はてなキーワード: イコールとは
またDQXから入ってきた人が国産JRPG感覚でMMOやってんなと思ってしまったので
FF14のバトルコンテンツとそれに挑む戦闘関係の予備知識書き殴ることにした
https://gist.github.com/mizchi/77182cd8e0e9ffe6b2959d3ddb58de87
大前提として各種のアクションや特性の説明をお読みにならず謎のスキル回しをしてみたり、味方の逃げ道や敵を殴る場所を潰すプレイヤーがこのタイトルには大量にいる。
突入制限がILくらいしか無いせいなのか、突入できたらクリアできて当たり前であり、そこまで付き合うのは先駆者の当然の努めだとデカい声も慢性的にある。
高難易度と区分されるものに限らず、要所を外すと連鎖的にその後破綻する要素が存在する行き先が結構あり、また「今後それを基礎知識として下敷きにする」事を求められる側面がある。
目下わかりやすいのは相手の詠唱が終わるまでに規定量のダメージを出せ、というダメージチェック要素。
基礎性能が改められようが装備が強かろうが人間の操作が乗算要素なのでシステムを理解し対応しない人間は率直にダメージが出せない。
ダメージディーラー等と言われる火力職は仕事が火力を出すことなのでタンクやヒーラーの倍程度は「出すことができるはず」だが、先述の人種はそれら未満ということがままある。
例えば近接職は123(12)コンボを淡々と刻んでいるだけでタンクやヒーラーとは明らかに違う数字が出るはずだが、1ばかり叩き続けた猫パンチモンクなる世界最低火力の人間が己を知らぬまま現役の高難易度コンテンツに混在し大変可哀想な事になったりした。
冒頭またDQXと軽率にDisったのは主にここの話で一応MMORPGというジャンルでして、PC版がベースにあってどう頑張ってもPS版はPC版をPSでなんとか遊ばせてもらっている範疇を越えない。
このジャンルはキーコンフィグからUIレイアウト、タイトルによってはBGMや低負荷モードとのスイッチング等まで自分でいじれるのでいじってくれ。
繰り返すが初期UIレイアウトはクソなのでまずは自分が見やすいと思う様にさくっと整理し、その後自分の習熟やメインに据えるジョブによって都度弄り続けていくものなのでまずそういう概念を持ってほしい。
視野が広い狭いなどの人間性能を問う前に弄れるもの先にいじってから人間性能のせいにしてくれ。お前そのホットバーガン見してないとスキル回せないのそもそも本番くる段階にねえからよ。
そしてそれを教えないで貴方はそれでいいんだよそれが普通だよと言ってるクソ共は引退してほしい。
UIが固定やごく狭い選択肢から選ぶだけの事が多いコンシューマとの絶対的な違いで、ここを履き違えるとバトルコンテンツはほぼ不幸が約束されるがまともな導線が無い。
マッチング促進の為にグループ分けされたルーレットマッチングがあり、ごく一部除外されたもの以外は自分の開放済みのどこかに当たるシステムがある。
これには1回/日ちょっとした報酬が設定されていて「突入したら15分20分で片付く」日課の一つくらいの認識の人が多い。
未踏や周回の浅い後発、先述の声がデカい人が合体事故を起こすのもこのシステムだ。
他に実績報酬や自己満足などの目的でグループ分けすら無い闇鍋マッチングにエントリーするメンターという属性を持った人もここに加わる。
ちょっとクセがあり、特定の要素をこなせない限りクリアできない行き先に当たると
日課をやっているつもりの先駆者からすると日課が破綻する。実際にストレスを覚えるようだ。もう行き先が分かった段階で面倒・無理という気持ちが出るが、コミュニケーション問題として別で扱う。
未踏者は大体死ぬが他者に手厚いケアをされている事がままあり、下手に認識できてしまっていると「自分はこんなにしてもらっているのに出来ない」と自己強迫要素が生まれるらしい。
元記事の様に寝ている間に終わってしまう事に謎の凹みを認識するものも多く、さりとて「じゃあ君が落ちたせいで破綻して全滅リスタートすればよかったですか?」とはならない。
それら諸々新規ならではのまとまらない感情の動きを声のデカい奴が概ね台無しにしていく。
過剰ILによって装備性能が行き先ごとにほぼ上限値であることや、各種アクションの基本性能が当時のそれから見て大分底上げされている関係で適切に近い立ち回りをすると型落ちコンテンツではロールが破綻する為、最新拡張まで8年分のコンテンツを消化して尚基本のきすら無いプレイヤーが大量にいるのを思えば大分マシでありがとう
人的背景がこれくらいなければそういう方向に視野が向かないのは明らかに開発の怠慢だね、と再確認できた。ユーザーコミュニティ丸投げの現実を再認識できたので感謝する。
