はてなキーワード: モーセとは
「リベラル」はそろそろダブルスタンダードを止めよう(橘玲) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47972162
http://b.hatena.ne.jp/entry/4667506320769002658/comment/diam00nd
“ずっと娘がほしいと思っていたけど、今は怖い。この国で女の子に生まれるのは、恐怖と不安の人生を送ることだから” Same as Japan.
発言者もそうだし、このコメントにスターつけてる人たちがいつもの組織票メンツ。
この人ら自分がセカンドレイプをやってるって全然わかってないよな
別のページで、セカンドレイプ批判をやってたらさすがに無視してもいいよね?
そんなわけないだろ。セカンドレイプはだれがやっても悪いんだよ。
棍棒にして叩くのに都合がいいと狂喜乱舞して出てくる日本モーセカンドレイパーだらけじゃん。
なんだこいつら。
ほんとだよ。 ちょっと心がゆがみすぎてて怖い。
どうしてこんなになるまで群れ続けたんだ。
今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられている。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作とされる。
巨体は星々と頭が摩するほどで、その腕は伸ばせば世界の東西の涯にも達した。腿から上は人間と同じだが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているという。底知れぬ力を持ち、その脚は決して疲れることがない。肩からは百の蛇の頭が生え、火のように輝く目を持ち、炎を吐いた。
半人半蛇だけど「炎を吐く邪悪な蛇」のイメージにはなっているかも。
ラードーン(古希: Λάδων, Lādōn)は、ギリシア神話に登場する、林檎園の黄金の林檎を守っていた、100の頭を持つ茶色いドラゴン。
(中略)
口から炎を吐き、一説では顎の関節が尾にある為、体全体が口のようになっており、百の首を持つといわれている。
と、Wikipediaには書かれているが、ラードーンが火を吐くかどうかは定かでない。
何が出典なんだろ?
『ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語:סֵפֶר אִיּוֹב)は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る。
『ヨブ記』によれば、レヴィアタンはその巨大さゆえ海を泳ぐときには波が逆巻くほどで、口から炎を、鼻から煙を吹く。
(中略)
その姿は、伝統的には巨大な魚やクジラやワニなどの水陸両生の爬虫類で描かれるが、後世には海蛇や(それに近い形での)竜などといった形でも描かれている。
ドラゴンになったのは後世。
プリニウスの著作で唯一現存しているのが、自然と芸術についての百科全書的な37巻の大著『博物誌』である。自然界の歴史を網羅する史上初の刊行物であった。
(中略)
プリニウスの『博物誌』10巻には、サラマンドラは斑点を持つ小さなトカゲで、雨が降ると現れるが晴れると姿を消し、体が冷たく火に遭うと溶けると記録されているが、これはサンショウウオに関する記述と考えられている。
また、『博物誌』11巻にはピュラリスというキプロスの炉の炎の中でしか生きられない動物が登場しており、精霊のサラマンダーはこちらに近い。上記の通り、炎を操る特徴からファイアー・ドレイクと同一視され、ドラゴンとして扱われることもある。
『ベーオウルフ』が成立した時期は、作品内部にも外部の言及としても成立の時期を特定する記述が存在しないため、必ずしも明らかではないが、8世紀から9世紀にかけての間に成ったと考えられている[3]。
第一部でベーオウルフは巨人(ドラゴンとも言われている)グレンデルとその母親と戦い、第二部では炎を吐く竜と死闘をかわす。 なお、インパクトが強くかつ謎の多いグレンデルとその親に関しては言及されることが多いが、炎を吐く竜に関してのものは少ない傾向にある。だが、同時にいわゆる「ドラゴンの約束事」(財宝を蓄え守っている、翼を持って空を飛ぶ、火を吐くなど)をほぼそろえている珍しいドラゴンでもある。
