はてなキーワード: オタク差別とは
そんなの今に始まったことでもないからな
あの手の活動してる人や、それにネットで共感してる人だって、決して弱者全体に優しいわけじゃない
ただ単に「俺がゲイというだけで不利なのは納得いかない、本当の俺はこんなんじゃないはずだ」
もちろん、そうであってもLGBTや女性に対する差別をなくす必要があることに変わりはない
しかし、仮に現状の差別が改善されたとしても、扱いが劇的にマシになるのはトップ層だけで、
それ以外のおそらく大半の人は「キモい」「金がない」「中年」といった別の要素のせいで疎外される
これらは差別かどうか曖昧で、割と堂々とやっていいという空気もあるから、余計に辛いかもしれない
だから差別解消運動が結果的にエリートしか救わない、というのも残念ながら事実であって、
弱者の中の弱者を救おうと思ったら、もう別の枠組みでやるしかないのだと思う
一緒にしたら怒られそうだが、オタク差別について見解が一致しないのもたぶん同じ理由で、
趣味だけで差別されることは確かに減ったし、その点差別は確実に改善されたけど、
オタク&研究者の端くれとしてほんと辟易してたんだけど,これ,やっぱ、一部のオタクが馬鹿すぎて害悪だなあという結論にしかならんわ.
作者さんたちがひどくショックを受けたのはわかる.仮に著作権法を理解してたとしてもあれは不意打ちだもんな,そりゃ身構えるよな,と思う.
でもそれは,「晒された」わけでもないのに過剰反応して騒いでた一部のオタクの免罪符にはならんわ.
男女問わず,わかってるオタクはちゃんとわかってた.まあ,引用は自由だから法的な問題はないよね,っていう正論を言ってた人は大勢いた.あるいは,正しい知識を提供されて冷静になった人もたくさんいた.でも,オタクの中には,著作権法をろくずっぽ理解せず二次創作をしてる・楽しんでる連中が一定数いることが白日の下に曝されてしまった.
素人だから詳しくなくても仕方ない,って擁護もたくさん見かけた.まあ,これが安保法制とか大店法とか銃砲刀剣類所持等取締法とかの話ならそうかもしれないし,八百屋のおっちゃんや惣菜売り場のおばちゃんが著作権法に詳しくないのは別に問題じゃない.もしくは,著作権法でもすっごいマニアックな箇所の話なら,まだわかる.
でも,ふだんから二次創作を楽しんでる人たちが,著作権法のイロハのイを知らなかったのは,やっぱりありえないと思う.
しかもそれで,じゃあお前らがやってる二次創作はどうなの? って言われたら,親告罪だから黙認されてればオッケーだの規約で認められてるだの二次創作にも著作権は発生するだのスラスラよどみなく喋るわけじゃん.なんだよわかってんじゃねーか.その通りだよ現状の著作権法の枠組みではお前らの言ってることは正しいよ.じゃあ同じように現在の著作権法で認められてる無断引用も受け入れろよ,って話になると何故か怒り出すんだよな.馬鹿じゃねーの,って思うわ.
(念のために言うと,私は二次創作に関してはパロディを合法化する規定を導入するなどして完全にホワイトにすべきだという立場.赤松先生たちが勝ち取った運用上の妥協では生ぬるく,絶対に二次創作が摘発されないよう著作権法に書いておくべきだと思っている)
論文っていう他人の著作物を,著作権法も知らないくせに違法だ違法だと吊し上げたり,引用を規制すべきだとか噴き上がるの,ふつうに表現規制なんだけど,表現規制反対だの言ってる人たちがこんなアホな理屈にコロッと騙されてるのほんと衝撃だったわ.お前ら何のために闘ってたんだ?
で,自分らは「無断引用」してるなんて露とも思わず,件の論文や解説記事の内容を引っ張ってきてあーだこーだと議論してたりする.なんだよ,無断で引用してもいいってちゃんと知ってんじゃん.じゃあ遠慮なく無断で引用していいよな?
私は,この問題が起きた当初は,やっぱりオタク界隈のマナーみたいなのを尊重すべきだよな……と思っていた.「私の作品を研究に使うな」というのは,法的には禁止できないけどお願いする分には自由だと思うし,研究者側もそれを尊重したほうがいいと思ったからだ.
でも,オタク界隈の「マナー」なるものが,著作権法も知らずに組み立てられた裁判では敗北必至の俺ルールだとわかった今となっては,そんな必要はないと思う.
なんで法律をろくずっぽ知らずに勝手に決めた俺ルールを尊重してさしあげる義理があるの?
そっちの方がよっぽどオタクを馬鹿にしてない?
