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2017-12-22

はあちゅうヨッピーナチスドイツ経験主義』というトンデモ記事への反論

こんにちはエルサレムアイヒマン警察です。上司インフルエンザで休んで暇なので、大好評炎上中のはあちゅうセクハラ告発について調べてたら id:plagmaticjam 氏の「はあちゅうとヨッピーとナチスドイツと経験主義~ハンナ・アーレントは何を語ったのか~ - メロンダウト」という記事発見

タイトルからし地雷臭がヤバイと思ってたら案の定トンデモだったので、おうちにあった『エルサレムアイヒマン 新板』を読み返しつつ反論したいと思います

炎上の経緯はハゲ大先生 id:hagex のまとめが鬼詳しいのでこっちを読んでください。→はあちゅうのセクハラ告発大炎上まとめ(追記あり) - Hagex-day info

 

件の記事ブログ筆者は、アイヒマンはあちゅう類似性を下記のように定義しています

はあちゅう氏=「自分被害者になったら告発する。いっぽうネットで実際に被害者が見えないなら加害者になれる凡人」

「凡人は無自覚悪人であること。」

アイヒマン命令によって思考行為を切り離し悪人になれたように、はあちゅうネットをかませ被害者特定しないことによって思考を切り離しているように見える。」

ヨッピー童貞いじりが誰を傷つけているのか、と擁護していたが「誰がわからない」から傷つけてもいい、なんてアイヒマンが「名前を知らない」から業務的に虐殺したのと構造的に同じだ。」

「何もはあちゅうだけに限った話ではない。ネット思考行為を切り離す。凡人が容易に悪人になりうる構造を持っている。」

ブログ筆者は「思考行為を切り離すがゆえに、無自覚悪人になる」構造があるとし、類似性を下記のように指摘しています

ブログ筆者が考える構造類似性

アイヒマン:「命令」によって思考行為を切り離す

はあちゅうヨッピー:「ネット」によって思考行為を切り離す

ですが、前提にしているアーレントの読みがそもそも間違っています

アーレントが指摘したのは「アイヒマンが何も考えていない=無思想性」ということでした。

「俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことなのか全然わかっていなかった。」

「彼は愚かではなかった。完全な無思想性−−これは愚かさとは決して同じではない−−、それが彼があの時代の最大の犯罪者の1人になる素因だったのだ」(p.221)

アイヒマン相手匿名から虐殺したわけではありません。知っているユダヤ人も知らないユダヤ人も等しく虐殺しました。

彼は「善悪弁別する能力をまったく欠いている」(p.20)のであり、「彼は自分義務を行った。命令に従っただけではなく、法律にも従った」(p.107)のです。

アイヒマンの特徴は「自分思想がなく、善悪区別がつかず、ただ義務命令法律に忠実な男」であり「自分よりも権威のある立場の人が『正しい』と言ったなら盲目的に従う男」であるということです。

アイヒマンには、反ユダヤ主義思想教育もなかった、とアーレントは指摘しています

好き嫌いがあるゆえに行動するのではなく、一切の好き嫌いがないからこそ、自分より高い立場権威から命令されたことをマシーンのごとく忠実に実行しました。

実際、アイヒマンは「良心問題については、命ぜられたこと(筆者注:虐殺)をしなかった場合にのみ疚しさを感じた」(p.20)と述べています

 

アイヒマンのような「無思想で、法律義務命令に忠実である」人は、平和時代であれば、上司の言うことを忠実にこなす「優秀なサラリーマン」、法律など絶対に破らない「良き市民」として一生涯をまっとうしたでしょう。

アイヒマンはあまりにも「普通おっさんであるという事実について、アーレントは<悪の凡庸さ>と指摘しました。

アイヒマンはきわめて凡庸一般人であるというアーレント見解は、「ナチスは、ユダヤ人絶滅したくてたまらない極悪人狂人」という世間見解とはまったく違うものだったので、多くの反発を招きました。

 

一言でまとめると、アーレントが語る「悪の凡庸さ」とは、「平和時代ならあまりにも普通おっさん、ただし無思想善悪判断がつかないから、彼が従う権威や法が狂えばなにも考えずに極悪人になれる」ということです。

以上の経緯から見ると、ブログが「悪の凡庸さ」を誤用していることがわかると思います。もう一度、ブログ言及されていた構造をおさらいしてみましょう。

ブログ筆者が考える構造類似性

アイヒマン:「命令」によって思考行為を切り離す

はあちゅうヨッピー:「ネット」によって思考行為を切り離す

思考」と「行為」が個別にあり、それらの連結を切り離す「X」があるという前提です。

しかし、アイヒマンそもそも思想」がありません。だから自分に注入される命令義務を己のものとして実行します。

ブログ筆者が考える構造: A(思想)=X(切り離すもの命令ネット)=B(行為

アーレントが指摘したアイヒマン構造: X(命令義務法律)→B(行為

構造がなにひとつかすっていないことがわかると思います

 

そもそもはあちゅう氏はアイヒマンのような「無思想」ではありません。むしろ自己主張が強く、自分を良く見せたいタイプだと思います

善悪判断力はわかりかねますが、盲目的に命令権威に従うタイプではありません。

はあちゅうは凡人」と言うとなんとなく納得感ありそうなんですが、アーレントが言った「凡庸な悪」とは意味が違います

ネット」とか「不特定多数他人」とかも、アイヒマンにはまったく関係ありません。

 

凡庸な悪」というパワーフレーズはすさまじいものがありますし、引用したくなる気持ちもよくわかります

しかし、なんとなくキャッチー単語フレーズだけを使って独自理論を展開するのは、引用源にも読者にもどちらに対しても失礼ですし、誤解を与えます

名著や歴史的パワーワード換骨奪胎して持論を展開するのはやめてほしいです

ぜんぜん引用源を正しく参照してない記事内で、ナチスドイツという激烈ヤバイもの名前を同列に並べられたはあちゅう氏とヨッピー氏、さすがに流れ弾すぎるだろ…と思います。あとブログ言及されてる「経験主義」も「違うだろ…」て感じなんですが、続きは経験主義警察の方々にお譲りします。

 

参考文献:ハンナ・アーレント大久保和郎・山田正行訳『エルサレムアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 新版』(みすず書房2017年

エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】:Amazon.co.jp:本

(所要時間:45分)

 

※もちろん「書籍を読む」行為に、明確な正解はありません。私の読解もまたひとつ意見にすぎませんから、別のハンナ・アーレント警察の方から「違う!」とおしかりの言葉を受けるかもしれません。とはいえ、いくらなんでも適当すぎる読みだと思うんで反論を書きました。

2017-12-08

anond:20171208201629

異民族との戦争生存競争かな

農業っても1粒植えた麦が2粒になるなんて

ものすごい非効率農業だったか

あとエジプトはナイル近辺や、エルサレム近辺などは

穀物地帯で生きるのに必要だったか

ローマはこれに加えて世界を広げるのに熱心だったけど

 

奴隷制は何事にもマンパワー必須だったか

ちょっと違うけど今で言う派遣に近い部分も

あとは口減らしもあった

 

支配階級社会作ったか

船頭多くして船山に登る、の格言そのまま

あと世襲にして支配階級化しないと、皆がみんな口を揃えて

「今はアイツが王やってるけど、別に俺が王でもいいんじゃ?」 

と言い出すから権威とそれに対しての歴史による重み付けなどが必要だった

 

女性制限

制限というかやれなかったか

腕力がないからと体調を崩す意味で。

農民が9割の世界で、しかも米や麦を作る畑や水路

家や道具を作る木の伐採など仕事、そして戦争

もしやれるならやってもらってたはず

だって飢饉が頻繁に起きてる時代

餓死にしてでも女性の行動制限します!なんてこと誰もやらない

アラブ地域なんかだと上記に加えて交易が主な産業だったか

それに連れていけなかった(体力・体調に加えて対盗賊意味でも)

2017-09-01

https://anond.hatelabo.jp/20170901110825

自分の利害が絡まない(でリベラルごっこができる)ことは平気でやれるってだけだからなあ

同じ理屈でじゃあエルサレムを当時の原住民返還しろやというとこまでは絶対に行かない

2017-05-10

キリスト教十字軍をやったから酷い、では他宗教は?

