はてなキーワード: ボンボンとは
500人規模の中小メーカーに勤めている。昨年、社長が代替わりして息子が新社長に就任した。新社長は大学卒業後に留学し、3年ほど前に新卒で役員として入社したらしい。何やっているか分からない役員だったので、今までそれほど意識はしていなかった。
新社長は新しいことをやりたかったようだが、特に自分では思いつかなかったようで、全社を対象に新規事業のコンペをやると言い出した。ここまでは良い。社員の声に耳を傾ける良い社長だ。
だが、各部門で最低1案件提出が必須な上、賞金は1万円でアイデアは会社に帰属、優秀賞受賞者は、現在の業務に【加えて】新規事業を担当する、というのはいかがなものだろうか。
うちの部門は、上司に頭を下げられた結果、比較的若い俺が適当に作成することになった。適当な案とは言え、社長指定のそれなりのフォーマットに従うように作成するので時間が掛かる(ネットで検索したら、そのフォーマットがどこかのワークショップで用いられていたようだが、権利関係は大丈夫なんだろうか)。当然、業務時間は通常業務で手一杯なので、サービス残業で対応した。
アイデア自体は堅実なもので、ある特定ユーザーしか使わない自社既存製品から機能をそぎ落として簡略化・低価格化し、もっと多くのユーザーを対象にしよう、というものだ。国内での類似品は見当たらなかったが、海外では似たような商品がクラウドファンディング化されていた(成功しているかは知らない)。
書類審査で落ちるだろうと思っていたが、どこでどう間違えたのか、役員の前でプレゼンすることになってしまった。ノー準備で上司の顔をつぶすわけにもいかないので(サービス残業で)準備をし、無事に30分間のプレゼンを終了させた。1週間前に言われたにしては、まあまあだったと自負している。
質疑応答が酷かった。
(新)社長は真っ先にパワポの「てにをは」の指摘、フォントサイズの指摘、色の指摘をしたうえで、「声が小さい」「説明が分かりにくい」と、どうでも良いところを主観的でダメ出ししまくった。
さすがに半ばキレて「内容はいかがですか」と聞いたところ、上司の上司にあたる役員が「投資額も少なく(数百万円)、やってみる価値はある」とかフォローしてくれた。だが、社長はそれについても「数百万は小さい額ではない(当社は年商100億ぐらいの会社です)」「失敗したら誰が責任を取るのか」「辞表を預けるのならばやらせてやっても良い」とほざきやがった。
全体に感じるヤバイ空気を感じたのか、司会担当の役員が時間になったので次のプレゼンに移ります、と無理やり打ち切ってくれた。あと5分あったら、本当にキレたかもしれない。感謝している。
自席に戻ると上司から「どうだったか」と聞かれたので、最悪でしたと前置きしたうえで社長の印象を語った。上司は渋い顔をしながらも「スマン」と謝ってくれたし、フォローしてくれた役員からも内線で労いの言葉を貰ったけど、腹の虫が収まらない。
だが、あのボンボンの性格を見ると、この会社がダメになるのは時間の問題だと思うようになった。サービス残業も多いし。いち早く同期の間にこの情報を拡散し、さっさと転職しようと思う。
家庭内暴力の多くのケースで、加害者は外ヅラは良い内弁慶タイプだから
起こっている問題が外部に露見しにくい…ってのが家庭内暴力やDVの特徴なのでは。
逆に社会への不満等から無差別に人を襲う事件とかだと、日常生活で孤立してたり
普段は大人しい奴が突然爆発したり…といったケースの方がよく聞くような。
完全に印象論だから、何かちゃんとしたデータがあるといいんだけど。
(人の死が見たいってサイコパスが家族からエスカレートして知人をターゲットにした特殊例はある)
何が言いたいかというと、元事務次官は息子の暴力にビビって川崎事件の犯人とダブったみたいだし
ネットでも同様に感じたのか「事件を未然に防いだ」みたいな意見をよく見るけど、
"川崎事件の犯人"と"元事務次官の息子"って、同じ「中年引きこもり」でも全く違うタイプなんじゃ?
