はてなキーワード: 生協とは
ズンズンがギィーするのをとめられないママ「子供が誰かを傷つけたとき 傷つけた本人もその親も 実はすごく傷ついているんです」
加害する傾向がある子供を育てた親の育児談がまじで辛い…「これは言われても納得できないかも」の声も
息子は発達障害だった。小さい頃に近所の公園に何度か行った。お母さんたちのグループに挨拶して仲良くできれば…とは思ったけどだめだった。
いつもいつも息子が誰かを叩かないか怪我させないかとヒヤヒヤしていた。後ろをずっとついてまわった。お母さん同士で話をするなんてできなかった。
結局、何度か謝った末に、自分たちが歓迎されていないことがなんとなく解って公園には行かなくなった。夕暮れの人がいない時に遠くの公園にコソコソと歩いて行った。
息子は何度言い聞かせても何度真剣に怒っても他害が治らなかった。すぐ誰かを叩く。すぐ誰かを押す。言葉が遅いと指摘されていた。
何か伝えたいことがあるんだろうとは思うけどそれが出てこない、かわり手が出る。
行くようになった保育園で、保育士に「しつけができていない、しつけぐらいしてください」って言われた。
他害があると相手の親御さんに謝りに行って二度とさせませんと言う。嘘になるかもしれない、またすぐやったらどうしようって思いながら平謝りした。
でも保育士は味方にしないといけない。にこにこして何かあったらすぐ対応します、病院に行って診断してもらいます、ちゃんとします、がんばります、って何度も言いながら何度も謝った。
息子がたまたま怪我して動転して救急車を呼んだ次の週に、私の怒っている声が大きすぎたのか近所の人に通報された。救急車がまた来た。近所の人達に見られまくった。虐待を疑われて色々警察の人に聞かれた。
怒りがすごかった。だったらお前らがこいつを何とかしてくれよって思った。
いっそ死のうと思ったけど息子がかわいい。息子は何故かものすごくかわいかった。よく怒っていたけど、同時にすごくかわいかった。優しいところもたくさんあった。抱きしめるとすごく幸せになる。でも言うことは聞かない。
育児書や発達障害関係の本もたくさん読んだ。色々としたけどだめだった。八方塞がりだった。
ママ友なんてできなかったし、作らなかった。潜在的な敵だと思っていた。排除してくる親も時々いた。
出来るだけニコニコして謝り続けた。よく無視されたし嫌なことも言われた。今でも覚えている。
スーパーでは手を振りほどいて一直線に走っていく。お母さんの手をおとなしく握って、一緒に歩いているよそのお子さんが羨ましかった。
迷子になった息子を連れてきた店員に、子供も見ないで買い物しているんですか?となじられてからは、深夜に夫に息子を見てもらって買い物に行った。
何度も子供が一人でウロウロしていたら店員が言うのは仕方がないことだろう。生協が助けになった。
幸い、夫がたくさん話しを聞いてくれて、一緒に謝りに行って、一緒に先生と話をしたり、ずっと努力し続けてくれた。
夫も癖がある人で厳しすぎたり甘すぎたり、私ともよく育児の話で意見が割れた。でもいつも必ず味方になってくれた。夫が私と息子を支え続けてくれた。
だから心中しなかった。夫がいなかったらどうしていたかわからない。
その後小学校中学校と、ずっと他害やいじめなどのトラブルが起きて何度も謝りに行き続けた。放課後に電話がかかってくると動機が激しくなる。
毎月のように先生にトラブルの話を聞いて、相手の保護者に電話で謝って、ご自宅を訪問して子供とともに菓子折りを持って申し訳ありませんと謝る。
もちろん被害者になったこともあった。お互い様です、謝罪もいいですよこれからも仲良くしてくださいねといってくれる人もいた。
育児は終わらない。
優しい人、理解しようとしてくれる人、息子と仲良くしてくれる子、口先だけいいことを言う先生、差別してくる先生、おかしなことを要求してくる保護者、いじめをごまかそうとする保護者。色んな人がいた。息子もそれを目の当たりにした。その都度家族で話し合った。ちなみにLINEで謝ってくる保護者はほぼクソです。これは本当です。
私と夫はこう思うようになった。