ていうか,支部で二次創作やってた者としては,自分の書いた小説は世界中に公開したつもりでいたし,「これを書いたのはおれなんだ! もっと読んでくれ!」って思っていたから,pixivでランキング上位に載っている小説を「公開されていない」と主張する連中の方が信じられんわ.
なんなの? 創作なめてんの?
挙げ句の果てには「でも法的には村上春樹といっしょだからなぁ……」という主張に対して「商業小説と一緒にするな!」なんて言い出すトントンチキもいる始末.
はぁ? 二次創作を馬鹿にしてるのか?
確かにジャンクも多いけど,本当に面白い二次創作小説は十分に商業小説と渡り合えるだけの力を持ってる.なんでよりにもよってオタクが,二次創作を貶めるようなことを言い出すんだ?
オタクの二次創作は書店に並んでる純文学とは違うんだ同列に扱うべきじゃないとか,なんだよオタク差別かよ.同等に,対等に扱えと求めていくべきでは? 流通とかの面で一般書と同列に扱われないのは仕方ない面もあるけれど,せめて批評や研究には同等に開かれているべきでは? 我々はアパルトヘイトではなく同権を求めるべきでは?
文化が萎縮する?
公的に発表したもんを合法的に引用されて萎縮するような文化なら萎縮すりゃいいんだよ.
批判に耐えられないっつってクジラックス先生が筆を折ったらどう思う? LOが自主廃刊したらどう思う? 最終的には逃げるのかよヘタレだな,って思うだろ? それと一緒だよ.法規制で萎縮することには表現の自由の観点から反対すべきだけど,表現の自由というフィールドに出ていくことに耐えられないっていう文化にはそもそも土俵に上がる資格がねえんだよ.pixivやコミケなんぞに色気を出さずおとなしく仲間内で回し読みしてやがれ.そうすりゃ引用なんてされないだろうよ.
研究してくれなんて頼んでない? 誰もお前に公開してくれなんて頼んでねーよ.公開した=引用も研究も批評も感想もどうぞご自由に,って意味なんだよ.
結論としては,オタクの品位を落とす一部の馬鹿のことなんて,研究者諸兄は無視してよろしい.どんどん公表されたオタクの創作を無断で引用して自由に研究してくれ.それは著作権法で,研究者に限らず全ての創作者に保証された権利なんだから.頭の弱い繊細チンピラにビビって自分の権利を手放すこたぁない.なにせ相手は,プライベートな日記でも何でもない,小説なんだから.万人に読まれることを自ら欲しているんだから.
(作者? 公開された時点で作者なんざとっくに死んでんだよ)
オタク側も,気に食わん研究をされたら,著作権法で認められた引用を武器にして表現の自由というフィールドで殴り合えばいい.研究者の論文を好き勝手に無断で引用して,興味深い発表ありがとうございました私はこの分野は門外漢なのですがお前の研究はここがなってねえんだよ研究なめんなよ,と手斧を投げればいい.その指摘が正しければ研究者は納得するだろうし,間違っていれば改めはしないだろう.それだけの話.
enemyoffreedom ずいぶん遅刻した上に雑な駆けつけ擁護だ。研究倫理とかセンシティブなビッグデータの取り扱いとか難所が多い分野なので院の1年が手を出すべき領域でなかったというだけ。まぁ本人というより指導教官のポカ
すまんな.問題発生直後はもうちょっとオタク寄りの立場で色々書いてたんだけど,未だに馬鹿な理屈でゴネてる連中が一定数いるのを見て考えが変わったんや.
この期に及んで大学はだんまりなのか責任をどう思ってるみたいなこと言ってる奴もいるんだよ? もうね,アホかと.馬鹿かと.未だに,著作権法をめぐる裁判の中で確立された「公表」とは何ぞやという法的認識を「研究者の内輪の認識」だと思っている奴がいるんだぜ? ちょっと調べりゃすぐわかることなのに.ダンス教室の生徒は「公衆」で300人に配られた卒業文集は「公表」っていう判例があるのに,pixivが公表にならないわけねーだろと.いや個々の判例なんて知らないのは仕方ないけど騒がれてからだいぶ経つのにその辺をちっとも調べずに騒いでるのありえなくないです? そんな馬鹿はもう著作権法で殴ってわからせるしかない.
研究倫理? 作者の意志で公開された小説の研究に際して何の問題があるっていうの? 夏目漱石全集を片っ端から調査するのとどう違うの? 村上春樹作品からセックス場面だけを抽出することになんか倫理的な問題があるの? ONE PIECE全巻を分析することの何が悪いの? 私たちの文化はそれらの作品と何か違うところがあるの? 同じでしょ? 等しく,文学あるいは漫画として尊重されるべき存在でしょ? 私たちの文化は主流派文化と伍していくことのできる存在だし,主流派文化と対等であるべき存在だし,実際に著作権法はなんの区別もしていない.なんでそこで線を引こうとするの?
