はてなキーワード: 私大とは
全ての私大生は…
だって早慶などを除くと理科すらオンリーワン科目で一般的な勉強もほとんどしてない。
そのクセ高専のような専門分野の学識も全くないんだ。
ずっと遊んでたのか???
しかも私立大学の理工系って学費もめっさ高いからなあ。学費が一年通うだけで高専の5年間より高いとかヤバすぎでしょ。私大理工系の教育ってそんなに優れてるの?
https://alfredplpl.hatenablog.com/entry/doctorに触発されて(全く比較にならないですし、引用すること自体が失礼ですが)
故障対応→警報出たら、車で現場行って、とりあえず装置リセット()。
・会社に過度な期待をしてはいけない。(色々目を瞑れば、院生時代より天国)
・基本動作の励行(上長の指示に従う、遅刻無断欠勤しない)をすればなんとかなる。
・人はとても良い(攻撃性のある人は知る限りいない)
・そのうち不況が来るとの予感があったので、雇用の安定重視。(売り手市場過ぎておかしいと思ってた)
・研究生活(つまらない、拘束時間長い、指導教官がしつこい)の反動で、ホワイト企業が良かった。
→NTT
※以上のような志望動機だったので、
そこまで難しくない。本社採用でも大学名問わず入れる。(Eラン〜宮廷まで万遍なくいる)
□人の話を聞けるか
□志望動機を作れるか
□興味のある職種を言えるか
上を見るとキリはないが、納得できる待遇。
社宅の当たり具合(入居可否、地域、使用料)で大きく可処分所得が変わるので、
グループ他社との比較は多分意味ない。(ドコモ、データ、都市開発を除く)
配属は一応全国の可能性はあるが、このご時世なので地元になる人が大多数だった。
孤独に耐え研修動画を視聴、ビデオ通話でグループワークを繰り返す日々が2ヶ月強
→メンタル最悪
結局、実物をよく見たことがない状態で、保全拠点に配属された。
・色んな人がいるけど平和(隠キャ〜ウェイ系、10代〜70代が共存)
・保全なので時間に余裕あり、疲労度少ない(↔余裕がないと事故になる)
・資格取得の圧が強い
・すぐに異動させられそうな気配がある
当方20代後半、大阪府下(京都寄りの北河内)に生まれ、浪人を経て23歳で京都の某私大の文系学部を卒業し、海運会社に総合職として就職。配属は営業職。大阪で3年間勤めた後、地方転勤を言い渡された。
転勤先は九州のど田舎。海運会社なので港がある町だが、それはもう大変な田舎。人口は3万人をやっと超えた程度で、市内にJRの駅はかろうじて1駅あるも、1日数本程度しか運行しておらず、引越して1年経つまで踏切の音を聞くことはなく、列車の車体を見たのは1年3ヶ月経ってからのことであった。ちなみに新幹線の駅までは100kmほど、車で下道走った場合2時間ちょっとかかる。そんな町で、営業職とは名ばかりの何でも屋をやっている。
転勤が決まった頃は「うわあとんでもない田舎に住むことになってしまった……1年で転職して関西帰ろ……」と思っていた。友人に転勤を報告したLINEでそう発言している記録が確かに残っているし、本気でそう思っていた。しかし、転勤から1年半が過ぎたところだが、私はまだこの町に住んで、同じ会社で働いている。
少し時を遡って、転勤前の大阪勤務時代の話をしたい。2019年1月頃の私は、同じ部署にいた10歳年上の上司から地味な嫌がらせを受け続けて1年以上過ごしており、どこでもいいから異動したくて仕方がなかった。そんな折、人事部長との面談の機会があり、諸事情を話した上で異動したい旨を伝えた。弊社は個人の希望が人事異動に反映されることはごく稀なのだが、若手は2〜3年で部署異動し、様々な経験を積む方針が明らかにあったため、ここで話しておけば早ければ春に動きがあるだろうと見込んでいた。
そして目論見通り、3月半ばに異動を言い渡されたのだが、前述の通り、転勤先はど田舎であった。
