はてなキーワード: 奇跡とは
(これはどうなっていますか?)
(どうしてこれはこういうことなんですか?)
などと聞かれると、
(こちらが何かやらかしたから謝ってほしいということだろうか? 一体何をしてしまったんだ?)みたいにあれこれ考えたり調べたりするのだが、自分の仕事に漏れや不審な点は一切見つからない。
仕方なく、恐る恐る、質問に対する答だけを述べると、
わかりました!ありがとうございます!
と明朗な返事が返って来る。
こんなやりとりを今の職場でここ3年ぐらいいろんな人と何度も繰り返している。
それより前にいた別の会社では全く違った。
(これはどうなっていますか?)
→なんで終わってないんだ? なぜできてないんだ?
(どうしてこれはこういうことなんですか?)
→こんなことになるなんてこっちは聞いてないけど勝手に決めたのか?
のような意味になって、そこでは理由を説明する=言い訳する となってしまうので、謝る以外の選択肢は基本的にない。
相手の望む答を先回りする、そんなことばかりしてなければならなかった。
今普通に考えて、そんな質問の仕方は仕事としておかしいのはわかるのだが、当時は周りが大体そうだったので、これが当たり前で、だから(世間は厳しい)ものだと思っていた。
それでもいまだに、他人に質問されると、何を謝らなければいけないのかと身構えてしまう癖はなかなか抜けない。
shibuya12 ビビりすぎやろ。うるせぇ殺すぞという加害者的なマインドを持っとけ。格闘技でもやって相手をボコボコに出来るスキルを身に着けておけば一々ビビらないと思う。
後出しじゃんけんのようで恐縮だが、社会人3年目ぐらいからは、格闘技こそ習わなかったものの、まさにこの方の言う通りのことを目指し始めていた。
周囲から押しつぶされるのを不機嫌と怒りで押し返すようなことをしていないと正直持たないと思っていた。
怒りを感じた相手、どうしても許せないことをした相手には徹底して怒りをむき出しにして自分の意志を認めさせることをした。もっとも、そんなことが成功したのはごくわずかだった。
奇跡的に相手をやり込めた場合も、自分がやられた時の相手が感じていたと思われるようなカタルシス(そんなものはないかもしれないが、自分がやられていた時は相手側が多数派として居心地のいい空気を取り戻した印象が多かった)など得られるはずもなく、本人も周囲もドン引きし、自分の居心地の悪さだけが残った。
むしろ、自分よりも口がうまかったり、屈強な相手には勝てるはずがなく、やられるのは最初と同じだったので、相手の求める答えを先回りして探す習慣は抜けなかった。
しかも、いつも不機嫌でイライラピリピリしているので、周囲からは近寄りがたい印象を持たれ、それが昇進昇格にも影響してしまった。
さらに、言わせる人から言わせると、私は何が何でも絶対に謝らない人として当時の社内の一部から認識されていたのだ。唖然とした。あんなに毎日謝ってばかりいたのにわけがわからなかった。上司の前で土下座だってした。ここでもボタンの掛け違いがあり、私は相手が謝ってほしい時に絶対に謝らず、その逆の時ばかり謝っていたようなのだ。
こうして、ガチの社会の落ちこぼれが出来上がったわけだが、そこから這い上がるチャンスとなった今の職場には本当に感謝している。
https://www.viet-jo.com/news/social/210301140337.html
2月28日午後17時30分ごろ、ハノイ市タインスアン区にあるマンション「グエンフイチュオン60B」で、12A階(13階に相当)のベランダから3歳の女児が転落するという事故が発生した。女児は奇跡的に命に別状はなかった。
部屋から出てベランダの手すりをよじ登って宙ぶらりんになった女児N・P・Hちゃんは、地面に向けて真っ逆さまに落下した。この様子は、騒ぎに気付いた向かい側のマンションの住民がビデオ録画しており、一部始終が映されていた。