スラヴ民族は文字を持たなかったため、伝えられた神話を民族独自に記録した資料は存在しない。スラヴ神話が存在した事を記す資料として、9世紀から12世紀の間に行われたキリスト教改宗弾圧の際の「キリスト教」の立場から記された断片的な異教信仰を示す内容の記述が残るのみである。スラヴ神話は地方により様々なバリエーションがあったことが近年の研究により明らかになっている。
ズメイ・ゴルイニチ(「山の息子の竜」の意)の場合、3つ首以上、多ければ12の体幹を持つと表現され、火や毒を噴くなど、歴然とした一般の「竜」のイメージで描かれる。
『アングロサクソン年代記』はアングロサクソン史を古英語で綴った年代記の集大成である。編纂は9世紀後半のアルフレッド大王の治世に、恐らくはウェセックスにおいて行われた。
「火の竜」を意味する名前の通り、炎をまとい、口からも炎を吐く。空を飛び、それが現れる時は辺り一面、昼のように照らされる。曇天の空に不思議な光が走る時はファイアー・ドレイクが飛んでいるのだとされた。
隕石という説があるらしい。
『イヴァンまたは獅子の騎士』(イヴァンまたはししのきし、Yvain, le Chevalier au Lion)は、1170年から1181年頃にかけてクレティアン・ド・トロワにより著作された散文騎士道物語であり、アーサー王伝説を主題にした5作品のひとつである。
イヴァンは旅の途中で火を吐く大蛇と獅子が戦っているところに出くわす。イヴァンは問答のすえ獅子に加勢し、大蛇を倒した。これに恩義を感じた獅子は、イヴァンと行動を共にするようになり、イヴァンは獅子を連れた騎士とだけしか名乗らなくなる。
『黄金伝説』(おうごんでんせつ、羅: Legenda aurea または Legenda sanctorum、レゲンダ・アウレア)は、ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃 – 98)によるキリスト教の聖人伝集。1267年頃に完成した。
その時代、エチオピアの町では一人の魔術師が権力を持っていた。彼は常に恐ろしい二匹のドラゴンを連れていて、自分にはむかう者にけしかけていた。あまり大きなドラゴンではなかったが、口や鼻から火や燃える硫黄を噴出し、人や家を焼きつくしたので誰も魔術師に反抗できなかった。その噂を聞いたマタイは魔術師の元を訪れた。魔術師はマタイにドラゴンをけしかけたが、マタイが十字を切るとドラゴンは地面に倒れて眠り込んでしまう。
同じく「黄金伝説」に書かれている、有名な聖ゲオルギウスが退治したドラゴンは、毒を吐くが火は吐かない。
聖マルタが退治したタラスクは、「燃える糞を撒き散らす」と言われているけど、これ英語版では確認できなくない?
タラスクは、レヴィアタンとボナコンの子供なのだが、ボナコンの特徴である「燃える糞」が、日本語訳されるときに混同されたのでは。
といったところから考えると、5世紀くらいまでは「火を吐くドラゴン」概念は薄かったが、
8〜9世紀頃から伝承として語られはじめて、10〜12世紀頃にはすっかり定着していたという感じだろうか。
なぜ火を吐くようになったのか?
サラマンダーは、火をより大きく燃え上がらせる能力があり、火山の溶岩の中に住んでいるという伝承もある。
ズメイや、ヤコブのドラゴンは、吐く息から硫黄の臭いがするといい、火山を連想させる。
ドラゴンには「地を這うドラゴン」と「空を飛ぶドラゴン」の二種類のイメージがあるが、
蛇や蜥蜴からは空を飛ぶイメージがしづらいことを考えると、隕石からの連想には説得力がある。
そこから火を吐くように変わっていったことを考えると、これも自然な解釈に思われる。
うーん、わかんね。
追記。
「フンババの咆哮は洪水であり、彼の口は火を意味し、吐息はまさに死である」というのは単なる比喩なのでは。
というか、キリスト教もイスラム教も、預言者サマが神サマの言葉を伝えてくれるって言ってる宗教全部嫌い。
アンタらの言い分では、ヤハウェだかアッラーだかエル・カンターレだか知らんが超すげえ神サマがいて、その神サマが遣わした当代最後にして最強の預言者がモーセだイエス・キリストだムハンマドだジョセフ・スミスだ大川隆法だと。
これまで散々やってダメだったじゃん。なんで学習しないの。なんで何冊も聖書書かせてんの。
預言者死んだとたんにどうせ宗派分裂して全部パーだって。大川隆法死んだら絶対崩壊するよアレ。
なんで神サマは人間の言葉を統一しようとしないワケ?全人類の頭の上に雷落として正しい教えを落とさないワケ?