何年かあとに息子が独り立ちすることが、我々の目的だ。今のトラブルは処理していくしかない。周りの人に迷惑をかけていって申し訳ない。理解してもらえるとは思っていない。平謝りして許してもらうしかない。私達は息子のために防波堤になって謝るしかない。息子ももちろん自分がしたことは謝らないといけない。どうしても許してもらえなかったり排除されたら、夫の実家に引っ越したり学校を変えていくしかない。大きくなるまでずっと我慢し続けよう。年をとって発達障害と息子が付き合えるようになるまで、親はずっと我慢しよう。
息子も投薬が始まり診断や心理士のカウンセリングを受けたりいろんなサービスやいろんな支援をしていただいた。がんばるしかない。
年月を経て、天使のように可愛かった息子も大きくなった。高校、大学と進んでいった。
息子は自分に自信がなかったり、若干友人が少なかったりと二次障害的な部分も少しあると思う。
私が悪かった、あの言動は虐待ではなかっただろうかと悩むことも多い。私みたいな人間が親じゃなかったほうが良かったのではないかと今でも時々思う。
私は息子に何かしてあげれただろうか。わからない。
あ、これ腰まで浸かる?そう、腰まで浸かるんだ。この人たちのうち何割かは今はもう死んでるんでしょうね。そしてそのほとんどが自分が死ぬなんて想像もしてなかったんでしょうね。そういうもんでしょう。手がワカメになってますよ。比喩ではないです。はい。あ、そういうやつ。そういうのアリなんだ。なんでもありです。逆になんでもありです。わーいい景色。まだバブルの余韻が残っていた平成の初期の頃の話です。お父さんとお母さんと自分と2つ下の妹と1日目は車で4時間かけて隣の隣の隣の県の観光ホテルに行って、2日目の朝。ホテルの朝食を食べて、10時くらいに車に乗って、お昼はワニを食べに行こうと高速に入ったら、無いんです。紋章が。エーデルワイス家の者に代々継承される腕の紋章が無くなっていて、そしたらお父さんが車を降りろと。お前はエーデルワイス家の者ではないと。さすがにそれは話が違うと思いましたね。逆に。どうしても納得がいかないので生協(コープです)に行って、赤いウィンナーを探したんですけど、それが置いてないんですね。赤いウィンナー。着色料とかそういうのが生協的にあんまりよくないみたいです。だからキッズコーナーで再放送の仮面ライダーブラックを見る羽目になった訳ですが、当時の缶ジュースは110円になったばかりの頃で、缶のサイズも今と比べて一回り小さいんですよね。缶コーヒーをもう少し縦長にしたような缶にコーラが入ってる感じ。だから夕方になるまで待って、駐車場に鳥が出来るだけ待機する時間を確保したんですけど、それが不味かったのか、私兵団が城の周りを包囲していると連絡があったんです。焦りましたよ。宰相からそういう話は聞いてませんでしたからね。レベル2以下のゴブリンは儀式スペルで除去するとして、それ以外のユニットは直接戦闘によって対峙しなきゃならない訳です。こちらも無傷ではすまされません。ただ幸いだったのは、相手にほとんどが飛行持ちだったところで、対空のスペルを多く積んでいたので暗くなる頃には大体ケリはついていました。ホテルに帰り着いたのは22時ごろで、家族はみんな夕食を済ませていたので自分だけルームサービスをとって貰いました。生存権だけは保証されてるわけです。寝るときは地べた。ベッドは使わせて貰えません。体が痛くて3日目は思うように疲れが取れませんでした。帰る時もトランクで、それはそれは辛かったです。歩いて帰るよりはマシと思うようにしてました。
1960,70年代の安保デモ/学生運動では暴動や略奪が起きているが、略奪先は大学食堂や生協等、選んでる模様
wikipedia:安保闘争 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89
「闘争」の時代⑦ ~東京大学安田講堂事件(2)~ (だれかのブログ) https://ameblo.jp/ei-bou/entry-10606804475.html
wikipedia見る限りでは略奪は第9次(1970)、第11次(1971)、第22次(1990)
