はてなキーワード: メインストリームとは
出揃いましたねベスト16。
今回はヨーロッパ+南米の勝ち上がりチームが史上最少といわれる一方でアジアとアフリカの躍進が目立ちます。
しかし、国や地域といったくくりを越えた勢力が今回目覚ましい成績を残しているのにお気づきでしょうか?
そう、「サッカー」勢です。
例の競技を「サッカー」と呼ぶか「フットボール」と呼ぶかは、ざっくり「アメリカ合衆国影響圏」か「ヨーロッパ+(イギリスの)コモンウェルス影響圏」のどちらであるかでふりわけられます。
もちろん、独自の呼び方を採用している国もいくつかあります。イタリアの「カルチョ」がその代表例ですね。イタリアでは一方で「フットボール」も広く用いられていて、たとえばボローニャFCなんかのFCは「フットボール・クラブ」の略です。他にもバルカン半島諸国(ボスニア、クロアチア、スロヴェニア)の「ノゴメット(nogo =「脚」、met =「投げる」を足した合成語)、韓国の「チュック(漢字表記では蹴球。日本でも使いますね)などがあります。ヨーロッパ圏では「ボール+脚」を自国語で表現した呼び名が多いのに対して、アジア圏では「ボール+蹴る」のほうが多いのは興味深いですね。
増田のお気に入りはスワヒリ語の kandanda 。由来は……よくわかっていません。カンダンダって、ナンナンダ〜ってかんじですね。
サッカー圏であるかフットボール圏であるかの区別の基準となるのはまず、その国のサッカー協会の名称。
たとえば、アメリカ合衆国の協会は United States Soccer Federation。実は1913年の設立当時は U.S. Football Association だったのですが、1970年代に現在の表記に変わっています。これはいわゆるアメリカン・フットボールのほうのフットボールが、1960年代からテレビで広く放送されるようになり、国民的スポーツとなりつつあった時期と重なっています。1913年時点ではルールすらロクに整備されてなかったんですがね。こういうところに産業の興亡が垣間見えるのはおもしろいですね。
さて、他の主な「サッカー協会」としては、カナダ(こちらも最初は Football Association でした)、アメリカ領ヴァージン諸島(北中米カリブ海サッカー連盟加盟国では唯一。露骨ですね)、
アメリカさんの圧が強そうな中米諸国はいずれも「フットボール協会」です。コスタリカも「サッカー協会」と名乗っていればドイツに勝てたのかもしれない。
プエルトリコはちょっと複雑で、協会は「フットボール」ですが、プロリーグは「サッカー」を採用しています。ここにもアメリカとの一筋縄ではいかない関係が反映されています。
オーストラリアのように公式には協会名を「フットボール協会」としていても、使われる頻度で言えば「サッカー」のほうが断然優勢であるという国もあるのです。
オーストラリアの場合は2005年に「サッカー協会」から「フットボール協会」へ名称を変更しました。これは「フットボール協会」圧倒的優勢な国際情勢を見ての判断でしたが、長年使われてきた「サッカー」呼びへの愛着は強く、国内ではいまだに普通に「サッカー」です。特にオーストラリア代表の愛称はサッカーとカンガルーをかけあわせた the Socceroos で通っていて、代表公式 twitter もこの愛称がアカウント名になっています。
協会の英語での名称はJFAすなわち Japan Football Association。なのに国内(公益財団法人として)の公式名称は「日本サッカー協会」。
すがすがしいまでの二枚舌です。メインストリームであるヨーロッパにはうちは「フットボール」派ですよ〜本気でやってますよ〜という身振りをしておいて、国民に向けてはガハハハどうやサッカー愉しいやろガキどもとアメリカン・ダッドなふるまいをしているのです!
しかし、この狡猾さこそが日本のサッカーにこれまで欠けていたといわれるマリーシア、すなわち良いずる賢さのヒントになったのではないでしょうか。
ドイツやスペインも「フットボールなら勝てる」という自信があったのでしょうが、日本が繰り出してきたのは「サッカー」だった。その罠にかかったのです。
他にも南アフリカ、ブルガリア、パプワニューギニア、マン島などが「サッカー」由来の名称で呼んでいます。
ここ二十年の「サッカー」勢の決勝トーナメント進出数は以下の通り
そう、「サッカー」勢が今最高に盛り上がっているのです!