昨今テロばっかりやってる、名前言ってはいけないあの宗教平和的で、誰も殺していない?世界一平和宗教

いいや全くそんな事はない。

ローマ帝国崩壊後、地中海はサラセン海賊に荒らされまくった。

奴隷にされた数は120万人以上、殺害された記録は探せなかった。だがそれを以て「被害者0人」と言うのは浅はかだろう。

十字軍は元々、フランス狂信者が言いだしっぺだが、それが支持された背景には数々のテロ行為存在していたからだ。

サラセン人とエルサレム関係ないという指摘はその通りである

双方、勝てるところとしか喧嘩しないから、いつも平和的な人々が被害に遭う。

サラセンが収まると、次に現れたのがバルバリア海賊だ。19世紀まで続いた。

列強がよってたかって北アフリカ制圧した!という話は、北アフリカに住んでいた無実の住人に対してはまあそうなんだけど、

海賊に襲われていた側からしてみれば、自国攻撃してくる国に対しての攻撃である

このあたり、奴隷にされても「あの宗教は寛容だから奴隷になっても幸せキリスト教非人道的!」なんて言う人が平気でいるけど、

タリバンポコハラムを見ててもそう言えるか?

あれは特殊な例で、中世近世は優しかったと思えるなら花畑と言わざるをえない。

現代も何も変わらない。

一部の賊が異教徒一般人を殺す。

賊は駆逐されるかもしれないがしわ寄せはあの教徒一般人に来るのだ。必ず。

そして「罪もない一般人を苦しませた異教徒、酷い!」と大々的に言われる。

テロ一般人関係ないって言うなら、賊を駆逐した軍隊一般人関係ないよね?

いいや軍隊は賊の駆逐の時に一般人にも手を出した。って言うなら、先に一般人に対してテロった件についてもそちらの宗教全体で責任持てよと。

宗教を貶めてのかの宗教擁護は、見てて気持ち悪い。

2017-04-21

イースターってヒガシのことじゃないの

easter

イエズスターがなまったの

yezster

ああキノウなの

yesterday

ああイエスキリスト東方の地エルサレムの出であるから

easter

復活祭訳語というか

er

って

er

省略形

her

http://eow.alc.co.jp/sp/search.html?q=er&pg=1

her

彼女を[に・の]

その、それを◆車、船、動物国家、月、海などを女性扱いして、itsまたはitの代わりに用いられることがある。itを用いる方が一般的

んあ

重複でterもあるか

http://eow.alc.co.jp/sp/search.html?q=ter&pg=1

んー

2016-09-15

仏教発祥の地インドではなく、中国で広がり…

キリスト教においても聖地エルサレムあたりではなく、

バチカン根付いた。

発祥の地と、受け入れられる地というのは、異なってしまものなのかもしれない。

なにかを新しく産み出そうとする者は、移住覚悟をしなくてはいけない。

次の世界の主役は日本ではない、東洋のどこかの国だ。

2016-08-05

[]Zion

ザイオン

シオン山、ユダヤ民族故国イスラエルの地、エルサレム住民たち、ユダヤ民族キリスト教会天国

レゲエでは天国意味で使われる。

バビロン対義語

そっかーマトリックスのあれは造語じゃなくてそういう単語があったのかー

かつ、初代ガンダムジオンも、つづりは違うけどやっぱりなんかオマージュ的な意味はあったのかなあとか今更エウレカを感じた

2016-05-16

ストームライダーへようこそ!」

数ヶ月前の事は、やたらと鮮明に思い出せる。

その日、私はカフェで友人とアイスフロートを飲んでいた。

友人がお手洗いに立ったのを見て、スマートフォンツイッターはてブを緩く見回っていた時に、見つけたのだ。正直眼を疑うような記事見出しだった。本文を見てからは思わず驚愕して叫んでしまったほど。(というよりも、「あ…ああ…」と狼狽した声が行き場を失いながらも出てきてしまったような形なので、端から見たら知人の訃報が入ったか身代金でも揺すられてるかのように見えたと思う)

お手洗いから帰ってくる友人に助けを求めるかのごとく話を振ろうとしたら、彼の方からも話を振ってきた。多分、彼も同じように記事を見たのだ。2人でほとんど声を合わせるように、私たちは同じことを口にした。

「あのストームライダークローズ?」


と、ここまで来て頭の中で3代目J soul brothers from EXILE TRIVEのストームライダーを頭に浮かべている人はちょっと一度冷静になって、東京ディズニーシーの方のストームライダーを思い出して欲しい。

そう!そうそう!それ!う、うん、そうね、「緑のチカチカチェックするやつ!!」って間違っちゃいないんだけどそれしかないアトラクションみたいな思い出し方はやめなさいね、その後、仮にもストーム消してるんだから

「空を斬り走るやつねー」って、え?あ、まあ間違ってはいないけども随分とポエミーな表現ね…

疾風迅雷 蒼の魂」ってだからそれは3代目の方のストームライダーだろうが。

そんなこんなで、今日TDSストームライダーラストフライトの日である。こんなにアトラクションクローズでここまで衝撃なのはミクロアドベンチャー!やビジョナリアムに個人的には並ぶ。ツイッターによればあの人気のトイマニ、タワテラをぶち抜いて今日ストームライダーが最大の待ち時間のようであるセンターオブジアースレイジングですら待ち時間緩いのにストームライダーが120越えってもうなんだか異常気象発見たかのような気分である。それこそ台風のような。個人的には、ストームライダー60分越えはシンドバッド15分待ちに並ぶ混雑のバロメーターだったのだけどなぁ。

今日はそれほどまでに、ストームライダー愛する人がいる事を確認する日になる。ここまでくると宗教に近いかもしれない。ストームライダーという儀式を執り行うために長蛇の列をなす信者たち。ポートディスカバリー聖地

私ももし舞浜に行けるならそのお姿を拝みにポートディスカバリーへと足を運んでいただろうし、もし入園できなくてもベイサイドステーションからゆるゆると海岸線を回り、最もポートディスカバリーに近い地点からストームライダーに向かって祈りを捧げるくらいのことをしていただろう。エルサレム

どうかしてると言われそうだが、今私はiPhoneコンパス機能を始めてフルに生かし割り出したディズニーシーの方角に向かって文を書いている。

それほどまでに好きだった。このストームライダーが。


ストームライダーの何処がそれほどまでに私を魅了したのか。というと本当に答えになっていないのだけども「どの点においても優秀であった」というのが正直な答えである

オープン当初としては驚きの、かなり精巧フライトシミュレーター系でスタツアとの出来の違いにまず驚いた。

動き細やか!窓の外も見れるし!

まさかストームディフューザー刺さると思わなかったし。アトラクションのそういった出来が本当に段違いだった。

キャラクターたちも良い。デイビスお茶目だけどイケメン雰囲気(ホラーなら最初におどけて殺されてるタイプ)をよく声優表現したと思う。ストームを目の当たりにした時のセリフは、その声色だけで息を飲んでいるのがありありとわかる。スコットとベースもいい味を出している。「司令室に来なさい!今すぐ!」の声は今も幻聴のように思い出せる。

バックグラウンドストーリーは、オープン当初はストームライダーがかなり大きなバックグラウンドストーリーを持っていた。だってポートディスカバリーの設定がストームライダー計画成功お祭りって設定なのだから。あのポートディスカバリー雰囲気も好きだったので、その真髄を味わえる、という点でもストームライダー価値があった。CWC Center for Weather Controlのロゴなどもリアリティがあった。そういった、ディズニーならでは作り込みを感じ取りやすいのもストームライダーの良いところだった。

アメフロのSSコロンビア処女航海設定がタートルトークやオーバーウェイブ、セイリング看板の入れ替えなどでしれっと消えてるあたり、ポートディスカバリーの設定もふわっと変わってしまうのだろうなぁ、と思うと少し切ない。

音楽言わずもがなTDS、いやTDRもっと言えばディズニー最高峰楽曲だろう。

出来ればCDにはストームライダー組曲だけでなく、搭乗前の部屋で流れるイントロリピートのやつも何処かで収録をして欲しい。

あの名曲が、演奏される場所を失うのは本当に惜しい。ミクロアドベンチャー!の素晴らしいテーマ曲が今はTDLエントランスの一部になっているように、ポートディスカバリーエリアミュージックとして生まれ変わってくれることに期待をしたい。

そして私が最もストームライダーを愛してやまない理由をあげたい。

「プレフライトクルーである

なんじゃそりゃ、って人に説明すると、ストームライダーではキャビンに搭乗する直前に、気象コントロールセンター研究員であるキャストさんが実演でミッション内容を説明してくれるのである

私はこれが本当に好きだった!!