そういう態度の方がよっぽどオタクの権利向上に反しているので,受け入れられない.
あ,研究の質はまた別ね.そこは容赦なく表現の自由というフィールドでブッ叩かれるべき.最初からそういう話ならなんも言わなかったよ.下手な論文が酷評されるのは下手な小説が貶されるのと同じだからね.でも下手な論文を発表する自由まで奪われるべきじゃないし(だって,私の書いた下手なSSを発表しても,中身はともかく「発表したことそのもの」に対する文句なんて誰も言ってこなかったし,それが当たり前でしょう? だったら論文もそうあるべきだよ.少なくとも,医学や社会学や文化人類学みたいな分野とは違って,完全にブッキッシュな研究である場合には),そこを同胞であるはずのオタクが制限しようとするなら私は表現の自由を掲げて闘うよっていうだけの話.
bronson69 大筋同意なんだけれど、「範囲を限定して公開された情報」と「無限定に公開された情報」の取扱いが同じでいいのだろうか、ってのは引き続き気になっている。
件の論文で扱われていたのは,住所氏名電話番号病歴逮捕歴政治思想とかの「個人情報」ではなく「著作物」だということを考えれば,同じでいいと思う.前者は,たとえば電話帳や連絡網に記載されていたのを無制限にバラ撒くべきじゃないけど,後者はまた別だよね.だってそれは「他人に読んでほしくて公開する」ものなのだから.
そもそも,「メールアドレスを登録してR-18表示設定にしないと読めないpixivのR-18小説」って,「本屋でお金を払ってシュリンクを破らないと読めないジャンプの漫画」「Amazonプライム会員にならないと見れない映画」「日本ではまだ翻訳されていないのでイギリスから取り寄せないと読めないハリー・ポッターの最新刊」「レンタルビデオ店に足を運んで黒いのれんをくぐらないと借りられないエロビデオ」「空襲で焼けてしまって全国で数えるほどしか残っていない戦前の作家の作品」とかと比べて,そんなに公開範囲限定されてるか? って思うけど.pixivの小説デイリーランキング上位って普通に閲覧者が万の単位でいるわけで,普通に全世界にバラ撒いてるのと同じじゃね?(ちな,件の論文が発表された学会の会員は5000人.人文系のマニアックな専門書だと,初版の発行部数3桁はざら.「ぞうさつ」ってどこの国の言葉?)
asterpleo 異性愛ものとBLの内部ルールの違いや現在の周りからの扱いとかもろもろ絡んでるんですけどね。あと研究に使うならもうちょい無作為に、研究対象増やさないと。/そしてツッパという言葉を初めて聞いた。
女性が性的な創作をするときに向けられる好奇の目とかウェブ上の腐女子叩きとかは明らかに女性差別の一環なので,男オタクもそれとはちゃんと向き合うべきだと思うけれども,そもそも同じ公表された著作物なんだからルールの違いもクソもないよね,って話.私は女性が伸び伸びと性的な要素も含む創作をできる社会を望むけれど,堂々とやる以上は自由に引用され批評され得るっていう言論の自由の大原則の前では男も女も関係ないと思うので.
ていうか女性創作者に嫌がらせする人がいたとして,それは嫌がらせする人が悪いんであって引用した人が悪いのではないと思うんですが.ネット上での嫌がらせに対する法的措置を厳しくしようみたいな話なら私は賛同しますよ.
「全ツッパ」はもともとは麻雀用語なので,麻雀に縁がないとわかりづらかったかも.原義はこちらです>http://www2.odn.ne.jp/~cbm15900/html/k8-2.html.
TakamoriTarou 解析の為の複製は引用ではなく、私的範囲でもなく、情報解析の為の複製にもあたらないので微妙とか、公開の範囲は実はネットのID認証等を加味した裁判例ないとか、著作権方面でも言い切れるような話じゃないけども
まだその論点で粘るの? 勘弁してくれない? 47条の7ちゃんと読んだ? ていうかそれを言うなら,元論文は人手で分類したってちゃんと書いてるよね? 分析にあたって複製したなんてどこにも書いてなくない? 「pixivを見ながら手で数えました」って言われたらどうすんの? まさかそれも違法だとでもいうつもり?
公開の範囲? じゃあHulu会員限定で公開されてる商業映画やドラマは公表されてないのかよ!
