はてなキーワード: 児童とは
これって、どっちの解決を望んでるんだろうか
それとも
仮に、ネグレクトなら、子供たちにこのような仕打ちをしたのは、国じゃなく親なんだが
罰則を重くして、軽微な状態でもバシバシ親を捕まえて、子供を施設に放り込めばいいか?
親の貧困がダメなのだという話になるならば、国内のあらゆる人が貧困を許されないとなる
育てられないなら子供を作るなとは言えないし
いっぱしの豊かな暮らしをさせる事になる
真面目に働く意味って何だろう?とは思うが
どんな人間でも子供を十二分に食わせられるようにするってのはそういう事だ
(生活保護じゃだめなのか?とか思うが、なんで言及されないんだろ)
で、そうじゃない、そうじゃないんだ
みたいな話になるとしたならば
ただ、仮にそっちの話だとしたならば
これを
という切り口で語るのおかしくね?
介護士の労働改善と一緒で、予算を付けて補助金制度を設けよう、みたいな話だよね
それがない国だから、子供のネグレクトを放置しているのだ、先進国とか笑わせる、みたいなのは、さすがに変
それはそんな社会認識がおかしいんで、子どもたちにこのような仕打ちをする国の前に、市民をなじるべきよね
途中まで、おぉ寄付でもしようかねと読んでたのにさ
なんか、落し所がねじれてね?
俺なら気付けなかったと思う!
少しでも変な臭いがしたとしても、「気のせいだろ、給食のカレーに何か混入されてるなんてありえんし」とか言って、食って、とんでもない目に遭ってたはず。
今回の漂白剤混入カレーは、ふつうの鼻(嗅覚)を持ってたら異臭に気付けるレベルなのかもだが
とにかく気付いた児童は凄い!!
堺市学童集団下痢症(さかいしがくどうしゅうだんげりしょう)[注 1]は、1996年(平成8年)7月に、大阪府堺市で学校給食を原因として発生した集団食中毒。児童7,892人を含む9,523人が腸管出血性大腸菌O157に感染し、3人の児童が死亡[2]。併発した溶血性尿毒症症候群(HUS)による後遺症が残った児童も多数に及び、発生から19年後の2015年(平成27年)10月には、当時小学1年生でHUSを発症した女性が、後遺症により死亡している[3]。
感染源や経路は、現在も判明していない。厚生省は発生後の8月から9月にかけての調査報告で、給食に使用されたカイワレダイコンが感染原因となった可能性を指摘したが、その後も原因食材は特定されず、カイワレ業者が根拠のない発表による被害を訴えた2件の国家賠償請求訴訟では、2004年(平成16年)12月14日に国の敗訴が確定した[4]。
原因不明はヤバすぎ
犠牲者に合掌
「カルト宗教団体である統一教会が原因で安倍元総理が銃撃・殺害される」という事件が起きたにもかかわらず、政府のカルト宗教団体(統一教会)に対する反応は鈍い。
旧統一教会 政府側“解散命令 裁判所に請求する要件満たさず” | NHK | 旧統一教会
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220912/k10013814621000.html
山上徹也容疑者の母親が事件を受けて「統一教会に対して申し訳ない事をした」なんて謝罪をしていて、いかにカルト宗教団体による洗脳・マインドコントロールが恐ろしいものであるかを再認識させられる。
上の記事によると、山上容疑者の母親は統一教会に約1億円の献金をしていたが、2005年の山上徹也の自殺未遂後、伯父が仲介して5000万円を毎月30万円から40万円ずつ分割返済する合意をしたのだという(もっとも、「献金以外にも多額の金が山上容疑者の母親から統一教会に流れている」可能性が指摘されている)。
その後、2013年に返金が終了し、2年後に山上容疑者の兄が自殺。山上家では、生活費・医療費について統一教会からの返金に依存している状態で、返金終了とともに実質的に一家の収入が途絶えたのだという。
このことについては、「統一教会が山上容疑者の母親から巻き上げた金を全額返金していれば誰も不幸にならなかったし、安倍元総理銃撃事件も起きなかった」のではないだろうか。
ところで、日本の統一協会から韓国へ1999年から2008年の9年間だけで4900億円が送金されているのだという。
こうやって集められたカネは、どのくらいの額に達しているのか。小誌は、日本の統一教会から韓国への送金額が書かれた内部資料を入手した。
ここには、九九年から約九年間の送金額が、月ごとに記載されている。もっとも多い月は〇〇年の四月で、百九十四億円あまり。年間でみると一番多いのは〇四年で、六百六十九億円が送られている。年平均にすると、約五百七十億円。総額では、この期間だけで約四千九百億円にも達する。
(「統一教会 日本から「4900億円送金リスト」を独占入手!少女時代がイベント登場、冬季五輪会場も買収・・・」(週刊文春)より)
これは、原資は「日本国内の個人資産」なので、「日本から韓国への富の流出」だといえる。仮に4900億円を慈善団体・教育・科学技術の発展などのために寄付していれば社会にポジティブな影響を与えることが出来ただろうが、「洗脳・マインドコントロールされた信者が金銭的に搾取される」という形であったので、元は日本人の個人資産であった富が韓国のカルト宗教団体へ流出したわけだ。
それでは、韓国の統一教会へ流出した金(献金)は、結局、どの様に使われたのだろう?