妻からも娘からも邪険にされる父親像を一般化させたのは一体誰なんだろう
というコメントがあったので
そして、そのフェミに権力を与えたのは戦勝国のアメリカでしょう
占領せず洗脳で弱体化を図る!GHQが行った『日本弱体化政策』とは
http://matome.naver.jp/odai/2142192163190654201
http://d.hatena.ne.jp/sifue/20061208/1165688702
日本国憲法(というかユダヤがドイツ人を骨抜きにするために作ったワイマール憲法の丸写し内容)で、何がしたかったかというと
目的は以下のとおり
自由の過度の追求
道徳軽視
無気力・無信念
俗吏属僚横行
突端主義
国粋否定
間違いなく、日本の物質的豊かさの反面で大流行している精神的退廃じゃないですか
(苦笑。本当にユダヤ人の法律家ってすごい賢いなって思いました。
最終的にたどり着くところは、家族制度の完全崩壊と金、金、金の欲と利害関係にまみれた個人主義的なエコノミックアニマルばかりの国家、
というか国家として機能しない社会を作るのが目的なんだそうです。
ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、
大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、
どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。
(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)
で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。
で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。
憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介してくれています。
特に憲法の中で「自由」と「平等」という相反する概念の組み合わせがどれだけ人をダメにするか、「義理人情」の方がどれだけ崇高な概念かとかいている所は、かなりぐっときます。民主主義がどれだけ虚妄か本当に勉強になりました。
まあこんな気持ちのユダヤ人の方がいたということで、ぜひ、一度読むことをオススメしたい本です。内容的には、最近流行っている「国家の品格」とかに近い本ですね。
★男女平等は完全な家族制度の崩壊、福祉費用の増大による国家の疲弊を狙ったものだったんですね。
もしかしたら、婦人国有なんていう制度が導入されていた日本の事を考えると寒気がします。
今ももしかしたらほぼ、この婦人国有政策が実施されているのと同じような世の中なのかもしれませんが、
こんな政策が実施されていたら、女性はただイケメンに抱かれるために努力し、
男はいい女を奪い合う、まさに恋愛至上主義、道徳軽視の快楽主義、自然主義が更に蔓延した社会(非モテ・非コミュにさらにつらい社会)になっていたんでしょうね。
そう考えると、日本に古来からあったお見合い制度や信頼ある人同士が結婚相手を紹介し合う制度は非常に道徳的にも精神的にも高度な文化なのかもしれません。
【石川県】・・・『石川県の"モーゼの墓"は税金で管理されている』
【広島県庁】・・・『広島県庁社団法人広島県観光連盟は葦嶽山を"世界最古のピラミッド"と発表している』
【青森県新郷村】・・・『新郷村役場は"キリストの墓""キリストの遺書"の存在を公式に認めている』
【出口王仁三郎】・・・『日本人シュメール起源説』 『世界最古の文明を作ったのは日本人』
【日本画家鳥谷幡山】・・・『ピラミッド日本起源説』 『日本ピラミッドを発見』
【牧師勲五等酒井勝軍】・・・『日本ユダヤ共同起源説』『ピラミッド日本起源説』 『日本ピラミッドを発見』『古代イスラエルのオニックスを日本で発見』
【アイヌ研究家小谷部全一郎】・・・『源義経=ジンギスカン説』 『日本ユダヤ共同起源説』
【皇祖皇太神宮神主竹内巨麿】・・・『竹内文書』 『神代文字』 『日本は人類発祥の地』 『モーセ、キリスト、ムハンマド、釈迦は来日し天皇に仕えた』 『青森で"釈迦とキリストの墓"を発見』
【政治家考古学・地質学者山根キク】・・・『キリスト日本渡来説』『青森でキリストの子孫を発見』
【日本探検協会事務局長幸沙代子】・・・『漢字を発明したのは日本人』
【東大経済学部卒探検協会会長高橋良典】・・・『太古、日本の王は全世界を治めた』
【帝大(東大)卒歴史学者木村鷹太郎】・・・『世界文明の起源は日本だとする"新史学"を提唱』 『世界中の古代遺跡は日本人によるもの』 『邪馬台国は古代エジプトにあった』
『ホメロスの「オデュッセイア」は「平家物語」や「太平記」を元に書かれた』『ムハンマドは日本神話の本牟知別命であり桃太郎。この伝説が英国に伝わり「ハムレット」になった』
『ソクラテスは日蓮、プラトンは日昭』 『西郷隆盛は自刃せずベトナムへ脱出した。"サイゴン"は"西郷"の名からつけられた』 『イタリアのシシリアンは江戸の町奴だった』
同じ市民ならもっと警戒して警鐘を鳴らし続けるべきなのになぜ放置してしまうのか?