ストームライダーへようこそ!」は、とても印象に残るよね。

今でこそタートルトークにタワーオブテラーキャスト説明をしてくれるアトラクションは増えたものの、昔は無かったのだ。

もう、カヌージャングル体育会系なノリしか無かったわけです。

もっとかのぼればシンデレラ城ミステリーツアーがあったけれども、シーではストームライダーくらいしか無かった。2つのシアターでも説明はあるけど本当に説明くらいなので、ストームライダーが1番エンタメ性があったのだ。

初めて見たときベースとの掛け合いなどももしやここにいるのか?と思ってしまったほど。

最近では「今の…100万倍くらいですかね?」

すべり芸としての地位を築いてしまったけども、話口調や映像を使ったパフォーマンスは、本当に素晴らしかった。

東京ディズニーシーオープン当初は全体的にキャラに頼らない、生身の人間が見せるパフォーマンスを重視していた節がある。アンコール!やミスティックリズムはその最もたるものだけれども、アトラクションで初期のシーが標榜していたライブパフォーマンスエッセンスを取り入れていたのは今思えばこのストームライダーだけだった。

そこまで難しいことは考えずとも、初めて乗ったとき、あの説明を受けたとき、「これが、これからTDRアトラクションなんだ…」と衝撃を受けた。

そう、思い起こせばオープン当初のシーの人気アトラクションの中で、「原作がないアトラクション」はストームライダーだけなのである

今のファストパス対応アトラクションの中でもレイジングスピリッツストームライダータワーオブテラーだけだ。(タワテラトワイライトゾーンとはもはや無関係なので)

鑑みればあのあたりのオリエンタルランドディズニー脱却をコンセプトにしていたのか、イクスピアリオリジナルキャラを作ったり(何処に行ったんだネポス…)前述の通りアンコール!などのキャラ無しのショーが多かったり、シーではグリ施設は無かったり、かなりストイック、というかランドとの方向性の違いを明確に出そう、という気概があった。自分たちで新しいものを作るんだぞ!という。そんな中で作られたこのストームライダー、力が入らないわけが無いし、面白く無いわけが無いのである

そう、シンドバッド友愛ストーリーに書き換えられたり、グリ施設が4つもできたり、キャラ無しのショーは全部廃止された、オープン当初のコンセプトもへったくれも無い今のシーの中で、唯一、ストームライダーはあの頃の雰囲気を持っていた。ある意味では、ストームライダーオープン当初のシーの遺跡なのである

そして個人的なことを言えば、プレフライトクルーになりたかった。

たくさんの人の前で、ご案内をする姿が眩しかった。子供ながらに憧れて、いつしかあの案内はすべて諳んじれるようになっていた。

その影響もあってか、演劇部に入ったこともある。今の仕事でも司会業を少し受け持っている。

あのプレフライトクルーへの憧れ、ストームライダーへの憧れが、こっそりと私の人生に種をまいていてくれたのだと思っている。

ストームライダーは、思い出であり、人生の起点であり、唯一無二のアトラクションだった。







明日からは、ポートディスカバリーストームライダーはいない。

気象コントロールセンター本拠地移転を発表した。

それに伴い、14年に渡るストームライダーによるストーム消滅ツアー廃止となる。

センターによると、今後の学術研究へ注力するための選択だそうだ。

跡地は海底探査の拠点として次なる活動が決まっている。

本日の閉鎖を持って、センターに勤務の全職員は新事務所へ移ることになる。

デイビス、スコット、ベースコントロール

そしてたくさんのプレフライトクルー明日も、新しい場所ながらも変わらずにストーム異常気象と戦う日々が続くのだろう。


もう二度と、凄まじい破壊力を持つストームの中になんか入れない。

もう二度と、100万倍くらいの小粋なジョーククスリと笑うこともできない。

もう二度と、緑のチカチカの部分だけ決めゼリフのように声を被せる高校生集団も見れない。

おやつピーナッツのチェックも、雨に驚くゲストの姿も、エンジンがやたらと故障する機体にも、会えない。

そして、外へ出たときにより美しく感じる空と海のきらめきと潮の香りにも。

ストームライダーはなくなっても、乗った記憶、そしてそこに確かにあったという記憶は誰もの心に、残る。

これは、別れではなく、新たなスタートなのだ

からこそこの寂しさは抑えて、大きな舵を切るオリエンタルランド応援したい。

ここまで記憶に残るものを作ってくれたのだから、きっとそれを超えてくれるだろうと期待をしつつ。

ありがとう気象コントロールセンター

ありがとうキャプテンデイビス

ありがとうストームライダー

絶対に、絶対に、忘れないからね。

本当に、ありがとう





ポートディスカバリーは、今日も、晴れている。

2016-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20160510015409

戒律を守る人々同士のコミュニティは強化される

そして、他と差別化される

刺青とかコミュニティ帰属するか否かの分かりやすスティグマ

ソレ以外の人から見ると、それだけで忌避するに足る

戒律コミュニティが大きくなると複雑化し戒律専門家必要となる

司祭のような職業宗教家誕生

その反動として、既存宗教家を廃して新しい信仰に流れるのもまたいつものことで

由緒正しい神社仏閣をパワースポットと称する文脈無視フリーライド精神

エルサレムユダヤ教キリスト教イスラム教共通聖地となる過程を追体験しているかのよう

宗教の成り立ちにおいて、教義よりも宗教的聖地の方が先に存在するのだ

廃仏毀釈が一番激しかったのは鹿児島だそうで、寺がかなり迫害されたが

墓も墓参りの習慣も残っている

日本は、仏教儒教神道ちゃんぽん言うなれば日本教信者

そこから逸脱した言動をするものものすごい勢いで排斥されるのに

その教義不文律でその場の空気を読むしか無いという

結構無理ゲーをなんとかこなしているように見える

2016-03-01

イエス・キリストユダヤ人だって言われてるけど

あの当時のエルサレムって確かアラブ系が占めてたと思うけど

アラブ人なのをユダヤと偽ってるんじゃないか?