上の記事によると、統一教会は1990年代から北朝鮮への莫大な資金提供を繰り返しており、その総額が5000億円なのだという。日本政府が拉致問題等で北朝鮮を制裁しはじめた時期だ。
日本の統一協会から韓国へ送金された金額が4900億円(1999年から2008年)で、統一教会から北朝鮮への資金提供総額が5000億円(1990年代〜)。
そして、仮に「統一教会から北朝鮮へ提供された5000億円」のごく一部であったとしても、北の核開発のために使用されていた場合、「統一教会はISIS(イスラム国)と同じテロ組織」だと評価するのが妥当だろう。
このような構図があるにも関わらず、現状、下の記事のように国会議員と統一教会との関係は根深い。
自民党議員179人が旧統一教会と"接点"…121人の氏名を公表 関係深いと指摘の「安倍元総理」は対象外、一体なぜ?(TBS NEWS DIG Powered by JNN)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a8405caad17f2b36958e18b603dc9bb38d91f235
政治家・国会議員の立場としては、統一教会のようなカルト宗教団体と関係を持って個人的なメリットがあるならば、「山上家のような日本人一家が霊感商法の被害にあって破滅しても、日本から韓国に4900億円の富が流出しても、それとほぼ同額の5000億円が統一教会から北朝鮮へ送金されて北朝鮮の核開発のために使用されても構わない」のだろうか?
統一教会による霊感商法被害は昨日今日始まった事ではないのだから、少なくとも記事にある統一教会と関係のある自民党議員179人は、「統一教会が日本人信者から巻き上げた金が北朝鮮の核開発のために使用されても構わないと考えている」と信じられても仕方がないだろう。
ところで、私は統一教会のようなカルト宗教団体が日本で活動している実態を「気持ち悪い」し「社会を不健全化させている」と感じている。
対して、フランスでは2001年に「反カルト法」が設置され、2013年に首相直属のセクト対策機関「ミビリュード」も設置されて、規制対象となった統一教会は追い出されている。
統一教会は1960年代末から布教を西欧でも開始し、70年代から厳しい集金システム、信者となった人が親族と意思疎通が不可能になることなどが報じられ、日本と同じような社会問題に発展し、反セクト法で規制対象とされたことで活動が行えなくなり「過去の遺物」と化した[1]。
(「反セクト法 - Wikipedia(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%88%E6%B3%95)」より)
また、フランスの「反セクト法」では、セクトを識別するための次の10の基準を設けている。
4.身体の完全性への加害
6.何らかの反社会的な言質
7.公序への侵害
(「反セクト法 - Wikipedia(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%88%E6%B3%95)」より)
上記の基準に従うと、統一教会は基準の1,2,3,8,9,10に、オウム真理教はほぼ全てに、他のカルト宗教団体も複数の基準に該当することが確定していたり疑われている状態であることは明らかだろう。
日本社会において、カルト宗教団体が跳梁跋扈してよい事は何もない。
・日本人がカルト宗教団体から精神的・(金銭を含む)物質的な被害を受ける
・同調圧力が強くなり閉塞感が増す
以上のような経緯から、安倍元総理銃撃事件と統一教会問題を踏まえ、岸田政権・日本政府は「セクト対策機関」を設置し、併せて「反セクト法」を制定するべきだ。
そして、もしもその様な簡単なことが実現できないとしたら、この後に、それは「この国がすでに終わっている」例証の一つに数えられることだろう。
[B! ジェンダー] ジェンダーレス水着に思う:欧州のジェンダーレスを日本人は何も知らない
いや欧米とのジェンダー感覚の差をいっても仕方ないだろうさ。日本とは環境が違うんだから。
はっきり言って、日本での水泳の教育現場には、ジェンダーレス水着が必要だよ。
思春期の男子児童を中心に、ひどい場合は教師までも、水着の女子に無遠慮な視線を向けてくる。
有史以来ずっとそうだっただろうけど、これを除去するのは不可能だ。
綺麗事をどれだけ並べても、「性教育をちゃんとしましょうね」なんて机上の空論を吐いても、現実は現実。
