はてなキーワード: SIerとは
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/05203/
COCOAやHER-SYSの開発において、日本マイクロソフトは厚労省との契約主体ではない。しかし厚労省がHER-SYSの開発ベンダーを急ぎ探していた2020年4月、ベンダーの選考会に参加して営業活動を展開していたのは実は同社だった。パーソルP&TやFIXER、エムティーアイは、いずれも日本マイクロソフトのクラウドサービス「Azure」の有力な開発パートナーでもある。各社は厚労省の選考に勝ち残った「日本マイクロソフトの呼びかけでプロジェクトに参加した」(パーソルP&TのDXソリューション統括部の責任者)。
いわゆる「マイクロソフト村」だ。ときどき見かける組み合わせ(異同はある)。
契約段階でパーソルP&Tが元請けとなった理由は、関係者によれば「製品の提供に徹してシステム開発案件の契約は開発パートナーに任せる」という、日本マイクロソフトの方針によるものだった。
この座組みもよく見る。Microsoftのソフト製品をバンドルしたりAzureを売ったりしている大手日系メーカーやSIerとガチンコ競合にならないための建前的なやつ?
接触確認アプリの基盤を世界的に提供していた米Apple(アップル)と米Google(グーグル)が、接触確認アプリの提供元は各国の公衆衛生当局に限るという「1国1アプリ」と打ち出したからだ。厚労省はそれまで「接触確認アプリ導入に冷ややかだった」(関係者)が、アップルとグーグルの鶴の一声で「公衆衛生当局」として調達を担当することになったのだ。前述の通り、ここで厚労省は接触確認アプリの開発先の調達をパーソルP&Tに「一任した」。
ここでHER-SYSと抱き合わせでやらせちゃえって判断した厚労省の誰かが、ある意味で最も無能で罪深いと思う。
たしかに接触確認アプリのサーバーはHER-SYS側のデータを定期でもらう必要はあるけど、逆に言えばそこだけっていうか。接触確認アプリの実装において肝になりさらに難航が予想されるポイントは、HER-SYSとは全く性質が異なるじゃん。AppleとGoogleの突貫協議で開発されたOS組み込みのAPIを正しく取り扱うこと、テストしにくいアーキテクチャが不可避な中でなるべく多くの国民が利用できるように多機種に対応し動作確認すること、そういう感じじゃないの。しらんけど。
なんでHER-SYSのおまけで賄えると思ったんだか。やるならやるで別の予算調達してベンダー選定しなよ。
時間がなかったから仕方ない?長くても半年もいらなかったと思うけど。Androidで通知ができてなかった去年の9月から今月までで半年だ。
さらに接触確認アプリの十分な知見がなかったパーソルP&Tは日本マイクロソフトにCOCOAの調達やプロジェクト管理を任せる形を取った。「丸投げ」が連鎖したわけだ。注意が必要なのは日本マイクロソフトは接触アプリを公正に選べる立場になかった点だ。COVID-19 Radarには同社社員もおり、その接触確認アプリはサーバーの稼働環境にAzureを使い、AndroidとiOSで共通に稼働するコードを開発するツールには同社の「Xamarin」を使っているなど関係が深かった。厚労省は当時、こうしたベンダー側の事情も知る立場にあったとみられる。
知ってたっしょ〜。知らないわけないよ、絶対知ってたよ。(証拠はない)
「なんでもいいからクラウドもってこい」ならぬ「なんでもいいから接触確認アプリもってこい」って態度だったんでしょう。(証拠はない)
日本Microsoftも厚労省もだんまり決め込んでるみたいだけどね。
日本マイクロソフトと厚労省に対して、COCOAの開発先を選んだ当時の経緯について2020年9月から複数回取材を申し込んできた。これに対して日本マイクロソフトは取材に応じず、厚労省は当時の経緯の説明を避けている。
業界を代表する媒体の取材を何度も断るとあらば、今後数年は真相は明らかにならないかもしれない。
やれやれ。
ソフトが儲かるかって言われるとまた別の話で、ソフトで儲けてたことがある会社なんてMSとオラクルくらいしかないんだよな
IBMは汎用機やPC売ってたし、Ciscoはネットワーク機器売ってたし、AppleはMacintoshからiPhoneまでずっとハードだし、GoogleもFacebookも広告だし、Amazonはクラウド(要するに自社内にハード持ってそれを貸してる)だし、MSもOracleも今そっちに移行しようとしてる
ハードは儲かるんだよやっぱり、それに比べてソフトで儲けるのは難しい 安い投資で出来るから競合もすぐ出てくるし、移り変わりも速いし
今から儲かるのはハードとソフトをワンストップで提供するサービス、あるいはプラットフォーム屋だとは思うけど
追記:
ソフトにコンサルとSIer(ブコメにあった今のIBMとか)は含めてない、あれはむしろサービス業でハードvsソフトみたいな文脈で比較するのは違うと個人的には思う
そう思っている。
結論から言えば、SIerで数年働いてウォーターフォールを身に刻みつつWeb技術を趣味で学ぶ。その後アジャイルを標榜しているWebスタートアップに転職すれば良い。
往々にして(少なくとも日本における)Webスタートアップのアジャイルは上手く行かない。なぜならアジャイルとはなんたるかをきちんと学ばず、「なんとなく楽そう」とか「今時でイケてそう」みたいな動機で採用するからだ。
あらゆるプロジェクトが炎上しまくった結果、ウォーターフォールに回帰する瞬間が必ずやってくる。しかしWeb系でウォーターフォールの上流工程ができる人材は割と限られていて、その中にSIer出身でコテコテの上流工程やってたエンジニアが入るとかなり重宝されるのである。
アジャイルは、ウォーターフォールの酸いも甘いも経験してその対比でこそ真の利点が見えてくる。そうしてウォーターフォールもアジャイルも分かってる人材になれば、それだけでそのスタートアップでは唯一無二の存在である。
オーケストレーションだとか自然言語処理だとか純粋関数型だとかCSだとかで技術的に尖ろうとしても、そういう高度なものを求めているスタートアップは実際多くはない、というか既に席が埋まっている場合が多い。
T型人材とよく言われるけど、難しいことは何もなくて、タイトルに掲げた人並のものを2つ持っていればいい。OOPも知らない奴らがネストの深さは何層までだとかタブスペースは2つだとかforeach文使ってるやつはクソだとか表面ばかりに囚われて本質見誤って伸びきったスパゲティを量産しているような現場に、レガシーから飛び出したお前らが新風を巻き起こして欲しい。
そんな私の年収は400万です。
45歳年収300万のプログラマーさんがソースコードを流出させてえらいこっちゃらしい。
この問題についてはさておき、プログラマってそんなに給料低いの?と思われたら心外なので大体の給与相場を書いてみる。
45歳はちょっとわからないので、30歳東京勤務、スーパーエンジニアではないけどそれなりに活躍しているWeb系の開発者と仮定する。学部卒なら社会人8年目、修士卒なら6年目。
情報源は転職サイト、給与情報サイト、知人から聞いた話、実体験など。
業種 | 30歳給与相場 | 補足 |
一部の外資系ユーザ企業 | 1500万〜2000万 | GAFA等。株式付与も込み |
