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はてなキーワード: 司会者とは

2019-12-19

アニメイベントの司会が吉田尚記だった時の絶望

煩い、つまらない、空気が読めない

全てが最悪な上に、平気で出演者名前を間違える

マジで司会者失格だからアサインするの本当にやめて欲しい

2019-12-08

ホームレスセリかけられる

まず、風呂に入らないレベルではない。髪の毛が伸びたのが固まっている。徹夜続きで風呂に1週間以上も入らない友人を白い目で見ていたが上には上がいる事を思い知らさせる。

そんなホームレス大勢の男が取り囲む。1年前なので覚えてないがホリエモン風やら唐澤貴洋風やらいかにもネットベンチャーな男どもであった。

司会者風の男が声を掛けると値段の言い合いが始まり最終的には高い値段を言ったベンチャーマンが買い取るようだ。

ニコニコ笑うベンチャーマンやら悔しそうに舌打ちマン、「もっと金用意しろよ!金だよ!」と携帯で部下に怒鳴り散らす叱責マン、そして他のベンチャーマンどもが解散すると車にジタバタホームレスを数人の黒服マグロ漁のようにヤグザ溜め込む。

「何やってるんですか?あんたら?」

わず口を挟むも

「うっせーな!」

あんたに関係ないだろ!」

言い訳すらしない大人事実やら社会人の世知辛が青二才のガキに突っかかった。

「おい若いのお、綺麗事だけじゃ飯食えんでぇ!」

ニコニコマンが高価葉巻を吸ってるかと思ったら仏壇に使う線香をタバコのように吸っていた。金持ちのする事はようわからん

2019-11-27

anond:20191126094509

VTuber抵抗ある人にはむかないが、人狼ゲームVTuberプレイしたあほあほ人狼面白かったから見てみるといいよ

https://www.youtube.com/watch?v=lUBCf8PbWx4

ゲームルール司会者解説してくれるからわかりやすい。

占い師霊媒師能力からプレイヤーの発言矛盾を指摘できるかどうか、人狼人狼を見抜かれない発言をしなければいけないなどゲーム性はそれなりにある。

参加人数や役職が多ければ頭をつかうことが増えてゲーム性が生まれやすくなると思う。

2019-11-19

フェミニズムというのは泣く女を演じることではない?

フェミニズムとは泣く女を演じるなのだろうか?

わーんひどいわー。いじめられたわー。かわいそうな私をみんなでなぐさめてちやほやしてー。

そんなフェミニズムフェミニズムではない。

そんなフェミニズムだった時代は今まで一瞬たりともない。





さて、話は全然変わるが、

青識亜論と、石川の論戦だったが、あれはひどい。

もうめちゃくちゃだ。

内容を見たがとてもリンチなどと言えるものではない。ただのtwitter延長戦だった。

もっと理詰めで相手を苦しめることもできただろうに普通に対応している。

からプロレス相手完膚なきまでに倒すつもりはなかったんだろうなと思った。

そうしたら案の定、開催内容も、司会者相手意向に沿って決めて、

相手質問の内容をやり取りして、自分質問内容を教え、しかも事前打ち合わせまでやっていたというから驚きだ。

そうしてプロレスとして幕を閉じたというのが真相だった。

だというのに、そのあとで、

http://www.ishikawayumi.jp/entry/2019/11/18/133232

こういう被害者ポジションを取るのである

率直に言うがこれではがっかりだ。失望した。

青識があまりにも馬鹿を見た。

しかも、青識は一週間前に自分質問を教えているにもかかわらず、石川のほうは当日まで質問内容を教えてないと本人も認めている。

これではどちらが嫌がらせを仕掛けてるのか?

本当にひどい。

これで被害者ポジションを取るのか。

気持ち悪い。

心底気持ち悪い。

2019-11-18

anond:20191118194107

そんで司会者note読んで、ああーなんかもうどっちもどっちだな…ってなって彼らに興味をなくしてしまう…

この記事を読んで石川さんかわいそうだと思った。

http://www.ishikawayumi.jp/entry/2019/11/18/133232

この記事を読んで。石川さんはかわいそうだ。

もっと相手配慮しろよ。

青識亜論はひどい。

司会者は何をやってるんだ。無能だ。

信じられない。

イメージ悪すぎだろ。

そう感じた。

https://twitter.com/dokuninjin_blue/status/1196307821668622336

で、このツィートが流れてきた。

すごい困った気分。

えっと、どういうこと?

と思って調べてみた。

どうやら、討論したいと言い出したのは石川さんらしい。

司会者も、討論形式も、石川さん意向に沿って決められたみたい。

さらに後攻の権利ももらってる。

しかも、質問内容を一週間前に教えてもらってる。

すごい困った。なんかもう、それで討論に参加して、敗北感を味わうんだったら仕方ないんじゃないの、と思う。

将棋に例えると、飛車角落ち、どころか、8枚落ちで勝負して、それで負けたんだったら仕方ないんじゃないの?

もっと、準備できなかった?

うーん。こうなると、「実はなあなあのプロレスで、相手は何を話すかわかってました。だから傷ついてません。私は大丈夫です」と言ってくれたほうがまだ救いはあった。

さすがに「青識さんはしっかりと私をモノ扱いしてくれた。」とか、甘えすぎですよ。これは本当にひどい。

こうなってくると青識のほうがかわいそうに見えてくるから不思議だ。

流石に、本人が今頃になって青識さんの承認欲求の道具にされたんだとか言い出すの、

プロレス試合で「傷害事件として起訴してください」というぐらいにめちゃくちゃだ。

どうなんだそれ?

