はてなキーワード: お土産とは
先日の春休みにディズニーランドに行った。家族を連れて。私自身は何十年ぶり。しかし、あまりにもひどい体験でなぜこんな場所に高いお金を払ってくる人が大勢いるのか全く理解できなかった。
入場料は大人2人と子供2人で合計2万円強ぐらい支払う。多くのアドバイスに従ってホテルに前泊し朝8時に入場。しかし、のんびり歩いて入場したのが悪かったのか、すべてが手遅れであった。ファストパスというものは一つも取れず、結局楽しんだアトラクションは1つ、1時間半程度行列を並んで乗ったダンボだけだった。さらに言うと私と小さいほうの子はダンボには乗らず外から眺めて写真を撮る係だった。私自身は乗り物とかにはそれほど執着しないので、家族が楽しんでくれればいいと思っているし、テーマパークの楽しい雰囲気を感じられればいいなと思ったのだけど、それも不可能だった。大混雑で入場制限がかかるほどなので、周りを見渡してもイライラしている人ばかりだし、パレードを見るための場所取りで地面に座って待っている人が周辺を埋め尽くしているのでちょっとした移動も困難。スタッフが場所取りをしないでねー、とアナウンスするけど誰も従わない。従うわけがない。
飲食は持ち込み不可なのに買うのも困難。20分以上待たされて低品質なドリンクを350円で買ったり(ファミレスでドリンクバーになっているようなコカ・コーラ系列のものだ)、1時間待たされてポップコーンを買ったりしただけだった。空腹でぐずる子のために、ルール違反は承知だが持参した菓子パンを食べてもらった。なんでこんな場所なのに、座ることもできずに最低レベルの食事を取っているのだろうと泣きたくなった。
せっかくの夢の舞台ということなので積極的に楽しもうと終始ニコニコしていたつもりなのだけど、こどもがぐずり始めてからは妻もキレてしまい、家族と妻のご機嫌を取るのにいつも以上のストレスをため込む結果になった。結局1時には会場を後にした。出てから舞浜駅のそばのカフェで食事をとったが、安くておいしくて座れるし、店員も親切で、日常空間のやさしさを痛感したのだった。会場内でお土産に買ったおもちゃは、残念なことに、本人が希望したモノと似ているが違う商品だった。今更返品交換するわけにもいかず思い出もしょっぱい物となってしまった。
おそく混雑ゆえの不満がすべての元凶だったと思う。混雑を承知で、それでもなお入場したい人や、訓練されて最適行動をとっている人に圧倒されたのだ。それなりのお金を払っているのだから適当に散歩しているだけでも楽しいだろうと思った私がバカだったのだ。混雑が予想される春休みに行くのがバカなのだという意見もあるだろうけど、2月ごろに行こうとして詳しい人に聞いてみたら寒いのはつらいよ、春休みの穏やかな季節のほうが良いよとのことだったからだ。
ということをSNSで書き散らしたいのだけど、つながっている人にはディズニーのファンがそれなりにいて、安易に愚痴も言える雰囲気じゃない。それもまた辛い。こどもがまた行きたいと言わないことを願っている。
食べ物は嬉しい。小腹が空いた時に食べられるし、賞味期限があるからいつかは無くなる。
しかし物は正直、困る。
賞味期限が無いから買いやすいのだろうが、使う機会もなく溜まっていくばかりだ。
キーホルダーやストラップはどこに使えばいいのか。ハンカチもそんなに枚数いらない。磁石もあまり使わない。小物入れも入れる物がない。
使う事なく袋に入ったまま、押し入れ行きになっている。選んだ人にも物にも申し訳ない。
お互いのために伝えるのが最善だとは思う。言ったところで、多分嫌われたりはしない。
ただ、とても残念な空気になるのは予想ができる。
しかも色違いのお揃いの物を家族分買ってきたりするので、非常に言いづらい。
一人が必要ないと言えば、恐らく他の家族分も無くなるだろう。それはなんだか申し訳ない。
結局、言いづらさに負けてズルズルとお土産を貰い続けている。
あなたは、老人にならないのですか?