それはそうと元記事の人はそういう体験ができてよかったですね、と置いておくが
下限コンテンツクリアをしたから当時と同じ経験ができるわけじゃないことは無限に言っておきたい。
本人はわからないかもしれないが最大7人にあらゆる先行者としてのバフ(累積した知見)が乗っているし、基本アクション類は度々強化されまくっているし、もはや整理されて存在しないアクションが多々ある。TPというもう一つのリソースもかつて存在していた、MPは今のような割合性ではなく回復量にシビアなステータス選択が必要だったり、タンクやヒーラーは防御回復と攻撃時にモード切り替えをしていました。今は全て存在しません。
更に言えば実装当時未実装だったジョブは概ねバカみたいな性能を有しているので、後発ジョブを入れれば入れる程ヌルくなる。
新しい経験をしたことと、旧き人の当時の体験を追体験することは決してイコールではないという話は極論すると
型落ちする前は最先端だったのでそれはもう最先端コンテンツに行く覚悟のある人がわちゃわちゃしていたんですよ、という話を避けては通れないのでそれをどう伝えるかはよく悩む。
後進の人々には遊びやすくなった今を遊んでもらえればいいのだけど、なぜだか「追いつきたい」を越えて「同じ目線に立ちたい」を抱くよね。それ呪いだし絶対に成立しないから病みますよ。
漆黒のヴィランズが好評だったのはこれまで重ねてきたFF14の歴史(政治や戦争を嫌う傾向、その割に勧善懲悪が好き、なんだかんだ自分が主役でいたい人たちには不評な2年だった紅蓮)とナンバリングFFが不甲斐ない中で14はFFを背負えるのでは?という評価に向かっていったからだと思っているので、漆黒から入ってきて無限に見た「漆黒が面白いと聞いたのではやく漆黒をやらせろ」という人たちはもうスタート地点から違うモノだという認識をずっと持っている。
今では暁月のフィナーレが総括だと言われるようになったが、総括は漆黒で暁月は次に向かうためのスタートで総括ではないかと今も思っている。6.0は広げてなかった部分まできれいに畳もうと躍起になった割に泣きの延期をしてみたり、言ってる事とやってる事の食い違いが要所にありすぎる。インゲームだけを見て吉田直樹の話を聞いて納得感得られれば幸せなのかもしれない、と思っているので今後も抱えていくと思う。
日頃からゲーム体験がどうしたこうしたと言い続けていたし、今も掲げられていると認識しますが2年程前に漆黒のID道中ボスBGMをバンドアレンジに一括変更した理由そろそろ説明あってもいいんじゃないですか。
71IDの最後のボスでようやく初対面するはずの楽曲のアレンジを道中から流される事はゲーム体験の毀損には当たらないんですか。
なんだよこれまでそんな審査なかっただろ!めんどくさいな!
ウラジミールと同じ夢をまだ諦めてない独裁カルト政党 これはひどい 自民党
“人種差別教育や多様性教育、ジェンダー教育”を抑圧したい日本のポモとオタクとミソジニーにとってはえらく都合のいい本だなこれ。山形はさすがにそれに気づいてて釘を刺したか。
公正と中立の区別がつかずに沖縄二紙を叩く人たち、端的に民主主義政治の有権者としては努力不足勉強不足なので、反省してくださいね。
サヨクなら親や家族を侮辱されても高笑いするウヨくんたちが「国を守ることイコール家族を守ること」とか勇ましいこと言っても、もう今後説得力ゼロだよね
https://togetter.com/li/1971879
ホットエントリーでタイトル見て戦前生まれで長生きしていた作家でぱっと思い付いたのが
・武者小路実篤(同90歳)
・里見弴(同94歳)
の白樺派の3人だったんだよね。白樺派って学習院関係者、イコールお坊ちゃん育ち。
彼らは幼少期からちゃんと栄養のある食事をしていて、病気をしても医者にすぐかかって治療が出来て、つまり身体の基礎が出来てるから長生き出来たんじゃないかなあ。
https://anond.hatelabo.jp/20221111230201
この増田を見ても分かる様に女性の大半――は言い過ぎだが、半数程度の割合の女性は、
口では否定しつつも本質的には「強くて有害なオス」を求めているのである。
勿論そこには日頃から女性の権利を主張しているフェミニストも含まれている。
有害性とは言葉を言い換えれば男としての、いや人間としての強さである。
相手を殴る能力、殴る相手を選べる判断力、強引にでもアプローチを出来るしトライアンドエラーも可能な行動力、異性を口説き食い漁れる魅力など
「男の有害性」として否定されがちな性質は女性が求めるオスの「男らしさ」と親和性が高い。
もっとも「ただしイケメン(少なくともフツメンレベル)に限る」、という条件がつくが。
