はてなキーワード: 中二病とは
Twitter で mimic(ミミック)というサービスが話題になっていた。
https://twitter.com/illustmimic/status/1564081818441109505
これを受けて多くのイラストレーターさんがAI学習禁止を表明していた。
無断転載禁止などと並べて掲げているのを見かけたが、AI学習に他人の著作物を利用すること自体は法律上問題ないらしい。
いろんな人の表明を見ていてふと思った。
AIが色々な絵や漫画や写真、風景を学習して出力した絵に何の違いがあるのだろうか。
好きな人の絵をまねて同じ画風の絵を描くことに何の違いがあるのだろうか。
画風の違う2人の絵を学習し、新しい絵を出力するのは問題がないのだろうか。
AI学習禁止を表明しているイラストレーターは他人の絵から何も学習しなかったのだろうか。
参考にした部分は何もないのだろうか。
私個人はクリエイティブな仕事をしているわけではないので今回の騒動にワクワクしている。
中二病的だけど、世界の構造が少しずつ変わっていくようなそんなワクワク感がある。
今後どうなっていくのだろうか。
これは自分の心境の整理のために書くものであって、誰かに読ませるためのものではないことをあらかじめ記載しておく。
男の子の遊びが好きで、運動が嫌いだから外遊びこそしなかったけれど休み時間は女子よりは男子とつるんでいた。
家族から「女の子なんだから」「いつか将来彼氏ができたとき」「その服かわいいね」と言われるたび違和感があった。
それで、「性同一性障害」と――少なくとも当時はそう教えられた――呼ばれる概念を知ったのが小学校5年生の秋頃。性同一性障害という単語を知って数日後に、突然自分がそれに当てはまることに気が付いた。
気付いたときは混乱した。今まで自分は女として分類されていたし、身体が女なんだからそれを疑いようがなかった。だから赤いランドセルを大事にしていたし、シナモロールの筆箱を黙って使っていたし、将来の夢は幼稚園の先生だった。体育の着替えも使用するトイレも、女子たちと一緒でも何も思わなかった。
今なら自分の持ち物は親が買ってきたものなんだから選択の自由なんてはなから無かったと言えるし、小学生の言う将来の夢なんて知っている職業から無理やり捻りだしているに過ぎないとわかるし、身体が女なら周囲の人間や自分自身の安全のために女子更衣室や女子トイレを利用するほかないことぐらいは当然理解できるのだが、小学生の自分は「男か、女か」という固定概念に囚われ、自分の在り方が大いに矛盾したもののように感じられた。
その日学校から自宅に帰ってきて、初めてうちの母に「俺」という一人称を使ってみたいと言った。母は怒り狂った。そんなはしたない言動をしていいわけがないだろう、痛々しい。女の子なんだから俺なんて言葉を使っちゃいけません。テンプレみたいな行動だった。
母はパソコンで「俺っていう一人称使う女イタいよね」みたいなスレのまとめまで引っ張り出してきて、「ね?みんな気持ち悪がってるからやめなさい」と言い出した。「中二病乙って感じ」「マジで気持ち悪い」「(暗黒微笑)とか使ってそう」みたいなレスならまだよかったが、中には「僕っ娘かわいい彼女にしたい」とか「ぶち犯して女であることを理解させたい」のような性的な物まで混ざっていた。多分母も頭に血が昇っていて内容まで細かく精査する余裕はなかったのだろうが、だとしても小学生に読ませる内容ではない。まして自分の性別の違和感に気づき、勇気を出して親に打ち明けた小学生に読ませる内容では絶対にない。……と今なら反論できるだろう。繰り返すようだが当時小学生である。心理的に非常にショックを受けたが、それを言語化できない。
母も修羅場だったんだろうなと思う。私が早めの中二病を発症して、このまま矯正しなければどんどん品性の無い振る舞いを覚えるようになるのではと危惧したのだろう。こちらの心理を勝手に決めつけて行動さえしなければ正しい教育方針だったんじゃないだろうか。結果的に大惨事が起きてるけど。この出来事は親への信頼を損なった思い出として大いに心に残り、このことを父親に言えたのは今年の7月に入ってからだ。