内示から着任までの期間は2週間、短いリミットの中でまず足を運んだのは中古車ショップ。そう、家を決めるよりも先に車を買ったのだ。これから暮らす町は車がないと生活ができないレベルの田舎だった。鉄道については前述の通り、路線バスは走っているものの、職場から最寄りのバス停まで3kmほど離れている。徒歩or自転車で通うにしても街灯が少ないため、一応女性の当方としては少しばかりの恐怖心があった。
ここで様々なチェーン店の最寄り店舗まで車でどれほどかかるかを説明したい。田舎度合いを計るにはこれが一番わかりやすいと思っている。
マクドナルド:30分
ユニクロ:30分
ドンキ:30分
イオンモール:50分
ざっとこんな感じである。自宅から車で10分圏内にコンビニ大手3店が揃っていて、謎に100均とドラッグストアも複数ある分暮らしやすいが、娯楽までの距離は遠い。ちなみに鳥貴族とサイゼリヤは県内にない。これが結構つらい。
話を戻そう。そう、こういう土地に住む上で家の次に必要な物が「車」だった。私は内示を受けた3日後、中古車ショップに向かった。その日は家族で白浜に行く予定にしていたため、運良く揃っていた両親のアドバイスを受けながら車を選ぶことができ、手頃な軽自動車を購入した。この時の前提と重視したポイントは以下の通り。
・カーナビ付き。
・5〜6年前までのモデル。
・2〜3年で恐らく関西に転勤になる。
一番最後の項目だが、地方の次は本社がある関西に戻す、という弊社の傾向を踏まえたものである。つまり、「車に乗って生活するのは恐らく2〜3年だが、生活のために車を買おう」という意志のもと、条件に合う車を購入した。奨学金200万を繰上げ返済したばかりの社会人3年目には80万が限度だったが、母に60万借金することでローンを組まずに済んだ。余談だが、明後日振り込まれるボーナスでこれも完済となる。
そして私は車を買った10日後、今住んでいる町に引っ越した。単身者が少ない土地柄のため、家賃5.3万円の2LDKに一人で住んでいる。実は人生初の一人暮らし、家族大好き実家大好き人間のためホームシックになるかと思いきや、旅行好きの性分が幸いし、休日は今まで行ったことがない観光地や景勝地を巡って楽しんだ。それなりにアウトドアを楽しむ才能があったし、なんとなく気づいてはいたが、どうやら女の割に車の運転が好きらしい。加えてオタクの当方、インドアの才能もあった。漫画を読んだりアニメを観たり、家から一歩も出ずに過ごすことも大好きで、つまるところ、適応能力が高かったのだ。
そして九州の田舎の人々はそれはもう優しくて温かくて、当時の上長はじめ職場の人々との相性が良かったのか、大阪勤務の頃よりも伸び伸びと働くことができていた。メンタル面の変化は肌の調子にはっきりと出ており、顔中にできていた吹き出物は姿を消した。職場に行くのが苦ではない生活は久しぶりだった。
ここまで楽しい田舎暮らしをつらつら書いてきたが、そう思えていたのにはもう一つ理由がある。職業柄、自身の財布を痛めることなく毎月、多ければ月2回、大阪の実家に帰ることができていたのだ。これはかなり大きい。田舎暮らしに苦しめられている東京育ちの某方には申し訳ないほどに。関西に住んでいる友人たちと、それなりの頻度で遊ぶことができていたし、趣味の観劇も大阪公演であれば気軽に足を運んでいた。仕事終わりに飲んだりカラオケに行ったり、平日夜にしがちだった遊び方ができない程度だった。
もちろん、田舎でも生きていけそうなくらいにはフットワークが軽い性分を理解していたから転勤をすんなり受け入れたし、この特権があるからこそ、地方転勤がほぼ確実であるにも関わらず弊社への入社を決めたし、なければ田舎暮らしは耐えられないだろうな、と思っていた。今年の2月までは。
