はてなキーワード: 尊厳とは
勢い良く噴き出すまではいかないが明らかに精子ではなかったので潮吹きなんだろう。
それは彼女と付き合い始めてセックスも何度もして十分に打ち解けてからだった。
その時に何をしていたか覚えてないが俺は別に欲情してたわけじゃなく勃起もしてなかった。
彼女からちょっかい出してきてズボンを脱がされ、ふにゃふにゃのナメクジみたいなやつを口に咥えられた。
ちゅくちゅくちゅく…。
感覚としては強制的に搾精されたような感じ。自分で射精をコントロールできてない。
で、彼女は出されたものを口に含んだまま「なにこれ?いつもと違う?」
俺もいつもと違うのはなんとなくわかっていた。
「飲まなくていいよ。トイレ行って吐いてきなよ」
トイレから帰ってくるとニヤニヤしながら「尿?尿?」と聞いてきた。
なんて返事をしたか忘れたが俺自身よくわからなかったから「よくわからない」と言ったような気がする。
あれは要するに潮吹きだったわけだ。
それからというもの、彼女は面白がって俺のふにゃふにゃをちゅくちゅくしたがった。
俺自身も最初はこの新しい感覚を好奇の目で見ていたし気持ちいいからまたしてもらいたかった。
実際してもらうと、そのたびに2、30秒でイカされて尿らしきものがふにゃふにゃから排出される。
でも待て。何かおかしい……。
何度かやってもらっているとオーガズムをコントロールできないことに違和感が生まれる。
男としての尊厳を奪われてるような後ろめたい感覚に襲われることになる。
5回くらいちゅくちゅくしてもらった頃に「それやめて」と彼女に言った。
とまあ俺の潮吹き体験を書いたわけだけど、みんな気になるのは「ちゅくちゅく」がどんなものか?ってところだよな。
説明しておこう。
口の中でふにゃふにゃを勢いよく吸って戻してを素早く繰り返すだけ。至ってシンプル。
その下部にツッコミ。
【冷静に考えてそんなことありえないですよね。】
→北尾修一の主観に過ぎません。そもそも、北尾修一が冷静に考えている保証は何もありません。村上清をMと伏せ字にしている上に、QJの関係者などから、北尾修一が加害者側に立っていることは明白です。
【これは推測ですが、インタビュアーへのリップサービスで、小山田さんが学生時代の出来事を大げさに話したのではないでしょうか。】
→これも小山田圭吾に都合の良い、北尾修一の想像に過ぎません。
【と考えるのが自然じゃないですか。】
→小山田圭吾と村上清を擁護するために「自然」と言っているだけ。
【こう考えると、この私のおぼろげな記憶がおそらく正しいのではないか、という気がしてきます。】
→自分の記憶が正しいと云う結論が先に有って、そのために「こう考える」と云う方針を立てる。そして「こう考える」から自分の記憶が正しいと言う。それは循環論法では?