外資系SI、ユーザ企業 | 900万〜1500万 | Microsoft、AWS、IBM、その他SaaS、Fintech等。プログラマだけでなくソリューションアーキテクトなども |
一部の自社開発系 | 800万〜1200万 | メルカリ、LINE、ファーストリテイリング、Fintech系など |
ITメガベンチャー等 | 600万〜900万 | ヤフー、楽天、サイバーエージェント等 |
その他自社開発系 | 500万〜700万 | 主に中小規模の企業 |
一次請け大手SIer | 700万〜1000万 | 開発は下請けがやるのでプログラマではない。残業代含む |
少数精鋭受託開発系 | 700万〜1000万 | 大手ではないが基本的に一次請けで開発まで全部やる、あるいはSES |
大きめSIer | 600万〜800万 | 大手の子会社、二次請けとかその辺。さらに下請けに出すことも多い |
中小SIer | 400万〜600万 | よくある受託開発会社 |
弱小SIおよびSES | 300万〜500万 | 大規模案件の三次請け以降やクソ案件がメイン。闇。しかし多くの会社がここに分類される。 |
大手企業社内SE | 600万〜900万 | 穴場。ユーザが社員なので納期なども緩い |
・エンジニアのスキルシートを名刺交換した協力会社に一斉メールでばらまくタイプの営業スタイル
(BP=ビジネスパートナー、他社のエンジニアを代理で営業すること
・文系、プログラム言語のことはなにも知らない、ふんいきでやっていた
・月に+5人になると会社からインセンティブ貰えるのと全体目標到達するとベースアップがあったので頑張っていた
例の事件は今まで発覚してなかっただけでGithubの使い方しらないSEが公開設定すら知らずにやらかしなんていくらでもあったと思う。
SESの営業マンがエンジニアの言語や環境を理解していることなんてほぼ稀(エンジニア上がり除く)なので「Githubってなんですかね」ってきいたところで「自分で勉強するんですか!すごいですね!頑張ってください!」しか言わないと思う。(もちろん会社から勉強会の時間や費用は出ない)
良い会社は帰社日という名目で勉強会を開催していると聞いたことがあるが、それはごく一部だと思う。大体は営業マンがやるべき常駐先の状況報告をエンジニアの予定を合わせて一回にまとめたいだけの会で、大体残業に追われているSESエンジニアにとっては「そんな時間あったら常駐先に戻って進捗進めたい」との愚痴が多かった。(そういう愚痴をBP営業している最中に聞くとさらっと引き抜きできたりした)
SES営業は商流が深くなると紹介料1~10万以上の差が出てくるらしい。
(元弊社は3~5万で平均的、だったらしい)
らしい、ばかりだがこの紹介料が一番ぼったくれるところなのでいかに大胆に「うちは全然抜いてないですよ~!」と大嘘をつくのことが大事だったので1万円しか紹介料もらっていないという会社は実在しないかもしれない。
これによってもちろんエンジニア本人の給与が変わってくるが、それは案件の難易度、残業時間、エンジニアの経験年数は一切関係ない。
商流浅いところを見つけられなかった営業マンの力不足または中小企業の限界(下請法的な意味で)である。
それでひ孫請けになってしまったもしくは案件で値段交渉を渋られた(高齢エンジニアだとそれだけで単価が削られることがある)場合でも営業マンは淡々とエンジニアに「今回の案件は給与(交通費コミ)25万になりましたー」など伝えなければならない。
優秀なエンジニアを育てる土壌があれば良いのだけれど、SES業界ではそうもいかないし、新しいスキルを伸ばすことをチャレンジさせてくれる案件なんてほとんどない。
安定した生活をするには全く向いていない業界だけどなぜSESに頼るのか、エンジニア本人に聞いてみたことがあるが「自分で転職活動をするのが面倒」「口下手な自覚があり面接で落ちてしまうのが不安だから」
など、自分を磨く時間や労力を割きたくない、ただ黙々と与えられたことをこなしたい真面目だけど不器用な人が多い印象だった。
そんな人を初対面でも何年も一緒に仕事をしていたかのようにスキルシートを盛って常駐先に顔合わせ同席するときの営業マンとしてのプレゼンはとても楽しかった。
ただ、エンジニアが提示した最低でも欲しい金額を割った安い案件を取ってきてしまったときはエンジニアを説得して案件に入れることもあった。
(案件が決まらない場合会社からもお給料が出ないので、月の途中からでも入れる案件の顔合わせにいつでも出れるよう自宅待機させないといけない)
自宅待機期間が1~3か月を超えると元弊社はエンジニアを退職させることになっていた。
無給なうえ顔合わせ(面接)までの交通費も自腹、いつでも連絡取れるよう副業(日払い労働など)も禁止なのに案件が決まらない場合はあっさり捨てるように退職させるのはエンジニアから見たら全く良くない会社だったと思う。どこもそうだったのかは分からない。自宅でプログラミング勉強するための研修コンテンツを使っている会社があると聞いたが、それが成約率に繋がるかは不明である。会社とエンジニアの信頼関係は築けそうだが…。
営業マンをやっていたとき、この自宅待機させることが本当につらく、自分が案件を決める力がないばかりにこの人を無職にさせてしまったという自責の念が強かった。エンジニアが露頭に迷う悪夢に何度もうなされた。
凄腕上司はエンジニア一人一人の人生なんて最後の最後まで何も考えてないように見えた。いかに「どう言って説得するか」「退職時に揉めない方法」だけを追求していた。その方が精神衛生上良いのかもしれない。SES営業マンにプライベートはない。平日は朝から晩までひっきりなしに知らない電話番号(SES業界で営業マンの電話番号は流出という概念がない)から電話があり、それをいつだって3コール以内に取らないといけない。
質問される内容は大体「(要約)高スキルで低単価のPHPエンジニアはいないか」「インフラエンジニアはいないか」「35歳までで」など存在しない優秀な人材をびっくりするくらい安値で買い叩く話ばかり。
それでもその中をかいくぐり交代要員で炎上プロジェクトだけど単価がいいとか高齢エンジニアでもスキルがあれば入れてくれるCOBOL案件などを日々成約させてきた。
自分が関わってきたエンジニアたちがGithubにコード流出させていないと信じたいと願っているが、そうでもないだろうなという暗雲がかかる未来を憂いてしまった。
今は転職して全く違う業界にいるので、月末の忙しい時期にセキュリティ対策などで電話対応やエンジニアへの周知メール、各所へ奔走しなくて済んで本当によかったと思う。
こういうのはほんとに現場を選ぶべきというか、現場次第だと思う。
多分2学年上だけど、まだ現役だしずっと続けるつもりでやってる。
銀行の案件で、頭おかしいリーダーが仲がいい人間には適正な量の仕事を振って
余った分を全部俺に振るってことをしてた。
例えば設計書の修正をみんなには1週間で50ページくらいの物を振り、
俺には一番でかくて大量の機能が入った300ページの設計書が振られたりとか。
もちろん納期は変わらない。
一番きついときで9~26時(翌2時)の勤務が半年くらい続いた。
残業代も出ないブラックだったから当時は計算してなかったけど、
これは入場したときから炎上していて、9~28時勤務が常態化していた。
元請けの○士通は隣にホテルの部屋を取っていたから終わったらすぐ寝れたんだろうが、