「私を青識さんの承認欲求を満たすための道具として使うのならば、予め私に許可同意をとる必要があったはずです。」

いや、十分丁寧に接してるのでは?

討論会相手要求を全て飲んで、質問内容を教えてるのなんて、基本あり得ません。

これはもう、討論以前の問題ですよね。

これを見て、かわいそう、とか思ってた自分が恥ずかしい。

今後、フェミニズム運動家と討論するときには、

司会者相手が決め、後攻を相手に譲り、最後相手にすべての質問を教えたとしても加害者として糾弾される覚悟必要

になりました。

実は傷ついたのは演技で、次も開催するぞというプロレスであってほしい。

こんなのフェミニズムじゃないよ。

anond:20191118183855

元増田問題がないわけではないし、あんたの考えがそれほど変なわけではないが。

しかし実際のイベントに行って書いたわけじゃないし主催者司会者コメントも見てないもんだから根本的に変な話にしかなってない。

 

狙ってリンチ状態を作ってないし、現場議論が噛み合わなかったとしても、別にそこまで殺伐としてたわけじゃないんだよね。

想像で書く癖は早めに治せ。

anond:20191118183855

そのとらえどころのないフェミを捕まえることができる実像としてでてきた石川さん女性世界代表よろしく対談と決め込んで

自陣のオーディエンスに囲まれて喋る相手扇動して行動に規律をもたせる様子はもう獣の檻に入れられた草食動物と同じでしょう。

個人としてなのか代表としてなのか、そして相手干渉する規模はどのようなものなのか、それを闇雲に「対談」という「リアル

に持ち出したこと有意義かのように言われて、実質「事務所こいや。話があるで。」状態である公開セクハラに何の意味があったのでしょうか。

討論を持ち出して、司会者を選んだのも石川さん側で、

更に青識側は司会者も含めて予め発言する内容や議題になりそうな点についても共有したらしいけど……

2019-11-17

フェミニズム学問だというのならもっと戦うべきだ。

青識亜論と石川優実との対談というか論戦ショーがあった。

https://togetter.com/li/1431453

それで、ビッグネーム同士の論戦ということで、各界の大物論客が集まるだろうし、会場はフェミオタクプロレスが見れるだろうと期待していた。

しかし、残念ながら、盛り上がりに欠ける展開になってしまった。

理由ネット政治大好きオタクしか来ず、フェミサイドが閑古鳥だったことに由来する。

会場からフェミサイドの大物が名乗りを上げ「お前らオタクは豚だ。ブヒブヒ泣くんじゃねえ」とか、ネット論客オタクが「オタク差別は許さん。表に出ろ」とかそういう期待されたやり取りは全くなかった。

で、ここからが本題。

フェミ論客が、「あんなのに参加するべきではなかった。弱い者いじめだ。青識はクズだ」とtwitterでことが終わった後に全員が言ってる。

オタクばっかりの会場は卑怯だとも。

しかちょっと待ってほしい。

別にオタクけが参加するイベントではなかった。もっといっぱいフェミが参加して、青識を精神リンチすることだって可能だったはずだ。

しかしなぜかフェミは参加しなかった。4000円払えなかったのだろうか?

オタクほとんどで、フェミがほぼいない。これは主催者も、オタクも、フェミも予想外だった。

フェミ論客twitter漫画家の本が、出版されたのはいいが、実際には支持者がそんな買わずに困ってしまったということもあったが、実際にお金を出したり動いたり、意見を言う人はオタクの比ではないほど少ないということが可視化されてしまった。

宇崎ちゃん単行本バカ売れ、献血キャンペーンはめちゃ成功したのに対して、実際に動くフェミはほぼ存在しないということがバレた。

最大の理由は、「フェミニズムが戦う心を忘れて、共感手法に終始し続ける時代が長すぎた」ことだ。

もっと率直にいうならば、「100%肯定のみを求めて泣く女」に終始した「被害者ポジションで語る」ことに慣れすぎたからだ(これはもうフェミニズムではないという批判はまったく正当である)。

まり、面と向かって「あなたの言ってることおかしくないですか?」と言われることを極端に怖がりすぎているのだ。

末端の支持者がそのレベルならまだしも、大学教授や、弁護士などのオピニオンリーダーの姿すらなかった。参加者に至っては「報酬をもらってないから」とまで言う始末である

参加するのは外の世界とつながらない、ネットの論壇や、雑誌炎上記事だけで、他者との議論の場に姿を現さず、愚にも似つかぬ根拠あやふやエッセイを本として売りながら、学会にすら論文をまともに出さないのがいまのフェミニズムの堕落の姿だ。

彼らにできるのは「炎上を仕掛けて放火する」「雑誌炎上記事投稿する」「ネット絵師を凍結させる」「電凸する」程度で、実際に動くことはまずない。


なにより狡猾なのは、フェミニズムのオピニオンリーダーたちは、自分たち共感作法(そうですね、ひどいのは男ですね。あなた被害者かわいそう)という手法によってのみ勢力を拡大してきたことを誰よりもよく知っていることだ。だからこそ、「自分たち論法が、自由議論の場や意見議論を戦わせ、批判する場に出ていく」ことを極端に嫌がる。大学生の「なにを意見として述べてもよい。しか客観性のある根拠はつけろ」という基本中の基本すらできていないことを知っているからだ。だから大学教授ですらが、自由議論の場に出て行って、自説の正しさを主張することすら怠る。負けることを知っているからだ。それよりも「あなた被害者あなた被害者」と繰り返し言うほうが、楽だし、金も稼げるし、何より危険が少ない。