力尽きた女児が落下し、もう駄目だと思った瞬間。たまたま現場に居合わせた荷物配達員のグエン・ゴック・マインさん(男性・31歳)が1階中庭のトタン屋根に上って、落下する女児のキャッチを試みた。落下の勢いがついており、完全にキャッチすることは出来なかったが、衝撃が弱まったため、女児は一命をとりとめた。
女児は病院に緊急搬送されたが、家族によると、手足を骨折するなど重傷を負ったものの、健康状態は安定しているとのこと。
危険を顧みず女児の命を救ったマインさんは、「私にも同じ年頃の娘がいます。あの瞬間、落ちてくるのは自分の娘だと思いました。女児の姿を見つけてから落下するまでは1分程度。勝手に体が動き、すぐ中庭の屋根に上って落ちてくる少女を待ち構えました。連絡先も伝えずにその場を去りましたが、その後、どういうわけか少女の家族から、骨折したけど、命に別状はなかったと電話がありました。助かって本当に良かったですが、怪我をさせてしまったことが残念です」と語った。
なお、このニュースを知ったグエン・スアン・フック首相は3月1日、マインさんの強い責任感と勇気ある行動を称えて表彰状を送った。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210302002625
businessart そう思う。最近この手の手口上手くなったよね
https://b.hatena.ne.jp/businessart/
ブクマ数30 にもかかわらずお気にいられ数18……怪しい。
そして、この人物をお気に入りしているブックマークアカウントを見るとこの通り。
それは偏差の希少性の表現であって、超常現象っていうのは「常態を超えている」現象で奇跡っていうのは「奇しなる跡」でレイヤーの異なる現象の片鱗が垣間見えることだろ
それがどんな事でどれだけ自分の周りにあるか、ないか、なんてのは知らんがな
ボクにとっては日常茶飯事っていわれても 子供部屋から一歩もでないでネトゲで神と崇められてるおじさんは 一般人からみたら超常で奇跡だよ
奇跡がただのレアケースの言い換えのようになってしまったので追記
掃きだめに鶴が降臨したことで発生するような事が起きるのが奇跡
奇しなる事の片鱗が残るように結果が見受けられ、推察するにもしかして原因はそのあり得ない事なのではないかと推察できる事柄が奇跡
まぐれのラッキーを後から考察すると様々に偶然絡み合った事柄が成したことであり、その多重多様な様が一度きりの偶然としても語るに足る稀有さというのが奇跡
それをまたさかのぼって、こんどはその完全に偶然の塊みたいなことを再現できるというのが奇跡を起こせるということだからまず狙って起こしえない事が奇跡
簡単に起こせるそれが他からみればとても貴重、という差異で希少性の価値評価名を奇跡とはいわない それはただ単に運がイイ希少性の再現才能があるってだけ
目をつぶって道路を横断しても轢かれないのは奇跡 何回やっても轢かれないとか何年も轢かれないのは奇跡 それを狙って起こせるのも奇跡
そんなもん身近にもないし狙ってもできないし みんながそれをわかってくれててよけてあげてるのなら「そんな状況に生きてること自体が奇跡」
子供部屋おじさんの奇跡はこれだね 他人の命をつかって幸福な奇跡を完成させて享受してるんだろう
海が割れるって状況が存在するにしてもそんなものは偶然がいくつ重なっても到底ならないものをしでかすのは奇跡
でも海が割れるって物理的に不可能なことが実健するのは奇跡じゃない それは神が成しえるのなら神秘 神による人に理解不能な何かしらの秘だ
美しい言葉ではあるが、しかしこれは根本的に間違った考え方だ。
多くの人々は「奇跡」と聞くと、上記のセリフと同様に、例えば病気が突然治ったなどの
めったに起こらない超常現象のひとつだと考えるが、実はそんなことはない。
それは別に、病気が突然治るなどの不可思議な現象を必要としない。
それどころか、病気が治らない、突然の事故にあったというマイナスの事象でも、奇跡として説明できるのである。
それはこういうわけである。突然の事故に遭った人物を例として考えることにしよう。
もし、その人が大ケガながらも死に至らなかったのであれば、そのことに奇跡を告げることができる。