それから中学校・高校と、友人の前では男として行動し、先生や家族の前では女として行動する生活が続いた。当然友達はいなかったが、そもそも友達と一緒に遊ぶよりは一人で過ごす方が好きだったので大した問題は無かった。精々中学校で変わった奴認定されてひそひそ陰口を叩かれたぐらいだ。それなりの偏差値の高校に行けば止まった。
今通っている大学では、自分の身に降りかかるありとあらゆる出来事にある程度妥協ができるようになったつもりなので女として過ごしている。就職したら準備が整い次第すぐ母親から離れて、私生活では男として過ごすつもりだ(就職活動を女としてやってしまったので就職先ではどうなるかわからないが……)。
まあ妥協できたつもりになっているのはあくまで「つもり」でしかないので、未だに自分の性別がどちらかわからなくなるし、女として振る舞いたくなる時も稀にある。だけど基本的に私の性別は男で、身体の性別が重要になる場面以外では男として扱われたい。いちいち説明するのもめんどくさいので、身なりを変えられるようになるまでは女として過ごしているだけだ。
結局何が言いたいのかわからなくなってしまった。誰かに読ませるための文章でないことは冒頭に記述した通りだが、こんな怪文書を最後まで読んでくれた根気のある人に強いて何か伝えるとするなら、何も言わず普通に接すること以上の配慮はないということだ。個人的な意見だが、性的マイノリティに対して特別な配慮が必要なわけではないのだ。ただ、こっちがどんな一人称を使っても、どんな服を着ていても、突っ込まず昨日までと同じように普通に話してほしいだけ。内心でどう思っていようが、面と向かって馬鹿にされない限りはこちらも気にしない。「その服おかしくね?」とか「何その喋り方」なんていう問いは、自分で自分自身に向けて散々発しているのだ。今更他人に問われたくない。
ブルアカの今イベが、なろう系によって滅びたはずの青春と精神的な成長を描いた物語りで老害としてはテンションがあがった。ざっくりいえば、中二病から高二病に移った少女が、中二病も高二病も同じだと気づく話である。
そういう大人に近づくこと。少し言い換えると、自分本位さに気づいて他人を受入れられるようになること。冗談と侮辱との違いを感じとれること。自分を信じてくれる仲間とそうではない人たちがいることに気づくこと。分別がつく、ということだけど、実際それはまだらで、一人の中に分別のつかない子供っぽい一面があれば、分別のついた大人っぽい一面もある。そんなところが今イベの物語りには詰め込まれていた。
まあ、こういう大人になる物語りは旧世代の王道ではある。でも、ある事柄だと自分は分別が付いていないという性格の欠点に気づき、それで分別がつくようになるというのは、他人の人生を垣間見れるという面白さと同時に欠点を突きつけられる苦痛がある。苦みのある面白さは、なろう系の性格を全肯定することで苦痛を排して、自己を承認される快楽を楽しめる物語りによって滅ぼされたのだと思っていた。海の向こうだから生き残っていたのか、それとも過去の王道を目指しているのかはちょっと分からないところである。
『超電磁マシーン ボルテスV』(1977年)のプリンス・ハイネルだの
『闘将ダイモス』(1978年)のリヒテルだの当時の女子にすごく人気があった
よく言えば元気いっぱい言い換えれば子供っぽい
悪役の方が内省的だったり敵組織内で孤立してて複雑な人間関係を抱えてたりする
要するに悪役の方が大人っぽく見える
これ、(一般論として)なぜDQNに惹かれる女が多いか問題と関わってくる
オタク男子は完全に子供扱いだった(だって実際アニメとか本来は子供の見る物だったし)
そういやファーストガンダムのブーム期はシャアとガルマのBLがすごく流行った
そしてシャアもガルマもアムロより歳上で、平パイロットではなく指揮官という責任ある身分だ
主人公サイドは大っぴらに恋愛できなかった(子供には共感しにくいからだろう)
