はてなキーワード: 対称性とは
ブス の 定義を、「顔の左右対称性が低い」と置き換えてみれば、割と納得できるんじゃないかな。
そして、大半の男は 付き合う相手は、少々ブスでも構わないと思ってる。
この手の連中がカマバッカ島とかの描き方を非難する声は良く聞くけどさ、フランキーネタの描写については何も言わないのかね。
つまり
↓
ルフィ達男、スゲー!感動!
↓
女白ける、しら~
あそこが尾田の男根主義の最たる物だと俺は思うんだけど、ジェンダー脳連中からあそこの描き方への言及は未だかつて目にした事がない。
何で?
もしかしてあそこの描写は妥当で特に非難するべきものではないって判断なの?
おかしいだろそれは。
なのにジェンダージェンダー言ってる奴等には特になんとも思わないわけ?
ふざけるなよ。
これでカマバッカ島ガーとかほざいてるんだぜ。
自分らに都合の良い所だけは見過ごすんですね。
死ねよ。
>機械とかガジェットにフェチ的な興味を示すって、男が子供っぽいとか幼稚だってことだろ。 フェミじゃなくて男が怒るべき。
俺は男だ。
逆の立場で傷ついてる者もいるのにフェミとかジェンダー脳は自分の立場でしか物を考えず、こういうのを平気で見過ごしてしまう神経が俺は腹立たしいんだ。
ちょっと考えればこういう問題は常に対称性を持っているのは想像ぐらいつくだろうに、結局自分らの正当性の事しか頭に無いんだよあいつらは。
食傷気味ではあると思いますが、佐野氏問題について自分の考えをまとめるために文章を書きました。
もうこの話題にうんざりという方はそっとスルーして頂けると幸いです。
■前書き
デザイナーではないけれど、クリエイティブ職に携わっています。
私の立場としては、
・トートバッグはアウト
というものです。
以下、目次です。
▾ デザインとは
- このエンブレムは一体何なのか
- 似ているのか
- 原案は似てる
- お粗末なマネージメント
▾ 個人的には
■デザインとは
デザインは、社会に受け入れられることを目的の一つとしています。
受け入れられるということは抵抗がない方がいいですから、あまりに新しすぎて意味が理解されないようなものはよくありません。
しかし多くのデザインにおいては、新しさや独創性を伝えたいという想いもありますから、デザイナーにとって受け入れやすさとオリジナリティというのは永遠の課題であると言えます。
多くのデザイナーにとって、ロゴのオリジナリティについて語りにくいのはこれが非常に繊細な問題であることが理由だと思います。
ところで、デザインは「計画」「設計」「応用美術」という言い方もされることがあります。
あるいは例えば、◯◯デザイナーという肩書きなどについて、プランナー(計画者)、マネージャー(管理者)という言葉を入れ替えても近いニュアンスがあるということについて考えてもいいかもしれません。
これらの言い方からも分かる通り、デザインとは一から全てを新しく作り出すという行為ではなく、適切に設計する、配置する、選択するという行為であるとも言えます。
では果たして佐野氏のデザインは適切なものだったのでしょうか。
その前に、デザインにおけるトレンドというものについて簡単に考えたいと思います。
参考に、近年のロゴのトレンドと言われているものをご覧ください。
http://photoshopvip.net/archives/78102
http://www.radflaggallery-design.com/blog/2015-logo-trend
http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/788.html
すでに2008年のトレンドが古く感じてしまうのが分かるかと思います。トレンドというのは、新しく感じられ、それでいて受け入れられている、という一つのラインです。トレンドを押さえる(上手く選択する)ことで瑞々しい印象を与えることができますが、トレンドが去った後には古さを感じるようになるものです。
新しさがありつつ、普遍性のあるデザイン、というものが如何に難しいかが分かります。
・このエンブレムは一体何なのか
それでは本題のオリンピックエンブレムについて考えたいと思います。
図像的には非常にシンプルなものになっています。また、恐らくは1964年の東京オリンピックの亀倉雄策のイメージをオマージュしており、色彩は日本的トラディショナルなもので、あまり目新しさは感じられません。そういう意味でこのエンブレムはあまりトレンドに乗っていないと言えると思います。
