はてなキーワード: フランクとは
夜行バスの思い出を気紛れに綴っていたら、連想ゲームのようにN君のことを思い出した。これも何かの機会だと思い、ここで書き残すことにした。予め断っておくと、ほとんど夜行バス要素は無いし、N君という呼び名も、星新一式のニュートラルな呼称であり、実名のイニシャルではない。
N君は、高校の同級生で同じクラスだったが、特に俺と親しかったわけではない。俺の記憶の中のN君は、優等生でも不良でもなく、運動部所属でも文化部所属でもない、あまり目立たない帰宅部の生徒だった。
ここでド田舎の高校あるある話を解説しておくが、当時の暗黙の了解として、生徒は部活動に所属すること、しかも、運動部が最も望ましいとされていた。文化部は、運動部より一段低く見られ、帰宅部となると、教師や保護者から胡散臭く見られるという始末だった。俺はといえば、オタクのくせに無理をして運動部に所属し、体育会系集団と校内オタク集団の間を、コウモリのようにフラフラしていた。
そんな風にド田舎の同調圧力に屈していた俺から見ると、校内のどのようなコミュニティにも属していないように見えるN君は、孤高というか不思議な存在だった。
N君は、俺を含めた同級生との休み時間や放課後の会話に、自ら積極的に加わったりすることは無かったものの、会話をする機会が有れば、分け隔てなくフランクに接して明るく話す程度には社交的だった。俺も他の同級生も、N君を特別に好きだったかどうかはともかく、特別に嫌ったりはしていなかった。帰宅部にも関わらず、運動部に所属する生徒たちから見下されたりするということがN君はなかった。優等生でもなかったとは書いたが、話し方や物腰を思い浮かべるとN君の頭が悪いとも決して思えず、むしろ頭は良さそうに俺には見えた。
特に親しかったわけでもない俺の、N君に関する記憶や印象は、おおむね以上のようなものだった。
在校中の特筆すべき思い出を残すことも無く、高校を卒業して実家を出た俺は、田舎の度合いが出身地と五十歩百歩ぐらいの、他県にある大学へと進学した。
大学の夏休み、実家へ帰省してゴロゴロして怠惰に過ごしていた俺に、親は「在校中にお世話になった顧問の先生に、挨拶ぐらいしに行け」と言った。仕方なく俺は、運動部OBとして母校に顔を出し、OBらしく後輩たちにアイスクリームの差し入れを振る舞ったりした。母校での野暮用を済ませ、帰宅するために母校から最寄りの駅へと向かった俺は、その途中で、偶然にもN君に再会した。市外から汽車(ディーゼル列車を田舎ではこう呼ぶ)で片道一時間強かけて通学していた俺と異なり、N君の家は母校と同じ市内だった。
特に親しかったわけでもないが「久しぶり」ということで、俺たちは喫茶店でアイスコーヒーでも飲もうということになった。高校生時代は校則で入店が禁止されていた喫茶店に、今では堂々と入店できるということに、俺は開放感を覚えたが、その時のN君はどうだったのだろうか。
「今どうしてる?」という話になり、大学生としての暮らしについて、俺は適当に話した。昔も今もコミュニケーション能力に乏しい俺は、大学生になっても彼女もいなかったどころか、友人もろくにいなかった。だから、決して薔薇色の生活というわけでもなかったし、そんなに明るい話のネタも持ってはいなかった。しかし、そんな俺のつまらない話でも、N君は「良いなあ」と相槌を打ちながら聞いていた。ひとしきり俺のことは話したので、今度は俺が、N君のことについて訊いてみることにした。しかし、聞けば、大学や専門学校などに進学するでもなし、働くでもなし、N君は何もしていないと言った。
少し言い淀んだ後、N君は俺に「悩んでいることがある」と切り出した。今でも、この時の話題をN君が特に親しくもなかった俺に切り出した、本当の理由はよく分からない。喫茶店に自由に入れるようになった開放感からだったのだろうか。あるいは、田舎を捨てて他県の大学へと進学した俺のことを、進歩的で偏見が少ない人間だとN君は見たのだろうか。単に、親しくもなかった赤の他人だからこそ、却って話せたというだけかもしれない。
N君の悩みというのは、彼の恋の対象が、女性ではなく男性であるというものだった。
N君の話を聞いて、俺は驚いた。
N君が同性愛者であったことに驚いたのではない。俺が驚いたのは、N君が彼自身以外に「男性に恋愛感情を抱く男性」の存在を知らなかったからである。ストレートの俺ですら存在を知っていた、雑誌『さぶ』や『薔薇族』などの存在も知らなかったと言われたが、その時の俺は、俄にはN君の言葉を信じ難いと思った。