現代の一般男性の大半(オタク・弱者男性含む)は、個人差あれどフェミニズムを標準でインストールしており、「女性には優しく」という社会的規範がある。
しかし一方で女性の半数以上は「女性には優しく」という社会的規範に反する「有害な男らしさ」を求めている。
つまりは女性特有のダブスタだ。「有害な女性性」「メスさん仕草」とも言える。
海外だと一般的に「男の有害性」が高い人間と付き合うのは身の危険とイコールであるが、日本ではせいぜいDVされるか浮気される程度だろう。
日本の女性の半数以上は、日本社会というパパに甘える幼稚な構図から抜け出せない大人子供(アダルト・チルドレン)なのかもしれない。
ああなるほど…。
どこをどう読解したらこのやりとり中に出てくる「本題」という単語を「大元の増田」とイコールにできるのだろう。
近年において最もホットなウェブ漫画の一つに数えられてもいい『ニセモノの錬金術師』が、はてなではあまり語られていない。満を持して増田で一本書いてみたいと思う。
『ニセモノの錬金術師』は、2020年から現在に至るまで連載されている、杉浦次郎氏によるウェブ漫画である。
ジャンルはいわゆる異世界転生モノだが、既存作品とは明らかに方向性を異にしており、その方向性とは作者特有とも言える人間の精神性を執拗に描写していくスタイルだ。
人を愛すること、人を呪うこと――主にその二つを軸に世界観が構築されており、そのような精神性は主に「呪術」という作中独自の技術体系によって表現されている。世界は愛と呪いに満ちている――それが恐らくは、この『ニセモノの錬金術師』を語る上での基本的な世界観であろう。
主人公は、かつて地球にて生を送っていたサコガシラという名前の男性である。ある日交通事故に遭い、異世界へと転生させられる。
その際に神的存在によって高度な錬金術とも呼べる能力を与えられ、その能力によって彼は錬金術師として様々な困難を潜り抜けていく。そんな中、気まぐれに立ち寄った奴隷商人の店内にて、彼は一人の女奴隷と出会う。
あらすじだけを見れば、既存の異世界転生系作品との差別化が不十分であるとも取られかねないと思う。とは言え、読めば分かるのだが、本作は既存の同ジャンル作品とは全くもって方向性を異にする作品である。現状では全話無料で読むことが可能なので、是非ともその目で最終的な評価を行ってほしい。
以下、この『ニセモノの錬金術師』について、個人的に魅力的だと思っている箇所を列挙していく。
本作で描かれる『呪い』の描写は極めて綿密であり、作者の思想や、また恐らくは人生経験が濃密に反映されている。この『呪い』を巡る描写において、個人的に特に感銘を受けたのは、節タイトルの「呪い」についての描写である。
主人公に奴隷として購入された異国の少女ノラは、かつて優秀な呪術師の父によって呪術の手解きを受けており、あるとき彼女と同じく奴隷商の商品であったエルフの女性、ココにかけられた膨大な呪いの存在を察知する。ココは四肢を切断されており、また目と鼓膜と発声器官を念入りに損傷させられているため周囲の人々とのコミュニケーションを取ることができず、長い間その致死的な呪いの存在に周囲の人間は気付くことができなかったのである。
ノラはサコガシラ邸にてその呪いの分析を行う。自らココにかけられた呪いの一端を体験しつつ、その呪いの根本的命題へと深く探訪するのである。最終的にノラは、ココにかけられた呪いが、ココを呪った何者かによるあまりにも深い慈愛からやってくるものであることを悟る。ココにかけられた呪いの奥深くに潜んでいた根本的命題とは、「自らの愚かさに嘆き ただ苦しみ 痛み 辱められ 毎日に怯え震えて 生きることを命じる」という陰惨なものであった。しかし、同時にその呪いには深い慈愛の影があったのである。ノラはその事実に深く混乱すると同時に、自らが学んだ呪術という技術体系に対する深い侮辱の念を覚える。そして、その何者かに対しての憎悪を露わにするのだ。
呪いというものは誰しもの心に自然に生まれるもので、それは人間の心にとってひどく自然な営みであると、作中では語られる。誰かを呪う気持ちなくして人間は生きることなどできないのである。その、人間にとって自然な感情をコントロールし、時に人間の営為に役立てるために生み出されたのが、作中における呪術という技術体系なのだ。少女ノラは、その技術に深い愛着を持っていた。それ故に、ノラはココの『呪われ方』――深い慈愛と共に、おぞましいほどにまで対象を呪い抜く偏執性――に歪つさを見て取ると同時に、反発を覚えるのである。