2015-10-16

世界の名争50戦

前1285カデシュの戦いエジプトの大ファラオ・ラムセス2世と、製鉄技術で名高いヒッタイトの王ムワタリの戦い。戦況が膠着状態に陥った後、ムワタリが停戦を申し入れ、ラムセス2世が受諾した。これは記録に残る最古の戦争であり、記録に残る最古の平和条約でもある。
前479プラタイアの戦い古代ギリシアペルシアの一連の戦争における決戦。数十万を誇るペルシア軍の攻勢を、一万のスパルタ軍だけで防ぎ止め、押し返し、打ち破った。これによりギリシアからペルシア軍は駆逐され、スパルタは前年のテルモピュライの戦い(映画『300』で有名)の雪辱を果たした。
前371レウクトラの戦い古代ギリシア都市国家テーバイスパルタの戦い。テーバイのエパメイノンダスが編み出した、兵力を左翼に集中する戦術「斜線陣」により、精強を誇ったスパルタファランクスは打ち破られた。皮肉にも、後に斜線陣はテーバイではなくマケドニアに伝わり、ギリシア諸都市はその戦術によって敗れ去ることになる。
前331ガウガメラの戦い「大王」アレクサンドロス3世率いるマケドニア軍とアケメネス朝ペルシア軍の戦い。マケドニア軍の重装歩兵ペルシア軍を受け止めているあいだに、アレクサンドロス自らが率いる騎兵がペルシア軍にできた間隙を衝く、いわゆる「鎚と鉄床」戦術によってマケドニアが勝利し、大国ペルシアは滅びた。
前260長平の戦い中国の戦国時代、趙の老将・廉頗の持久戦術に手を焼いた秦は、情報工作によって廉頗の悪評を流し、若い趙括と交替させた。趙括は勢い込んで秦との決戦に挑んだが、秦の名将・白起によってあっけなく包囲殲滅された。四十万人の捕虜が虐殺されたという。秦の中華統一の過程において最も大きな勝利の一つである
前216カンネーの戦いアルプスを越えてイタリア半島に侵入したカルタゴの名将・ハンニバルが二倍の兵数のローマ軍に大勝した戦い。中央の歩兵が敵を受け止め、両翼の騎兵が敵側背に回り込む、「包囲殲滅」戦術の鮮やかな見本として史上に名高い。しかし、そのハンニバルも後にザマの戦いで敗れ、地中海の覇権はローマのものとなっていく。
前202垓下の戦い秦が倒れた後、中華を二分して戦っていた楚の項羽と漢の劉邦は、互いに疲弊したことで和睦を結んだ。しかし、劉邦は直後に盟約を破り、引き上げる楚軍に襲いかかった。「四面楚歌」となった項羽は、最後の力を振り絞って包囲を破るも、衆寡敵せず自害した。天下は漢のものとなった。
前48ファルサルスの戦い古代ローマ代表する二人の軍事的天才、カエサルポンペイウスの戦い。カエサルは、包囲を狙うポンペイウスの騎兵を重装歩兵で囲い込み、投槍を投げずにそのまま騎兵の顔や目を刺すよう指示して打ち破った。勝利したカエサルローマの実権を握ったが、やがて暗殺されることになる。
前31アクティウムの海戦カエサルの跡を継いだオクタウィアヌスとその政敵アントニウスの戦い。しかし、アントニウスとその愛人クレオパトラは、本拠地エジプトへ逃れることを優先してすぐに戦場を離脱、取り残されたアントニウス軍は壊滅した。アントニウスクレオパトラは自殺し、数年ののちにオクタウィアヌスは初代ローマ皇帝となる。
23年昆陽の戦い漢から帝位を簒奪した王莽に反発して「赤眉の乱」が起こる。昆陽に篭もる赤眉軍は、実数でも40万と言われる王莽軍に包囲されたが、リーダーの一人である劉秀は数千の兵とともに敵の中枢へ突撃を敢行、王莽軍は大混乱に陥り全滅した。主力を失った王莽はまもなく滅亡。劉秀はのちに光武帝として後漢王朝を開く。
208赤壁の戦い三国志に名高い一大決戦。中原を制し、中華統一を目指して大軍を南下させた曹操だったが、見知らぬ土地での疫病、慣れない水上戦に悩まされ、呉の都督・周瑜の火計によって打ち破られた。呉に協力していた劉備は、勝ちに乗じて荊州の南部を占拠し、後の飛躍へと繋げた。
383淝水の戦い五胡十六国時代、前秦皇帝・苻堅は天下統一を狙って百万を号する大軍を南下させ、東晋の将軍・謝石と謝玄が数万の軍でそれを迎え撃った。苻堅は異民族の融和を目指した理想主義的な君主だったが、異民族の混成軍は実際には統率がとれておらず、偽装後退を命じたことが本当の撤退と勘違いされ、前秦軍は自壊して潰走した。
451カタラウヌムの戦いフン族の王アッティラの侵略に対して、西ローマ帝国の名将アエティウスと西ゴート王テオドリックなどが連合して挑んだ決戦。痛み分けに近いものの、西ローマ帝国軍の勝利に終わった。のちにアエティウスの武功を恐れた西ローマ皇帝は彼を暗殺した。この戦いから二十五年後に西ローマ帝国は滅びた。
506鍾離の戦い数十万の大軍同士が激突した南北朝時代最大の決戦。北魏軍は、河に橋を掛けて梁の鍾離城を攻め立てていたが、長雨もあり戦いは長期化した。救援に来た梁の智将・韋叡は、増水に乗じて戦艦を走らせ、北魏が掛けた橋を焼き払った。大混乱に陥った北魏軍は十数万の死者を出して敗走した。
530ダラの戦いサーサーン朝ペルシアの大軍を東ローマ帝国のベリサリウスが破った戦い。ベリサリウスはあえて要塞から出て敵の攻撃を誘うと共に、壕を掘って相手の中央突破を防ぎ、伏兵を巧みに使って撃破した。その後、ベリサリウスは中世欧州最高の名将として、東ローマ帝国の最大版図を現出させる。
627ハンダクの戦い初期イスラムの三つの戦いの一つ。敵対するメッカ軍に対し、ムハンマド率いるメディナ軍は数で劣ったため、ペルシャ人技術者の進言で「ハンダク=塹壕」を巡らせた。メッカ軍は初めて目にする塹壕を突破できず、メディナ攻略を諦めた。以降、アラブ世界におけるイスラムの優位が確立された。世界初の塹壕戦とも言われる。
636ヤルムークの戦い「神の剣」ハーリド率いるイスラム軍と、皇弟テオドロス率いる東ローマ帝国軍の戦い。砂漠の戦闘に慣れたイスラム騎兵が東ローマ帝国軍を渓谷に追い込み撃滅した。イスラム軍は、直後のニハーヴァンドの戦いを経てサーサーン朝ペルシアをも滅ぼし、ここにイスラム帝国が興隆することとなった。
732トゥール・ポワティエ間の戦いイベリア半島から侵攻したウマイヤ朝イスラム帝国と、フランク王国の宮宰カール・マルテルの戦い。イスラム騎兵の猛攻をフランク重装歩兵が跳ね返し、撃退した。イスラム騎兵の強さを痛感したマルテルは、直属の臣下に土地を与えて「騎士」制度を創設し、これが欧州の封建制へと繋がっていった。
751タラス河畔の戦い西へ拡大する大唐帝国と東へ拡大するアッバース朝イスラム帝国中央アジアにおいて衝突した戦い。唐の同盟者ウイグル族に従っていたカルルク族が裏切ったことでアッバース朝が大勝した。これによって、唐の伸張は止まり、中央アジアイスラムに帰し、そして製紙法が西方に伝播した。
1098アンティオキア攻囲戦第一回十字軍は、半年以上の攻城戦の末にアンティオキアを陥落させたが、遅れて到着したイスラム諸国連合軍七万によって逆に包囲されてしまう。しかし「聖槍」の発見で士気を高めた十字軍は、城外に打って出てイスラム軍を打ち破った。次の年にはエルサレムを陥とし、まさしく奇跡的に十字軍成功に終わった。
1141カトワーンの戦いイスラムセルジューク朝を復興させたサンジャルと、遼の再興を掲げて中央アジアに覇を唱えた西遼の耶律大石との戦いで、西遼軍がセルジューク朝軍を包囲殲滅した。セルジューク朝は再び衰退、まもなく耶律大石も亡くなったことで西遼も勢いを失った。この戦いがプレスター・ジョン伝説の原型となったという。
1187ヒッティーンの戦い暑さと渇きに苦しむエルサレム王国軍に対し、イスラムアイユーブ朝サラディンは、夜通し弓矢で攻め立てて士気を挫き、野に火を放って追い詰め、壊滅させた。聖地エルサレムは再びイスラム勢力のものとなった。その奪回のために第三回十字軍、すなわちサラディンと「獅子心王」リチャードの戦いが開始される。
1212ナバス・デ・トロサの戦いイベリア半島で争っていたキリスト教諸勢力が、教皇インノケンティウス3世の要請により連合してイスラム勢力を迎え撃った、「レコンキスタ」最大の決戦。イスラムムワッヒド朝の十二万の大軍が悠然と構えるのに対し、連合軍は猛烈な突撃を敢行。ムワッヒド軍は十万とも言われる被害を出して敗走した。
1214ブーヴィーヌの戦いフランスの「尊厳王」フィリップ2世と、神聖ローマ帝国イングランド王国などの連合軍の戦い。フィリップ2世は北へと逃げてブーヴィーヌに陣取ると、ばらばらに追いかけてきた連合軍を到着した順に各個撃破した。脆弱だったフランスが強国として台頭し、またイングランドで大憲章が成立するきっかけともなった。
1241モヒの戦いバトゥ率いるモンゴル帝国の遠征軍に対し、ハンガリー軍は堅固な陣地を築いて健闘したが、モンゴル軍はイスラムの投石機と中国の火薬兵器で攻撃を加え、さらに周りこんだスブタイの軍によって包囲殲滅した。同時にリーグニッツでもモンゴルの別働隊が勝利していたが、オゴタイ・ハンの死を聞いてバトゥは引き返した。