しかし、後になって思い返した俺は、それほど有り得ない話でもないのではないかと思うようになった。同性愛者であることを子供からカミングアウトされた親の中には、同性愛を治療可能な病と考えて、何とか"治そう"と試みる人間が少なくないという。だから、もしかしたらN君の親も、そんなふうに"治そう"とか"悪化を防ごう"とかするために、N君が彼以外の同性愛者や性的マイノリティに関する情報へとアクセスする機会を、奪っていたのではないだろうか。スマホもインターネットも無かった時代のド田舎で、子供を経済的に支配している親の立場ならば、情報の遮断もある程度は可能だったと思う。N君がどうだったかは覚えていないが、俺の同級生の中には、テレビのお笑い番組を観ることを、親から禁じられている人間が何人もいた。お笑い番組などでは笑いのタネに同性愛者が持ち出されることは珍しくなかったが、そういった俗悪番組などを観ることを禁じられていたとしたら、自分以外の同性愛者の存在を知らなかったということも有り得るかもしれない。
「えっ、そんな雑誌があるの?!」
「そうだよ、男の人を恋愛として好きになる男の人は、なにも世の中でN君だけじゃないよ」
逆にN君の方こそ、俺の言うことが信じられない、自分の他に男性に恋愛感情を抱く男性が存在するなんて信じられない、という表情だった。
別に俺は、高邁な思想の持ち主などではなかったし、世の中の差別を無くすために戦う人間でもなかった。過去形で表現したが、現在形で表現しても俺は「そのような人間ではない」。しかし、そんな俺でも、N君が理不尽に苦しんだり悩んだりする必要は何も無いとは思った。とはいえ、若くて馬鹿な大学生だった俺に、まともなアドバイスや励ましをN君に与えることが出来るはずも無かった。『さぶ』とか『薔薇族』の存在の他に、何か俺がN君に教えられることが有るかと、無い知恵を絞って出てきたのは、俺が夜行バスで東京に行った時に、新宿駅の雑踏で見た、今風の言葉で言えばオネエと言われる人たちの集団のことだった。俺は馬鹿である。
「新宿二丁目には、そういう人たちが集まるお店が、沢山有るんだよ。俺、東京に行った時に新宿駅で、そういう人たちの集団を見たよ」
実際に新宿二丁目に行ったことも無いくせに半可通の知識から発した、今から思えば我ながら馬鹿な発言だ。それでも、その時の俺は、馬鹿なりに「N君は『独りぼっち』ではない」と言って励ましたかったのだ。とはいえ、当時のN君との会話の中で、俺は「オカマ」や「オカマバー」という言葉を頻繁に使ったと記憶している。励ましたいと思いながら差別的表現を使っていたのだから、今でも俺は恥ずかしくなる。その上、明るくひょうきんなオネエたちと、同性愛者とを安直にイコールで結びつけるという思考は、粗雑で乱暴なものだったと言うほかない。
兎に角そういった話を聞いたN君は『さぶ』や『薔薇族』の存在以上に、俺が新宿駅で見たという人たちの存在、実在に驚いたようだった。その人たちの様子を訊かれたので、俺は、思い出せる範囲で、彼女たちの服装とかメイクとか、かしましく面白おかしい会話の様子とか、堂々とした態度とかをN君に話した。特に、彼女たちが明るく堂々とした様子だったところ、自由に見えたところに、N君は深い感銘を受けたように俺の目には見えた。
そろそろ俺の帰宅するのに乗る汽車の発車時刻が近いという理由で、喫茶店でのお喋りを切り上げると、別れ際にN君は俺に「ありがとう、色々と教えてくれて」と言った。大袈裟なぐらいに何度も、N君は「ありがとう」と言った。駅へと向かう俺を、N君は喫茶店の前で見送ってくれていた。
その後、N君と会ったり連絡を取ったりというドラマチックな出来事は特に無い。だから、その後のN君がどうしたのか、どうなったのか、故郷に残ったのか、それとも出て行ったのか、俺は何も知らない。
俺の勝手な空想の中では、その後のN君は、故郷を出て、何処かの都市部のリベラルな場所で、仲間と出会うことが出来て、孤独ではなくなったという筋書きになっている。その俺の空想の中で、故郷を出て都市へと向かうN君は、夜行バスに乗っている。俺がN君のことを、勝手に俺自身と重ねているからだ。
たかが夜行バスに乗って、何回か東京その他の場所に出掛けたからといって、田舎っぺで馬鹿な俺が、顕著な人間的成長を遂げたりするはずもない。また、故郷を出て東京その他の場所に移り住んだからといって、必ずしも薔薇色の人生が待ち受けているとは限らないことも、今では俺も理解している。
それでも。
それでも、夜行バスの旅は、若くて井の中の蛙の俺に、新鮮な風景を見せ、田舎では触れることのできなかった、新鮮な空気や文化的産物に触れる機会を与えてくれた。たかが新宿駅でオネエの人たちを見ただけにすぎないという体験ですらも、若くて田舎者だった俺にとっては、貴重な体験機会の一つだった。俺にとって夜行バスは、そういう思い出と結びついている。
多分これを読んでもあなたにとって合わないものが合うようにはならないと思うんだけど、わたし自分が好きなものを嫌いな人と話すんの大好きなんですよね。
たぶんあなたは嫌いだとおもうけどね。うへへ。おら!ロキソニン追加しろ!なんならボルタレンも追加しろ!