いまのご老人たちも、あなたと同じ年だった時があり
一票いれてたってこと。
若い子は転勤させたらパワハラ言われるから、企業が4-50代を転勤させてるらしいけど
親の介護があるので困ってるって話を一昨日読みました。
若いころに新婚で赤ちゃんできたての人が、いきなりアメリカ出張から
そのまま転勤(というか系列会社に出向?だっけな)になったのってわりとあったので。
こっちはときどき帰って来られたら海外のお土産もらえるので海外勤務良いなとか
思ったけど、子供産んだばかりの奥さん、大変だったろうと思うんだよね。
「子供生まれたばかりやから、奥さん可愛そうやけど行ってきます」って。
今更感あるが
グッズというのは本当によくわからない
・飾るなら分かる(ポスター等)
・使うのも分かる
・記念的なものも分かる
それ以外の大多数がわからない
汚すのに抵抗がある
これは、使いみちのないお土産とか、飾らないぬいぐるみとかが近い
そして飾る・使うだと量に限界があるから、大抵は負債ばっかなのだ
自分もいい年だし、ここ10年くらいはBDくらいしか買ってないのだが
意外と厄介なのは、映画に行った時に貰う何かとか、うっかり買ってしまったコラボのお菓子の包み紙とかだ
引っ越しする時に、捨てるのも嫌だが捨てないのも自己嫌悪になる
かと言って飾るほどではない
全部電子化したい
ディスプレイをポスター代わりにするのは面白そうだなと最近おもいつつある
15万円もあれば有機ELの奴が買える(焼き付き起こしそう・・)
夜の新幹線が好きだ。
これから旅が始まるという高揚感を、一瞬で過ぎ去る車窓の闇が落ち着かせてくれる。
冬は雪が降り、夏は緑が生い茂る東北の山々も、闇の中ではほとんど判別がつかない。
夜の新幹線は、光と闇だ。
明かりが増えてくると列車は減速を始める。
それは私に、私が確実に移動していることを教えてくれる。
日常的に過ごしているごく狭い生活範囲の外へ運んでくれていることを教えてくれる。
改札を抜けると、見ず知らずの他人が幾人も行き交い、そこでの生活圏が形成されている。
少しの間、私もそこにお邪魔をさせていただく。
この感覚が心底心地良い。
別れるとか別れないとか散々話して(まあ大体彼女から僕に喧嘩を吹っ掛けられる感じなんだけど)結局絆されて付き合い続けてるわけなんだけど、彼女がイラついているときにやたら八つ当たりされて、とりあえずそれを受け止めて彼女が冷静になったら、何があったか話を聞いて…。みたいなことが多くて。
まあこれ自体はそこまで問題じゃないというか、そういう子だと分かってて付き合ってるからいいんだけどさ。逆に僕のほうが仕事のストレスと身内のあれやそれやで精神的にちょっとしんどい時期になってて。眠れないことも続いて、風邪もひいてしまって。今八つ当たりされたら受け止めきれないな、と思って連絡するのをやめている間に、彼女は友達と旅行をしている。まあ旅行するのは聞いてたし、本人も楽しみにしていたから、気分転換になればいいな、と思って送り出した訳なんだけど。
とりあえずインフルエンザじゃないことは分かったから、資料作り終わったら早退しようと心に決めて、重い体を引き摺って満員電車に揺られながらふと、「あれ、なんで俺しんどい時に支えてもらおうと思えないんだろう」と思ったら、急に悲しくなった。
繁忙期なのもあってストレス過多なことは伝えてあったし、体調が悪いから少し連絡頻度落とすね、と伝えた(そう伝えないと、後から「何で連絡くれないの!」って急に怒り始めるから)けど「そっか、お大事にね」で終わり。まあ体調悪い相手に対してはこれが正解…?正解といえば正解か。じゃあこれは俺の単なる甘え?