しかし断言するが、それは学問ではない。

もう、学者たちは、はっきり言うべきなのだフェミニズムは保護されている、と。


フェミニズムが学問であり、その正しさを学問看板で主張するというのならば、「あらゆる方法でその正しさが検証される」のは当然であり必然である。そこから逃げるのなら、もう学問ではない。

大学院生ならわかるだろう。あの学問のいやらしさを。論文のあらさがしばかりする腐れ外道魑魅魍魎たちを。学会質問のいやらしさなんて、青眼鏡の比じゃないレベルでぐいぐい突っ込んできますよ。

本当に最低。でもそういうところで戦わずに、「学生相手講義を一コマ男性社会悪口適当根拠で言って、男性社会悪口レポートを書かせて単位をやる」みたいな社会学の講義だけやって終わるような真似をしないでほしい。


石川優実さんが立派なのは、そういう自分の正しさを戦わせることを選んだことだ。彼女理論はともかく、意見の違う他者と戦ったという一点において、紛れもなくフェミニストであり、その一点において肯定されるべきだろう。100%に近い肯定の得られる場所以外はいかないという偽物ではなかった。それだけはこのイベントの収穫であっただろう。

追記 有村悠が凍結された。オタクが凍結させたのかと思ったら左派陣営フェミ側が怒ったかららしい。そういうところだけは仕事が早い。有村悠なんて、フェミ側の人間だろうに。

追記追記 と思ったら急に泣き言を言い出した。なんなんだよ。どっちらけだよ。司会者もセッティングもすべて石川有利に作られてたのかよ。しかも青識から一週間前に質問内容を全て教えてもらって、論点まで司会者と一緒に事前話し合ってたのかよ。そのうえで、「私はモノ化された」と泣き言をいうのがフェミニズムなのかぁ。被害者ポジションはそりゃ楽だろうさ。でもそれはフェミニズムじゃない。

2019-11-13

JOKERネタバレあります

最初に見た他人レビューが安っぽく狂気狂気と書き立てるものばかりで失望した。アーサーは狂ってなんかいない。むしろ最初から最後まで一貫して、彼には完全な判断力があったし、正気だった。

ゲーリー、優しかったのは君だけだ」

僕が一番好きだったのはゲーリーを逃がすところだ。この映画のそれ以外の全てと釣り合うほどに素晴らしかった。映画史に残る名シーンだと思う。

家に二人で訪ねてきた元同僚の片方を滅多刺しにして殺し、もう一人も手にかける——、手にかけるだろうと、そう観客は予想する。しかしアーサーは彼の事は見逃した。行っていいと。しかしドアの鍵が閉まっており、小人症で手が届かない彼が、殺人者である当のアーサーに開けてくれと頼む。アーサーは鍵を開けてやり、彼を送り出す。ただ気紛れに見逃したのではなく、ゲーリーのことは本当に殺すつもりがなかったのだと、ここではダメ押しでそう強く明示して見せているのだ。「優しかったのは君だけだ」と額にキスまでして。

なんて涙ぐましいシーンだろうか。アーサーはただ愛が欲しかっただけだ。誰かに愛されたくて仕方がなかったんだろう。愛されればそれに報いることができる正常な人間だった。正常だからこそ、自分に降りかかった世間の悪意に正しく報いて、彼はジョーカーになったのだ。映画的なレトリックでそれを説明し果せている。この直後に初めて、あの紫のスーツの、お馴染みのジョーカーの姿になり、あの階段を下った。晴れ晴れとダンスを踊りながら。しかゲーリーとのあの別れの直後だけに、どこか空っぽの乾いた悲しみを感じさせる。

言葉

「優しかったのは君だけだ。」アーサーはすべて、ちゃん言葉にして語っていた。正常な知能と判断力の賜物だ。ウェインを訪ねた時も。金が目的だろうと言われ、違う、そうじゃない、欲しいのは温もりとハグなんだと、言葉にしてちゃんと主張してみせている。しかし、返ってきたのは暴力だった。最後TV番組に出演した時も、司会者自分の主張を過不足なく説明している。何もない奴を笑いものにし、足蹴にするとどうなるのか見せてやると。そして銃で撃ち抜いた。

格差

作中の事件を伝えるニュースでは、犯行動機として「格差」があると触れている。これも良く計算されて織り込まれていたと思う。今この時代に、悪役を主人公としたこ映画が作られたことの必然性がここにある。

証券会社の三人組も、チャップリン映画を見ているシーンでも、金持ちたちは皆、小綺麗な黒のスーツを着ていたのが印象的だった。これは明らかに意図的ものだ。創作作品一般の「悪者は黒色で表される」という不文律を上手く利用して、アーサーの目から見た世界を描いているのだ。彼にとって上流階級とは自分を疎外し苦しめる悪者しかなかったから。ここに善悪の相対化が、全くの反転がある。「狂っているのは俺か?それとも世界の方か?」という序盤の問いかけは、敢えてこう言い換えてもいいだろう。「冷酷な殺人鬼とは俺の事か? それはあいつらの方じゃないか。」