アンタらはどうでもいいことだと思ってるのかも知れないが、いまままでずっと、生徒たちはプールの授業になるたびに憂鬱だった。女子生徒は(一部の男子も)無遠慮な性的まなざしに傷ついてきたんですよ。
ジェンダーレス水着の導入なしに、子どもたちを守る方法はないだろ。現実を見ろ。
例え性教育で「(プールの授業に限らず)他人の体をジロジロ見てはいけません」と教えたところで、聞かないヤツはどうやっても聞かない。となると、一人一人が自衛するしか方法は無い。
「なぜそんな猿に気を遣って生きなくてはいけないんだ」と批判してくるだろうけど、そりゃもちろん女子生徒だってそんな猿に気なんか遣いたくないよ? 出来ることなら、セクハラしてくるような猿を前もって排除してくれるとうれしいけど、でもそれは憲法の問題もあるので出来ない。生徒は(その親も)、それが大前提の上で、不本意ながらも「自衛するしかないんだ」と自分たちに言い聞かせなければいけない。
母親や妻についての反応が先述のエントリ(anond:20220908185524)に幾つかあったので、そこについても書きました。
賛否が分かれやすい「女をあてがえ論」に触れるので、先のエントリに比べて説得力が弱いかもしれません。
過去、男性が弱さを晒していいとされてきたのは、母親や妻(この文章の妻は恋人なども含む)に対してだけだったと思います。
「男は家の外に出れば七人の敵がいる」という慣用句は、逆説的に家の中にいる母や妻だけは味方のはずだということを示しています。
歴史に残る権力者や金持ちであっても、愛してくれる女性を求めて身を滅ぼしがちなことに疑問を持った人は多いと思いますが、それは、自分含めて誰からも気遣ってもらえない男性人生の唯一の安息の場所としての妻を求めずにはいられなかったからではないでしょうか。
そのような状況について、母や妻に男の世話という役割を押し付けてきたという指摘は正しいと思います。
ただし、そのジェンダーロールの押しつけを行っているのは男性ではなく、女性も含めた社会全体であることには注意が必要です。
男を気遣ってあげるべきは母や妻だけということは、一般女性にとっても、自分の息子や夫以外の男性の弱さや繊細さを想像する必要はないということですから。
社会のいたるところで監督と保護を受ける女性と、監督されづらいが保護もされずただ母と妻にだけは保護を期待してよい男性、という構造があったわけです。
母親が息子に対して過保護になりがちなのも、女性がダメ男に「この人は私が面倒見てあげなくちゃ」と考えるのも、社会も男性も女性も男性の味方をしたがらないことを察知しているので、母や妻である自分だけが助けてあげられると感じているからでしょう。
それが昨今では、母と妻に負担を押し付けすぎだという気づきや、家族の解体や非婚の増加により、女性は社会から監督と保護を受けて、男性は監督も保護も少ないという構造に近づいてきています。
しかしこの状況が心身を傷つけられることが少ない強者男性に有利で、弱者男性にとっては厳しさが増していることはわかると思います。
そして、フェミニズム的な潮流によって、女性に対する監督は今後減っていくことが期待できるため、「女性は社会から保護だけを得られるようになるが、男性は監督も保護もない」というバランスの崩壊した未来を予想する人もいます(さらに悲観的なら、男性は保護されないのに危険存在として監督だけされるようになると考える人もいます)。
そこで弱者男性論からは、男性への保護(と、明言していないが一定の監督)を求める声が上がるのですが、それはいわゆる「女をあてがえ論」だという批判を受けやすいです。
私は、男性保護が「女をあてがえ論」に近くなりがちだという点にはある程度頷きます。
しかし、「女をあてがえ論」だからナンセンスだし黙れ、という扱いをするのは良くないと思います。
「女をあてがえ論」が出ざるをえないのは、男性のせいではなく、社会全体のせいです。
男性ではなく、我々皆が、男性の弱さ辛さを気遣い保護と監督を与える存在として、母と妻以外を準備できていないのです。
個人的好悪ではなく、立法と政治的駆け引きと職員の職務意識が上手く回せれば、改善は着実に訪れるでしょう。
児童支援や女性支援や貧困支援や障害者支援を見ればわかる通り、現実の問題に対して福祉が焼け石に水的であることは否めません。(それでも水をかけ続けることは大事ですが)
意識面について。