そんで悪役ばかりが色っぽい役回りを背負っていた
自分ら男のオタがまだメカや戦闘シーンの格好良さで盛り上がってた年齢の頃
女のオタは一足先に色気づいてディープな人間関係のドラマとかに注目してたんだから
だが、こういう女オタ心理が想像できるようになったのもやっと30代後半以上だな…
ただまあ、現代は子ども向けの建前がなくなって主人公側でもワルっぽい奴がずいぶん増えた
(ドリフターズの信長とか豊久とかサイコパスの狡噛みたいな戦闘狂の大人は俺も好き)
なんかブラック企業の証みたいな扱いされてるけど、
まず朝に大きい声を出すことに意味があると思う。
うちの事務所の人間、挨拶も同僚との会話も(人によっては)お客さまへの挨拶も、蚊の鳴くような声でぼそぼそと
ワイはボイトレに通ってるからわかるんだけど、定期的にでかい声を出していかないと喉は衰えていく。
毎日みんなで大きな声を出すことは理にかなっている。
あと社訓を読ませること、
みなさん「洗脳」だとか「調教」だとか言って、まるで社訓が悪いもののように扱うんですが
社訓だって書かれてることだけを見れば、ほとんどの会社でいいこと書いてあると思いますけどね。
それをまるで悪いことであるかのように扱うのは、ただあなたが労働に対して斜に構えてるだけなんじゃないですか?
ミーティングでプロジェクトチームからの報告を私が担うことになり、みんなで考えた文書を提出した。
→伝え方が悪かったとされ、誤解を与えてしまった。
今度行う施策について、3月までゆっくり切り替えていきますが、全員ができそうな部分は早めに取り組んでください、と伝えた。しかし、
→移行期間を行わずに新体制に移行します。マニュアルよんでね。旧方法やる人は許さん。
というニュアンスで捉えられてしまった。なんで。怒った口調で言ったわけでもないのに。
それについて、「伝え方が悪い」とか、「誤解を招く表現してたんじゃないんですか」とグチグチ言われた挙げ句、新しい施策のうちわたしの介入したところを白紙にされそうになった。
こんな感じでやりますよ、じゃあ施行しよう。という段階で、詰めの甘さを指摘され、後出しでこれってだめなんじゃないですか。というのは急にもほどがある。
そもそもが有識者(詳しい情報を提供してる業者)の意見を聞いてそうなった部分もあるのに、考えてないだの思考停止だの言われた。自分たちより詳しい人たちとか、経験から導いたこととかを疑えってのはそれはそうなんだけど、「根拠は?」「根拠は?」と詰められて疲れてしまった。根拠はあるけど書籍に乗ってたとか導入事例があるとか、他社のやり方に習ったとか全部駄目で、完璧を目指さないと気がすまない某チームメンバーと対立してしまった。
新しい方法の導入についてだけど、きっちりやりたい一方、なるべく失敗しない方法で簡便を目指したい、というわたしの意見も手抜きとか意識低いとかで棄却された。
ミーティングでも「わかんないよ」と言われた。やってみればそんなに難しくないことですら、説明書が1から10まで書かれてないとだめだし、説明書がどんなに詳しく書かれていたとしてもそれを読んでくれないというのは薄々気づいていた。
ちなみにこのプロジェクトを指示した人物からはひたすらプロジェクトの完成を急かされ、呼び出されては怒られを繰り返した。
チームメンバーも敵だし、新しいやり方をこれから覚えてく人も敵に見えた。これをやりなさいと命令した人も。
ちなみに報酬もないしこれをやったからといって昇進するわけでもない。どこにモチベを見い出せばいいのか。
といってたどり着いた先が業務を簡略化し心理的負荷を下げれば救われはするかな…
だったんですが上記のそのスタンスすら根底から覆されようとしてるのを感じ、もうモチベーションもなにもかもが粉々に砕け散った。
そもそもがチームメンバー同士の会議で資料を事前に送っているのに読みもしないでミーティングを行い、初めてみた情報に対して怒りを顕にするような会議しかできないってのがおかしい。昔から思うけどそれで会議って言っちゃう人があまりにも多すぎる。そして一回決めたことを理由をつけてひっくり返すものだから、答えが決まらない。