こういう無理筋な批判がいつまで経ってもなくならないなら,やっぱり全ツッパしかないわ.馬鹿には原理原則論で対抗するほかないよね,っていう主張を補強してくれてありがとさん.話の通じない人たちの独自ルールなんて鼻で笑って粛々と法律に則って引用し研究し批評し感想を言ったりするべき.
Re-birth 著作権の話では内って流れになってたのに今更なにいってんの。同人側の当事者側がヒートしてたのは確かに無理筋で擁護しにくいけどだからって叩いてたら焦土やで
合法的な引用をされて焦土になる文化って何なの? 何でそんな脆弱な文化に遠慮して著作権法で認められた自由を制限しなくちゃいけないの?
それに,私たちの文化はもっと強いはずだと,一人のオタクとしては信じてるけどね.
newwaytodie 村の奇祭を調べる時に村人に嫌われる真似してどーするって話じゃないの?
奇祭の一部始終をニコ動にアップしておきながら「うp主に嫌われたらどうする?」と言われても,その,なんだ,困る.見られて困る祭りならワールドワイドウェブにアップしないほうがいいよね.
「それを言っちゃったら解決策が見当たらない」という趣旨の意見があるけど,解決してるじゃん.「誰にでも好きに二次創作を書く自由があり,それを公表する自由がある」「誰にでも公表された著作物を好きに引用して批評・研究・絶讃・オススメ・酷評する自由がある」「気に食わない引用をされたら誰にでも言論という武器を駆使してバトる自由がある」「自由に疲れたら作品を引っ込めてもいい.誰も止めない」ってこの上なくシンプルな解決じゃない? 余計な俺ルールを付け足そうとするからややこしくなるんでしょ.
私は風通しの良い世界が好きだし,オタク界隈がそうなってほしいと思ってるよ.
換気扇をちょびっと回したら嫌気性生物が急に死滅しはじめただけやで.風通しはどう考えても良くなってるでしょ.なお最初から窓は開け放してあった模様.窓開けっぱの部屋に住み着く嫌気性生物さんサイドにも問題がある.
「研究対象に逃げられてもいいのか?」って言う人もいるけど,ちゃんとpixivのランキング見てるのかしら.ふっつーにBL二次エロがうpられまくってますが.一部の人が非公開にしても別の人が公開で書き続けてるじゃん.全員が隠れようとしているわけじゃなく,気にしてない人もいるってことでしょ.
あと,文学研究者だとか人類学者ならそりゃ研究対象に逃げられたら困るだろうけど,今回みたいな「文章フィルタリング技術の研究」って,特定のサンプルに逃げられてなんか困ることあるの? 別のサンプル使えばよくね?
逃げられて困るという研究者は配慮すればいい.無断でじゃんじゃん引用していい,と言っているのであって,配慮してはいけない,とは言っていない.ただ他人に配慮すべきと強要することはできないよねって話.それはお前の都合だろっていう.
日本国の国法たる著作権法によって,あらゆる創作者に保証された引用の自由が,なんで自文化中心主義になるの?
「BL二次創作は商業とは違う!」だの言ってる方がよっぽど自文化は特殊だって幻想に染まってない? 私から見ればそれは普遍的な創作の一部で,特殊なものでもおかしなものでもないと思うんだけど,これってエスノセントリズム?
いや著作権法に従わず独立するっていうんならその意気やよしだけど,だったら著作権法で認められた権利も捨て去ってもらわないとねぇ.自分たちもウェブ上の記事や論文を引用してあれこれ言うことをしない,二次創作同人誌を違法アップロードされても文句を言わない,作者騙りされても口を出さない,っていうなら,なるほどこれは著作権法とは無縁に生きていく意志のある共同体なんだな,と思うしそこまでの覚悟があるなら尊重してやるかという気にもなるけれど,現実は違うっしょ? 他人には著作権法で保証された権利を認めたくないのに自分たちは権利を行使したいってのは通らんよ.
昨日の仕事帰りに、駅のホームでこんな体験をした。ある駅で仕事帰りのサラリーマンや学校帰りの大学生たちがカメラを構えて列車などを撮影していた。すると、線路越しの近くの駐車場にいた30代のヤンキーカップルが「わっウザイ!オタク!」と大きな声で言い捨てて車に乗り込んだ。この侮辱的言動に対し、私はじっとうつむき、黙って耐えていた。反論の声を上げたかったはずなのに、それを我慢せざるをえなかった「空気」を見て鉄道利用者として悲しかった。この出来事は、昨今の安倍政権や日本社会の徹底したオタク差別、総ヤンキー化キャンペーンがもたらした結果だと思う。今の安倍政権がこのような理不尽的な現実も生んでいるのだということを日本人に認識してもらいたい。
オタク叩きの所為で「オタクに人権は無い…」「差別やめろ😩」とか言ってるオタク共冷えてるか〜?