小綺麗でピカピカな正義ヒーローが、正しい暴力を振るって悪者を懲らしめる。その昔ヒーローものといえばどれもこんな風だった。単純化されたストーリー。分かりやす善悪悪者ボコボコにされて言葉を奪われ抗議することもできない。何故ならその暴力は「正しい」のだから当然だ。

みんなヒーローの方に自分を重ねていた。勿論バットマンを見て育った子供たちも。しか現代ではこの悪者の側に感情移入する人も多いのではないだろうか。やんごとなき上流階級の人々が、政治的に正しい暴力を振るい、庶民搾取し痛めつける。この社会そっくりだ。皆自分が殴られる悪者の方なのだとうっすらと自覚している。小汚い貧乏人には抗議する権利もない。何故ならその暴力は「正しい」からだ。“悪者”は黙って殴られていろと、社会システムが無言で言っている。

誰がやりたくて悪者をやるだろうか。誰が好き好んで罪を犯すだろうかと、今になって分かるのだ。あのピカピカの正義の味方に殴られていた「やられ役」は、生きていく中で仕方なくそうせざるを得なかった「弱者」ではなかったか

分断

僕はその後、更に他人の書いたレビューを読んでみて、やはり憤りを禁じ得なかった。

何も持っていないゆとりの無い人間に対して、それなりに足りてる奴が、安全場所からもっとこうすれば良かったとか、小人症の男と仲良くすれば良かったのにとか、あまつさえ大して不幸じゃないとか、上から目線薄っぺら正論を、自己責任論を披露する。それは正義の味方が「わるもの」を力一杯ぶん殴る構図そのものではないのか。

この映画共感せずに済むような人たちは、自分がどれだけ恵まれていたかに気付いてない。絶望的に愛情に飢えていて、精神的なゆとりを根こそぎ奪われた人間が、どれだけ不自由でままならないか。それを知らずに済んだ幸運な人たちだ。「こうすれば良かったのに」だと? それができたらああはなってないだろ。「お前は怠けている」とでも言いたいんだろうか。できるならとっくにやっているのに。

「不幸すぎないか共感を生んだのでは」という意見は、少し違うと思った。少しズレている。正確に言うとこれは「福祉の谷間問題なのだと思う。歩けなくて車椅子とか、目が見えなくて杖をついてるとか。誰の目にも明らかな障害者なら公的支援を受けられるし、みんなに助けてもらえる。でも微妙障害だったら? 見た目が普通で症状が分からない、健常者と同じように扱われるのに、しかし健常者ではない。実際には軽微な障害があり、仕事日常生活で「現に」困っている。困っているのに、誰も助けてくれない。こういうのを福祉の谷間という。発達障害やチックなんかがそうだ。或いはアーサーみたいな、感情が高ぶると笑ってしまうという障害もまさしくそれだった。周りからはそれが障害だと分からないのだ。本人はとても苦しんでいるのに。そして誤解と偏見に満ちた視線のせいで二重に苦しむ事になる。それはこの映画に「大して不幸じゃないじゃん」と言い放った人たちの正にその視線である。ここに地獄がある。

有色人種なら贔屓してもらえたのに” 白人から何もない、自分は現に困っているのに、何の手助けも受けられない、ホワイトトラッシュと呼ばれる人たちも、谷間問題という意味では本質的に同じだった。彼らは事実ジョーカーみたいな政治家を支持した——。ドナルド・トランプだ。この映画はこういう人たちの共感を生んだのだと思う。だから社会現象になったのは必然と言えるし、解釈に分断が起こり、理解できる人とできない人とで真っ二つに分かれてしまったのも、必然だったのだろう。

2019-11-11

本当に日本人議論が下手なのか?

ぶっちゃけTwitter喧嘩してる外人見てると変わんなくね?

結局、論者の足切りした上で頭いい司会者いるかいないかしかないやろ。昔タウンミーティングに来て司会やってた慶大教授だかはメチャ頭良かったなぁ。名前分からんテレビとかで見ないけど。

2019-11-09

anond:20191108221632

勝間和代さんは?

鳴り物入りデビューした割に経済評論家司会者としてはすぐ消えちゃった印象

素行は悪くないけど何度か炎上してるし

2019-10-30

味方を増やすチャンスを生かそうよ

韓日右派左派をそれぞれ一人ずつ、計四人で討論する面白い番組

しか韓国視聴者からは苦情が殺到したらしい。

産経新聞は、韓国国民の一部からは「極右嫌韓新聞」とみられている。その産経新聞記者発言を「濾過」せずに思う存分語らせたことで、司会者のイム弁護士の元にも「売国的だ」という批判殺到したのだった。

産経新聞への批判というと、日本では左派から批判の声が上がることが多い。

それが韓国では「売国的」という右派から批判が上がったようだ。

韓日では左右が逆転していると言われており、今回も日本左派と同じ立場韓国右派が回った。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/kaisha/2019/10/29371294.html?p=all

