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2024-05-08

anond:20240506080216

キリスト教は、三位一体説を採り、父(神)と子(イエスキリスト)と精霊は違うペルソナだが同一の実体としています

これらはみんな同じで、キリストは神(と同一の実体

これは散々議論があって、キリスト人間じゃねーか、と主張したアリウス派ネストリウス派その他多数などは異端とされました。

ニケーア公会議エフェソス公会議などでそうなったんです。

たぶん浸透には時間がかかったかもしれませんが。

イスラム教は、キリスト預言者の一人で人間であって神じゃないっていう立場なので、キリスト教から見れば異端であってます

2024-04-14

anond:20240413110732

新約聖書読むとイエスと神は別な存在だとしないと意味がわからない箇所あるんだよな。アリウス派異端扱いされたのがよくわからない。

イスラム教ではイエス預言者扱い。

2021-07-27

anond:20210727215737

マジでミスった。モルモン教徒に「へー、オタクの教派はー」みたいに攻めたら、「その問題はこうやって解決した」って感じで返されて、本当に窮した。統一教会のレン中にチャレンジしたら、未だに旧ロゴのレン中が対応してくれて、なんか韓国の連中の劣化している愚痴聞かされた。エホバの連中は「輸血問題」で闘おうとしたら、「私はするよ?」と返されて、逃げてきた。なんか知らないババーが「キリストの愛を信じるか?」と言うもんだからアタナシウス派アリウス派三位一体齟齬」をついたら、俺以上の知識で返されて、危うく「全く知らない新興キリスト教」に入信しそうになった。コエーよ。

2011-02-13

鯖田 豊之 ヨーロッパ中世世界歴史9) 河出書房

ヨーロッパ中世とはどんな時代だったのかを、独自性と一般性を交えて、絶妙なバランスでまとめている。

本書の主要な記述の中で、特に気になったところだけ簡単にメモ

封建制度が成立するまで

ローマ帝国崩壊後、ゲルマンによるヨーロッパ治世は次々に短命に終わった。(東ゴート、フランク、西ゴート、ヴァンダル王国)。背景にはゲルマン信仰するアリウス派ローマ人が信仰するカトリックという宗教面の対立があった。上手く国がまとまらいままに、9世紀頃からノルマン人の侵入が始まる→略奪による領土の荒廃→国防は機能せず、地場権力者が城壁を作ってごく小さなテリトリーの防衛を行う→そこを中心に農民があつまり、商人があつまり、騎士が集まる。自治の中心が地場の領主にシフト国王形骸化)。

日本封建制欧米封建制と、一口に言っても違う。

ヨーロッパ騎士ドライ権力関係で主君とつながる。日本武士は忠義で主君に仕える。従って「二君に仕えず」が絶対だった日本とちがって、ヨーロッパは一人の騎士が複数の主君と契約を交わすのはざらだった。戦争の時でも、ヨーロッパ騎士は「●日間まで出陣する」と契約書に書いていれば、たとえ戦闘継続していても、途中で帰ってしまった。

ローマ貨幣制度ラテン語は残った。

地中海商業破壊されずに維持された。一方で、話し言葉としてのラテン語は、人々にリテラシーを身につけるボトルネックとなった。


国王」と「皇帝」の違い。

皇帝の方が一段上。皇帝キリスト教の神に認められた支配者。


騎士道」の盛衰

封建制の発達とともに、先頭の仕事が少なくなった兵士たちの間に生まれた。騎士時代遅れになるのは、1400年頃の100年戦争期あたりから弓矢や大砲技術が発達しすぎて、鎧の防御では間に合わなくなったためだ。彼らはぜいたくを美徳とした点において日本の「武士」とは違う。また、騎士は無学だった。文字が読める人間ほとんどいなかった。

十字軍」の疑問。なんで、400年以上も前から取られてたエルサレムをとつぜん取り返そうとしたのか。

→背景にはヨーロッパ全土へのキリスト今日のて。土着の神々をキリスト教の「聖者」として吸収(例えば、サンタクロース)。

十字軍の帰結。

→封建領主に対する王権の強化。代わりに法王権力は結局十字軍が失敗したことから凋落。

なぜその後イギリスフランスがまとまってきたのに、ドイツはままらなかったのか。

ドイツ皇帝海外侵略に熱心で、内政をおろそかにしていたから(特に地中海遠征。たとえばフリードリヒ一世(1152-90)のシチリア遠征)

 
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