なぜこのような選択・デザインになったのでしょうか。
トレンドに乗らず、非常にシンプルなものにしたのは、普遍的なエンブレムになることを狙ったものだと思います。
亀倉雄策の1964年オリンピックは今でも素晴らしいデザインと語られるもので、古さは多少感じさせても未だに迫力が伝わってきます。
佐野氏のデザイナーの仕事にはシンプルで洗練されたものが多くあります。また、近年世界にアピールできている日本のデザインはシンプルなものや余白を活かしたもの、自然融合的なものが多く見られます。
このように、佐野氏、あるいは日本の強みであるシンプルなデザインであり、また一時的なトレンドではなく普遍性をもつもの、として単純な図像になっているのだと思います。
もちろんこれにより、トレンドに乗っていない、古めかしく見える、単純すぎる、単純すぎるために似たデザインが挙げられる、といったことについて意見が出てくることについては想定していると思われます。
・似ているのか
さて、よく問題として挙げられているベルギーのロゴと比較してみます。
前述の通り、単純な図像なので、近いロゴがあることは避けられないと思います。しかしプレゼンテーション動画などを見ると、このエンブレムのアピールは以下のようなものです。
・東京の頭文字T
・日の丸
このうち、ベルギーの劇場のロゴと共通するのは円のモチーフくらいではないでしょうか。
以上のような点を踏まえると、佐野氏のエンブレムは図像的にはベルギーの劇場のロゴと近く見えるところもあるが、その他の点で大きく異なっている、と言えると思います。
著作権は、思想・感情を創作的に表現した著作物を保護するものです。
佐野氏のエンブレムはベルギーの劇場ロゴの思想・感情的な表現とは違う発想で出来たものであることは明らかだと思われます。
Wikipediaによると、リエージュ劇場は公共性が高いためロゴに商標登録がなく、商標権については問題にしていないとあります。
・原案は似てる
色彩、配置的なアレンジはありますが、これはヤン・チヒョルト展のタイポグラフィに結構似てると思います。
しかし原案として過去のデザインを参考にすることは問題ないのではないでしょうか。個人的には、なぜ公開したのだろう、と思いますが…。
これがこのまま採用されるとしたら大変ですが、最終案ではかなり変化しているので、これはある意味で事前チェックが上手く機能したと言えるのではないでしょうか。
・お粗末なマネージメント
佐野氏ほどのデザイナーですと、事務所を構え、他のスタッフにデザインをさせるというのは勿論あることです。しかし本人の名前で発表する以上、その監督責任は本人に求められます。
トートバッグに関しては、明らかに佐野氏の失態です。佐野氏もそれを認め謝罪し、社会的な罰は十分受けていると思います。
私が冒頭に書いた「(ほぼ)問題なし」という括弧はここが理由です。
本来なら大きな仕事は少し控えた方がいいと思いますが、今回はエンブレムの後に発覚したものですし、取り下げる程ではない、と思っています。
そもそもこのコンペは、一定以上のクオリティを信用されているデザイナーへの指名コンペです。
日本有数のデザイナーであれば、色々な人間との関係性ができるのは当然ではないでしょうか。
コネは悪用された時に問題になるものですが、今回のコンペがコネを悪用したものかどうかについては判断できないと思います。
■個人的には
個人的には、もう少しトレンドを押さえたデザインが好きだなぁ、と思っています。しかしそれと、ダサいかカッコイイか、良いか悪いか、善か悪かといったことは無関係です。
個人としてはそこまで好きになれなくても、表面的な華やかさを控えて理念としての重要性を選択したということは驚きでしたし、思い切った決断だと思っています。
ところで、オリンピックのエンブレムはどれほど重要なのでしょうか。
東京オリンピックを世界に向けて恥ずかしくない誇れるものにするために、私たちは何を大切にしなければいけないのか選ばなくてはいけません。
インターネットのお陰でどこまでも検索することが可能になり、どんな事象でもどこまでも批判できるようになりました。
580 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 00:33:38
普通に三項演算子 ? : いれた方がよかったんだと思うけど、そうできない理由があったのか?