ここに今回グループリーグで破れたカナダや地区予選敗退の南アフリカ、古豪ブルガリアなどが加われば、いずれ「サッカー」が「フットボール」に勝つ日が来る!!
でも実際にはオタク産業の売上なんて
http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2020/08/post-338d58.html
KADOKAWAもバンダイナムコもブシロードも日本企業の上位にはぜんぜん入ってない
それらの連結決算の数字を足しても三井物産やら東電には遠く及ばない
でも自分らこそ日本経済のメインストリームと思ってるオタクの皆様…
宮崎勤が叩かれまくった当時は名実ともに製造業と金融不動産が経済の中心
漫画やアニメやゲームの市場規模は世の中全体からすれば小さかった
世の中のメインストリームは体育会系価値観全開のビジネスマンだった
政治的に右か左かといえばどちらかといえば右っぽいオタクも確かにいた
ミリオタ系で軍事用語っぽい感じ熟語を乱発するのが好きな奴とか
初代マクロスを観て自衛隊に入るやつとかは1980年代当時からいた
とはいえ世の中全体からすれば自分たちはマイノリティという意識で
政治や経済の主導権を握ってる「大人」は自分らの価値観を認めず見下してる
という被害者意識があったからメンタリティ的に体制翼賛的な思想にはなりにくかった
1980年代~1990年代中期に旧ソ連を面白おかしくバカにするオタクはいたけど
だからって自民党を礼賛して保守政治家が自分らの仲間だと思うオタクは滅多にいなかった
2008年の麻生政権誕生時に「総理大臣がローゼンメイデン愛読」説が流布されたのが決定的
べつに自分と首相が同じ趣味だからって自分まで偉くなるわけでもないし
dマガジンで毎月、短歌のコーナーと新刊紹介のコーナーを読むためにダ・ヴィンチを読んでる
ここ三カ月の巻頭特集が矢沢あい→ワンピース→東野圭吾で何のひねりもなく人気作家のど真ん中を続けていることにさっき気づいた
一つの作品や一人の作家を映画化した監督、俳優、著名人のファンと色んな人の感想などを交えたりと色んな紹介をして工夫はしている
しかし面白いと言われているものを面白いというみたいな感じがして本当につまらない
メインストリームなものを嫌いぶりたいわけでなく、それらが面白いのはもう知ってるから言う意味ある?と感じるのだ
くわえて、本当に批判精神とかなく、どの記事でも文章が「この作品が、もしくはこの作家が面白い」を独自の表現でいう大喜利みたいになっている
メインストリームじゃないってことだよ分かれよ
サマソニでホルモンとKing gnuが炎上してるやつについて、そもそも彼らはなんでそんなことしたのか考えてみた
とはいえ俺はエスパーではないので数多の仮説を展開することしかできない
小中学生並の行動
・友好のメッセージとしてイジった説
悪意がなくてもイジりという行為自体に疑問が投げかけられる昨今、批判はやむなし
なにか言及することで「見てますよ」というアピールをする手法かもしれないがやり方は考えよう
前の説の亜種
実際いじられた側はどっちもめちゃ若い
年功序列に基づく文脈は国内や「界隈」では通用するかもしれないけど、グローバルではないよね
・海外から招かれるイケてるバンドとしがないローカルバンドという構図から茶化した説
サブカルがやりがちなメインストリームを茶化す芸のつもりだったかもしれないが、観衆からしたらあなた達が(あなた達も)メインストリームの側なんです
そもそも褐色肌のキャラがメインストリームにならない時点で人気ないという結論になりそうなんだけど、実際どうなの?