これが一番ひどい「〇〇は俺の嫁…w」とか、「〇〇RT行ったら神w」とか正直ネタでも気持ち悪いぞ。
それと最初に書いた被害妄想文、お前ら人間なんだから人権あるに決まってるだろ?w
2.明らかに行きすぎた行動
前なんかツイッターで「けものフレンズ」のことディスった少年が家特定されてた。(また自演かもしれないけど)
あとコミケ帰りのオタクが電車の中でエロ同人誌読んでたこととか一部常識がかけ離れてる。
例えば「アニメオタクキモい」の発言に対して「ディズニーもアニメだろ?(早口)」
いやアンチの言いたいことはディズニーとかの話じゃなくて、萌えアニメとかそういう類のだろ?中学生かよ
これだから揚げ足たりたがり屋は。察せよ
前のPTA会長が捕まったよね、それで犯人はアニメが好きだったとか言ってたけど、
それに対して偏見とか言ってるのってどうなの?
ニュースは見たままを報道してるだけ、責めるなら犯人を責めろよ
決して一般人はオタク差別なんてしてない、偏見を持っている人はいるかも知れないけど、
取り敢えずオタクは行儀を良くしよう、そうすれば突っつかれないのにバカだよね。
そんな僕もデレマスの杏P
自分もLGBTへの差別がなくなった方がいいと真面目に思ってるけど、
彼らの大部分が生きやすくなるとこまで達成するとなると、当分は無理だろうなと感じる。
なぜかというと、「LGBTを差別しちゃいけません!」ってお題目(現状これすら未達成だが)
どうせ残りはキモいとか金がないとか、他の「合理的な」理由で疎外されるから。
一緒にしたらまた怒るんだろうけど、昔からあったオタク差別と構造は大して変わんないよ。
ゲイへの差別さえなくなれば自分の生きにくさが解決する! とか叫んでる人が割といるけど、
「ポリコレ棒」という用語はあれか、ようするに「議論が終わった事柄」について説明を省略した「やったら駄目なことリスト」を見せられた人が「初めから全部説明してくれ」という引き伸ばし作戦をするためのものか。— 丹菊逸治 (@itangiku) 2016年11月14日
そう、まさに、少し前までの「ポリコレ」という言葉は、こういう意味で使われていたはずだ。
すでに政治的闘争を経て決着した、これら社会的弱者を差別してはいけない、地位を向上していきましょうという合意のことだ。
@tyk97さん連続Tweet:乙武さん入店拒否の件から考察する「グローバルいんちき」というプロトコル - Togetterまとめ
@H_Nobunagaさん連続Tweet:乙武さんの件、橋下市長の従軍慰安婦の件とPolitical Correctness - Togetterまとめ
上記リンクは、ネットでPCという言葉がよく使われだした頃の議論だ。
人種と文化のるつぼである移民国家アメリカで、マイノリティが闘争を経た末に権利を勝ち取り、歴史を逆戻りさせることのないよう不可侵の約束事となった、それがポリコレ。
個人的にも得心が行ったし、Twitter上の頭の良さそうな人たちにも概ね好評だったので、なるほどポリコレというのは政治的運動で勝ち取るものなのだな、と思っていた。
オタクを差別してはいけないというのは、特に社会的なコンセンサスなど取れていないので、PCの範囲ではない。
そこに突然、君たちもPCで守られてきたんだよ、なんて言われたら、はぁ?となるに決まってる。
ところで、ポリコレの辞書的な意味は「差別・偏見が含まれないよう配慮された言葉」で、マイノリティに限らないものらしい。
ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。
しかし、オタクが差別されてる!とか噴き上がってるエントリなり発言なりに対して「うんうんそれもまたポリコレだね」と答えた者が、過去にどれだけいたのだろうか。
オタク蔑視に文句があるなら、先人の手柄にフリーライドするのではなく、オタクはオタクで政治的主張をしていくべき、という意見を何度も見た。
その意見自体は正しいと思う。ある程度他から借りてこられる部分はあるにせよ、当事者が声を上げなければ始まらない。
しかし、それをポリコレという言葉を使って表現しているのは、過去には殆ど、あるいは全く、見たことがなかった。
今日これだけポリコレという言葉が溢れているにも関わらず、だ。
つまり、多くの者は暗黙には「ポリコレ=政治的闘争を勝ち抜いた一部のマイノリティを守るもの」と認識していた、と考えるのが自然だ。
いや、オタクがPCで守られているという意見も、言いたいことは多分理解できてるつもりだよ?