wikipedia:西成暴動 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%88%90%E6%9A%B4%E5%8B%95
私は「65歳以上」は、免許を一律返納すべきという立場を取りたい。
なぜ65歳かというと、年金を貰えるのが65歳だから、定年退職する年齢を65歳と仮定しての線引きである。
例えば、トラックやバスの運転手などの職業ドライバーも、定年で「引退」すると考える。
再雇用云々……は今は置いておいて、例えばバス会社が運転手を雇うのは「65歳の定年まで」とすれば、それが運転を引退する年齢にすべきだと思うのだ。
よって、この年金を貰うラインを、一応「現役」か「引退」かの無慈悲に引くラインとして採用したい。
だから、トラックやバスなど、プロ運転手に給料を払う企業に対して、厳密にその「現役」と「引退」の年齢ラインをしっかり決めて欲しい。
安心して雇い、安心して給料を払えるのは、何歳の運転手までか。
職業運転手は、人命や大切な荷を運ぶプロだ。事故を起こされたら会社もたまったものじゃない。
なぜなら、高齢者はどうしても、認知・判断・操作能力が、衰えていくからだ。
60歳から65歳になって、年齢が若返ることはもうない。時間は過ぎる。
池袋の暴走事故の遺族は「少しでも運転に不安のある人は免許を返納してほしい」と訴えた。
私もそう思う。
足が衰え、ガニ股になり、バックなどで腰をひねった際、身体の柔らかさが衰えた身体では足の位置がずれてしまい、
その甘い感覚のまま、ブレーキに添えていたはずの足はアクセルにずれ、思い切りアクセルを踏んでしまう。
なぜなら「ブレーキを踏んだのに進んでいる」→「アクセルと踏み間違えている」→「ブレーキを踏みなおそう」という、
むしろ「ブレーキを踏んでるのにどうして進むの?」とパニックになり、踏み間違えたアクセルを踏み続ける。
その間も、轢いた歩行者を踏み続けていることになる。無慈悲だ。これは殺人と等しい。
「年を取っても元気に運転できる人がいる」とか「田舎では移動手段がない」とか、しまいには「生き甲斐」とか言い出す始末。
要は車を取ったら不便になるから、ギリギリまで運転したいということ。
そして「家族が顔色を窺って、免許返納を遠回しに勧めて」ほしいとか言っている。
なぜそこまで気遣いをしなければならないのか。
であれば、「一律」に「平等」に免許返納の年齢上限を設けるべきだ。
18歳未満は運転できないのと同じだ。
福岡市逆走暴走事故は、事故のほんの十分前はまともに運転をしていたそうだ。
もしかしたら当時意識を失っていた(突然体調不良になった?)のかもしれないと、事故の原因を調査中だ。
高齢者は、いつどうなるかわからないから、運転はやめるべきだという事実が露呈したと言える。
ほんの十分前まともに運転していた人が、一瞬でまともな運転ができなくなったのだ。
それが「年を取る」……ということなのだ。
これが一番言いたいことだが。
「歩行者の命」に関わることだ。
健康寿命の長い、特異な人に合わせないでほしい。
平均点以下……むしろ運動神経の悪くおぼつかなくなってきた人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。
運転偏差値なるものがあるなら、30とか20とかの人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。
車は、踏んだら動く。
座ってるだけで移動できる。
けれども、最低限「安全な操作」ができる「身体能力」が必要だ。
それは、高齢になるとどうしても不足してくる。スポーツと同じだ。
プロであればあるほど、自分が全盛期の動きができなくなったとすぐに気付く。
自動車の運転にも、職業運転手の定年退職と同様に、年齢に上限を決める。
どうか、運転免許は「できない」人に合わせて年齢上限を決めてほしい。
私はペーパードライバーだ。
45歳までに車を買えなかったら、返納しようと思っている。
45歳以上になったら、ペーパードライバー講習を受けても無理だろうと思っているからだ。
21歳で免許取得したのに、自動車そのものも維持費も高く、いまだに持つことができない。給料が低いのだ。