また、理由を1から10まで決めないと気がすまない人も多い。もちろんなにかを選択しなくてはならないときに理由を挙げる大事さは分かるんだが、結局のところは選択肢AとBどっちが好きか?の問題でしかない。
対面会議の重要性は、まず文字でのやり取りを終えてから承認を得たり、会話じゃないと得られないやりとりをするのが本質なはず。だけど、ときに権力や知識を振りまいて感情的に物事を言うことでこっちからの意見を封じ込めたいという意図を感じることもある。
基準として、リモートや文面、Slackで完結しない会議は(それが必要なことがあるとしても)そういう要素があると思う。
ようは対面での会議は「怒られ」を象徴する。という認識になってきた。
わたしは昔からまあ部活動の運営とか技術系とかに関わってはいたんだけどそういう要素もあったので、これは弊社に限ったことではなくどこでもあることなんだろう。なので転職すれば直るかというとそうでもないと思ってる。(むしろ悪化するまである)
ようは定期的に精神力と睡眠時間・余暇を削って怒られるための文書や資料を作る、怒られるための準備をするってのがほんとに耐えられなくなった。怒られるのが嫌っていうと甘えに聴こえるかもですが、私が欲しいのは具体的な意見であって感情的な意味もない叱責や人格そのものの否定ではない。
ここ数ヶ月のわたしは
・いろんな人からの板挟み
・定期的に怒られるイベント
そういうストレスが蓄積して、今回爆発した。
川に飛び込み、ロープで絞首を行い、家にあるありったけの刃物で手足を刺した。普通の人であればこなせる仕事をこなせず反省もしないバカ(つまり私)に制裁を与えてやった。死んだら人や家族、職場に迷惑がかかるから。死なない程度に。誰かに気づかれたら心配されるから傷も隠した。(2人程度にはバレたけど)そして唯一の言葉の吐き出しができるツイッターにて、アカウントを「あれ」に乗っ取らせた。
あれっていうのはざっくりいうと不注意の多い自分に代償として生まれた概念で、分かりやすくいえばなにかを迷うシーンでありがちな「天使と悪魔」のうち「天使」に属するが手段を選ばない奴で、正義のためなら暴力や兵器すらも使うタイプのやつ。
つまり、「お前(わたし)はダメ人間なんだよ!」というスパルタを私から分離した超攻撃的な人格が私の中にはいて、自傷行為を引き起こす。
これを分離しすぎるとセルフネグレクトが起こるし、近づけすぎると自傷になる、とても扱いにくい奴をわたしは心の中に飼ってる。
まあ、この「あれ」に精神が乗っ取られて自傷行為が起きる、という認識だ。
今回、様々な環境要因もあり、「あれ」に精神を乗っ取らせてしまった。SNSの人格すらも乗っ取られた。
こう書くと中二病に見えるかもなのだが、事実自傷行為中の記憶がないし終わったら泣いててひっかき傷だらけの自分がいて理解ができない。怖い。
となると身近なツールで「あれ」との対話を残す、とか「あれ」の存在を私以外に客観的に見てもらうのはリスクが伴うけど対処法にはなる。
なので、鍵のアカウント化してああいうやり取りをわざと残した。ということになります。
今はアカウントは戻し、当時のやり取りは消しましたが、こういう現象があるということもご理解ください。
そして、SNS等で不安を与えてしまい申し訳ありませんでした。お声がけしてくださった方もありがとうございます。
同じく親が真光にハマっていた(というか現在進行形でハマっている)のでうんうん頷きながら読んだ。うちの親はもう20年くらい熱心に信仰している。
知らないこともたくさん知った。オミタマってそんな値段するんだね…チャチなロケットペンダントによくわからん紙が入ってるだけなのに。ボロい商売だな。
元増田みたいな家庭環境じゃなくて、うちは割と一般的な家庭だったと思う。
一般より稼ぎのある父と、専業主婦の母と、体が悪い父方の祖母と、姉と自分が家族構成。
両親は温厚な人でいつもニコニコしていたけれど、母が結構なメンヘラで異常に撃たれ弱く被害妄想が絶えない性格の為よく落ち込んでた。