オタク側にも、俺達の趣味を蔑視するな!アニメやゲームと犯罪を結びつけるな!と主張する権利は認められているし、現にそうしてきた。
今後のオタクの努力次第では、アニメやゲーム等の趣味や職業で蔑視してはいけませんという社会的合意が取れる(つまり、PCになる)可能性もあるだろう。
今PCという概念を否定したら、その未来すらも否定してしまう。
これまでマイノリティの尊重を訴えてきた方々のお陰でオタクも少なからず楽になっているんだ、という意見も見た。
それは至極尤もな話だ。
一口にオタク差別というと内容が非常に曖昧だが、表現に関わる職業に対する差別、それを消費する趣味に対する差別、オタクという属性そのものに対する差別等があるだろう。
この中のいくつかは、オタク以外の政治家や運動家たちによって改善された部分も少なくあるまい。
それでも、少なくとも現時点では、オタクを蔑視するのは社会的に非難されるような行為ではない。
オタクはマイノリティなので地位向上に取り組みましょうという社会的な動きがあるわけでもない。(むしろどんどんマジョリティ化していきそうだがそれは別の話だ)
「ポリコレはオタクの事も守ってきた」というのは、単純に言葉の使い方がおかしいんだよ。
たとえ辞書的には正しい用法だろうと、相手の認識と齟齬があるときはちゃんと説明して使って頂きたい。
それをしないのは「消防署の方から来ました」とやってることは同じだ。
はてなブックマーク - べるお@冬コミ落選マンさんのツイート: "だから「俺らはポリコレで割を食ってばかりだ」って言い分には全然賛成できないんだ。ポリコレのない世界で毎日投げつけ何でもかんでもポリコレに含めるな!テメエの身はテメェで守れ!我々はお前のママじゃねぇ!→あれもこれも全部ポリコレが守ってきたんだ!ポリコレを否定したらお前も死ぬぞ!って変節にしか見えないんですよ。2016/11/13 00:41
連中がやってるのは自分が気に入らない表現をただ叩いているだけでそこに正義などありはしない。なのに社会一般から見てこれは公共の場で許されない表現! などと理屈として成立しないこじつけをしながら叩くから反発が大きくなる。
ただ単にお前が気に入らない表現というだけだろ。なぜ素直にそう言えない?
もちろん理由は単純。理屈をつけないと広く支持を集められないと思い込んでるからだ。ただのこじつけにすぎないから支持など元より集められないのに近視眼的になっているからそんなことも理解できず理屈にならない理屈をこねる。
萌え絵化された駅乃みちかを一般人が見てヨガり顔だと思うだろうか。ブレザーを着てるにもかかわらずおっぱいがデカいと思うだろうか。スカートが透けてると思うだろうか。
答えは何とも思わない。
そう読み解く目がないし、そもそもそんな細かいところまで見ていない。
なのに一部クレーマーがメトロに凸って表現を変えさせる。自分が気に入らないことを公共ふさわしくないと言い換えて。
1950年代には悪書追放運動が沸き起こり、マンガが叩かれた。
一部クレーマーは自分の理解できないもの、嫌いなものを社会のためと言いながら徹底的に攻撃する。そこにはあるのは自分が嫌悪するものを社会から消し去りたいという下卑た欲望だ。
叩くことそのものが目的だから「美おっぱいグランプリ」を擁護しながら駅乃みちかを叩くという無理筋なことさえしてしまう。
クレーマーは「美おっぱいグランプリ」が「女性目線」だからセーフという。おっぱい=エロへの批判だからセーフという。女体に関して、女が自ら主導権を握っていればセーフという。
ではなぜ主催者は新聞社を集めて撮影会などしたのか。写真が表に出れば男性視線を向けられることは避けられない。女性が女性のために自らのおっぱいを誇るだけであれば報道も写真もいらないだろう。むしろ報道によって写真が表に出ればそういったコンテクストは失われ、おっぱいは性消費物に堕する、と思うのだがそういった批判はフェミニストからなぜか聞こえてこない。むしろ駅乃みちかがダメな理由として引き合いに出される始末だ。
「美おっぱいグランプリ」をエロ目線で見る男が悪いということか?
「美おっぱいグランプリ」がニュースサイトで報じられることは男性に対するセクハラだと考えたことはないのか?
あるいは「Fカップにマギーが思わずおさわり 」という見出しになぜ怒らないのか。これは純然たるセクハラではないのか?