だからどこにでも歩いていく。汽車に乗っていく。バスに乗っていく。そして歩く。
齢90の祖母、65の父もそうだ。
祖母は免許を持っていない。運転できる祖父が亡くなってからは、ずっと歩いている。バスに乗ったり、バスがなければ歩いている。
祖母のような高齢者でも、車がなければないでなんとかやっている。
父は車の維持費が大変で、55歳ごろ車を手放した。
車を手放したらタクシー代が…という人は、車のほうが金食い虫と言えないだろうか。
父は、バスの通る場所に引っ越したし、祖母は、生協の宅配を利用して日々の買い物は賄っている。
車って、一度持ってしまうと手放せないんだなと、高齢者の誤操作による事故のニュースを見ていて、日々思っている。
そして不思議だ。
実家には車のある時期もあったが、私自身は車を持ったことがない。
そういう人間からしてみれば、なぜそこまで車に固執するのか不思議でならない。
事故のニュースだって、決して交通の便が悪くなさそうなところで起きている。本当に不思議だ。
おまけに、高齢者が若かったころ、そもそも車なんか発明されて間もなく高価で手が出せなかったのではなかろうか。
便利なものはなかなか手放せない。仕方ない。踏めば走る。便利だ。
タイトル通り。よく言われているように、共働き世帯年収1000万は、片方が1000万稼ぐのにくらべて、まったく裕福ではない。
だいぶ税金取られるし。30代ともに専門職。財布は別だけど、基本は自分の財布から生活費が出る。
25万。高いが、2人とも通勤するので満員電車をできる限り避けたい。必要な出費。
5万くらいか。外食は昼食はあるが、夜の外食はあまりしない。家ご飯が好き。
子供が生まれてからは子供の世話をする必要があるという理由で飲み会を欠席するようになった。ハッピー。
毎月5万の化粧品と2万のシャンプーを妻が買っているが、これしか使いたくないというので買っている。
私としてはどうにかして安くその商品を買いたいのだが、日本国内のデパートでしか売ってなくて、
免税品などで海外出張時に安く買うこともできない代物だそうなので、放置。
妻が機嫌が良ければそれでよい。必要経費。
妻がずっとdocomoに毎月9000円くらい払っていたのを、なんとか説得し、自分が代わりに払うからと言って月5GB使える格安simに変更させる。
9000円から2000円くらいに減る。これは大きい。そもそもカケホーダイとか言ってるけど、電話なんて荷物の再配達のときしか使ってないじゃん…
私は1500円くらいの格安sim。家か職場でほとんど過ごすのでWiFi使うし。
基本はネットスーパー、パル(生協)、アマゾンで8-9割がた揃える。その他、足りないものが合ったら、近くのピアゴに走る。
頭が悪いので、二人とも5年以上アマプラに入っている。そろそろ自分は退会してもいいかな…
本を読むか、ゲームするか。スマホゲーはしない。多くても月に5000から1万くらいか。そんなに使わない。
子供が寝てから、深夜に夫婦二人でオーバークックして夜中3時くらいまで盛り上がることもある。
(単身時に)なんかよくわからないうちにプルデンシャル生命の生命保険に加入していた。
ほぼ投資型だが。毎年100万くらい払ってる気がする(ドル建てなのですごく振れ幅がある)
上記の化粧品とシャンプー、ヘアサロンを除くと妻は基本的に物欲がなく、自分はさらに物欲がないので、あまりお金を使わない。
だいたい散歩。適当に都バスに乗って、はじめて降りるバス停で降りてみて、そのへん散策して、
タピオカミルクティーとかを並んで買って、それを飲みながらだらだら家まで歩いて帰る。みたいな。
家では、コーヒー飲みながら妻とおしゃべりするとかそんな感じ。
とりあえず生協はやめてもらって他の宅配サービスで代替したほうがいいと思う。アマゾンかネットスーパー使えないかね。
生協の変更・キャンセル処理しようと机に向かった時に限って、子供が暴れる、喧嘩する。
で、忘れてしまう。
牛乳をしまおうとしたタイミングで、生協の宅配が来る、子供が起きてくる、泣く、暴れる。
子供に邪魔されながら何とかご飯を食べ終えたところで力尽きる、食器を向こうへ運ぶ気力もない。
こんなところじゃないか?
