はてなキーワード: 軽蔑とは
会った状況を場所や状況を綿密に説明すると身バレするから、詳しくは書かない。
その日の前日に従兄弟と祖父と夕食を取ろうと父親から言われていたから、どこかで会うことはわかっていた。
そう、会社で会ったのだ。
会社の人間の誰かが従兄弟を見て、「全然違う」と言ったような気がした。
従兄弟の顔を恐る恐る見たらイケメンだった。綺麗な顔をしていた。
二重で目が大きいし、髪は綺麗なストレートだし、肌は何もしてなくても綺麗な真っ白な肌だし、鼻も綺麗に通っている。背は自分と同じくらいだけど、顔と体の比率は向こうの方が体の比率が多く占めている。つまり、顔が小さい。少し顔が大きいけど、男ならこれくらいだし、普通だ。自分は異常に顔が大きい。
女装したら可愛くなる顔だ。
自分のような酷く醜い顔ではない。
実は彼は自分のおじさん。つまり従兄弟の父と従兄弟は一緒に住んでない。昔、離婚したのだ。
彼の美しさの元となった母と一緒に美しい従兄弟は住んでいる。
彼の元の父側についた従姉妹二人は、不細工な一重で腫れぼったい顔をしている。つまり自分と同じ系統の顔なのだ。
そして二人ともマイルドヤンキーで、一人は解体工と結婚して一重の子供をポンポン生んでいる。
初めて会った従兄弟が美しい顔をしていたけど、僕はあまり嫉妬しなかった。いや、激しく嫉妬してたかもしれない。
嫉妬しなかった原因は美しい顔しているのに、自分より出来が悪い部分があるのだ。
美しい顔をしているくせして、高校受験に失敗して、滑り止めに進学し、1年間いじめられ、不登校で2年間ひきこもりになったのだ。
そして、1年大手予備校に通った挙句、頭がとてもわるいのか福祉の専門に行ったのだ。
自分の母親の遠い親戚が田舎の中高一貫の進学校の理事をやっていた。少し下駄を履かせてもらって自分はとてもいい中学高校に入学した。
持病の薬のせいで顔が滅茶苦茶になったりしてヒドいことを言われても自分は通ったし、あんまりにも球技ができなくても通ったし、勉強ができなくても通ったし、キモがられても通った。
とても同じく顔が醜いK君もひどいことをされても通った。自分の学校でいじめられる人間は全て顔がわるいものだったけど、みんな通ったし、自分はうまく回避しながら通った。
放課後に美しい顔をした、最終的に慶応にいったハルカちゃんの夕日がかかった汚れのない白くて美しい肌を見たあと、家でずっと泣いていたけど通った。
彼は自分より一歳年上なくせして、金には困っていないのに専門で、バカなのだ。
彼と祖父と自分の父とまずいテリーヌやらを食べていたときに、彼は関西に住んでいるというので、京都の話をたくさんした。
「大学のあたり〜」という言葉を乱発させた。普段は財布の奥深くに突っ込んである楽天カードみたいなゴミ学生証を一番財布の前に入れた。
無駄に財布を開いた。彼の前で。
どうでもよくなると自分は黙って肉に食らいついた。
「お前と違って、こっちは現役でとりあえず関関同立いってんだぞ」と内心ずっと思っていたし、彼の発する言葉全てに「バカだな」と軽蔑していた。
自分の方が深い話ができるし、頭もいいと思った。彼と違って醜いけど。
顔がいいのにいじめられて不登校は甘えだ。自分は容貌障害、内臓障害だぞ。それなのに生きてるんだぞ。
パンのためのオリーブ油に小さな虫が浮いていたから、従兄弟に虫入り油をパンにつけることを勧めようと思ったが、やめた。
自分の父は自分が見てきた中の福祉業界の奥深さと希望を喋りながらも、4年生大学に行くことを遠回しに遠回しに従兄弟に勧めたりしていた。
彼が男ではなく、美しい女だったら自分はどんな対応をしていたか考えた。
おそらく、勃起して、怒り狂って、トイレで泣きながら抜いて、ただただ勇気がないからそいつの顔にフォアグラを塗ったりもせず、黙って自分の口に肉を詰めていた。
彼が自分と同等、もしくはそれ以上の大学に通っていたり、女でなくてよかった。専門学校でよかった。優越感を感じることができた。
彼を擁護するようなことを言う人間はたくさんいるかもしれない。自分はバッサリと甘えといいたい。
今日、妹に禿げていると言われた。髪が後退している。父親の髪型は孫正義みたいなのだ。それほど金を持っていないけど。
容姿差別をする人間を自分は憎まない 自分だって容姿差別している。容姿を醜くしたものと、醜く産んだものと醜いものを憎むだけだ。
羽をもがれたようで見るに絶えません。
社畜の生活は惨めです。なにもできない。なにの希望もない。でも
やっていることは増田と代わりはありませんよ。
主人の意を受けて主人の言葉ならなんでも従う。
主人の夢をかなえるために命を捧げる。社畜と増田は大した違いはありません。
もっとも私は村長様から社畜のような扱いを受けたことはありませんが。
でもだからこそより一層見るに耐えません。
この社畜は私と同じような仕事をしながら自らの手に運命をつかむことができない。
百歩譲ってブラック企業から逃げ出したその熱意を努力と呼んでもいいでしょう。
しかし他人の好意にすがり村に迷惑をかけ、それがミニマリストたちのやりようですか?