「死なずに済んだのは、奇跡ですよ」というふうに。
それが軽傷ならば、無傷ならば、そのことを奇跡と呼ぶことはより容易であるだろう。
病気が悪化したとしても死なないのならば奇跡を見いだせるのであり、回復すればもちろん奇跡である。
これらの例のように、プラスな事象が起これば、それを奇跡と呼ぶことは容易であり、
マイナスな事象が起こったとしても、あなたは死ななかったという切り口で奇跡を見いだすことができる。
ただ生きているだけで素晴らしい、という考え方も、生存という素朴なことに奇跡を見いだしているわけである。
さらに、死という究極のマイナスな事象についても、奇跡を見いだすことができてしまう。
例えば、その時期まで生きられたことに奇跡を見いだすことができてしまうのだ。
つまり、余命半年だったのに1年間生きられたとすれば奇跡だし、
それが3ヶ月しか生きられなかったとしても、家族と交流を深める時間を十分持てた、
最後に自分のやりたいができたなどと告げて、それこそが奇跡だと伝えることができるわけだ。
よって、その事象を奇跡だと言い張ることは、何事においても可能なのである。
ここまでの事例からわかる通り、人々は奇跡を超常現象のひとつだと思っているが、
その人が究極的なマイナス(例えば、死亡すること)に陥っていないことを指して、
そのギャップを奇跡だと言い張ればよいのだ。つまり奇跡とは、下を見て満足せよということなのである。
だから、宗教も修行と称して、様々なマイナスとなる事象を味わわせ、
そこに奇跡という超プラス思考を感じられるよう訓練したりする。
超プラス思考という奇跡を感じられる考え方を、修行などと称して信じ込ませるプロセスの方が大事なのである。
がんの闘病ブログを読むのが好きなのだがおおっぴらに語りづらい趣味なのでここにその醍醐味を投下しておく。
闘病ブログに何を求めているのかといえば、自分の死についてのシミュレーション代わりに、というのが一番大きな理由になるだろう。自分もいつか死ぬわけで、その時にどのような考えを抱くのか。どのような苦しみを抱くのか。それを、他者の闘病経験を通じてシミュレーションしたい。いろいろな闘病ブログを読み漁ってきたが、迫真の筆致で綴られる生への希望、そして死への恐怖は、こちらの胃まで痛くなってくるような切迫に満ちている。ぜったいにこうはなりたくないと思う。
いくつも読み漁っていくうちに、そこに明らかに自分がエンターテイメント性、おもしろさを感じているし、それを求めていることに気づくようになる。たとえば、50代とか60代の、いってしまえば死ぬことに何の不思議もない年代の人間が死ぬ闘病記よりも、20代や30代や40代といった働き盛りの自分ががんになって死ぬなんて考えたこともないような人間の闘病記の方が、やはりおもしろい。その年代の人々には子供や家族がいるケースも多く、なぜ自分が、という絶望が、深く刻み込まれている。絶望は深ければ深いほどおもしろい。子供がおさなく、自分が死んだあとこの子は、家族はどうしたらいいのかという苦悩が書き込まれていると心が踊る。
それどころか、いつしか闘病記を読む時に、死んで終わってくれと願うようになった。自分の死のシミュレーションとして読んでいるので、生き残ってしまわれたら困るのだ。闘病記は、だんだんと執筆者がまともに文章を残せなくなり、最後に家族がその死を報告して終わるべきだろう。そう思うようになった。何十もの闘病ブログを読んできて、治って元気になってしまった時ほどガッカリすることはない。死んでこの暗い欲望を満たしてくれ、それもできれば、少しでも生きようという希望と、死に対する恐怖を細かく書き込みながら、と願ってしまう。
こういう欲望を持ちながら闘病記を読んでいる人は数多くいるだろう。口では奇跡を祈りますとかなんとかいいながら、心の底では死を願っている。これまでもたくさん楽しませてもらったので、せめて、自分が余命宣告レベルのがんになった時は、できるだけ自分が理想とする闘病ブログを書き上げてしんでみせようと思う。
私としたことが!