49%の市民たちはなぜもっと危機感を募らせてアンチ反知性主義活動をしなかったのか?
どこか他人事だった
そしてその負債の泥を反知性主義者たちと仲良くおっ被り咀嚼させられて
やっとこさ自体の重大さに気付き慌てて行動した
遅すぎるんだよ
格差を例え上流階級に生きる人間とて放置してはいけなかったということだ
下流世界の人間を放置し奴隷化し続けているとこういう全体攻撃魔法のようなメテオ行為を平然と行ってくる
それは巡り巡って自分たちの損害にもなる
なので下流世界にも叡智という雫をキチンと垂らしていくべきなのだ
反知性主義者には知性を与えることがエリートたちの宿命であったはずだ
離脱に喜ぶイギリス人女性の頭悪そうな低所得な笑顔の画像を見ながら憂鬱な思いだ
本来は貴族がこういう人間たちを導くモーセの役割があったはずなんだ
そうじゃなければ村長が考えをまとめて導いてきたはずなんだ
いつからだろうな
「神という概念」をキリストっつーおっさん及び聖霊っつー謎のゴーストと同じ級位にに「落とし込んだ」という意味でキリスト教とイスラム教の神が同じといっても本質的に全然ちげーだろーっつー話であり。
「神という概念」という話をしているんじゃなくて,「本当に実在する(とキリスト教徒とムスリムが信じる)神」が全く同一の神なんだよ。
本当は実在しないと思うから,「AとBそれぞれが神について信じている内容が違うから,それぞれが信じている神が違う」という発想になるけど,それこそ「異教徒が勝手に他人の神を語るべきではない」というやつだ。
キリスト教徒とムスリムはいずれも世界を創造した唯一全能の神が実在していると信じていて,それが「アブラハムやモーセを導いたあの神だ」と理解しているから,「イエスが神の子かどうか」とか「ムハンマドは神の預言者かどうか」といった点について意見は違っても,同じ神を信じているという点では,意見が一致してるの。
だからキリスト教徒とムスリムの間では「異教徒が勝手に他人の神をかたるべきではない」という規範は成立しないの。お互いに「相手の神」が「自分の神」でもあるから。
ネットを見ていると、『進学校になろうとしている』学校の涙ぐましい努力と、それに振り回された元生徒の体験談を多く見ます。
ですが、そういう学校が目指している”進学校”の本当の実態はなかなか目にしません。母数が違うから当たり前といえば当たり前なのですが。
ですが何かそのせいであらぬ誤解が蔓延している感もあるので(勉強合宿とかしてないし、他の学校見下したりしてないからね!)、増田がそのような”進学校”の実態について、少し語ってみようと思います。ちなみに
・男子校です
・東大合格人数トップ10の常連です。というかむしろ名前がなかったら驚く前に『公表しなくなったんだな』と疑う余地もなく思います。
そういう”トップクラスの『進学校』の生徒”と聞いて、読者の皆様はどんなのを想像しますか?
