はてなキーワード: 日本古典とは
個人の役にたつ可能性はかなり小さい。個人的メリットのみを重視するならば教育課程から除外すべき教科であることは間違いない。
ただし、日本文化の研究、伝承、保全等もろもろのことを国家的に維持していこうとした場合、裾野を広げるために古典(古文・漢文)教育を中等教育課程においておく必要性はある。それがなければ大学で日本古典文学、日本史学、日本語学を専攻しようとする人の数が激減する上に、専攻するための基礎知識のレベルが一気に下がる。それを個人が必要ないというのはそのとおりであるが、国として教育課程維持の必要性は十分にあるだろう。
日本古典文学、日本史学、日本語学なんて役にたたないからやらなくてもいいというのは個人的判断として別にいいが、それを日本国政府が言い出したらいよいよどうしようもないだろうね。某作家が書くような妄想日本史や江戸しぐさが「事実」ということになっていく可能性が強まるだろうね。
増田は「専門家がやればいい」と思うことが多いみたいだけど、それはそのとおり。自国文化の専門家を全滅させないために中等教育で古典を扱っておく必要がある。大学に入ってからやればいいという考え方もあるだろうが、それだとパイが小さくなりすぎる。
『いろは歌』
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
浅き夢見じ 酔いもせず
『竹取物語』
今は昔、竹取の翁(おきな)といふ者有りけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば讃岐造(さぬきのみやっこ)となむ言ひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり。
『伊勢物語』
むかし、男初冠して、奈良の京春日の里に、しるよしして、狩りに往にけり。 その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男かいまみてけり。 思ほえず、ふる里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。 男の、着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。 その男、信夫摺の狩衣をなむ着たりける。
やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事業しげきものなれば、心に思ふことを、見るもの、聞くものにつけて、言ひいだせるなり。花に鳴くうぐひす、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
『土佐日記』
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。そのよし、いささかにものに書きつく。
『枕草子』
春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
『源氏物語』
いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて 時めき給ふありけり。
はじめより我はと思ひ上がり給へる御方方、めざましきものにおとしめ 嫉み給ふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、まして安からず。
『方丈記』
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と住みかと、またかくのごとし。
『平家物語』
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
『徒然草』
つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
『おくのほそ道』
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
あと一選は?
https://twitter.com/crd_tweet/status/1075996340809719808
https://twitter.com/Sakai_Sampo/status/1075996738756866049
ま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜た出たよSFファンの「えっ!? この作品を知らない人がいるなんて!?」マウンティングが。腐臭がする。そういう態度とるくらいなんだからSF老害おじさんにおかれましては日本古典近代戦前文学は言うまでもなく英米仏西伊独南米東欧文学の名作は当然読んでるしアニメ漫画ゲームの有名処は全部触れてるんですよね? どんな人でも絶対に「あの有名どころを読んでいない」なんてこと当然あるに決まってるだろ。SFの業界人がSFの有名どころを読んでなかったらそうも言われても仕方ないかもしれないが、共同リファレンスみたいな一般市民が普通の司書さんに質問した程度の案件でなんだその態度は。大体そもそも多読が可能かどうかって個人個人の特性によることが大きいから名作を全部おさえるみたいなのってできるひととできないにとが明確に分かれるだろ。SF語るのに1000冊読んでいる必要はないって口では言いながらこういう事例ですぐマウンティングしてくるからSF老害は信用ならねえんだよ死ね。
id:wildhog 言語と研究の価値は直接関係ない。とはいえ世界大学ランキングに役立たないし、留学生や海外の研究者に対して敷居が高くなるから英語で書いた方が得じゃない?