コロナ禍により、2月末からしばらくの間帰省禁止となった。当初は1ヶ月程度で収まるだろうと思っていたが、日々状況は悪化し、長期化の様相を呈してきた。3月末の某日、とある舞台の大阪公演に行くため飛行機を押さえていたが、空港に向かう道中「もしあの田舎にコロナを持ち込んでしまうことになったら、特定されて村八分にされるかもしれない」という恐怖に襲われ、半泣きになりながら葛藤している最中、公演の中止が発表され自宅へUターンしたことがあった。飛行機が出発する1時間前のことであった。その後緊急事態宣言が発令され、ど田舎の支店にもテレワークが導入された。
GWも実家に帰らず、田舎で大人しく過ごした。大人しくと言っても、何度か人の少ない場所へドライブには行っていたし、感染者がほとんど出ていなかった県に住んでいるため、映画館の再開が都会よりも早く、再開初日に2作品をハシゴしたり、エンタメに飢えていたオタク心を都会の人より先に潤していた。漫画とアニメとドラマとドライブ、そして友達とのテレビ電話が私の日々を支えてくれていた。そんな生活の中で思ったことは「思っていたよりも一人で楽しく生きていけるんだな」ということだった。
いつのまにか実家に帰らず4ヶ月の時が流れ、6月上旬、久々の帰省を果たした。母の手料理を食べながら家族で談笑する時間が愛おしく、実家への愛着を再確認する日になったが、次に帰省したのは3ヶ月後のことだった。その3ヶ月間も変わらず、仕事をして、アニメを観て、漫画を読んで、ドラマを観て、映画を観て、ドライブに出かけて過ごしていた。家族に会えず、友達と遊べないことはストレスだったが、大阪に住んでいたところでコロナ禍では会うこともままならない日々を送っていただろうし、感染者が比較的少ない土地で過ごしている方が気楽だろうと思っていた。
ここまでつらつらと転勤の経緯や当方の生活ぶりを書いてきたが、田舎暮らしを送る上で思ったこと、これから転勤等で田舎暮らしを送るだろう人へのアドバイスをいくつか箇条書きで書いていきたい。
・電車やバスに乗って出かけられるところは言うほど田舎ではない。
・田舎暮らしを充実させたければ車を買うべし。田舎に馴染む気がないから買わないとか言ってないで買ってみたらいい。馴染めなかった田舎を少しは楽しめるようになる。
・田舎で暮らすには「田舎を楽しむ」姿勢が大事。「住めば都」なのではない。「住んでいる土地を都とする」のだ。
田舎暮らしを肯定するようなことを書いてきたように見えただろうが、正直なところ、最後の一文が一番の本音である。住んでいる土地を都とするのは個人の心持ち次第だと思ってはいるが、そう思う気力は一生続くものではないと感じている。
当方20代後半の女性であるが、転勤前から彼氏はおらず、いろんな意味で身軽に引っ越してきた。1年半以上を田舎で過ごしている間に同級生の数人は結婚していったし、中には親になっている人もいる。しかし、田舎に定住する気がない私のプライベートはというと、完全に停滞しているのだ。何もしていないからだという指摘は存分に受けよう。しかし、遠くないうちに関西に戻ることが9割方確定している女性と付き合う男性がどれほどいるだろう。魅力的な男性相手なら、結婚を機に田舎に定住したくなるかもしれないけど、私は関西に戻ってからプライベートを動かす努力をしようと決めている。
1年半程度を田舎で過ごしてみて、都会の田舎程度でもいいから、都会に住みたい、と改めて思ったからだ。車がなくても生活できるところに住みたい。適当に電車に乗れば梅田とか神戸とか京都に出ていけて、0時を回るか回らないかくらいの終電で家へ帰れるところに住みたいのだ。車の運転は好きだけど、自分の車を持ちたい!という欲は一切ないし、カーシェアやレンタカーでたまにハンドルを握る程度で満足できる。
田舎生活は楽しい!楽しいけど!それよりも!気軽に友達に会えて!実家に帰れて!エンタメに触れられる生活の方が欲しい!!!!