一緒にやっていた、残業代を出していた会社はあとで潰れたと聞いた。
その後でリーマンショックが来て会社がなくなり、フリーになった。
自分で選んでいろいろな現場に行き、「銀行」「役所」「通信基幹系」みたいな、
ベンチャー系でも、リーダーがSIerから転職してきたような系統の人間のとこはダメ。
自らギッチギチのスケジュールを立てて地獄を作り上げているのを見たことがある。
「自分の職務を全うする意識と能力を持った人が集まったユルい現場」が最高の現場だと思う。
もう何千回も同じ文言を口にしたであろう係の人に流れ作業のように対応される
黙って言われるとおりに順番にサービス受けていくみたいのって、現代ではスケールメリットを生かしている質の高いサービスである確率が高い
翻ってつきっきりのマンツーマンで、世間話なんかを交えながら臨機応変に対応されるタイプの接客は不安です
一人の客から得られる利益のマージンが不当に上乗せされているので、こいつのスーツとか、テナントの立地、インテリアやら飾りまで、全部余計な金が使われているだろうが、私にわかるんだよ!
一番いいのはWebだけで終わるサービスなんだけどな。コンピューターに入力して、コンピューターは入力通り動いてサービス提供するだけ
この辺って年配の人は多分逆に考えたり受け取ったりするんじゃないだろうか。雑に扱われるのは嫌だ!特別扱いして私の話を聞きながら時間をかけて接客してくれ!みたいな。そういうことは別のコミュニティとかで解消しろよな
Sierがボッタクリ価格で丹精込めて手づくりしたバグだらけの御社要望を取り入れたシステムよりも、Microsoftが莫大な技術を注ぎ込んで、月額1000円とかで使わせてくれるExcelのほうが、安定してて汎用性高く超強力だったりするわけですよ。
あなたのためのだの、あなただけのだの寝ぼけたことを抜かしてゴミを売りつけようとしてくる輩の多いこと多いこと。マス向けの多くの人にとってまぁこんくらいのクオリティにしとけば満々満足で、大量生産で生産コストも下がり手頃価格になります。みたいな商品とかサービスのほうが偉いわけよ
そういう理屈だと、自分で作ったマズイ料理よりも、工場で作られた弁当のほうが偉いんだけど、
工場で作られた弁当はまともに野菜が使われてなくて、結局自作することになるんだよなぁ
基本的には企業が大量生産とか大量にスケールしてるビジネスに乗っかって利益を受けるのが良いんだけど、個人個人許容範囲は違っていてどうしても自分専用カスタムが必要になるってことはあるわけだよ
そういうのは、自作するしかない感じ。少なくとも同じことを他人にやらせようとしたら人件費でバーストする。だって自分がこだわるような分野ってたいてい自分のほうが得意なんだもの
Sier「定価4000万の15%OFFで3400万です」
俺「高いからここを削って」
Sier「定価3000万の7%OFFで2800万です」
俺「前は3割引きで売ってたからそのぐらいにならない」
Sier「原価が上がってるのでできません」
俺「相見積取るよ」
Sier「定価3000万の50%引きで1500万です」
炎上と無縁でいたいんだけど一切炎上しないSIerってこの世に存在するのか
「この程度は炎上とは言わない」みたいなのじゃなくて「炎上」という概念の個人差を鑑みた上でマジで炎上しないところなんて存在しないと思うんだけど
45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。
皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。
仕事でとうとうGitHubすら使わずにプログラマ人生を終えてしまった。
レガシーな技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。
年収は20代後半からは550万~700万位だった。残業代・退職金は無く交通費は出ない。
所属会社は営業も事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社の運営に必要な金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。
仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる方式。
フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社の所属にしているだけの所だった。
それでもすごく世話になった。
私はやる気が無いプログラマだった。オフの時間にプログラムの勉強をしたことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。
これはそんな元ニートの高卒45歳、多重派遣の底辺プログラマの退職エントリ。
はてなのIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。
◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣のSESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。
技術の勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。
足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。
45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。
退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聞いて仕様書に落とすこともした。
C/C++・Java・各種Shell・VB/VBA・SQL、UNIX/Linux・Windowsサーバーでなんとなーく仕事をしていた。
プログラムは他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いた。
ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京だからあったのだ。
人並以上の理解をしていたのはLinuxの構造くらい。仕事でカーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。
当時居た会社は年俸制という糞システムだったので1円も残業代は出なかったが。
全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社の営業に売りに出されることはままあった。
現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。
解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。
仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれないし、切られる時は切られる。
30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。