まあ、旅行中だから連絡来ないのも当たり前か。おはようからおやすみまで毎日連絡が来ていて、どんなに忙しくても必ずそこだけは連絡していたけれど、そうか、そんなものなのか。心身ともに病んでしまっている恋人よりも、今目の前の旅行の方が大事か。「おはよう、体調どう?」の一言も僕はもらえない存在なのか。
結局彼女はtakerで僕はgiverで。いろんなワガママを聞いてきたけれど、搾取されて終わるだけ。ちょうど先週が記念日だったから、次に会う時に何かしようかな、とか考えてたけど、きっとそんなことも彼女は何も考えてないんだろう。ああ、もう、腹が立つ。頭がいたい。体がだるい。彼女が嫌がるからと色々生活を変えてきたけど、彼女は何一つ僕の願いを聞き入れてはくれなかった。別に表面だけ上手くやってくれてれば、僕が約束を破られている事実に気づかなければそれでいいのに、彼女は嘘をつくのも下手というか詰めが甘くて。結局僕はいつも気づかないフリをするしかなくて。今一緒に旅行している「友達」が友達の域を越えたがっていることだって、僕は知っているのにね。それも知らないフリ。
「もう疲れたから別れて」そうやって別れを僕から切り出す頻度が上がっていて、その度に彼女は暴れて騒いで僕を罵って。その姿を見て辟易して連絡を断てば鬼のように電話をしてきて。着信拒否すればSNSから連絡してきて。それも無視すれば今度はあまり親しくない(状況を知らない)友達を巻き込んで連絡をよこしてきて。そこまでして追いかけてくるならもう少し大切にしてくれよ。お土産も何もいらないから、大切にしてくれよ。できないなら別れてくれよ。違う子と連絡取っただけであんなにキレるから、何かあるんじゃないかって次の子を探すこともできない。彼女のことは可愛いとは思う。不器用だけど一生懸命だから。だけどそこを可愛いと思う気持ちだけで全てをカバーできる訳じゃない。許せない事の方が最近は多い。こんなに疲れる交際なんてとっととやめてしまいたい。でも今この瀕死状態の僕に、別れを切り出す気力はない。
最近になってようやく、DV被害者の人たちの気持ちがよくわかるようになってきた。あの人達もこうやって逃げられなくなってるんだって。とりあえず会社ついたし午前中には資料片付けてとっとと帰って寝て体調回復させたら別れ話振って、その足で新しい携帯に買い替えて番号も何もかも新しくしよう。疲れた。
ツーリング先で乗った船内泊を伴うフェリーで男性客にしつこく絡まれた。
予約したベッドはカプセルホテルのような半個室で狭かったため、私はロビーで本を読んでいた。
男「2人で飲まない?」
私「私飲めないんで結構です」
男「夕食ごちそうさせて」
私「コンビニで買ってきてるんで」
私「私も既婚なんで」
妻子残してツーリングに出かけておきながら道中で女ひっかけようだなんてほんと虫唾が走るわ、クソ野郎めちんこもげろ
ツーリングの話したいなら他のバイク乗りのおっさん連中に話し掛けてろよ、女じゃなくていいだろ
色々思うところはあったが、結局何かされたら怖いので適当に断って席を立った。
しかしその後も何回断っても着いてくるし、どこ行っても話し掛けてくるし、船内は狭いし海上なので逃げ場がない。地獄かここは…
偶然ロビーで船内でのマナー啓発ビデオが流れていたので、その付近に陣取ってみた。「しつこく誘うのはセクハラ行為です」とやっている。
そしてひと席空けて隣に座りこちらを窺うクソ男。いいから私じゃなくてビデオを見ろ。そして私に奢ろうとしたそのお金で奥さんと子供にお土産を買え。せめてもの罪滅ぼしをしろ。
そんな時フェリー乗り場で会ったカブのおじいちゃんが話相手を探していたので、ツーリング話を聞きつつ男除け(まよけ)になってもらった。
話を聞いてほしいだけのおじいちゃんは無害である。ちんちんをしゃぶれと要求してこない(偏見)。次のツーリング先の参考にもなった。
どうでもいいけど美人でも不細工でもない中途半端な顔って本当に不幸だよなと思う。私のことなんだが。
(こいつなら俺でも行けるんじゃね?)って思う勘違い男がわんさと湧く。こっちにも選ぶ権利ぐらいあるわクソ野郎。こちとら面食いなんじゃ。
ちなみに夫は男前で、中身もいい男です。すみません惚気けました。
そんなこんなでその後は狭いベッドに引きこもって目的地まで過ごした。こんな男のせいで残念な船旅になりました。
というわけでこの男が奥さん以外に挿入しようとしたらちんちんが折れて役に立たなくなる呪いをかけました。せいぜいしぬまで苦しめばいいと思う。
おわり
去年はキャンプで今年は御朱印集めが流行り、ほんと不景気なんだなぁと思う今日この頃。
景気悪化してるらしいし、世界経済不安に株価下落でしばらくは不景気だろうから、次にくる貧乏趣味を大予想!
