はてなキーワード: 躁状態とは
数年前まで映画やドラマ、漫画の二次創作のカップリング小説を書くのが趣味だった
一本の小説を書くために大量の調べ物をしたりああでもないこうでもないと悩みながら文章を練ったりするのは辛くもあったが、カップリングへの愛を形にするのはとても嬉しく楽しいことだった
二次創作から離れたのは、嗜好が変わって「カップリング萌え」をしなくなったのが理由だが、もうひとつ、二次創作をするための土台となる「能動的鑑賞」をしなくなったからというのもある
あの頃は、「なんで主人公はこういう価値観を持つに至ったんだろう?」とか「彼は人生に満足しているんだろうか?」とか「彼女の信仰心は何に根ざしているんだろうか?」とかいろいろな疑問を抱き、その答えを探しながら、答えが見つからないようだったら想像で空白を埋めながら読んでいた(観ていた)
今はそこまで作品にコミットしようという姿勢になれなくて、特に何も考えず、ただ入力された刺激に反応して泣いたり笑ったりするだけ、感覚的かつ受動的に鑑賞するだけ、という感じがする
「カップリング萌え」ができなくなったことや小説が書けなくなったこと以上にそれが辛い
(私はここ10年ほど双極性障害を患っており、同人にハマっていたころは躁状態の長いスパンの中にいて、ここ数年は鬱のスパンの中にいるので、フィクション作品に能動的にコミットできなくなったのにはそのせいもあるかもしれない)
今は趣味がなく、せいぜいduolingoで外国語をやるぐらいだが、あれは出された大量のドリルをひたすら解くだけのものなので、能動的に何かをやるという感じではない
スポーツは苦手だし絵は描けない
障害加算がついたナマポと言うのは慎ましく暮らしていく分には下手なブラック正社員よりも裕福なのだ。
少なくとも自分は今人生で一番金に余裕のある暮らしをしている(躁状態にならなければの話だが)。
病気は治らないし、このまま世間の片隅でひっそりと潰えていくものだと思っている。
ただ、一つ心残りなのは、一生に一度くらい、何をおいてもその人を優先するくらい恋にのめり込んだり、
それももはや叶わぬ願いだ。
43になって恋?愛?そんなものを求めるのは恥ずかしい気がする。
ましてやナマポ風情が何を世迷い言をと思う。
今はSNSで細々とオタク友達を作り狭い世界で情報を遮断して生きている。
そう言う時、どうしようもなく疎外感を感じるのだ。
事の始まりは私が一浪の後大学一年生として入学し同じゼミのクラスと幾つかの講義でかぶっている彼くんと知り合った
彼くんは大学近県のそこそこ大きい都市出身で土地勘もあったので遠方から引っ越してきた私は色々教えてもらった
私と彼くんの共通の趣味があったのもあり二人で色々行動しているうちにゼミの飲み会などで冷やかされるようになり
満更でもなさそうな彼くんと翌日から付き合うことになった
彼くんにも言っていなかったが私は双極性障害があり大学受験で現役時失敗したのは低下していたのも過分にある
身の丈に合わない大学に入れたのは躁状態だったからで飲み会の連続の日々も付き合い始めの時も躁状態だった
彼くんは童貞だったので色々な事を試したがったしセックスが好きな私もそれに応じた
しかし自分の家庭にちょっとした事件が起きたで突然鬱が訪れてしまった
彼くんは立派な理解ある彼くんになった
ありとあらゆるわがままを聞き試し行為に全て応じ寝込む私にノートと食料品を届けた
私は運転免許を取った彼くんの送迎で精神科にかかり治療をはじめた
結局その鬱が落ち着いたのは就活も見えてきた頃だった
彼くんが大学時代に打ち込んだのは私の看病だったのでESもスカスカだった
躁になって万能感に溢れた私は1を100に膨らませた捏造ESを増産し彼くんのESも代筆した
結果私はそこそこ流行っていた業界に彼くんはなぜか斜陽がわかりきっている業界に入社した
私は業界の流行のせいもあって血気盛んな人と触れ合う機会が増え後の旦那くんと知り合った
旦那くんは学歴も家柄も堅く自己紹介の段階から稼ぎそうだと思っていた
入社四年目に彼くんの斜陽産業が大打撃を受ける自体になり彼くんはスキルも人脈もないまま失職した