581 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 00:37:57
>>580
ああすごい同意。
構文入れるんだよ。
583 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 00:44:31
つか、一種の3項演算子じゃん。
[x for y in z] とかとも類似する構文だし、俺はあれでいいと思うけどなぁ。。。
584 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 00:45:26
>581
とか? (本音を言うと誰にも使って欲しくない)
585 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 00:46:03
? : が既に使われててダメだったなら
C then X else Y
みたいにできなかったのか疑問
条件が真ん中に来るとか見づらいよ……
586 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 00:46:09
別にCに合わせる必要はないと思うよ。演算子関係ではCと違う部分がいっぱいあるから
半端に似せて「Cと同じだ」とか誤解を招くのはよろしくないと思う。
587 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 00:48:42
"x for y in z"
← ←
データの流れが見える
"X if C else Y"
↑ ↑
分かれていて嫌
588 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 00:57:28
>>587
でももう決まったことだし、個人的にはあまり気にしないで使うことになるだろうな。
591 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 01:07:32
初めてリスト内包を見たときは「何じゃこりゃ、ワケわかめ」という印象だったけど
もう慣れてしまった。今ではリスト内包は直観的で分かりやすいと感じる。
ずっと Guido のセンスで取捨選択してきたわけだし、ぶっちゃけ今のところこれといって
今度の新しい三項演算子も慣れたら普通だと感じるようになるんジャマイカ。
592 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 01:13:04
X if C else Y
「Xなんだよ! まあCだったらの話だけどな そうじゃなければYでよろしく」
593 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 01:15:11
594 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 01:16:06
[x for y in z]
↑
[x for x in original_list if x>2 and x<5]
595 :591[sage]:2006/07/26(水) 01:37:07
X if C else Y を使うのはきっと式の中がメインになるんだろうな。
functor = lambda x: x+1 if y > 0 else lambda x: x-1 if y < 0 else lambda x: x
とか、
delta = Numeric.array([[1 if i == j else 0 for i in range(M)] for j in range(N)], Numeric.Float32)
みたいな。>>593の言う通り、用例を考えていたらもう慣れてきた希ガスw
596 :591[sage]:2006/07/26(水) 01:54:02
q, r = divmod(n, 10)
print "%d%s" % (n, "th" if q == 1 else "st" if r == 1 else "nd" if r == 2 else "rd" if r == 3 else "
th")
たくさん if ... else が続く場合はなかなか読みやすい希ガス。
601 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 11:08:59
>>596
その書き方が許されるとすると、かなり応用力がありそうですね。
596がすでにぱっと見ではよく分からない
602 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 13:39:10
やっぱり、判定式が真ん中に来ると読みにくいな。
A = if C then B else D
603 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 14:03:57
>>596
三項演算子いれて、
print "%d%s" % (i, r == 1 ? "st" : r == 2 ? "nd" : r == 3 ? "rd" : "th")
にしたほうが見やすくない?
607 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 15:15:14
>>602
A = B if C else D だと
CならばDと目が流れちゃうかもかも。
まあ、慣れれってことか。
608 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 15:28:49
まあ、ハズレのときはNoneが返る形ならば、
A = B or D で済むんだけどねぇ。
BがNoneならDって使い方。これは結構便利でよく使ってるんだけども。
いまだに
A = B and D は使ったことがないけども。
609 :デフォルトの名無しさん[sage]:2006/07/26(水) 15:49:33
>>596
> たくさん if ... else が続く場合はなかなか読みやすい希ガス。
おお!まさにそう思うよ!急にこの演算子が大好きになった。