・銭湯
スーパーの付かない町銭湯。価格も500円程度で散歩がてらに銭湯寄って、下町居酒屋で締めるのが流行る。
電車で移動して現地でレンタル。乗り捨て出来るし普段徒歩では行かないエリアの散策ができて流行る。
一日乗車券を使用したバス旅。移動にのんびり時間をかけて、時間もゆったり使う緩い旅が流行る。
・ダム巡り
手ぶらBBQのようなノリで道具の貸し出しから捌くことまで全部お任せ。釣果保証で釣れなくたってお魚食べて帰れるプランも!?
野球やサッカーだけじゃない!バスケだってバレーだって楽しめちゃう。未来のスター発掘がブームに。
公園にお金払うのか?と抵抗ある人も、一度行けばハマること間違い無しの楽園。行き届いた手入れを楽しみのんびり過ごすことが人気に。
入場しなくたって雰囲気十分。行ったつもりで夢の時間を体感出来ちゃうお得感で人気。
・空港
離発着する飛行機を見るもよし、食べるもよし、お土産買うもよし。旅行記分が味わえてみんな満足。
・花のない花見
私(妻)は自分の実家に帰省するときに自分の地元のお土産を用意していく。実家をただでホテル代わりにするんだし、そのお礼のつもり。宿泊費払わずお土産代だけで済むんなら安いもんだと思う。
夫の祖父が体調を崩して、夫が単身で夫の実家に帰り、祖父の様子を見に行くことになった。
私が「義祖父母の家と義実家用に二つお土産を持っていって」と言うと「面倒くさいから嫌だ。お前がお土産を郵送して送ればいい」と言われて、どうでもよくなって、ああ、もう何もしなくていいや。と思った。
夫は妻の実家では客人として丁寧におもてなしされるし、自分の実家では気兼ねなしにくつろぐし、どっちに行っても対して気を使わないんだよねー。私の実家の両親は私の夫に気を使いすぎて、絶対に失礼なことは言わないようにしている。私の両親にはそこまで夫に気を使わなくてもいいのにと思う。
5일
5日目
ゆっくり眠れる保証もないので、充分な睡眠時間を取れるのは昨夜しかなかったが、やはり眠りは浅かった。
釜山で迎える2度目の朝、疲れが取れているかどうかは疑わしいが、今日は名所観光やお土産購入、食べ残した釜山グルメなど、予定を詰め込んだので、直ぐに部屋を出た。
まず目指すのは、チャガルチの朝の名物になっているという、シンチャントーストだ。
まだほとんどの店が開店前で、人もいるにはいるがほとんどは開店準備の搬入や路地の工事。
本当にやってるのだろうか。
路地をクルクル迷いながら進むと、まだ閉店してい暗い店が軒を連ねるなか、30㎡程の縦に細長い店の前でコック帽に白衣のオジさんが黙々と店先でトーストを焼いている。
釜山の朝の味、シンチャントーストの前では、そこだけ行列ができていた。
卵とハム、チーズが挟まれたトーストは、洋食なのに滋味深かった。
シンチャントーストの御主人に支払いを済ました時に、残りのウォンが心許ない事に気付いた。
南浦洞は西面と並ぶ釜山の繁華街だが、土曜の朝9:30に開いてる店はほどんどなく、人もまばらだった。
手元の3000円を両替する。
ナヨンの時は実は数えてなかったが、ここでの両替は少額なので数えやすい。空港より明らかにレートが良かった。
南浦洞から引き返し、港町、釜山の顔が最も見える場所、チャガルチ市場に向かう。
広い市場では、いけすの中にカニやエビなどがひしめき、山盛りに積まれたサザエやホンビノスなどの貝類、太刀魚などの魚、イカ、タコ、ナマコに果てはエイまで、あらゆる海産物が並べられていた。