強気で無遠慮で素直。
実は臆病で逃げグセがある。虚言癖もある。
こういった設定が
臆病だけど強気という設定。
設定の話ばっかりなんだよなあー!どこに書いてあったのかなーその設定いいい!ほんとに漫画読んだのかなあああ?
チェンソーマン読んでてパワーのこと素直だと思ったやついる?いねーよなー!どこに書いてあったんだよその「設定」はよー!
もうこっから違うのよ。世はなべて必然的な理由なんてないのよ。
だいたい強気な態度と臆病さは相反するモンじゃねえんだよなあー。なんなら定番でしょうが。
ここからもう自分の型にはめようとしてしまっているし、そもそもワガママは言ってるけど別に最初から素直に甘えたりしてねーのよ。
デンジに無防備に甘えるまでのアレやコレやを何も見ていなかったのかなあー?
あなたのだいだいだいだいだーい好きな必然的な理由、深い闇が出てきたでしょー?っていうかもう比喩的な意味じゃなくて闇そのものがでてきたんだけども。
人物は物語の中で変化するのよ。最初から最後まで設定通りにキャラクターが動く話なんて見てもつまらんのよ。
ここも自分の常識にあてはめようとしてる。いるよ。意味もなく嘘つく人。俺とか。小さな子どもですらろくでもない嘘つくからね。「トイレ行った?」「行った!!」とかさ。行ってねーし。
過去の辛い環境なんかなくても嘘つくのよ人間は。現実に対する理解が甘い。
そもそも意味もなく嘘ついてるシーンなんて全然ないけどな。だいたい保身のための嘘で、それは普通にみんなするでしょ。
パワーが我々と違うのは明らかにバレる場面でも嘘をつくことで、それは心の闇というよりは子供っぽさの表れでしょうが。
「性格は非常に単純で、大胆不敵かつ自信家。物事を深く考えることが嫌いで自分の欲望に常に忠実」
とのこと。
ウィウィウィウィwikiイイイウィウィウィ?!!?!???!(椅子から転げ落ちる)
設定か?設定が好きなのか?100話ちかくに渡って書かれた人物を一言で説明できると思っているのか???
そんなやつだったっけなー。俺が読み違えてたかなー。と思って読み返したら全然そんな奴じゃなくない?なくなくない?
全巻通して無理やり一行に納めようとしたらそんな感じになるかもしれないけど、そのつもりで一話読んだらギョッとするわ。
誰にも見せていない深い闇がある。
むしろ最初から闇じゃない?最初から闇が見れて良かったんじゃない?天涯孤独で悪魔と契約してヤクザの手先になって悪魔殺して100円でタバコ食って母と同じ病気で早死しそうでヤクザにも裏切られて殺されて悪魔人間になってせめて普通の暮らしがしたいってさほど闇でもないかな?そうかな?そう言うんならそうかも。
最初から闇のデンジくんがだんだん人間性を取り戻していく話だったような気がするけど最初からパッパラパーのデンジくんに実は深い闇があるけど詳細には描写されない話だったのかもそうかも。
あのチェンソーマン大好き女のことをそう言うってことはそうか。最後まで読んでないんだな。11巻ってどこだっけ。最終巻じゃねーか!!!
