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俺が本物の科学的で合理的で健康的な食事ってもんを見せてやりますよ
大学に進学して一人暮らしを始めた19歳(一浪)の俺は貧乏学生で、外食しようにも金がねンだわだった。
しかし家庭科では非実用的なおままごとしか習っておらず、米を炊くことすらできない。
図書館で栄養学についての本を読み、古今東西の人間がどのような食事を行っていたかを文化人類学から学んだ。
遠回りすぎるかもしれないが、なにか調べたい際には、地球の常識や文化について何も知らない宇宙人が一から調査するようにロールプレイングすると楽しい。
これまではその場の気分でなんとなくウマそうなものを食うという猿畜生のようなことをしていたが、この調査のおかげで一日の栄養素から逆算して何を食べるか考えるようになった。
そこで基準値として参考にするのが厚生労働省が5年ごとに改定する「日本人の食事摂取基準」だ。
日本中の専門家が集まり、喧々囂々と議論して作られた叡智の結晶がなんとタダで読める。正確には我々の税金で作られている。読まなければ損である。
食事摂取基準は学校の給食、病院で実施される栄養指導の根拠となる科学的データであり、今年2020年はちょうど改定される年だったため一部界隈では4年ごとの祭典オリンピックのように盛り上がった。
我々のような非専門家の凡夫どもはテレビで流れる「〇〇が身体に良い!」だとか本屋で並ぶクソみたいな「〇〇は絶対食べてはいけない!」といった情報に右往左往せず、これに基づいて食事を行えば良い。
専門家が無償で公開してくれる科学的データに基づいた食事はしないのに、やれ農薬が、添加物が、化学調味料が、と言うやつ。まずは毎日野菜350gを摂ってくれ。
俺はさらなる情報を得るべくインターネットで検索した。しかしその時代のインターネットはすでに書き散らされたゴミで汚染されていたため、英語で食事に関する疫学研究を漁った。
さらに住んでいた寮の部屋にはキッチンがなく、火を使うにはいちいち材料を持ってエレベーターで降りて共用部に行かなければならなかった。そのため、料理の工程を極力少なくする必要性があった。
そのような中で生み出され、適時改良されてきたコスト(お金、手間)が極力かからずパフォーマンス(味、栄養素)が高い最強の食事を教えよう。
精製されていない炭水化物:オートミール 100g コスパと手軽さ
炭水化物:パスタ100~180g GI値を考慮したkcal/¥当たりのコスパでは最強
肉:鶏肉 調理が面倒な場合はプロテインで代替可 牛肉豚肉などの赤身肉は月一程度に控える
果物:バナナ1本 キウイ1個 冷凍ブルーベリー20g等 一日の果物摂取量200g推奨
その他:無塩ミックスナッツ28g ヨーグルト100g キムチ30g 納豆一パック オリーブオイル15g 焼海苔1枚 オートミール用に乾燥ワカメ、乾燥シイタケ、卵
まるで栄養を摂取するためだけのエサのようだと思ったかもしれない。
その通りだ。
しかし、人間が毎日ごちそうを食っていた時代なんてここ数十年だけだ。残りの数千年は毎日同じような質素な食事を生きるために食い、行事のようなハレの日にだけ特別なものを食べていた。
良妻賢母教育を受けた専業主婦が料理する近代の都市部上級国民限定の文化に過ぎない。
しかも、厚労省の食事摂取基準や世界保健機関が定める一日の塩分摂取推奨量5gを満たす食事は、プロの栄養士が設計し、給食のおばちゃん部隊が大量生産を実行してようやく実現可能な代物であり、一般の家庭料理では到底不可能だ。
だいたい、普段は質素な食事をして、たまに力を入れて作るごちそうやジャンクフードが身に染みて美味いのであって、毎日それらを食っていたら限界効用逓減の法則しかり、快楽は段々と小さくなっていくのに、デメリットだけは増えていくのでコスパが悪い。
こういうドケチ人間でも、旅行では外食や中食をするが、最初は快楽が大きくても長期の旅行の場合はどんどん小さくなって最終的に残るのは胃もたれと脂肪だけだった。
そんな状態で我が家に帰ってきて食うゲロみたいなオートミールの安心感。
学生時代は毎日この食事で月1万円台後半、就職してからは白米を食べたり野菜の種類を増やしたり週一のごちそうを自炊、月一の外食をしたりしても月2万円前半でまかなえた。
毎日酒池肉林をしている富豪から見たら一般国民の食事は惨めでとても耐えきれないものに見えるだろう。
しかし、あなたは毎日惨めで耐えきれないと思いながら食事をしているだろうか?
