はてなキーワード: 生協とは
https://nyawaraban2014.amebaownd.com/posts/4135126
自分も数年前に大学内の類似施設で似たような問題に直面して数年解決を試みたけど
自分の実力だけでは解決は難しいなと思ったので、諦めて業種替えした。
最初の転職活動で年収が100万円近く上がったのには唖然としたけど。
自分が好きになったことにつけ込まれる業界で働くより、自分を評価してくれる業界で働いた方が金銭的には
業務を発注するには業務内容の把握と評価を適切にできる必要があるが、大学側に書店運営を
誰もが(財務課が)納得する「委託費用」に評価の重きが置かれることになりがち。
大学全体として正規職員以外の職位者には歪んだ指定制度の名残か最低賃金(以下)で雇いたい傾向が強い。
非常勤教職員、ポスドク、委託先スタッフ、下手すれば実質労働時間で割ると最低賃金下回るのでは?
私は文中のクレーム入れてくる教授を「書店に関心があり心身になってくれる良いお客」というよりは
ベテランが積み上げてきた取り組みにフリーライドする組織の無意識なブラックカスタマーに思えてくる。
取り組みを評価はしても金は出してくれないもの。教授は大学運営に強く関わる一員ですから。
毎年の委託費を「管理コストは毎年下がっているはず」で委託費用値下げを強行してくるとこも当然ある。
あと、大学事務職の傍流には残念の最先鋭な人たちが集まりがちよね。介護手数料を委託費に上乗せしてほしいわ、大学上司氏。
大学内の図書販売や図書館サービスを受託する大手書店系や何とか流通センターは
契約の獲得にあたり、独自性や高レベルなサービスではなく、低価格で何でもやります路線で
契約を勝ち取り続けてきた。大学側に価格以外の評価が持ててないことが一因ではある。
契約価格が上昇したのは最低賃金の上昇分と委託価格にかかる消費税が増税したときくらい。
それでも利益確保をしようとすると、しわ寄せを現場におしつけがち。
書籍の販売は再販制度があるとは言え、万引きで吹けば飛ぶような利益。
コンシュルジュやセレクトショップ形態で独自性を出したところで本の価格に上乗せはできない。
必然的に一番高価な維持費である人件費を削減していく傾向は避けられない。
ましてや大学の書店は生協加入者に1割引きで販売しているので尚更。
維持運営させていくには人を最小人員、最低賃金昇給なしでは事足りず、場合によっては
フルタイムを減らして週20時間以下スタッフの割合を増やし、かつ売り場面積縮小で賃貸料削減も検討する。
教科書・参考図書発注もこれまでの発注履歴からある程度システム化して、業務効率化で乗り切ればよい。
買切りは高リスクなのでできる限り避ける。
あいつら突っ立って、いらっしゃいませ言って品出しすれば良いんだから、たまには苦労して成長しろ。
ちっ、せっかく成長の機会与えてやったら粘りがないから辞めるとか言い出した。
好みで発注しやがって。
せめてリニューアル初期の立ち上げ時にベテランが面倒見てやるのは最低限の義理だろ。とかね。
残念ながらよく聞くはなし。なんか悪い宗教にでもはいっているのかしら。
これまでの日本社会は結婚や出産で正規雇用を退職せざるをえなかった女性が非常に多く、一度退職すると
再度の正規雇用はおろか、30代を超えてからはフルタイムのパートですら見つけるのに苦労する状況があった。
そのため、最低賃金であろうが文化的な匂いのする図書販売や図書館スタッフは大変人気があり、早稲田大学文学部卒や
数十人規模のチームマネジメントをそつなくこなす女性を掃いて捨てるように扱っても応募が絶えない状況が続いてきた。
本を扱う会社は文化的であるというより、文化的であることを取り繕える場所って言ったほうが適切な気はする。
ベテラン書店員が高待遇を得るためには店の売上に常に貢献し続けていく必要があるかと思います。
長年の経験による発注スキルと取材されるレベルの高クオリティなフリーペーパーは一体どれだけ
売上に貢献できたか、広報活動たりえたか。そして本社、大学でその経済価値を共有されていたか。
ベテラン店員の「こだわり」が店舗運営上の障害になりうる場合もあります。
買切商品を100冊独断で発注して1割引きの条件下で販売し「ほとんど売り切れた」として利益でましたか?