まずは謝罪を。
よろしい。
でも、それだけですか?
スカートを指先で軽くつまみ、ドレープを美しく見せながら優雅に一礼するのです。
村長さま、私一人ではいささか手が足りません。増田を雇ってもよろしいでしょうか。
私が嫌いなのは虫です。
発端の「帰れよ」ツイートから、「そばアレルギーの人が蕎麦屋に行くな」という反応ばかりが数多く取り上げられまとめられている(実際、そう考える人の方が多いのかもしれない)。まとめやコメントの中には、この客の精神の異常や詐病までを疑っている人がいる。これだけ多くの人が、どうして平気でそういうことを言えてしまうのだろうと思う。
私は甲殻類アレルギーなのだが、症状はさして重くはなくて、誤ってひとくち食べてしまっても、せいぜい喉の内部のかゆみが数時間ほど続くぐらいだ(命に別状がないからといって、もちろんアレルギー反応がつらくないわけではない。喉の粘膜にごわごわとした毛がウジョウジョ生えてくるようなあの気持ち悪い感触を、どうしたら他人に伝えられるか、私には分からない)。でも「少しぐらい平気でしょ」と言って食べさせようとしてくる人には、「死ぬ人もいるんですよ」と説明するようにしている。飲食店に限らず、食べさせる側に立つ人には「死ぬ人もいる」ぐらいの認識をできれば持ってもらいたいと考えている。
でも、食べる側の権利についてはどうなのか。リスクがあっても選択がしたいと考える人はいるだろう。少なくとも私にはこうした考え全般が「何しに来たんだよ。帰れよ」で一蹴できるほど簡単な問題とは思えない。私は自分からシーフード専門の店に行くことはほとんど無いけれど、魚料理は基本的にだいたい好きだし、旅行なんかで周りの人に合わせて行くことはある。たまに、隠し味にエビが入っていたり、同じ鍋で調理していたりだかして、アレルギー反応が出るときもある。それでも私は、アレルギーが重くならない限りは、リスクのある側を取ることも数多くあるだろうし、それをあまり邪魔されたくないと考えるだろう。たとえば居酒屋でメニューをぱらぱらめくっているとき、シーフードの欄を丸ごとあきらめるか、食べられるものがあるか探すのでは、世界がまるで違って見えるのである。
「詐病だろう」「釣りだろう」派のコメントの中には、より重い症状の例を挙げて、そんなのは本当の蕎麦アレルギーではないと言う人がいる。本当のアレルギーとはなんだろう。いろいろ調べてみた挙句、そのままのエビはどうしても喉がやられるのだが、かっぱえびせんなら食べられることが判明した私は、本当の甲殻類アレルギーではないのだろうか。未だにカニカマからの類推で蟹の味を想像しているこの私が? あるいは彼らにとっては「本当に」そうなのかもしれない。務めている企業の不満を漏らしたら「そんなのは『本当の』ブラック企業ではない」と言ってくるような、不幸のトップランカーでなければ発言権を認めてくれない謎の審査員のような方々は、インターネットにいくらでもいらっしゃる。中途半端な不幸ほど認められにくいものはない。
アレルギー反応には個人差がある。私のようにごく軽い人もいれば、命に関わる人だっている。冒頭のまとめの人がどうだったのかは分からない。私は蕎麦アレルギーの個人差について何の知識もない。ツイートでは読み取れない部分で明らかに問題のある対応をしていたのかもしれない。蕎麦屋で「そばの入ってないものってありますか?」という質問をするのは、確かに店側の人にとっては迷惑だろうが(白杖を持った視覚障害者にも「迷惑だから外を出歩くな」と言えるのなら確かに主張は一貫しているが、私はそう言う人を軽蔑するだろう)、注文できる物の範囲が分からなければ選ぶこともできない。