さて、ある出来事ポジティブ表現ネガティブ表現、どちらで表現すればいいの。

せっかくならポジティブ表現を使って味方を増やしたいよ。

grdgs アホウヨの使う「正論」とは「いいがかり」の意味

Gl17 産経発言は「被害者被害側と言うのは歴史観の歪み」と言ってる訳でそら怒るわ。日本側で嫌韓日本が悪いと放送したらもっと反感あるだろう。記事と同手法最近国内報道揶揄すればエライこと書けてしまうぞ。

quick_past 他国に殴り込んでまで営業活動

せっかくのチャンスなのに、こういったコメントは損だよ。

産経新聞いかに酷いかじゃなくて、そんな酷い産経新聞も討論の場に呼ぶ韓国の器の大きさを、多様な意見尊重する姿勢を褒めたいよ。

ポジティブ表現を使えば、韓国右派日本左派の味方がもっと増えるはず。

いつも怒ってばかりいるんじゃ、いくら正しい内容でも怖がられてしまう。

あいトリを叩く韓国左派日本右派と違って、器の大きさを示したい。

2019-10-25

ジョーカー感想 ジョーカーは“社会”に復讐なんてしていない

ネタバレ注意 あとDCシリーズとかわからないので映画単体で完結しているとして感想を書きました。

各種感想を見て「ジョーカー自分を追い詰めた“社会”に復讐する物語である。」のような意見散見したが、ジョーカー自分危害を加えた“個人”に復讐したのであって“社会”には復讐していないと思う。根拠としては

コメディーショーでピエロメイクには政治的意図はないと明言している点、

リンチしてきたサラリーマン3人、過去虐待をしていた母親拳銃を渡すことで破滅に追い込んだ同僚、テレビ自分を笑い者にした司会者といった、あくま自分危害を加えた人物しか殺害していない点 の二つが挙げられる。

①を補足すると、ジョーカーには社会現象を起こすつもりは毛頭無く、あくまでも“ジョーカー“を求めたのは世論であると言える。

②を補足すると、ジョーカーテレビショーで無差別に発砲なんてしていないし、小人病の同僚も警察官も殺していないし、ウォレス父親疑惑があった人)には殴られたのにも関わらずやり返さず、話を信じて病院調査に行っている。理性を保って殺す相手をきちんと選んでいるように見えた。この視点から見ると、アメリカでよくある銃乱射犯や、歩行者天国に突っ込んだ犯人とは一線を画して描写されているように思える。(まあ無差別殺人教唆するような脚本には出来なかったのだろう。橘玲氏の論説によればシングルマザーの家に押し入った後2人を殺している説があるらしいが、そこまで言っていたら何でも言えてしまうのでスルー

総括すると、ジョーカー個人的な復讐センセーショナルに遂げただけで、それを本人の意思とは無関係に(スクリーンの内でも外でも)周りが社会問題に結び付け、祭り上げているのだと考える。虚構ジョーカーを創り出すのは私たち一人一人なのだ

2019-10-23

監督作家から見る「ジョーカー分析

話題映画ジョーカー」を観た。3日間もの間、印象的なシーンが鮮明に再生され、日常生活を送りながらも映画の中の世界が頭から離れなかった。観賞中は息が詰まるような緊張感が続き、ショッキング描写気持ちは激しく動揺した。

これは一体どういう映画なのだろう。なぜこんなにも強く私の脳内占拠したのだろう。これは議論を呼ぶ名作なのか、はたまたただのトラウマ体験なのか。作品に散りばめられたエッセンスから頭をよぎった監督たちの紹介とともに答えを探っていきたい。

まず系譜としてはマーティン・スコセッシなしには語れない。スコセッシは言うなれば妄執の父である社会が見せる夢に取りつかれた青年現実妄想の間でもがく、という題材をひとつテーマとしている監督だ。アメリカンドリーム皮肉たっぷりに描き、鬱屈した現実とポップな理想を同居させ、若者狂信的な思いを貫くことで結果的社会カウンターパンチを食らう、という内容に特徴がある。主人公にはしばしば常識倫理観が欠如しており、それが社会との隔絶や陰惨な事件を起こす引き金となる。「タクシードライバー」や「キングオブコメディ」でうだつの上がらない妄想癖の男を演じたロバート・デ・ニーロが「ジョーカー」で今度は人気番組司会者を演じているのも意図的皮肉だろう。社会の片隅で生きる男が自意識肥大させて全能感を獲得するという構図は明らかにスコセッシに倣ったものだ。

だが、スコセッシ作品と比べると「ジョーカー」の方が観ていて受けるショックは大きい。はじめから狂気じみたスコセッシの描写する青年と違い、「ジョーカー」の主人公アーサーは特殊障害こそあるものの、それなりの分別を持って慎ましい生活を送る恵まれない男なのだ尊大さよりも不遇を強く感じさせる分、彼が段々と堕ちていくのを見るのはつらい。

似たような余韻を残す作家連想するのはダーレン・アロノフスキーだ。アロノフスキー絶望職人であるこちらも現実妄想の対比によって物語が進行するが、えげつないほどの乖離物理的に後戻りのできない状況を生み出すことによって観客もろとも登場人物絶望へと叩き落とす。往々にして個人における心理状態の変化に焦点が当てられ、描写に肉体の変容を伴うのが特徴だ。職人と称したのは、映像音楽を神経質なまでに駆使して恐怖や落胆、憧れといった感情を煽っていく技巧派スタイルからだ。その画面は暗く、重く、そして美しい。「ジョーカー」を観て「レクイエムフォードリーム」や「ブラックスワン」を想起した人も多いだろう。アロノフスキー作品同様、「ジョーカー」には喪失のものを賛美する鎮魂歌のような要素がかなりある。観客に登場人物と同じ夢を見させた上で、それが緊張とともに深い闇に飲まれていく過程をただただ美しく映し出すのだ。