それと同時にここ10~15年はブラックなIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。
ライブやイベントにも足を運べるようになり、推しに投資が出来るようになった。
おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。
「あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。
あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。
・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない
・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる
・仕事のタスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論
・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる
・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。
と、毎朝そんな問答を繰り返していた。
改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。
そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。
子供も数年前に生まれ、子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。
そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。
今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。
3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽やパワハラには事欠かなかった。
まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。
フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PGで新人のK君に与えられた。何度も。
かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査で検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業IDを使用して黙ってシステムを更新するというのを繰り返し行った。
今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。
テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピーを検査員に見せつけたのだ。
だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。
今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。
大手家電メーカーの工場で仕事をした時、プログラムの仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。
工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイの工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。
この現場は電機メーカーのIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。
何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?
入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。
これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。
入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。
結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。
小さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。
1週間の仕事で金曜日納品なのに、木曜日の夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。
私の抜けた後、E社の別な人間が担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分のスキルでは本当にギリギリだった。危なかった。
高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。
その後、大手新聞社とオペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。
教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数も理解していなかった。
その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。
文科省認定の専門学校の情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIerや商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。
アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。
就職氷河期の真っ最中に地方中核都市で就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。
会社からは15万円の引っ越し資金だけが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。
親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原の石丸電気で家財一式を買って貰った。
SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。
派遣法の隙間をついて、たった1人で新人が派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。
私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当が想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。
ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。