母と妻に負担を押し付けすぎだと現代人は気づいたと書きましたが、しかしその一方で、男の弱さを保護するのは母か妻だという意識は、実は大して変わっていません。
現代の「ジェンダーロールからの解放」を表現する物語であっても、大抵は、男性が辛さを吐露して受け入れてくれる相手は妻や疑似配偶者であることに、端的に表れています。
「母や妻に男の気遣いを押し付けるのは良くないよね。でも男なんかを気遣ってあげられるとしたら母や妻だろうね」という歪な感覚が現代の意識なのでしょう。
そしてじゃあ母や妻以外に誰が? となった時、誰も適切な答えを返せません。まるでNIMBY問題のようです。
ここに「男性同士でやればいい」と答えようとすると、次で説明する能力面の問題に突き当たります。
能力面について。
母と妻以外に男性の弱さを気遣う存在として、男性があげられることはあります。
先述のエントリで書いたように、男性は様々な場面で粗末に扱われる人生を生きていくためには、自分に対しても他人に対しても気遣う能力を退化させざるをえません。
多くの男性のケア能力は既に鈍麻し退化させられているのですから、男性同士が集まったからといって気遣いあえるわけがないのです。
だから男性の集まりは、競い合うライバル関係、お互いの得意分野を見せ合う趣味の会、外部に発見した敵と戦うことで一体感を得る集まりなどになりがちで、弱さへの気遣いをしあうことができません。
ならばケア能力を退化させずに生きてきた人たちが手を貸すことが望ましいですし、男性が能力を失っている以上その中心は女性になるでしょうが、それは「女をあてがえ論」だと言われてしまうわけです。
男性にも社会からの監督・保護・ケアを与えようとするのであれば、女性が、自他を気遣う能力の師匠をやる時期がしばらく必要だと思います。
女師匠の存在は、「ずっと女に押しつけておけ」というものではなく過渡期として必要な施策であり、悪しき「女をあてがえ論」だと否定するべきではないでしょう。
100年後くらいに、気遣う能力を潰されずに中高年になれる男性も増えたら、男性同士での気遣いも、気遣い能力の教育も可能になり、女性ばかりが師匠をやらなくて済むようになるはずです。
(私個人は、先述のエントリで書いたように基本的には男女ともに監督も保護も少ない男女平等の方が実現可能性が高いと思っていますが、男女ともに監督と保護が増した世界を目指すならこのような考え方がいるだろうという思考です)
このエントリは、前のエントリに比べて同意を得られないでしょう。
特に、一番同意されないのが、男性に自分たちを気遣う能力を喪失しているから能力のある他者が助けなければいけないという部分だと思います。
しかし、そこがもっとも男性の能力のなさ、即ち男性の弱さと助力の懇願を赤裸々に書いたパラグラフのはずです。
「男性の多くは、この分野(自他を気遣うこと)においては自分達の面倒を見る能力を喪失させられている」までは前のエントリで書いたことと同じであり、一定の同意を得られたはずです。
ですがそこから「なので、能力が鈍磨させられづらい人々が助ける必要がある」というSOSになると、一転して反発され、助けなくていい理由や、他者集団を頼らず自分たちの中で何とかすべき理由が沢山考えられる。
プライドなんか捨てた方がいいというアドバイスは世間に沢山あるけれど、いざプライドを捨てて金の無心を始めた人間に対してはみんな冷たくしはじめる、という状況を連想させます。
男性の弱さが世の中に認められづらいという傾向は、このような抽象論のうちは同情されても具体論として実際に助力を求めだすと拒絶されるという現実にも強く表れており、それが男性たちの「結局弱い男なんて誰も許さないんだよ」などの捨て鉢な言葉に繋がってしまうのではないでしょうか。
信用できない他人の介在する余地を極力減らし、本当に愛する親が児童を守る子育て先進社会をする。
市長さん…ここ(かつてママさん国会議員も熟読して保育園を拡充した素敵な匿名掲示板…!)を見てるなら、この実親送迎システムも導入してください。
まあ、事の真相が報道されたのを聞いて、イエローケーキをバケツで運ぶようなことしてたのかよ!!!って突込みを入れてしまった。
正規の手順だと臨界事故が起きるはずがないようになっていたはずが、効率を求めるがゆえに正規の手順ガン無視で作業し、裏マニュアルさえ無視して起こした事故。
今回の幼稚園も手順通りならQRコードがスキャンされずに登園にならず、気づかれたはずが、バス乗車時点でのノートをもとにQRコードをスキャンするというズルが常態化し、起きた事故に感じた。