母は祖母と折り合いが悪いと思い込んでいて(祖母は母がお嫁さんに来てくれてよかったと私と姉にはよく語っていたけど)家の中でもビクビクしていた。
家族仲は良かったと思うし、人様から見ても「仲いいね」と言われることが多かったから、私は家族のこと大好きだし母が宗教に手を出すなんて思ってなかった。
20年前祖母が死んだ。体がもともと悪かったし、後半はもう寝たきりだったからしょうがないという雰囲気だった。
病院のベッドの上でチューブだらけになっていたのが子供ながらに怖くてちょっと泣いた。
父はケロッとしていたように見えたけど多分落ち込んだ姿を見せないようにしていただけだったと思う。
でも母は違った。母が家族の中で一番落ち込んだ様子を見せた。専業主婦で時間があったためか妙なことを考えるだけの下地があったことも手伝ってか、ある日「新しく知り合った人に誘われたので外出します」という理由でしばらく家に帰ってこず、帰ってきたときには入信していた。
「手から清めの波動が出るの」と言っていた。私はバカだから、あとちょっと早い中二病を患っていたため、「それを持っていれば霊能力者になれるんだ!」と勝手にワクワクしていた。本当にバカだと思う。霊感にあこがれていた。
元増田では泊まり込みのと記載があるし、もしかしたらそれが当たり前なのかもしれないけれど、私や父・姉は特に宿泊などさせられず何度かありがたい講習を拝聴しただけでオミタマをもらった。泊まり込み必要ならそれいらないってテンションだったから、特別に許されたのかな。そのあたりはよくわかんないけど。
母は毎日熱心に道場に通った。姉も私もたまに連れていかれて、「おひたい」(対面で座って10分間眉間に手をかざされる)と「後頭部」(首の後ろをまさぐられて手をかざされる、これがたしか15分くらい)を受けさせられた。
別にそれ以外は強要されなかったし、何か月に一回でっかい支部に出かけるのも母だけがやっていた。
母が不在の時は私が家事を全部やっていたため、単純にそれが嫌だなとは思っていたけれど、母がでっかい支部にいくことは嫌じゃなかった。
金銭面では父が被害を被っていたし、それに対する父の胸中は知る由もないけれど、私個人として一番いやだなと思ったのは元増田にも記載がある薬を使わないといったような思想だった。
熱が出ても体調が悪くても薬を飲むと悪化すると飲むことを許されなかった。自然派ママかよ。
それどころか、体調不良やなにか嫌なことがあったりすると(友達と喧嘩するとか、そういうの)心配やアドバイスを受けるより「前世であなたがやらかしたことのしわ寄せがきているだけだから、きちんと反省するように」と毎回言われた。マジで釈然としなくて影で姉とガチギレしてた。
体が弱くてしょっちゅう発熱していたから、そのたびに枕元で自分の眉間に手をかざされながら「あなたが悪いのよ」と呪文のように繰り返されたことは結構なトラウマ。いや薬飲ませろや。
でも、元増田ほどひどいめにあっていないこともあってか、宗教自体には結構肯定的な感情を私は持っている。私がそこまで熱心に道場に行かされることを強要されていなかったからだとは思うけれど。
母はメンヘラだ。幼少期に私の首に手をかけて殺そうとしてきたこともあったし、なにかあるとすぐに落ち込んで「私が全部悪い」とうわごとのように繰り返すこともあるし、こちらがされて嫌なことを訴えたら(上記の、殺されかけたことを謝ってほしかったので面と向かって抗議した)被害者面をして論点をすり替え結果的に私が「お母さんが悪いわけじゃない」と謎に慰めた経験も一度や二度じゃない。私が丸め込まれやすいのはそれはそう。
祖母の死に落ち込んだのも、母らしいなと思う。落ち込みやすい。理由を見つけては落ち込む母。
でも、宗教に出会ってからはほんの少しだけその荷が下りているように感じることもたまにある。
自分が死んだ後でも誰かが手かざしをされたら救われるとか、体の不調も道場の人に清めてもらえるとか、そういう妙に前向きなことを言うようになったのも事実だし、神様だとか不確かなものにすがらないと生きていけない人間がいるのは確かだから、そのとっかかりを用意すること自体は悪くないんだよね。