じゃあランキング気にするのやめるか英語以外の研究も拾えるランキングにしろよボケ,が前段への返答で,そんならアメリカ人は日本人にとって敷居の高い英語やめてくれない? 日本語で論文書けよ! が後段への返答っすね.マジあいつら日本史や日本社会についての論文や著書すら英語で書きますからね.それを日本人の研究者がわざわざ日本語に翻訳してますからね(悔しいことに面白いんだこれが).別にそれが悪いことだとはまったく思わない,というかむしろアメリカ人の日本研究者が英語で書くのはそりゃ当たり前でしょって感じだけど,広い読者にわかるように日本の研究者は英語で書けとか言われたらまずあいつらに日本語で書かせてから言えよくらいは言っていいですよね.日本史の読者のボリュームゾーンはまずもって日本人なわけで.アメリカ人が英語で日本についての論文を書いても,えー英語論文しかないのー,日本語論文書いてないとかレベル低すぎー,とアメリカのアカデミアで冷遇される世界になったら日本語で論文書いてる欧米研究者を冷遇してくれて一向に構わないので,そのへんどうかよろしくお願いします.
というか日本語を習得して日本語で論文や博論書いて本も出してる留学生の方だって大勢いらっしゃるわけですよ.私はこれまで,中国人・韓国人・台湾人・モンゴル人・ポーランド人が書いた日本語の単著を読んだことがあるし,ウイグル人やカザフ人やエジプト人やアメリカ人で日本語論文書いてるひともおられる.琉球の方言学とか見ると定期的に日本語論文を投稿してらっしゃるニュージーランド人研究者もいらっしゃいますね.日本語は外国人研究者によっても使われる立派な学術言語です.
モンゴル人研究者が日本語で書いた単著の一例(査読つき)> https://www.yamakawa.co.jp/product/67381
id:parosky 論文は人類の知の体系に貢献するものだからみんながアクセスできる言語じゃないとダメじゃない? という意味で英語なことが重要だと思ってたけど、たしかに界隈の人がみんな日本語を読めるなら日本語でもいいね
「みんなが日本語を読める」んじゃなくて,「重要な日本語の先行研究がたくさんあるから頑張って日本語を勉強する」んですよ……
この辺の感覚が理解されてないんですかね? 文系にとって標準言語は英語だけではなく,分野によってはいくつかあったりするのが普通なので,頑張っていくつかの言語を勉強するんです.西洋古代史なら英語や古典語の他にフランス語とドイツ語の先行研究を読む必要があるし,インドネシアの近代史や人類学を勉強したければ英語とインドネシア語の他にオランダ語を学ぶし,中国の前近代史なら英語と中国語の他に日本語が読めないとね,という要求水準があって,それらの言語を知らない人は勉強する必要があるわけですよ.英語さえ読めれば研究ができるひとたちにはわからない感覚かもしれませんけど.
正直,中国を研究してる欧米人が英語論文の中で日本語を引用してるのを見て,「あっ,つづり間違ってるな,こいつあんまり日本語得意じゃないな」って思うことはあります.たぶんもともと中国語が専門で,日本語は研究に必要だからいやいや読んでるんだと思いますけど,西洋を研究してる日本人は同じことをドイツ語とかフランス語とかに対して思ってたりするわけで,まあお互い様っすね.
id:nakex1 自国語しかやってないと自国語で形成される村の思考の枠組み(そこから発生する評価の枠組み,師弟関係や派閥)から出られないんじゃないかという懸念はある。
師弟関係やら派閥やらはともかく、思考の枠組みとか言われても、社会学は英語圏からの輸入学問なんだから、英語圏の発想や思考をバッチリ取り入れた論文書いてますよ! 英語圏の理論の本とか翻訳されまくってるし,未翻訳の本でも原語で引用してるひとは大勢いますねえ.当たり前だけど,執筆言語が自国語であっても,自国語で論文書くために読まなきゃいけない言語はいくつもあるわけで……
id:kanekoshinichiro 日本語で学術を述べてもいいけどガラパゴスにならない?どこかで日本人以外に読んで欲しくないのかなと思ってしまうな。もっとオープンになればいいのに。英語できるでしょ。
ドイツ語より母語話者人口が多い言語を捕まえてガラパゴスとか言われても困りますわー.日本語は話者数世界トップ10に入る大言語なのですが.ちなみに欧州なんかだと日本の10分の1くらいの人口しかいない小国にもちゃんと日本語学科が設置されて現地語で日本研究の論文が書かれてたりします.日本語学習者って世界中にいるので日本語で論文書いてもガラパゴスでも何でもないんですよね.日本人は勉強して英語論文を読んでいるんだから日本人以外も勉強して日本語論文を読んでください.