そういうズルをしないと回らないような仕組みになっちゃってたのか、どうせ事故なんて起きないからと気が緩んでいたのかはわからんが。
まあ、機械式車庫のボタンを押し続けないと動作しないようにする安全装置をズルするものがあるけれど、ああいうやつだよな。
起きるべくして起きたとは思った。
憲法学の通説によると、信教の自由には親が子供に自分の信仰する宗教を教育する自由も含まれる、らしい。
両親が子どもに自己の好む宗教を教育し自己の好む宗教学校に進学させる自由、および宗教的教育 を受けまたは受けない自由も、信仰の自由から派生する。
第18条 4 この規約の締約国は父母及び場合により法定保護者が、自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。
つまり、親が自分の信仰する統一教会だのオウムだのエホバだのを子供に教え込んだり、集会に連れ回したりするのも憲法と国際人権規約で保障された人権の一つ、ということになってしまう。
親が家の資産を売り払ったり子供の学費を払わずに献金しまくって自己破産するのも、自分の金の遣いみちを自分で決めてるだけだから子供が教団から金を取り返すことはできない。
親が正体を偽った勧誘によって入信した場合は、親が教団を訴えれば献金を取り返すことができる判例はある。でもそれは親がカルトから目覚めて脱会した後ではじめて可能になる話で、子供がカルトを辞めたがってても親がカルトにハマり続けてる場合はどうしようもない。
具体的な暴力や育児放棄がないと児童相談所も介入できなさそうだし、親の信仰を辞めさせることはできない以上、さっさと親子の縁を切って自立していく以外の解決はなさそう。
この唐津市ですが、SNS上では「市民がノーマスクで過ごし、観光客もマスクなしで過ごせる、ノーマスクの楽園」のようなイメージを持たれている節があります。
しかし、そのようなことはありません。
唐津市は、新型コロナ対策への取り組みが特別緩いわけでもなく、逆に過剰なわけでもありません。
唐津市も日本に数多くある、ごく普通の地方都市にすぎないのです。
SNS上の勝手なイメージを持ったまま、唐津市の観光地や飲食店をノーマスクで訪れて、「マスクの着用を求められた」「観光地に入れてもらえなかった」と文句を言われても、どうしようもないのです。
わざわざ唐津にきたのに、嫌な思い出が残り、悪い印象を持ったかもしれませんが、そもそも単なる思い込みから生まれたことなので、仕方がありません。
しかし、それだけでは済まされない出来事が起きてしまいました。
唐津市内の小学生たちが始業式を迎えたというよくあるニュース映像の中で、全員がマスクをつけ各児童の席にアクリル板が取り付けられていたため、唐津市教育委員会に「確認」の電話やメールをする人が現れました。
今日9月5日、唐津市には現在台風11号が接近し、午後には暴風警報や避難指示も発令されています。
大型の台風が接近している中、安全確保や休校の判断など、唐津市教育委員会が、通常業務とは全く異なる状況にあることは容易に想像がつくでしょう。
そんな中、ニュースで見たアクリル板とマスクについて、唐津市教育委員会に問い合わせを入れる人々が現れたのです。
唐津市は佐賀県土の2割を占める上、海あり山あり一級河川ありと地形も様々で、児童生徒の安全確保にも一層気を使うという事情があります。
そんな事情など、唐津に何の関係もない人々にとっては知る由もない事でしょうが、今日の時点で命にかかわるのは、マスクやアクリル板を外すことよりも台風対策なのです。
この記事ね。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8
読むのめんどい人のために雑にまとめると、とある大学教授が生徒相手に男女差別を体験させる授業をしたって話。
そんで、その中で「『リボンあり』が作った折り紙を100円、『リボンなし』のそれは50円で買い取る」、てくだりがあるのよ。「リボンあり」は男性、「リボンなし」は女性で、両者の賃金格差の差別を体験させよう、てことよね。それは別にいいんだけどさ、
いや、こんなこと言う奴いる?
俺もクソみたいな差別発言いっぱい見たことあるけどさ。「女が倍働けば男と給料一緒じゃん」「女だけ品質上げれば〜」みたいな方向性はさ、見たことないんだわ。
明らかに、授業の方針に合わせてロールプレイしました(しかも滑ってる)、て発言じゃん。
「そう思うのはお前の感想だろ」って思った?