幼少時に親に捨てられ周囲からいじめられ、世間から孤立して生きてきたアダルトチルドレンに対して
コメント欄がすごい。すごすぎる。
娘さんに今現在、どういう躾をしているかなんて一言も書いてない。厳しく体罰ばっかり与えてるなんて、一言も書いてないのに。
記事主が書いているのは、単に自分がされたように「マナー違反や迷惑行為をする場合は」厳しく躾けたい。それがどういう程度のものか。そこさえ詳しく書かれていない。
それなのに、この有様。
あのねえ、虐待がいけないなんて、わかりきってるでしょうよ。この記事だって、最初に大前提として、書いてあるでしょ。
読んだ?ちゃんと?
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これがね、例えば「今のニュースになってるものには躾の一環もあるだろう、今の世の中は厳しすぎる!」とかね、虐待を事実として認定されているものを、ただ否定してるだけならば「え、やばいですよ」ってなるのもわかる。
でもさあ、違うじゃん。
言い方、ほんとすごいよねえ。
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一般的に悪とされている、例えば今回は「体罰も悪とされている」という流れを汲んで、それに乗っかるのは馬鹿でもできる。
人間にはヒーロー願望があるから、そういう一般的に悪といることを叩くのは、自尊心も慰められるし、自分がいいことをしていると正義に浸れるから、気持ちいいんだよね。
娘さんかわいそう、とか。犯罪者の親の思考と同じ、とか。社会に出てこないで、とか。
あのさあ、もう一回言うけど、この人、そこまで言われなきゃいけないこと言ってる?
体罰自慢してるわけでもないよね。
それなのに、こうして、普通に考えたらひどいことを、酷すぎることを簡単に書く。
体罰=悪だから、私は記事主の子どものために言ってるから!だから、ここまで言うんだ!
…おかしいんじゃない?
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いいか、この記事だって虐待を容認してるわけじゃない。虐待する親はクソだ。
だけどね、今流行りの毒親はさ、「放任」だって当てはまるんだよね?躾をしないのも、また、悪なんだよね??
それは当たり前だ、子供は何も知らないんだから、指導されないのは社会から隔絶されてしまう。
でもそれってさ、子供によって変わらない?
言葉だけで素直に通じる子。
どんなに心を砕いても、丁寧に諭しても、こちらをバカにしてしまって、言葉がスムーズに伝わらない子。
そしてそれは友人や学校など、周囲の状況や、年齢による自我の成長によっても変わる。
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言葉がスムーズに伝わらない?そんな風に育てた親がいけないんだ!なんて言うなよ。
子供の性格は本当に千差万別。という大大大前提を置いておいても、人間は皆、完璧じゃない。
すなわち親も完璧じゃない。
だから絶対、指導漏れや間違った伝え方(や受け取り方)、こうしたほうがよかった…なんて後悔は絶対出てくる。誰だって。
それが認められないなら、完全無欠の子守ロボットでも開発してくれ。
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そういうね、いろんな状況があるわけだよ。
それを無視して、体罰を容認している?!こいつは悪だ!やばい、叩かなきゃ!って、ほんとさ…貴方達の方が、馬鹿なんじゃない?
どーせそうやって「厳しい子育て」を否定しててさ、今度はどっかののびのび育ったお馬鹿な子供が人殺したら、親なら殴ってでも止めろよっていうんだろ?
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この記事の目的は、虐待容認でも、体罰推奨でもない。のびのびとした子育てを否定するつもりもない。上にあるのは、例えです。どうせそうなったらそうなったでまた叩くんでしょ?人殺しは徹底的に悪だもんね?という。
私はね、安易な人叩きをやめなさいといっているの。
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それがどんなに正論で、善意の上に成り立っていたのだとしても。
内容を吟味してから、自分の中で、相手の立場でこの言葉を言われた時、どんな思いがするのか。どういう気持ちになるのか。
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娘のためにと心を折ってる、記事主に。
魔の2歳児って言葉、知ってる?