作中で最初に重度の呪いが描かれるのが、節タイトルのシーンであり、私はこの呪いのシーンが好きだ。呪いとは、自然な心の働きであり、それは愛することと同様に人間と切り離すことのできない営みなのである――だからこそ、ノラはその営みに深い拘りを持っており、その拘りが示されるこのシーンは作中全体における、『呪術』に関するハイライトとなっているのだ。このような、ノラが持つ『呪い』に対する自然な拘りは、ある意味では作者が抱える『呪い』に対する拘りと鏡映しの関係になっている。作中の様々なシーンから、作者の『呪い』に対する拘りの深さ、あるいは、含蓄の深さを覗くことができる。
この一節は、ノラの父によってノラに対して語られる、言わば呪術の基本のキに当たる基礎的な方法論である。禁忌を破ることと呪いを受けることはイコールの関係になっており、時に呪術師はその呪いを強めたり、あるいは和らげもするのだ。
呪術は度し難い技術である。しかし同時に、呪術とは人間の心に自然と生じる、深い憎悪を鎮めるための技術でもあり、その背反性が作中では極めて自然に溶け合っている。
本作の主人公サコガシラは自己評価が極めて低く、自身の命を極端に軽視するという傾向を持っている。これは、サコガシラに自傷的傾向があるという意味ではない。純粋に自尊心が低すぎ、また、自己評価が極めて低すぎるがために、自分の命を消費可能な手段であるとしか認識できなくなっているのである。
そのため、困難に出会い身近な人間が脅威に晒された際には、その救済のために自己犠牲を必ずといっていいほど為そうとするのである。誰かを救うための選択肢が幾つかあるとして、その第三候補くらいまでに必ず一つは、「自らの命を犠牲にして――」という選択肢が生じてしまう、そんな人物が本作の主人公である。普段の生活において全くその傾向をおくびに出すこともなく、またサコガシラ本人さえ無自覚であるものの、その傾向は歴然としており、基本的に彼は自分の命に価値があると思っていない。卑屈になっているわけではなく、自分の命に価値を見出すことが、どうしてもできないだけなのである。そのような歪つさを彼の周囲は彼との交流の中で少しずつ認識していくのだが、その危うさにむしろ惹きつけられていく。
また、彼の心理の内奥にあるものが作中で示されるのだが、それはあまりにも深い『好奇心』であると本編で語られている。サコガシラは、目の前にいる人物がどんな悪人であれ、どんなに救いようのない人物であれ、その人物に何らかの『可能性』を認める限りで、その人物に対して強い興味――『好奇心』を持ってしまうという、彼自身にさえコントロール不可能な強い傾向を持っている。恐らく、このような他者に対する強い傾向は、上記の自分自身の価値を軽視する傾向と深く関わっているように思われる。
このような歪つさと純粋さが深く絡まりあったキャラクターは、主人公に限っての話ではなく作中に数多存在している。
歪んでいると同時に純粋であれ――その、作者によるキャラクター造形の原理が、この主人公の特徴からはっきりと伺えるのである。
主人公サコガシラの前には様々な敵が現れる。彼らは決まって忌まわしき存在であり、主人公の大切な存在を常に貶めようとするか、奪おうとするか、あるいはそれらの両方を為そうとするおぞましい存在である。とは言え、それにも関わらずニセモノの錬金術師において現れる敵はとても魅力的に描かれている。
ネタバレになるので詳しくは書かないが、彼らは必ず深く歪んでいて、そしておぞましいほどに純粋なのである。その純粋さが彼ら独自の正義を追求していく過程で、彼らは度し難いほどに他害的な傾向を持つことになる――そのような背反性は往年のライトノベル『ブギーポップシリーズ』にも見て取れる傾向であると感じられる。
それはともかくとして、主人公の周囲に集まってくる純粋に善なる人々とは対照的に、それらの人々に対する悪の存在は純粋で危ういものとして描かれる。その、悪役における人間性の絶妙な機微が本作における重要な魅力の一つになっていることは、論を待たないであろうと思われる。
以上、ひとまず思いつく限りで『ニセモノの錬金術師』の魅力について書き散らしてみた。
amazon(kindle)、ニコニコ静画、pixivといったウエブサイトにて、本作は現在無料で閲覧することができる。杉浦次郎氏の描く深く純粋で歪んだ世界観に、是非とも耽溺してほしいと思う。
ああなるほど…。
どこをどう読解したらこのやりとり中に出てくる「本題」という単語を「大元の増田」とイコールにできるのだろう。
zyzy ガラスにスープかけたら暴力という観点でいけば、エロ漫画を描くのもレイプによるテロ犯という理屈を受け入れないといけないし、エロ漫画家は全員テロリストになる。表現による活動が現実の暴力とイコールか問題。 考え方
車椅子ユーザーの言う「歩ける人は階段使って」なる暴論を、支持している人の多さにびっくりだ。主張している人が可愛い女の子だからか?