ってここまで書いて気づいたけど、魔人と悪魔人間と悪魔だからひとつも人間の話してねーじゃねーか!バカにしてんのか!デンジくんは人間か!ごめん!
まず大前提としてさあ突飛な人物造形ができるのも創作の醍醐味だと思うんですよねえ。
創作における「現実的」って今この時代のわたしやあなたの考え方価値観に合致するかどうかではなくて、キャラクターの考え方価値観と行動が合致していて、作品世界の価値観で正しく評価されるかどうかなわけ。ポリコレはクソ!
人間を虫みたいに殺すやつとかさ。絶対に意思疎通できなさそうなやつとか、こいつと心通わすの無理だなーってやつとか。
人間と違うもの書くんだから人間の常識で測れるわけないじゃないですか。闇の悪魔に暗い過去あったらいやだよおれ。
リアルな心の辻褄がーって言うけど、「現実的か」っていう判断基準が「こうだったら良いな」ってあなたが思う世界に見えるんですよねえ。
「理解できない」を「現実的でない」に置き換える癖はマジで即刻やめたほうが良いっすよ。現実の見え方を歪めちゃうから。
現実とかいうクソ見てたら、こんなに人物が不自然なやついるんだ!こんなにリアルな心の辻褄が合わないやついるんだ!こんなに心の奥行きがないやついるんだ!ってなるよなあー?
増田さんってクソ映画をこの世から一掃しそうってよく言われませんか?
チェンソーマンを好きになりましょうなんて言わないけれど、なんかその壁というか自分の城というか。全てのことには因果があるみたいな考え方ぶっ壊せるとロキソニンいらなくなると思うよ。
まじでまじでまじまじで~
※個人的に肌に合わないという感想なので、ファンの方は読まないことを推奨します。
「藤本タツキは天才」と絶賛する友人から勧められて、漫画喫茶で11巻まで一気読みしてきた。
絵は迫力があるし、キャラも可愛い。展開も面白いと思う。でも私には合わなかった。
Twitterで感想を検索しても手放しの大絶賛ばかりで肩身が狭い。
何がここまで合わないのか。読んでいて疲れるのか。わからなくて帰宅してからずっと考えた。
ここでいう不自然さとは、リアルな心の辻褄が合っていないということ。
レゼは少しだけ多面的に描かれたので読むのが楽だったが、他のキャラクターは心に奥行きがない。
全然そんなことない!と怒りを感じた人は、たぶんファンの人だと思うのでこのページを閉じて欲しい。
強気で無遠慮で素直。
実は臆病で逃げグセがある。虚言癖もある。
臆病だけど強気という設定。
臆病なのに強気に振る舞っているなら、そこには臆病さを隠す理由がある。
例えば、弱い自分を受け入れられないとか、強くなければ必要とされないと無意識に感じているとか。
そんな不安が根っこある人間は、素直に人に甘えられない。でも、デンジに無防備に甘えるので違和感がある。
虚言癖。
そこにも必然性がある。意味もなくあんなに嘘をつく人間はいない。心理的にメリットがあるから嘘をつく。
過去の環境などが原因で、そのままの自分では必要とされないと感じて、話を膨らませたり、強がったりしているケースが多い。
しかし、パワーからそんな闇は見受けられない。初登場からずっと素直でわがままに振る舞っている。
仮に「ワガママで子どもっぽい自分」が彼女の鎧だとするならば、それに反する一面が一瞬でも描かれなければ不自然だ。
全てが作品内で見える必要はない。描かれていない部分もあるだろう。
でも例えるなら、途中まで描かれたスケッチの陰影に違和感があるのと似ている。「そうはならんやろ」という感じ。
どのキャラクターからも、心の奥の辻褄が合っていないような印象を受ける。
その違和感を解消したくて読み進めるが、いつまでたっても解消されないのでどんどん疲れてしまった。
「性格は非常に単純で、大胆不敵かつ自信家。物事を深く考えることが嫌いで自分の欲望に常に忠実」
とのこと。
でも、過酷な幼少期に耐えた心の痛みや、父親に関する重要な記憶を消してしまうほどの辛さがあったはずだ。
父親の記憶が戻ったときは「やっと心理描写が見られる!」と思ったのだが、廃人になった外見描写だけで終わってしまった。
おい!一番いいところ!!!!!
あんなに心の扉の描写しといて、その先の葛藤は見せてくれないのか!!!!
凄くがっくりした。
なんだかいつも、心の一番奥の描写になるとするりと避けられているような気すらする。
マキマもそうだ。
クールでフランクな女性。いつまで経っても、その一面的な性格しか出てこない。AIなの?
