ミーティングでプロジェクトチームからの報告を私が担うことになり、みんなで考えた文書を提出した。
→伝え方が悪かったとされ、誤解を与えてしまった。
今度行う施策について、3月までゆっくり切り替えていきますが、全員ができそうな部分は早めに取り組んでください、と伝えた。しかし、
→移行期間を行わずに新体制に移行します。マニュアルよんでね。旧方法やる人は許さん。
というニュアンスで捉えられてしまった。なんで。怒った口調で言ったわけでもないのに。
それについて、「伝え方が悪い」とか、「誤解を招く表現してたんじゃないんですか」とグチグチ言われた挙げ句、新しい施策のうちわたしの介入したところを白紙にされそうになった。
こんな感じでやりますよ、じゃあ施行しよう。という段階で、詰めの甘さを指摘され、後出しでこれってだめなんじゃないですか。というのは急にもほどがある。
そもそもが有識者(詳しい情報を提供してる業者)の意見を聞いてそうなった部分もあるのに、考えてないだの思考停止だの言われた。自分たちより詳しい人たちとか、経験から導いたこととかを疑えってのはそれはそうなんだけど、「根拠は?」「根拠は?」と詰められて疲れてしまった。根拠はあるけど書籍に乗ってたとか導入事例があるとか、他社のやり方に習ったとか全部駄目で、完璧を目指さないと気がすまない某チームメンバーと対立してしまった。
新しい方法の導入についてだけど、きっちりやりたい一方、なるべく失敗しない方法で簡便を目指したい、というわたしの意見も手抜きとか意識低いとかで棄却された。
ミーティングでも「わかんないよ」と言われた。やってみればそんなに難しくないことですら、説明書が1から10まで書かれてないとだめだし、説明書がどんなに詳しく書かれていたとしてもそれを読んでくれないというのは薄々気づいていた。
ちなみにこのプロジェクトを指示した人物からはひたすらプロジェクトの完成を急かされ、呼び出されては怒られを繰り返した。
チームメンバーも敵だし、新しいやり方をこれから覚えてく人も敵に見えた。これをやりなさいと命令した人も。
ちなみに報酬もないしこれをやったからといって昇進するわけでもない。どこにモチベを見い出せばいいのか。
といってたどり着いた先が業務を簡略化し心理的負荷を下げれば救われはするかな…
だったんですが上記のそのスタンスすら根底から覆されようとしてるのを感じ、もうモチベーションもなにもかもが粉々に砕け散った。
そもそもがチームメンバー同士の会議で資料を事前に送っているのに読みもしないでミーティングを行い、初めてみた情報に対して怒りを顕にするような会議しかできないってのがおかしい。昔から思うけどそれで会議って言っちゃう人があまりにも多すぎる。そして一回決めたことを理由をつけてひっくり返すものだから、答えが決まらない。
また、理由を1から10まで決めないと気がすまない人も多い。もちろんなにかを選択しなくてはならないときに理由を挙げる大事さは分かるんだが、結局のところは選択肢AとBどっちが好きか?の問題でしかない。
対面会議の重要性は、まず文字でのやり取りを終えてから承認を得たり、会話じゃないと得られないやりとりをするのが本質なはず。だけど、ときに権力や知識を振りまいて感情的に物事を言うことでこっちからの意見を封じ込めたいという意図を感じることもある。
基準として、リモートや文面、Slackで完結しない会議は(それが必要なことがあるとしても)そういう要素があると思う。
ようは対面での会議は「怒られ」を象徴する。という認識になってきた。
わたしは昔からまあ部活動の運営とか技術系とかに関わってはいたんだけどそういう要素もあったので、これは弊社に限ったことではなくどこでもあることなんだろう。なので転職すれば直るかというとそうでもないと思ってる。(むしろ悪化するまである)
ようは定期的に精神力と睡眠時間・余暇を削って怒られるための文書や資料を作る、怒られるための準備をするってのがほんとに耐えられなくなった。怒られるのが嫌っていうと甘えに聴こえるかもですが、私が欲しいのは具体的な意見であって感情的な意味もない叱責や人格そのものの否定ではない。
ここ数ヶ月のわたしは
・いろんな人からの板挟み
・定期的に怒られるイベント
そういうストレスが蓄積して、今回爆発した。
川に飛び込み、ロープで絞首を行い、家にあるありったけの刃物で手足を刺した。普通の人であればこなせる仕事をこなせず反省もしないバカ(つまり私)に制裁を与えてやった。死んだら人や家族、職場に迷惑がかかるから。死なない程度に。誰かに気づかれたら心配されるから傷も隠した。(2人程度にはバレたけど)そして唯一の言葉の吐き出しができるツイッターにて、アカウントを「あれ」に乗っ取らせた。
あれっていうのはざっくりいうと不注意の多い自分に代償として生まれた概念で、分かりやすくいえばなにかを迷うシーンでありがちな「天使と悪魔」のうち「天使」に属するが手段を選ばない奴で、正義のためなら暴力や兵器すらも使うタイプのやつ。
つまり、「お前(わたし)はダメ人間なんだよ!」というスパルタを私から分離した超攻撃的な人格が私の中にはいて、自傷行為を引き起こす。
これを分離しすぎるとセルフネグレクトが起こるし、近づけすぎると自傷になる、とても扱いにくい奴をわたしは心の中に飼ってる。
まあ、この「あれ」に精神が乗っ取られて自傷行為が起きる、という認識だ。
今回、様々な環境要因もあり、「あれ」に精神を乗っ取らせてしまった。SNSの人格すらも乗っ取られた。
こう書くと中二病に見えるかもなのだが、事実自傷行為中の記憶がないし終わったら泣いててひっかき傷だらけの自分がいて理解ができない。怖い。
となると身近なツールで「あれ」との対話を残す、とか「あれ」の存在を私以外に客観的に見てもらうのはリスクが伴うけど対処法にはなる。
なので、鍵のアカウント化してああいうやり取りをわざと残した。ということになります。
今はアカウントは戻し、当時のやり取りは消しましたが、こういう現象があるということもご理解ください。
そして、SNS等で不安を与えてしまい申し訳ありませんでした。お声がけしてくださった方もありがとうございます。