海外文学の棚は売り場面積あたりの売上を従来からどれだけ上げる見込みですか?
フリーペーパーについても頒布コスト書店・大学持ちの同人創作活動になってませんか?
文化的評価が高くとも経済的な実績を明示化できないと従業員としての評価には繋がりにくいと思います。
今回のような話は「なんとかぜんゆうなんとかどう」で働いていたスタッフから類似した話をよく聞いてきました。
他の大手書店系でもちらほら聞きます。それでも自分が関わっていた頃よりもクソっぷりの純度が上がっていて
「オタク差別」というのはオタクの大好きな言葉で言うと、それこそ「筋が悪い」と思っている。オタク差別があるのではなく、オタク顔差別があるのであり、要するに容姿差別があるのだろうというのが私の主張だ。
「容姿差別反対!」というのは賛同できても、「オタク差別反対!」というのは意味がわからない。そもそもオタクは差別などされていないからだ。
アニメゲーム漫画等は日本が世界に誇れる文化である。宮崎駿が世界でも評価されてるということは誰もが知っているし、ジブリアニメは国民的作品で、何度も何度も繰り返しテレビ放送されて、いまだに視聴率は悪くない。
日本のサブカルに傾倒している外国人もたまにいて、ナルトのコスプレなんかをしたりしている。
東大を始め、日本を代表する大学であるいわゆる旧帝の生協でラノベが売れているというのは学生なら誰もが知っていることだ。
実際に大学に通ってみるとわかるが、インテリ層にもオタクは多い。うちの大学では教養課程のとき教授が講義のつかみで漫画ネタを使っていたし、気持ち悪がる学生などおらず、みんな楽しんでいた。それに大学にはサブカル研究自体もあり、アニメ漫画などを研究している人たちも普通にいる。
ONE PIECE、ドラゴンボール、名探偵コナン、ドラえもん、クレヨンしんちゃんなどは広く受け入れられているが、その事実を否定する人はいないだろう。
ポケモンは国民的ゲームだし、ポケモンGOはもう話題にこそならないものの広く浸透して、根強い人気だ。
妖怪ウォッチは大ブームだったとき、いまだに高視聴率をとる国民的イベント「紅白歌合戦」にも出場もした。
これだけ広く浸透しているオタク文化を愛するオタクのどこが差別されているっていうんだろうか。本気でわからない。
「オタクって気持ち悪いよなw」というのは、顔が気持ち悪いということを意味している。
オタクコンテンツが批判されているのではなく、オタクの顔が気持ち悪いことが揶揄されているだけだ。
もちろんそれは許せない。容姿差別反対だ。しかしそれはオタク差別ではない。
「オタク差別」などというのは主語がでかい。名探偵コナンファンの美少女女子高生が名探偵コナンファンであるという理由で差別されているだろうか?