どんな人物で、どんな心理があって、どんな背景があるのか、リアルに感じられない。
物語の最後で「立場故に孤独だった」「対等な関係を求めていた」ことだけが描かれるが、それだけだった。
人間の心の内がクール・フランク・孤独だけではあり得ない。もっとマキマさんのリアルな心を見たかった。
作者自身、マキマさんの心理をそれ以上知らないのではないかとすら感じた。
人物の心がいつまでもリアルに描かれない。これが私にとっては大きなストレスになった。
AIがハリウッド映画を演じているようで、展開の面白さが入ってこなかった。
どんなにぶっ飛んだ世界観でもいいけど、心だけは本物であってほしいじゃないか。
勧めてくれた友人に「面白かった。でも…」と軽くこの話をしたら、やっぱり不満そうな反応が返ってきた。せっかく勧めてくれたのにごめんよ。
それ以上言えなくてここに書き散らした。書いているうちにロキソニンが効いてきたし、気持ちも落ち着いてきた。
たぶん、共感してくれる人が一人くらいはいるんじゃないかなと思っている。
みなさん、色々コメントありがとうございます。初増田だったので、賛否両論でも反応いただけて嬉しいです。
上の内容は、けして心に理屈が通っている作品でないと駄目だということではありません。
チェンソーマンが自分に合わなかった理由を探り、不自然な印象として受け取ったものをなんとか言葉にした感じです。
増田に書いた理由は、友人が「心の話は難しい」と言ったのでストップしたものの、うまく説明できずどこかで言語化したかったからです。
タレントというシェフがアク抜きした料理を出しくれてるのに、男にフラストレーションを持つ視聴者が礼賛しつつアクを入れ直してて、それが嫌われてるんだよね。
つーかさ、生理って普通に話していいっすよねみたいなことは、既に色んなタレントが言ってるわけ。
ましてネットタレントとか配信者は、態度がフランクだから距離が近いから尚更さらっと話しとる。
自分やリスナーの生理や婦人科系の話題を淡々と話してる女もいれば冗談のネタにする女たちがかなりいて、それに男ファンが普通についてるわけ。
その人たちは、世間の男どもに復讐したい、説教したい、やりこめてやりたいみたいな不要な敵意を見せずに言ってるからな。(たまに意地悪い口調で言う奴もいて、そいつらは不人気になるか、ニッチなファンがつく)
でもそれを礼賛する野良フェミニストたちの発言には、男社会への恨みみたいなのが滲んでてて、しかもそういうのに限って沢山RTされる。
そんなの反発されるに決まってるじゃん。
生理の話をするタレントがダメなんじゃなくて、生理の話題と有名人の知名度を男を反省させる機会にしたがるその辺の奴らがダメなんだよ。
センスあるタレントがまったりバラエティやおもしろコメディという広く親しまれるコンテンツにしてるのに、つまらない視聴者がゲスなスカッとジャパン的復讐娯楽や細木数子的なパワハラ説教にしてるんじゃねーよ。
個人的にやらない方が良いというか、これされるともういいやってなる相手の行動を書く。参考になれば
・すぐLINE聞く
・すぐ電話したがる
・なんで呼んだら良い?
