はてなキーワード: マルクス主義とは
100年前、恐慌の対策として、ケインズ主義とマルクス主義(共産主義)が、生まれ、2つの陣営に分かれてどちらが優れてるかを争った。
実は、初めの頃勝っていたのは共産主義だった。有人宇宙飛行を先に成し遂げたのは共産主義陣営。
熾烈な競争の末、最終的には官僚主義の非効率化で負けたのは共産主義ではある。
負けた理由は、成果を出しても出さなくても意味がないから。官僚主義だから。
勝ったのは本当はケインズ主義ではあるんだが、ケインズ主義も勝つ直前のオイルショックに対処しきれなかったからと否定されてる。
で、ケインズ主義から新自由主義に転換して、初めの10年は確かに良かったんだが、その後失われた30年を作っている。
様々な分野が崩壊しているのがわかる。
医療もそうだし、オレは大学研究に近いところにいるからそれは感じる。
大学研究側は本質でない雑用で苦しめられる。そのひとつは助成金がらみの大量の書類だ。でも、助成金を取らないともう研究が成り立たない。
かつ、アカポスが本当に短すぎるし、数も少ないし、取れなかったらお前死んでねという世界だから、腰を据えての研究ができない。
故に小粒の研究しかしなくなったとは言われる。万が一にも挑戦的なテーマに挑戦して失敗したら、本当に人生が詰むから。
医療も同じだろう。なんとか金を減らせ。その元犠牲になるのは「献身的な医師」の過重労働だ。それすらも限界になったから、
自分自身の生活の質を高めようと思えば、逃げて楽な分野にいかないとならないということになる。
それは、小粒な研究で確実に成果を積んでいく=逃げて楽な医療業務で実績を詰むというのと似ている。大学研究側と同じ構造的な問題である。
企業の成果主義についても言える。まずは予算削減ありきがあったため、挑戦的なことをして失敗する惨劇が多すぎたから、どんどん挑戦的なことをしなくなった。
一方で減点主義が蔓延した。なので、大した成果ではないが失敗しないことばかりでの成果を皆狙うようになった。評価だという事で、書類ばかりは増やしてな。
これも、まず、自分の人生のために逃げて楽な仕事で成果を上げることを狙ったがゆえの結果だ。
いずれも、トップがこうだという元、官僚主義的に書類を増やしていく、だが、あくまでかける金を減らしていったからの惨劇だ。
ホントの新自由主義じゃないと言い出す奴がいるのは勝手だが、この現状は「効率的な予算配分」「小さな政府化」の名のもとに
まず新自由主義の元、競争で使う金を減らすという前提で生まれている。だから、予算削減型新自由主義と名付ける。
新自由主義の理念の一つとして「小さな政府化」というのがあるから、この現状は新自由主義の副産物だ。
ふとTwitterで「労働者を人材として有用に使えない雇用者はバカ」みたいなツイートを見かけて、まあバズっていたのでそういう考え方もあるのかなくらいに見ていた。
けど前々からあったよねこういうの、労働者vs雇用者みたいなの。
なんつうかさ、俺らは被雇用者でたしかにめったに雇用者になるわけではないし、なにより長時間労働だとか過労死するほどの酷使は被雇用者として認めるわけにはいかないし、批判はすべきでもあるのだろうと思う。
でもさ、やっぱそういう乖離って見てても、なんか違う気がすんだよね。
勉強ぜんぜんでけんかったもんで経済学とか思想とかわからんのだが、マルクス主義が流行った時期もこんな感じだったんじゃないの、経営者は搾取する側で悪だ、みたいな。
さすがにある程度ネットやってれば二元論ってのが頭いい物事の捉え方ではないのは誰だってわかるだろうし、経営者即悪断罪みたいな価値観は、幼稚とはいかないまでも、うおおお正論つえええ、みたいな、下剋上する気もないのに徒党の中で威張ってるような、さ。
まず、戦前は自由主義の時代で、貧富の格差が大きかったです。それがゆえに誤った指導者にあおられて戦争に突入した面も。
2,26事件は東北の飢饉と、それゆえの娘の身売りが遠因ともいわれてる。
そのころ、ケインズ主義、マルクス主義が始まって、共産主義国はともかく、資本主義国も大きな政府になっていった。
そこと日本の敗戦後の経済成長が一致して、日本の高度成長が成し遂げられた。