現実は「オタク趣味でオタク顔のオタクがバカにされている」ということなのだ。
「オタクが差別されている」では主語がでかく、問題の本質を正確に捉えられていない。当然、オタクでかつ美少女という人物は差別などされていないという反証が可能だからだ。
すべてのオタクが差別されているわけではない。しかし、差別されているオタクは確かに存在する。私はそのことを否定しない。だが、重要なのは「差別されているオタクもいるが、それはそのオタクの顔が気持ち悪いからである」という事実を真摯に受け止めることだ。
オタクではないにもかかわらず、「絵に描いたオタクっぽい見た目」という理由で「お前オタクだろw」とバカにされる人もいるのだ。これはオタク差別ではなく、容姿差別である。
この記事は全国にわずか数万人しかいない医学生向け、それも次年度から5回生となる人にしか分からない内容だと思う。
でも心底むかつくことがあったから書き残しておく。
医師国家試験対策には、恐らく90%以上の人はメディックメディアという会社(医学教育で現在最大手)が出版している『クエスチョンバンク』通称『QB』なる過去問集を買うことになる。
だがこの過去問集、とんでもなく量が多く、vol.1~5という分冊になっていて、しかも1つが1万円以上する凄まじい代物だ。
(正確には6と7もあるが、今回の話には関係ないので触れないでおく)
QBには『QBオンライン』というサービスがあり、これはその名の通りQBの内容をオンラインで使うことができるものだ。
機能は多彩で、
・解いた際に〇、×、△などをつけられる
など書籍ではできないことも一部出来るようになっている。
ここで重要な話があり、『QBオンライン』はQBのvol.1~vol.5を全て購入し付属のシリアルコード5つを入力しなければ使えなかった(2018年2月時点)。
そう、使えなかった。これが今回の話の肝である。
では、ことの顛末を記していこう。
時は2017年の秋。私の大学でQBの共同購入の話が舞い込んできた。
『実習国試応援キャンペーン』(https://www.youtube.com/watch?v=GLSE869iY54&feature=youtu.be)
・QB vol.1~5
・year note(国試対策定番の参考書。これもなんと24,000円する)
をセットで予約すると特典として
・電子書籍版year note(12,000円)が無料かつ申し込み後即利用可能
・生協の好意で普段の10%オフが15%オフになり、3000円の商品券も付く
というキャンペーンであった。
当時は、
「まあどうせ全部買わないとオンライン使えないしなぁ」
「もし後で新品買うことになったら割引分の7000円ほど損だしなぁ」
ここで罠があったのだが、先述のように申し込み後即サービスが利用可能になってしまうという仕様上、
であったのだ。しかも、国試対策委員から流れてきたLINEにはこの事実が書いていなかったため、完全に頭から抜けていた。
そして時は流れ2018年3月。QBの発売を目前にしてとんでもないQBオンラインの仕様変更のニュースが流れてきた。その内容は
・シリアルを1つでも登録すれば、全問題の閲覧・演習(各種便利機能も)+登録した巻の解説の閲覧が可能に
・シリアルを登録しなくても全問題の閲覧・演習が可能(各種便利機能は制限)
……………………………は?ちょっと待て、おいおい。本気か?
ならばなぜ5冊セットで予約を強要させた?
この情報があらかじめ分かっていたら苦手な科目だけ買うとか、そういうことを考える余地もできたんですけど?
(それと同時に色々調べてみたら、医師国家試験過去問データベースなるQBオンラインと酷似したサービスが完全無料で使えることに気づいたのはかなり効いた)
(そもそも医師国家試験の過去問自体は厚生労働省が解答とともに公開していることは知っていた)
(最近になって、1年前とか2年前のQB買えば10000円ほどで揃えられることを考慮したもののキャンセル不可能ということに気づいていなくて不毛な悩みだった)
結局自分が情弱というか、自分が本当にオンラインのサービスを使いたいかどうかを悩まなかったのが今回の痛い失敗の原因ではある。
80,000円近い買い物で、予約〆切後発売間近になってここまで大幅なサービスの仕様変更(しかもキャンセル不可能である)は普通あり得ない。
このタイミングでQBを買う顧客が全国合わせてもせいぜい10,000人ほどしかいないからこそ問題にならないのであって、もしこれがもっと違うポピュラーな業界(はれのひ騒動なども記憶に新しい)で起こったならば、大きな火種になりうると思われる。
確かに結局オンラインのサービスを完全に利用するためには全てを購入することになるだろう。
ただ問題なのは、この新しい仕様を知った状態なら異なる選択肢が考慮されただろう、ということである。
「AとBとCという商品を全て購入したらDという便利なサービスを利用できます。更に今なら早期セット購入特典で割引になります」
からの、〆切後に
「AかBかCのどれかを購入すればDというサービスを一部利用できるようになりました。あ、でも今さら予約キャンセルはやめてね?」
って、やばない?
