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はてなキーワード: マルクス主義とは

2018-12-16

anond:20181216215302

まぁ資本主義も良いとは言わないよ。

でも、現実に落とし込んだマルクス主義と、資本主義だったら、一応資本主義の方がマシなんじゃないの?

社会制度としては。

友達にするならマルクス好きの方が良さそうだが。

anond:20181216213149

人間集団マルクス主義的な理想に耐えられなかった、とは言えるかもしれない。

個人レベルでは耐えられる人いると思うが、それはマルクス主義では無いとも思う。

マルクス主義って論破できるの?

資本論読んだらプロレタリアートによる革命必然のように思えてくるんだけど

2018-12-13

anond:20181213080903

物々交換でも、すべての人にパンミルク供給できるなら、それは一つの解ではある。一つの解であってベストではないが。マルクス主義の一部が目指した原始共産制だね。

で、投資金持ちじゃないとだめなのか、ということについてだが、逆に、貯め込むのは原則金持ちだということなんだよ。そして、デフレ下のもとでは、貯め込むやつが有害存在となる。

だって貧乏人貯蓄する余裕ないじゃん。明日パンにも困るのに、どこかの企業の株を買うかということ。

で、詐欺を行って家を買うのはどうか?ということだが、資金循環的には正しいということになるね。家を作るために大工が働いて、材料作るやつが働いて、それで経済が回っている。

金融投資特にベンチャー投資なんてそんなもんだよ?

社長はこういう物ができればこんな商売ができます!という。ただし、商品を作れる体制も、販売網もできていない。もう商売が見えてる状況なら銀行から借りるし。

無論、まっとうなベンチャー社長必死に頑張るのだろうが、それでも結局商売は時の運と相性とめぐり合わせみたいなところはある。失敗したら詐欺師と等しいところがある。

詐欺って、金だした人と、金を受けた人がいるわけじゃない?ただ、金だした人の望み通りに行かなかった。それに加えて、金を受けた人が騙す意志があったら、詐欺という犯罪なだけ。

2018-11-28

anond:20181128075746

A君はまずいハンバーグ批判せず、大人の知恵のような小賢しい言い訳に終始している所に資本主義限界を感じる

まり市場競争自然淘汰といった概念いかに脆いのかを端的に示している

A君によるB君母への憐憫はまさしくプチブル精神の発露という他なく、ポピュリズム極致だよこれは

やはり純粋マルクス主義こそが人類のゴール

2018-11-27

anond:20181127081003

経済史的にだいぶ昔は封建主義と言って、偉い王様貴族統治するのが良いという考えだった。

そこで自由商人が動き回れるのが理想的だという考えが生まれた。これを自由主義という。

その中でも重商よりと弱者寄りで別れていった。フランス革命後に重商寄りが右側、弱者寄りが左側に議席を配置したから、重商主義右翼弱者より=左翼という概念が始まっていった。

別の言い方をすれば重商主義消極的自由主義(完全に自由にするのが良い)が右翼弱者より=積極的自由主義結果的自由になるようにするのが良い)が左翼かな。

ただし、自由主義の行く末として、貧富の拡大と不景気、そして一部戦争になっていった。

その自由主義批判として、ケインズ主義マルクス主義が生まれていった。ケインズ主義は国が需要など経済責任を追うこと。マルクス主義は国が全部管理したほうが良いという形。

その時点ではどちらが良いか優劣がつけ難く、世界が2分された。ケインズ主義右翼保守側、マルクス側が左翼革新側となった。

ご存知のとおり、冷戦終結マルクス主義は破れたのだが、ケインズ主義冷戦終了の少し前にオイルショックが起きたため、完全じゃないと新自由主義に乗っ取られ始めた。

そして、冷戦終結、かつ、ケインズ主義国家新自由主義化で低成長、長期不景気が起きている。

新自由主義ケインズの知見を全部捨てて自由放任フラット税制にすれば景気が回る程度の思想しかいから。

というのと、あまりわかってない国民煽動するために、「敵か味方か、敵なら攻撃する、味方なら他のこれも賛同しろよ」という権威主義のもと右翼左翼利用しようと考えだした。

マルクスは負けたのはまあ、仕方ないが、だからそれと反対の自分たち右翼正義だ!ということで思考停止させ、他の都合のいいことも賛同させようとしている。

更にそれが行き過ぎて、今では石破支持とか、グダグダオリンピックに反対するのまで、左翼扱いしている。

今の定義ではほぼ政権全面支持=右翼政権わずかでも批判するやつ=左翼ぐらいにまでなってるだろう。

もはや今では政権問題点批判するのすら抑え込むためのツールと堕しているもの右翼左翼という時点で旗頭に乗っ取っている時点でバカにしていいと思ってる。

2018-11-08

◆延近充

レーニン帝国主義論』(大月書店文庫版):帝国主義段階の資本主義論の古典

北原勇『独占資本主義理論』(有斐閣):独占資本主義段階の理論

◇同上『現代資本主義における所有と決定』(岩波書店):現代における資本家とは?