では、「ジョーカー」の監督であるトッド・フィリップス独自性はどこにあるのか。それは、社会的にインパクトのある題材を濫用し刺激的すぎるほどリアル描写にこだわっているにも関わらず、全体として悲壮感を打ち消しにかかっているところにあるように思う。まさにジョーカー的とも言える、悲劇喜劇かは主観次第、というのを地で行くような趣きがある。スコセッシが愛に飢え、アロノフスキーが闇を愛でる一方で、フィリップス節はなんとなくはじめから終わりまで人々の孤独平行線のまま、深刻なのにどこか表面的で、楽観していて投げやりなのだ

過去作の「ハングオーバー」でもトッド・フィリップスはそんな調子だった。いたずらに過激モチーフを画面に持ち込み、場当たり的に対処していく。物語は緻密に構成しながらも強いテーマ性は内在させず、作り手としての態度はどこか楽観的だ。調べてみるとドキュメンタリー出身とのことで合点がいった。おそらくは観客を引きつけておく演出は最大限発揮しながら、事象としてはすべてありのままを受け入れる、ということである男子寮、バチェラーパーティー、そして今回のジョーカー誕生といい、悪ふざけと相性の良いトピックを選んでいるのもきっと彼らしさなのだろう。待てよ、よくよく考えれば彼の切り口は「やりすぎ男子」そのものじゃないか

だとすると、やはり「ジョーカー」という作品社会的意義を議論するには不向きな映画だろう。映像表現に長け、社会ありのままに捉え、悪ふざけを好むトッド・フィリップスという監督が、人々にトラウマを植え付けるほどやりすぎてしまった結果できた映画なのではないか社会問題全部盛り、過激表現シマシでありながら「そういうこともあるさ」と爽やかに言わんばかりの演出にはそれで説明がつく。それは確かに時代を反映しているかもしれないが、風刺意図や分かりやすメッセージはおそらくそこにはない。

新時代のやりすぎブラックジョーク、それが私の「ジョーカー」に対する結論である

※ 本当はクリストファー・ノーランにも言及たかったが、うまくまとまらなかったのであえて割愛した

anond:20191023073955

次元が多いと表面付近が多い。表面付近というのは0か1に近いつまり特別優れていたり特別劣っていたりする。次元変数であり評価軸だったりするもの

MCは司会者であり、最近司会者はいろいろ大変だ。

2019-10-22

アイカツ!」の全178話はなぜファンにとっては“短い”のか

アイカツ!シリーズの「話数が多い」というハードルを越えて視聴してもらうためにはどう勧めれば良いか、という話が少し盛り上がっていた。

その中でよく出てきた話に、見てハマった人間にとってはその話数というのはむしろ少なく感じるほどである、というものがあった。

それについては私も大いに頷くものであるが、なぜ皆がこれだけ話数の多い物語をそろって「短い」と言うのであろうか。(単純に面白いからあっという間だよって意味かもしれないが)

それを少し考えてみたので書き連ねてみる。なお、シリーズ全部について書くと本当に長くなるので第1作の「アイカツ!」に絞って書く。

視聴者は「アイカツ!」の世界の住人と同じ時間を過ごす

アイカツ!」は2012年10月から2016年3月までの約3年半の期間に放映されたアニメである。総話数は178話。劇場版長編の「劇場版アイカツ!」と、ステージを中心に構成した中編「アイカツ!ミュージックアワード みんなで賞をもらっちゃいまSHOW!」、最終回後に制作された短編アイカツ!~ねらわれた魔法アイカツ!カ―ド~」の計3つがある。他にもドラマCD制作されている。

そして、「アイカツ!」は放映時期と作中の時間リンクしている。つまり、季節が現実と同じように流れ、クリスマスバレンタイン卒業式入学式年末年始などの季節のイベントエピソードが時期に合わせて放映されている。

劇場版も公開日と合わせてあり、たとえば2014年12月13日公開の「劇場版アイカツ!」は同年12月11日放映の第112話の後のお話となっている。

プリキュア等の年間を通して放映されるアニメを見ている人にとってはさほど驚くことではないかもしれないが、1〜2クールが基本の深夜アニメを中心に見ている人にとっては新鮮かもしれない。

さらに、いわゆる「サザエさん時空」ではなく、1年経つと実際にキャラクターが歳を取り、進級したり卒業したりする。

最初主人公星宮いちごは第1話時点では中学1年生だったのが、第178話時点では高校2年生になっている。(ある話数の間にだけきっちり1年間のブランク存在するが詳細は省く)

まりは、視聴者は画面を通して「アイカツ!」の世界での出来事リアルタイムに感じとり、キャラクターの成長を見守っていくのである

週に1回の放映内容だけでその1週間の出来事を知る、と単純化して考えてみると、それはあまりにも時間が足りないと言わざるを得ないであろう。

漫画スラムダンク」は週刊連載で6年連載して作中で4ヶ月の出来事を描いたのであるから、単純計算でその18倍の短さと言えてしまう。(1/3年の出来事を6年間で伝える=1/18年の出来事を1年かけて伝える)

そして、年間を通して季節に合わせて放映されていると、視聴者にとって「アイカツ!」は生活の一部となっていく。生活が終わることなんて人は想像したくないものであるから、それが終わった時の寂しさは計り知れない。