しかしフェミニストは駅乃みちかを叩いて「美おっぱいグランプリ」にまつわるエトセトラは叩かない。
そこにあるのはけっきょく女性の尊厳を守りたいといったことではなくただの萌えフォビアである。
となどと
3次元の水着女性のグラビアに欲情するのは、普通のスケべな性欲だと思うけど、
萌え絵はオタクの欲望に応じて、オタクの理想通りに作り上げられた、非現実の女性だから。
オタク差別ではありません。
私は女である。オタクが嫌いだ。だが何故嫌いなのかと言われると言語化できない。
バイト先でオタク(女)がいた。コナンの二次創作が好きでそれはエロだいう。
コナンのアニメは知ってるしファンになるのはわかるが、なぜエロの二次創作??
ゲームも気になる。主人公の女性は闘いだか冒険に行くのに大きな剣を振りかざして、
なのになんで乳首が出そうなブラと超絶ミニスカートなの?危ないじゃん。
そういう嗜好があるのは構わないし、仲間で楽しむのはいいと思う。
ただ、伊勢志摩の海女さんのとか、今回の地下鉄の女性のイラストとかは
けど、じゃあなんで地下鉄の女性のイラストが公共性に相応しくないかと問われても
好みの問題としか言えないのよね。オタクっぽい絵だからキモい、というのが正直なところ。
オタクの端くれとしては、もうだいぶオタクは市民権得てるんだからあんまり騒ぐなよみっともない、と思う。
声高に言ってる奴、けっこうな確率で民族差別や性差別については気にもしてないし。
でも、それって、民族差別や性差別に対抗する側のひとたち(あくまで一部な)が「オタク」に侮蔑的な視線を向けても気にしない、って意味じゃないんで。
民族差別や性差別はよくないことだから反対する、だからといってお前らの「運動」に加わる義理もないしお前らを反差別って理由だけで支持してやる義理もない。そもそもお前らだけが反差別じゃない。別のやり方、別の場所でそれらの差別に立ち向かえばいいだけ。
そんなお前らに、手を貸す義理はない。
都知事選の話で騒がしくなってきたのでちょうどいいと思い書くことにした。
自分は政治に興味がさっぱりと無く、山田太郎氏の実績についてはよく知らない。
実績があるという話はよく聞くが、その実績の中身についてはっきりとわかっていない。調べようという意欲もあまりない。
山田太郎氏は表現規制問題一本に絞って戦ったというが、正直、私としては表現規制だけでは投票する決め手にはならなかった。
以下は政治的ポエムになるのですが、私が山田太郎に投票した理由は「この人はオタク差別と戦ってくれる人だ」と感じたからです。
偏見を煽るような報道への抗議をなさっていたとか、そういう直接的に味方をしてくれたという感情的な理由が非常に大きいです。
他にオタク差別と戦ってくれそうな人は私には思い当たりませんし(いたら教えて下さい)、どこの政党から出ていても山田太郎氏に投票したと思います。他に代わる人がいないと思ったから。
そんなの人として当たり前だし何も言ってないのと同じ。
そういうお題目を掲げてる人が無意識な差別感情を垂れ流す例も多すぎる。
私は私の味方になってくれる人を選びます。
自分が何に対して差別しているのか自覚していないといけないんだよ。
自覚できていないから、おじさん差別・男差別・オタク差別の大好きなフェミニストだったり、自分の言うことに反対するやつは全部差別する差別大好きな反差別主義者がいたりするわけで。
自分の子供が結婚する相手に、朝鮮人を選んだら?足の片方を爆弾で吹っ飛ばされた人を選んだら?目が見えない人を選んだら?殺人したことのある人を選んだら?
昔、黒人がそばにいても平気で着替える白人の令嬢がいたんだよ。恥ずかしいという感情が全くないんだよ。なんでか分かるか?
人間として認識していないからなんだよ。たとえば着替えているところを犬や馬に見られても恥ずかしくないだろ?そういうこと。
そういう無自覚の差別なんていくらでもあるんだよ。差別反対なんて簡単に言えることでも出来ることでもないんだよ。
今ヨーロッパじゃ、リベラルが強くて反差別の気風があるんだよ。で、それにともなって反ユダヤの勢力が大きくなってるんだよ。なんでか分かるか?差別するやつも差別してはいけないってのがリベラルだからな。素晴らしい世の中だな。乾杯!!
ジブリのプロデューサーが女性差別したって海外で炎上してるけど、日本のアニメなんて女性監督どれだけ多いと思ってるんだよ。ハリウッドなんて女性監督2%もいないぞ?素晴らしいな、欧米では現実の数値は全く関係なく、言葉でごまかしてればそれでいいと。万歳!!
「オタクは差別されている!」とよく耳にする。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
そうだとしよう。だけど、すごくおおざっぱに言って「昔」と「今」とでは同じ「差別」でもその意味合いが違ってるんじゃないか?