という話。
A「大学生協いったら空いて無いんだけどどういうこと」
B「なんか研修で今日午前休みらしいよ、表側の入り口には貼ってあった」
A「まじかみてなかったありがと」
C「は?何生協の休業日知ってるぐらいで自慢してんのwwwどんだけ教えたがりなの意味わかんない!」
親切心で教えるという行為がなぜ「自慢」に当たるのだろうか。
たしかに、表側の入り口には貼ってあるようなものを確認してなかったのはまあ多少アレに言われてもしゃあないと思ったが
親切心で教えてくれた人の側が叩かれるというのはよくわからない。
追記:すまん、ツイッター上での話なので、リアルで直接言われたわけではない。リアルでではないけど個人的にはそれでも理不尽に感じたという話。
19卒女。
https://anond.hatelabo.jp/20171010105619
という記事を書いて数分でコメントが来て、まずは自己分析と業界研究だよ、と優しくアドバイスしてくれた人がいて、ありがたいと思って大学の生協に走って「絶対内定2019」という本を買って、一日半くらいかけてざっと読んでみた。
就活で成功するには、人生を通じてやりたいことや達成したいこと〈目的〉を見つけ、その手段として就職をした会社で頑張る〈手段〉のがいい、だから自分をよく知りなさい、と書いてあった(ざっくりだけど)
本に出てきた人たちはみんな社会や世界に影響を与えるところまで目的にしていたけど、私はそんな大それたことなんて望んでなくて、ただ人並みに生きたいってだけなんだよなぁ。低学歴の家庭に生まれて、低学歴の社会に生きてみて、このまま一生過ごすのが嫌だったから、浪人して早慶来たという人生なので、大学を出たあとは、普通に働いて、普通に家庭を築いて、普通に生きていきたいだけなんだけど、そういう人間はどこを目指せばいいのだろう。仕事に自己実現なんて望んでいない。生活維持と奨学金を返すだけのお金があればいい。どうしたらいいのだろう……。
期間は短いけど、めちゃめちゃ産後鬱してた私の経験を書く。少なくとも私はこれで急速に改善したので少しでもヒントになればいいのだけど。
産後鬱については本やブログを読んで予習していたつもりだったけど、実際に産まれるとあまりにも物理的に大変なのと、「初対面のお客さんが常に自宅にいて、24時間対応を求めている」ような緊張感であっという間にやられた。生後すぐの赤ちゃんは笑わない(新生児微笑は反射行動なので楽しいわけではない)から、あるのは「泣く」というネガティブフィードバックばかり。ダメ出ししかしない上司みたいだった。
毎日、夫がでかけると、リビングの真ん中で授乳したまま寝入ったこどもを腕に抱えてじっと時計を見つめ、夫が帰るまであと◯時間…とカウントダウンしていた。テレビは消音かごく小さい音だから聞こえないし楽しくない。こども抱えたままスマホいじるくらいしか出来ることがなかった。当然、これもすごく楽しい訳ではない。こどもを置いて出かけられないから、夫がいてくれなければ、徒歩1分のコンビニすら行けないのだと思い込んでいた(今思えば全然そんな事ない。近距離なんだから普通に連れていけばいい)。昼も夜も、いつ泣き声が聞こえるかとビクビクして、空調の音を泣き声に空耳したりしていた。
後から聞いたけど、夫はこのとき、私がそのうちマンションの窓からこどもを放り投げるんじゃないかと恐ろしく思っていたらしい。心配させてごめん。
この頃は、死にたいとは思わなかったが、消えてしまいたいとは思っていた。
産後1ヶ月過ぎの頃。うちの地域では初産の母親のところに市役所から派遣された保健師が訪問することになっている。
この機会に飛び付いた。
ボロボロ泣きながら辛いと訴えると、定番の「辛いよね、みんなそうなんだよ」という相づちの後で、徒歩すぐの親子広場を紹介された。というかそのまま連れていってくれた。
聞けば市内にいくつかNPO運営で市公認の無料の親子広場があって、私の最寄りのところは市の中心ということもあり平日は毎日開いている。低年齢のこどもがいる母親がこどもと訪れて、ただ時間を潰していくのだそうだ。
私はもともとお喋りなので、一番ヤバイのは1日誰とも話さず無言で過ごすことだとなんとなく理解していた。精神が死にそうだった。
とにかく、学校か職場のように「毎日通う」ことを目標にしてとにかく通った。最終的に「あまり長時間だと赤ちゃんの負担になりますよ」と注意され1日あたりの時間は短くしたが、それでもほぼ毎日通っていた。
