2019-10-25

ジョーカー感想 ジョーカーは“社会”に復讐なんてしていない

ネタバレ注意 あとDCシリーズとかわからないので映画単体で完結しているとして感想を書きました。

各種感想を見て「ジョーカー自分を追い詰めた“社会”に復讐する物語である。」のような意見散見したが、ジョーカー自分危害を加えた“個人”に復讐したのであって“社会”には復讐していないと思う。根拠としては

コメディーショーでピエロメイクには政治的意図はないと明言している点、

リンチしてきたサラリーマン3人、過去虐待をしていた母親拳銃を渡すことで破滅に追い込んだ同僚、テレビ自分を笑い者にした司会者といった、あくま自分危害を加えた人物しか殺害していない点 の二つが挙げられる。

①を補足すると、ジョーカーには社会現象を起こすつもりは毛頭無く、あくまでも“ジョーカー“を求めたのは世論であると言える。

②を補足すると、ジョーカーテレビショーで無差別に発砲なんてしていないし、小人病の同僚も警察官も殺していないし、ウォレス父親疑惑があった人)には殴られたのにも関わらずやり返さず、話を信じて病院調査に行っている。理性を保って殺す相手をきちんと選んでいるように見えた。この視点から見ると、アメリカでよくある銃乱射犯や、歩行者天国に突っ込んだ犯人とは一線を画して描写されているように思える。(まあ無差別殺人教唆するような脚本には出来なかったのだろう。橘玲氏の論説によればシングルマザーの家に押し入った後2人を殺している説があるらしいが、そこまで言っていたら何でも言えてしまうのでスルー

総括すると、ジョーカー個人的な復讐センセーショナルに遂げただけで、それを本人の意思とは無関係に(スクリーンの内でも外でも)周りが社会問題に結び付け、祭り上げているのだと考える。虚構ジョーカーを創り出すのは私たち一人一人なのだ

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