「昔」、オタクはベタに差別されていた。仮にそうだとしよう。あの偉大なコミケを指して10万人の宮﨑勤が……と。
他方「今」、オタクが差別されているとするなら、それはオタク文化が社会に受け入れられる上でのアレルギー反応のようなものではないだろうか?
「オタク文化はアレルギ=悪だというのか?」そういう価値判断を下したいわけではない。「ある異質な文化が社会に受け入れられる際、必然的に一部の面倒な人から拒否反応が起きる」という現象を仮にアレルギーとマークしてるだけで、悪だといいたいわけじゃない。僕はオタク文化が大好きだ。最近では「三ツ星カラーズ」という漫画がオススメだ。
さて、普通に言って、オタク文化は浸透した。AKBは国民的アイドルだ。初音ミクとラブライブくらいなら誰でも知っている。ガルパンはいいぞ。あるいはハリウッドの超大作にオタク的なエッセンスが密輸入されているのを確認してほくそ笑んだり……色んなレベルはあるけど、着実に広まっていると言えるだろう。
「いや、オタクはまだまだ差別されている!」その指摘は正しい。この後触れる。
「ラブライブとかってヤンキーとオタクのあいのこみたいな層にウケたものでしょ?それオタク文化って言えるの?」その指摘も正しい。後で触れる。
そんな中、「碧志摩メグ」問題でも「のうりんポスター」問題でもいいが、仮に「オタクは差別されている!」と感じる事象があるとすれば、それはオタク文化が受け入れられようとしている上での、一種の拒否反応のようなものとして捉えると色々とスッキリしてくるのではないか?
「お前は「碧志摩メグ」や「のうりんポスター」をどう捉えているんだ!」それはここでは問題にしない。やりすぎと思うにせよ、そんな目くじら立てなくてと思うにせよ、ここではあえてフラットに事象を眺めることによって得られるものに注目したいのだ。一応いっておくと僕は、「碧志摩メグ」や「のうりんポスター」はさまざまな当事者の心境や、そのコンテンツをつくるに至る具体的な文脈、部外者による評価をどう判断するか、そもそも「当事者」と「部外者」をどのような基準で分けるのかいやそもそも分けられないのかなど多岐にわたる論点を抱えており、善悪の二元論で語ることは危険だという立場だ。これを世間では日和見と言うらしい。
つまり、すごく大雑把にいって「オタク文化は差別されている!」という時の「差別」は昔と今とではその意味合いが異なっていると言うことができる。ここからが本題だ。
たとえば、最近オタク文化に馴染んだ若いオタクが「差別されている!」と憤るのはもっともなことだ。こんなに素晴らしいオタク文化に拒否反応を示すなんて、と。
また、古風な「オタク的観点」から物事を捉えている人が「差別されている!」と感じるのももっともなことだ。かつてオタクは冬の時代を過ごしており、その余波は今でもあちこちに見出される。一貫した観点からオタク差別を捉えるのは妥当なことだし、有意義なことだとも思う。
しかし、昔ながらの「オタク的観点」をガッツリしょってるわけでもなく、かといって最近オタク文化に親しみはじめたわけでない、そんな中途半端な「オタク」であるにも関わらず、「オタクは差別されている!」という言説の歴史的に宿る差異にまったく無頓着であり、それなのに「オタクは差別されている!」と無邪気に発してしまう、そんな人達が僕は不思議で仕方がないのだ。
これは「真のオタクは……」というタイプの語り口に所属するものでは(おそらく)ない。文章としては同じものが、文脈によって複数の意味を宿すことについての注意力、恥ずかしい言葉を使えば「言葉に対する感性」の問題だ。
いまいちピンとこなかっただろうか?それなら申し訳ない。スルーしてくれれば幸いだ。
実は、僕はいくつかの具体的な顔を思い浮かべながらこの増田を書いている。あてはまらなかったり、なんか意味不明と感じたら、多分あなたにとって、それは的外れな問いなんだろう。
「そんな友人にも実は深い背景が……」と思われただろうか?一応、僕とその「顔」は深い関係を築いている。そして、僕のほうがどうやらオタクなのだ。
「そういうことって別にオタクだけに限らず……」その通り。そういう見方を全く否定するつもりはない。これは別にオタク文化を断罪したいのではなく、単に、実体験で感じたモヤモヤについての増田だ。
「そのような語り口自体が増田のオタクフォビア的な隠された政治性を暴露しており……」そういうつもりはないが、僕はその見方を否定できない。すごくラフに言って「にわかオタク」的なものに疲れているのは事実だ。とはいえ、あくまで対人関係での違和感が根っこにあり、そいつはたまたま「にわかオタクで」……、という順序だ、ってことを理解してくれれば幸いだ。
この増田がどこかに届くことはできるだろうか?