”ガリ勉で勉強しかしてこなかったようなヒョロ or デブ”?
――そういうのも居るにはいますが、世間でイメージされるほど多くはありません。というか、後述しますが”ガリ勉”では学校内での競争に生き残れません。
”エリート気取りで、人を見下してばかりいるヤツ”?
――学校の外ではどうか知りませんが、同じ学校にいる以上は同級生はそいつと同等程度には勉強ができるヤツです。学校でそういう態度のヤツはいません。
”逆に、周囲は皆ライバルと思ってあくせくしてるヤツ”?
――そういうヤツは少ないです。少なくとも、(皆が勉強での成功体験を一定程度持っているから?)努力している人を尊重するという校風はあり、
(小学校時代に自分がされて嫌だったからか?)努力が嘲われるようなことは少ないです。となると、周囲とはそこまで仲が悪くなることもありません。
「それでも、コミュ障なら嫌われるんじゃないか」って? コミュ障は多いので、ターゲットは分散しまくります(笑)。これについても後述します。
――うん、まあ確かにそれは多いです。真面目な話、”他では会わないような変人に会える”というのはそういう学校に行く意味の1つです。
生徒の体格は意外と悪くないです。「教育熱心な親はたいてい食生活にも気を使っている」という理由でちゃんとした物を食べているし、
生活習慣も(受験前は若干睡眠を削ったこともあるかも知れませんが、それ以外は)しっかりしているので、学校の平均身長は同年代と比べると若干高いという結果が毎年出ます。
だから(勿論スポーツ推薦でスポーツエリートを集めている学校には負けると思いますが)陸上競技や、通常小学生以前に始めることの少ないラグビーのような競技はそこそこ強かったりします。
音楽はピンキリです。良い家のお坊ちゃんで、何らかの楽器を習った経験のある生徒は多いですが、全員がそうだということもありません。音楽で楽器やるときは出来る子と出来ない子がはっきり分かれます。
こういう学校は実のところ、生徒を鞭で叩いて勉強させるような学校ではありません。放っておいても生徒は勉強するし、勉強したいヤツには手助けするけどサボって落ちこぼれるのは本人の責任、という学校です。
そして、中学・高校生というのは誰でも閉鎖空間の狭い社会で生きていて、生徒達は、『自分たちの学校は進学校と言われている』『自由な学校である』という認識はあっても、『他の学校は実際どうなのか』ということは断片的にしか知りません。
生徒A「友達が行った○○って学校、夏休みに4日ほど勉強合宿があるらしいな」
生徒B「俺の友達が行った△△って学校はそこまでは行かないけど、成績悪いと部活禁止されるらしい」
生徒C「弟が通ってる◇◇って学校は部活禁止までは行かないけど、期末試験の成績悪いと赤点じゃなくても強制的に補習になるらしい」
一同「「「そこまでしなきゃいけないものなのか?」」」
という会話を増田はリアルにやったことがありますが、『学校の授業についていければ日本のたいていの大学には受かる』という前提があっての会話だと今となっては思います。
そして、上で書いたようなことは本当にやっていません。成績悪くても部活止められないし、夏休みは高校1年生くらいまでは40日以上フルに自由です。
だからあまり『学校が進学のために必死になっている』というイメージが無く、世間で言う”進学校”のイメージからはかけ離れています。表題の”他称”進学校はそういう理由です。増田は今でも母校が進学校と言われると若干違和感があります。
こういう学校の出身者はたいてい、自分のことを『数学が出来ない』人だと言います。実際はそう言っていながら数学ⅡBレベルの微積分が当たり前のように出来て、
会話するときに”必要条件、十分条件、逆、裏、対偶”といった単語が通じるのは当然ではないと気がつくのは大学生になって以降だったりするのですが、それでも彼らにとっての自分自身は『数学ができない人』です。