北原伊藤山田現代資本主義をどう視るか』(青木書店):立場の異なる3人のディベート

◇井村喜代子『現代日本経済論』(有斐閣):本文で述べたような戦後日本経済構造性格

平子友長『社会主義現代世界』(青木書店):現代社会主義問題点

◇重田澄男『社会主義システム挫折』(大月書店):ソ連東欧崩壊意味

◇延近 充『薄氷帝国 アメリカ戦後資本主義世界体制とその危機構造』(御茶の水書房2012年):アメリカ主導の戦後資本主義体制の特徴とその変質,世界経済不安定性との関係

◇延近 充『対テロ戦争政治経済学』(明石書店2018年):2001年9.11同時多発テロきっかけとして始まった対テロ戦争現在も続いている。この戦争はなぜ終わらないのか?そして日本はどのように対応すべきなのか?国際政治軍事経済総合した政治経済学視角から分析する。

斎藤幸平

ポール・メイソン『ポストキャピタリズム資本主義以後の世界

ナオミ・クライン『これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動』

アントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『“帝国”―グローバル化世界秩序とマルチチュード可能性』

◇デヴィッド・グレーバー負債貨幣暴力の5000年』

佐々木隆

◇久留間鮫造『マルクス経済学レキシコン 全8巻』

大谷禎之介

渋谷

◇ジョン・ベラミーフォスター独占資本主義理論

◇同上『マルクスエコロジー

ポールバーケット

隅田聡一郎

ヴォフガング・シュトレーク『時間かせぎの資本主義

同上『資本主義はどう終わるのか』

ケヴィン・B・アンダーソン『周縁のマルクス

マルチェロ・ムスト 『アナザーマルクス

ウッド『資本主義に抗する民主主義

アドルノ不協和音

グレーバー官僚制ユートピア

ジェイマルクス主義全体性

2018-11-06

anond:20181106002157

左翼というか、マルクス主義だな

自由主義格差拡大と景気低迷をおこし、さら挙句の果てに一部の国は戦争突入していった。

で、マルクス主義が起きたが、資本主義陣営ケインズ主義に移っていった。

ケインズ主義オイルショック対応できないということで、新自由主義に乗っ取られたが、今の長期不景気オイルショックの比じゃないほど害悪

小泉郵政選挙ケインズ主義者は全員追い出された。あの追い出しがなければ、日本は復活出来てただろう。

もともと自由民主党というのは、自由党民主党合併ケインズ主義時代に生まれものから。今は1980年以前とは全く別物の新自由主義政党

で、マルクス主義に勝ってる!マルクス主義に勝ってる!というが、じゃあ、ケインズ主義に比べては?