彼くんには失職してからのやさぐれた態度やネガティブな言動についていけないと伝えた
その後旦那くんとお付き合いを始め旦那くんの家族とも会ったり順調に進んでいった
結婚式は旦那くん家たっての希望で古風だったものの私は大満足だった
新婚生活中に旦那くんの幼馴染が長く統合失調症を患いその姿を見ても仲良くしていたと知った
旦那くんは仕事のために上京し私は理解と金のある旦那くんと都内一戸建て専業主婦生活を手に入れた
理解ある彼くんがYoutubeチャンネルを持っていると聞いたのはつい先日だった
その道の有名人の動画やTwitterにコメントしては無視されているようだ
見識が狭く知識も足りていないので的外れな事ばかりなのは流し見でわかった
私としか付き合っていないだろうに世の中の男女について話していたのには失笑した
でもセックス三昧だった頃と同じ口癖を聞いて少し悲しくなった
ジョージ・オーウェルがかつて1984年の中で予想した「ビッグ・ブラザーが見ている」世界になってしまった今、社会的弱者だとか、性的なまなざしがどうかなどを気にしながら生きていかなければならなくなった。
日々、心をすり減らしながら働いて、ほんのひとときの慰めすら焼き払われるようになってしまった令和2年の空気に、政治的な正しさとやらが自分たちの日々のくらしにはなにももたらしてくれないことに気づきつつも、いつかは報われる、そう思いつつ過ごしていたと思う。
一見、素晴らしく見える言説。
貧困をなくそう、飢餓をゼロに、すべての人に健康と福祉を。
SDGsの17のゴールについて、文句を言う人はいないだろう。だって、そうあった方がより良い社会に見えるから。
これに反論するには、謳われているこれらのテーマよりより強い強度で、反証しなければならない。
しかしこれらのゴールは、そもそも反論する必要すらない、無敵の命題なのだ。
ひとは多くのテーマを投げられると混乱してしまう。マジックナンバー5と言われるように、17のゴールなんて扱えようもない。
それでもテーマ単体はそれぞれどうしようもなく正しい。ただしいのだ。
そうやって少しずつ罪悪感を逆手に取り、気づかないうちに、正しさを盾に作り上げてきたディストピアは我々が暮らす社会を次第に蝕んでいったように 思える。
こんなことネットで言ったら社会的に死ぬよね、みたいな枕詞をつけて、対面で、「ここだけの話」をするようになってしまっている。
1984年で描かれていた監視社会は気がつけば現実のものとなっていた。
そんな時代に暇空茜氏が登場したのは痛快この上ない出来事だ。
私はapos時代やブラウザ三国志時代の空白氏を存じ上げなかったが、Twitterにて「暇な空白」として現れた以降、フォローこそしていなかったがリストに入れて彼の振る舞いを眺めていた。
すぐレスバ対象にマウントを取るし、ピンフスキーにウザ絡みをし続けるさまなどは、見ている分には昔のインターネットが戻ってきているような気がして個人的にはめんどくさそうだけど好ましく思えていた。
彼を好ましく思わない人からは、承認欲求に狂った躁状態であるという揶揄を目にしたが、それは誤りで今も昔のインターネット然とした振る舞いの延長であると思う。
忖度なくマサカリを投げ、雄叫びをあげる猛獣でありつづけるだけであり、私のような新参から見ても変化してるとは思えない。
とにかく氏は特殊個体であることは間違いないが。そういう人なのだ。
そんな彼が暇を持て余して?始めたウソを暴くという戯れだが、この話を追っていてずっと感じていることがひとつある。
彼は一切攻撃していないのだ。
ただ淡々と記録をつまびらかにし、過去のデータや発言と照合して、それらを解説してオープン化しているだけにすぎない。
それが攻撃だと感じるのであれば、自身の振る舞いを顧みた方がいいと思うが、それはまた別の話。
正しい「とされる」ことをしているから、多少難があっても多めに見てもらえる、というバリアが彼の行動によって無効化されつつあるように見える。同時に相手がたの反論や非難の矛先を全て彼が受けることによって、矢面に立ちたくない、立てない事情がある他の人間も行動に参加できるようになっているのだ。