これって我が儘とかそういうレベルではなく、もはやいじめに等しいと思うんだけど…?
何故ならば、「歩ける」という言葉は「階段が上れる」という意味を当然には内包していないからだ。平らな場所を歩く分には全く問題がなくとも、階段を上るのは体力的にきつい人も世の中には大勢いるからだ。歩けると階段に上れるはイコールではない。何故「階段使える人は階段使って」としなかった?
歩くのと階段を上るのでは身体にかかる負担が全然違うよ。その証拠に踏み台昇降が体力テストに使われてたりする訳だし。個人が健康のためになるべく階段を使うようにするのは良い事だと思うけれど、他人がそれを強要しちゃ駄目でしょ
「歩ける人は階段使って」って、「歩ける人は泳いで」くらいに無理難題の押し付けだと思うんだけど、疑問に思わない人が多いのが不思議…。みんなそんなに体力有り余ってんの?
ていうか自分はエレベーターって滅多に使わないし、「歩ける人」がエレベーターを使うのって普通は階段だったら疲れて無理なような高い階だと思うので
自分の場合デパートの6、7階までなら、使うとしてもエスカレーターだよ…エレベーターなんて使うのは大体8階以上だよ…その高さを階段はきついよ…
何故普通に「階段かエスカレーターを使って」と言わず、わざわざ体力の要る階段に限定するのか。それを支持する人達がいるのか。違和感しかない。
「女性が活躍する新進企業」のイメージに惹かれ、実際に女性管理職も多く
説明会でのキャリアパスもしっかり説明され、理念に惹かれたからだ。
その企業の社員としてSNSで活動している方も複数おり、いずれもフェミニズムとの親和性が高く
今よりはフェミニスト寄りだった私は、従来の社会のあり方に辟易していたのもあり、
多少条件下がるのは覚悟で応募。
ここまでは良かった。本当に嬉しかった。
転職(予定)先からは月の初めに内定通知のメールを貰い、その数日後「本当は来週か再来週から勤務をスタートして欲しかったが、
中途だし『特別に』月末に現在の勤務先を退職して、翌月から勤務して欲しい」という連絡を受けた。
自分で言うのもアレだが、当時いた会社ではそこそこのポジションにいた事もあり、引き継ぎは一ヶ月フルでやっても相当厳しいスケジュール。
しかも週1~2程度は、会社の仕事の流れを覚えて貰いたいのもあって、フルで出社して欲しいとも言う。
この時点で「何か違う」と気づいて辞退すれば良かったのだが、憧れの会社に転職が決まったのもあって、了承してしまったのが運の尽き。
元会社に月末で退職の意向を伝え、当然慰留のお願いを何度もされたが「転職先も決まっているので…」で押し通し、渋々了承された。
自分で言うのもアレだが、当時いた会社ではそこそこのポジションにいた事もあり、引き継ぎをしないと後に残る会社の人達に多大な迷惑がかかる
という事情もあり、更には転職先にも行かなければいけない事もあり、残った有給消化など出来る訳も無く、急ピッチで引き継ぎを進めた。
急な話だったので当然他社員には色々迷惑や負担をかける事になり、針の筵状態だったが、頑張ってこなす事にした。
当然残業は夜中や深夜まで及び、それでも終わらないので土日も出社して一人で作業していた。
自分で言うのもアレだが、当時いた会社ではそこそこのポジションにいた事もあり、クライアントをどう振り分けるか
今抱えている案件をどう処理するか(私か上司ぐらいしか処理出来るポジションがいなかった案件も多数あった)というのもあり
そんな最中、転職先に赴いてOJTを受けていると、あるポジションの女性に声をかけられた。
「どうしてあなたは疲れた顔をしているのか」「仕事が合わないと感じているのか?」と。
単純に元会社の仕事で疲弊したいただけだし、「引き継ぎ作業が色々あって少し疲れているだけです」という回答をした。
女性はフン、って感じで立ち去っていった。今思えばあれが見限られた合図だった。
「当社の考えるキャリアプランとあなたのスキルがアンマッチしている、OJT中のモチベーションが低かった」
といった理由で、内定取り消しします、申し訳ありません、というものだった。
慌てて次の日電話(夜中だったので)したんだけど、残念ながら上司や○○(先の女性がいるポジション)からもNGが出ているので
内定取り消しが取り消される事は無いとのこと。