後追いで視聴している者にとっては、話数と共に季節が移り変わっていくのを感じながら見ていると、キャラクター人生を辿っているような感覚になる。そうすると、途中でそれが途切れてしまうとなると、それがどれだけ寂しいものであるか。

最終回後に制作された劇場版短編は、そんな人たちに向けてキャラクターから届けられた久しぶりの近況報告・贈り物であると考えてみると、それがどれだけ嬉しいものであるか。

先述したように「アイカツ!」ではドラマCDがいくつか制作されているが、劇中のラジオ番組という形をとっており、まるで実際にラジオを聴いているかのように感じることができる。ファンにとって「アイカツ!」のキャラクターはどこか現実と地続きのところに存在しているような感覚がある。

アイカツ!」のキャラクター誕生日を祝う時、毎年そのキャラクターの年齢を数えるファンは少なくない。今年、星宮いちご20歳になった。

アニメが終わってもキャラクターたちは消えることなく、生きてアイカツをし続けている。キャラクターの生きる姿を描くのにはいくら話数があっても足りない。

キャラクターの数だけ物語がある

アイカツ!」にはたくさんのアイドルが登場する。作中でCGで描かれたステージ披露したアイドルを数えてみると、総勢28人。披露されていないアイドルも多数おり、その中に人気のキャラクターもいる。

長期放映のアニメで俗に言われるものに「当番回」というものがある。

特定キャラクタースポットライトを当てたお話のことを指すが、「アイカツ!」にももちろん当番回と呼べる回が多くある。

しかし、28人を超えるキャラクターの全員に満遍なくスポットライトを当てるにはあまりにも話数が足りない。当然キャラクターによって登場の頻度の差は出るので、「あのキャラもっとたかった」という声は常にある。

それだけキャラクターが魅力的であったことの証左ではあるのだが、178話という話数をもってしても描き切れていないわけである

ただ、そういった「スポットライトを当てる」ことについては、第146話「もういちど三人で」で星宮いちごが語った言葉がちょうどぴったりだったので引用する。

「私ね、世の中のアイドルとか、みんなを照らすスポットライトって、ずーっと動いてる気がするんだよね。ぐるぐるって。ずーっとぐるぐるぐるぐるね。だから、その時その時で、照らされる人数は少ない。でも、照らされなかった人がいなくなってるわけじゃない。だから、次のチャンスは誰にでも来るんだよ。その場所に立っている限りね」

スポットライトの当たってないところでもアイドルたちのアイカツは続いている。

物語舞台であるスターライト学園アイドル学校で、つまり通う生徒たちは全員アイドルである。メインで登場するアイドル以外も皆アイドル活動をしているわけである。実は、クラスメイトにも全員しっかり設定が付いている。何気ないシーンで映り込んでいるアイドルや、一瞬映った雑誌に載っているアイドルにも名前ちゃんとついていたりする。スポットライトが当たっていない彼女たちも、「アイカツ!」の世界で生き、活躍している1人であることが想像できて、それが「アイカツ!」という作品世界に深みを与えている。

さらに、アイドル以外にも、家族先生デザイナーファン仕事関係者等のサブキャラクターアイドルに負けず劣らず魅力的である

特にブランドデザイナー重要存在で、アイドルが、自分の好きなブランドトップデザイナーが作る「プレミアムレアドレス」を手に入れるまでの物語は「アイカツ!」のひとつの見所でもある。

デザイナーブランドに対する考え方だったり、アイドルとの向き合い方・関係性だったりにもその人の生き方のようなものを感じることができ、それは、いろんなアイドルのいろんなアイカツの形を見るのにも似ている。アイドルでないキャラクターにもその背景や物語があるのを感じさせる。

また、当初はただのモブしかなかったアナウンサーが、節目節目でのイベントでいつも司会者として登場するうちにいつの間にか名前が付くまでになっていた、ということもある。

何が言いたいかというと、「アイカツ!」を見ていると、登場する全てのキャラクターが魅力的で愛おしく思えるようになり、もっといろんな話が見たいと思うようになるということである

「かげがえのないもの」はなんてことな毎日の中にある

歴代シリーズキャラクターが大集合する新シリーズアイカツオンパレード!」の放映に際し、シリーズダイジェスト動画が公開されている。

歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2012年10月~) ver.』
歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2014年10月~) ver.』

だいたい5〜6分の動画シリーズがおさらいできるようになっている。

やろうと思えばアニメの内容をあらすじでさらっと伝えることはできる。主人公が「輝きのエチュード」や「SHINING LINE*」や「START DASH SENSATION」等の楽曲に至るまでの物語理解してもらうために最低限のエピソードピックアップすることもできる。

アイカツ!」は基本的1話完結のストーリーになっており、途中から見てもわかるような配慮もされている。単話で見ても面白い回はたくさんあるので、つまみ食いでもきっと楽しんで見ることができるであろう。

この回が良い、この回が好き、といった話に花を咲かせることもよくある。

それでもやっぱりファンとしては全話見てほしい。全話が全部大事な話だ、と本気で思っている。

星宮いちごが歩んだ道のりを軸に、物語上の重要エピソードだけをピックアップすることになったとしよう。

そうすると、例えばいちごたちがただオフタイムを過ごすだけという第24話「エンジョイオフタイム」は、含めなかったとしても物語説明可能である。でも、ファンとしてはこの話は絶対に外したくない。