結果、暇空氏が一人で叩き出せるダメージよりも遥かに大きな数値を稼ぐことができていると思う。
むろん、暇空氏一人が攻撃もしなければならない場合だったとしてもかなりの数値だと思うけれど。
こういった暇空氏が端緒となった調査行動だが、彼が裁判費用として集め始めたカンパの金額を見るに、社会的に大きなムーブメントが産まれていることは疑いようがない。皆、彼に望みを託したいのだ。一方で、Twitter以外のソーシャルメディアではこの話題をあまり見かけない。
だからマイナーな運動なのだ、影響はないという意見になってしまうのはわからないでもない。しかしこれは(あくまで私の個人的な見解だが)実態を窺い知ることができないという観点から正しくないと言えるだろう。
私のFacebookのフレンドには、暇空氏が言う83-2人委員会の人間がいる。「ナニカ」に近いと目される組織で勤めている人間も複数名いる。財団の犬も。
社会人として、そんな交友関係の中で、この関連の記事に言及なんてできないのは自明であろう。
関係性に色々なグラデーションがある中、83-2人委員会に名を連ねているけれど、今のあなたの見解は?なんて今のインターネットの世界で聞けるわけがない。そしてそもそもFacebookは国内においては仕事の告知や自慢しか流れてこなくなっている斜陽気味のメディアだ。
わざわざ、波風を立てるようなことを書かないのだ。書いてしまうような人は狂人であろう。(おそらくその手のタイプの人はフレンド関係のままだけどフォローをはずされているだろう。)
しかしながら、わたしと同じようなソーシャルグラフを持つ友人とリアルで飲む時に、ポロッと話題に出してみると面白い反応を得られるのだ。
お互いの認識を恐る恐る確認するようなやり取りをした後、「あれまじでやばいよね」みたいな形になる。
そして、「暇空にカンパしたもん」というように、陰ながら支持している旨を明かす。「おれも」と返す。そして、「これはFBでは言えないよねー」「そうそう、角が立ちすぎる」なんて会話になるのだ。
極めて個人的なサンプルであるが、800人くらいフレンドがいる中で、その中で近似したソーシャルグラフを持つ200名の中で、たまたまリアルで会う機会があった人のうち15人弱がそんな感じだった。
普段積極的にインターネットに触れている党派性に染まっていない層はWBPCの話について好ましく思っていないと思っていいんじゃないだろうか。
一方で、ソーシャルグラフが近くない友人、実家近辺の友人や大学時代の友人はこの問題を認知すらしていないからここが課題だと思われた。
左のいつメンがいれば、同様に右のいつメンもいて、一般的な生活者だったらどっちのいつメンの話も聞きたくないのだ。怒りに満ちた言葉や、皮肉になってない当て擦りの言葉なんかもう、たくさんなんだよ。
そういういつメンは言葉遣いも悪くなる。怒っている人には近づかなくない。だから先鋭化する。
そんなところに突如として現れたのがこの冷静さに満ちた動きなのだ。観客をするにもリテラシーが必要とされる。
かわいそう、良さそうといった感情によって蹂躙されてしまった社会と世間を取り戻す智慧の革命と言っても過言ではない、かも。
あけすけに語られる不恰好な言説ではなく、冷静にウィットを込めて、時には自虐も入れてソフィスティケートされたうえで投げかけられるから、抵抗なく飲み込める。これを冷笑という向きがあるのかもしれないが、そう知覚してしまうこともわからないでもない。しかし、冷笑というよりはポップであると感じる方がおおいのではないだろうか。
本件はもはやcolabo問題ではない。
ナニカが何かは観客席の人間からはわからないが、最終的にはナニカ疑獄に収束すると思うし、そう願いたい。これは静かな、静かでポップな革命だといえよう。これがきっと、戦後の本当の終わりを示す標なのだと思う。
現在、生活保護を受けていて、障害年金を申請しようか迷ってる。
一応、生活保護は建前上、全ての使える制度を使った上で、最後の手段で利用すべきと言う大前提は知っているので、迷う余地なく申請しろってのが模範解答なのは分かってる。