私が思う限り、能力不足といった事は無かった筈(そもそも同業他社みたいな所だったし)
私、もう退職する事を言っているのですが…とは抗議したけど「それは私共とは何も関係が無い事ですので、あなたの自己責任です」とピシャリ。
ダメ元で、上司に退職取り消せないかとは言ったものの「既に後任を決めたりクライアントにも周知しているのに、今さら困る。社会人としてどうなの?」
と言われ、グウの音も出ず、そのまま死んだ目で最終日まで引き継ぎ作業した後、私は無職になった。
当然、保証は何も無かった。
腐ってもいられないし、とりあえず収入を得なければいけない、あんな会社にいった自分が悪いと当時は思ってしまい、再び転職活動を始めた。
○○社の事は伏せ、「退職時の引き継ぎ等で忙しく転職活動出来なかった、退職してから腰を据えて転職活動を始めました」という体で何社か回り
その内一社から内定を貰った。その会社(B社)からは再来週から来て欲しいという返事。
これでやっと落ち着ける!と思ったのもつかの間、出社3日前になり、若干遠方だったので転居先なども決めたりしていた矢先、連絡が来た。
内定取り消しの連絡だった。
何故!?と思い抗議して、それではラチが開かないので直接B社に乗り込んで担当者に色々詰問したが、担当者はやんわりと
「実は、○○(元々の転職先)の方から、あなたが問題を起こして内定取り消しになった、という情報を耳にしまして…」との事だった。
まあ同業他社に転職しようとした私も悪いかもしれないが、横のつながりで変な噂が出回っていた。
後に知る事になるが、○○の社員のSNSでも、恐らく私らしき事の、ある事ない事のネガティブな書き込みもあった。
再び無職になり、弁護士を雇って戦う…気力も無く、心折れて失意の内に地元に帰り、実家で精神を落ち着けながら何とか転職活動を再開。
例え主張がいくら正当で誠実で輝いて見えても、同じ口で誠実に対応してくれるとは限らない。
その優しさは、「他人」にしか向かないものであるかも知れない。
私は嫌という程それを学び、痛感した。
元を辿ればフェミニズムに傾倒していた結果、○○社の人間に共感して…という流れだったので
フェミニストが全員、女性に対して優しいとも誠実であるとも限らないんだという当然の事実を、高い勉強料を払って学ばされた。
件のニュース見て、当時のトラウマが蘇ったので増田で吐き出し。
※追記
労基に行け、何故いかなかったのとは知人友人からもよく言われましたし、確かに正論なのですが
当時はニ度も内定を切られる=社会から拒絶されるという体験に深く傷ついたのと、無職無収入の状態でいる自分に耐えられず、実家に帰る事を選びました。
完全に泣き寝入りですが、それを選んだのは私ですし、戦えなかったのは自分の自己責任だと思っています。
自分で言うのもアレですが、今までそれなりに上手く学生時代も社会でもやってこれていたので、初めてに近い大挫折で心が折れてしまったのだと思います。
crimsonstarroad 勤務開始日を、転職者じゃなく会社の都合で決めるのってその時点でブラック確定だよなあ。前職あれば引き継ぎその他で少なくとも1,2ヶ月先になるなんて常識だと思ってた。
冷静に考えればその通りなんだけど、理想の働き方が出来る!という所でバグってた。
寧ろすぐに私と一緒に働きたいって事なんだ~とまで思っていた。今考えると浮かれて頭おかしくなってた。
100%じゃないけど、20~30%は関係あると思うよ~個人的な意見だけどね。
会社でも女性が活躍とか新進的な理念とか凄く推してたし、会社の顔たる社員のアカウントも
所謂フェミニスト界隈の人が多く、今よりはそちらに傾倒していた当時はこんな風に考えてくれる人達と働きたい!って思ったから
釣られた動機の一つにはフェミニズムがあり、思い切りその期待を裏切られたので。
korilog うちの奥さんが女性社長の女性を輝かせる事業をやってる会社に面接で行ったら子供が小さいから駄目って言われた話する?まだ内定じゃないだけマシだったけど。
これも酷い。
理想と現実はイコールじゃないのは分かるんだけど、理想と真逆の事やってるじゃん、言ってる事と実際にやってる事違うでしょ!と憤るのは仕方ないと思う。
10〜20くらい年上の、お金があってバリキャリな女性をターゲットに婚活したりはしないの?