もし快楽を数値化できるとすれば両者は大して変わらないかもしれない。
それにパターン化は素晴らしい。毎日ゼロからレシピデッキを構築するよりも、構築済みの「型」を基準とし、調味料や材料の一部を季節や気分、体調、割引に応じてカスタマイズしていくことで、献立を考える思考コストが大幅に削減される。お金や時間、体力と同じように脳で計算する力は有限であり、できるだけ日常生活での消耗を減らし、浮いた分を自分にとって重要なタスクに振り分けると良い。
一人暮らしの自炊がめんどくさいという主張において根拠とされるのは、
・そして実際に調理すること
の3つがめんどくさいというものだ。
この合理的食事においては日持ちする材料を一定のペースで食べ続けるので補充も規則的になり、スーパーで何を買うか迷うことなくカゴにいれてすぐに終わる。
レシピも型に基づいて行えば良いので考える必要はなく、調理はタッパーに材料をぶち込んでレンジで蒸すだけだ。調理工程が単純化されたことで、洗い物も僅かしかでない。
焼いたり茹でたりすると過程で栄養が減ってしまう。蒸すのが手間でも栄養でも最強。
欲しくなるようなストレス下の環境に置かれていることが問題なのではないだろうか。
日常的に嗜好品でストレス解消しなければやっていけないというのはもはや依存である。
健全な環境下では月一、自分はクリスマスにケーキを食う程度のイベント毎で十分だ。
カフェインも毎日摂取しているとすぐに耐性がつき、ほとんど効果がなくなるので週一程度で十分だ。
タバコのように、最初は確かに効果があったのかもしれないが常用することで耐性が付きデバフだけは多くなる。ニコチン中毒者がタバコを吸って一時的にデバフがなくなった最高の状態が、健常者の平常の状態となっているようなものだ。
丁度いい機会なので正月休みにはカフェイン断ちすることを勧めたい。数日は離脱症状で頭痛や吐き気で苦しむことになるだろうが、それに耐えきった後に飲む久しぶりのコーヒーの効き目に驚くはずだ。
これは娯楽においても同様で、大金を使ってもドーパミンの耐性が付き、同じものでは満足できなくなる。前回よりもっと高価なもの、刺激的なものを求めるようになるだけとなってしまう。
元増田に対して消費や浪費ができない生活なんてつまらなそうという意見があるが本当にそうだろうか。
人間なんて毎日最低5分から30分朝日を浴びてセロトニンを分泌させ、中強度の有酸素運動をするだけで楽しく過ごせる単純な生き物だ。最近はコロナでステイホームしているのでFitbitで心拍数を計測しながらOculus Quest2でアニソンに乗ってビートセイバーしたり卓球したりして昔の王侯貴族なんかよりよっぽど快適に暮らせてる。地位財を追い求めるのを控え、非地位財を求めるとよい。
一生かかっても図書館の本は読み終わらないし、ネットでは世界中の音楽が聞けるし、アマプラの映画もドラマもアニメもまだまだ見ていないのがたくさんある。
・幸せについて科学的に追求したい場合はWell-being studyを調べると良い。俺みたいな匿名個人の説教や体験談なんかよりよっぽど参考になるだろう。
・有酸素運動の強度については、「今日は頑張ったなー」というような曖昧な感覚ではなく、心拍数に基づいて行うとよい。数値化されることでゲーミフィケーションの仕組みが働き、やる気に繋がる。個人によるが中強度の運動=心拍数120~140程度を中心に、高強度の運動=心拍数140~170程度を全体時間の30%行うとさらに良い。
・このように自己定量化(Quantified Self)し管理することは、RPGゲームのようで楽しい。酒を飲んだ日の睡眠スコアが著しく低くなっていたりすると人体実験のようで面白く、たまに不摂生をしても「まぁよい。貴重なデータが取れたから今回は大目に見てやろう」ゴッコをしてポジティブに受け止められる。
・有酸素運動の時間についてはアメリカ身体活動ガイドラインは一日20分程度推奨、JAMA Internal Medicineの論文によると最大1日64分
https://jamanetwork.com/journals/jamainternalmedicine/fullarticle/2212267
人間の尽きることのない欲望を煽って儲けてる産業にお金を費やしても満たされることはないんよ
元増田を「資本家が考える理想の労働者・奴隷」と評価する意見があるが、本当にそうだろうか。
労働ですり減った精神に塩分油分糖分と消費浪費で脳内麻薬キメて、効き目がなくなればもっと稼ぐためにバリバリ労働に励む労働者のほうがよっぽど資本家にとっては理想の存在なのではないか。