ここで海産物を買って、2階で調理してもらえるらしく、お母さんに声をかけられるが、既にトーストを食べていたので、固辞して、市場の棟の反対側に出る。
海が目の前だった。
海風にあたりながら、あたりを眺めていると、韓国語の演歌らしきメロディーが流れてくる。そういう音楽が韓国にあるかどうか分からないが、メロディーといい、コブシの利かせ方といい、どう聴いても演歌だ。
ここでもたくさんの海産物が売られていたが、端まで抜けると食事のできる店がある。
漁師や港湾労働者、仲買人などはここで食事をとるのかも知れなかった。
歩きながら日本と韓国で意見の相違のある日本海の呼称問題について考える。
このチャガルチ市場を埋め尽くす豊富な海の幸を見ていると、韓国の人がこの海を「東海」と呼びたいのもわかる。
目前にある日々の漁場が「日本海」では、借り物で漁をしているみたいだ。
日本人として韓国人の主張の是非や正当性は一旦脇に置くが、ナショナリズムじゃなく、釜山市民の生活者の実感として「ここは自分たちの海だ」とスッキリしたいという、その気持ちは理解できる。
市場を後にし、韓国旅行に当たって一番最初に決めた観光地、山間の民家をカラフルに彩った甘川文化村に向かう。
バスに乗るてもあったが、地図上では歩いて行けない距離とも思えなかったので、その足で向かった。
実際に歩いてみると、考えが甘い事に直ぐ気付いた。
市場に程近い有名観光地なのに、歩いて向かう人が殆どいないのもさもありなん、山道が結構急なのだ。
「実際に過ごしている人を見れるのも良い」と無理やりポジティブにかんがえたが、やっと観光客で賑わう村の高台に着く頃には、脚の疲れがえらい事になっていた。
甘いカフェラテが身に染みる。
デッキではカップルがロマンチックな風景をバックに写真を撮っていた。
辺りには、たくさんの国からやってきた観光客が写真を撮っていた。
実は釜山にきて見て気付いたのだが、この街で最もよく見かける外国人は「日本人」で、それ以外の外国人の存在が薄かった。
しかし、ここでは中国か台湾、ベトナム、ヨーロッパから来た人など、多彩な国々の面々が並ぶ。
韓国の民族衣装を身につけた3人組の少女、2人は明らかに韓国人ではない。
村の坂道や階段を行ったり来たりするうちに、「ギャラリー」の文字が。
興味をそそられて階段を上ると、登り終えてまだ続く坂道の上で、学生服の少女が同じく学生服の少年の写真を撮っていた。
ギャラリーは閉まっているらしく、腕章を付けた彼ら以外に周囲に誰もいない。
プライベートも極まる時間だろうが、輝く記憶を少しだけおすそ分けさせてもらった。
さすがに歩いて降りる気力がなかったので、バスを使ったが、山道を下るバスは運転が荒い。
座れてなかったら大変だった。
チャガルチから南浦洞への道すがら、行く手から派手な太鼓と鈴の音が聞こえてくる。
デモだろうか。
韓国社会はどうやらパレードが大好きで、到着2日目にも地下を歩きながら、実体こそ見なかったが、パレードの音を聞いた。
時節柄、ちょっと緊張する。
前からやってきたのは、釜山の対岸、九州からの踊り手達だった。
彼ら自身は踊ってないので、既に演目を終わったのだろう、しばらく歩くと、今度は韓国の民族衣装に身を包んだ踊り手達が舞っていた。
音は此処からだ。
そういえば、釜山であった日本人と少しだけ会話してみると、九州からの人が多かった。
岸の両岸では、それぞれの人々が交流している。