また、いちごがメインでない他のキャラの「当番回」、例えば藤堂ユリカがメインの第89話「あこがれは永遠に」も含めなくてよいだろうか。確かに、なくてもいちご物語を語ることはできるであろう。だがこの回で描かれた藤堂ユリカアイドルとしてのあり方やデザイナーとの関係ファンとの向き合い方、そういったものが全くいちご関係ないなんてことはなく、作品を通して描かれているテーマの根幹に通じているものがたくさんある。

例えば「SHINING LINE*」の歌詞を紐解くときに、ただ美月いちごあかりにだけ注目して考えるのでは、やはりもったいない。いろんなアイドル、いや、アイドルでないキャラクターたちにもそれぞれの「SHINING LINE*」があるし、「最初の風」もある。

アイカツ!」の楽曲は、キャラソンというわけではなく、「アイカツ!」の世界で歌われるポップスであり、普遍性を持った歌詞になっている。もちろん、これは誰々が歌っているという「持ち歌」の考え方はあるが、ある楽曲を別のアイドルが歌うことでまた別の新しい意味が生まれる、ということが「アイカツ!」にはよくある。

などといろいろ考えていると、どの話も外すことができなくなってくる。いろんな人のいろんな出会いが物語を紡いでいる。全ての話が全部つながっている。

アイカツ!」を代表する曲のひとつに「カレンダーガール」がある。

この曲には「何てコトない毎日がかけがえないの」「何てコトない毎日がトクベツになる」という歌詞がある。

詳しい説明は第22話「アイドルオーラカレンダーガール」に任せるが、彼女たちの今日をかたちづくっているのは日々のアイカツであり、そして今日アイカツがその先の未来をつくっていく。

私たちが「START DASH SENSATION」で涙するのは、そうした彼女たちのアイカツをずっと見てきたかである

から彼女たちが見せてくれる「未来向きの今」を、できることならば全部見てほしいと願うのである

anond:20191022025053

長文過ぎて面倒いけど、増田映画読めてなくねえか。

アーサーは計画的殺人なんか出来ないし、してないだろ。アイツの頭の中は常に被害者意識他責なのは増田も見ての通りやん。

最後司会者殺したのも、アーサーの劇中のテンパりが引き金を引いたものしかないやん。

まり、アーサー自体特に殺意駆動している訳ではなく突発的に他人殺意を抱くことがあるっていう「特に自分が向き合う人以外の他人意識を持たない」タイプってことやん。

(いわゆるインセルと違って若干理性的な所だけれど)

増田増田増田主観で歪んだ映画見方してると思うから他人に違うと言える水準には無いと思うで。

それはワイもだけどな! ガハハ

2019-10-13

ジョーカー」を観たあと(ネタバレあり)

世間では映画ジョーカー」に対して、これは政府企業などの権威への反抗だとか、白人至上主義を誘発するだとか、馬鹿げた評価をしているところがあるが自分は全くそう思えなかった。もっと身近な問題を扱った映画だと思ったよ。

この映画ジョーカーは3種の立場にいる人を殺している。

まずは職業や人数でのマウンティングかまして、暴力をふるってきた巨大企業の三人。

次に子供を守らないといけない立場にいながら虐待を見殺しにし、将来を台無しにしてしま病気をもたらした母親

最後に、テレビ一方的にアーサーを笑いものにし、視聴率稼ぎに利用できると知るやいなや、またテレビ出演させて笑いものにしようとした人気司会者

これらの人たちはアーサーに対して見かけで「こいつは反撃できないだろう。してこないだろう」という考えでアーサーを傷つけているんだ。

しかしアーサーは反撃の手段を持っていたので死ぬことになってしまった。

僕らは普段立場や人数の優位性で何気なく人を傷つけたり、突き放したりしていないか

それをされた相手は納得しているのか。我慢しているのか。反撃してこないのは単に銃を持っていないからだけなのか。

相手に放った悪意ある言葉や行動で相手はどう思っているのか考えたことがあるのか?

ジョーカー」を観たあと、それでもあなたは人へ悪意を放つことができるのか?それを問う映画なのだと思っている。

いじめ対策小学校道徳で見せてもいい映画だと思ったよ。

2019-10-10

anond:20191010183535

映画だと番組に出演して司会者を銃撃できたけど

リアルだったら無実の会社員x3を銃殺した冒頭の場面の3日後に逮捕されて終わってそう

2019-10-08

anond:20191008163229

ジョーカーは、

正当防衛で3人射殺

虐待復讐で一人殺す

職場をクビになる原因を作った同僚を一人殺す

自分を笑い者にした司会者を殺す

しかやってないんだよね。

スパイダーマンのように手から糸がでたりしないし、ごくごく普通の男なんだよな

金星を挙げることがジョーカーの条件

人気司会者のマレー・フランクリンさんをスレイしたジョーカーさんと人気ブロガーHagexを殺した低能先生。どっちの方がキンボシ・オオキイ?

anond:20191008144219

ジョーカーは人気者になるために嘘ついただけだから貧困あんまかんけーねーな。

最後トチって司会者撃ったかKKOヒーローになってしまったてきな。

日曜討論にN国が出演して

司会者の仕切りを無視して喋りまくって、ほかの出演者エキサイトして朝生状態になったら面白いのに。

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