ただ、躁うつで躁状態の時、金遣いのコントロールができないと言う割と致命的な問題がある。
これで失敗したことは数え切れないし、病識がない時は躁状態の時に大きい買い物をして、うつ状態の時に物に囲まれて呆然とすると言ったこともあったし、それで200万くらい借金を作って自己破産した。
障害年金は3ヶ月に一回の支払いと聞く。手元に3ヶ月分の生活費があって、もし月初で躁状態になった時、金遣いのコントロールができないと破滅する可能性がある。
だから月々最低限の金だけ受け取れる生活保護の方が、使いたくても使う金が無いことによってコントロールがしやすい。
それでも制度上の隙間をついてる訳だし、何より全額生活保護と言うのは、体面上もよくない。
幸い、ちょっとした仕事もできており、月5万~10万くらいは稼ぎがある。
障害年金を受ければ、家賃分以外は仕事の稼ぎと障害年金で賄える。少しは体面も保てる。
それに生活保護は基本使い道は生活費のみ、最低限以上の貯金もできないし、自己投資も禁止されている。
生活保護に頼り切りではいつまで経っても生活保護から抜け出せない。使い道の自由な障害年金で自己投資してもう少し稼ぎを増やせれば生活保護を脱出できるかもしれない。
しかし、そのもしかしてと言う希望の為に、破滅する危険性を取るべきか、どうか悩んでる。毎月の支払いにしてくれるならすぐにでも申請したいのが本音なのだが、3ヶ月分まとめて支払いと言うところでどうしても躊躇している。
30代の女で、双極性障害という一生治らない精神疾患にかかっている。平たく言えばキ○ガイだ。家族が変死体で見つかったショックで気が狂った。
20代の若くて痩せていた時でも全くモテなかった。ブスでダサくてスクールカーストが低かったから当然だ。今の私はなんと67kgもあるのだ。デブブスババアの三重苦だ。キ○ガイも入れると四重苦。身も心も醜い!
顔は、いい笑顔のおかめ。私の長所は愛想の良さしかないので、いつもいい笑顔でいることを心がけている。
キ○ガイだけど、無害なキ○ガイだと思う。強いストレスがかかると、死にたい死にたい、どーしよどーしよ、と喚くだけ。
リストカットは1回してみたが(カッターで腕と脛を10〜20回切った)、両親に大爆笑されて恥ずかしかったから辞めた。オーバードーズは1回してみたが(デパスを1シート飲んだ)、何の変化もなかった。過食嘔吐なんて苦しくてできない。やってる人はすごいと思う。躁状態による浪費もしたことがない。そもそも欲しいものがあんまりない。電子書籍ぐらい。暴言暴力を振るうには腕力がなさすぎて鼻で笑われるだけだ。
この程度で双極性障害で一生治らないというのはいまいち納得いかないが、かれこれ10年近くこの診断なのでどうしようもない。
さて、今まで誰からも愛されることはなかった。まともな男性はこんな女は避けて通る。Twitterで言い寄ってきた人は、刺青が入ってる(逃げた)、知らないアニメの話を延々としてこっちが何かコメントするとキレる(逃げた)、お金を貸してと言ってくる(逃げた)、うんこを食えと言ってくる(逃げた)、と凄まじいラインナップだった。
ちょっと前置きが長くなるけど、というか9割ほどは前置きなのでご容赦を。
前置きが終わったところで====を記しておく。
就職氷河期だったけど、無難に大手企業に就職して、やりたい仕事ができるようになった。
そこでパワハラに遭い、恋人が死んで、子供の頃からの精神的虐待が吹き出てきて、鬱になり休職、退職になった。
転職をしてみたけど、そこでも鬱が再発したため、退職に追いやられた。
働いてた年数は6年くらいになる。
その間にためてた貯金はすべて食いつぶし、親にも少し借金をしてたがそれも食いつぶし、結局今は生活保護を受けている。
原因も意味も不明な恐怖にガタガタ震え、泣き出し、頭をガンガン床に叩きつけ、腕を包丁で切りつけまくってた。
精神科には通ってたけど、ほとんど死ぬことしか考えてなかった。
5年ほどそんな感じだったけど、鬱が転じて双極性障害になったらしい。
たまにめちゃくちゃなハイテンションになることがでてきた。
