかな、と思い夫が他界したことは言わずに過ごした。夫の話を少し振られた時もうまく返せたと思う。
場の空気のために言わなかったような書き方だけど、まだ自分で説明することができる状態ではないのだ、というのが正しい。きっと話しながらぐしゃぐしゃに泣いてしまうし、たくさんの憐憫を浴びることも嫌だ。悲しみは、まだ私の中だけにあって外に出すことができない。このまま私だけの悲しみを捏ね続けて、発酵させて、栄養になることもなく、どうすれば良いんだろう。
ところでいろんな友人の配偶者を見るたびに、素敵な人だけど私は私の夫が一番良いなと思うよ。私はやっぱり夫と結婚して良かったし他の人は嫌だ、街じゅうに男の人がいるけど夫が一番良いなと今でも思うよ。もういないのにな。
困ったな。
大怪我したあとみたいに、 痛み自体は少しずつ薄らいでいくが、何もなかったように治癒するわけではなく引き攣れた形に固まってしまう。 そうやって歪んでいくのがすなわち生きのび...