【「目の前に現れたM氏の力になりたい」と小山田さんが思った。
特に実際に会って《打ち合わせ》をした後で、そう思うようになった。
そうとしか考えられません。】
→小山田圭吾が何を考えていたのかを、想像に過ぎないのに、その想像を元に「そうとしか考えられません」と主観的に結論づけています。
→度々「自然」と云う表現を用いるのは、北尾修一自身が「小山田圭吾と村上清を擁護するために不自然になっている」と自覚しているからだと推測されます。
→あくまでも小山田圭吾の視点に留まり、イジメ被害者からの視点で想像しようとはしません。
【きっと《打ち合わせ》に向かう小山田さんも、そんな感じだったんじゃないかなあ、と私は想像します。】
【妄想が暴走しすぎで「大丈夫か?」と思われているかもしれませんが、でも、これくらいのことが小山田さんとM氏の間で起きないと、普通に考えて実現性ゼロのこんな記事、この世に存在しえないと思うんです。】
→態々、仮定の上に仮定を積み上げる北尾修一のような論理のアクロバットを駆使しなくても、シンプルに「当時のQJと小山田圭吾は、イジメ被害者の尊厳や人権を軽視していた」「批判が寄せられたとしても、情報発信力の勾配の非対称性があったので、一般人からの批判は黙殺できると思い、実際にそうしていた(批判のお便りが来ても掲載しなかった(批判意見を誌面に掲載しなかった)」と考えれば説明は可能です。
【小山田さんが「過去に行ったとされるいじめ暴力行為」を私は擁護しません。
ただ、この記事から読み取れる小山田さんの(悪ぶっていても)隠しきれない優しい側面については、私は全力で擁護します。】
→イジメ被害者と云う「他者」を排除して置き去りにした、サブカル村業界人に対してだけ発揮される内輪向けの「優しさ」には意味が有りません。暴走族、ヤクザ、マフィアだって、時には身内に優しい時は有るでしょうが、それは被害者にとって無意味です。
【だってさあ、何なんだよ、この『デビルマン』みたいな今の状況。
こんなものを一刻も早く終わらせたくて、私はこの原稿を発表しています。
だから、小山田さんの人格を全否定する乱暴な言葉には抗います。】
→擁護するつもりは無いと言いながら、ここでデビルマンの喩えを持ち出したことで、北尾修一が小山田圭吾と村上清を「加害者」ではなく「何も罪を犯していないのに迫害を受けている被害者」と見なしていることが分かります。これぞ馬脚を露わす。
【私は時空を超えて、26年前の『Quick Japan』編集部に行って伝えたい。
今ごろやっと気づいたんだけど、良かったね、M氏というか村上くん。
村上くんが気合いを入れて書いていた企画依頼レターと、あのとき全力で小山田さんに伝えた気持ちは、ちゃんと伝わっていたんだね(26年後に再読してやっと気付いた笑)。】
→いつの間にか、北尾修一が想像したに過ぎない「企画依頼レターの中身」を既成事実化しています。悪質な印象操作ですね。
【でも、私はこの記事を一緒に作っている小山田さんと村上くんの姿を思い返すと、若い頃にどんなに酷いことをした人間でも、どんなに酷い目に遭った人間でも、あるとき誰かのことを思って本気で動けば、そんなふたりで宝石みたいな何かを残せるかもしれない。この記事は、その揺るがぬ証拠として26年後の私には読めます。】
→「誰かのことを思って」の誰かには、イジメ被害者は含まれていません。あの「イジメ紀行」の記事が、北尾修一の主観では「宝石みたいな何か」になるのだそうです。
=以下、総評=
(1)北尾修一は「当時のQJの現場に近い人間が、事の真相を語る」かのように装っているが、大部分が「想像ですが」「推測ですが」「そうとしか考えられない」と主観のオンパレード。端的に言えば羊頭狗肉。「自然」と云う表現を多用しているのは、おそらく書き手である北尾修一自身が「小山田圭吾と村上清は悪くない」と結論づけるために強引かつ不自然な文章になっていると自覚していることを示唆している。
(2)イジメを擁護するつもりはないと北尾修一は言う。しかし、村上清を"M"と伏せ字にしていること、北尾の述べる想像や推測は徹底して小山田圭吾と村上清に都合の良い解釈だけであることから、北尾修一が小山田圭吾と村上清を擁護しようとしていることは明らかである。更に、デビルマンの喩えを用いていることから、北尾修一は小山田と村上を「罪を犯してもいないのに迫害されている」と見做していることも明らかである。