なんたるちゃー!って
なんとかして配達止めなきゃ!って
電話口で荷物番号を言ったら機械的に弾かれて配達がストップするのかと思ったけど、
集配している郵便局に身分証などを持って行って請求して下さいとのことで、
あーあ面倒くさいことになりそうだな!って思ったの。
でも私はもちまえの諦めない気持ちを抱きしめて、
1時間前に出した郵便を集配される郵便局にカローラIIで向かったわけ
窓口に行くと、
書類を書いてくれと言われたけど、
窓口が違うから集配の窓口に行ってくれって
たらいを回すように私も越谷回しされるかと思ったの。
で私はその窓口に行って係の人に言ったの。
郵便出し間違えたので止めたいんですけどって。
そしたら係の人、
さっき1時間前のみかんの花咲く丘公園駅前のポストです!って言ったの。
そしたらまた係の人、
それなら集配の車が今帰ってきてるはずなのでちょっと見てきますねーって
私は半ば諦めていたけど、
だって1日何億通と扱ってる郵便のなかから1通を探し出すなんて、
まるで太平洋の中の蛙のようにって、
違う違う、
困難なことだとほぼ不可能だと思っていたの。
だから荷物番号を伝えて機械的に弾かれることを望み期待していたから、
私はその番号をメモした紙を持って自信満々でいたの。
5分ぐらい待って係の人がいよいよ戻ってきて
ありましたよーってあっさり言うわけ。
まさか本当に見つかって手もとに戻ってくるとは思っていなかったので
思わず私係の人に、
本当にこんなにあっさり見つかるんですか!?って
目を白黒させながら言ったのね。
これも私の日頃の行いが良すぎるファイヤーなのかしらって思わずにはいられなかったわ。
我ながらスゴいなーって
見つけたのは私じゃないけど。
でも運が良かったのよ。
本当に。
今回はあっさり手もとに奪還できたからよかったけど、
思わずヒヤリ冷や汗よ。
でね、
自分のアカウントなのにログインするのも人苦労する毎日に明け暮れていたから、
またこんな同等の苦労をするんだろうって認証にって思ってたけど、
そんな甘くて逆にビビったわよ。
あと思ったんだけど、
そのあとちゃんと終わったからって喫茶店とかに寄らずサボらずに回収終わったら集積局に戻ってんだーって
真面目に仕事してるのねって。
まあ、
てへ。
以後気を付けます。
うふふ。
これに限る胃に優しい感じを醸し出すわ。
またポンカン1袋買ってきたので、
ポンカンは搾ってもいいし搾らなくてもいいしどちらでもいいわ。
冬場は乾燥しがちなので、
水分補給はしっかりね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
発注する側がド素人なのに口を出す、この時点で負け戦がほぼ確定してしまっている
銀行において、審査部門の部長は若い頃から審査畑一筋で歩んできた人がつくケースが大半だ
これは審査に限らず、証券部門であったり国際部門であっても同様である
まあこれは仕方ない 銀行内でIT畑を歩んで出世する人がいないからである
人事や審査、資金運用などの部門と比べ、IT部門は一つ下、いや三つくらい下に見られている
社内ではただのコストセンター的な見られ方をしているうえに、定期的にド素人の部長が着任してはなぜか開発に口を出す
これで開発がうまくいく方が奇跡だよ、いやまじで…
日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。
どの作品を入れるべきか迷った。古典の翻案に見られる知性とユーモア、晩年の作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に「歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活の不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。
「河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界の架空の言語に魅せられたのか、その理由はわからない。
アンデルセンの小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。
で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。
ところで、ディズニーの作品の価値を貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫」だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニーは普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)
「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンがニュートンとアインシュタインの物理学を自力で発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者とエンジニア最高、政治家と宗教家と文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。
そうしたえぐみが比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。
友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代に適応できない英国の執事の物語である。
彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものだから、登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。
カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。
彼の作品は不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい。
作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき、人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯に思考した書物である。
ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。
僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程を子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。
そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物の意識から別の人物の意識へと、外界の描写や連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本の映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分の意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。
「灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。
さえない少年が万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれてしまう。これは主人公が異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式でチートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白い小説なのに、その小説が現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨の台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。
ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆のメッセージのストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人と商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。
基本的に自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉や文字で物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。
元々SFの人だけれども、最近は日本の古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。
どうしてこれほどあなたを信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやかな奇跡であなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。
以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。
ただただ弱くて情けない人物が遠藤周作の作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。
「男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である「女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。
世界の文学をパロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語の関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマが物語レベルとメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。
知的障害者のチャーリー・ゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者とセックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。
チャーリーは女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。
天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか。
素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点が距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。
子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類の運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。
人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙で意味があるのか。
人類の運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。
愛さないなら愛してくれ・・・といわれて、何万人もの人が指示をするから 好きと嫌いは同じことなんだろ?
じゃぁ
愛さないなら愛してくれといっただろ?