id:nt46 ペレルマンの論文はポアンカレ予想という関心分野で他の数学者がその正しさを検証したから業績になってるのであって、事実上査読は行われている。
それが査読になるなら日本語の著書や無査読紀要論文も出版後に多くの同業者が読んでチェックしてるから事実上査読つきですね.ありがとうございました.
id:steel_eel 本質は学問が正当性を確保するためのクロスチェックがどう機能してるかであり、その点で現状ベターなのが英語の使用&査読でチェックを受けるシステムなわけで、それが無いなら代替の何があるのかを示さんとな。
分野によるという話をしています.たとえば日本に関する研究なら別に日本語でもいいですよね.日本史や日本社会を研究しているのに日本語の論文を読めない研究者は三流以下なので,そんなひとに査読を頼んでも別に正確性や信頼性が向上するわけではない……というのは理解していただけますか? 日本以外の地域の研究にしたって,前近代の中国史を扱うならば,中国人研究者が日本語の著作を引用したりする世界なので,日本語で書いて査読してもらえばよくないです?
id:operator 日本語か英語かではなく、国際学会のトップカンファレンスを目指して研究したこともないのに教授になれるの?というのが理系からみた驚きなんでしょ。日本古典文学の研究も、英語で文学分野の国際学会に出せるよね。
だからなんでその「トップカンファレンス」の言語が英語である必然性があるんだと小一時間.確か日本文学については日本語が公用語の国際会議みたいなやつはあったはずですし,ロシア文学の国際会議はロシア語でやるはず.英語以外の言語を発表言語に指定されたカンファレンスは出たことあるけどまああれはトップカンファレンスではないか.ともかく,その「トップカンファレンスの公用語は英語」という思い込みをまず捨てやがれください.そんなん理系や一部文系分野のローカルルールでしょ.
id:tarume バベルの塔を折りたい人。なにが"なんとも愉快な未来予想図"だか、英語コンプレックス隠せよ / 知を共有するために論文書いてんだから、まずは一人でも多くの人間が読める言語で書くのは当然でしょ。自国語訳はその後
文系がバベルの塔を折りたがってるんじゃなくて,そもそも文系には共通言語がはじめからなかったという話です.なかったものを探究しろと言われても……
元号 | 出典 | 備考 |
---|---|---|
大化 | 『書経』(『尚書』)大誥、『漢書』巻56、『宋書』巻20 | |
白雉 | 『漢書』巻12 平帝紀 | |
朱鳥 | 『礼記』曲礼 | |
大宝 | 『易経』繋辞下 | |
慶雲 | 『文選』巻6、『晋書』巻54陸雲伝 | |
和銅 | ― | 和銅(ニギアカガネ)が朝廷に献上されたことにより改元 |
霊亀 | ― | 瑞亀献上により改元 |
養老 | ― | 養老の滝命名に因んで改元 |
神亀 | ― | 白亀出現の瑞祥により改元 |
天平 | ― | 「天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により改元 |
天平感宝 | ― | 陸奥からの黄金献上により改元 |
天平勝宝 | ― | 孝謙天皇即位により改元 |
天平宝字 | ― | 蚕が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成したことにより改元 |
天平神護 | ― | 藤原仲麻呂の乱を神霊の護りによって平定したことによる |
神護景雲 | ― | 瑞雲の発現により改元 |
宝亀 | ― | 瑞亀献上により改元 |
天応 | ― | 伊勢斎宮に現れた美雲の瑞祥により改元 |