「いや、出来るでしょ」と言われたら「まあ世の中の普通よりは出来る」とか微妙な表現をします。彼らにとって『数学が出来る人』は理系に進んだ人や、母校で平均以上だった人ではありません。
それどころか、東京大学の理系数学を6問全部解いた人でも『数学が出来ない』を言っていたりします。
彼らが『数学が出来ない』という本当の意味は……『(数学オリンピックでメダル取った同級生の○○君と比べて)俺は数学が出来ない』という意味です。
というのは、人よりも勉強が出来る生徒が集まっているとき、一番能力の差が思い知らされる教科は数学になりやすいからです。
理科と社会の能力は『知識として知っているか』の差は彼らにとっては『じゃあ覚えれば良い』であり、『理解しているか』の差は表に出にくいです。
国語は大学入試の二次試験に至るまで基本的には『出来そうな気がする』(けれども本当に出来るかどうかの差が点数には出る)もので、
英語は『どんなに出来たとしても、ネイティブほどではない』物です。(それでも、数学ほどではないですが英語が出来るとある程度は尊敬されますが)。
その点、数学の問題が解けるか解けないか、あるいは同じように解いたとしても解き方が美しいかどうかの差(解き方の美しさが競われるのは本当です)は如実に出ます。なので、こういう学校では数学が出来る人が一番尊敬されます。
昨日か今日の元神童も挫折したエピソードに数学使ってましたよね。
「勉強するの本当は嫌だけど、アイツに勝つために」などという動機でやっていては勝負にすらならない世界の人間がいます。
「色々苦しいこともあるけど、それでもやっぱり俺は数学が好きなんだ」と言うのを態度にも結果にも出しているヤツが学年で一番数学の出来るヤツです。
増田の同級生で一番数学が出来たヤツは在校中に「数学の問題が解けたときの快感はオナニーでイった時に匹敵する」と変態じみたことを語っていました。現在は旧帝大の数学研究室にいるはずです。
アイツは増田みたいな数学が出来ない(母校基準で)人間とはレベルが違います。
中学に入ったばかりの入学者アンケートで定番質問に『女子がいないことについてどう思うか』という質問があり、最大多数の回答は『気楽で良い』です。
いくら勉強が出来たって、小学校卒業したばかりの男子なんてそんなものです。増田自身も、中学に入学した時点では、『人よりテストで点を取るのは得意だけど、普通にジャンプを読み、ドラクエとFFが好きで、好きな女の子の話は出来ない』男子でした。
これが高校入学組になると『寂しい』という回答の方が多くを占め、中学入学組も高校に上がる頃には寂しいとか言っているのですが、今になって思います。『ホモソーシャルで、楽だったなあ』
上で書いた数学の天才がオナニーを比喩に使っているあたりも含めて、女子がいないことで気を使わない部分はあります。ですがメリットもあります。
男女を問わず中学、高校くらいの思春期では『モテ』が過剰に評価され、『アイツは○○は出来るのかも知れないけど見た目がキモいから無理』といった否定を食らうことがあり、
ネットを見ているとその手の『見た目がブスだから男から否定されまくった』『見た目がキモイと女子から言われまくり、自分が通ると女子が勝手に避けていくモーセ現象が発生していた』ような体験談を見ます。
そして、そういうことをされると(もちろん必ずそうなると言いたいわけではありませんが)人格形成にはマイナスの影響が出ることが多いでしょう。
その点、男だけ・女だけの環境ではそういう否定を直接食らうことが圧倒的に少なくなります。進学校に限らず、男子校・女子校が現在でも求められる理由は実のところその辺だと増田は思っています。
コミュニケーションがいつまで経っても出来ないヤツもたまにいますが(心当たり複数)、『コミュニケーション下手だけど、訓練すれば人並みに出来るヤツ』も実は結構いて、そういう人にとってはホモソーシャルで気を使うことの少ない環境はコミュニケーションの訓練に向いてます。