で、そのハイテンションのときに「このままでは一生このままだ。なんとか状況を変えないといけない」と思い、主治医に紹介状を書いてもらい他の病院にセカンドオピニオンをもらいにいくことにした。
そこで検査をした結果は、服薬だけでは治らない、認知行動療法を受けろ、というものだった。
とにかく治すためだ、多少遠くても構わない。
ネット、電話、自分の市以外の周辺の役所の福祉課など、いろいろ駆使して探した。
結果、意外と近所の総合病院で認知行動療法を行っていることがわかった。
しかも、普通のカウンセリングだと5000円から1万円程度のカウンセリング料を取られるけど、臨床心理士がいる病院で、精神科医が「カウンセリングが必要な患者だ」と判断した場合、保険が適用されてカウンセリング料は無料になることもわかった。
そしてこの病院が大当たりで、病状は劇的に良くなっていった。
人と話すことができる唯一の日である通院日が楽しみにもなった。
それから10年くらい経って今に至るわけだが、その間ずっとなんとか仕事をしたいと思ってきた。
アフィリエイトのためのコピーライティングやSEOのコンサルとか、You Tubeで稼ぐためのコンサルとかに何十万という金を払って勉強してたけど、どちらも駄目だった。
とくに指示どおり行動してたらGoogle AdSenseの規約に引っかかって、アドセンスの権利を永久剥奪されたのは痛かった。
ちなみに15分で1動画、ひと月で300動画を作れと言われてた。
BGMと静止画を背景に、ニュースサイトでコピペしたような文字だけが流れてくるクソ動画が蔓延してた時期があったことを覚えている人は多いと思う。
あれは俺たちが元凶だ。
そしてアドセンスが剥奪されたのは「ネットラジオ番組の、楽曲の部分だけ削除してアップしまくれ。楽曲さえ入れなければ著作権違反にはならない」という指示に従ったときだ。
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閑話休題。
そんな無駄な時間と金を数年分使ってしまい、今はプログラミングの勉強をしている。
ただ、頑張れない。
不調の日はパソコンも起動できない。
好調の日は、いくらでも勉強はできるのだけど、双極性障害は躁状態のときに調子に乗りすぎると、鬱状態でどん底に落ちてしまうため加減をしなければならない。
何度かこれを無視したことがあるが、突然動悸が激しくなり、胃酸が逆流、ヒステリー球、手足の震え、痺れが襲ってきてとんでもない目に遭った。
もう、あれは味わいたくない。
プログラミングなんて最前線で頑張っている人たちですら、毎日スキルアップを目指して勉強している分野だというのに、俺はこの有様。
けどこんな調子で、仕事ができるレベルに到達なんてできるのか。
一生生活保護とか嫌すぎる。
うつ病の周知活動のおかげで「死にたいと言う人間は実際には死なない」という偏見は弱まってきていると思われるが、
「自傷行為をする人間は実際には死なない」という偏見への対策はあまり取られていないように思う。
しかし例えば境界性パーソナリティ障害の患者は一般の集団より自殺率が数十倍高いと言われており、
仮にそれが他者からするとただの迷惑な行為でしかなかったとしても、そうした衝動性は現実の自殺へと繋がっていることがわかっている。
医者もしばしば誤診するし、双極性障害の患者本人も躁状態のときの自分を正常だと認識しており、それを人に話さないので無理もないが、この両者は別の病気である。
治療法も異なり、「前者のつもりが実は後者だった」という場合は弊害が生じる。
また、うつ病の患者が日常的な感情の変化を双極性障害と錯覚することもよくある。
映画などで反社会性パーソナリティ障害をサイコパスと安易に表現するようになって長いが、患者の多くは他のPDやうつを併発しており、発達障害も関係している。
歳を重ねて収まるケースもあればそうでないケースもある。
うつ病は、気分障害の一つです