1260アインジャールートの戦いモンゴル帝国西アジア遠征軍と、イスラム勢力のクトゥズやバイバルスの戦い。先鋒のバイバルス軍が退却を装い、それを追撃したモンゴル軍は、伏兵のクトゥズ軍に包囲されて壊滅した。モンゴルの西進はここで止まった。バイバルスはその後もモンゴル軍に勝ち続け、マムルーク朝実質的建国者となった。
1267襄陽・樊城の戦いモンゴル帝国のクビライ・カンは、入念な準備の上で襄陽と樊城を大軍で包囲、長大な土塁を築いて封鎖した。南宋の主力軍十万が救援に向かったがモンゴルの水軍の前に完敗した。中東由来の新型投石機「回回砲」による攻撃が開始されると襄陽・樊城は為す術なく降伏した。この敗北は南宋の滅亡を決定付けた。
1346クレシーの戦いイングランドフランス百年戦争における初期の決戦。イングランド軍は斜面にV字に長弓部隊を並べ、中央に下馬騎士を置いた。フランス軍クロスボウは射程の違いで長弓に対抗できず、重装騎兵も敵軍を突破できずに惨敗した。その後、百年戦争の終盤まで、イングランドは同様の戦術で勝利を収めていった。
1363鄱陽湖の戦い中国・元末の群雄である朱元璋と陳友諒の戦いで、それぞれ数十万人規模の大船団同士が激突した。大型の艦を鎖で繋いでいた陳友諒軍は、朱元璋が特攻させた火船によって大炎上して敗北した。この勝利により優位を確立した朱元璋は後に明の建国者となる。三国志演義における赤壁の戦いの描写はこの戦いがモデルだという。
1402アンカラの戦いニコポリスの戦いで欧州連合軍に圧勝したイスラムオスマン帝国の「雷帝」バヤズィトと、モンゴルの後継を自称して大帝国を築いたティムールが激突した戦い。結果、オスマンが敗れてバヤズィトは捕虜となり、日の出の勢いだったオスマン一時的に衰退した。ティムールもこの戦いを最後に生涯不敗のまま亡くなった。
1410グルンヴァルトの戦いポーランドリトアニア連合軍ドイツ騎士団が戦った、中世最大とも言われる会戦。リトアニア軍の偽装撤退に誘い込まれたドイツ騎士団は、連合軍の反攻によって壊滅した。この勝利のあと、ポーランドリトアニアは欧州最強国として最盛期を迎える。現代では古戦場跡で行われる祭りが有名。
1420ヴィトコフの戦いヤン・ジシュカ率いるフス派と、それを鎮圧するために結成された10万の十字軍の戦い。フス派は包囲されプラハに立てこもったが、欧州で初めて銃を装備し、武装した荷車をつなげて砦とするなど、革新的な戦術を用いたジシュカの活躍で、十字軍は撤退に追い込まれた。以降もフス派は勝ち続けていくことになる。
1450フォルミニーの戦い他国に先駆けて常備軍を創設し、長弓より射程の長い大砲を活用するなどの軍政改革を行ったフランス元帥リッシュモンは、百年戦争で負け続けだったフランス軍を立て直してイングランド軍を撃破した。このフォルミニーでの勝利は、百年戦争におけるフランスの勝利と、そして以降のフランス軍事的優位を決定付けた。
1453コンスタンティノープルの陥落東ローマ帝国首都にして史上最強城塞都市と、それを包囲したオスマン帝国軍の戦い。「ウルバンの巨砲」「艦隊の山越え」といった大仕掛けにも耐えたコンスタンティノープルだったが、施錠を忘れていた通用口からオスマン軍に侵入され、あえなく陥落した。古代から続いたローマ帝国は中世と共に終わりを迎えた。
1503チェリニョーラの戦い二次イタリア戦争におけるスペインフランスの戦い。レコンキスタにおいて攻城戦の経験豊富だったスペイン軍指揮官ゴンサロは、野戦に攻城戦の技術を持ち込んだ。長槍兵と銃兵の陣形「テルシオ」と塹壕の組み合わせによって、フランスの重装騎兵を打ち破り、欧州に野戦築城の有効性を知らしめた。
1514チャルディラーンの戦いイスラムサファヴィー朝建国者スマーイール1世は神がかり的な戦争の天才だったが、対するオスマン帝国のセリム1世は鉄砲と大砲を大量に運用して、不敗の騎兵「クズルバシュ」をさんざんに打ち破った。初めての敗北を味わったイスマーイール1世は無気力となり、サファヴィー朝の拡大は停滞した。
1588アルマダの海戦黄金時代スペインイングランドが迎え撃った戦い。接舷攻撃を企図するスペインの大艦隊に対し、ドレイク率いるイングランド海軍はヒットアンドアウェイの砲撃戦で勝利した。以降、海戦の主役は白兵から大砲へと移っていく。スペイン没落の画期とも言われるが、実際にはスペインの優位はしばらく続いた。
1619サルフの戦い女真族を統一したヌルハチ率いる後金軍と、その討伐に差し向けられた明軍の戦い。圧倒的に数で優る明軍は、四手に分かれて後金を包囲しようとしたが、全く連携が取れておらず、ヌルハチの見事な内線作戦によって各個撃破された。後金はやがて清となり、明を滅ぼすことになる。
1631ブライテンフェルトの戦い三十年戦争に参戦したスウェーデン王グスタフ・アドルフと、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍の戦い。グスタフ・アドルフは歩兵・騎兵・砲兵が緊密に連携する「三兵戦術」によって、神聖ローマ帝国軍のテルシオを完全に打ち破った。この三兵戦術が近代的な軍制の基礎となる。
1683二次ウィーン包囲オスマン帝国は15万の大軍をもってオーストリア首都ウィーンを包囲したが、要塞化された都市は容易に陥落しなかった。キリスト教諸勢力は連合して救援に向かい、特にポーランドが誇る有翼重騎兵「フサリア」3000騎の中央突破によって、オスマン軍は大敗した。オスマン帝国の衰退を決定付ける戦いとなった。
1704ブレンハイムの戦いスペイン継承戦争において、イングランドマールバラ公とオーストリアプリンツ・オイゲンの名コンビが、フランス軍を打ち破った戦い。開戦後、しばらくは一進一退が続いたが、マールバラ公はオイゲンと連携して粘り強く戦い、フランス軍の両翼を釘付けにした上で手薄になった敵中央を突破して撃破した。
1709ポルタヴァの戦い北欧の覇権を握ったスウェーデンをめぐる大北方戦争最大の決戦。スウェーデンの若き天才カール12世は、並み居る敵国を瞬く間に撃破し、残るロシアに攻め込んだが、寒さと焦土作戦により疲弊、ポルタヴァで大敗を喫した。カール12世はオスマン帝国に亡命し、スウェーデンの「大国時代」は終わりを迎えた。
1757ロイテンの戦い七年戦争プロイセンの「大王」フリードリヒ2世とオーストリア軍の戦い。斜めに行軍して敵の側面に回りこみ火力を集中させる「斜行戦術」により、プロイセンは倍する敵に勝利した。その後も、イギリス以外のすべての国を敵に回した状況で、フリードリヒ大王は粘り強く戦い抜き、七年戦争プロイセン優位に終わった。
1781ヨークタウンの戦いアメリカ独立戦争。チェサピーク湾の海戦でフランス海軍に敗れたことにより、ヨークタウンに篭もるイギリス軍に支援は届かず、彼らはアメリカ軍に包囲された。イギリス軍は幾度かの抵抗の後に降伏し、この戦いが事実上の終戦となった。勝利の立役者となった総司令官ワシントンは、のちに初代大統領に選ばれた。
1805トラファルガーの海戦欧州を支配し、イギリス本土へ侵攻せんとするナポレオンと、名提督ネルソン率いるイギリス海軍の戦い。敵列の側面に縦列で突入する「ネルソンタッチ」によりイギリスが勝利、ナポレオンの計画は頓挫した。勝利したネルソンは、しかし狙撃により重傷を負い、「私は義務を果たした」と言い残して亡くなった。
1805アウステルリッツの戦いフランス皇帝ナポレオンと、オーストリア皇帝・ロシア皇帝が戦ったために、「三帝会戦」の異名がある。ナポレオンの正確な洞察と完璧な機動により、数で劣るフランス軍が大勝利を収めた。あえて要地を明け渡し、機を見て奪回することで敵を分断する、その華麗な用兵は「戦争芸術」と讃えられた。
1819ボヤカの戦い南米を植民地とするスペイン軍と、それからの独立を目指すシモン・ボリバル率いる革命軍との戦い。わずか三時間で革命軍の勝利に終わったが、南アメリカ諸国の独立を決定づける重要な戦いとなった。敗れたスペインは彼らの独立を承認し、ボリバル大統領とした大コロンビアが誕生することになる。
1863ゲティスバーグの戦い「鉄道と電信の戦い」となったアメリカ南北戦争、最大の決戦。鉄道と街道が集まる要衝ゲティスバーグを巡り、偵察部隊の小競り合いが発生。増援を送りあって戦闘はみるみる拡大、両軍に多大な損害を出して終わった。国力に劣る南軍にとっては、より大きなダメージとなり、名将リーが計画した北部侵攻も頓挫した。
1870セダンの戦い国民皆兵制と鉄道による大規模かつ迅速な動員、参謀幕僚制と電信による戦略レベルでの分進合撃戦術により、参謀総長モルトケの指揮するプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン3世と十万のフランス兵を捕虜とした戦い。これにより邪魔者を排除したプロイセンは、「鉄血宰相」ビスマルクのもとでドイツ統一を成し遂げる。