親子広場には、少し先の月齢~一歳半くらいの子達が遊んでいて、うちの子よりは表情豊かに、寝返りしたり、ハイハイしたり、駆け回ったりしていた。しかめっつらで泣くことしかしないこの子が、あんな風になるんだろうか、と不思議に思った。
ママさんたちはみんな、直近の子育ての悩みや愚痴を話し合い、少し先の先輩ママにアドバイスを貰ったりしていた。
こどもが寝ているときは、隣に座って置いてある育児系の本やマンガを読んだ。
結果的に、2週間ほどで私のメンタルは劇的に回復した。毎日外に出て太陽の下を歩いて、十分におしゃべりをする。少し先の赤ちゃん達を見て、数ヶ月~半年先の見通しが具体的に持てる。育児経験の長いスタッフさんや、他のママさんの語りかけを参考にして、自分も赤ちゃんとのやりとりを楽しめるようになる(赤ちゃんにアテレコしながら会話するのは特によかった)。
育児本やネットでも学べたことだったけど、実例を目の当たりにするととても参考になるし、自分もああしようと思えた。
生後1ヶ月半で「この子は可愛いのかもしれない」と思い始め、生後3ヶ月の頃には「可愛い」と確信。半年の頃にようやく、「常に一緒にいる、私の家族」になり、ここからは精神的な辛さはもうなかった。家にいるのはお客さんじゃなくなった。毎日一緒にいるのもお世話するのも当たり前になった。
夫はこの期間、とてもよくしてくれたのだけど、やはりたまに「どうしてお皿洗いも掃除も洗濯もしてないの?(俺は仕事してるのに家事もするの?)」的なやりとりはあった。夫からみれば「俺は遅くまで仕事してるのに、家事もしてる。お前は1日中家にいるのに」、私は「昼も夜も土日もなくこどもを見て家事をしているのに、なんであなたには毎日休憩時間と土日休みがあるの?私だって月に1日でもいいから休みたい!」って感じ。
これ、たぶんお互いにやってみなければ分からないのだろうけど、子育て専業主婦になると「プライベート」という感覚が消え失せるのが衝撃、かつ辛かった。「24時間呼び出し待機、休日なし」って感じで、寝てる間も気が休まらない。正直、この辺の感覚は未だに理解してらえてないと思う。
なので、夫の上記の理解に苦しむ部分はあったから、他のママさんに「夫に理解してもらえない」と吐き出す場がなければもう少し辛かったと思う。
長くなったけど、言いたいのは、夫の理解や周囲の物理的なサポートもとても大事だけど、私の場合は公共の「子育てネットワーク」と、そこで出会った「子育て同志、先輩」たちにとても助けられた、ということ。
公共の親子広場、NPO、生協など、専業主婦向けの平日の集まりは結構多いから探してみてほしい。市役所の子育て課にはそういう情報が集まってるし、市報とかにも載ってる。
奥さんが元気ないみたいだから、一人で行かせるより、土曜開催のものか、なければ平日休みを取って一緒に行ってみたらどうかな? だいたいどこも旦那さん歓迎だ。
行って、奥さんと他の人が話せるようにしてあげてみたらいいんじゃないかな。話すのが苦手なら、他の人の苦労話を聞くだけでも「みんなそんなもん」的に少し楽になるかも。
※注意点として。行ってみて、もし子育ての仕方や、なぜか人間関係についてやたら批判的なこと言われるようなら逃げ帰ろう。NPOを隠れ蓑にした宗教勧誘みたいのが実際にある。まともな所のスタッフはたいてい同情的で適切なアドバイスもくれるけど、「こどもが泣くのは両親を大事にしないから」とか「夫を大事にしないから。家事育児させずに下にも置かない扱いをするべき」とか言われたら割とヤバい。
あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな
こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど
そちらの
あんたが具体的にあげた項目は性行為の作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意のプロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。
このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育は教育の範疇を超える」という増田の理屈は自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分の意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?