うつ病は、気分障害の一つです。一日中気分が落ち込んでいる、何をしても楽しめないといった精神症状とともに、眠れない、食欲がない、疲れやすいといった身体症状が現れ、日常生活に大きな支障が生じている場合、うつ病の可能性があります。気分障害には、うつ病の他に、うつ病との鑑別が必要な双極性障害(躁うつ病)などがあります。うつ病ではうつ状態だけがみられますが、双極性障害はうつ状態と躁状態(軽躁状態)を繰り返す病気です。うつ病と双極性障害とでは治療法が大きく異なりますので専門家による判断が必要です。
発症の原因は今のところわかっていません
発症の原因は正確にはよくわかっていませんが、感情や意欲を司る脳の働きに何らかの不調が生じているものと考えられています。うつ病の背景には、精神的ストレスや身体的ストレスなどが指摘されることが多いですが、辛い体験や悲しい出来事のみならず、結婚や進学、就職、引越しなどといった嬉しい出来事の後にも発症することがあります。なお、体の病気や内科治療薬が原因となってうつ状態が生じることもあるので注意が必要です。
うつ病は、100人に約6人がかかる病気です
日本では、100人に約6人が生涯のうちにうつ病を経験しているという調査結果があります。また、女性の方が男性よりも1.6倍くらい多いことが知られています。女性では、ライフステージに応じて、妊娠や出産、更年期と関連の深いうつ状態やうつ病などに注意が必要となります。
水谷緑さんの「私だけ年を取っているみたいだ〜ヤングケアラーの再生日記〜」(文藝春秋)を読んで、病識のない精神障がい・患者を抱えた家族がどうやって社会と繋がれたか書こうと思った。
母も当時、自分を病気じゃないと思っていて(病識(びょうしき)がない、と今は言ってる)、明らかに家族や周りが見たらおかしくて、その認識の乖離のせいでさらに信頼関係が崩れたり、暴走が激しくなったりした。
精神科は本人を連れてきて、と言う。
母が調子を最初に崩した時、父がすぐに何か気付いて東京の病院に連れて行った。
そこで話を聞いてもらって、薬をもらった。
気分が落ち着くような薬で、代わりにうつ病のように1日のほとんど寝ていることになる。
お酒も飲めない。
それでも家族としては暴走されるよりマシだから飲んでて欲しいけれど、本人は「薬を一生飲むのかな」「薬がなければ家事をきちんとできるのに」「私は薬なんかなくてもまともだ」と思うのだろうか。
薬を飲んでいない時で躁状態の時、最初に行なったのは都内に出かけて高価な買い物をしてきたことだった。
出かけた先で予定を変えて夜遅くまで帰ってこなかったり、突然深夜に出かけることもあった。
おかしな行動をし始めた頃、父は必要あれば迎えに行ったり連絡を試みていたが、だんだんほっとくようになった。
お父さんは浮気してるとか、お父さんは嫌いと言って家出という形で出ていくことも多くて、父としてもあまり優しくして構うのも限界があったのだと思う。
ある時、学生時代の友達の家に遊びに行って泊めてもらっていた。友達も泊まるとは思わなかったし様子もおかしいので、父に連絡がくる。母が車で出かけていたので始発を待って翌朝父が迎えに行くと、友達の家のベランダから何かを叫んで怒っていて、友達は怯えて寝室に閉じこもっていた。
父が車を運転して母を連れて帰ってきて、その翌日、数年ぶりに病院に連れて行くことにした。
それまで母に「診てもらおうよ」と言ってもまた喧嘩になるから諦めていた。
その時は、妹や父が(色々あって)鬱かも、みんなで診てもらおう、と連れ出したらしい。
(私は進学で別の土地にいたのでこの辺りは伝聞だ。)
日曜だったのでやっている病院が少なく、隣の町の小さなメンタルクリニックに連れていった。
少し離れた有料駐車場に車を停めて3人でクリニックに向かう間も、母は「やっぱりやめようよ」「あそこに行ってみたい」「どこに連れてくの?」と、足を止めていたらしいが、なんとかクリニックの前まで連れてきた。
クリニックの看板には、「心療内科・整形外科・内科」みたいなことが書いてあった。
それを見て母は、「整形外科って何!私を整形させたいの!?整形しようとしてると思われる!みっともなくてこんなところは入れない!」と言ったが、とにかくいいから、と院内に入る。
待合室で少し待っていると、母がだんだん気分が上がってきて、診察を待たずに待合室で父と喧嘩になった。