本当に大変な時期なんだよ。
そんな人に、ここまでの暴言吐けるほどの、
私はそんな記事には、思えない。
やっぱ俺らボンボン派は少数派だったんやな、って…
おかしいと思ってた。
ニコニコ動画とかYoutubeとかでアニメメダロットのOP見てるとスゴイ再生数やコメント数に思えるんだけど、それは井の中の蛙だった。
ほとんどの人にとって、アニメメダロットは子供の時に見たことあるアニメで、
弐Coreがプレミアついて高かったのも、求めているマニアが多いだけでみんなが欲しがっているわけではなく、
俺がいくら「やっぱ藤岡がデザインしたメダロットが~」「かみちデザインのメダロットは結構ほるま意識~」とかいっても、
みんなの心の中にあるのはメタビーとイッキと、イッキの仲間たちとそのパートナーメダロットぐらいで、
俺が2でトラウマになるぐらい戦わされたアビスグレーターも良いとこで「なんかロボトル大会にそれ使うやついたよね」ぐらいなんだ…。
今までポケモンとか、艦これだとか、アイマスだとか、ラブライブだとか、いわゆる「オタクのメインストリーム」に近い所を通ってきた時に、「みんなしっている安心感」ってのがあった。ただ突っ走っても周りがついてきてくれた。周りに人がいた。
16歳の賢い若者が、働き始めたり、専門的な学習に専念出来たり、モラトリアムを謳歌して世界旅行に出かけたりできる世の中になったらワクワクする。
べつにいまでもできるぞ?ある程度金のある家のボンボンだったらな。
けどさ、そんな事やったら、人生詰むんだよ。
とにかく、就活で落とされることが嫌だから、就活で落とされるような行為をせず、就活で書けるようなことを増やす。
大学生が授業に必死にならないのは、バイトやサークルでの活動がいいほうが就活で通りやすくなるから。
そもそもが、学費高騰と親の収入減少でバイトなしには大学生活を維持できないから。
それこそ、例えば起業するのだったら、その間の活動費をウン百万単位で出すのが当たり前になるようにでもしない限り無理じゃね?
リクシルの瀬戸社長の退陣騒動や、けものフレンズのたつき解任騒動。ひょっとしたらランドロイドもこのシナリオを考えてるのではないかと危惧したりするが、、、、。
この裏に見えるのは、「なんかすごい成果を立てたし、伸びそうだけど、導入期の中心となった人間を追い出してもうまくいくのではないか?」という考え。
日本のサラリーマンの仕事は上から割り振られる。かつ、属人性をなくして、だれでもできるようにしていく。それがゆえにルールで大量に縛るという形になる。
ただし、新しいものを作るのには向かない。新しいものというのは大量の試行錯誤の積み重ね。
まあ、言ってみればPDCAなんだが、Pが重すぎて書類量産のPDCAじゃなくて、各々の頭の中で小さなフィードバックを大量にしていくもの。内心PDCAと呼ぼう。
表に出ないし出さないから、実際やってるかやってないかは他人からはわかりづらい。ただ、成果が出れば成果が出るだけ。
内心PDCAをやってるのは、自分に裁量があり、多少のミス程度では飛ばされない環境があって、当人が行動した後冷静にフィードバックできる人間特性を身に着けた人間。冷静にならんとチェック、アクトはできないからな。
一方、サラリーマン社会でも大企業であればそれなりに優秀だと思える。あるいは創業者社長の子供のボンボンでも優秀だと思える。
サラリーマン社会は組織で動く。ゆえに、ルールと汎用化されたマニュアルで統率する。でも現状維持で成果は出せる。ミスをしないでもうまくいくからミスする覚悟ができていない。よって何かあってもフィードバックができない。
導入期、成長期、成熟期、衰退期とあって、ルールと汎用化マニュアルでうまくいくのはある程度商品が成熟期になってから。その前はやってと修正が必要。
ただし、成長期を担当した人間が成果を出した人間だといわれるから、成果を誇りたいという人間は成長期を担当したがる。
導入期が終わってさあ成長期だ。というところで、導入期を担当していた人間を追い出す。成長期もまだ色々変える必要があるから内心PDCAをやらんとならん。だけど、行動もフィードバックもできず、導入期のノウハウもないサラリーマンがやる。
調子が良くなってきたから行動すればいいだけと考えるが、そこには導入期でやってきた人間のノウハウはない。
で、成長期は途中で崩壊する。
うまくいきそうだからここからの手柄は俺がもらうとやってもさ、うまくいかんよ。
まあ、導入期をガリガリやるやつなんて、周りへの忖度ほぼなしで商品にガンガン挑んで、自分の立場も脆弱な「弱い奴」だから、忖度で組織基盤を持ってる自分なら簡単に奪えて成果を出せると考えてるのだろうがな。
恵まれてる人間しかいないような世界で生きてきて、その周りにある狭いコミュニティしか知らないのに