ちなみに自由な学校なので(違)校内恋愛禁止という校則もありません。
先生によると、『校内恋愛で失恋した』という理由で学校休んで旅に出たヤツも昔いたそうです。増田の同級生にもゲイとバイのどちらかはいたらしいです。伝聞ですが。
この前母校に行ったら、恩師が『数学の先生探してるんだけどなあ』と言っていました。
「どんな人が良いんですか」と聞いたら『幾何を専攻したか、そうでなくても幾何のセンスがあって生徒に舐められない先生』と言われました。OBを当たるのが一番手っ取り早いと思います。
増田の話と直接関連するテーマではないがやはりイカレジジイに絡まれたことがある。
(先に言っておくとオチは無い)
車がギリギリ二台通れる程度のセンターラインの無い車道(一方通行)の脇にある、幅1mほどの狭い歩道を二人で歩いていた。
後ろからやかましくベルを鳴らしながら自転車が近づいてきたけど、自転車のベルの厚かましさが嫌いなので振り向きもせずに無視していた。普段から車通りの少ない道だし、その時も車はいなかったので車道を通ればいいはずだ。ベルを鳴らせばモーセのごとく自分の前に道が開けると思っているキチガイジジイは発狂しベルを激しく鳴らしながら強引にチャリの鼻先を突っ込んできた。
めんどくさいので脇によけながら小さい声で「アブねーな」とだけ言ったらジジイは大興奮して自転車から降り、その場でハンドルを振り回す勢いで怒っている。いろいろわめきながら立ったまま自転車の前輪をおれにぶつけて来る。
自転車の前輪を蹴ってやろうとした瞬間、ふと遠くから二組ほどの主婦が「アラ、何かしら?」と言った面持ちでこちらを見てる事に気が付いた。ジジイがあまりに大声でわめくから周囲の人の注意を引いていたみたいだ。この状況を遠くから見ると「若者がお年寄りの自転車を蹴ろうとしている」ように見えてしまう。それは不利なので適当に「わかったわかった」とかいいながらジジイを置いて歩き出した。本当はぶん殴りたいぐらい腹が立っていたけれど、イザという時に悪者にされてしまうのはきっとこちらだろうから我慢するしかない。それでもしばらくジジイはついてきて後ろから何か言っている。最初はマナーと交通ルール(自転車は歩道を走るものなんだとか、ベルを鳴らしたら避けろとか、危ないだろ、とかいった自分勝手な主張だけど…)についてわめいていたのにこの頃にはただの罵倒になっていたけどなんとか耐えていたらそのうちいなくなった。
この時の話はこれだけなんだけど、似たような感じで興奮したジジイが自転車をぶつけるような感じで絡んできて意味不明な主張をわめきたてる現象の被害にあったことが他にも3回ほどある。そろそろ世間の認識として「若者がお年寄りを…」ではなく「イカレジジイが一般市民に絡んでる」という構図の存在を認めてほしい。事情がよくわからないときに一方的に年寄り側を善だと思い込まないで欲しい。それだけ。
http://anond.hatelabo.jp/20140327163556
耐えがたく不快。個人的には下痢の排泄音、嘔吐音、黒板キイイイイイ音と同じレベルの不快さだと主張したい。
これを回避するためにノイズキャンセリングヘッドホンを買ったくらい。
小学校の頃は教室内に鼻すすりする奴があまりにも多くて苦痛だった…。
あの頃は回避不能だったし、ひたすら辛くて辛くて仕方無かった。
正直、いつもすすってる奴のことは殺したかった。本気で。本気で心底殺したいと思っていた。
なぜ鼻すすり音は市民権を得ているのだろう?不快に感じる人の声が圧殺されすぎていると感じる。
調理パンとかハンバーガーとか食べ始める奴は何を考えているんだ?
隣の席でジジイが食べてたときは、クッチャクッチャ咀嚼する音がもう生理的に気持ち悪かった…。
歳取ると口を閉めたまま咀嚼することが出来なくなるの?筋力が落ちるの?