南浦洞では、韓国旅行で2番目に決めた目的、ナッツ入りバタードーナツのシアホットクを買い求める。
生地を大量のバターで豪快に揚げ、横に挟みを入れポケット状にして、蜜とナッツを詰め込む。
形状は平たい円形だが、なぜか平たく潰した紙コップに入れて供される。
しょっぱくて甘い味は疲れた体に沁みた。
でも、どうも日本に入ってくる韓国グルメは、1個流行るとそれ一色になっちゃうんだよなー。
さて、夕方前に一旦ホテルに戻るつもりだが、その前にここのロッテマートでお土産を買う。
出発直前までなかなかイメージが湧かなかった韓国土産だが、同僚の勧め通り、インスタントラーメンにした。
ホテルに戻って、明日朝の空港に向かうタクシーの手配をして、すぐ出発。
なんとか時間的に間に合いそうだ。
ここに訪れれば、今回の韓国旅行で行きたい観光地は大方回ることができる。
地下鉄を乗りついで向かうが、どうやらエネルギー切れで気力が切れてきた。
山道を歩き回ったのに、朝から食べたのがトーストとドーナツだけじゃ足りないのも当たり前だ。
とにかく何か食べないとまずい。海雲台駅で降りると、バーガーキングに吸い寄せられるように入った。
異国の地で、何が出てくるか想像できる上に早いジャンクフードはいざとなると頼りになる。
バーガーキングのカウンターの福々しいお姉さんは、言葉が怪しい日本人にも親切だった。
ちょっと迷ったが、海雲台駅から海東龍宮寺に向かうバスに乗車。
30分ほどの乗車で龍宮寺に到着した。
龍宮寺までの参道は曲りくねった階段なのだが、辺りは台湾の九份もかくやと思わされる人出で、細くて急な階段を歩くのが怖い。
しかも疲れている所に再びの山道なので、なんとか転ばないように慎重に歩く。
距離がなかったのだけが救いで、やがて海を望む龍宮寺が姿を現した。
既に夕方だったので、だいぶ光が赤く、海の青さはちょっとくすんでいたが、それでもなかなかの絶景を写真に収めることができた。
満足したので引き返してバスを待つ。
やってきたバスに乗り込んだが、ここで思わぬ苦労をする羽目になった。
椅子に座れず立ち乗りだったが、渋滞に巻き込まれてバスがなかなか進まない。
その上、運転が荒い。
外国のバスの運転は概ねこんなものだと思ってはいるものの、いい加減ヨレてきている足腰には辛かった。
このワイルドな運転にも韓国の若者は涼しい顔をして立っている。
どういう鍛え方をしているんだ、いや、これ自身が日々のワークアウトになっているのか。
ユラユラ揺れる自分も、友達や恋人と事も無げに談笑する韓国男子も、真反対の意味で慣れというのは恐ろしいものだ。
渋滞に巻き込まれた結果、1時間強の乗車となったバスを降り、海雲台の駅から地下鉄に。
釜山最後の食事は、牛の地を羊羹状に固めたソンジが浮かぶソンジクッパだ。
「ソンジクッパ ジュセヨ」席に座る前に頼むと、やがてグツグツ煮えたソンジと牛もつ入りの赤いスープがやってきた。
ごはんを入れながら食べる。
パッと見、キワモノっぽく見えるソンジだが、動物の地を固めてスープの浮き身にするようは食習慣はアジアでは珍しいものではない。
台湾にも猪血糕や鴨血などがあるし、タイにも類似の料理があるという。
四角く赤黒いソンジは、特に強い匂いもなく、レバーっぽい羊羹という感じで口に抵抗なくいただけた。
これで韓国旅行で事前に設定したタスクは全て果たすことができた。
個人的な旅行あるあるなのだが、なぜか海外旅行では額にして3000円前後の小さな落し物をすることが多い。