2015-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20150919163040

いや、教会ででたらめなことをしてる奴への対応結構厳しいぞ?

キリスト自分が死んじゃう状況でもその状況に合わせてたよ?

神殿の物売りを蹴散らしたエピソードは有名。

10 イエスエルサレムはいって行かれたとき、町中がこぞって騒ぎ立ち、「これは、いったい、どなただろう」と言った。

11 そこで群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」と言った。

12 それからイエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。

13 そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。

(「マタイによる福音書http://2nd.geocities.jp/durian22jp/weekdaybible/bible4/610000t3.html

自ら磔になったのは預言を成就するためだろ。「なんでもかんでも全て受け入れる」のが正しい信仰だなんて解釈ちょっと違うんじゃないか。「右の頰を…」云々のキャッチコピーでも有名なように、キリスト教は確かにそれなりには寛容な教えではあるけれど、「なんでもかんでも」と言えるほど寛容じゃないと思う。

2014-06-30

なるほど、

エルサレム奪回した十字軍のごとく、

イスラム国家を樹立したらジハード完了であり、

ジハード標榜するイスラムテロ組織は解散してカリフの下に集え、

ということになるのか。

全てのイスラム過激派が集うオールスター軍団誕生する可能性が微レ存…?

2014-04-12

豊島区エルサレムと『雑司ヶ谷R.I.P.

樋口毅宏小説さら雑司ヶ谷』は、東京都豊島区雑司ヶ谷舞台にした小説ゲリラ豪雨幼なじみとの恋、やたら強い中国人との愛憎入り交じる関係オザケンタモリなどがごちゃごちゃになって、一気に読めてしま楽しい(←人による)話だった。主人公の祖母は大きな宗教教祖なんだけど、続編の『雑司ヶ谷R.I.P.』では教祖だった祖母が亡くなり、後を継ぐことになった主人公に大きな困難が降りかかるという話だった。

主人公が継ぐことになる宗教は、雑司ヶ谷に本拠地がある「泰幸会」。都電庚申塚駅(新庚申塚だったかも…)の近くに「泰幸会スーパーアリーナ」という大きな宗教施設を持っているという設定。ちなみに庚申塚駅というのは「おばちゃんの原宿」で有名な巣鴨地蔵通りの終点にある駅。ここを読んだとき、なるほど!と思った。雑司ヶ谷から庚申塚都電で行けるということだけではなく、巣鴨のまわりには大きめな宗教施設がやたらとたくさんあるからだ。

巣鴨駅の近くには創価学会東京戸田記念講堂、三田線の隣駅である千石の閑静な住宅街にはパルテノン神殿のような天心聖教の本部聖堂巣鴨大塚の間くらいには真如苑大塚支部、西巣鴨というか西ヶ原四丁目には天理教の大きな教会。大きくはないけど、大塚にはサイエントロジー東京もある。もちろん、地蔵通り商店街にはとげぬき地蔵で有名な高岩寺もある。巣鴨宗教施設がたくさんある理由はよくわからないんだけど、これだけの集まっているのはある意味すごいと思う。

そういえば、『さら雑司ヶ谷』が大きな影響を受けているであろう『池袋ウエストゲートパーク』がドラマ化された際、長瀬智也演じるマコト実家池袋果物屋だった。東京で暮らすようになって、池袋駅北口にある小さな果物屋さんをみつけたときには「あのマコト実家だ!」と感激したものだった。『雑司ヶ谷R.I.P.』に出てくる「泰幸会スーパーアリーナ」が庚申塚にあることを「ありそう!」と感じるのは逆だけれども。

夕暮れの巣鴨地蔵通り、とげぬき地蔵の前で、メイドさんが呼び込みをしているというカオス風景を見て、そんなことを思い出した。

2014-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20140203172016

全然横だけど、中国有事の際に対日本に動員できる兵力の3割から半分程度いれば、少なくともおいしい侵略はさせないよ。

労多くして、利が薄ければ経済的な判断によれば、あきらめる可能性が高い。

エルサレムみたいな事情尖閣にあれば別だけどね。

逆に、中国周辺海域の無防備な島はどんどん実効支配しているよ。

2011-02-13

鯖田 豊之 ヨーロッパ中世世界歴史9) 河出書房

ヨーロッパ中世とはどんな時代だったのかを、独自性と一般性を交えて、絶妙なバランスでまとめている。

本書の主要な記述の中で、特に気になったところだけ簡単にメモ

封建制度が成立するまで

ローマ帝国崩壊後、ゲルマンによるヨーロッパ治世は次々に短命に終わった。(東ゴート、フランク、西ゴート、ヴァンダル王国)。背景にはゲルマン信仰するアリウス派ローマ人が信仰するカトリックという宗教面の対立があった。上手く国がまとまらいままに、9世紀頃からノルマン人の侵入が始まる→略奪による領土の荒廃→国防は機能せず、地場権力者が城壁を作ってごく小さなテリトリーの防衛を行う→そこを中心に農民があつまり、商人があつまり、騎士が集まる。自治の中心が地場の領主にシフト国王形骸化)。

日本封建制欧米封建制と、一口に言っても違う。

ヨーロッパ騎士ドライ権力関係で主君とつながる。日本武士は忠義で主君に仕える。従って「二君に仕えず」が絶対だった日本とちがって、ヨーロッパは一人の騎士が複数の主君と契約を交わすのはざらだった。戦争の時でも、ヨーロッパ騎士は「●日間まで出陣する」と契約書に書いていれば、たとえ戦闘継続していても、途中で帰ってしまった。

ローマ貨幣制度ラテン語は残った。

地中海商業破壊されずに維持された。一方で、話し言葉としてのラテン語は、人々にリテラシーを身につけるボトルネックとなった。


国王」と「皇帝」の違い。

皇帝の方が一段上。皇帝キリスト教の神に認められた支配者。


騎士道」の盛衰

封建制の発達とともに、先頭の仕事が少なくなった兵士たちの間に生まれた。騎士時代遅れになるのは、1400年頃の100年戦争期あたりから弓矢や大砲技術が発達しすぎて、鎧の防御では間に合わなくなったためだ。彼らはぜいたくを美徳とした点において日本の「武士」とは違う。また、騎士は無学だった。文字が読める人間ほとんどいなかった。

十字軍」の疑問。なんで、400年以上も前から取られてたエルサレムをとつぜん取り返そうとしたのか。

→背景にはヨーロッパ全土へのキリスト今日のて。土着の神々をキリスト教の「聖者」として吸収(例えば、サンタクロース)。

十字軍の帰結。

→封建領主に対する王権の強化。代わりに法王権力は結局十字軍が失敗したことから凋落。

なぜその後イギリスフランスがまとまってきたのに、ドイツはままらなかったのか。

ドイツ皇帝海外侵略に熱心で、内政をおろそかにしていたから(特に地中海遠征。たとえばフリードリヒ一世(1152-90)のシチリア遠征)

2011-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20110204122233

問いの発し方が変


だって世界最強の男になることを諦めてるよね

NFLのNo.1QBになることも諦めてる

AKBオタク界のカリスマになることも諦めてるし

三味線人間国宝になるのも諦めてる

五体投地しながらエルサレムまで徒歩で旅することも諦めてるし

ラジオ体操皆勤も諦めてる

余さずリストに出来るか?こんなもん

2010-06-01

ガザ支援船団、イスラエルと対峙へ」

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2731691/5823544

の数日前の記事を訳してみた。英国新聞ガーディアンから。

http://www.guardian.co.uk/world/2010/may/25/gaza-flotilla-aid-attempt

ガザ支援船団、イスラエルと対峙へ

イスラエル、一万トンの支援物資と40を超える国々からの800人活動家政治家をのせた、8隻の船団を阻止すると言明

2010年5月25日エルサレム発 ハリエット=シャーウッド記者

・ 何千トンもの建材・医療器具その他の支援物資をのせた8隻の船は、数日後にガザへ出航するように準備している。パレスチナ地域の封鎖を破ろうとする船を阻止すると言明しているイスラエルと対峙することになるだろう。

・ 3隻の貨物船と5隻の旅客船は、キプロス島ガザ地区の間の公海で集合し、ガザ市へ向かう計画だ。イスラエル軍は船団を阻止し、イスラエルのアシュドッド港へ曳航すると予想されている。

・ トルコから3隻を含む船団のたちあげには、アンカラの支援を受けた人道支援グループ、IHHが関わっている。トルコイスラエル外交関係は、イスラエルが2008-09年の3週間戦争の火ぶたを切ってから悪化している。船団の阻止は両国間の緊張をいや増すだろう。トルコ首相エルドアンは船団を通すようイスラエルに呼びかけた。

・ イスラエル外務省広報官パーモアは「この件はイスラエルトルコ関係をさらに複雑化させるかもしれない」と語った。

・ 船団には、一万トンの貨物と、40を超える国々からの七百人から八百人の活動家政治家が乗っている。貨物は、建材・医療品・学校で使う紙を含む。歯科手術機器一式を積んだ船もある。ガザ子供たちへのクレヨンチョコレートも積まれている。それらは寄付で賄われた。