道場の人も私はそんなに嫌いじゃなかった。子供だからか優しくしてくれた記憶も強いし、ヤンチャ盛りだったのでもう40代50代のおば様方が「なにかして遊ぼうか」と提案してくれた時、「鬼ごっこがしたい!」と無理な返答をし、しかし付き合ってくれたことは今でも覚えている。
みんな終わった時汗だくになっていたけど、道場の人たちに全然怒られなかったしなんならおかしもご馳走してもらった。
宗教が救いになることはもちろんあるから、私のこれも洗脳かもしれないけど新興宗教だろうが何だろうがすがれる場を生み出していること自体は別に否定的じゃない。
ただ、お金をむしり取るやり方とか、思想強めのワケワカラン教え(病院ダメとか薬いらないとか前世がなんだとか)は本当にキショいんでそういうのはマジでやめろよ……と思います。
おわり
今はどうかわからないし、一部にしか当てはまらないとも思うけど、主体性だと思った
占いを信じてラッキーカラーを身に付けたりおまじないを実行したりの行動は指示されるまま、というのが多い。信じるし疑わないし、踏み込まない。そのうち飽きる。
オカルト知識を活かそうとする。万一妖怪出てきた時のために攻撃手段として九字覚えたり。
幅広く色んなオカルトを試してみる。気が向いたら踏み込んで調べる。ムーとか読む。そのうち飽きる。
飽きる前に、踏み込んでるか、疑ってるか、それに妥当性がないことを薄々気づけているかという差が出てくる。
いわば免疫みたいなもので、中二病経由の男子のほうがオカルトとかスピリチュアルなものや偽科学にハマりにくくなっていそう。
逆に、そういう精神安定剤的なものがないからおっさんで苦労してる人も多いが。
ムーとワンダーライフとMMRとか読んでてそれこそ中学生の頃は半分信じてた。
ほどなくして自分に霊感とかないことで絶望する。現実を見てしまった。ここ何年もかめはめ波が撃てるか試してない。どどん波ぐらいならワンチャンとはひそかに思っているが。
20歳超えてから、まだ可能性を捨てきれず、第二次オカルトブーム的なのが到来して、風水とタロットと数秘術を学んだ。
学んだといっても図書館にある本だいたい読んで、アマゾンで数千円する書籍を5冊ぐらい買って読んだだけだけど。
色んなジャンルの占い本を読んでみると、おお、根拠がねーと気づく。
同時期量子力学に興味を持ち始めた。
科学的側面から、オカルト力を発揮する道筋がないものかと検討してみた。脳量子波みたいなのがあればワンチャン。
哲学の読み物とか読んだりしてると、決定論的なのと非決定論的なので悩む。世界はどちらか。
自分(増田)は全部薄く浅くしか知識がないが、科学を突き詰めていくと宗教的な考えに至る(高名な学者のエピソードをちらほら聞いたことあるのだけど実例は一個も出てこない。)のもなんとなく理解できる気がする。
それは真理の追究を放棄したわけでもなく、古来の教えやどこかの教祖の言うことをそのまま信じるのでもなく、なんとなく非科学的なもの(今はまだ科学とされていないもの)がぼんやりと遠くに霞んでいるのを感じたような。
マッカーサーは、中学生ぐらいの年齢で入学した西テキサス士官学校のころから、性的なことしか頭にありませんでした。近くにある聖メアリー女学校まで遠征すると(笑)誰彼なく声をかけまくってます。一応マッカーサーの通っている士官学校も女学校もミッション系の学校でしたが、エロマッカーサーの頭にはそんなことは関係ありませんでした(笑)
その後も、マッカーサーは49歳の時に16歳の少女に手を出してるほどの、重度のロリコンで、人生で常に性欲に忠実(笑)に生きてきた男ですから(笑)
英雄(笑)は昔から色を好むと言いますし、女と金と名誉に尋常ならざる拘りを見せたマッカーサーの行動原理は正に英雄のそれでしょう(笑)
マッカーサーは初婚が四十路と典型的なモテない男でしたが、ウェスト・ポイント士官学校在学中には、モテないダサい高校生がやりがちな『俺は何人の女とヤッた』自慢をやっている(笑)