妹が泣きそうになりながら、クリニックの人に「早く診てください」と言うと、クリニックの先生が出てきて、「うちではここまで調子悪い人診れないよ」と言った。
暴れたり叫んだりするのをやめないので、クリニックが警察を呼んだ。
警察。
これが初めての警察のお世話になった場面だった。
みんな家族が警察に捕まるなんて恥ずかしいしとんでもないと思うかもしれないけど、本当に家族がおかしくて困っているなら警察は悪手ではないと今は思ってる。
本人は嫌だったと思うけど。
警察が来ても頭がおかしい人は「捕まる」訳ではない。でも、一晩署にいて、そのあと病院に送還される。そこで度合いによるが「措置入院」となると、県知事や都知事、市長が入院しないといけない人と判断した、となり、その入院にはお金がかからない。
その分それくらいのレベル、ということで病院では拘束されたり外部との連絡や交流が制限されたりするが。
この時は措置入院になり、つまり母としては「無理矢理頭がおかしいことにさせられて警察に強制的に入院させられた」となっていたと思う。
母が署に一晩いることになって父と妹だけで帰宅した夜、初めて電話が来て、「なるべく早く、可能なら明日にでも帰ってきて」と言われた。
2人とも料理や洗濯もできないと言ってやり方を教えてくれ、と。
入院にあたってタオルなど荷物を届けるためみんなで病院にも行った。面会はできなかった。
入院は2ヶ月程度だったと思う。
2ヶ月経って面会が許された頃、病院に久しぶりに行くと、先生に「本人が退院したがっていて、症状も落ち着いてるのでこちらとしては患者さんの意向を尊重する」と言われた。
だが、面会した時に話した感じで、母に病識がないことがわかっていたので私と妹は反対だった。
だが結局その時は退院になってしまった。父が母を信用してみることにしたのだ。ここからの入院はお金がかかるから躊躇したものあるかもしれない。
案の定1ヶ月以内に躁状態は戻ってきたが、通院と薬で押し込めて落ち着けられた。
そのあと2年後に、大きな動きがあった。
入院の時お世話になった先生のところに、2ヶ月に一回のペースで通院していた頃だった。
その回の通院で話し合って、薬を少しだけ減らしたらしい。
そこから2週間ほど。
教育関係者の偉い人の講演会に感動して、ビラ配りに参加したり活動的になってきていた。
だがそんなもの趣味と同じ扱いで制限もできないと思っていたころからたった3日ほど経ったある日、パート先で勤務中に、母がいなくなった。
仕事着のまま、運動会中の近所の小学校に来て騒いでると小学校の教頭から父のところに連絡があった。
小学校に来て、〇〇さん(教育関係者の偉い人)が来てないかと騒いだと。
保護者や教員で取り押さえていたが、父が仕事中で母の実家に連絡をとっている間に脱走。
母の実母は、母の姉に連絡し、妹にも連絡し、様子を見に向かっていた。妹はデートに行く途中で連絡が来て、相手に断りを入れなきゃいけないし、自分の予定を邪魔されるし、そんな状態の母も見たくないしで泣きながら戻ってきたという。(私は妹にこの時、母のところに行きたくなかったら行かなくてもいい、時間をおいて帰宅したらどうか、と言った気がする。デートについてはなんて言えばいいかわからなかった。)
みんなが母を迎えに行こうとしている中、GPSで父が母の場所を探っていたが、急に移動のスピードが上がる。
教育関係者の偉い人の事務所の前にて、騒いでいるところを通報を受けて警察に連行された。パトカーに乗っていたからGPSが速く移動したのだった。
署で面談中、母は暴れ、叫んでいた。
服を脱いでいたらしく、警察に渡された布を纏って、面談相手とは距離を取って面談をしていたという。
気が大きくなっていたのもあるが、離れて会話するから叫んでいたとも思う。
前回と同じ流れで措置入院になり、前回より近所の病院に入院した。
私は今度こそ病識が持てるまで入院させよう、と強く主張し、妹・父と、先生に伝えたいことをまとめた。