延暦 | 後漢書 五十二巻 | |
大同 | 『礼記』礼運篇 | |
弘仁 | ― | |
天長 | ― | |
承和 | ― | |
嘉祥 | ― | 豊後国大分郡の寒川(現在の大分川)で捕獲された白亀が献上されたことを大瑞として改元 |
仁寿 | ― | 白亀・甘露の瑞祥による改元 |
斉衡 | ― | 石見国から醴泉の瑞を献上された事による改元 |
天安 | ― | 美作国・常陸国両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元 |
貞観 | 『易経』 | |
元慶 | ― | 白雉・白鹿献上の瑞祥による改元 |
仁和 | ― | |
寛平 | ― | |
昌泰 | ― | |
延喜 | 『尚書』旋璣鈐 | |
延長 | 『文選』東都賦、白雉詩 | |
承平 | 『漢書』 | |
天慶 | 『漢書』 | |
天暦 | 『論語』 | |
天徳 | 『周易』 | |
応和 | 「董巴議」 | |
康保 | 「書経」 | |
安和 | 『礼記』楽記第19 | |
天禄 | ― | |
天延 | ― | 天変、地震による改元 |
貞元 | ― | 火災、地震による改元 |
天元 | ― | 災変、陽五厄による改元 |
永観 | 『書経』洛誥 | |
寛和 | ― | |
永延 | 『漢書』巻75翼李伝 | |
永祚 | 『晋書』巻21礼志 | |
正暦 | ― | 大風、天変による改元 |
長徳 | 揚雄の『城門校尉箴』 | |
長保 | 『国語』(周語中) | |
寛弘 | 「漢書」(元帝紀賛) | |
長和 | 『礼記』(冠義) | |
寛仁 | 『会稽記』 | |
治安 | 『前漢書』 | |
万寿 | 『詩経』 | |
長元 | 『六韜』 | |
長暦 | 『春秋』または『晋書』 | |
長久 | 『老子』(七章) | |
寛徳 | 『後漢書』(杜林伝) | |
永承 | 『書経』 | |
天喜 | 『抱朴子』 | |
康平 | 『後漢書』 | |
治暦 | 『尚書正義』 | |
延久 | 『書経』または『尚書‐注』 | |
承保 | 「尚書」 | |
承暦 | 「維城典訓」 | |
永保 | 『尚書』 | |
応徳 | 「白虎通」 | |
寛治 | 『礼記』 | |
嘉保 | 『史記』 | |
永長 | 『後漢書』巻1光武帝紀 | |
承徳 | 『周易』 | |
康和 | 崔寔『政論』 | |
長治 | 『漢書』 | |
嘉承 | 『漢書』礼楽志 | |
天仁 | 『文選』 | |
天永 | 『尚書』 | |
永久 | ― | 『詩経』? |
元永 | ― | 天変、疾疫による改元 |
保安 | ― | 天変、厄運による改元 |
天治 | 『易緯』 | |
大治 | 『河図挺佐輔』 | |
天承 | 『漢書』 | |
長承 | 『史記』 | |
保延 | 『文選卷十一·魯靈光殿賦并序』 | |
永治 | 『魏文典論』『晋書』武帝紀 | |
康治 | 『宋書』 | |
天養 | 『後漢書』 | |
久安 | 『晋書』劉頌伝 | |
仁平 | 『後漢書』孔奮伝 | |
久寿 | 『抱朴子』 | |
保元 | 『顔氏家訓』文章篇 | |
平治 | 『史記』夏本紀 | |
永暦 | 『後漢書』辺譲伝、『続漢書』律暦志 | |
応保 | 『尚書』 | |
長寛 | 『維城典訓』 | |
永万 | 『漢書』巻64王褒伝 | |
仁安 | 『毛詩正義』 | |
嘉応 | 『漢書』王褒伝 | |
承安 | 『尚書』 | |
安元 | 「漢書」 | |
治承 | 「河図挺作輔」 | |
養和 | 「後漢書」 | |