そりゃどんなキャラにだって入れ上げるオタクの何人かはいるだろうよ、オタクなんだから。
最近置いてけぼり食ったとぼやいてたホッテントリの増田で話題のVTuberなんかだと、ほぼ明確に褐色肌の人気はイマイチって言えるけどね。
読者諸兄にDECという名前の会社を覚えている人はいるだろうか。
ミニコンの名機と言われたVAXを世に出し、結局のところそれが理由で潰れた(正確には買収された)メーカーだ。
要は
その後しばらくしてWindows95の登場と、それをPCで十二分に動かすことを可能にしたPentiumプロセッサが、それまでの状況を決定的に塗り替える結果となった。
そしてカトラーはMicrosoftに引き抜かれてWindowsNTを開発し、後にこれがWindows系OSのメインストリームになったと。
この流れの背景には、MicrosoftとIntelによる革命的なパラダイム・シフトが大きいと思う。
すなわち、従来のコンピュータにおいてソフトは「ハードのおまけ」でしかなかった。
それをビル・ゲイツは
「将来のコンピュータはソフトの出来不出来こそが最も売上を左右する。ハードは優れたソフトを動作させるための部品でしかない」
と予測し、PC用プロセッサを作っていた「マイコン屋」Intelもこれに賛同したと。
そして賭けに勝った。
親友だったジョブズの影に隠れがちとはいえ、ビル・ゲイツもまたこの一点だけ取っても恐るべき慧眼であり、偉大な人物だと思う。
ジョブズといえば「完璧で美しいけど高い」Macintoshの売上がさっぱりだったことを踏まえ、Windowsは「そこそこの値段でそこそこの性能」を落とし所にしたのも巧い。
とはいえ、MSとIntelに何も不安がないといえば嘘だろう。
MSはモバイル分野では今なお見る影もない。ぶっちゃけPCが廃れたらヤバくない?という。
IntelはIntelで64bitアーキテクチャの主導権とZenアーキテクチャの大ヒットにより、少なくとも過去2回AMDに敗れている。
自分は典型的な学会2世で、2000年代前半に創価中学・創価高校(創価学園)に通っていた。
いかんせん20年近く前のことなので中学・高校を混同してたり不正確かもしれないけど許して。
地元の5歳ほど上の代に創価中学に合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。
そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ。
前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry
当日は携帯ご本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。
お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場に誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。
通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。
俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。
創価学園だからといって必ずしも池ちゃんと接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式と卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。
普段は会館で見る衛星放送の映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。
うちもカーチャンがテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用で蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。
ちなみに俺の在校中に池ちゃんが入学式・卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。
あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。
入学式・卒業式ほどじゃない節目イベントのときに池ちゃんからメッセージや差し入れが届くことがあった。
終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。
コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。
何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。
かっぱえびせんに感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。
創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。
校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室と本尊があった。
体育会系のメインストリームなひとたち(サッカー部や野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。
ほかにも生徒会とかの意識の高い優等生は自発的に空き時間に唱題しに来てた。
ちょっと記憶があいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズドな場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。
小学生のころ休み時間にサッカーをするのが好きだった。地域のサッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。
中学に入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間に中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。
当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通の思春期10代だった。それまで接した創価学会の大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこの学校に進んだ意味ないじゃんと思った。
創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌の存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。
昼休みの中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。
愛唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。
1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixとOriginal Mixみたいな。
いわく5番が一番大事だそうで、5番だけが池ちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?
これを書きながらググった歌詞を見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間の記憶すごい。
創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃんに子供の名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。
池ちゃんネームの割合が結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。
中学を卒業してエスカレーターで高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。
成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったかで10回まで、みたいな感じだった。
自分は創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。
成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。
体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師が顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。
ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者がサッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。
創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日の会合で池ちゃんがスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。
総合学習みたいな時間にはその聖教新聞がクラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんのときと同じようにA5の便箋に感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry
池ちゃんのスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんのスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)
「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチの定番のやり取りで、勉強しろって説法をするときに引用でしか言えないのかこの人、と常に思っていた。
他には「戦争は悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめた人間が100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法や理論に言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。
「いついつの会合のスピーチ、めっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋と吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。
創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。
中学のロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかにも学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報が全然出てこない。
最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所に昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道。
ちなみに近隣の武蔵野美術大学や白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。
白梅学園のバス停が前後を創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議と朝鮮大学校に関する記憶がない。
終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学の学祭に遊びに行ったのは楽しかった。
悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレはググると結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレが元祖だと思う。
校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。
基本的には学会二世しかいないので、典型的な創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。
一方俺はネットde真実をゴリゴリにこじらせていたので、普段から池ちゃんや創価学会へ懐疑的なスタンスを公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんのいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。
池ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。
なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田の言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生もいたことが印象的。
一方で先生は頑迷な人が多かったように思う。一度英語の先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん。
基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。
やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。
ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。
あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重に謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。
平等や平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカーストは存在していた。
今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。
ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー的雰囲気があった。
世は前略プロフィール全盛期、同級生のメジャー勢の女子が前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティーの写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。
停学になったメジャーの女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売の世界に入ったり、様々なよう。
履歴書の学歴の呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。
転職もしつつ順当にキャリアと年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。