・ 船団をたちあげたフリーガザムーヴメントバーリンは、「私たちはガザ地区の封鎖を破り、百五十万のパレスチナ人を飢えさせる権利イスラエルにないことを世界に伝えようとしている。ガザの人々によるインフラ再建のため、死活的に重要な物資を運んでいるのだ。」と語った。

・ 約三年前にパレスチナイスラム主義運動ハマスガザを掌握してから、イスラエルガザ経済封鎖しつづけてきた。ほとんど全ての輸出入は禁止され、限られた食料と医薬品の持ち込みだけが許可されてきた。

・ フリー=ガザ過去6回パレスチナへの支援船団をたちあげた。ここ3回はイスラエル軍により阻止された。今回はガザへの支援を届ける最大の試行となる。バーリンは、「これまでの船団で異議申し立てをしてきた。今回のは現実的な効果をもたらすだろう。」と語った。

・ イスラエル海軍ガザ沿岸20海里を封鎖していて、現地の漁業に壊滅的な影響を与えている。パーモアは「船団がガザの水域に入ることは許されないだろう。そこはイスラエルとの戦争を宣言した国の領域で、規制されずにガザへの出入りはできない。」と語った。

・ バーリンイスラエルの脅しを糾弾した。「彼らはガザを占領していることを認めようとしないのだから、ガザ水域を規制する権利を持たない。私たちではなく、彼らの方が非合法なのだ。」一方、イスラエル国際法の枠内で行動していると主張する。

・ トルコフェリー、マーヴィーマルマラ号は今日アンタリヤに入港した。2隻の貨物船と一緒にギリシャからの船を待っている。「私たちは数日以内に集まって出航する。」IHHのホサインは語った。

・ ガザ国連機関の長ギングは、もっと多くの支援船の来航を催促した。「私たちはイスラエルがこれらの船を阻止しないと信じている。なぜなら海洋は自由だからだ。多くの人権団体が同じような段階を踏んで成功し、ガザの包囲を破ることが可能なことを明らかにしてきた。」

・ 今週初め、3週間の軍事紛争で生じたインフラ被害の4分の3が、封鎖のために修理されないでいるという国連報告書が出た。

・ イスラエル首相報道官レゲフは、「人権活動家人権を野蛮に抑圧している体制の弁明者として活動しているのは奇妙だ。ハマス女性ゲイクリスチャンを抑圧し、独立したメディアを潰し、全ての政治的反対派を破壊してきた。」と語った。彼は毎週一万五千トンの援助物資がガザに許されていると加えた。

・ 支援船団に抗議して、イスラエル市民の乗りこんだ何ダースもの船が週末の水域を占拠した。

・船

貨物船4隻

旅客船4隻

トルコギリシャアイルランドから

旅客・貨物

40を超える国々からの七百人から八百人の平和活動家議員

一万トンの物資(以下内訳)

セメント

発電機

浄水器

学校用20トンの紙

プレハブ小屋

CATスキャナ車イス松葉杖を含む百万ドル相当の医療機器

ドリルとイスを含む歯科手術機器

サッカーボールバスケットボールを含むスポーツ器具

クレヨンとペン

チョコレート

・資金

ブルネイの個人の1.39ドルからマレーシア募金された三十万ユーロまで含む寄付

2010-03-24

村上春樹独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」を読んで

ttp://d.hatena.ne.jp/fujipon/20090311#p1

人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。原理原則の命じるままに動くようになる。そのほうが楽だからです。迷うこともないし、傷つくこともなくなる。彼らは魂をシステムに委譲してしまうわけです。

2010-03-21

飽きない英語podcast、さらに2ヵ月後

飽きずに毎日何となく続けられる英語Podcastを、また色々と漁ってみた。前に書いたのから特に変化なければ内容省略してるのもある。

★=今回の新項目。

ずーっと飽きない、殿堂入り

NBC Today ←雰囲気が明るくて毎日いい感じの朝のニュース

CBS Evening News ←見ごたえに定評のある夜のニュース

New York TimesのWorld News ←数分の世界各地のドキュメンタリー。音声の異常な臨場感が抜群に素晴らしい。

Mr.Deity ←動画、週イチ。キリスト教の神が主役の知的シニカルショートコント面白いので初回まで遡って全部観た。

退屈ではない程度、一応レギュラー入り

CNN Larry King Podcast

ABC World News

The CNN Daily

AFN Europe Video Podcast

Onion News Network ←動画、週2。ガセネタ・バカニュース。本気の出し方を間違えてる。電車の中で;`;:゙;`(;゚;ж;゚; )の危険英語Lv.はけっこう高め。

★Stuff You Should Know ←「○○って何さ?どーなのさ?」を2人の男性の会話で概説してくれる。ファシズムって?臓器提供って?ミツバチって?など多方面の話題。リスナーのお便り紹介もあり。

時々内容によっては見る、補欠ぐらい

TIME Magazine Video Podcasts ←日替わりだが、インタビューイが「誰?」てのが多い。How they train(スポーツオフシーズン時の練習もの)が最近あまり無くて残念。

Monocle

Planet Japan Podcast ←月2、音声。男女がまったり世間話をしている。ネットニュースを見てる人にとっては特に珍しい話題は無い。

NewScientist ←月2、動画素人っぽいおねーちゃんが色んな方面の新技術を紹介する8分前後番組。物珍しくてよい。

飽きてきて見てないorすぐやめた

Slate V ←新作アメリカ映画情報を早く知りたい人にはいいだろうが…日本公開はまだ先だし…他の話題もマンネリ気味に。

Big Ideas ←話が1時間ぐらいと長いので集中力が持たなかった。

★TechCrunch ←SNSとかiPhoneとかtwitterとかそれ系の新しい話題メイン自分がそれ系に疎いのと、DJ♀の鼻にかかったセクシーボイスwに耐えられずギブ。

これから視聴してみる

Podcastの有名どころは白人様のご提供のが多いので、そうでないものも探してみた。

CNN-IBN's Podcast ←インド。毎日、音声。現地のだなぁ…という雰囲気。

★Whats' Up India? ←インド。毎日、音声。

★Al Jazeera Riz Khaj - Video ←アルジャジーラw 週1程度、動画中東からの視点ではどんなニュースやってるんだろーか?

Forbes.com: Notes On The News ←週1動画経済フォーブス記者さんのご意見

★Jpost.com-Middle East News ←エルサレムポスト。JはJapanじゃあない。毎日、音声。どっち寄りのメディアなのか知らないが…

英語勉強には第一選択ではないけど素敵なもの

H&M Fashion Video ←英会話はあまり無いけど、海外ファッションもので見てて絵的に楽しい

★The Washington Post Video Podcast ←言葉は無く、映像SEのみ。景色祭り、町の人々の様子などだが、毎回とても美しくて見ごたえある編集

NASACast ←月に数回、動画NASAですよこれは見るしかない。


なんかブクマしてくれてる人は沢山おられるようだが、その後、皆さんのPodcast視聴は続いてるんだろうか。

どれが気に入ったとか、新しくすげーの見つけたとか、そういう意見も聞きたいんだけど…

http://anond.hatelabo.jp/20091004151031

2009-07-14

新彊ウィグル自治区路地裏の真実

宮崎正弘トンデモ中国真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)

 

(拙著からウィグルの紀行部分のダイジェストです)

モスクに祈りの音楽が聞こえない

ウィグル自治区で殆どのモスクイスラム寺院)は静謐そのもの、宗教活動は地下へ潜ったと見られる。

新彊ウィグル自治区地理的にみると中国の西北に位置し、その面積は百六十四万六千八百キロメートル。じつに中国総面積の六分の一を占める。日本の総面積の四倍以上だ。

大半が砂漠である。だから中国は平気で核実験場としてきた。そのうえ新彊ウィグル自治区カザフスタンキルギスアフガニスタンパキスタンなどとの国境線だけでも五千七百キロに達する。

国境警備にも力点をおくわけだから長大な防衛戦において兵站の確保は並大抵ではなく、どこからでも駱駝は進入できる。ビンラディン一派に通じるイスラム原理主義過激派ゲリラ武器中国国内に運びこむのもさぞ容易なことだろう。

極めて厳しい自然環境乾燥した気候である。とても住み良い、暮らしやすいという環境ではない。砂漠では水の確保も簡単ではない。広大であっても貧しいこの地域におよそ千六百六十万人が住んでいる。そのうちウィグル族が約九百五十万人、言うまでもなく大半はイスラム教徒で、古くからマホメット信仰している。