「俺/私にだってまともな環境さえあればいくらでも努力したのに!」というありがちな叫びが、その実どれほど信用に値せず、単なる口だけの言い訳に過ぎないか。
と認識してるって、それこそ世間知らずさと視野の狭さとの合わせ技じゃあ…
因みに地方トップ校は大抵公立なので、皆が皆恵まれた家庭のボンボンとは限らんよ。
(まあそれでもボンボン率が高いのは事実だが、学費からして高額な私立のように貧乏家庭の子が存在しない訳ではない)
親の教育熱も同様で、親の教育熱が薄くてもたまたま子の地頭が良けりゃ入れるよ。
都会の私立中高一貫みたいに親からして熱心でなければ(子供を中学受験させて高額な学費払ってでも私立に行かせようと思っている親でなければ)
社会学者の上野千鶴子が東大入学式で述べた祝辞の内容がネットで話題になってる。
俺は自分のTwitterのTLでたまたまこの祝辞が回ってきたので軽い気持ちで読んだ。
そしたら冒頭から女性差別の話が始まったので、「あ~上野千鶴子っぽいなぁ……」と思ってた。
ちなみに俺の上野千鶴子に対する前提知識はフェミニストで学者のお婆ちゃんって感じ。
詳しくは知らない。
だが祝辞が終わりに近づいてきたところで俺は問題の文章に行き当たった。
具体的には祝辞の以下の部分だ。
「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。
あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。
がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。
そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」
これを読んで俺は絶句した。
何故ならここで上野が述べている理論は正しく「俺達の理論」だからだ。
こんなことを言うと統合失調症患者の造語みたいに思われるかもしれないけど確かにこの理論は「俺達の理論」だ。
上野が述べていることって要するに、「東大生はたまたま環境と能力に恵まれて東大に入学することが出来た存在なのだからもっと謙虚になれよ🦁」ということに尽きると思われるが、これは俺達の様な低学歴低所得で親が子供への教育の大切さを理解せず教育に投資してくれなかった者達が自分達の不遇を慰める為にこれまでずっと援用してきた理論だ。
決して上野の様なエリートが「環境と能力に恵まれなかった者」として俺達を規定し、「環境と能力に恵まれたエリート諸君」は彼等を慮ってあげましょうね、という帰結に導く為に使ってはいけない理論なんだ。
ここで唐突に俺の話をするが、俺の父親は「子供は中学まで出たら働かせてそれまでにかかった費用を返還させる」というパンクな教育方針の男だった。
だが俺が中学に在学してる時に父親のDVが激化したことにより母親に連れられ母親の実家へ逃亡し母子家庭になった。
それでなんとか高校まで進学させてもらえるようになった俺だが、俺の母親は父親ほどのパンクな教育方針こそ持ち合わせてはいなかったもののやはり教育の大切さを知っている親ではなかった。
本や参考書を買い与えてくれることもなく、塾にも当然通わせてはくれなかった。というより通わせる金もなかった。
当時の俺のお小遣い2000だしな。
俺がこの2000円を本や参考書を買うことに使ってたら今よりもう少しまともな頭になれてたかもしれないが、俺もまた環境的に教育の大切さを知らなかったので漫画買ったり牛丼食ったりしてた。
そして俺は高卒で労働者になったわけだが、そうして社会に出て初めて俺は高卒だと差別する人達がいるということを知ったし、高学歴が高所得の道に通じてることも知った。
今さら遅かったわけだが。
そうした俺達の様な低学歴の人間が高学歴高所得の人間をある時は貶め、またある時は自身の不遇を慰める時に使ってきたのがこの理論だ。
「所詮親に敷かれたレールの上を歩いてきただけのボンボンだからな」
と嘲笑する。
自分の低学歴について馬鹿にされたり、単純に学歴の話題になった時には
と自己弁護して慰める。
こういう具合に俺の様な低学歴は恵まれなかった環境を盾に自分を正当化したり弁護したりしてきた。
なのに上野のようなエリートが俺達を「たまたま環境や能力に恵まれなかった者」と規定してエリートが憐れむことを推奨し出したら、それはかなりまずい。
ぶっちゃけて言えば俺は東大生のようなエリートには高慢でいてほしいとすら思う。
自分は環境に下駄を履かされたのではなく1から10まで自身の卓越した才能で苦難を乗り越え東大に入学したのだ、というくらい自惚れていてほしいとすら思う。
彼らが自分達を「たまたま環境と能力に恵まれた者達」だと自覚しそれを理由に俺達を憐れむ社会なんて地獄だ。
上野の述べるように東大生が謙虚なエリートになってしまったら遂に俺達低学歴の立つ瀬はこの社会から消えてなくなる。