親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたときの絶望感は大きかった。
地下鉄の電車がホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。
知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。
それ以降、他社でも同じチームの新人には丁寧に接していた。私はまだ恵まれていた方なのかもしれないと思うこともままあった。
その家電はTronからLinuxにOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアのシミュレーターが新規開発となった。
Linuxのカーネルプログラミングが必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリーの洋書(現在は日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。
英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。
私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員もLinux上でC言語の仕事をしたことがある。くらいの人員が集められたのだ。
単価が安い人しか使ってはいけないというルールで運用されていたらしい。
苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロアの大人数の前でこう叱った。
「こいつ全然解ってないじゃないか!!なんでこんなのにやらせているんだ!!」
中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである。
月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。
徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。
何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。
精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。
大卒の育ちの良い中国人派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。
(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)
彼らのような有益な人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。
私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。
自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。
そして、翌週、中間の会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである。
結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、
当時の私には多い金額に思えていたものの、都内のフリーの技術者としては当然低すぎる金額であった。
忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額で契約させられたのだった。
みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。
賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年間遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。
余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。
国産OSのtronは携帯電話で世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話のOSはLinuxとSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。
他にも
「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社が搾取し、私には全く反映されない話」
「野田がドモホルンリンクルのバイトのように円高を注視し続けた時、円高&オフショアブームで単価が2年で2回減った話」
「中間会社にオフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場をインフルで倒れた振りをして休んだ話」
「5000円の著作権フリー音源をシステムに使用するのに数百万かかった話」
「メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」
「メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法を提示され、阻止した話」
「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」
「入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイのショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」
「無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬で生活リズムを取り返した話」
「大手会社のコンプライアンス啓蒙画像に著作権違反を発見した話」
「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」
「某銀行の開発子会社の美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」
などなど考えていたが長くなったので終わり。
多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師の中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。
以前いたプロジェクトの有名SI企業のPMもSES上がりの元寿司職人だった。
SESは就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職で大手や大手子会社に転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。
SESの会社も玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣は改善されてほしいが。
何が書きたかったのか忘れたし飽きた。
業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。
追記:続編を書きました。