と言っても、祈る以外にできることはない。短ければあと3ヶ月ちょっと、長ければ1年以上今の環境に身を置くことになるが、これまでと変わらず田舎での暮らしを楽しむスタンスを崩すことなく、「早く関西帰ってきて!あそぼ!」と言ってくれる友人がたくさんいる幸せを噛み締めながら、1日も早い関西凱旋を夢見て過ごそうと思う。東京生まれ東京育ちの若者が住む場所を都と変えられることも祈っている。
埼玉県の西武線沿線に住居を構えて都内で働いてて、1000万ちょい超えた
賭け事酒タバコやらないがPS5争奪戦に負けて泣いたタイプの俺が父親
学生の子供二人と妻の衣食住と娯楽にはあんまり我慢させてない筈
妻は専業主婦でお金をかけて趣味を楽しむタイプではないが、持病があるので手堅い保険かけてる
子供はバイト禁止の公立校、偏差値上がれば高校から私立に行かせてもいいかと思ってる
旅行は国内に年一度くらいでたまに近場の海外。家族みんな台湾がお気に入り
習い事で初期費用がやたら金かかるのは娘によく考えてからにしろよって言ったくらいで制限はしてない
進研ゼミやりたいって言って取り始めたのに全然やってなかった時はさすがに勿体ないだろうって怒った
私大まではまあ行かせてやれる。医学部とか音大とかはどうだろう、試算したことないからわからん
人口20万程度の衰退気味の地方都市で生まれ育ち、地域で3番手くらいの進学校を経由して地方の国立大学(あまりレベルは高くない)を出て、地元の市役所に技師として採用され20年あまりが過ぎた。おかげで、ありがたいことに無難な人生を過ごしている。
昔の同級生で非正規労働者がいる。努力が報われなかったのであればやむを得ないこともあるだろう。だがこいつは名前を書けば入学できるような五流の私立高校を卒業したあとバイトで生活し、結果40過ぎても非正規労働者で、酒の席の話題と言えば「洋楽を聞いている俺すごいでしょwwww」という中学生みたいな自慢話くらいのもの。それだけならまだしも、その場にいた友人のアイドル趣味を「理解できねえ」とこき下ろしたり、自分よりも学歴の高い相手をバカ扱いしてマウントを取ろうと必死な姿がムカつくを通り越して痛々しくすらある。他人を見下さないと自尊心が維持できないのだろう。こういう奴「闇金ウシジマくん」で見たような気がする。
自分もこいつにターゲットにされたことがあるが、出席者の中には駅弁大学はもちろん、旧帝大卒もうちの地元からじゃなかなか合格者が出ないような有名私大卒もいるのである。国立とはいえ地方のケチな単科大学卒業者だけを目標にするあたり実に志が低い。おまけに「俺らの税金で食ってるんだから奢れ。還元しろ」ときた。最近の乞食は態度がでかいなあ。累進課税って知ってるか?どうせ知らないだろ。断言するけど、お前より俺のほうが多く税金払ってるよ。俺をバカにするくらい優秀なら、バカでも受かる大学を出てバカでも入れる役所に入りゃよかっただろうに、何故そうしなかった?お前はバカ以下か。
他の友人の証言によると、帰省したときにばったり出くわしてお決まりの挨拶を交わしたあと「で、いま年収いくら?」久々に会った同級生に対する言葉がそれかよ。
あのなあ、こっちは(というか俺達は)今のポジションを獲得するためにそれなりの対価を払ったんだよ。お前が漫画読んだりゲームやったり大好きな洋楽聞いたり女と乳繰り合ってる間に、こっちは自分なりに努力して今の位置にいるんだ。
人は学歴じゃないって言うけど、お前のことじゃないよ。お前と同じくらいの成績で同じ高校を卒業したあいつ、地元企業で部長だってさ。お前と同じ町内で育ったあいつも、中卒で就職してから頑張って、専業主婦の奥さんと子供2人養いながら家のローン払うのきついって苦笑いしてたぞ。みんな俺よりずっと偉いよ。で、お前は何やってたんだ?