「お前は研究者だ。学生と思って甘えるな」といった意味が暗に含まれているようにも思う。
こんな中でほぼ唯一、「先生」と呼んでよい存在が南部陽一郎先生だった。
弦理論も、量子色力学も、電弱統一理論とその鍵であるヒッグス粒子も
偉大な仕事がたくさんありすぎて何に対してノーベル賞を与えれば良いかわからない。
「南部は10年先を行く」
そして10年後に重要性がわかる、もしくは再発見されることが度々あった。
例えば「南部-ヨナラシニオ模型(1961年)」。
量子色力学どころかクォークすらなかった時代に書かれた論文である。
まったく僕には理解ができない。
南部さんの仕事はまるで「全てを知っている未来人が当時の人にわかる言葉で説明したような」研究なのだ。
南部さんはそれだけ超越した天才だった、ということなのだろう。
2008年、益川さん、小林さんと共にノーベル賞を受賞された。
ノーベル賞なんて別に嬉しくないと言った益川さんが「南部先生といっしょに受賞できるなんて」といって泣いた。
あの様子は例えるなら
「藤子不二雄と手塚治虫が講談社漫画賞を同時受賞して藤子藤雄Aが泣いた」
といったところだった。
受賞時にアナウンサーの1人が
「今になって認められたお気持ちはどうですか?」と小林・益川氏にマイクを向けた。
それを見ていた人たちは怒った。
小林さん・益川さんが凄いのだ。
当時いろんな人がいろんな表現で説明しようとしていたけれど
あまりうまく伝わっていなかったように思う。
ノーベル賞自体は400年後には忘れ去られているかもしれない。
アインシュタインの名も、相対論も、僕らが忘れる事はないように。
南部先生の訃報のあとはてなであまり話題になっていないようで寂しいので書きました。
(本来僕なんかよりもっと詳しい人が書いた方が良いと思うのですが皆 twitter に移行してしまったのか・・・)
この記事を読んで解りにくい、読みにくい、誤解を招く表現などありましたら
それは全て僕の低い文章力や知識の少なさが原因です。申し訳ありません。
http://jodo.sci.u-toyama.ac.jp/theory/Nobelsympo2009jpssp/NobelSymposium-files/PDFS1/Eguchi.pdf
東大基礎科学科卒。過去250~340年間世界の大数学者達が解こうとして解けなかった、世界史的数学難問4つを解き、現在ロシア科学アカデミー数学の部で審査中。マスターした11ヶ国語を駆使したプロの通訳・翻訳家。矛盾だらけの現代物理学を初め、全科学(自然、社会、人文科学)の主だった物を体系的に批判し各々に別体系を提起。各種受験生(医学部、難関大学入試、数学オリンピック、社会人大学院入試、IT関連資格)支援。
■経 歴
2002年 (至現在)セント・クレメンツ国際大学 物理学教授
2001年 英国系セント・クレメンツ大学で数理物理学の博士号取得
2002年 ロシア科学アカデミー・スミルンフ物理学派論文審査員となる
1999年 英国系ウィットフィールド大学でコンピュータ科学人工知能の博士号取得
1991年 (~1993年)University of California、 Irvine人工知能研究所で確率論批判・学習システムの研究
1988年 (~1991年)世界の認知科学の権威ロージャー・シャンクのCognitive Systemsのデータベース研究所IBSで自然言語処理研究
1986年 (~1988年)欧州先端科学研究プロジェクトESPRITにESPRITディレクターとして仏Telemecanique研究所より参加(生産ラインへの人工知能導入の研究)
1985年 西独ジーメンスのミュンヘン研究所で生産ラインへの人工知能導入の研究
1982年 (~1985年)[仏国]世界一速い列車TGVのメーカーAlsthom社の知能ロボット研究所
1981年 (~1982年)[仏国]グルノーブル大学院、ソルボンヌ大学院で通訳の国家免状取得
1980年 (~1981年)[スペイン]マドリード大学院で言語学履修 西国政府給費留学生
■専門分野
数理物理学Ph.D.、コンピュータ科学人工知能Ph.D.、マスターした11カ国語を駆使したプロの通訳・翻訳家
■講演テーマ
「ビジネスマン、文系卒社員に理工系技術と技術的発明を評価できる眼を」
近年世界の大学でビジネス志向の学生向けに、理系の技術的な事がある程度分かるためのカリキュラム改変が始まっている。しかし申し訳程度であり、また理系の拠って立つ数学物理学の科学理論自体に欠陥が有る事が最近明らかとなっているため、正しい数学と物理学の粋を伝授し、文系でも本物の理系技術評価が出来るように支援する。
「英語を完璧に&現地語(非英語)を或る程度使えるマネジャー急遽創出と、社員の中から各国語通訳をネーティブに肉薄する敏捷性と正確さで急遽育成を支援」
海外のプロジェクトや企業と折衝するとき、英語がネーティブ並みであったり、現地語を自社のディレクター自身がある程度こなせるか、英語、現地語につきネーティブ並みの社員が通訳出来ると先方との話が大きく好転する場合が少なくない。それを本当に実現する教育訓練を私は提供できる。平明に説明し、実体験をしてみたい方がいらっしゃるなら講演会場で手解きをしてみたい。
「発見された言語学理論と外国語訓練方法論を基に、文科省と英会話学校の英語教育訓練方法論の根本的誤りの中枢を詳説」
統語法意味論、文脈意味論、実世界意味論の3レベルで進展するネーティブの母国語習得過程の中、言語能力の真の中枢は解説も無しに親の喋るのを聴いているだけで分かるようになる統語法的意味把握能力で、これは文法用語を全く使っていなくても徹底した文法訓練となっている。ネーティブが敏捷性、精度の点で万全であり、先ず文法的間違いをすることはない理由はここにある。全文法分野について書き換え問題の「即聞即答訓練」を一気に中学生以上の年齢の人に施し、全文法のビビッドな一覧性を習得させるとネーティブに肉薄する敏捷性と精度で外国語を使いこなせるようになることが発見された。
「<証明された欠陥数学> 確率統計と微積分学のビジネス、金融工学、保険業界での使用に対する警告と、それに取って代る新数学体系」