(3)村上清が小山田圭吾に送った(かもしれない)企画依頼レターの内容については、北尾の想像に過ぎない。にも関わらず、何故か北尾修一の書いた文章のクライマックスに至ると「村上くんが気合いを入れて書いていた企画依頼レターと、あのとき全力で小山田さんに伝えた気持ちは、ちゃんと伝わっていたんだね」と既成事実化している。北尾修一は、孤立無援のブログを「印象操作している」と非難するが、むしろ北尾自身の方が悪質な印象操作を行っていると言える。
(4)小山田圭吾の証言と、それを都合良く解釈した想像だけを根拠にして「加害者である小山田圭吾とイジメ被害者との間に何らかの友情が存在した」と、既成事実化し、その上で「イジメではなく友人同士の遊びであった」かのように読者に思わせようと、北尾修一は意図している。しかし、北尾修一のしていることは、DV事件の加害者を「殴ったり蹴ったりしたけど、被害者のことを自分なりに愛していた」と美化するようなものである。イジメ加害者側の身勝手な「友人意識」を持ち出すことで、イジメ加害者の罪を減ずることが可能であるとする北尾修一の考え方を、DV事件との比較で考えれば、どれほど時代遅れ且つ間違ったものであるか一目瞭然であろう。
(5)北尾修一の書いた文章からは、サブカル村の住人の「自分たちさえ良ければ、イジメ被害者などどうでもいい」と云う、自己中心的、自己陶酔的、自画自賛な意識がハッキリと窺える。村上清による小山田圭吾インタビューを「宝石みたいな何か」と評価していることがそれを表している。
増田と立場は違うかも知れないけど、私が表現規制について日々考えていることと近かった。
表現に対する批判について、「規制を要求するものではない」という前置きは、よく見かけるものだけど、
その批判のスジの中に「人権侵害」が含まれていれば、それは国家による強制力によるものでなくとも、
直ちに有形無形の圧力による、事実上の規制へ繋がるご時世なのだよね。
これに抵抗するのは、なかなか難しい。
SWO副代表もその辺りはよく分かっているようで、彼のコメントでも、肝になる部分はここだ。
ホロコーストを冗談めかして語ることが「ユダヤ人の尊厳」を傷付けるものだと言ってるのだよね。
これを「ぐうの音も出ない正論」と捉える人もいれば、
ホロコーストといえども、明確な否定論でもないものに対して「人間の尊厳」を持ち出すのは行き過ぎと捉える人もいるだろう。
もちろん増田の文脈に沿えば「ユダヤ人たる私が尊厳を傷つけられたように感じた」主張をすることに、何の障害もあってはならない。
ただし、このSWO副代表の主張は、小林氏に釈明や謝罪の機会すら与えず、問答無用で解任したことを支持する内容なので、
私はそれには明確に反対だ。
もちろんそれはまず、判断の主体である組織委員会に向けられるべきものだが、
20年前の表現について、釈明や謝罪の機会を与えず解任したことを正当化するに足る理由にはなっていない、
と私は考える。
私は小林氏やラーメンズに詳しくないが、多くの人が、この20年間に彼らの表現に対する姿勢が変わったことを指摘していた。
なぜ、その変化について、釈明や弁明が許されないのだろうか。
駐日イスラエル大使なども誤解したままだが、まず重要な事実として、
彼らが「ホロコーストを否定」したのでもなければ、「反ユダヤ主義」的な主張をしたわけでもないということは、確認されなくてはならない。
「コードに触れたら終わり」という事例が、徐々に増えていっていることだ。
その表現が、誰の人権を傷付けているのか、傷付けているとすれば、どの程度傷付けているのか、
それは、その表現が置かれた文脈を幅広く見据えた上で、なされるべき判断だ。
不快感と、人権侵害のあいだに、明確な一本の線を引くことが難しいことは理解しているが、
プリキュアのルッキズムとかその他もろもろなんか思うことがあったりする。
「かわいい」っていうのをプリキュアが見た目だけのことを言いたいんじゃないんだろうけどそれを人生経験片手程度の子どもたちに伝わるようにつくっているか?とか、「子どもたち(主に女の子たち)のために」っていうスタンスをどのくらい本気でやってるんだろうってのは前からちょっと考えている。
「かわいい」がすべてではないことを大人は知っているけど子どもたちはこれからそれを学んでいく過渡期にいるので、メインターゲットを未就学児~小学生くらい?に据えてる時点でプリキュア制作側は伝えるメッセージやその伝え方に慎重にならないといけない。可愛くないからプリキュアになれない、とか○○だから(たとえばメガネだから、髪型がこうだから、とか)プリキュアになれないと思ってしまったり他の子にそう言ってしまったりするきっかけを与えてはいけない。
