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2007-10-04

本当に豊かな「目標」は、想像できない。

http://anond.hatelabo.jp/20071004000332

今年の春休み中東貧乏旅行してきた。

最初の2、3日はまだ旅に慣れなくて楽しめなかった。

次の5日間は旅に慣れてすごく楽しくなる。

そして最後の3日間は早く日本に帰りたくなる。

旅の最初の頃は

「広大な土地の上を俺は実際に移動しているんだ!」

ってリアルな実感が沸いて来て、すごく刺激的だったけど

目的地に到着

観光

安宿に泊まってる日本人から情報を集める、次の目的地を決める

移動手段を確保する(ビザ等)

流れてゆく景色を見ながら移動

次の目的地に到着

というプロセスに慣れるに従って

そのワークフローがとても単調な流れ作業ののように思えてきた。

エルサレムで嘆きの壁に触れた瞬間は

本当に表現しようの無い感情が腹の底から沸きあがって来たし

現地で知り合ったバックパッカーと共にする旅は本当に楽しかった。

でもそれは一時的な現実逃避

人生の長いスパンにおいては例外的な出来事のように感じていた。

アラブ人は確かにその場所で生活していて

そこには確かにアラブ人にとってのリアルが在る。

でも僕はただそのうわべをなぞってゆくだけの旅行者に過ぎない。

僕はその場に存在しながら、その場には実存していない。

そして旅を続けるにつれ、

僕自身のリアルは、確かに日本東京存在しているんだという

確信めいた実感が浮かび上がってきた。

もしかすると、いつかそのうち

海外での仕事なり何なりを持つことになるかもしれないし、

それとは反対に、国外には決定的に関わりを持ちようがない僕自身のリアルを形成するかもしれない。

それはまだわからない。

でもその時にが来るのを待たなければ

大学生の頃はただうわべをなぞってゆくだけしかなかった異国のリアル

自分自身のリアル接続されるかどうかの結論は出ない。

いくら海外旅行してたって、旅行者という枠を壊せないと感じた。

だから、貧乏旅行で旅した異国よりも

東京で日々課題をこなしている今のこの現実を続けていく方が、

この場所から9000キロ隔てた中東で生活しているアラブ人リアルに近づいてゆくことになると思った。

二つのリアルはいつか交わるかもしれないし、交わらないかもしれない。

だから、それまでは自分自身のリアルに取り組むしか無いし、そこには明確な最終地点もまだ存在しない。

現時点での未熟な俺の脳みそが、現時点での未熟な「目標」を捏造することによって、未だ想像もできないような最終地点の可能性を制約してしまうことはとてもつまらないことだと思う。

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