そうなんだけどさ、じゃあ記事本文に「この種のリアクションをした人は何%」とかのエビデンスはない。ていうか手法の解説もフワッとしてるし、再現性もあるのかないのか分かんない。つまり、この記事自体が感想の羅列に過ぎない。
それもそのはずで、この記事は論文でないだけでなく、そもそも「体験授業」を紹介してるに過ぎない。もちろん実験ではない。
それを、あたかも科学的正しさが「あるかのように」「さももっともらしく」記事を作ってるのがハフポストとかいうクソ媒体なわけ。
確かにさ、記事内では「実験」とは言ってないし、科学的な正しさがあるかのようには書かれてない。ただ「それっぽい」だけ。でも、現実には、反知性的で科学的な思考ができない可哀想な人たちが科学的な正しさがあるかのように勘違いしている。
こんな風に→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8
「印象的だったのは、内海﨑さんとのやりとりを続けるうち、教室内では徐々に「正しい答え」に合わせることが諦めとともに受け入れられていったことだ。」
地方紙に載ってる「●●小学校で豆まきが行われ、児童の一人は『鬼もかわいそう』と語っていたのが印象的でした」とかのほのぼの記事レベルの話やねんぞ。
この教授さんはさ、ただ「差別を体験させよう」て意図で、別に社会実験のフリをしようとしたわけじゃないのかもしれない。ハフポスが勝手にやっただけかもしれないーーーーて、そんなわけあるかーい!
明らかに内容チェックしとるやろ。チェックした上で、ただの体験授業を社会実験っぽく糊塗(捏造ではないので嘘はついてないところがポイント)したこの原稿にOK出してるやろ。それ、学問に携わる人としてどうなんですかね?ちなみにチェックしてなかったらもっとやばい。本人の実名、役職、顔出しはともあれ、生徒の実名まで出てるんだからさ、これハフポスに勝手にやられましたはヤバ過ぎでしょ。
ちなみに「2004年からこの授業を続けている」そうだけど、18年もやってきて、なんのデータも蓄積されてないとしたらヤバいし、蓄積されてるのに直近の授業に対する「記者の印象」だけで記事を作らせるのもわりとヤバい。
要点をまとめるとだね。
・この体験授業にあるような男女差別は存在すると思う。少なくとも自分の実感では存在する。詳しくないから分からないけど、ちゃんと論文とかもあると思う。
・この記事はクソ。この体験授業では男女差別の存在も、種類も、何も明らかになってない。
ここから先は余談。
フェミニストたちがしばしば見せる、この「科学的でも何でもない自分達の感情あるいは願望を、あたかも科学的であるかのように塗り固める(でも科学的であるとは言ってないので嘘ではない)」ムーブは本当にクソだ。
「たわわ」の件もそうだった。
フェミニストたちはいかにも「科学的正しさを重視します」「教授です」「公的メディアです」「国連です」て顔しながら、科学と全く関連しない嘘八百をもっともらしい雰囲気で垂れ流す。卑怯としか言いようがない。
この記事ね。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8
読むのめんどい人のために雑にまとめると、とある大学教授が生徒相手に男女差別を体験させる授業をしたって話。
そんで、その中で「『リボンあり』が作った折り紙を100円、『リボンなし』のそれは50円で買い取る」、てくだりがあるのよ。「リボンあり」は男性、「リボンなし」は女性で、両者の賃金格差の差別を体験させよう、てことよね。それは別にいいんだけどさ、
いや、こんなこと言う奴いる?
俺もクソみたいな差別発言いっぱい見たことあるけどさ。「女が倍働けば男と給料一緒じゃん」「女だけ品質上げれば〜」みたいな方向性はさ、見たことないんだわ。
明らかに、授業の方針に合わせてロールプレイしました(しかも滑ってる)、て発言じゃん。
「そう思うのはお前の感想だろ」って思った?
そうなんだけどさ、じゃあ記事本文に「この種のリアクションをした人は何%」とかのエビデンスはない。ていうか手法の解説もフワッとしてるし、再現性もあるのかないのか分かんない。つまり、この記事自体が感想の羅列に過ぎない。
それもそのはずで、この記事は論文でないだけでなく、そもそも「体験授業」を紹介してるに過ぎない。もちろん実験ではない。
それを、あたかも科学的正しさが「あるかのように」「さももっともらしく」記事を作ってるのがハフポストとかいうクソ媒体なわけ。
確かにさ、記事内では「実験」とは言ってないし、科学的な正しさがあるかのようには書かれてない。ただ「それっぽい」だけ。でも、現実には、反知性的で科学的な思考ができない可哀想な人たちが科学的な正しさがあるかのように勘違いしている。
こんな風に→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8
「印象的だったのは、内海﨑さんとのやりとりを続けるうち、教室内では徐々に「正しい答え」に合わせることが諦めとともに受け入れられていったことだ。」
地方紙に載ってる「●●小学校で豆まきが行われ、児童の一人は『鬼もかわいそう』と語っていたのが印象的でした」とかのほのぼの記事レベルの話やねんぞ。
この教授さんはさ、ただ「差別を体験させよう」て意図で、別に社会実験のフリをしようとしたわけじゃないのかもしれない。ハフポスが勝手にやっただけかもしれないーーーーて、そんなわけあるかーい!