もし努力が報われなかったのなら同情してやらんこともないが、技術も才能もない奴がそれを補う努力もせずに総取りできるほど人生は甘くない。「トレインスポッティング」みたいな一発逆転なんて現実にはないんだよ。
自分を宥めるために「ブランド品は自分で買わなきゃ価値がない」なんて言ってはいるが、本心では親や恋人から与えられるブランド品を羨ましく思っている。友人のGUCCIのバッグの中からGUCCIの財布が出てきた時なんかは思わず感嘆してしまった。これを買い与える親がこの日本にいるのか、と。日本は広い。学校に通うことすらままならない子もいれば、奨学金も借りずに私大に通いながらブランドバッグにブランド財布を入れてgotoを楽しむ大学生もいる。
生まれ持っての長女気質で親にものをねだれないこのいじらしく健気な私にもいつかブランドバッグを買える日が来る。そう信じて今日も働く。
今時皆共働きだろ
学費は貯蓄から出すとして、父親が年600万稼ぐとしたら実家の生活はそれだけで成り立つわけで
んで母親が正社員ならいくら地方でも月15万以上は稼げてるだろうし
扶養内パートとしても月8万で、残り7万くらいなら捻出できるんじゃない?
子供一人なら十分賄える
ありがとう。自分の中の千葉大は、東大東工大一橋お茶には届かないけど、早稲田上智理科大くらいの私大に受かった人が国私悩んだ結果行く国立、ってイメージ。早慶、と書きかけて慶應はなんかイメージちがうんだよなと書き直した。
全部読んでないけど。
俺も地方都市のベッドタウンにある実家で育って、たぶん元増田の実家ほどひどい田舎じゃなかったかもしれんし、元増田ほど勉強熱心じゃなかったけど無名私大でそこそこ真面目にやって、氷河期終わり際の卒年だったから運良く就職したってのが学生の間の経歴。
その後、色々ジョブホッピングした末に今個人事業主で、事業主って括りでは大したことないけどサラリーマンの平均収入は余裕で超えるくらい稼いでるし、健康とプライベート犠牲にしない程度で満足行くくらい稼げれば学歴コンプなんか吹っ飛ぶよ。
誰々がどこの会社勤めてるとかしょーもない比較だよ。雇われてる時点で8割くらいのやつは稼ぎで言えば俺より下だと思ってるし。そのうえでQoLもろくに確保できてないみたいだし。
環境さえ良ければ自分はまだまだ頑張れたって思うなら今からでも環境整えて社会人なりの頑張りをすればいい。ただ努力の仕方は考えなきゃいけない。雇われに甘んじるなとまでは言わないけど、なんかしらコンフォートゾーンから出た方が可能性広がるよ。
看護師志望です!って言うと、勉強苦手?貧困家庭?と偏見交じりに馬鹿にされることがある。
40代以上の方、特にご老人が目立つけど、20代でもそういうこと言ってくる人は普通にいる。
というか、コロナ禍でちょっと話題になったけど、看護師の社会的地位、まだまだ低くないか?とも思う。
昔は、看護師は食いっぱぐれないって、貧乏な子や勉強ができない子の定番の職だったことも知ってる。
でも今は大学進学が一般的だし、私大の学費はめちゃくちゃに高い。知らない人は調べてみて。ほんとに高い。
で、ふと思った。
これだけ必死に勉強して、高い学費もがんばって納めて、肉体労働こなして、それで馬鹿にされんの?って。
実際働いてる方はどうなんだろ。言われない?気にならない?