「リスクがあっても選択がしたい」人の権利を、そもそもそんな権利を認めない人はいくらでもいるだろうが、上のtogetterまとめに発言を残している多くの人たちがどのような理屈で否定しているのか、私には今のところよく分かっていない。「迷惑だから見えないところにいてほしい」というだけの話かもしれない。しかし、口論の前後の文脈もよく分からないのに、「帰れよ」「おかしいのはお前の頭だ」と言い放つツイートが10,000近くRTされて、どうやらそれが笑い話として浸透しているらしいというのは、やはり不気味なことじゃないだろうか?
いくつかは納得のいく反応もあったことをつけ加えておく。
〈個々人のアレルギーの程度とか考慮しないで「死ぬ人もいる」なんて無意味なこと書いてる連中もなんだかな…。…無意味なだけならともかく、詐病の疑いかけ出すからね。この手合い。〉
http://b.hatena.ne.jp/entry/260771349/comment/yas-mal
〈私もそばアレルギーだけど蕎麦屋によってはうどんとかカツ丼とかそばが入ってないメニューもあるし、私のは比較的軽度なので「そばと同じ湯でゆでたうどん」は大丈夫(ダメな人もいる)なんで、蕎麦屋さんが「ない」って言うならしょうがないけど、あるんなら特段問題ない質問だと思うけどなー。 〉
「中国を含め、どこの国とも、誠意を持って話しあえば戦争は避けられる。自衛隊は災害とかで役に立つから存在して良い。」とか?日本が西ヨーロッパとか北アメリカにあったら、実現不可能な理想、というわけではないと思うし。私個人の中国に対する意見とは違うけど。
あとは、真性の人かな。「殺しても殺したくない」っていうプラカードを掲げている人もいるしね。
検査薬で陽性が出て喜んで向かった病院で告げられたのはおそらく陽性と思われるが腫瘍があり、出産は難しいだろうとのこと。
そしてその言葉の通り、一ヶ月も経たずしてお腹の子は育つことを諦めてしまった。
ちょうどその頃、手術で落ち込んでいるわたしの耳に流れてきたのは彼女が卵巣腫瘍の手術で活動休止するとのニュースだった。
それまでは単なる1ファンとして彼女の音楽を楽しんでいたのだけど、それがきっかけで親近感が深まったのも確かだった。
当時わたしより8つも若い19歳だった彼女にとっても、それは女性としての将来に大きな不安だったに違いない。
その時彼女はまだ独身で、だからといって辛いことに変わりはないのだけど、わたしにはそれが彼女にとってせめてもの救いのように感じられたのだ。
そんな彼女の復帰はアルバム「Deep River」の発売とともに伝えられた。
SAKURAドロップスやtraveling、FINAL DISTANCE、光などどれもヒット作が並び、彼女の作るアルバムはいつでもベスト盤みたいなものだ。
でも今回はちょっと違ってた。
アルバムのタイトルにはそれまでヒットした曲を選ばず、全くの新曲である「Deep river」を選んでいた。
そしてその曲はそれからわたしを何度も泣かせることになった。
点と点をつなぐように
線を描き指がなぞるのは
私のきた道それとも行き先
線と線を結ぶ二人
怖くないけれど
この歌い出しに、わたしは自分の誕生と妊娠をイメージし、そして全てが辿り着く先を思った。
お腹のこどもはたまたまわたしより先に辿り着いてしまったけど。
Oh Oh 何度も姿を変えて
小さな血の塊みたいだったけどたしかにわたしのこどもは存在した。
あのまま育っていたらどんな姿をしていたのだろう。またわたしのもとに舞い降りてくれる日は来るのだろうか。
わたしはその時、そんなことばかり考えてはこの曲を繰り返し聞いていた。
この歌は、「潮風に向かい鳥たちが今飛び立った」という言葉で締めくくられる。