イギリスの食文化がマズいと言われているのは、産業革命により都市に移住した労働者たちが、伝統的な食文化から断絶されたせいという説がある。
日本の大学生(私大)への仕送り額は1994年の12万5000円から毎年下がり続け、今では8万3000円。
これからは一人暮らしの貧乏大学生が外食(牛丼屋等)やコンビニ弁当、カップ麺をかっ食らうというステレオタイプも廃れていき、自炊を強いられるようになるだろう。
家庭科が男女必修になってからも未だに良妻賢母教育時代のまま、手間暇かかるコスパの悪い塩分過多の家庭料理の作り方を教えている。おそらく多くの生徒が初めて生きるために料理することになる一人暮らし生活に適合した知識ではなく、使えない。
今ではメタアナリシスを中心としたエビデンスに基づく最適な食事についての情報が簡単に手に入るようになった。昔は食材の栄養素を知りたくなったら辞典を引かなければならなかったが今ではGoogleで検索すればすぐに出てくるし食事摂取基準を目標としてアプリで個々の栄養素別に計算することができる。
現在の社会状況に適合できていない近代的食文化ではなく、これからは上記に類するような”科学的で合理的で健康的な新しい食文化”がゆっくりと普及することになるかもしれない。多くの人たちにとっては食に対する冒涜であり、貧困がもたらした退廃のように見えるだろう。
しかし、少なくとも現代の金銭的時間的知識的に余裕がなくまともな食事を行えない者たちにとっては一つの選択肢として十分に検討価値のあるものであり、精神の安定を助け、健康寿命を伸ばすことに役立ち、高齢化に伴う医療費問題や人手不足の解決にも寄与することになるだろう。
諸事情でこのような食事をする必要に迫られている人間、面白そうだからやってみたいという奇特な人間、日常で得られる快楽やパフォーマンスを最大化したい人間などは、ぜひ実践してその過程の中で見つけた苦痛なところ、改善できるところをアレンジしてほしい。そうした人々の営みを経て”食文化”が洗練されるとよい。
高卒母と二人暮らしの母子家庭から公立中高一貫に通ったけど合わなかった。公立とはいえやっぱり合格するにはそれなりに塾に通った子も多いから、入学して周りを見渡すとほとんど金持ちで地獄を見た。
あと進学も本人のやる気プラス環境。確かに周りが意識高いのは良かったけどその分私の場合は高卒の母親が全く受験の知識がなくてかなり痛い目を見た。というのも、受験したことがある前提で教師とも話が進むから知識がないといちいちなにそれ?ってなって困る。親が大卒は当たり前、みたいな。なんなら生徒間で親どこ大学出てんの?って話になったりしたことある。
結局私は完全にダメな側で、最底辺の成績で留年スレスレの3年間だった。ただ中学受験をノー塾でパスしたぐらいだから地頭だけは何とかなってるらしく3教科に受験科目を絞ることで何とか有名私大に滑り込んだけど、学年の半分が国公立を目指す中での私立志望はアウェーすぎてしんどかった。正直、中高一貫は私大の附属高校とかじゃないならオススメはしないな。
これは価値観の問題としか言えないんだろうけど、私大理工系に通ってる人って、自分は今までこれをやってきたんだって矜持が何一つなさそうなんだよね
そういうところがすごくダサいと思う
私大理工系なんてのはもっとマイナーな選択肢であるべきなんだよ
15歳の時点で進路を決められず、その癖して高校の勉強も大してできず国立に合格できなかった教養も特技も矜持もねえ落ちこぼれが高専5年分の四倍以上もの学費を払って通うところなんだから
私立大学理工系で4科目入試を課すのは早慶のみ。ほとんどの私立大学理工系は入試で3科目しか要求されません。国語や社会科(日本史、世界史、倫理、政治経済、乃至現代社会)のような文系科目がないだけではなく、理科もたった1科目を選択するだけでよいのです。ですから、合格するためにはあまり学力は必要ないのだといえましょう。
一方、私立大学の理工系に入学してくる生徒はこれまで専門科目は何も学習していないし、実習の授業も受けたことなければレポートを書いたこともない。
このように学力でも専門科目でも高専に勝るものが何一つない私大理工系に、一体何の価値があるんでしょうかね。
私大理工系なんてのはもっとマイナーな選択肢であるべきなんだよ
15歳の時点で進路を決められず、その癖して高校の勉強も大してできず国立に合格できなかった教養も特技もねえ落ちこぼれが高専5年分の四倍もの学費を払って通うところなんだから
私大理工系は一年通うだけで高専5年分よりカネがかかるという話はもっと膾炙されるべき