また訪問看護も利用できないか聞きたかった。私は勘違いをしていて、家の中に来て少し家事をしたりしていってくれる人だと思っていたが、そのあと聞いたら訪問看護は薬を飲み忘れてないかとか様子がどうか見るだけのものらしい。
それでも家族以外の外部の人に見守ってもらえるなら今までよりいいと思う。
家族だけじゃ息が詰まる。
今回の先生は女性の先生で私たちの話をよく聞いてくれて、「病識を持ってもらう」というゴール設定をよく理解して汲み取ってくれた。
薬を性質の違うものに変えて代わりに量を増やし、症状を抑えていた。
私は「心理的なきっかけがあるんでしょうか?トラウマとか…」と聞いた。
先生は「違います。脳の障がいなんです。双極性は心理的な原因があることは少ないです。」と言ったと思う。(私の解釈が入っていて医療的に間違っていたらすみません。)自律神経の不調やホルモンの不調と似たものだという理解だった。
結局入院は3ヶ月程度だった。
退院した数日後に会いに行くと、母は前回と違い周りの患者さんと交流もできて、自分から「障がい者手帳」「障がい年金」をもらおう、と言っていた。
一緒に申請に付き添って行ったが、明らかに前回と違うと思った。
今は自宅で過ごしている。家事も自分のペースでして、やはりよく昼寝をしている。
作業所などに通うことも検討したが、落ち着いていればパートもできるのだから本人としては新しいところでパートを始めたいらしい。
今症状と付き合い始めて10年ほど経つ。
今やってる向き合い方が正解かはまた数年経たないとわからないが、とりあえず穏やかにやってると思う。
暴走の仕方によるが、私たちの場合は調子の良い時は家族同士仲がいいし母の暴走は人を暴行したりはしないので、暴走させて警察などの権力のある機関に介入してもらう、というやり方で結果的に良かったと思っている。これが暴走するのが父で、ほっといたら人を殺すような人だったら思うとゾッとする。
でも、私もすごく怒りっぽいところがある。「暴走」自体、他人事と思えないし、私自身いつそちら側に行くかわからない。その時入院となったら、犯罪を犯してしまったらと思うとゾッとする。
私は病気が原因で人の命がどうにかなってしまうことだけが恐ろしい。
双極性障がいは、鬱に振り切って自殺をしてしまう患者もいると言う。
母が自分を責めてそんな選択をすることもないよう気をつけている。
なんか読んでて逆にこっちが疲れてくる自己啓発が多い昨今ですが、
それを喜んで読んでる人も躁病の人たちなのです
躁状態になると次から次へと面白いことが思いついて眠れなくなりますが、
面白いというのは錯覚であって、うつになれば冷静になって面白くないことが分かります
つまり、今の世の中がクソみたいなことで溢れてるのは、
社会を動かしている躁病の人たちの思いつきだからであって、至極当然なわけです
追記:
ごめんなさい、パクりま感想文でした
https://hikilife.com/hikikomori/happy-theory-mania-3/
いや、こんなのバズると思わねーよ
なんでバズってほしいもんがバズんねーんだよ
よりによって、なんで今回みたいな、なんとなく書いた感想文がバズるんだよ
追記2:
前々から自己啓発が読んでいて息苦しくなるので大嫌いなのですが、
あー、そんなやついるよなぁ…、と思い当たることがこれまでの人生で山ほどある
共通しているのは、なんだかんだ陽キャというか、躁うつ病の躁状態の人は他者に好まれるということです
「ターバンを忘れたアラジン ○国○城をめざす」とかいうブログを最近見つけました。
ブログの記事は3ヶ月分しかない、起業していきなり有名人と仕事ができると断言している、
次から次へと面白いことが思い浮かんで眠れない←これ、典型的な躁うつ病の症状
なんかつらい社会だなぁ、と思うんです
子供が生まれてもエンジニアは一生勉強し続けなければいけないとか、
自分も昔は疑わなかったけど、今は息苦しいです、窒息しそうです
そういった躁病というか、狂った人たちの考え方が肯定され充満している社会なら、
というか、さっさとしにたいですね
もう、まいっちんぐ
追記3:
おいおい、ホッテントリかよ…
誰か、おいらを、雇って、くださいよ…
このままだと生活保護ですよ…