我々物理世界は離散値の世界であることが原因で、物理世界に住む人間の頭脳が考え出した数学の中で連続実数値に基づく確率統計学と微積分学だけが欠陥数学として発現していることが証明された。決して建設的な予測をすることができず、崩壊していく事象に後ろ向きにしか適用できず、せいぜいリスク管理にしか使い道の無い確率統計学をビジネス学の分野では金科玉条の如く信用し積極的やり方で利用しているが、ここに「理論」と現実との間に大きな食い違いが生じている点に警告を発したい。そのためそれに取って代る新数学体系を提起する。全てを分かり易く解説します。
「新エネルギー・エコ向けの発想を大転回した技術的な重要な発明を提起」
20世紀初頭に数理物理学者Henri Poincareは二体問題までは解けるが三体問題(三つの星が互いに重力で引き合いながら運動している時の時々刻々の位置を計算で求める事)以上は微積分学を使って解く事が出来ない事を証明した。これは無限小差分を使う微積分は計算式中で交差する項をほぼ同等とみなして相殺してしまうため、作用反作用の法則(F1*v1=-F2*v2)の取り違い(F1=-F2が作用反作用の法則であると圧倒的多数が信じている)と相俟って、交互に対称な運動しか記述できないため、対称性の有る二体までは記述できても対称性のない三体以上は記述できないためである。この欠陥数学微積分を基に二体までは「エネルギー保存則」を証明したものの三体以上の「エネルギー保存則」は本来的に証明不可能であることが明らかと成った。現に永久磁石がエネルギー保存則を大きく超えることが実証され始めている。それらの実験につき具体的に物理学の素人の方々にも分かりやすく報告したい。
「世界史的体系的誤りに迷い込んだ現代物理学とその使用者への警告とそれに取って代る新物理学」
現代物理学の二本柱、量子力学と相対論の中、量子力学は水素原子の原子核と軌道電子の関係説明を辛うじて試みただけで、水素原子より複雑な原子や分子の構造の説明に実は悉く失敗し、繰り込み・摂動理論はその失敗を隠すため後に持込まれた。軌道電子は光速に比べ無視できぬ速度でクーロン力で原子核に引かれて急カーブしながら等速加速度円運動、大量のエネルギーを消費するが、半永久的に軌道を回る。しかしシュレーディンガーの波動方程式(その波動関数とその共役関数の積は確率)はエネルギー消費に一切言及せず、エネルギー・レベルが一定に保たれるという明らかに矛盾した論を展開する。また確率を持ち込んだからには、エントロピー単調増大法則がここに適用され、水素原子は瞬時に粉々に飛び散らなければならぬ現実に反する二つ目の重大矛盾に遭遇するが、これもシュレーディンガーは見てみぬ振りをする。つまり水素原子の構造の説明にすら量子力学は完全に失敗した。量子力学とは動力学でなく各エネルギー・レベルについての静力学でしかなく、「量子力学」の「力学」なる名前とは裏腹に力を論じられない。論じればエネルギー消費が起こりエネルギーレベル一定論が崩れる。
「現代のフォン・ノイマン型コンピュータ・アーキテクチャーの誤りと、創るべき新コンピュータ・アーキテクチャー」
現代のフォン・ノイマン型コンピュータの計算機モデルが取りも直さずチューリングマシンそのものである。チューリングマシンは決ったパラメータ数の状態間の遷移を静的モデル化したものであるのに対し、歴史的にその直前に発表されたアロンソ・チャーチの計算モデルのラムダ・キャルキュラス(人工知能プラグラミング言語LISPの言語理論でもある)は関数の中に関数が次々に入れ子のように代入されて行き擬パラメータが増えていくダイナミックな仕組みを持つ。この後者は人間が作ったコンピュータを遥かに凌ぎ、宇宙の始原から発生した環境データから関数をf1(t),f2(t),.,fn(t)と次々に学習し入れ子のように代入進化し、次の一ステップの計算には宇宙の始原からの全ての関数f1,f2,...,fnを思い起こし、そのそれぞれの差分を取って掛け合わせる事をしているコンピュータとも言える物理世界とその時間の学習・進化を時系列順に模写するのに持って来いの仕組である。関数と言っても多項式で充分である事を世界の7大数学難問の一つPolynomial=Non-Polynomialの私の証明も交えて平明に解説する。これは日本の国と世界の先進諸国のコンピュータ科学の今後の研究方向を左右する発言となる。
■実 績
【講演実績】
Trinity International University
「コンピュータ科学」 学士号コースの学生に卒業まで全コースを講義
St.-Clements University
「金融工学に必要な数学・物理学」の博士号コースの学生3年間に渡って講義、研究テーマと研究内容、博士論文のアドバイス
St.-Clements University
研究テーマ「コルモゴロフ複雑系の二進ビット・ストリングの下限=Lower bound for binary bitstring in Kolmogorov complexity」の博士号コースの学生Dr. Bradley Ticeに英語でアドバイス
St.-Clements University
外国語学部のポルトガル語・伊語の通訳・翻訳の学士号コースの学生に教養学部のレベルから全社会科学(経済学、法律学、社会学、経営学)、人文科学(哲学、言語学、心理学、歴史学)、自然科学(数学、物理学、化学、生物学、医学、計算機数学)、エンジニヤリング(Information Technology、ソフトウエア工学、電気工学、電子工学)の各々の学科の全講義を行う。
Госдарственный Университет Санктпетербургской Гражданской Авиации (サンクトペテルブルグ国立航空大学)
物理学学会の論文発表会で幾多の論文の露語によるプリゼンテーション。
【メディア出演】
【執筆】
ti-probabilistic Learning by Manifold Algebraic Geometry, SPIE Proceeding, 1992 Orlando 等 人工知能学会論文
a≧b≧cとしても対称性を失わない。(a+b)/c≧2a/c≧2a/a=2。等号成立はa=b=c。他についても同様で最小値6。これでいいのかな
「日本人の男」全体を対象にした事案があれば対称性を見出せるけど、現状は個別案件ばっかりで、男全体を叩く例はほとんどないよね?