だからおれは、僕が統合失調症かもしれない。僕は頭がオカシイのかも知れないと言い始める
嫌われないよ、あるいみレイプ犯は相手の人生から消えろ レイプ犯は嫌われろ 好きと嫌いは同じだから 好きじゃないなら嫌ってくれ
おれは相手の人生から消えてやれと思う 頭のおかしい人が思うだけ あなたが正常 大体の人はレイプをしても許してやれよという 実行犯に対して
許されるルートが有ると思っている どんな罪でも 必ず許される 人を殺しても 自分が死ねば 相手は奇跡の復活
そういうふうに信じている人もいる それはしょうがない。信仰の自由
何を信じてもいい
今日も彼氏だいすきだった……。何年もずっと好きなんだけど、ここ2.3日は狂ったように彼氏が好きで、空いた時間があると延々と彼氏のことを考えてしまう。すきだ。
今日彼氏にLINEとかメッセージで「好き」「大好き」「愛してる」みたいなこと言った回数を数えたら47回だった。言い過ぎかもしれない。数えられるのは残ってるからなだけで、彼氏が寝る前に電話した時は数えきれないくらいずっと言ってた。「すきすきすき○○くん好き!大好き!」ってずっと言ってた。彼氏は苦笑いしてた。
そもそも私は彼氏のオタクみたいな人間だった(別に有名な人とかではない)ので、彼氏のことが付き合う前からとにかく大好きで仕方なくて、どうにか近づけないかなーと思っていた中で奇跡的に付き合ってくれることになってしまったので、もうそれは狂っても仕方ないことなんです…と彼氏に言い聞かせてる。アイドルのオタクが好きなアイドルと付き合えてしまったような状態を想像してください…と伝えている。普通の人からしたら怖がられても仕方ないかもしれないけども、彼氏はニコニコしながら聞いてくれてる。ありがたい。
そして幻滅させられることがない。すごい。いや、これからあるのかもしれないけども、とりあえず今のところはない。思った通りの人だった。良いところもちょっとだめなところも想像していた通りで、毎日やりとりする度に好きになってしまう。本当にすごい。本当に大好き。
早く大好きな彼氏にまた会いたいな。会って好きだよっていっぱい言いたいしニコニコしながら聞いてもらいたいな。彼氏だいすき。明日は多分もっと好きなところを私に見せてくれるだろうな。あー好き。大好き。
何年前で認識止まってるんだよw
この数年で失業者が激増して合計特殊出生率が0.8を割り込もうかって国に憧れるとかもはや特殊性癖の域だぞ?
雇用労働部が昨年12月に事業体労働力を調査した結果だ。12月に事業体で働く従事者は昨年同月に比べて33万4000人減った。雇用部は「社会的距離の強化と公共雇用事業の終了が大幅な減少を導いた」と分析した。だが、政府分析とは違い、常用職で26万7000人も減少した。公共雇用が多い臨時日雇いでは8000人減った。その他5万8000人減少だった。政府が財政バラマキ式で雇用を作っても事業体従事者が減少した決定的原因は悪化の一途をたどる経済状況だといえる。
文大統領の「韓国経済善戦」発言も…9月に常用労働者24万人減少
1人以上の事業体の従事者減少傾向が先月、また拡大した。雇用期間が1年以上で比較的安定した常用労働者の打撃が大きかった。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は前日(28日)の施政演説で「経済が奇跡のような善戦で世界の注目を受けている」と述べたが、雇用指標は悪化する様相だ。
雇用労働部が29日に発表した「9月の事業体労働力調査」によると、9月の1人以上の事業体の従事者数は1857万6000人と、前年同月比11万2000人減少した。新型コロナの感染拡大で雇用危機が最も深刻化した4月(-36万5000人)が過ぎてからは減少幅が縮小していたが、先月、減少幅がまた拡大したのだ。
安定的な雇用は減り、不安定な雇用ばかり増えている。正規職を含む常用労働者は24万1000人(-1.5%)減少した。一方、臨時・日雇い労働者は18万1000人(10.1%)増加した。新型コロナの影響で3月から6月までは常用職と臨時・日雇いは共に減少していた。しかし7月からは臨時・日雇いは増え、常用職は減少幅を拡大した。
2分の1の確率で、マジで何もしなくていい最高の天国みたいな場所で目を覚まして全てから救済される