- 2「性感染症も妊娠もリスクを0にはできません」 間違った知識から卒業しよう(BuzzFeed Japan): https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/sex-ed-week-hori?utm_term=.jsjvqJPaz#.dhGglvrwx
- 3性教育の欠落で失われる、子ども達の人生(ハフポスト日本版)http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-komazaki/the-facts-of-life-children_b_14278952.html
自分が意見形成の過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育=セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。
1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本の性教育」という項目があり、次のように書いている。
実は、日本の学校教育の現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代のエイズ・パニックをきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育が必要」と言われるようになり、学習指導要領も改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。
きっかけは、厚生労働省所管の財団法人・母子衛生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法やピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。
この当時、国会や地方議会、マスコミを主舞台として「過激な性教育が学校でまん延している」「教室で性交渉の方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。
ここを読めば、現在の性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去の教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。
「性教育の不十分さ」の可能性については増田も自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。
次に5について。これは日本とオランダ、アメリカ、タイといった実践的教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダとアメリカの部分を引用する。
オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から、性は食事や睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます。小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。
~(略)~
このように、オランダの若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています。
○「総合的性教育(セクシュアリティ教育)」…性を生物学・心理学・社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊・妊娠中絶・同性愛は否定しません。
○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいかに重要かを教える教育です。
これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能や避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係、人権の視点と言った多角的な目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。
それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本の性教育が世界はもちろんのこと“過去の日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態で性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。
また、コンドームの仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダの出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分の
「セックスという行為の存在自体は肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」
が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。
そして最後に増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカの性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイトの文章も)を読んで欲しい。
アメリカの場合は特殊で、「同性愛・避妊・中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中絶主義・禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育のカリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは「性教育の過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育の限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。
ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育の限界がどこにあるのか」なんていう主観でいくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育を実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。
はじめの増田の記事に自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように
っていう、主観でしかない「実践的な性教育はセックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込むと教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。
で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
の部分に突っ込んで、「オーラルセックスの知識は必要」「オーラルセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。
それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバに言及するけど
元増田でも言ってるんだけど
実践的な性教育って教育の範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ
ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?
まず自分に質問をする前に、増田は自分でさんざん挙げている「教育の範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義付けがなされなければ増田の意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育の範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバで増田が「どう読んでもお前の意見はセックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。
しかしながらそこで「教育の範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカ、オランダといった他国の性教育の例を見れば明白なように、教育者・行政者側の視点でいくらでも変わり得る「教育の範疇」に絶対的な基準などないし、もし絶対的な基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育のカリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。
ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分が質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田の
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
自分の主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスクを回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分はオーラルセックスの存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。
ただ、オーラルセックスでも性病の感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。
どうだろう、増田の意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見の提示として読んでもらえたなら幸いだけど。
2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミスや意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。