わたしにはそれが、渡り鳥のように次の場所を目指して飛んでいってしまった自分のこどもを強く思わせた。
テレビに何度も流れたこの曲のPVでは、彼女は浜辺で静かに横たわりながら歌っていた。
その姿は、それまで前向きに考えようと強がっていたわたしにそうやって静かに悲しむこともできるんだと教えてくれた。
そんな曲を聞いたばかりだったわたしは、うれしいと思いながらちょっとだけ不安にも思った。
その後の彼女が発表する曲が「Be My Last」「誰かの願いが叶うころ」と続くと、その不安はさらに強くなった。
なにか消化しきれない悲しみを抱いているような、そんな彼女を見るのが辛くなってきてしまった。
ライブにも足を運んだけど、大きな衣装から顔だけだして歌っている彼女を見て、もうわたしが好きだった彼女はいなくなってしまったのかもしれないと思った。
その反動で今度は彼女の曲があまり好きではなくなってしまったんだ。
その後は全米デビューとか離婚のニュースとか断片的に聞こえてはいたけど、正直そんなに興味はなかった。
なんとか彼女にも明るいニュースがあればいいなと思っていたけど、おかあさんが自殺したニュースが流れた時にはその不遇さに少しだけ同情した。
並外れた才能をもってしまうと普通の生活はできないのか、もっと当たり前の幸せが彼女に訪れてくれればいいのに。
そうなんだ。ちょっとだけ境遇が似ていたからって、わたしなんかが心配するような人生ではないんだ。
そんな中、そうして先日の出産とアルバム制作中の発表があった。
妊娠の発表もせずに、ちゃんと生まれてから発表したのはきっと生まれるまで不安だったからなんだ。
アルバムの制作を発表したのも、きっと世に出してもいいって彼女が納得できるものができあがったからなんだって。
それに比べて、わたしはちょっとだけあきらめていた。
もう失う悲しみを味わいたくなかったし、自分の人生を肯定しようと必死にもがいているような彼女をすこし軽蔑していたのかもしれない。
でも、そんな風に考えていたのはわたしだけだったんだって。
そうやって月並みに自分が傷つくことから逃げようとしていただけなんだって。
そうして久々に聞いたDeep Riverには、当時聞き逃していた歌詞があった。
全てを受け入れるなんてしなくていいよ
私たちの痛みが今 飛び立った
そうなんだ。
もう痛みはとっくの昔に飛び立っていたんだ。
なんであの時に気づけなかったんだろう。
そう思うと、あの時よりも涙が止まらなかった。わたしはどれだけ無駄に悲しみを貯めこんできてしまったのだろう。
今も昔も、わたしは彼女にささえられてばかりなんだ。
なんつーか、誰にでも好かれる性格している。
しかし、中二病が長すぎたせいか、ブサメンのせいか、発達障害持ちだからか、哲学文学に傾倒し、考え方がひねくれている。
自分の中で正解だと思った生き方、考え方をしているが、それは世間的にはひねくれてる感じ。
なんつーか、自分は冷たい。博愛主義なんだけど、だからこそ女が甘えてるのを見るとうざくなったり。そういうところがある。平等なら女の甘えた生き方はおかしいだろうとか思ってしまう。言わないが、非常に軽蔑している。
同情とか全然しない。共感とかしない。しないが、テクニックとしては喜ばれるだろうなと思うのでやる。
まったく他人に興味がないが。なぜか好かれる。リア充とか中身ないから大嫌いだし、性格暗いオタクのほうが付き合ってて面白いんだが、リア充にばかり好かれる。
俺をこんな風にまで追いやったやつらに見せつけてやるんだ。
もう何年爪に火を灯すような生活を強いられているのだろう。
若い頃は仕事が人生の全てで、家族も当然のように犠牲にしてきた彼だった。