明らかに内容チェックしとるやろ。チェックした上で、ただの体験授業を社会実験っぽく糊塗(捏造ではないので嘘はついてないところがポイント)したこの原稿にOK出してるやろ。それ、学問に携わる人としてどうなんですかね?ちなみにチェックしてなかったらもっとやばい。本人の実名、役職、顔出しはともあれ、生徒の実名まで出てるんだからさ、これハフポスに勝手にやられましたはヤバ過ぎでしょ。
ちなみに「2004年からこの授業を続けている」そうだけど、18年もやってきて、なんのデータも蓄積されてないとしたらヤバいし、蓄積されてるのに直近の授業に対する「記者の印象」だけで記事を作らせるのもわりとヤバい。
要点をまとめるとだね。
・この体験授業にあるような男女差別は存在すると思う。少なくとも自分の実感では存在する。詳しくないから分からないけど、ちゃんと論文とかもあると思う。
・この記事はクソ。この体験授業では男女差別の存在も、種類も、何も明らかになってない。
ここから先は余談。
フェミニストたちがしばしば見せる、この「科学的でも何でもない自分達の感情あるいは願望を、あたかも科学的であるかのように塗り固める(でも科学的であるとは言ってないので嘘ではない)」ムーブは本当にクソだ。
「たわわ」の件もそうだった。
フェミニストたちはいかにも「科学的正しさを重視します」「教授です」「公的メディアです」「国連です」て顔しながら、科学と全く関連しない嘘八百をもっともらしい雰囲気で垂れ流す。卑怯としか言いようがない。
この記事ね。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8
読むのめんどい人のために雑にまとめると、とある大学教授が生徒相手に男女差別を体験させる授業をしたって話。
そんで、その中で「『リボンあり』が作った折り紙を100円、『リボンなし』のそれは50円で買い取る」、てくだりがあるのよ。「リボンあり」は男性、「リボンなし」は女性で、両者の賃金格差の差別を体験させよう、てことよね。それは別にいいんだけどさ、
いや、こんなこと言う奴いる?
俺もクソみたいな差別発言いっぱい見たことあるけどさ。「女が倍働けば男と給料一緒じゃん」「女だけ品質上げれば〜」みたいな方向性はさ、見たことないんだわ。
明らかに、授業の方針に合わせてロールプレイしました(しかも滑ってる)、て発言じゃん。
「そう思うのはお前の感想だろ」って思った?
そうなんだけどさ、じゃあ記事本文に「この種のリアクションをした人は何%」とかのエビデンスはない。ていうか手法の解説もフワッとしてるし、再現性もあるのかないのか分かんない。つまり、この記事自体が感想の羅列に過ぎない。
それもそのはずで、この記事は論文でないだけでなく、そもそも「体験授業」を紹介してるに過ぎない。もちろん実験ではない。
それを、あたかも科学的正しさが「あるかのように」「さももっともらしく」記事を作ってるのがハフポストとかいうクソ媒体なわけ。
確かにさ、記事内では「実験」とは言ってないし、科学的な正しさがあるかのようには書かれてない。ただ「それっぽい」だけ。でも、現実には、反知性的で科学的な思考ができない可哀想な人たちが科学的な正しさがあるかのように勘違いしている。
こんな風に→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8
「印象的だったのは、内海﨑さんとのやりとりを続けるうち、教室内では徐々に「正しい答え」に合わせることが諦めとともに受け入れられていったことだ。」
地方紙に載ってる「●●小学校で豆まきが行われ、児童の一人は『鬼もかわいそう』と語っていたのが印象的でした」とかのほのぼの記事レベルの話やねんぞ。
この教授さんはさ、ただ「差別を体験させよう」て意図で、別に社会実験のフリをしようとしたわけじゃないのかもしれない。ハフポスが勝手にやっただけかもしれないーーーーて、そんなわけあるかーい!