プリキュアやその仲間が「かわいくないからプリキュアになれない」と発言しても大人は「あら、今のプリキュアそんなこと言うんかい」で済ませることができるけど
知識や人生経験の少ない子どもたちにはその言葉がもっと大きなインパクトをもって伝わる可能性ってのを考えなきゃいけない。
フィクションと現実は地続きにあるし、子どもたちにとってはよりその垣根は低い。
ルッキズムに限ったことじゃないんだけどメインターゲット女児先輩は気にしないからあれこれ言うな!そんなもん扱わなくていいんだ!って問題ないじゃないんだよね。
そこをメインターゲットに据えた時点で責任持って作品つくらなきゃいけないんだよって話で。
大人と違って判断できる知識や経験が少ないので良いことも悪いこともそのまま吸収してしまう危うさがあって、大人が鬼滅を面白いと思いつつ子どもにはあまり見せたくない(暴力的だったりちょっとグロかったりするから)って親もいるでしょう。クレヨンしんちゃんとか芸人の発言やバラエティの演出もそうだけど。
テレビでやってるから悪いことじゃない、みたいな感じで面白がって人のこと嘲笑したりときに暴力をふるってしまったり。それを矯正するのも親の義務っていうけど、1回テレビやなんかで見て覚えたものをなぜ良くないのかわかるように言い聞かせて矯正するってすごく、すごく大変でしょ。見て学ぶのは一瞬で、それを言って聞かせ理解させ…ってところにかかる労力、対等ではない…。親の立場からしたらいい加減にしてくれって話だよね。
何度教育したってテレビで人の尊厳を踏みにじって笑い取るようなことやられまくってたら親の教育もいたちごっこの連続だし、悲しいことにちゃんとしつけする親ばっかでもないし。大人の立場で見てても楽しくないしね暴力とか嘲笑とか。
それからメインターゲットが保育園~小学生くらいの女児、だとしたらその中にはシスジェンダーでもヘテロセクシャルでもない女児や障害をもった女児も当然含まれるんだよ。
過去作品だけどHUGっとプリキュアでは男の子もプリキュアになれるとか、アンリと正っていう友情なのかBLなのかみたいな感じで男性二人の関係を出しつつ最終話で生々しい出産描写もやるの先進的とか言われてたけどまったくそんなことはないと思っていて、
むしろ女性への出生賛美をうたってほまれのヘテロセクシャル要素をゴリゴリに出しておいて性的マイノリティーについてはほのめかすだけにするっていうの、あらゆるセクシャリティを対等に扱ってない。
都合良く使える部分だけいただいて、まぁ、さわりだけやっておけば先進的と思ってもらえるラッキー(笑)みたいな。
あ~男の子もプリキュアになれる、お姫様になれるってとこまではできたのに、残念だなぁ、扱うなら正面切ってやれば評価されるのに…って思ってしまった。
こう思ってしまうのはうちの姪っ子がいま同じ保育園の女の子のお友達を大好きだとよく話してくれるからで、もちろんママだいすき、プリキュアだいすきと同じ感覚のだいすきなのか、恋愛としてのだいすきなのかわからないけど、もし後者であった場合にプリキュアが姪っ子や同性愛当事者のメインターゲットの子を傷つける存在になってほしくない、むしろ勇気づける存在であってほしいと思うから。
異性愛者としての描写も出産シーンも生々しくないけど同性愛っぽい描写は生々しいの?子供に見せられないものなの?
あらゆるセクシャリティ・ジェンダーについて一体どういう考えで作品をつくっているの?って思うよ。
ターゲットとしている層にもマイノリティに該当する子は含まれているのに。
スタートゥインクルプリキュアでは肌の色が違うことで受け入れてもらえなかった過去のあるキャラクターのことを扱ってた話があって、それは良かったなって思う。(スタプリは全部をきちんと見てないので全体としてどうかはわかんないんだけど)
わざわざ同性愛者だ障害者だ外国籍だってマイノリティを出すならそうだとはっきり分かる描写を出す必要があるのか、と言われたら出さないことで存在しないことにしている。のけものにしているってことなので、その年令の女の子たち(子どもたち)のことを考えて作品作りしているというスタンスを出すなら見て見ぬ振りやおためごかしはもうやめてほしい。
そんな表現は大人の自己満足だっていうけど、むしろマイノリティを無視する作品って子どもに一体何のメリットがあるのか…?