・プロフィール読めば分かることを聞いてくる
・返事してないのに追加メッセージ送ってくる
・タメ口
。
・すぐLINE聞く→アプリ内でやり取りすれば良いじゃんと思う、LINEアカウントを知るのが目的の業者?でもいるんかな、教えたところでブロックされるのがオチ、実際会って大丈夫そうなら交換したいとは思う
。
・すぐ電話したがる→なぜそんなにみんなすぐ電話したがるのか。どんだけトークに自信があるのか。とはいえこれは人によってはメッセージ打つより電話も好きな人いるだろうから賭け
。
・なんで呼んだら良い?→名前呼ばなくても会話出来るし、知らない人にむやみに名前教えたくないので偽名を使うことになり、それだともう教える意味もほぼないじゃん?アカウント名に何か設定されてたらそれをそのまま呼べば良いし、このやり取りはもう何人もやってるのでだるいと感じる、もっと他の話題にした方が良い
。
・プロフィール読めば分かることを聞く→趣味はなんですか?とか。書いてあるやろ。マッチしちゃったけど全然こちらに興味ないってか真面目にやる気ないんだなという印象でもう返事する気は無くなる
。
・返事してないのに追加でメッセージ送ってくる→怖い、前に遭遇したのは最初のよろしく!みたいなのに返してなかったら、どこ住み?→○○(駅名)って近い?ってきたやつ、怖い
。
・タメ口→フランクなのが好きな人もいるだろうけど、遊びってか軽いなと思って自分は苦手。それだけのことだけど敬語の方が真面目な印象になる。自分の方が年上だとか相手の年齢関係なく初対面は敬語がベターだと思っちゃう。
。
今NHKでやってるBBCが放送してた海外番組ブリティッシュ・ベイクオフを見てる。
アマチュアがパンやお菓子の出来を競う料理サバイバル?番組だ。
https://www.nhk.jp/p/ts/PN79NV19XL/
事前オーディションで選考されたアマチュア料理家(番組内では「ベイカー」(Baker)と呼ばれる)たちが、毎週与えられるテーマに沿ったパンやパイ、ケーキや焼き菓子などの出来栄えを10週に渡って競い合う番組。
なんでこの番組を見てるかというと、NHKはこの前に「ソーイング・ビー」という番組を放送していたからだ。
https://www.nhk.jp/p/ts/PM58N4MYMN/
当時ぐうぜん見かけてこれは面白い!と結構長い間見ていたが、それも終わってブリティッシュ・ベイクオフになった。
両者の関係はというとソーイング・ビーはブリティッシュ・ベイクオフのスピンオフ的番組で、番組のフォーマット、アマチュアたちが3つの課題をこなしだんだん脱落していく、をそのままに対象を料理から裁縫に変えた番組。
つまり日本放送でいうと新しいほうから放送して元祖のより古い番組を今放送しているということになる。
そのせい(古いせいで洗練されていない?)かはわからないが、ソーイング・ビーと比べてブリティッシュ・ベイクオフは面白くない。
そんな増田がなぜソーイングは面白くてベイクオフが面白くないのか考えたら、単純に二つの理由かなと思った。
食べ物の評価となると当然、味が評価対象になるわけだけど、見てる側には味なんてわからないんだから見てても「そうなんだ」以上の感想がわかない。
硬い・ふんわりとしている・水っぽい・リキュールが効いてるなどなどあるけれど、調理途中でアクシデントが起こってそうなったとわかるものもあればなんか普通に作ったけど最後の焼きが悪かったのかなんか失敗した。みたいなものも多い。
もちろん見た目の評価もあるんだけどまあ料理の範疇なので見ていても「どれかと言えばこれが好き」程度に落ち着いてしまう。
なんというか一緒に審査している感がない。他人の食事を見てるだけ。のような疎外感を覚える。
だから結果発表もえーそれが一位?俺はこれだったわーみたいにならない。あーそうなんだ。よく作れたんだ。で終わる感じ。
対してソーイング・ビーは服なのでもうほぼ見た目が9割。途中の失敗が目に見えて結果に反映されるし、時間が足りなかったらそれで未完成品が出される。他方で上手い人の作品は本当に見た目も作りもきれいでああこれは褒められるなとわかりやすい。目に見えて良し悪しがわかりやすいのだ。
さらにリメイクの課題ではそんな素材で!?(パラソルやウエットスーツ)そんなものを!?(SFな服や犬用の服)みたいな物が多くてもう千差万別のものができあがる。
そのなかで上手に出来たものの中から一位予想が楽しいし、予想が外れても「俺はこのデザインのほうが好き」でなんかオッケーな気分になれる。
また、両番組とも「レシピ通りに作る課題」があるのだけれど、ベイクオフは上手くいけば当然どれも似たり寄ったりになるわけで。完成してもめっちゃ地味。
大してソーイングなら生地の選び方からセンスがでるし、生地の種類ごとに合う合わないがあって難易度が勝手にあがる参加者もいたりして、「型通りに作る」んだけれど完成品はみんなバラバラな印象になる。
審査員は男女二人。どちらかと言えば両方の番組で海外男性がセクシーで注目している。まあそれはどうでもいいや。
でもま、ベイクオフの男性審査員、ポール・ハリウッドがもう辛らつ。料理の出来が悪いと本当に悪い点をたくさん上げてくる。
まだシーズン初期なので下手な人が落ちきってないという面もあるんだけど、それでも悪い料理には悪い点の指摘しかしない。
女性審査員のメアリーはまだ比較的ましかな?程度。ポールのほうがしゃべるのでやや発言が少ないが、やっぱりダメなものはダメという。
焼きが足りないとかこねすぎとかこのフルーツは合ってないとかプロとしてご意見はごもっともなんだけど、聞いていて結構つらい。厳しい先生。
対してソーイング。男性のパトリックと女性のエズメなんだけど、二人ともまあやっぱり怖いは怖い。威厳がある。
変な生地を選ぶと作ってる途中にパトリックがこれでやるのかい?だとか生地が伸びて難しいだろうが…頑張って。とか言ってくる。
でもユーモアもあって、進行役のタレントからよく弄られたりする程度にはフランクだしそれに冗談で返したりもする。
そしてなにより褒める!