明らかに内容チェックしとるやろ。チェックした上で、ただの体験授業を社会実験っぽく糊塗(捏造ではないので嘘はついてないところがポイント)したこの原稿にOK出してるやろ。それ、学問に携わる人としてどうなんですかね?ちなみにチェックしてなかったらもっとやばい。本人の実名、役職、顔出しはともあれ、生徒の実名まで出てるんだからさ、これハフポスに勝手にやられましたはヤバ過ぎでしょ。
ちなみに「2004年からこの授業を続けている」そうだけど、18年もやってきて、なんのデータも蓄積されてないとしたらヤバいし、蓄積されてるのに直近の授業に対する「記者の印象」だけで記事を作らせるのもわりとヤバい。
要点をまとめるとだね。
・この体験授業にあるような男女差別は存在すると思う。少なくとも自分の実感では存在する。詳しくないから分からないけど、ちゃんと論文とかもあると思う。
・この記事はクソ。この体験授業では男女差別の存在も、種類も、何も明らかになってない。
ここから先は余談。
フェミニストたちがしばしば見せる、この「科学的でも何でもない自分達の感情あるいは願望を、あたかも科学的であるかのように塗り固める(でも科学的であるとは言ってないので嘘ではない)」ムーブは本当にクソだ。
「たわわ」の件もそうだった。
フェミニストたちはいかにも「科学的正しさを重視します」「教授です」「公的メディアです」「国連です」て顔しながら、科学と全く関連しない嘘八百をもっともらしい雰囲気で垂れ流す。卑怯としか言いようがない。
以前ここでちびまる子ちゃんのエピソードを教えてもらったのだが、
日本人、とくに静岡県民の良さが凝縮されているような話だと思う。
■ 藤木のひきょうを直す会の全容
ある日、藤木の卑怯に心底うんざりしていたまる子・永沢・小杉・山根の4名は、藤木の卑怯は子供のうちに直しておいた方が良いと考え、「藤木のひきょうを直す会」を旗揚げし、放課後に藤木の卑怯の直し方について真剣に議論することを取り決めた。
ちなみに関連動画にある”藤木のテーマ「卑怯者」”は会の旗揚げが決定する直前に藤木が心の中で歌っているもので卑怯な自分に対する嫌悪と半ば開き直っているかのような歌詞が秀逸である。
話し合いの前半戦は永沢主導の下、卑怯について各自で調査・研究した事を発表し、それに対しての意見を述べ合うというグループディスカッション形式がとられ、小学3年生にもかかわらず大学のゼミ顔負けの本格的な議論が行われた。
しかし…
話し合いが後半戦に差し掛かると当初の議題から大きく脱線し、何故か個性を生かした自分の将来像についてが議論され始めた。というのも卑怯は他人に迷惑をかけるものではあるが、本人からすれば危険な状況下に直面した際に、己の身を守る事のできる才能であり、個性として受け入れるべきではないか?という流れになったためである。
いつしか小杉はメタボを生かして相撲取り、山根は胃腸の弱さを生かしてモデル、永沢は玉ねぎのような頭を生かして玉ねぎおじさんのお店のマスターという短所ともいうべき個性を一種の才能であると前向きに考え、将来に想いを巡らせ始めた。
結局、藤木の卑怯を直す方法は見つけられなかったが、この話し合いを通して子供たちが、お互いの個性を尊重し合い、自らの将来の可能性を模索する事ができたという点では、決して無駄ではなかったのである。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E8%97%A4%E6%9C%A8%E3%81%8F%E3%82%93
ネットだと『お世話係』という言葉を持って、発達障害の児童を一般の教室に入れる事を絶対悪認定する人が多いけれど本当にそれでいいのかっていう。
https://toyokeizai.net/articles/-/579447?page=2
「一緒に過ごしていれば、喧嘩もするし、嫌なこともある。もちろん、暴力や暴言などで理不尽に嫌な思いをさせてしまった時は厳しく指導し、やられた子へのフォローが欠かせません。
そうして周囲と接する中で、徐々に手をすぐに出さない接し方を学んでいきます。ある程度の年齢になると落ち着くことも多いので、その子の成長を待ってあげることが大切です。
子どもは優しくて、柔軟です。一緒の空間で過ごしていると、「あいつは授業で邪魔ばっかりするけど、忘れ物をした時は貸してくれて優しいんだよね」と、多面的に見るようになります。その子も一人の人間だということが理解できるんです。
しかし、自分の周囲で障害やハンディキャップのある人を知らないで育ち、あるとき突然出会ったら理解できるでしょうか。ともに育たない学校の現状は、社会をますます分断してしまうのではないかと危機感を感じています。