ハイスペ狙いの女性はそれを視野に入れて、その層にうけそうな服装、立ち振る舞いを実行している人が多いように思う。
確かにハイスペ女性はハイスペ男性に比べて数は少ないだろうから狭き門ではあるけれど、でもそもそもハイスペ婚というのはそういうものだ。ハイスペ人間はそもそも少ない
もちろん自分の子どもが欲しいと思うのは普通の欲求でもあると思うが、何かを得るために優先順位をつけるのは当たり前のことだ
自分の子どもがほしいを優先するのか、ハイスペ婚がしたいを優先するのかは人によるから各々自分の判断基準に従って相性のいい人を見つけたらいいと思う。
別に男性が上方婚したからといって自分の子どもを持てないとイコールではないけれども、どっちかに優先順位を付けるのは大事
ハイスペ女性は確かに自分以上のハイスペ男性が好きな傾向はある。でもそれ同世代ばかり見てるからじゃない?
ちゃんと見た目清潔感ある雰囲気イケメンにして、優しく可愛く媚びて家事スキルがあれば上方婚って男女逆転しても全然成り立つと思う。若いイケメンを愛でたい年上女性は結構いる。
男も女もそういう、「自分より立場が弱くて癒やしてくれる存在を可愛がりたい」欲望ってあんまり変わらないし。
イケメンじゃない、はまぁ頑張れ
いわゆるオタクだった女性はオタクとは他称されなかったので(誰かを指してオタクと呼ぶイコール少なくとも男性だったので)
そこを把握して発言したのではないというのは頭ではわかってはいるのだが
めんどくさいなあ
煽りにマジレスするけどこの辺の問題がわかってないやつが多すぎ。
だけど現実は違う。
万引きはしなくても危険ではない。だから比較している時点でアホ。わかってない。
周りにはすでに流れができあがっていて、その中で法定速度を守って流れをせき止めている車がいたらどれだけ危険かということが。
自分は安全に運転できていると思っているならとんでもない。自らのエゴのために周りに危険を押し付けていると反省してほしい。
遵法意識で命を落としたくないから自分は安全を優先している。それだけのことだ。
当然危険ではない場所では遵法運転をする。おかげで週に2回程度の運転を10年以上繰り返しているが無事故無違反だ。
横断歩道手前も止まる。だけど、後続車と車間が詰まっていてある程度の速度に達している段階で、止まれないときは止まらない。
トロッコ問題と一緒だ。
自分がここでブレーキを踏めば、止まることが予測できていない後ろのドライバーを危険な目に合わせてしまうかもしれない。もし歩行者が危険だと判断するならば止まるし、歩行者が安全に止まっている状態であれば止まらないという選択をする。
道路で運転をするということは、違反=自分勝手という図式は必ずしも成り立たないのだよ。
自転車は違う。
彼らにはまずルールがない。あるけど全く浸透していない。
車には最低限のルールがある。守らない車も沢山いるが、そこにルールがあった上で守ってないのとでは、周りの理解が違う。
周りの理解というのは弁解の余地という意味ではなくて、その時の流れの作られ方の違いのことだ。
言ってみれば、ルールを守らない車が1台いたところで流れには影響がないから安全を保つことは比較的容易いということ。
ここが自転車との一番の違いだ。
だから流れが作られないし読めない。
そういう意味で、今回の赤キップはとにかくやってはダメということが明示されることの意味は大きいだろう。
ルールを浸透させるには、正しい方が強いという状況を作る必要がある。
そのためには、誰もが理解できるようにシンプルでわかりやすいルールを誰の目にもわかりやすいように明示する必要がある。
それもできていない段階で、誰かが正しいことを知っていても何の役にも立たない。
だからといって滅多矢鱈に取り締まればいいとも思ってないけどね。
それがないから違反金目当ての金脈探しだと警察が批判されてもその通り以外に答えがない。
次にお前らが言いたいこともわかる。
そうだよ。そのとおりだよ。
でも現実はそうはならない。
スピードを出せるやつが出す。そして大半の車はそれに耐えうる性能を持っている。
そういう世界の中で、違反とは少しずれた基準の中に安全運転が構築されてしまっているのが今の現実。
それを警察の怠慢だったり啓蒙活動が足りないというならそうだと思う。
でもこれは群集事故と同じで、その中で一人が目が覚めて立ち止まっても解決する問題ではない。
それくらい大きなうねりと流れの中に安全な運転は埋もれてしまっている。