タイトルのとおりなんだけど
小学校はサッカー部で先輩後輩なく楽しくやってたんだけど、中学校になってどうもおかしな気配を感じた。
普通の公立中学校だったからなのか、サッカー部なんかド不良の集まりで、先輩は絶対みたいな雰囲気だった。
パシリとか当たり前で、体育会系でよくある理不尽な命令みたいなのも普通にあった。
最初はみんなで「先輩怖いね~」みたいな話ししてたような気がするけど
なんか途中から同級生同士でも力関係みたいなのが発生して、クソ雑魚の僕はすぐにいじめみたいな感じになった。
もともとサッカーは特別好きではなかったし、はじめた理由もちょうどJリーグ開幕の年前後に小学校に上がったからみたいな感じだったと思う。
未練はなかったし、
何より怖かったのが、先輩>同級生>僕 みたいな非常に明確な構図ができあがってしまっていた事、
さらに先輩の上には先輩がいてさらにサッカー部顧問の先生がいる。さらにその上に外部から監督が来てて
その監督見た目はジーコみたいなんだけど、キレたら頭のテッペンから声が出る狂犬みたいなヒステリーおっさんだった。
まあ何が言いたいかというと、順当に順位を上げるのはムリダナと思ったわけです。
あまりに壁が高すぎる。とても正攻法では太刀打ちできない。と中1にして悟ったんですね。
くわえて以前から親父にも「お前は闘争心がない」とのご指摘を再三賜っていたので、その自覚はあったし特に悪いことだとも思わなかった。
幸いにしてそれほど頭は悪くなかったので、ぴゃーっと部活をやめて勉強にシフトすることにした。
で難なく進学校に進んで、今度は好きなことしようと思って
男女がいたからなのか、マイナースポーツゆえなのか、先輩後輩の関係もゆるく、待ち時間に漫画読んだり、ゲームしたり、夏休みに生徒だけで勝手に合宿したり、女の子に好きになられたり、そのまま仲良くなったり、楽しく過ごしました。
で、肝心のお勉強の方なんですけれども3年になると雲行きが怪しくなって来るんですね。1,2年時は強化クラスみたいなところにいたんですけれども、3年で普通クラスに落ちたんですね。
理系には有能男子学生が集まり、頭が悪くないくらいで勉強しない僕のような生徒が第一線張れるようなところではありませんでした。そういう環境では順当に行けば勉強頑張るか、となるんでしょうけれども、僕は戦いませんでした。そう文転です。
中学の経験から逃げが身についているのか、僕はさらに逃げます。そう私大です。
センター併用とかなんとかでごまかして、有名私大文系学部にするりと合格してしまうわけですね。下手に頑張って駅弁大学いくよか随分良い選択をしたと我ながら思うね。
これはもはや弱者の戦略と言って良いでしょう。勝敗が決する前に別の戦場に移るという画期的な戦法を身に着けてしまったわけです。その姿は強い相手と対戦しないように減量する計量前のボクサーのような美しさがあります。
でですね、大学でも難を避けて暮らして、今度は就活なんですけど、やっぱり理系企業に行きたいんですよね。ほんとはIT関連に行きたいんですよね。
無謀ですよね。競争ですよね。勉強してないのに。なのであきらめました。
じゃあどこいこうかなと思ったとき、僕が選んだのは女性が活躍できる職場(男性が誰も入ってこないくらいのブラック企業)でした。当時はブラック企業情報などもあまり溢れていない環境だったかと思いますが、親兄弟からも反対されるほど名のしれたブラック企業でした。
なぜそこに入ったのか。おそらくそこしか入れなかったのでしょう。規模が大きく、成長性があり、労働環境最悪―――というのは、なんとなく自分には向いてそう、という感覚がありました。実際その会社の労働環境は凄惨を極め、朝から夜まで働き詰めで1年めの年間休日は30日とかだったと思います。(もち全部サビ残だよ)
なんか書くの飽きてきたな。増田に長編書くモチベってなんなの?