いちいち記録取ってないから実例は出せないけど、いくらでもあるよ
いやそもそも論として、もともとのモラル・ハラスメントは個人を対象とするものなんだけど、それと同じ構図を日本人女性全体に対して、日本社会は行っているよね、という話なわけで。
そこで個別のモラハラ出されても、対称の事案にはならないよね? ちょっとここの部分を理解してもらえないと、こっちとしてはどうしようもないんだけど。
で、元になった個別のモラハラに関しては、確かに自分の定義があいまいだったとは思う。
「悪口や嘲笑を受けている相手こそが加害者で、悪口や嘲笑をしている自分こそが、そんな加害者に振り回されている被害者であると考える」
「対象が外部へ逃げて自立しようとするのを全力で食い止めようとする」
「その際『お前は駄目な人間だから、外では受け入れられずに失敗する』的な論法をよく使う」
「実際は自立されて逃げたところで、対象が外部で嘲笑されることはない(加害者の手を免れるため)」
みたいなのを総合した状況に対してして使ってる。これをちゃんと前提に言わなかったのは申し訳ない。
ただ今回の話題は、この状況を「日本人の女」という単語を対象に行っているのが、今の日本のネット社会だよね、という話。
「日本人の男」全体を対象にした事案があれば対称性を見出せるけど、現状は個別案件ばっかりで、男全体を叩く例はほとんどないよね?
そういう話。
1.Welcomr to our party
(櫻井氏以外の)ラップが下手くそ。本職のラッパーではないが、自分が本職のラッパーだったらまず怒りを覚えるだろう。
Aメロからサビに至るまでのメロディーラインは聞いていて非常に心地いい。
あと、Twitter民は「ぷちょへんざ」とか「ここでまた会えたね」というのに喜んでいたらしい。
が、Put your hands up! Yeah!という一連のやりとりは、冷静になると聞いていて寒いことこの上ない。
しかしコンサートでは非常に盛り上がるので、一概に悪いとも言えない。
サビは正直言って微妙。
2番の最初で「隣の人とハイタッチ」という歌詞があるが、これはコンサートでやることを強いられているのだろうか?
2.駆け抜けろ!