漢族回教徒を目の敵としたのには歴史因縁がある。

中世から近世にかけて現在中国北西部を収めていた元は原住民イスラム信仰には介入しなかった。近代になっていまのカザフスタンから新彊ウィグルにかけて「東トルキスタン」が建国されると、復古を主張する地下運動が盛んになり、血の弾圧に屈しないばかりか、ますます闘志をかき立てて原住民漢族に立ち向かうようになった。

新彊ウィグル自治区の党書記・王楽泉(山東人)はすでに十年以上(駐 執筆時点。いま現在は17年)に亘って、この地域の党書記として君臨している。

あたかも欽差大臣のごとく居丈高に振る舞っているが、九八年九月二日の記者会見で!)宗教管理をさらに強める!)共産党員はイスラム寺院に行ってはならない!)女性が顔を隠すのを禁止する!)ウィグル青年が長期不在となれば「過激分子」とみなし「宗教の自由」を剥奪する、などと時代錯誤の対策を語った。

 

ウルムチへ入った。ウルムチ市内には西安チチハルの清真寺のように迷路の奥の路地裏の、さらに裏にこじんまりと立つ小規模なモスクもあれば、福建省泉州のように街の真ん中に公園化した瀟洒なモスク漢字で「清真寺」を一般的に充てるが、泉州だけは「清浄寺」という)もある。道路沿いに多くの信者が住んでいるが、各地で表向きの信仰生活がみられない。公安の警戒を懼れ、モスク信者がちかつかないのだ。

冷戦終了直後に旧ソ連領のカザフスタンウズベキスタンタジキスタンを歩いた経験があるが、随所で早朝から大きなスピーカーで「アッラーアクバール」とコーランが流れているのを聴いた。

ホテルでこの聖なる音に目覚め、やおら窓を開けると、♪アラーは偉大なり♪

イスラム圏のまっただ中にいるという旅情がわき上がってきた。バグダットでもイスタンブールでも、エルサレムアラブ街でもサマルカンドやタシュケントでも同じ情景があり、必ずそこに宗教音楽が付帯した。

しかし中国は違っていた。宗教音楽はおろか公然とした祈りさえないではないか。

▲ウルムチは「砂漠チャイナタウン

一方でアルカィーダ秘密基地に「東トルキスタン独立」を掲げたイスラム原理主義過激派が訓練を受けていた。

寧夏回族自治省のみならず新彊ウィグル自治区トルコ系住民のなかにイスラム原理主義が拡大している事態の到来は、五輪をひかえた北京中央にとっては鮮明なる脅威という認識である。

北京は「9・11事件」の事後処理に便乗し、ウィグル独立運動を「テロリスト」とそそくさと規定した。そのうえで米国に圧力をかけ、容赦ない弾圧を新彊ウィグル自治区で強化した。911テロ以降も一万人もの「テロリスト容疑者」を拘束、一部を拷問にかけた。

イスラムの動きに鈍感で敵対心を潜在意識に潜ませる欧米諸国は、ウィグルに関してはチベットに寄せる同情心と較べるとやや薄い。まして米国は02年八月にアーミテージ国務副長官を訪中させた際に「ウィグル独立運動」を中国が要求するまま「テロリスト」に認定し直した。イラク包囲網を実行し国連で武力容認決議を急ぐあまり米国拙速にも北京と妥協したのだ。

 (中略)

村全体がウィグル人だったりする農村では、当たり前のようにモスクに集う人々の姿がある。また西安のような大都会でも、中心部のイスラム寺院「清真寺」には人々の礼拝が絶えない。モスク近くでコーランテープCDを買おうと尋ねてみるが、一枚もない。一軒だけコーランの経文を売る店がトルファンにあったが。。。

あまりの弾圧ぶりに、宗教活動は地下に潜ったのだ。年齢によって差はあるが、人々の服装を見ても若者の一部はイスラム帽もかぶらず、ピアス茶髪ショートパンツが珍しくない。ウルムチにさえディスコカラオケがあって暴走族がいる。カザフ・カラーという独特の模様の民族衣装はかろうじて残るが、TVと新聞北京に握られている以上、イスラムの主張は宥和的、微温的にならざるを得ないようだ。

ウィグル族の首都であるにもかかわらず、ウルムチには圧倒的に漢族が多い。動物園にはパンダ市民公園遊園地漢族家族連れが目立った。いまやウルムチは「ウィグルチャイナタウン」ではないか。

街の看板漢字アラビア文字が併記されている。ところが目立つのはカラオケ、瀟洒なビジネスビル大通りに溢れるのはトヨタ日産ホンダの車である。

服装もあか抜けしたデザインが主流で、ウィグルカラー民族衣装を着た人は少数派になりつつある。自転車が道に溢れ、商店の物売りたちの活気ある呼び声。バザールの喧騒。中国全土のどの都会にも見られる風景で、設計思想は似通っている。

最近のおびただしい漢族の入植は、この地にも工業化をもたらし、経済的な発展を遂げた。生活が少しでも豊かになれば物質的な欲望が果てもなく拡大するのは致し方のないものであろう。

都会のウィグル人の若者は懸命に北京語を学んでいる。言葉ができないと官として出世は望めず、給料も上がらないからだ。

中国沿岸部の人たちは競って英語日本語を習得し、外資系企業に勤め、うまくすれば外国人の伴侶を見つけて外国籍をとりたいと考えているようにムスリムのあいだにも漢族と同化し暮らしを豊かにしたいと考える若い世代が増えている。むろん村の古老たちはこうした現象を苦々しく見ている。

~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~

仏教遺跡はすべて破壊された

「交河古城」は岩の大地を上から発掘して造った、世界でも珍しい彫刻都市である。

南北一キロ、東西が三百五十メートルの大地の真ん中を道路が貫いている。寺院仏塔、住居跡が掘り起こされていて壮観であるが、どんな理由があってこんな苦労をして大地の中に都市を閉じこめようとしたのか。異民族の進入を防ぐための秘密都市だったのだろうか。

交河古城はそうした思惑の通りには行かず、漢族に滅ぼされ、城は徹底的に破壊され、新たに建てられた高昌城にとってかわられた。その高昌城とて後年には唐の大軍隊が侵略してきて滅ぼされた。数千年の間、仏教イスラムの苛烈な戦いが繰り返された新彊ウィグル各地の仏教遺跡には、一つとして満足な仏画仏像がない。偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒の手によってことごとく破壊されたからである。

嘗てタリバン支配下のアフガニスタンではヘラートに近いバーミャン石仏イスラム原理主義過激派らはミサイル破壊した。「世界遺産」であれ、なんであれ狂信的教徒は他宗派を認めない。それは共産主義も同様である。

南に天山山脈を挟むクチャ、カシュガルともなるとイスラム教俄然、強い色彩を帯びる。カシュガルのエティカルモスク中国イスラム教徒メッカだ。ここに巡礼を果たしたイスラム教徒は仲間の尊崇を集めるという。 

現代の宗教の一つである共産主義は他の宗教指導者逮捕し、拷問にかけ、北京に刃向かうと見れば次々と処刑した。モスクを物置にされたイスラム教徒怨念はなまなかなものではなかろう。

血の弾圧を受けた新彊ウィグルの民は、チベットと同様にイスラム教への信仰をひたすら内面に押し込めた。その分、人々は心の中に蓄積された漢民族に対するルサンチマンを歪んだ形で膨らませだ。歴史的に蓄積されたこの反漢感情のエネルギーに火がつけば予想外の炎となって燃え広がるのは明らかである。

イスラム歴史と文化は漢民族に蹂躙され、独自の文明形骸化した。イスラム教は地下に息を潜めている。したがってもしイランホメイニ師のごとく強靱な精神指導者が現れたなら、かつてシャーを打倒したイラン革命のように漢族に対する一斉蜂起が起こるだろう。

 

拙著トンデモ中国 真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)からウィグル箇所をダイジェストしました。同書は全33省を寄稿した、おそらく日本で唯一の本です。アマゾン ↓)

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2009-07-03

イスラエル海軍潜水艦紅海

イラン混乱は絶妙のタイミング、何かがおこる前触れ?

エルサレムポスト』(7月2日)はイスラエル海軍ドルフィン潜水艦が、スエズ運河を通過中と伝えた。

西側軍事観測筋は緊張とともに、このイスラエルの軍事行動を見守っている。

イスラエル潜水艦スエズ運河を通過するのは、エジプトサウジを通過すると同義語であり、極めて難しい、というより面妖。その先は多国籍海軍が警戒するソマリアアデン海だ。

おりからイラン政治混乱の極。

なにかの前触れか? ドルフィン潜水艦核兵器搭載ミサイルの発射が可能と同エルサレムポストが書いている。

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