仕事しかしてこなかった人間から収入を奪ったらミジメなものである。家族はさっさと愛想を尽かし出て行ってしまった。
一つの仕事を真面目に取り組むことだけが取り柄だった彼には、他で働くことなんて全く想像できもしなかった。
それでもわずかな給料で若造ににこき使われ生活のためにと頭を下げてきた仕事も、とうとうクビになってしまった。
なんで自分ばかりこんな目にあわなくてはならないんだ。
どうせ死を選ぶなら、自分をこんな目に合わせた奴らに思い知らせてやるのだ。
そんな彼にとって、焼身自殺はまさにうってつけだった。
ある日の報道番組で目にした宗教弾圧に反抗するために行った僧侶の焼身自殺が、いつか自分が死を選ぶにふさわしい気高く神々しい行為として目に焼き付いてたのだ。
ただ目立つことを目的とするなら駅前など人が集まるところを選べばよかった。
安全なところから向けられたいくつもカメラによって、彼の死に様は瞬く間に世界中に広がっていくだろう。
自分が復讐したいのは、自分をこんなふうにまで追いやった社会でありビジネスの世界だ。
それもちっぽけな世界じゃない。
今日び都心の環状線を数時間止めたくらいでは日本経済に対する影響はごくわずかでしかない。狙うなら交通の大動脈だ。
くだらない。結局人はそうやって命を天秤にかけているのだ。
そんなものは事故が起こった時の責任をいかに回避するかの都合でしかないではないか。
長年望まない生活を強いられてきた彼には、今や社会は悪意の塊のように見えていた。
自の望まぬ経済の流れに虐げられ、抜け出せないままに地を這うような生活を強いられているにすぎないのだ。
そんな彼は、見た目だけで自分を愚かな人間だと判断する世の中が許せなかった。
日本という国は確かに豊かになったのかもしれない。
しかし、終戦直後には誰もが何も持っていなかったのだ。誰もが少ないものを分けあい、倒れるものには手を差し伸べてきた。
そんな日本を豊かにしようと犠牲になってまで作り上げた世の中なのに、そんな時代に生まれた人間たちは誰も彼に手を差し伸べようとはしなかった。
好き好んでなったわけでもないホームレスのような風貌に関心を抱くものはなく、誰もが社会の汚物を見るような視線を投げかけてくるのだ。
ただ犠牲者を増やしたいだけなら簡単だった。
1号車と2号車の中間で火を放てばよいのだ。
そもそも無差別殺人を行いたいなら、方法は他にいくらでもある。
自分の死にゆく姿を彼らの目に焼き付けてはじめて意味があり、死が尊いものへと昇華されるのだ。
正直な話、ためらいがなかったわけではない。
本当に彼らが自分の死を焼き付けたい相手なのかを確かめるために、幾度なく車両を往復しては人々の顔を覗きこんでいた。
そこに座っているのは、大半が小奇麗にスーツを着飾った泥の臭いなど一切感じさせないようなビジネスマン達だった。
片手に握った小さな世界と向い合ってばかりで、誰一人としてこの小汚い存在を認めようとしなかった。
皆が働く中で優雅な時間を過ごせるのは誰のおかげなのか。今ある豊かな日本が作られたのは誰のおかげなのか。
その時彼は、それを理解できているのか試してやろうと思い立った。
一人のもとにそっと近寄り、お金をわたしてみることにしたのだ。
誰から受け取ろうともお金はお金だ。誰かから享受された今の豊かさを誰に遠慮することなく受け取っているのだから、誰からもらえるかわかっている金銭を受け取らないのは矛盾している。
かわりに向けられた困惑の眼差しの向こうに確かな軽蔑を見つけた時、彼がこの場所を選んだことに間違いがなかったと確信したのだった。
この瞬間、彼の行動が間違っていると気づく機会は永遠に失われてしまったのだ。