法律なんかでは規定できないほど、安全のための色々なルールが作られていて、ドライバーは実際にそれに従うことでしか安全を守ることができない。
言っておくが、自分勝手のために危険な運転をする人間を擁護するつもりは一切ない。
そういう人間はむしろ安全を脅かす立場にいるのだからどんどん取り締まって免許を取り上げてほしい。
しかし、遵法運転すれば安全というのは誤解だということは理解してくれ。
警察もその辺を理解しているから危険な範囲を見極めつつ、20kmくらいまでの超過ならすぐに違反とはしない。
速度制限50km/hの道を45km/hで走ってる車を50k/hで追い越すのと瞬間的に60km/hだして追い越すのとどちらが危険が少ないかなんて免許ないやつでもわかるだろ。
そんなの取り締まってたら事故はむしろ増える。断言してもいいよ。
肝心の解決方法だけど、車に限って言えば、プロドライバーがキーだと思ってる。
彼らが町中で遵法運転するだけで、世の中の交通ルールはかなり改善されるだろう。
逆を返せば、彼らは仕事ということにかまけて違反を軽々しくしすぎる。
信号無視、一時停止無視、スピード違反はもちろん、駐停車禁止区域での駐車が特にひどい。
交差点前後で客の乗り降りのために突然止まったりするタクシーが、ドライバーにどれだけのストレスを与えているかなんて計り知れない。
そのストレスが身勝手な運転の原因になると言われれば、擁護するつもりはないが気持ちがわからないとは言わない。
彼らがしっかりと遵法運転をするようになれば、違反運転の比率はかなり変わってくるはずだ。
そうなれば安全と遵法の距離が縮まり、結果として違反は減ることになる。
言っちゃ悪いが、警察には残念ながら期待ができない。
我が家の目の前の道には、日に何人も違反を切られる右折禁止交差点がある。
右折禁止の標識を見落とすドライバーが多いことを知っているので、パトカーが一日に何周も回っては、右折した車にサイレンを鳴らして追いかけていく。
これがマジでくだらん。
警察の取締がなくても、そこで事故が起こっている現場なんて見たことがない。
それなのに、何人ものドライバーが右折禁止を見落として曲がっていく事実を知りながら放置している現状が、違反金欲しさ以外の何だと言えるのか。
それだけ違反者が続出するなら、UIをなんとかするのが先だろうと。
その道の手前にはそこにつながるための側道があるのだが、この側道は一時停止が終わってから見通しの悪い交差点の信号だけが見えるために、一時停止無視と一時停止からの急加速する車が多く、交差点の見通しの悪さも手伝って何度も子供がひかれかけているのを見ている。
パトカーは右折違反を捕まえるためにその道の前を何度も通過するのに、そこに対して取締をしている姿を見たことは一度もない。
彼らにしてみればドライバーは財布にしか見えてないってことだ。
軽微な違反を見逃しておいて、いつでも取締で財源を補充することができる状況のほうが、警察にとっては都合が良いということ。
とにかく、危険運転の話と遵法運転の話を一緒にするなってことだ。
「流れ」という言葉をざっくりと使うのは好きじゃないが、要するに一定のルールが機能している状態だと思ってもらえればいい。
一定のルールが機能している=行動の予測が成り立つということでもあり、その結果、お互いが事前に行動を察知することができて安全が保たれるということ。
車については、その流れが遵法とは少しずれた位置に作られてしまっているというのが現実。
自転車については、流れを作るためのルールが全く周知されていないというのが現実。
これだけ考えても、取締が物事を解決するとは思えないことくらいわかるだろ。
ルールそのものの啓蒙と、遵法意識を持つドライバーが多数派にならないと、問題が解決することはないってことだよ。
ただそうなると違反金という重要な財源を失うことになるから、警察に期待しようなんてのは無駄。
彼らは啓蒙はそこそこに、事故の増減との因果は公表もせずに違反の規定だけをやたらと増やすだけ。
とにかく一度、年間の違反者数を調べてみたらいいよ。
それに5,000円かけるだけでいいから、それがどれくらいの財源になるかわかるだろ。
手放せるわけねえよなぁ。
安全運転のルールはドライバー側に空気醸成をまかせておいて、自分たちはコソコソ取り締まって違反金集め。
それで若者の車離れが問題だって言われてるんだから、自動車メーカーは一回声を上げたほうがいいよ。
そんな現実の中で、消費者同士が違反が悪とか言い合ってるのがおめでてえなって話だよ。