自分がマイノリティについて気にしなくて済むカテゴリーだ、マジョリティである、強者だって指摘されるようで居心地悪いだけなんじゃない?
女性の仮面ライダーいたんだし男の子のプリキュアもレギュラーメンバーで出せば良いし、仮面ライダーも赤ちゃん育てたらいいんじゃないの(仮面ライダー全部見てないからもう子育て要素とか取り組んでたらごめん)
売れないとか商業的に…っていうけどそれならもう「子どもたち(女の子たち)のために」つくっているっていうスタンスも見直したほうが良いんじゃないかな。
玩具購入資金源の親がそんなもん喜ばないだろ!っていう意見出そうだけどそれもおかしな話で、
それはつまり親が自分の子どもはマイノリティであるはずがないしそんなもの目にもいれさせたくもないし
目に入れさせてマイノリティに目覚めさせたくない、そんなやつらのことは理解させる気もない、ということにもなるんじゃないの。(あえてちょっと強いことばにしてしまったけど)
親としては子どもがマイノリティである可能性を思えば(誰しもがその可能性がある)ロールモデルにできる存在や勇気をもらえる存在(それこそエンパワメントされるような)を小さい頃から見せてあげて「大丈夫だよ」と伝えてあげたいし、本人がマイノリティでなくても身近にそういうお友達がいる可能性もあるから寄り添える人になってほしいと思う。
もし身近にマイノリティなんていねえよって思う人は、あなたの態度や発言を見聞きしてマイノリティ当事者はあなたにカミングアウトも相談もしたくないと思ってる、だから周りにマイノリティがいない、と考えたほうが良いかもしれない。
いわゆるLGBTQに該当する人が血液型のAB型や左利きと同じくらい、だいたいクラスに一人くらいの割合でいるそうなので。
つまり、そのくらいいるとなると総勢50人を超えてきたプリキュアにもいてもおかしくないって話にもなるわけで。
アニメとはちょっと違うけどセサミストリートだと障害のある子や同性愛者のキャラクターがいるし、ディズニーでも扱ってたよね。
なんかコスメでエンパワメントよりも、というか同時に考えたほうがいいんじゃないかとプリキュア…と思ってしまったりする…。
反ワクチンを説得しようとする反反ワクチンの面々が基本的に「反ワクチンは超絶馬鹿。俺たちが真実を教えてやる。あまりにも馬鹿すぎる場合は尊厳を捻り潰して敗北を認めさせていく」という思考で動いていて非常に恐ろしい。
そういうやり方をされたら人間はかえって反発するということが理解できていないのだろうか?
メンタルが限界の人に「大丈夫ですか?」と聞くとメンタルが更に悪化するだけな上に、本当に限界が来た時に「あのとき大丈夫じゃないとちゃんと言わなかった俺が今更……」と考えてしまい最悪の結果がより起こりやすくなるという現代メンタルの常識さえ理解できてなさそうである。
とういか、大部分の反反ワクチンは「正論で人をなじりつつ「Aさんやっぱ超頭いいわ!」「話も上手いのね!」「承認!A様を承認!」って言われたいだけの自己顕示欲モンスターでしかないだけなんだろうが、こんな状況でそれをやるのは反ワクチンカルトと同レベルの社会悪だという自覚はなさそうだ。
線路に石を置いて悪戯する小学生が「電車が石ごときで脱線するはずないと思ってた。割れた石が勇気の証として仲間内で流行っていたのが悪い」と言い出すのと同じ思考レベルのまま大人になってしまったのだろう。
いい加減私達は反ワクチンを玩具にしていられるフェーズが過ぎつつあるんだ。
一部の自治体ではそろそろワクチンを積極的に摂取したい層を相手にするフェーズから、消極的に摂取しようとする層に如何にアプローチするかへとフェーズが移りつつある。
この状態で、反ワクチンを都合のいい藁人形として扱って自分の承認欲求のためにサンドバッグにするお手軽正義マンは邪魔者でしかない。
頼む。
いい加減、微塵の専門知識もない素人がチャチな反反ワクチン論を語るのは辞めてくれ。
皆も持ち上げるのを辞めてほしい。
せめてオリンピックでやってほしい。
頼む。
自分は小山田氏の音楽についてはフリッパーズギターの頃から聴いているファンだ。
ファンとはいえ音楽を聴いているだけで、彼の人間性などはあまり知らないし
もしくは以前炎上した時に見かけたかもしれないが記憶には残ってなかった。
今回の件に関して明らかな人選ミスだと思うが、辞任するのはスケジュール的に難しいだろうからクレジットから名前を消すなどの対応になるのかと思っていた。