ポリタンクを片手に一人一人を確認するように歩きながら彼は車両の先頭に立った。
彼らこそが自らの死を焼き付けてやりたい相手であり、これからの世界に罪の意識を背負って生きるべき人間なのだ。
そこからは予定していた通りに躊躇なく身体が動いた。
ポリタンクから流れ出る液体の臭いで彼がこれからするであろうことに気付く人間が現れ始めた。
そんな人々を眺めては彼は着々と手順をこなすように頭から液体をかぶり考えていた。
世の中には気づいてからでは手遅れだったことなんていくらでもあるのだ。
これまでに気付くきっかけはいくらでもあったはずなのだから、それを見逃し続けたのは自分たちの責任なのだ。
一人の人間が追い詰められていく背景に目を向けて自らの生活を省みる良心がこの国に残されているのだろうか。
そうして彼はライターに火をつけた。
彼の中で長い年月くすぶり続けていた炎は、今まさに現実のものとして世の中に炙りだされたのだ。
その姿は宗教弾圧に反抗する僧侶とさながらに、社会に広がる思想の格差とそれによってもたらされる貧困の格差を照らす炎になりえたのだろうか。
彼の目に写った最後の世界が、絶望に覆われていなかったことを今はせめて信じたい。
あまり細かいことは特定につながるからかけないし、フェイクも入れる。
30超えての妊娠だったので、心配だったこともあり検査を受けた。
その時点ですでに「障害児は産みたくない」と思っていたんだ。
毎日仕事では障害児の教育なんかをしてる自分が、自分だけは障害児はいらないと思っていた。
それでも「まさか私が当たるだろう」なんて思ってなかった。
毎日仕事で障害児の親から障害児を預かり、障害児にモノを教えて、ご飯を食べさせて、職業訓練もして…職場生活の殆どを障害児と過ごしている私が、
診断結果を聞いた時、何も迷うことなく
と返事をしていた。隣にいた、旦那に何も相談することもなく反射的に答えていた。
頭の中で毎日接している障害児のことを考える余裕はなかった。
ただ考えたのは、その障害児の母親たちだった。
母親たちの愚痴もたくさん聞いた、共感するふりもした。私にできることは何でもしたつもりだった。
でも、彼女たちは数年で私達の目の前を去っていく。
学校にいた時より、学校を出てからのほうが彼女たちには地獄が待ってるのだろう。
たまに卒業生が遊びに来てくれることがあるが、
人間老化したらやつれるものだけど、卒業後のほうがよっぽど苦労した(そして今後も続く)んだなというのが一目見ただけでわかる。
だから、診断を受けた瞬間に浮かんだのはやつれて、この世の暗部をすべて飲み込んだような目をした母親と同じ姿をした自分だった。
「わたしは、それになりたくない」
はっきりとそう思ったし、逆に診断を受けたのにおろさず生んだという保護者にも人間として別の世界に生きているなという感想しか持てなかった。
明日からまた学校に戻るのだが、今担任している子供たちを卒業させるのを最後に、異動願いをだそうと思う。
中絶した私が、もう障害児に触れる権利はないし、その母親になにか言えることはもう何もない。
いままで養護学校での教員生活はずっとボランティア等で障害のある人たちに触れ合ってた私にとって天職だし、なにも違和感もないものだったと思っていたけれど、
結局私は彼や彼女らと同じ立場に立つことはできない人間だったとこの一件を通して痛感した。
ごめんなさい、この仕事を選んだ私が愚かでした。
通常
人間が社会生活を営む上で生きていくために人は消費者であり生産者または労働者である
特殊な事情があって一時的に働かない期間があっても、または一生働かない人がいたとしても労働体系からは基本的に逃げられないようにできている
それがインターネットはなんだ?