ちなみにマッカーサーが入学するまでのウェスト・ポイントの記録(笑)は7人の女性と関係したのが最高だったそうですが、マッカーサーが8名と関係して記録を塗り替えた(笑)と吹聴していたそうです。
マッカーサーは近くのホテルに常駐していた母親ピンキーに監視されており(笑)そんなマネはとても無理だったので、これまたマッカーサーの武勇伝(笑)でしょう。下らないですね。
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.81
それでモテない暗黒の学生生活を送った反動で、マッカーサーは士官学校を卒業すると女狂いとなりました(笑)
と言ってもモテないのは相変わらずだったので、マッカーサーがやったことは現在でいうストーカーでした(笑)
1907年にマッカーサーはミルウォーキーのファニーベル・ヴァン・ダイク・スチュアート嬢という金持ちの娘に惚れて、仕事すら手に付かない状態まで入れ込んでしまいます(笑)
しかしスチュアート嬢はキモくて野蛮なマッカーサーには全く興味がなく、まったく相手にされなかっため、どん詰まったマッカーサーはラブレターを出しまくります。
スチュアート嬢が身の危険を感じたのか、ミルウォーキーから故郷のニューヨークに帰った後も追撃(笑)しているぐらいなので、かなりの執拗さです(笑)
そのラブレターの中の一つを紹介すると
私が愛するのはあなた
何にもまして
なぜにあなたは私を愛してはくれないのか
という、「自分がこんなに好きなのになぜ相手は自分の事を好きにならないのか?おかしいじゃないか(憤怒)」みたいな典型的なストーカー思想の手紙であり、こんな手紙を何十通も送られてきたスチュワートさんはさぞかし恐ろしかったことでしょう、そりゃ逃げたくもなるよ(笑)
これでも十分やばいんですが、マッカーサーはトドメとばかりに(笑)27頁にも及ぶマッカーサーとスチュワートが主役の韻文劇を創作(笑)し、その脚本をスチュワート嬢に送りつけるという暴挙に出ます(爆笑)
その内容は
軍人であるマッカーサーがスチュワート嬢と結婚し、散々二人でセックスした後に馬に乗って二人で戦場に赴く。
そこで、マッカーサーが重傷を負い、スチュワートの献身的な看護で一旦は回復するが、その後さらなる激戦でマッカーサーは戦死し、スチュワートは自分の夫マッカーサーを誇りにして余生を過ごす。
という中二病どころではない、もし普通の人なら、こんな妄想を考えている事がバレた時点で確実に自殺するような凄まじい(笑)内容でありましたが、マッカーサーは躊躇することなくこれをスチュワート嬢に送ってます(困惑)
こんな不幸の手紙以下の汚物をもらったスチュワート嬢の気持ちは想像すらできませんが、マッカーサーの期待も空しく、スチュワート嬢は最後までマッカーサーになびくことはありませんでした(当たり前ですが)
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.109
若い頃モテない暗黒人生を送ったマッカーサーは四十代になって、元上官の愛人でバツイチ子持ちという見えている地雷、ルイーズ・クロムウェル・ブルックスとようやく結婚しますが、彼女は離婚歴もあり、また参謀総長のパーシングやその副官キュークマイヤーなど片手では収まらない男性と交際するなど、非常に性経験が豊富な女性でした。
そこで、女性経験に乏しい(というか殆どない)マッカーサーが旦那になったものですから、彼女の不満は相当なもので
とか
「ダグラスはペ○スをオシッコをするためのものとしか考えてないのよ」
とか
パーティで出席者に向けて、自分の指を曲げて見せて、マッカーサーの○ニスが萎れた形にしてマッカーサーの性的能力の乏しさを表現した
結局、マッカーサーは生来のセコさとマザコンと男性機能の乏しさを理由に離婚されます。