寿永 | 「詩経」 | |
元暦 | 「尚書考霊耀」 | |
文治 | 礼記祭法 | |
建久 | 『晋書』『呉書』 | |
正治 | 「荘子‐漁父」 | |
建仁 | 『文選卷四十七・聖主得賢臣頌』 | |
元久 | 「毛詩正義」 | |
建永 | 『文選』卷四十二・曹子建與楊德祖書 | |
承元 | 「通典」 | |
建暦 | 『後漢書』 | |
建保 | 「尚書」 | |
承久 | 「詩緯」 | |
貞応 | 『易経』 | |
元仁 | 「周易」 | |
嘉禄 | 「博物志」 | |
安貞 | 『周易』上経坤 | |
寛喜 | 「後魏書」 | |
貞永 | 「易経」(坤卦) | |
天福 | 「書経」(湯誥) | |
文暦 | 『文選卷四十六・顔延年三月三日曲水詩序』 | |
嘉禎 | 「北斉書」 | |
暦仁 | 「隋書」(音楽志下) | |
延応 | 『文選卷二十四・潘安仁為賈謐作贈陸機』 | |
仁治 | 『新唐書』 | |
寛元 | 『宋書』 | |
宝治 | 「春秋繁露-通国身」 | |
建長 | 「後漢書」 | |
康元 | ― | 赤斑瘡による改元とみられている |
正嘉 | 「芸文類聚-歳時中・元正」 | |
正元 | 「詩緯」 | |
文応 | 「晋書‐劉毅伝」 | |
弘長 | 「貞観政要‐封建」 | |
文永 | 「後漢書‐荀悦伝」 | |
建治 | 「周礼」 | |
弘安 | 「太宗実録」 | |
正応 | ― | 伏見天皇即位による改元 |
永仁 | 『晋書』巻22楽志 | |
正安 | 『孔子家語』 | |
乾元 | 『周易』 | |
嘉元 | 『芸文類聚』天部 | |
徳治 | 『左伝』 | |
延慶 | 『後漢書』馬武伝 | |
応長 | 『旧唐書』礼儀志 | |
正和 | 「唐記」 | |
文保 | 『梁書』 | |
元応 | 『唐書』 | |
元亨 | 『周易』 | |
正中 | 『易経』 | |
嘉暦 | 『唐書』 | |
元徳 | 『周易』 | |
元弘 | 『芸文類聚』天部 | |
正慶 | ― | 光厳天皇即位による改元 |
建武 | ― | 『文選』? |
延元 | 『梁書』 | |
興国 | 『春秋左氏伝』昭公四年伝、『新五代史』伶官伝序 | |
正平 | ― | 天変や兵革による改元か |
建徳 | 『文選』 | |
文中 | ― | 『易経』彖伝上? |
天授 | ― | 『史記』淮陰侯列伝? |
弘和 | ― | 『書経』君牙篇? |
元中 | ― | 『易経』彖伝上? |
暦応 | 『帝王代記』 | |
康永 | 『漢書』 | |
貞和 | 『芸文類聚』 | |
観応 | 『荘子』 | |
文和 | 『旧唐書』順宗紀、『三国志』呉志孫権伝 | |
延文 | 『漢書』儒林伝 | |
康安 | 『史記正義』と『唐紀』 | |
貞治 | 『周易』 | |
応安 | 『毛詩正義』大雅江漢 | |
永和 | 『尚書』舜典と『芸文類聚』巻8 | |
康暦 | 『唐書』 | |
永徳 | ― | 『群書治要』巻17? |
至徳 | 『孝経』 | |
嘉慶 | 『毛詩正義』 | |
康応 | 『文選』曹植七啓 | |
明徳 | 『礼記』 | |
応永 | 『会要』 | |
正長 | 『礼記』正義 | |
永享 | 『後漢書』 | |
嘉吉 | 『周易』 | |
文安 | 『晋書』 | |
宝徳 | 『旧唐書』 | |
享徳 | 『尚書』 | |
康正 | 『史記』と『尚書』 | |
長禄 | 『韓非子』 | |
寛正 | 『孔子家語』 | |
文正 | 『荀子』 | |
応仁 | 『維城典訓』 | |
文明 | 『周易』 | |