ケインズ主義は1940年ー1980年の好景気と成長を作ったが、、新自由主義は1990−2010年の長期不景気を産んだね。

2018-11-04

anond:20181104000641

いや、一枚岩だろwww

一枚岩じゃないネトウヨの例を教えてくれ

>「ぶっちゃけ思想方向は関係なく、ネット政治的な話で過激にイキってる奴」

じゃあマルクス主義者もネトウヨになるわなw

2018-10-30

歴史をめぐって、この国は右傾化している。

学校教育における愛国教育などはその典型例であろう。

歴史教育というのは、愛国教育など関係なくともある意味思想押し付けという性格を持つ。

そこに愛国という思想を加えたのである

そんな中で、学問としての歴史学、特に日本史学邪魔であろう。

よく、右翼歴史家を左翼だと言う。学術的に考えられていることを、左翼歴史家が捏造したことだと言う。

マルクス主義史観時代でもないのになぜそんな事が言えるのか。

歴史家が左翼なのではなく(左派右派もいる)、

歴史学こそが右翼にとって左翼なのだ

左翼的でない歴史右翼が納得する歴史、極論を言えばそれは古事記日本書紀のように国が定めた正史だ。

愛国教育というのは、これに近い性格の物であると私は考えている。

最後になるが、私は元々歴史家を志していたが近年の歴史を巡る情勢の変化に嫌気がさし、未来がないと踏んで飛び出して来たものである

また、歴史家が左翼でなのではないと言っておきながら私は左翼自称している。

歴史をめぐる右傾化への反発のつもりである

2018-10-27

anond:20181023233610

もうちょっと言うなら

自由主義自由放任恐慌不景気を招いたのに対して、

ケインズ主義(右)とマルクス主義(左)に別れたが、

左が破れたけど、右も難癖をつけられて自由主義(=新自由主義)に乗っ取られて、ケインズ主義が起こる前の恐慌不景気時代に逆戻りしましたとさ。

そういう意味で、新自由主義資本主義だが別に優秀だから勝ったんじゃないんだよね。

新自由主義マルクスよりいいんだと言ってるけどさ、ケインズ主義だった時代に比べてどうなのよ?

事実新自由主義うつってから長期不景気を続けてるし。

2018-10-20

千田有紀はどう会話すべきだったか

anond:20181020130536

こちらの分析を見て、千田有紀はどこを間違ってしまったのか考えてみたい。

 

仮定を前提にしたモデル議論だと強調していない

多くの人はここで引っかかると思う

(1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください

キズナアイは相槌ばかり」という言説の真偽はとりあえず真としてほしいみたいな話とみた

つい最近の最善の相の議論でも話題になったけど、とりあえず仮定を真として議論を進めましょうみたいなの

多くの人は利害が絡むから無理なので、千田は「あくまでも仮定です!ここが受け入れられない場合読み飛ばしてください!」と

しつこく語りかけるべきだった

手打ちEXCELで回数数えるとか悪手もいいとこ。そこは前提なんだから

キズナアイは話のマクラにすぎないことを言ってない

これが元増田趣旨で、この点については俺も同意できる

しかし、であるなら世の中がマルクス主義フェミニズムの指摘するところの資本主義と家父長制で構築されているのだから

キズナアイにかかわらず世の中の表現のいたるところに同様の分析ができるはずだ

 

そうならそれで「今回のキズナアイは世の中一般に比べてことさら悪いわけではないです」など言って

早々に敵対モードを解除し、資本主義や家父長制一般の話に持っていくべきだった

 

なんだったら自分Twitterの会話も分析してみて

「私にも家父長制を再生産している部分もあります。それは私が不徹底なのではなく世の中の構造が原因なのです」

みたいに言って沈静化させることもできたはず

始終キズナアイに対するリスペクトがなかった

今回炎上が加速したのは、いつものアンチフェミニズム表現の自由戦士の他に

キズナアイVTuberファンまで敵に回してしまったのが原因かと思う

彼らは「キズナアイには魂がある」などと主張していることからかるとおり表現の自由戦士軍団とはことなクラスタに生きている

そして本来フェミニズムにもマルクス主義にも敵対的な集団ではなかったはずだ

 

彼らを怒らせてしまったのは千田があのインタビューを「シナリオライターが入念に作り上げた作劇だと扱った」ことであり

それはすなわちキズナアイを終始「企業が作り出した操り人形」だとみなしていたのだと思う

 

例えばこれが生身のYoutuber女性で、受け答えが相槌だらけだったとしたら

「まともに受け答えしていない、女子エンパワーメントできない」などと切って捨てられるだろうか

必死に頑張ったかもしれない一個人に対してそこまで酷評できないのでは?

というか普通の人があの場にでてキズナアイ以上の受け答えできる?

 

  