二人ともどの作品もひとつは褒めるんだよ。(たまーに本当にヤバい作品が出るときはこれは完成していない…とかで終わるけど)
まあ大抵生地(色使い)がいいとかステッチが丁寧とかフィットしているとか私は好きよ。とか。
どんなにひどいミスがある作品でも時間切れで未完成品でも「ここは良い」がある。ミスが必ず見つけられて怖いけど優しい先生。
ミスから挽回したりできなかったりした作品には(心配したけど)よく頑張ったねとか声かけしてくれる。
だからちゃんと見られてる感があって厳しい指摘も見ていて受け入れられるんだよね。
つまり
評価がわかりやすく会話にジョークが混じり指摘中に必ず褒めるソーイング・ビー。
めっちゃ単純に心理的安全性がある組織とない組織みたいな対比になってる。
んで社会人としてどちらがエンタメとして優れているかと感じるかというと…まあ後者だよね。(ガチンコとかマネーの虎とか厳しい系が流行るときもあるけどね)
つらい番組は見たくないし。比較対象が優良だったらなおさらだよね。
ブリティッシュ・ベイクオフを見ていて面白くないと感じる原因はソーイング・ビーを見ていたせいでなんか転職に失敗しました感を感じてるからかもしれない。
初めに言っておくが、そんなもん笑って流せよ、となるような内容ばかりになると思うし、身バレが怖いので適度に嘘を混ぜながら話そうと思う。
タイトルの通り、僕は今年の春から専門学校卒でとある会社に就職した。同期は5人。自分含む2人は専門ないし短期大学卒、残り3人は四年生大学卒で入社した。年齢差はあるがフレンドリーな人ばかりで、入社1ヶ月で割と仲良くなったつもりだった。
ただ1人を除いて。
口調がオタク(それは僕もそうだが)。ただオタクなだけならいいのだが、まるで中学生の時から成長していないのか?というほどである。四年生大学卒ということなので、少なくとも2歳は年上なのだが。
上司に冗談言われた時に「は?」と言ったり嫌なことがあった時に○すぞと言ったりする。会社全体がフランクで喋りやすい、仲間意識の強い職場ではある。だがそれにしても入社1ヶ月でそんな言い方できるか?というほどだ。
最近、同期全員で揃う機会があり、給料の話をした。うちの会社、マジで給料低いよな〜、みたいな愚痴っぽい話だ。僕と同じ2年制の学校を卒業した同期は、「しかも俺らはさらに給料低いからな」と笑って言った。僕もそうだよな、なんて言いながら笑いながら、学歴コンプレックスのようなものと自分で決めたことだからしょうがない、という気持ちでいっぱいになっていた。お互いそれを表に出すことはないのだが、同い年の同期もきっと同じようなことを思っていただろう。
その時に例の彼はなんとこう言った。
「たかが一万円じゃん」
たかが!?!?!?!?!?!?そんなわけなくね!?!?!?!?!?!?!?!?!?
先述したように、僕は専門を卒業してから就職したことにコンプレックスを抱きつつも自分で決意したことなのできちんと背負おうと思っていた。給料が低いのもわかっているが、これで生きていこうと思ったのだ。でもこいつは違う。そもそも貯金があって心にも余裕があるのだろうが、それにしてもこんな言い方あるか?
話は少し変わるが、僕は昔から人間関係をとにかく円満に進めたいと思うあまり、八方美人になりすぎてしまうところがある。その同期に対してもヘラヘラとして、普通に友人のように接してしまっていた。それが間違いだった。僕は手遅れだったけど、苦手かも?と思った時点でバレない程度に距離を置け(ちなみに他の同期は少しずつ距離を置いていた。気付くのが遅かった)。
DER SPIEGEL:あなたはウクライナの主権を強調していますが、同時に経済的な混乱を恐れて、即時のガス禁輸の願いを認めてはいませんね。これは、我々ドイツ人がプーチンの軍資金をまだ満たしていることを意味します。キエフがあなたの言葉を嘲笑していると見るかもしれないことを理解できますか?