一方で、オイルショックによりケインズ主義が限界があるといわれだした。事実、巨大な政府になっていたから、その官僚主義もよくないといわれだして新自由主義に移った。
新自由主義に移りだして数年は景気が良かったら、バブルが崩壊した後、「バブルの付けにして30年不況が続いている」
共産主義が始まって、むしろ数年は共産主義の国のほうが強かったのと同じ。新自由主義も欠陥制度。それは、金回りをとにかく落とすから。
◇「ネトウヨ」:2chまとめ等だけを見て政治思想を形成してる人。ただこの定義だとまとめが好きなその辺のおばちゃんとかも含まれそう。
◇「右翼」:右翼団体に所属して活動している人。民族主義という点を除けば意外と思想は自由らしい。共産主義や天皇制反対の右翼も居るとか。右翼団体に所属しないが民族主義的な思想を持つ政治家などについては、「右翼」と呼ぶことに抵抗があるせいか「保守」と呼ばれることがある。
◇「左翼」:マルクス主義に代表される、弱者に同情的な思想を大学等で身に付け、それに共感を持つ人。
◇「パヨク」:しばき隊とそのシンパ。上記の左翼的思想を持つ人に対する揶揄としても使われるようになりつつある。
◇「リベラル」:基本的には上記の左翼的思想を持つ人を指す言葉で「パヨク」と違い、揶揄する意図はない。ただ、歴史的沿革から様々な意味で使われてきた用語なので「結局誰のことを指してんの?」となりやすい。
◇「反日」:様々な理想主義から現在の日本を否定する人。特に理想実現のためとは思えない、批判が自己目的化した言説を吐く人のことを指す。
その人の人生経験とかで何が刺さるか変わってくるからな社会科学は。
だから一概には言えんが、やっぱマルクスが入り口として良い。最近は入門書が山ほどあるし(池上彰、ハーヴェイ、不破)、何より単純に面白い。
そっからケインズとか読んでも良いし、現代思想に進んでも良いし、キリスト教に行っても良い(マルクス主義はキリスト教の異端なので)。
哲学ならサルトル、ニーチェ辺りがやっぱ分かりやすい。マルクスと合わせて読むとジブリ映画の意味が良く分かる。
でもやっぱ行き詰まるので、結局ここでもキリスト教を勉強せざるを得なくなるが。
法律学は暇な理系大学生がなぜか勉強してたりするんだけどお勧めしない。
[1] この文書はもっぱらグーグルのマウンテンビューキャンパスでの視点から書かれている。私は他のオフィスや国について語ることはできない。
[2] もちろん、私にもバイアスがあるかもしれないし、自分の視点を支持する証拠だけを見ているのかもしれない。政治的バイアスの観点からは、私は古典的自由主義者であり、個人主義と理性に強く価値を置いていると思う。私はこの文書について喜んでさらなる議論を行いたいし、例証を挙げたい。
[3] 私は、この文書を通じて”技術職”を、ほぼソフトウェアエンジニアリングという意味で使っている。
[4] ロマンチックな男女関係において、男性はより強く地位によって値踏みされ、女性は美貌によって値踏みされる。さらにこれには生物学的な起源があり、文化的に普遍性がある。
[5] Stretch、BOLD、CSSI、Engineering Practicum(ある程度は)、それと特定ジェンダー及び人種のためのいくつかの他のグーグル提供の内部、外部プログラム。
[6] 代わりにある特定層のための潜在的なGooglegeistのOKR設定。私たちは、特定のグループにとっての環境を良くすること(それはサーベイスコアによって確認できる。)によっても、保護された地位に基づく差別化(それは違法であり、すでになされていると私は見ている。)によっても、組織レベルでの登用を増進させられる。登用増進OKRは後者のインセンティブとなりうるし、組織間でのゼロサム闘争を作り出しかねない。
[7] 共産主義は資本主義より道徳的にも経済的にも優れていることを約束する。しかし、その試みは全て道徳的には堕落し経済的には失敗している。自由民主主義社会の労働者階級が”資本主義の抑圧者”を倒そうとしていないことが明らかになったとき、マルクス主義知識人は階級闘争からジェンダーと人種の政治へと移行した。抑圧者-被抑圧者の中核的な力学は残り、今や抑圧者は”白人で、ストレートで、シスジェンダーの家父長制”である。