長享 | 『文選』 | |
延徳 | 『孟子』 | |
明応 | 『周易』 | |
文亀 | 『爾雅』釈魚 | |
永正 | 『周易緯』 | |
大永 | 『杜氏通典』 | |
享禄 | 『周易』 | |
天文 | 『易経』 | |
弘治 | 『北斉書』 | |
永禄 | 『群書治要』巻26 | |
元亀 | 『毛詩』と『文選』 | |
天正 | 『文選』と『老子』 | |
文禄 | 杜佑『通典職官十七』 | |
慶長 | 『毛詩注疏』 | |
元和 | ― | 徳川家康の命により、唐の憲宗の年号を用いた |
寛永 | 『毛詩朱氏注』 | |
正保 | 『尚書』正義 | |
慶安 | 『周易』 | |
承応 | 『晋書』律暦志 | |
明暦 | 『漢書』律暦志と『後漢書』 | |
万治 | 『史記』と『貞観政要』 | |
寛文 | 『荀子』致士篇 | |
延宝 | 『隋書』音楽志 | |
天和 | 『尚書』、『前漢書』、『後漢書』、『荘子』 | |
貞享 | 『周易』 | |
元禄 | 『文選』 | |
宝永 | 『旧唐書』 | |
正徳 | 『尚書』正義 | |
享保 | 『後周書』 | |
元文 | 『文選』 | |
寛保 | 『国語』周語 | |
延享 | 『芸文類聚』 | |
寛延 | 『文選』 | |
宝暦 | 『貞観政要』 | |
明和 | 『尚書』 | |
安永 | 『文選』巻一 | |
天明 | 『尚書』 | |
寛政 | 『左伝』 | |
享和 | 『文選』ら | |
文化 | 『周易』賁卦彖伝、『後漢書』荀淑伝 | |
文政 | 『尚書』舜典 | |
天保 | 『尚書』 | |
弘化 | 菅原為定の漢文 | |
嘉永 | 『宋書』楽志 | |
安政 | ― | 内裏炎上、地震(安政の大地震)、黒船来航などの災異による改元 |
万延 | 『後漢書』馬融伝 | |
文久 | 『後漢書』謝該伝 | |
元治 | 『周易』 | |
慶応 | 『文選』 | |
明治 | 『易経』 | |
大正 | 『易経』彖伝・臨卦 | |
昭和 | 書経堯典 | |
平成 | 『史記』五帝本紀、『書経(偽古文尚書)』大禹謨 |
https://kotobank.jp/word/%E4%BB%A3%E5%A7%8B%E6%94%B9%E5%85%83-1359409
代始改元は,(中略)平安時代からは806年の平城天皇の大同の改元の場合を除き,皇位継承の年に先帝の年号を改めるのは非礼であるとしてこれを避け,翌年に改元するのを原則とするようになった。
※南朝の元号の出典、勧申者がのきなみ不明になってる。焚書にあった?それとも元号を考えられる教養のある人がいなくて適当につけただけだったりする?
※元号って漢籍から適当に二文字抜き出しているように見える。「百姓昭明、協和萬邦」から明和と昭和の2つの元号が作られているし。なんか規則あるんだろうか?
1918年、スイス・シュヴィーツ生まれ。シェーネック神学大学卒業。
20才頃から神学を通して日本の宗教、歴史、文学に興味を持ち、30才頃から本格的に研究を始め、ロンドン大学に留学、
日本文法コースを履修した。'51年来日。岩手大学、東北大学、東大講師を経て、’58年より上智大学文学部で教え、
その間チューリッヒ大学に留学’61年に宗教哲学研究で博士号を取得した。専門は神道、日本古典劇で、大学で講義するほか、
ジャーナリストとしてスイス、ドイツなどの新聞、雑誌に日本文化に関する記事を書いている。
主な著書に、「Japanese Theater」(’75年)、「Schattentheater Asiens」(’79年)などがあり、能や宗教学などの論文も多くある。