でも親戚の老人はちゃんと口を閉めたまま食べているし、これはプライドや育ちの話なのだろうか。
アラサー女が菓子パン食べていたのも、甘いにおいが周辺に広がって気持ち悪くなったな。
甘いものが苦手だし、甘いにおいが苦手なんだよ。
肺の中にタバコ臭が残ったまま乗車してくる奴が居る。隣に座られると地獄。息を吐くな!!と言いたくなる。
タバコの種類によって、肺の残り香ですら耐え難かったりする。
一番無理なのはおそらくマイルドセブンだな。基本的にタバコの臭いは嫌いだが、マイルドセブンが特に酷い。
上に同じく息を吐くな!!と言いたくなる。特に焼酎を飲んできた奴の吐息といったら酷い。吐き気がしてくる。
服の前面に嘔吐物が付着した若い女が乗ってきたときは心底ゾッとしたな。当然、モーセ状態になった。
こいつ吐くんじゃねえか?と思わせるような不気味なゲップを繰り返しながらフラフラしているリーマンなんてのも居る。
酔っ払いは存在が迷惑だ。ベロベロになるまで酔うなカスどもが。
毎日風呂に入らない奴、ワキガなのに手術しない奴、香水つけている奴。
誰が一番マシかという議論になりがちだが、全員迷惑だ。消えろ。
通勤時、日々、こいつらから不快な思いをさせられているので、キスを見せつけられる程度では何も思わない。
俺はかつて学生時代、ちょくちょく痴漢を繰り返していた。しかし今はしていない。
理由はただひとつ、捕まったから。
といっても逮捕されたわけではない。
大きなターミナル駅につく直前、OLにいきなり手をつかまれた。
「痴漢!」
頭が真っ白になる。
モーセの偉業のように人が避けていく中、俺は手を引っ張られながら駅員のもとへ引きずられていった。
細腕に似合わず、痛さを感じるほどのかなりの力だった。
その緊迫感、絶望感は未だに忘れることが出来ない。
もっとも、示談で慰藉料を支払った(きちんとバイトして賄った)し、学校バレして大学からは謹慎を命じられた。
しかし、それ以来、まったく痴漢などという行為をする気は起きない。
そういう罰が怖いということもあるが、自分のした行為の愚かさに気づいたということもある。
痴漢を常習していた頃は、「満員電車に乗る女が悪い」などと嘯いていたが、
そんな自分を謹慎中に冷静に客観的に振り返ると、一気に嫌悪感が生じたのである。
そしてなにより、被害者のことを思うと、彼女たちが不憫で、俺なんて死ねばいいと何度も思った。
身動きも出来ぬ電車の中で、見知らぬ男に体を弄ばれる恐怖はいかばかりか。
俺がたとえ死んだとしても、彼女たちの恐怖はいつまでも残り続けるのだ。
しかし、死ぬよりも、更生するほうに賭けてくれた皆、特に被害者を裏切ることは出来なかった。
そして半年の謹慎が明けた。
ところが、友人たちは普通に接してくれた。それどころか、いたわりすら感じた。
なぜかといえば、友人たちには胃腸を壊して入院していると伝えられていたからだ。
これが一番助かったかもしれない。
俺はこいつらも裏切ったことになるんだな、と思った。
期待を寄せてくれるみなの気持ちを正面から受け止め、過ちは繰り返すまいと堅く堅く心に誓った。
「性犯罪は再犯率が高いから、チンポ斬れよ」という言説がまかり通っているが、あれは間違いだ。
俺のように、逮捕すらされていないのに更生できた奴もいる。
論ずべきは処罰の方法ではなく、どうすれば犯罪は生じないか、そしてどうすれば犯罪者は更生するかということだ。
そういう意味で、最近ここで女性専用車両についての議論が進んでいるのはよいことだと思う。
しかし2chなどで、延々と拷問の方法を考察している人々を見ると、寒気がする。
自慢できる話でもなんでもないが、これだけは伝えたかった。
こんなところでもなければ墓場まで持っていく話だ。
今話題の植草は何度も捕まって(しかもあれだけの社会的制裁を受けながら)いるのに繰り返している以上、
もう更生の見込みはないと思う。