[8] 皮肉にも、IQテストは当初能力主義が貴族政治の犠牲者を助けとなることを意味していた時代に左派によって擁護された。
[9] もちろん、全国的な総計において、女性はさまざな理由で男性より賃金が低い。ただ同じ職業につく限り、女性は男性と同じだけの賃金を得ている。女性が男性よりお金を使い、給与というものが従業員がどれだけのものを犠牲にしたか(例えば、より多くの時間とストレスと危険)の指標であることを思えば、権力に関わるステレオタイプを考え直す必要がある。
[10] 伝統的なジェンダーのシステムは支援が必要な男性というアイデアをうまく扱えない。男性は強く、不平を言わず、自ら問題に対処することを期待される。男性の問題は、ジェンダーによる行為主体性の考え方によって、しばしば犠牲者というよりは個人的な失敗とみなされる。これは泣き言、不平、弱さの現れとみなされることを恐れて、男性が男性の問題(それが個人的なものにせよ集団的なものにせよ)に注意を払うことを妨げている。
[11] 政治的正しさは、”社会的に恵まれない人たちや差別されている人たちの集団を排除し、軽んじ、侮辱すると受け取られるような表現と行動を避けること”と定義される。それでなぜそれが左派の現象であり、権威主義者の道具であるのか明らかだろう。
ポリティカルコレクトネスでもマルクス主義でも何らかの宗教でもなんでもいいんです。色んな正しさがある。
で、それとは全く関係なく、です。
何かことさらに固有の主義主張があるわけでもない私が、私がです。
私がその感覚を持って、私固有の感覚において、あなたのことを好ましく思えないのです。
あなたのことが、ただ好ましく思えません。
理由は以下の通りです。
共産趣味が、中途半端に政治性を帯びていて、そのポーズの取り方がカッコ悪くて嫌いです。
ジェンダー論などの社会学にいっちょかみしたポーズをとる割には、そのコメントがダサいからです。
端的に言えば、もっと勉強してから書きこむべきです。ちょっとでも専論を読みましたか? ネットのふわふわした情報しか見ていないのではないですか?
「大学院に行きてー」と何度つぶやきましたか? なぜ大学院に行かないのですか?
仕事もやる気がない。
自分は他人とは違う、そう思いたいのかもしれませんが、あなたの感覚は何ら突出していません。
もちろん、そうした人生を送ることをダメだと言っているのではありません。
そういう人生があっても良いのですが、なぜそれから動こうとせず、かつ、動いているか考えているかのような惰弱なポーズを獲るのですか?
そこが嫌いなのです。
まずなんで2極化が問題なの?
資本主義の理念って先に上に到達したものが科学力や経済力や権力を最適化させて富と恩恵を再分配することが理念構造でしょ?
そして自由主義は既得権益が発生して市場が不健全化されることで前述の資本主義による競争理念が消失し停滞化することを防止する理念でしょ?
資本主義+自由主義が正解だったってのは既にソ連VS合衆国でオチてるから今さらマルクス主義やスターリンの再来を願ったところで意味ないでしょ?
アベノミクス批判してる君たちが一体どこを目指してるのかもうちょっと説明してほしいんだが
今の高校教科書が別に価値中立に書かれているわけではなく、マルクス主義史観全盛の時代の研究をベースとして書かれているということが、
で扱われています。書評 http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/51968564.html、 http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/6d0a500cfe4c61cdc6c8334c84ea5bb3 など。
また中国史では東京学派(歴史学研究会)と京都学派の間で時代区分論争があり(谷川道雄編『戦後日本の中国史論争』2001年 河合出版)、日本史でも時代区分についての議論があったようなので(こちらについてはあまり知らない)、そうした議論との距離の取り方も教科書の書き方に影響があるのかもしれません。
参考になれば。
あと出来れば続きを書いてほしい。