その後、傷心のマッカーサーは新任地のフィリピンで、マニラ・オリンピックスタジアムでボクシングの試合を観戦中に16歳のイザベル・ロザリオ・クーパーという混血のモデルに一目惚れし(笑)副官のトマス・ジェファソン・ディヴィスに命じて、イザベルを愛人とする交渉をさせてます。部下に愛人交渉をさせる上官(それも少将)とか嫌すぎますよね、さらにその時のマッカーサーの年齢が49歳ですから・・・ガチで性犯罪でしょ(呆れ)
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.285
この副官のディヴィスという副官は気の利いた(笑)男で、結局マッカーサーは帰国後にこのイザベルにもフラれるんですが、そのあと傷心のマッカーサーを慰めるためにワシントンの郊外にコールガールを呼ぶための専用のアパートを借りています。マッカーサーはそこに頻繁に来ており、好きなプレイは、コールガールをルイーズやイザベルに見立てて激しく罵倒するプレイだったと後日スッパ抜かれてます(笑)
また、マッカーサーとデイヴィスは仲良く(笑)一人のコールガールと3Pすることもあったそうで(笑)部下と3Pする上官(それもこの時は大将)とか嫌すぎますよね(呆れ)
※参考:ジョセフC・グールデン著『Korea:The Untold Story of the War』
話はかなりそれましたが、日本では、毎日がGHQ司令部のあった第一生命館と嫁・とクソガキが待っているアメリカ大使公邸の往復であったので、日本女性を食いまくっているヒマはなかったようです。
しかし、日本に進駐当初に、日本女性にセクハラを試みたことは明らかになっています。
1945年8月30日、厚木飛行場に到着したマッカーサーは横浜へ直行。ホテル・ニューグランドを日本で最初の宿泊の場としました。
当時、ニュー・グランドには唯一辞めずに残っていた26歳の(山口由美著「クラッシックホテルが語る昭和史」では24歳)女性社員霧生正子氏がいました。
マッカーサーと護衛の空挺隊員は、ニュー・グランドに到着すると、男性社員を集め後ろ手を組ませて身体検査をしましたが、霧生正子氏にもそれを要求し、身体検査をすると通告しました。
護衛の空挺隊員には女性兵士はいなかったので、男性兵士が身体検査にされるのを嫌がった霧生正子氏は、「こんの野郎」と憤慨し、その命令に従わず、ホテルウーマンらしく前で手を組みました。
霧生氏の強い意思に押された、マッカーサーはそれを許可し、霧生氏には空挺隊の中尉がおっかなびっくり身体検査をしています。
霧生氏が気丈な女性でなければ、マッカーサー自らが身体検査と称しセクハラをするつもりだったのかも知れません。
また、霧生氏は自宅を空襲で失っていた為、マッカーサーらのことをイヤでこの野郎と思っており「家をかえせ」と言った事もあるほど、強い敵愾心を抱いたまま硬い表情で米軍兵士と接していました。
米軍兵士らは困ったのか「笑え」と霧生氏に命令し、それでも霧生氏は媚びないので「おれ等は悪くない、東条英機に文句言え」と責任転嫁したあげく、霧生氏に毎日コーヒーやらチョコやらを献上しにきたそうです。霧生氏は美人だったので、マッカーサーらには下心があったんでしょう(笑)
まぁ、マッカーサーも周りに連合国の高官らの目があるなかであまり無理もできなかったようで霧生氏がマッカーサーの毒牙にかかることはありませんでした。
よかったですね。
※出典 USArmyInJapan A Japanese lady who worked for GEN MacArthur
https://www.youtube.com/watch?v=0RqsjRRkUpQ
https://www.youtube.com/watch?v=Cvh6uW0Yxek
鼻の下を伸ばしただらしないいやらしい顔で、女性従軍記者マーガレット・ヒギンズ女史に不必要なほど接近し、その右手でヒギンズ女史の腰を弄るマッカーサー
現在で例えれば、自衛隊の司令官が女子アナにこんなことしてればどうなるか火を見るより明らかなように、典型的なセクハラですね(笑)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184777592