で何が言いたいかというと、女性が多い職場にうら若き男が入ると、めっちゃかわいがってくれるんですね。んでもって女性が多いからといって女性が出世できるわけではないので、大卒の男性なんて勝手に出世するんですね。女の人って大変ですね。
しかも、もともとが時代遅れのブラック企業なので、成功した他社のやり方持ってくるだけでポンポン成績が上がるわけです。面白かったですね。
そんなこんなで出世して20代のうちにちゃっちゃっと結婚して子ども生まれて、まさにヌルゲー人生を謳歌しているわけですけれども。ここでふと気づくわけですね。
なにか仕事でヤバいトラブルがあったとか、乗り越えられない壁があったとか、めっちゃすごい人物にあてられたとか、一切そういうことはなくて、ふと振り返ったときに自分の歩んできた道の軽薄さに恐怖するんですね。
今までは「戦略的撤退」だと言い聞かせてきたんだけど、今、退路を探してもどこにも見当たらないんですよ。スキルも積まず、努力もせず、社会の盲点みたいなところ一点突破してきた自分が、出世だけして家族を背負い、綱渡りしている事に気付いてしまったんですよ。
手に職つけず。年だけ食って。もう35だよ。転職するにも公務員試験も受けられないよ。
退路がないと言ったけれども、僕、前進する方法も知らないんですよ。
どうしたらいいですか?
僕は何を恐れてるんだろうか?
どうしたらいいんだ。
こんなオチにするつもりで書いてたんじゃなかったのに。
「嫌なら逃げればいいじゃん」っていう軽い感じで書いてたはずなのに。
なんだこれ。最悪じゃん。
もう寝よ。最悪だ。
何かあるとすぐ人を見下すやつが教員の中に時々いる。
「○○も知らないやつはダメ」みたいな発言がすぐ誰かから出てくる。
SNSで「うちの学生はこんなこともできない」みたいなことを書く教員も非常に腹立たしい。
「こんなこともできない」と他人事のように吐くのは職務放棄だよ。
「こんなのは授業じゃない」と開き直って、PDFを配ってあとは自習。
全く声を聞かずに学期が終わってしまったという科目もあるという。
こんな職務放棄をする一部の教員のせいで「授業料返せ」という声がさらに高まった。
もっとも、対面授業をSNS上で訴える保護者を完膚なきまでに論破する教員もどうかと思うけどね。
傍から見ていて「あなた1人のせいであなたの大学の評価が下がるのかもね」という感想がわいてくる。
幸いにして大学教員は会社員や公務員と比べて個人業務の割合が高い。
少なくとも俺の職場では、嫌いな教員がいても関わらなければそれで済む。
何かあるとすぐ人を見下すやつが教員の中に時々いる。
「○○も知らないやつはダメ」みたいな発言がすぐ誰かから出てくる。
SNSで「うちの学生はこんなこともできない」みたいなことを書く教員も非常に腹立たしい。
「こんなこともできない」と他人事のように吐くのは職務放棄だよ。
「こんなのは授業じゃない」と開き直って、PDFを配ってあとは自習。
全く声を聞かずに学期が終わってしまったという科目もあるという。
こんな職務放棄をする一部の教員のせいで「授業料返せ」という声がさらに高まった。
もっとも、対面授業をSNS上で訴える保護者を完膚なきまでに論破する教員もどうかと思うけどね。
傍から見ていて「あなた1人のせいであなたの大学の評価が下がるのかもね」という感想がわいてくる。
幸いにして大学教員は会社員や公務員と比べて個人業務の割合が高い。
少なくとも俺の職場では、嫌いな教員がいても関わらなければそれで済む。