全体としての完成度はそこそこ高いが、ちぐはぐな曲。
AメロやBメロはすっきりとまとまっているのに、サビで違和感を覚える。
恐らく、日産のCM用にサビを先に作り、そこにAメロとBメロを付け足したのだろうが、繋ぎ目が非常に不自然に聞こえてしまう。
メロディーの完成度は全体的にとても高い。
振り付けなしではとても聞いていられない。映像込みでこその曲である。
聞き慣れているのでアラ探しをしづらいが、歌詞がヘタな西部劇みたいで非常に寒々しい。
流石海外制作陣と言ったところか、曲が全体として良い物に仕上がっている。
曲単体で聞くより、当然のことながらダンス込みで見たほうがよく聞こえる。
5.We wanna funk,we need a funk
曲のタイトル通り、まさしく「www」と言いたくなる曲である。
全体的に日本語丸出しの発音で歌われた英語、中盤に入る謎の擬音、などなど、すべてが良くも悪くも「松本潤」。
ロック、ヤバい連呼、クラシック、時代遅れの邦楽、エロと続いた末に行き着いたのはファンクだったのか。
だが、もともと彼のソロ曲には、「曲」の側面からは誰も期待していないように思われる。「パフォーマンス」という面が完成してこその、「松本潤」ではないだろうか。
6.two
歌唱力は申し分なし。曲の完成度も非常によろしい。
ただ、いくらなんでも「叶わない悲しい恋をバラードorしっとり系ポップスで歌い上げる」路線にはもう飽きた。
そろそろやめてほしい。
大野智自体には、なんの問題も見当たらない。制作陣には、少し冷静になってマンネリ化を脱却する方策を考えていただきたい。
7.Waiting for you
びっくりするほど感想が湧いてこない。
なんの見所もない、凡庸な曲。
8.楽園
このアルバムの中で一番の出来。
イントロからリスナーをワクワクさせる意匠が詰まっている。メロディーラインも全体としてきっちりまとまっていて、またそれだけではなく意外性があって楽しませてくれる。
AメロからBメロに向かうと見せかけ、少しの間奏を挟んでサビに向かう構成には、最初は少し不自然さを感じたが聴きこむほどに良さがわかるようになってくる。
相葉雅紀特有の声も、あまり悪目立ちせず、むしろ曲と一体化して良い方向に向かっている。
欠点を挙げるとすれば、サビのコーラスがちょっと厚すぎるという点か。それも気にならないレベルなので、制作陣には花丸をあげたい。
9.旅は続くよ
イントロにまずツッコミを入れたくなる。あんたねぇ、1950年代のアメリカ映画じゃないんだから、と。
タイトルから想定していたことだが、歌詞が今時のJ-POP臭を濃く匂わせていて非常に気に入らない。
途中で入ってくるサクラップ、どう聴いても無理やり乱入してきたようにしか聞こえない。
10.それはやっぱり君でした
流石二宮和也というか、つかみは完璧というか、歌詞の最初の部分でリスナーの心をぐっと鷲掴みにし、最後まで聞こうという気にさせてくれる。
二宮和也の作る曲においてはいつものことだが、歌詞が少々口語的すぎるかなあという気がする。だが、それも彼の魅力。「、」と「。」を入れて、はじめて彼の詞は完成する。イマドキの女の子に受け入れられるにはこれくらいが丁度いいと彼も理解しているのだろう。
終盤の歌詞はこれ以上ないくらいに素晴らしいものに仕上がっている。是非、「虹」(アルバム「Time」収録)をじっくり聞いた後に聞くことをおすすめしたい。
最初にタイトルを見た時に、「ぷぷっ、迷宮ラブソング(笑)」と小馬鹿にしていたこの曲だが、なぜか紅白歌合戦でも歌われるほどの人気曲になってしまった。
これも、きっとサビだけを先に作ったのだろう、ということが手に取るようにわかる。
AメロBメロが不思議なくらい印象に残らず、バカみたいにCMで繰り返されたサビのせいでサビだけはきっちり歌えてしまう。
シングルで出したから仕方なくアルバムに収録されたのであって、アルバム曲として素晴らしいかというとそうでもない。
音源が出る前に一番注目していた曲。
編曲が、アニソン界隈では非常に有名なlivetuneのkz氏だったからである。
聴いてみて出た結論が、「インストで聴くのが最善」。
kz氏の有名な作品といえば、ClariSやRO-KYU-BU!への曲提供。なぜ曲が受けたのかといえば、キラキラピコピコなサウンドに乗せて『かわいい声の女の子が』(←すごく重要)歌うからであった。
かわいい声の女の子とは程遠い櫻井翔が歌ったところで、あまりいい曲だとは感じないのだ。ラップも入ってるし。
まあ、コンサートでは盛り上がるんじゃない?と思う。
14.Cosmos
15.証
サビを辛うじて覚えている程度で、他は印象に残らない。
16.Up to you
ここでも手をあげろと強制してくる。いい加減手を降ろさせてくれ。
Aメロ・Bメロは非常にワクワクするメロディ。聞いているとこれまでにないくらい高まってしまう。
最後の曲だし、ライブの終盤で歌うんだろうが、「Don't stop music いつまでも」と歌っているのが、なんだか聞いていて痛々しくなってくる。もう、終わりなのに。