仕事から帰ると、子供が散らかした部屋と食卓。これは仕方ない。
食器は使いっぱなし。これをまず流しに持っていき水につけ、ささっと余った夕飯を食べる。
調理に使った野菜、調味料、調理器具なんかはほぼ全て出しっ放しなので、これを片付ける。
昨日から干しっぱなしの洗濯を取り込み、畳み、新たに洗濯を干す。
翌朝、自転車で2人の子供を別々の保育園に連れていってから仕事へ。
この繰り返し。妻は子供と一緒に寝ちゃうことがほとんどなので、通常21時過ぎには寝ている。
土日はほどほど家事分担できるけど、「布団を干す」「シーツを洗う」「床を拭き掃除する」などの
土日にしか出来ない家事を妻は絶対にやらないので、全て自分が対応する。
生協の仕組みって、一度注文確定したら、変更かキャンセルしない限りずっと同じものが届くのだけど、
変更・キャンセル処理をすぐ忘れてしまう上、なぜか注文した食材を使わないので、冷凍の鶏肉が4キロ、
ちょっと耐えきれなくなって、せめて出したものはしまう、使った食器は水につける、くらいは徹底して
ほしいと懇願したところ、「食洗機を買うのはどうか」「お金出してアウトソースするのはどうか」という。
「私もそんなこと言われて辛い」と言う。
とりあえず、「出したものはしまう」「洗ったものを水につける」を徹底するように握った。
ただ、やっぱりそれは実践されず、今日牛乳を注ごうとしたら、ドロリとした液体が出てきた。
この増田読んで思い出した。
20年以上昔の話になるけど、自分も大学で友達が一人もいなかった。
大学のクラスの大半が付属高校から上がってきた人たちで、その中に入り込むコミュ力が自分には全くなかったのだ。
なので休み時間は生協の書店で立ち読みしたり、視聴覚コーナーでLD(!)を借りて映画を見たりして時間を潰してた。
大学の孤独は「自分のことを認知している人が一人もいない」という状況だ。
ドラえもんの「石ころぼうし」をかぶっている感じ。いるのに、誰からも見えない。
ということで自然と大学に行く足が重くなり、次第に行かなくなって2年でやめてしまった。
自分の場合は退学後に某雑誌の編集部にバイトで入ってそのまま社員になったり、ネットを通じてたくさんの友達に出逢ったり、その友達からの紹介で今の妻と付き合うことになった。
久しぶりに実家に帰った
東京からは電車で小一時間、30年前にニュータウンとして開発され今は過疎化が進む町。
JRの駅からは徒歩で3~40分程、車なら10分ちょっとかかる。
私が子供の頃は近所に大型スーパーがふたつあって、歩いていけるところにコンビニがあって、
美味しいお弁当屋さんやテイクアウトのピザ屋さん、ホームセンターなんかもあって、
小学校も中学校も徒歩圏内にあって、図書館や役所はちょっと遠かったけど、郵便局はあって、
今では上記の店は全て潰れて、車で5分のところに少しだけ大きなイオン。
潰れた店のあとには中古車屋と紳士服屋と消費者金融のATMができて、
コンビニは老親の足では歩いていけないところに移った。
足の悪い親にとっては「生活するのに困らない町」ではなくなったように思う。
「子どものお弁当に冷凍食品」は愛情不足? 誤解だらけの冷凍食品
http://bunshun.jp/articles/-/8805
保存料つかわないしね(凍らせるんだから。その代わり消費期限はあるけど。)
たまたまコープさんのが書いてあるけど、他のところでも、冷食は不必要な保存料が入ってる表示、みたことありません。
チョイ抜粋
──「生協」や「離乳食」と聞くと、安全性に配慮されているというイメージが強まりますが、一般の冷凍食品は、長持ちさせるために着色料や保存料などの添加物を使っているものもありますよね? 市販の冷凍食品とは、違う製法や原材料で特別に作っているんですか?
山本 いやいや、市販品もコープ商品も、保存料は使っていないです。そもそも冷凍食品って、保存料を使う必要がないんですよ。この商品のパッケージ見てください。(といって、冷凍庫から冷凍ブロッコリーを取り出す山本さん)原材料名のところに「ブロッコリー」しか書かれていませんよね。
──野菜の組織を壊さないということは、栄養価も下がらないのですか?
山本 その通り。下がらないどころか、生野菜より栄養価が高いケースもありますよ。たとえば、12月と9月に収穫した生のほうれんそうを比較した場合、ビタミンCの含有量はおよそ4倍程度も差があります。冷凍野菜は、1年のうちで最も美味しく、栄養価が高く、さらに価格も安い旬の時期に収穫した野菜をすぐ下処理、ブランチング、急速凍結します。(つづきあります)