などなど、いろいろ隙のある対話スタンス炎上してしまたことがわかった

今回の件は大変残念なので、次回以降「自分敵対心ないよ」というスタンスをもうちょっと強く押し出して頑張って欲しい

anond:20181020140928

それは、「政府無駄が多い、非効率だ」というケインズ主義批判に遡る。

だいぶ昔はご存知江戸幕府のようないい王様による治世が良いという考えだった。

それに対して、自由活動するのが良いという自由主義が生まれて置き換わった。

自由主義の元だと1920年台の恐慌とその後の不況対処できなかった。

そこで、ケインズ主義マルクス主義が生まれた。

どちらも自由主義に比べれば大きな政府となる。

また、政府競争主義も働かない非効率ものなので、無駄ものが多いと言われていた。あと、ケインズ主義累進課税金持ちは嫌っていた。

なので、1970年台のオイルショックを元にケインズ主義批判が起き、新自由主義への転換が起きた。

するべきことは、小さい政府化とフラット税制化。

自民中曽根橋本龍太郎小泉純一郎あたりが新自由主義で突き進んでいた。だが、民主党新自由主義で、政府無駄をなくそう、ということで、同じだった。

政府無駄をなくせば金は生まれると。

ただ、もう民主党になる頃には政府無駄というものもなくなってた。特定財源というのも批判されていた。これは特定用途特別税金をとっての事だったが、

民主党政権の頃には医療年金道路ぐらいにまでなっていた。

けども、フラット税制かはやめない。法人税、累進所得税を下げたい。ということで消費税を上げた。

ケインズ主義者は小泉郵政選挙あたりで放逐された。2大政党が共に新自由主義で固まってる状況だった。

なお、法人税については、法人税下げの時に企業資金過不足統計で一気に資金余剰側に触れてるので、いかに貯めこみに回ったのかがわかる。

貸し剥がし借金返済も資金市場的には供給資金余剰になる)の影響も強いな。

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

2018-10-14

anond:20181014192229

お前が言ってるのは「労働者は割に合わないか資本家側に回れ」だから

自己啓発化したマルクス主義だね

2018-10-09

anond:20181009014544

個人的な印象を言うと言語学なんかは何語でやっても比較大衆から信頼されると思うよ。良くも悪くも金にならない学問だし。でも政治思想と関わる社会学なんかはどうやって陰謀論が出てくる。御用学者もいれば、マルクス主義の流れだってある。そんな党派性が当たり前にあるなかで自分大学教員としての学問性を担保できるのは海外査読英語論文だけなんじゃないだろうか。

最初増田でも書かれてたけどさー、言語別の研究蓄積の偏りみたいなのがあって、ぶっちゃけ日本社会に関する研究とかだったら日本語の方が圧倒的に詳しいしむしろ英語圏の研究に偏りがあったりすることがあるんだよな。オリエンタリズムみたいな偏見があるとかさ。

前に英語圏の大学Ph.D.獲った日本人日本史研究者も、日本語圏での研究蓄積をぜんぜん踏まえずにトンチンカンなこと言ってる、って評判になってたな。

英語圏の日本研究にもすぐれた業績が多く、見習うべき点も多いけど、やっぱり日本での蓄積にはかなわないんですわ。ただ彼らの研究には日本出身日本研究者にはない視野がある。そういう意味もっと海外交流しようというのは賛成だけど、別に英語圏が研究最先端ってわけじゃないんだよなあ。

日本には日本バイアスがあるし、英語圏には英語圏のバイアスがある。アルミニウム密度日本で測定しようがアメリカで測定しようが同じだろうし、ドイツ人アイディアだろうがインド人アイディアだろうが数学世界では同じなのかもしれないけれど、人間社会研究する学問ではどの言語研究したって党派性は出てしまうんですわ。だからって開き直るんじゃなく、そういう党派性バイアス存在自覚した上で文献を読み書きすることが必要なんだけどね。学問ってそうやって先行研究批判的に継承した上に自分発見を付け加えていくものだと思う。

日本研究標準語日本語しろアメリカ人だろうがフランス人だろうが日本語論文を書かないと無価値だ、という流れになって、結果的日本語での研究が国際化する、という方向性個人的にはありだと思うんだけど、連中なかなか日本語で書いてくれないんだよなー。日本語の方が研究蓄積厚いのにね。まあそれはお互い様ということで、私らもイギリスドイツについての論文日本語で書かせてもらってますアメリカ人の東洋史研究者がみんな日本語中国語論文を発表し、英語論文を書いてもアメリカアカデミアでちっとも評価されない世界が訪れるなら、私らも現地語で論文書いてないやつは無価値主義転向してもいいんだけどね。

あとついでに言うと経済国際関係絶対英語でやってくれ。自国経済外交政策運営世界の潮流に裏打ちされてないなんて知ったら国民不安になるじゃないか

経済学についてはしょーじき、文系の中でもかなり「理系」的なとこなんで、どうなってるか純粋に人文系の俺にはよくわからんが、こないだ香港頭脳流出してた若手経済学者とかいたから、英語で書いてんじゃね? 知らんけど。

anond:20181008215814

論文を読めない素人さんあるいは専門外の人たちに何をベースに信頼を担保するのかという問題なのでは?