「僕等はずっとここにいるから」「星に願いをかけて」歌詞の端々から、Welcome to our partyとの対称性を感じる。
だったら、どう違うか相対的な整合性を仮定しなきゃ
まったく意味がないよな。
個人的な経験則は無効だぞ。
まあ本格的なバカみたいだから簡単に設問すると、
僕はその問題に少しだけ詳しいので知っていることを説明します
あなたもご存知の通り、
風俗がオナニーよりなぜ気持ちいいのかという設問は長らく論争の的でした
いまだに決着していないといってもよいその議論は
とりもなおさず生命とは何かということの定義あるいは自己複製へのイデオロギー的確信に
世界中の科学者、研究者がこの人類に残された究極にして最後の謎、
暗い闇の中を手探り状態で開拓しはじめたのが今から70年程まえです
著者はサイモン・プライマー、題名が「断片の創造性にかかる自己複製への影響の解釈」という
この科学論文が英国科学研究機構に提出されたのが今から71年前のこと、
当時この論文にはさほど科学的に重大な発見が記されているとは思われていませんでした
そこに書かれていたのは、自己複製の連続性つまり人類の生命誕生における
遺伝子決定に関してたんぱく質が影響をおよぼす断片的な創造性の思想的な解釈でした
それはDNAの2重螺旋構造をセントラル・ドグマとした当時のある種流行とも呼べるテーマでした
この全体としていささかインパクトにかける無名の生物学者が書いた論文に
たった一行それはあまりにもさりげなくしかし後の科学にとっては非常に重要な示唆が挿入され
それをあくまで直感的に解釈するプライマーの言葉が短くしるされていました
それが以下、
私はこの等式記号がただちにオナニーの快感を否定するものではないことを承知するが
さしあたって風俗での射精との関連についての演算的なゴールであることを定義するものであること
でした。
ここに風俗とオナニーに関する科学史の始まりとそして同時に終末が同時に記されたのです。
あるいは当時この示唆はあまりにも大胆な飛躍ととられたのかもしれない。
しかし、このほんの小さな一陣の風の前に
一人の研究者が現れることで科学史は大きなうねりを持ち始めるのでした
意味はわからないかもしれませんけど、まだ始まったばかりですから
最終的に風俗がオナニーよりなぜ気持ち良いのか科学的に証明するところまで
行くのにあと300レスは必要なんだしその頃には分かるんじゃないかと思います
ごめん終わらせちゃっていい?
天才だなお前
ちょっと待ってくれ。
>>37がやろうとしていることは生命科学だよな。
おまえがやろうとしているのは疑似科学だ。
捏造することもできない。
僕はそれを証明しようとしてるだけだし
それを疑似科学だとか言うならそもそも君の設問がナンセンスだってことになるよ
それに僕はオナニーでの射精から得られた精液から得られた微量のゲノムDNAサンプルと
風俗での射精から得られた精液から得られたゲノムDNAサンプルのRCA解析の結果を2次元下で
モデル化することで余剰次元の素粒子標準の不明点は切り離せると考えてるし
あくまで演算的に設問を証明しようとしてるわけだから可視化の力学的性質だけで
検出できない微小なプロセスは物理的な効果も無視されるのがふつうだ。
君の考えていることとはベクトルがまるっきり逆だと思う
射精のメカニズムを解析するのではなく射精された精液に含まれるDNAのふるまいによる
観察結果がおのずと回答を導くんだ。だから300レスで十分に証明可能なんじゃないか。
間違えたPCRでの解析だ。RCAじゃヒッグス機構と階層性問題の内部対称性が示せない。
超対称性を取り入れた標準モデルの拡張性の大きな強みは、粒子とスーパーパートナーの
双方から仮想の寄与があるとき、超対称性によって仮想フェルミオンと仮想ボソンそれぞれの量子補正が
実現できるてことになるから。とにかくRCAじゃなくてPCRでの解析を比較します。
読んでて頭が割れそうだ。
エロ目的の道具としての対称性なら、オナホに相当するのはバイブ(参考:バイブオナホ)だけど、今回のは「同性同士の会話では許されるかもしれないけれど、異性の前で話すものじゃない」っていう意味の対称性で出したんだけどなぁ。異性の目・考えを意識しないっていうのがセクハラ問題なわけで、そもそもの元増田の話の流れがセクハラの話題なんだし、一行目に「同じ性別同士のなかでやるべき」って書いたし、わかると思ったけどなぁ。
バイブだのローターだのって、女同士なら許されるとか以前に、普通の女同士の会話ではまず出てこないものでしょ?まして、それが勤務中に出てくるなんていう絶対にありえないことを対称として例示しても意味無いじゃん。
俺的には男同士でもシモな話題は避けたいけれど、世間的には男同士でのシモネタはありという人たちもたくさんいて、そういう人たちの間じゃ、オナホなんて、透けブラやパンツを見せる女子高生やOLがたくさんいるのとか、生理用品のCMがじゃんじゃん流れているのと同じくらいに、ありふれたことなんだと思うよ。