毎日その分岐が行われていて、天国に暮らす俺が一年に365人生まれているということになる
俺は生まれてからいままで、ハズレの方の2分の1を引き続けてきた存在 天文学的な運の悪さだ
現に、今朝アタリの世界で目覚めた俺は、昨日までハズし続けていた超運の悪い存在だったわけだ
これまでの戦績は今後の確率に影響はしない
あした天国で目が覚める可能性は2分の1だし、あさってまでに天国で目覚める可能性は4分の3 明明後日ともなると8分の7
毎日2分の1を引き続けて、ここまで外し続けてきたことのほうが奇跡だ
俺は天国に行くぞ
ピノチェト https://anond.hatelabo.jp/keyword/%E3%83%94%E3%83%8E%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%88
ここにはたまにピノチェト政権の失敗を指摘する増田がいるようだ。
不勉強でチリの経済状態がどうなっているのか全然知らなかったので"チリ 経済"で検索(Bing)してみたら少なくとも1ページ目はポジティブな記事が並んだ。
Wikipediaのページも引っかかり、Miracle of Chile、チリの奇跡という項目があってピノチェト政権は概ね称賛されている。アマルティア・セン(Amartya Sen)ら一部からは否定的に論じられているらしい。
Googleで検索するとネガティブな記事も引っかかる。それらはピノチェト政権の話ではなく現ピニェラ政権下で資源価格下落により不況になった話と、再生可能エネルギーへの転換に突き進んだ結果電力価格が高騰してデモを引き起こした話と、政府の緊縮政策から電車の運賃値上げをして反発を招いている話など。貧富の差が大きいことが不満の根底にあるらしい。
もはやなにもかもがわからないままなので
検査してみようかなと思い立った。
思えば人生が約30年位過ぎた。
人生そのまま進んでいて
生きていることがもう奇跡ぐらいだし
どんなに早く寝ても朝は苦手
またはやる気が起きなくてドタキャンする
ただ生きているだけってこんなにもコストかかるし
めんどくさいし難しいね。
本当に今生きたくても生きれない人に
まだ見ていたら増田は自分を男女逆に置き換えたらどんな立場にあたるのか想像してみて欲しい。
男だらけのサークルの中にいて誰とでも気さくに話している。
複数の男と2人きりで何度も飲みに行って、彼女の愚痴とか不倫の愚痴みたいな「恋愛相談」を受けたりしている。
仲間内では「あいつからは女性を感じない」などと言われているが評判自体はいい。
そのサークルでは異性同士が体を密着させることが極めて頻繁である。
「彼氏ができた事がない、結婚したい」と「本人は」言っている(本当かどうかはわからない)。
容姿や能力などは置いておいて、そういう交友関係の女と付き合って結婚したいと思えるかどうか。
ハッキリ言わせてもらうと自分はそんな女と関わりたくないわ。
普通にサークルの男食いまくってる姫だと思うもん。特に異性の恋愛相談ホイホイ乗っちゃうあたり。地雷探知機ついてなくてやば過ぎるわ。
ただこれは増田をあまりよく知らない人間の感想で、おそらく増田の周囲にいて増田をよく知る女性陣からは「彼氏/不倫相手が冷たいから火遊びしようと思ってたけどあまりにもピュアすぎてフラグぶち折りまくられたからこのままぬいぐるみ枠としてキープしとこ」みたいな扱いになってる。男としてはないけど他の女にくれてやるには惜しいみたいな枠。
もし今後奇跡的に増田に彼女ができたら、サークルの女の何人か(特に相談女)は、彼女と会ってそうな休みの夜中とか嫁が妊娠中とか産後のタイミング見計らって「彼氏と喧嘩しちゃった寂しくて会いたいのもう死ぬぴえん」みたいなメール送り付けてきて、それが原因で彼女や嫁との仲こじれると思うから気をつけた方がいいぞ。
もし異性に「恋愛相談があるから2人で会いたい」みたいなこと言われたとき、ほんとにホイホイついてって律儀に相談聞いて得があるのは相手持ちの女を食い散らかしたいヤリチンだけだ。
「喧嘩中とはいえ、他の男と2人きりで会うの彼氏はいい気しないだろうからやめておく」って言える男の方が結婚相手としては断然強いし信頼が置ける。ほんとに結婚したいなら覚えといて損はないぞ。