日本学会誌日本語で論文出したよって言っても、著者は偉い先生弟子で、審査委員は全員その先生に逆らえない、あるいは論文の内容に関して政府から圧力が入ったって情報あるいは噂話が入ったら、論文の中身を自分検証できない人は著者を信じることを躊躇しちゃうよね。理系英語誌でもそういう贔屓の問題は起きないわけじゃない(実際米国でのコネが効くといわれている)けど、国際的中立そうな権威から認められた論文のほうが大衆からの信用を勝ち得るというのは事実だと思う。


実際内容検証する人たちからすれば、それこそ全部arXivでいいし(分野によっては無名学者arXiv投稿しても読む人数が少ないのではという問題はあるが)、一つ一つの論文重要性まで加味するなら、そもそも論文や発表の「件数」を数えること自体無意味だよね。で結局は人間同士の信頼の話になるんだけどそれはコネと腐敗の温床であって、文系アカデミアは今まさにその腐敗を指摘されてるんだと思う。


個人的な印象を言うと言語学なんかは何語でやっても比較大衆から信頼されると思うよ。良くも悪くも金にならない学問だし。でも政治思想と関わる社会学なんかはどうやって陰謀論が出てくる。御用学者もいれば、マルクス主義の流れだってある。そんな党派性が当たり前にあるなかで自分大学教員としての学問性を担保できるのは海外査読英語論文だけなんじゃないだろうか。


あとついでに言うと経済国際関係絶対英語でやってくれ。自国経済外交政策運営世界の潮流に裏打ちされてないなんて知ったら国民不安になるじゃないか

言語とか文化はいいんだよ。そういったもの国民はある程度の税金投入の必要性を感じてる。でも対立する社会政策や怪しい経済や国際論争に税金が投入されているのではないか懐疑的になって税金を出すのをやめろという勢力が出てくるのは止められない。「自分たちは正しい」と居座るのでなしに、そういうのに答えていくのも科学者仕事なのでは。

2018-10-06

anond:20181006203846

立場が人を作る」というのはマルクス主義的な主張

どんな人でも経営者立場になれば労働者搾取することになる

2018-10-05

anond:20181005074206

経済政策が間違っていたから。

1980年台頃までは国が借金と、税金で国の資金循環を制御していたケインズ主義。まあ、法人税、累進所得税も高かったが。

で、マルクス主義とどちらが優れているか競っていた。

1980年冷戦崩壊マルクス主義が消えたが、ケインズ主義も実情ガン無視自由にしたらいいという新自由主義に乗っ取られてしまった。

政府が大きくなるから官僚主義効率の側面はあったが、税制までフラット税制にしたのは良くなかった。

で、金の量、金の回転数ガン無視、景気をズルズル悪化、それでも金回り完全無視財政均衡が~ということで何度も地獄どん底に。

金の量を見るようになってちょっと改善し始めているが、金の回転数はまだまだ見ていないから吹き上がりが弱い。

だけど、金の回転数を落とすのは富裕層企業なので、このあたりにベッタリの奴らは手出しできない。経団連共がこの期に及んで設備投資に使わんのに法人税下げろーと叫んでる。

自民もだいぶそれに押されてる。

野党もたまに内部留保課税希望の党)や法人税、累進所得増税立憲民主党共産党)に口出ししてるが、なぜそれが良いのか理解してないから、

頓珍漢なことを言ったり、ちょっと批判されたら引っ込めたりしてる。

一方、所得改善税制は相当優れた政策なのにそっちにまでケチつけてる。何でもかんでもケチつけりゃいいってもんじゃねーよ。

2018-09-29

anond:20180928130429

問題提起

LGBTという概念については私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりも無いが、性の平等化を盾に取ったポストマルクス主義の変種に違いあるまい(小川榮太郎