今回もカメラのレンズのアクセサリーリングが所在不明になった。
別に機能に致命的な影響が出るわけではないが、無くしたいわけでもない。
こういう時、何かの引き換えになったとでも考えるようにしているが、少しだけ残念だ。
4일
4日目
チェックインした当日に見つけられなかったアメニティは、不注意で見落としていただけで、実は室内の革のバッグに収納されていた。
芸術の都らしく、こういったところもオシャレだ。
遅めに起きたが、チェックアウトが12:00なのでまだ余裕がある。
散歩と軽い朝食ついでにロッテマートでお土産のインスタント麺を買う。
広いとは言えない韓国は地域の対立意識が強く、特にこの光州の人達は他の地域の人々から嫌われているらしい。
曰く「手先が器用で芸術の才能がある。日本人に似ており、社交的でソツがないが、計算高く、最後には裏切る」
近世の新羅・百済・高麗の対立からともいわれているし、朴正煕時代の選挙戦の影響とも言われている。
観光でちょっと撫でただけ、その上言葉も不自由なので、深いところは全く分からないが、顔つきは日本人に似ている人が多いし、ソフトムードの人が多いなとは感じた。
韓国社会に深くコミットすれば、違う印象も持つのかもしれないし、逆にそれが偏見だと感じるのかもしれない。
男同士で楽しそうに談笑していたが、やがてオバちゃんの一団が乗り込んでくると、座っていた一人が席を譲る。
青年は非常に自然に席を譲ったが、オバちゃんは日本だったらまだ席を譲られるほどの歳ではない。
光州を出発したバスは東に向かい、窓の外の景色は再び緑豊かな山道となった。
バスの車内では、民主化運動に参加し、5.18の時には予備で拘束されたという現職の文大統領について調べる。
5.18民主化運動の地を訪れた後、テキストを読んで感じることは、韓国社会には「強者の韓国」と「弱者の韓国」の2つがあり、彼のアイデンティティが一貫して「弱者の味方」であるということだ。
日本・韓国双方の財閥や日韓間の慰安婦合意に否定的なのも、「弱者の韓国」にとっては日本や旧日本統治時代の流れをくむ財閥は「開発独裁主義で弱者を顧みなかった強者」であり、そこで立ち上がってくる彼の願いが「強者に虐げられた弱者を救う」事だからだろう。
大統領の権力集中にも否定的で、権限の縮小や任期の変更も主張しているというし、地域対立の解消も目指しているという。
上手くいけば、韓国行政の積弊である大統領の悲劇的な破滅の歴史に終止符がうたれ、光州の人達への差別意識も和らぐかも知れない。
うまくいかなければ、諸外国に振り回され、経済を停滞させ、反動で韓国社会の分断をさらに進めるかも知れない。
果たして彼を待っているのは、改革の英雄の未来か、理想主義者の蹉跌か。
実際に地域を訪れて、テキストの背景の感覚が色彩を帯びて見えてくることもある。
日本人にとってメジャーな観光地とは言えない光州だが、是非訪れて見たほうがいいと思う。
釜山へ
3時間半の乗車ののち、バスは最終目的地に到着したようだった。
乗客がどんどん降りていく。
「しまった、周りの動きに合わせて降りてしまったが、実は釜山に着く前に降りちゃったかな?」
さっぱり分からないので、チケットカウンターに行って、お姉さんに状況を説明した。
「I'm going go to Busan, but I had mistakes. I had put down bus.