ほぼ全員ニートじゃないか
はてぶでコメントを書いている人、スターがRMTで金になるのか?2ちゃんに書き込んでいる人、まとめサイトに転載されたら金になるのか?全員ただサイトを消費しているだけのニートだ
インターネットを使用する上で決定的に重要なのが能動的に使うか受動的に使うかにかかっていると言ってもいい
僕ももうネットを利用して8年ぐらいはたつがそのすべての時間をプログラムを書いたりサイト作成に費やしていれば今ごろそこらのマンションでも買えるぐらいの金額にはなっていただろう、アダルトサイトでも作っていれば一軒家だって建ったかもしれないが今は昔やってたブログの収入で月1万程度にしかならない
しかし現実社会と違うのが現実にはニートは侮蔑の対象になるのにインターネット上ではニートであってもまるで軽蔑されたりせず自尊心が損なわれもしない
むしろ優位に立っているのは労働者であるyoutuberやまとめサイト管理人ではなく何もしていないニートのほうである
現実では働いてもいないのに飯を食うな、いっぱしな口をきくなと叩かれるべきはニートのほうなのにネット上では立場が逆転してるのは不思議だ
セクハラって言ったって、「付き合ってくれ」って言われただけ。
それってセクハラなの?相手がクソジイだから気持ち悪かったのかもしれないけど、別に密室に連れ込まれたとか、体触られたとか、そういんじゃないのに。
正直、何甘えたこと言ってんだ、と思う。
セクハラは許すべきじゃないしセクハラする奴は死んで欲しいけど、うまくかわせなかったのはお前の態度にも原因があるんだから仕事辞めるんじゃなくてなんか別の方法で対処しろよ。
相手が悪いなら相手が仕事失うならともかく、なんで女の方が辞めなきゃいけないの。
まぁ、その子は院に残って半分研究をしていて、今の職場もアルバイトみたいなものだったから、すぐに辞めたんだろうけど。
社会に出たら、若い女の大半は多少のセクハラには耐えてるし、ちゃんと対処してると思う。
たかが告白されたくらいで、「眠れない」だの「気持ち悪くて耐えられない」だの言ってる友達に、軽蔑に近い感情をもってしまった。
それは同僚の若い男に相談して、なんか慰めてもらったりしてるってとこがまた気持ち悪い。
気持ち悪い。
オヤジに媚びてセクハラも利用しないと案件とってこれない私も、気持ち悪いしかっこ悪い。
もうやだ。
お前は存在しない自分を池沼呼ばわりする仮想の後輩たちに怯えて切磋琢磨してるんだ。ふーん。可哀想なやつだね(笑)
俺の大学をバカにするのは勝手だし、俺のことをバカにしてもどうぞご自由にって感じだけど、俺は4年間遊んだ方がいいと思うな。
俺はこれといって大学でなにも勉強しなかったし、ほとんど授業終了五分前に行くか、友達に代理を頼んでたからお前からしたら最も軽蔑すべきタイプだろうが、普通に今は公務員やってるし、勤務時間中にこうやってお前にアドバイス(笑)できるぐらい暇な仕事してるんだ。
お前は今までも、今も、これからも自らを仮想の敵からの軽蔑に備えて苦しみまくるんだろうな。
俺みたいな人生イージーモードのやつが一番気に入らないんだろう。
真逆だ。
何故貧乏人ほど課金したがるのか、それは課金すると自分より貧乏な奴(ないしは金の使い方が上手い奴)を打ちのめせるからだ。
たとえば年収200万の男がいたとしよう。
大雑把に200万のうち100万を生活とか家具とかもろもろに使ったとしよう。
少ないと思ったら親元で暮らしてとでも考えてくれ。
んで100万余るわけだ。
年間100万。
半分貯金したら50万。
ソープに行くぐらいなら出来る。
だけど女の子にチヤホヤされるような年収じゃないし、キャバクラなんて行っても細い客として内心軽蔑されているのがうすうす分かるほどだ。
そうすると沸々と沸き上がってくる感情がある。
劣等感だ。
それを埋める方法は2つ。
1つは自制心や自尊心を強く持って乗り切ること。
もう1つが優越感で相殺することだ。
これが素晴らしく効く。
「金を払って倒す」という部分に実にゲーマーな方々は「金払って倒すなんてカッコワリ」と感じるだろう。
だが一部の人種、というかゲーマー以外はこう感じる「俺が社会に貢献して手に入れた対価が爆発して、フリーライダーやケチンボをぶちのめしたぜ!」と。
ゲームに課金する時、キャバクラだったらすぐに消えていたような金は強烈なパワーを持つ。
50万あればガチャで最高レアを引くまで粘ることが年に2,3回は出来る。
貯金するはずだった金を回せば年中最強カードを更新することだって可能だ。
同級生同士で比べたらいいところ下の上だった男がトップを歩けるのだ。
己が汗水たらして稼いだ金が己をトップへと押し上げる。