って論文載せるのか・・・

休刊号は松浦論文は読み応えあった。かずと&KAZUYAもまあありっちゃあり。でも他は問題定期以前だったと思う。

例えば水田小川藤岡論文共通して指向と嗜好の混同してた。

どっちの用語も割と無造作に混用されてる。つまり自分区別できてない。

一応説明しておくと、指向男と女どちらを愛するか、嗜好は「巨乳好き」「妹萌え」「デブ専」なんかの何に興奮するか。

三者とも前者を後者一種だと思い込んで書いてる。

他にもにわか勉強勘違いがそのまま書かれていたり、創作メディア面白おかしく切り取った一面を実態混同していたり

こんなことはちゃんとした本読むなり、当事者に話聞けばすぐ解ること。

そんなこともせずに「論文」書く相手と、議論をする余地と言うより、このテーマ議論が成り立つ余地があるか疑問だな。

2018-09-28

anond:20180928120547

わたしたちの話がすれ違ってばかりなのはあなたわたしバカにして聞く気がないからだと思う。

あなたは、わたし論理的な話ができないって言うけど、あなたこそ出来てない。

あなたわたしが「議論するのが面倒くさい」と言ったら「議論出来ない」(anond:20180927135356)と勝手に読みかえたよね。

そのくせ、LGBTの人たちの批判を、「相手の論を曲解している」(anond:20180928120547)とLGBT批判無効化している。

自分は「わたし言葉を書き変える」のに、あなたLGBTの人が「相手の論を曲解する」ことを許していない(これはわたしが「LGBTは『相手の論を曲解する』と主張しているわけではない」)。

このあなたお気持ち次第な振る舞いは論理的な振る舞いと言えない。矛盾し、一貫性のない振る舞いだ。

わたしが、LGBTが行なう批判は「排除」するのか、それは差別ではないかと言ったら

あなたは、LGBT批判は「曲解から」「犯罪から」、「批判」の範疇ではないと言う。

なるほど、ではまず

新潮45」10月号の86ページを見てみよう。

これは話題小川栄太郎氏の作文だが、

LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもないが、性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい。

と言っている。その前にはえーっと何か、共産党マルクス主義人類に多大な犠牲をもたらしたうんぬん、と書かれている。

LGBTという概念を知らないで、LGBT批判するのは「曲解」どころの話ではないし、

ついでに言うと、左の人の「安倍政権」という言葉を目にした瞬間、右の人が機械的に発する言葉陰謀論」と同じである

あなた論理で言うと、これはLGBTに対する「批判」の範疇を超えているよね。

まあ、そもそも新潮45が(あなた定義で言う)「批判」をしたLGBTは「生存権」のある人で、表現ではないから、新潮45に対する「批判」とはまったくレベルの違う話なんですけどね。

犯罪から」は、あの器物破損、たぶん新潮社看板について言ってるのだと思うけど、あれは犯人捕まってないし、その属性も、思想もわからない現段階でうんぬんするのは早計。

デモ違法ではないし、暴言って具体的に何よ? もしLGBTの人の内に暴言犯罪する人がいたとても、それを「LGBT」という属性帰結させて語るのは、

とても差別的で論理的ではない発言だと思いますけど。

このようにあなたの「批判」「排除」「差別」という言葉の使い分けは、あなたお気持ち次第なわけで、そこに一貫した論理はないわけだ。

総合して、あなたの論はとても矛盾勝手理屈お気持ち次第で溢れていて、まったく論理的ではない。

いかなる内容であっても法に触れない限り表現自由だ。

あなた、やっぱりつまらない人。法が愛を囁くことを禁止したら、あなた、もう愛を囁かないの?

2018-07-17

読みたい・やりたい

セーレン・キルケゴール死にいたる病

難解っぽかったけどちくま学芸文庫版だと訳注を追っていけば理解できそうなので読みたい。

続編の『キリスト教の修練』も読みたいけどそこまでたどり着けるか・・・。

ベイズ推定

ベイズ推定だけ理解できればいい。ただ統計学全体をやらないといけない気がして大変そう・・・。

太田勝造他の法社会学

マルクス主義の衰退とともに下火になった法社会学を再興しようという動きがあるらしい。

まだ内容見てないので期待に応えてくれるものなのか分からない。

上記ベイズ推定もこの一環。

イスラム

良い入門書があったのでクルアーンと併せて読みたい。

ただ正直やる実益がそんなにない。興味本位

村瀬興雄『ナチズムドイツ保守主義の一系譜

ライトに書かれてるけどすげぇ良い本。

すぐ読み終わるので今日明日にも読み終えたい。

都市計画

単純に面白そう。

その他

藤原保信『自由主義の再検討

・ユヴァル・ノアハラリ『サピエンス全史』

リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子

いずれも主張は要約を読んだりして分かっているつもりなので、わざわざ推論過程を読む時間を割くのかという問題がある。

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