結果的に辞任するということになったが、本人が決めたことなので特に感想はない。
彼が行ったとされる行為は醜悪なもので、許されることではないと自分も思う。
彼の謝罪文にも許しを乞うことは書いてなかったので、読んだ人が許さなければならない理由もない。
ただ今回の件でキツかったのは、小山田氏に対する暴言を多く見てしまったことだ。
自分のツイッターでフォローしている、顔も知っているような人たちが
彼に対して敬称もつけずに批判とも暴言ともとれるような、建設的な意見には見えないものを多くみてしまった。
人の尊厳を踏み躙った過去があり、それに対して謝罪をしてこなかった人間であるというのは事実だが
であれば彼の尊厳を踏み躙った人たちの尊厳もまた同様に踏み躙ってもいいのだろうか?
自分も今まで気づかないうちに同じようなことをしていたのかもしれないと気づいて、とても怖くなった。
小山田くらいの露悪が当時当たり前だったなら他のいじめ・暴行事例がたくさん出てきそうなもんなのにほとんど出てこないのはなんでだろ
鬼畜系っぽいのは根本敬とか村崎百郎、ねこぢる(もそうなのか?)とかをちょっと読んだことがある程度だけど、グロや下品を礼賛したり深刻な事件を茶化したり酷いものでは喧嘩や窃盗や覗きのような犯罪行為をしたりってのは見たけど、ここまで直接的、一方的に他人に暴行を加え尊厳を破壊してるのは記憶にないんだけど
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 67 | 9502 | 141.8 | 46 |
01 | 76 | 7925 | 104.3 | 51 |
02 | 40 | 6326 | 158.2 | 22.5 |
03 | 58 | 4637 | 79.9 | 30 |
04 | 24 | 4455 | 185.6 | 48.5 |
05 | 23 | 4652 | 202.3 | 71 |
06 | 13 | 2284 | 175.7 | 55 |
07 | 61 | 3661 | 60.0 | 35 |
08 | 87 | 12772 | 146.8 | 36 |
09 | 107 | 8194 | 76.6 | 38 |
10 | 163 | 18119 | 111.2 | 43 |
11 | 165 | 18586 | 112.6 | 35 |
12 | 221 | 17860 | 80.8 | 32 |
13 | 151 | 15431 | 102.2 | 44 |
14 | 154 | 14501 | 94.2 | 47.5 |
15 | 154 | 12145 | 78.9 | 37.5 |
16 | 219 | 16404 | 74.9 | 34 |
17 | 189 | 19797 | 104.7 | 45 |
18 | 166 | 14318 | 86.3 | 47 |
19 | 151 | 13526 | 89.6 | 44 |
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21 | 128 | 15714 | 122.8 | 47 |
22 | 182 | 16001 | 87.9 | 36.5 |
23 | 150 | 20365 | 135.8 | 49 |
1日 | 2852 | 289062 | 101.4 | 41 |
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自治体職員の使い捨て感、善意と自己犠牲で成立してるのを感じている。コロナや児童虐待対応での疲弊はマスコミを通して世に共有されているけど、他にも、共有されていないだけでこういうことがたくさんある。人としての尊厳を感じられなくなってくる。バブル期採用の上司、時代の風潮、人口の減少、税収減少、職員減少、しわ寄せが来てるように思う。退職したいけど、退職してどうやって生きていけばいいんだろう。表立って活動できないけど、本当は、そういうことを誰かに相談したい。
これを言う人に聞いてみたいのは、その法則は絶対不変のものとして自分に適用できると思っているのか、
それとも今回の小田山の件に関してはそうであるということなのかってこと。
例えば創作者が自分の大切な人を侮辱したり自分の尊厳をずたずたにした人間であったとしても「アウトプットのみを考慮」して純粋な判断ができるのだろうか。
自分の体の造形美、すなわち、体を直接売ってるようなものじゃん?