ショルツ:まず、ガス禁輸で戦争が終わるとは全く思えない。もしプーチンが経済的な議論に従順であれば、このような非常識な戦争は決して起こらなかったでしょう。第二に、あなたは、それがすべて私たちの金儲けのためであると推測している。しかし、重要なのは、劇的な経済危機、何百万人もの雇用の喪失、二度と操業できない工場の喪失を避けたいということだ。そうなれば、わが国はもちろん、ヨーロッパ全体にも大きな影響を与え、ウクライナの復興資金にも深刻な影響を与えることになる。そのため、私にはこう言う責任がある。そんなことは許されない。そして3つ目は、世界的な影響について実際に考えている人はいるのでしょうか?
DER SPIEGEL:ドイツのフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー大統領は、ロシアを含むヨーロッパ共通の家を設立する努力は失敗したと述べています。あなたはそう思いますか?
ショルツ:ロシアは、開かれた社会が国境近くに集まり、世界のどの経済圏よりも大きな経済力を持つ強力な欧州連合を形成していることを受け入れなければならない。私は2016年にハンブルク市長としてサンクトペテルブルクで行わせていただいたスピーチで、まさにそのことを定式化しました。そしてロシアは、誰もロシアを軍事的に攻撃したり、外部から政権交代をもたらしたりする計画を持っていないことを明確にする必要があります。
DER SPIEGEL:侵攻後、我々は真剣にプーチンに彼の国に害を与えないことを保証する必要があるのでしょうか?
ショルツ:私の答えは2016年に言及したものです。国家の主権と国境の不可侵を認めてこそ、欧州の安全保障が成り立つというのは、今日でも変わらない。ロシアはこの原則を残酷なまでに無視した。侵略だけでなく、すでにクリミアの併合、ドンバス地方や他の地域での反乱の演出もそうだ。国家元首が歴史書を読み、今日の結果を推し量るために、かつて国境があった場所を調べなければならないとき、平和は脅かされているのです。
DER SPIEGEL:モスクワが2014年にすでにこの原則に違反していたのなら、ドイツとロシアのガスパイプライン「ノルドストリーム2」プロジェクトの継続を許可したのは間違いだったのでは?
ショルツ:ロシアのガス、石油、石炭に依存する限り、非常に短い時間で他の供給者からもサービスを受けられることを早い段階で確認すべきでした。いざという時、ドイツは液化天然ガスのターミナルや東ドイツの石油精製所の輸入インフラに、たとえ経済的に見合わなかったとしても、資金を提供しなければならなかっただろう。これが、私が長い間悩んできた本当の間違いである。
DER SPIEGEL:ノルドストリーム2は我々のエネルギー供給にとって決して不可欠なものではありませんでした。
ショルツ:その通りだ。問題は、2つ、3つ、4つのパイプラインがあることではなく、それらがすべてロシアから来ていることなのです。
DER SPIEGEL:しかし、ロシアのノルドストリーム2の目的は、ガスパイプラインからウクライナを排除することでした。なぜ、その試みを長い間支持したのですか?
ショルツ:同時に、それこそが、ウクライナを経由するガスの継続的な輸送を契約上確保した理由でもあるのです。そして、もしあなたが地政学的な議論をするのであれば、こうも言わなければなりません。DER SPIEGELはLNG基地の批判ばかりしている場合ではないのかもしれませんね。
DER SPIEGEL:しかし、もう一度。ロシアがガスビジネスでウクライナを孤立させることは、クリミア併合への正しい対応だったのでしょうか?
ショルツ:正しい対応とは、ロシアからの輸入に依存しないようにすること、あるいは少なくとも、いつでもそうできるような技術的条件を整えておくことだっただろう。これは、現在の私たちの知識で言えることだ。クリミアの併合には、現在課しているような制裁措置ですでに対応すべきだったのです。そうすれば効果があったでしょう。
DER SPIEGEL:なぜあなたはこの言葉を口にすることができないのでしょう。Nord Stream 2は間違いだったのですか?
ショルツ:ロシアの侵略に対応して、稼働を阻止したのです。また、地政学的にも、もっと早くから輸入の多様化を図るべきでした。また、環境のためにも、化石資源の輸入や使用から自立するために、再生可能エネルギーの拡大を加速させることも、もっと早くから行うべきだったのです。