えっと、こういうことをここに書くべきか悩むのですが、人に対して性欲が沸かないんです。
女性相手であろうと男性相手であろうと、いっさい性欲が沸かない。
だから風俗やら痴漢やらを見ると、「なんだこいつら」と思ってしまう。
AVで男女が抱き合ってるのなんてもう吐き気しかしないし、それを好んで見ている人間は軽蔑の眼差しで見てしまう。
では、そんな私には性欲がないのか? 答えはノーだ。
性欲もあればオ○ニーもする。
ここから先は文字どおりほとんどオナ話なので、不快なら無視してもらって構わない。
私は二次元世界の少女であり、その私を気持ち良くさせるモノがそこにはある。
それは玩具であったり触手であったり、とにかく身体を拘束されて無理矢理…というのが好きらしい。
そんな感じで性欲を解消しているのだが…
多分、似たような人間は少ないと思う。
少なくとも、自分以外に同じ性質を持った人間とは出会ったことがない。
罪悪感というより自分への嫌悪感かもしれない。自尊心が傷ついた。
誰に何をされたわけでも言われた訳でもないのに自分にショックだ。
もともと、物語やキャラクターにそこまで入れ込めないほうだった。
映画を見ても「俳優が頑張っているな」、マンガを見ても「漫画家が頑張っているな」という感じで、
キャラクターについては単に「絵」という認識で、人がキャラクターについて語っているのには付き合えても、
自分が主体的に熱烈に語れるかというとそんなエネルギーは無かった。
いわゆるオタクに目覚めるというか、絵に描かれた異性に恋すること(腐女子化を含む)の初体験の年齢って、
一般的には小4~中2くらいの時期に集中しているように見えて、
恋とまでは行かなくても「そのくらいの年頃でチュンリーで抜いた」的なエピソードはネットのそこらじゅうに転がっている。
私はそういうのは「ナシ」と思っていて、いや、そういうのが好きな人は自由にすればいいんだけど、
私はそういう風に思おうとしても思えない体質なんだなみたいに思っていた。
そのまま大学まで卒業して社会人になって、こんな年齢になったら今更二次元にとはならないと思っていた。
それに、小中学生で二次元に目覚めても、成長して生身の恋人が出来たら二次元は忘れていく、
そういう経験談がネット上ですら多いものだから、三次元から二次元という「逆行」は起こらないんだと思ってた。
でも私に起こったのは完全にその逆行で、中学の頃からずっと三次元の好きな男や彼氏が居たのだけど、
いま彼氏と別れていて、そのタイミングで唐突に二次元のキャラクターにハマった。
原作のそのキャラクターを見ているだけでも「もうなんだこの人、えっちすぎる」という感じで、
いや人じゃないし、絵だし、それに原作でえっちすぎる描写とか無いし、えっちすぎるとしたらそう解釈する頭の問題だし、
そう冷静に思おうとするのだけど、ブレーキがかかりきらずに滑りながら突き進んでいるような感じで、
暇さえあればツイッターでキャラクター名を検索しまくり、ファンが描いてる絵を見ては「ああああーーーーかっこいいーーーーー」とか、
「かわいいーーーーーー無理ーーーーーーーーー」というテンションで、脳がバグってるような感じになった。
オタク話がわかる友達など一人もおらず、この話を共有しようものなら心底気持ち悪がられて軽蔑されそうで、
でもツイッターからあっという間にpixiv依存症になり、こういうの「○○沼」とか言うんだってね、ファンフィクションのR18にどっぷりになった。
そのキャラクターのR18作品の新しい投稿を待ち続けるような感じで、こんなの人としてダメだろと思うんだけど、
そのキャラクターのR18が幸せすぎて止められなかった。「BL」でも「NL」でも単体のエロでも、そのキャラさえ居れば全部幸せだった。
生身の恋愛でもこんなテンションになったこと一度も無かったのに。
女性オタクの間でも好きなキャラクターをオカズにするかってところになるとタブー感があって、
「私はそこまでじゃないです」的な一線を引きたがる人が多いように見えるし、
オタク暦の浅い私が急速にハマって一気に一線を越えてしまったみたいなの、すごくみじめというか、
やっぱり少数派なんだろうか、エロ絵は描いたり楽しんだりしても「かわいいね」と愛でるもので、
オカズとかそういうのは引くわっていう女性が多いんだろうかと、普通を探してもどうしようもないんだけど、
思うばかりで、なんか混乱のさなかだ。
ただ冷静に思うのは、私はストレートなんだけど、女性の創ったものでしたんだなと……。
そして男性のオタクはこういう同性内エコシステム(???)的なものの中に、ずっと前から自然と居たのだなと。