そいう仕事って自分の感覚からすると「尊厳を崩壊させる仕事」で、いくら積まれても無理。やりたくない。
あんたもまだはっきり言いたいことを言えていない。
「男が女を金で買うこと」の是非とその倫理性や正当性についてどう思うか、だよ。
フェミを自称するなら、このことについても言ってほしかったなあ。
ちなみに、日本には売春防止法という決まりが既に存在していて、法律的にも倫理的にも許されないものだということになっている。
ひろゆきの言説の多くは「バカ(老害含む)は何をやってもバカで有害だから引きこもってろ」。
又は他人をバカバカ言って貶める事で自己の尊厳回復を目指す自称優秀な人
逆に自分はバカで何しても無駄だから引きこもりたい人に刺さっている。
というか、これらって仕事する人の多くに多少は心当たりがあるのでは。
だから頑張らなくていいという言説は分かりやすく受け容れられ易い。
男の娘とか女装男子の二次創作にはほぼ必ずメスにしようとするメス墜ちおじさんがいて死ぬほど邪魔。
別にメスにしなくてもそのまんまでむちゃくちゃ可愛いのに身勝手にレイプする。男の子の良さを口で否定してかかかりながらレイプして心にトラウマを植え付けて、「男の尊厳を思い知れ!」とか言いがかりをつける。で本人の魅了を完全に殺す。
言うなれば美味しくなるからって天丼にマヨネーズぶっかけるみたいな所業。元の良さを殺してかかってる。邪道だ。
でもそんなのが世の中の男の娘ジャンルではかなり幅を利かせてる。世の中にはメス墜ちおじさんに共感して、男の娘を尊厳破壊してレイプして抜ける人が多くいる。
「んん~???お前何性別を偽ってるの???
よくないよ???何詐欺行為働いてんの???
大の大人を騙しやがって罪を思い知れよ???
なのか
「"男"という誇り高く偉大で絶対的支配者に生まれながら女のふりをするなどとは列島種めが!!
なのか
「女のフリするとかキモくね?
みたいなやつなのか
「あら~どう見てもメスだね〜絶対そうだね〜
あれれ~でも君は自分の性別についても理解できてないんだ〜可哀想だね〜
僕が正解を教えてあげなきゃね〜
なのか
全部キモい。
もうちょっとメス墜ちおじさんに共感できるマトモな理由があるなら聞いてみたい。
具体的には七松○志とか。
件の共同声明について、女性フェミニストに対して是非を問うたり、踏み絵のように利用する事には抵抗が有る、
何故ならやはり女性は現在進行形で強く抑圧を受けている被害者であり(無論、そうした「男性」対「女性」の様な単純な二元論は当の声明で批判されていることは重々承知であるものの)
しかし、男性の場合はその様な遠慮は当然働かない。あの声明に対してどう考えるのか、フェミニストとして応答責任があるとさえ思う。
まず件の声明は「フェミニズムではなくヒューマニズム」との批判も受けているが、男性がフェミニストになる場合は女性と異なり、ヒューマニズムを経由する場合が殆どである。
理由は単純で、そもそも男性フェミニストは女性ではない以上、「何故ほかのどれでもなく、女性(差別)なのか?」という問いに応え得ない。
つまり女性ではない男性が女性差別を問題視する動機は、「そもそも差別は駄目だ」というヒューマニズムを経由せずにはほとんど成立しえないのだ。
だとすれば男性フェミニストは件の声明がヒューマニズムであったとしても、それ故にこそ声明の語る内容を拒否しえない。
ヒューマニズムを根拠に自己と異なる属性の人々(女性やLGBT、障碍者、貧困者、セックスワーカー等)へ共感を寄せ、それらの人々が受ける差別や苦難に反対する事は間違いなく正当だ。
しかしだとすればそれらの人々の間に優劣を付ける事は欺瞞ないしグロテスクな加害にさえなり得る、