Do you mind teach me How to go to Busan?」
お姉さんはキョトンとして下を指差して答えた。
「Busan.」
西部バスターミナルとのあまりの違いに驚いたが、自分が降りたのは釜山北部郊外の総合バスターミナルらしい。
比較的街中にあって小綺麗な西部バスターミナルと違って、総合バスターミナルは山間にあり、設備も古め。
ともあれ、釜山市内であれば地下鉄で市の中心部にアクセスできる。
東横インは日本語が通じるので、ホテルの免税の手順や、空港の早朝便に間に合うようなタクシーの手配など複雑なコミニュケーションを取ることができた。
これで不安はかなり減った。
夕食を食べに行こう。
地下鉄に揺られ、西面駅で降りる。
地上に出るとすごい活気だ、夜の西面は若者でごった返している。
そうか、そう言えば今日は金曜の夜だ。
対戦筐体を見ると、鉄拳では対戦が繰り広げられていた。
日本では下火になりつつあるゲーセンだが、韓国では若者の娯楽として健在だった。
西面のメインストリートの反対側、飲食店街を歩くと「ソンジョン3代クッパ」は見つかった。
韓国語で聞いてくるオバちゃんに「テジクッパ ジュセヨ」と伝えると、すぐにお盆に乗せられた一式がやって来た。
豚肉入りのスープご飯。小皿の薬味を混ぜて、自由に取れるキムチをつまみながら食う。
名店の名物だけに間違いなく美味かった。
美味くて一気に食ったために、詳細な味の分析は忘れた。
やっぱアレは特別辛かった。
一気に食い終わって、会計を済ますと、レジのおじさんがアメちゃんを勧めてくれた。
釜山は韓国の大阪と言われるらしいが、こんなところもなんだか似ている。
22:00を過ぎた西面はまだ若者でごった返している。
黒いマスクをした10代の若者から、ワンレン肩パットのお姉さん(マジでいる。しかも結構いる)、恋人たち、果ては迷彩服の青年兵まで、ありとあらゆる若者のエネルギーで通りは充満している。
日本で10代の特に少女に韓国カルチャーが人気な訳が少しわかった。
韓国社会では、まだ若者の存在感が大きく、ユースカルチャーを駆動しているエネルギーの絶対量が多い。
そのさきにあるものを少し思いながら西面の街を歩く。
メインストリートの入り口では、2人組デュオがストリートライブをしていた。
2人とも上手いのだが、太っているほうがより歌が上手かった。
今まで辛酸を舐めてきて仕事にならないくらいいじめられた。この前転職という道があるのもわかっているが、なぜ自分が転職活動という労力をかけてお局はのうのうと働いてるのかと思うとボロクソになるまで仕返しをしてやりたい。
デスクチェアに画鋲でも置いてやりたいと思うときもある。仕事中でもamazonをみてるお局のパソコンをオフラインにしたい。それでも支障がない仕事しかしてないし。上司にお局からのいじめを相談したことがある。上司はお局に個別に注意してくれたようだ。また上司の目に入るところでお局がいじめるような行為をしたときは第三者がいても注意はしてくれている。
そういうことをしてくれるようになったら裏でコソコソいじめられるようになった。出張費を申請したのより少なく出されるとか旅行のお土産を自分だけ貰えないとか、わざと間違った指示をされるとか。
マサバがいらっしゃいましたわ!マサバがいらっしゃいましたわ!
いや終わりませんわ!
今日は新潟市水族館 マリンピア日本海に行ってきましたわ。2~3度目ですわ。
イトウの水槽の隣にシロウの水槽がありましたわ。伊東四朗の水槽には……いやそんな水槽はありませんわ。
なんでも世界で初めて稚魚までの人工飼育に成功した水族館とのことでしたわ。お昼はのどぐろの天ぷらにしましたわ。のどぐろ自体はうまかったですが衣か油はあんまりでしたわ。
フンボルトペンギンがたくさんいましたわ。フンボルトペンギンは日本に1800羽くらいいて80だか90だかの水族館や動物園だかにいらっしゃるそうですわ。
イルカショーも見ましたわ。カマイルカでしたわ。誰がカマじゃですわ。イルカは哺乳類だけあって人間に似ているところがあって、毛が一本も生えてないところなんてそっくりってやかましいわ!あとショーで知ったのですがイルカの尿道とおまんことおアナルとおっぱいが近くに密集していましたわ。
そしてマリンピア日本海にはなんと風の丘があるんですの。冬が過ぎたらみんなで風の丘に行こうって思ってましたの。でもラッカももう巣立ってると思いますの。それどころか年少組もみんな巣立ってるくらいの時が経っていましたわ。カナが巣立った後の親方が心配でしたわ。