例えば女性差別に反対する事は間違いなく正当だが、「女性を優先していない」事を理由に件の声明を拒否するなら、それはLGBTやセックスワーカー等をヒューマニズムの対象に含めないという極端にグロテスクな差別主義という事になる。
この事情故に、男性フェミニストにとってのあの声明は、女性フェミニストにとってのそれと取るべき対応がかなり異なる。
「女性を優先する」タイプのフェミニストを自任する場合、女性=弱者・被害者、男性=強者・加害者という構図を採用する事が多いだろうが、そのような単純な二元論を棄却しないならば同時にLGBTやセックスワーカーに対しても強者・加害者とならざるを得ない自己の責任を果たさねばならないし、だとすれば声明を拒否しえないのだ。
「あの声明の内容に問題は無いが、フェミニストの名を冠するのは不当だ」という批判もあるが、これも適当ではないと私は思う。
件の声明が「再確認を呼びかける」ものである事に着目すべきだろう。文脈上、ほぼ確実にあの声明はそもそも「フェミニスト・フェミニズムの名の下にLGBTやセックスワーカーへの差別や偏見が蔓延している」現状を前提とし、
そうした現状を憂慮するが故に「再確認を呼びかけ」ている。そうである以上、あの声明は「フェミニスト・フェミニズム」に対して呼びかけなければ意味がないし、その必然性がある。
また声明の構成は「➊人権の普遍性、差別をなくすこと、そして暴力からの解放」「❷身体的自主性、尊厳、作動性、アイデンティティの権利」等のタイトルで区分けされ、その前に「フェミニストの原則の再確認:」と書かれている。
これは声明に書かれたすべてが「原則」なのではなく、「➊人権の普遍性、差別をなくすこと、そして暴力からの解放」「❷身体的自主性、尊厳、作動性、アイデンティティの権利」「❸拷問、非人間的な扱い、医学的虐待からの解放」といったタイトルが「原則」であり、そのあとに付される文章はその原則の「応用」「実事例への適用」と読むべきだろう。
LGBTやセックスワーカー等への言及はこの「応用」「実事例への適用」に当たり、原則そのものにはLGBTやセックスワーカー等への言及は含まれていない。
つまり「LGBTやセックスワーカー等への言及ばかりだからこれはフェミニズムではない」というのは声明の構成に対する誤読だと私は解釈する。
あくまでそれらは「原則」から導いた応用に過ぎないのだ。そして各タイトルはフェミニズムの原則として違和感のあるものではない。
また、それらが「あまりに一般的すぎる」事は、論理的に考えてフェミニズムという思想に対する強い信頼の反映だと考える。
つまり「あまりに一般的な」普遍的な人権に関する原則とフェミニズムはほぼイコールなのであり、普遍的な原則からフェミニズムは自明に導けるのだ、という強い主張である。
例えばフェミニズムが「女権拡大」の為のもので、女性を優先した原則を掲げなければフェミニズムではないと考えた場合、そのような思想は「女権を拡大すべき」「女性を優先すべき」という命題に同意する人にとってしか重要ではないし、従う理由もない。
けれども普遍的な人権に関する命題からフェミニズムが導けるならば、普遍的な人権に同意するあらゆる人はフェミニズムに同意しなければ矛盾を抱えていることになる。
つまり原則が「あまりに一般的すぎる」事はフェミニズムの普遍性を支持しているのであってその逆ではない。逆にフェミニズムを普遍的な人権と切り離してしまう人は、フェミニズムを自ら小さい、意味の無いものにしてしまっている(こうした論理的な関係は気付きにくいものなので、そこに気付かないことに特別過失が有るとは思わないが・・・)
こうした事について男性フェミニストや男性リベラルは真面目に考えることが出来ているのか、声明に応答できるのか、という事は注視すべきことであろう。(勿論私自身を含めて)