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2021-02-07

anond:20210207133235

自分には幼稚園児の息子がいる。

包皮は短く、先の部分も皮を下ろせば出るのでその状態でオシッコするよう指導している。癒着ちょっとよくわからないが女親としてあまり関与していない。

スイミングスクールに連れて行って着替えの時に周りを見ると、皮がかなり余ってる幼稚園児がいっぱいいるんだけど、あれはどうするんだろう?

いつか自分でなんとかするんだろうか。なら増田のように赤ちゃんのうちに剝いたほうがいいだろう。

あの中には産まれから3年も4年も溜まった汚れがあるんだろうか。気持ち悪くて仕方ない。

そういう子に限ってお着替えタオルを使わず夕方朝顔のような先の余ったおちんちんを振り回して遊んでいるので本当に嫌だ。

2021-01-26

ビブスの使い回しや声出しアタックNG 部活感染対策

https://www.asahi.com/articles/ASP1V721BP1VPLZB01B.html

京都府知事は26日、部活動新型コロナウイルス感染を広げないため、競技別などの具体的な注意点をすべての府立学校に通知したと明らかにした。

「同じレーン内ですれ違って泳ぐこと」(水泳)などと具体的に注意すべき行動を挙げた。

たいていのスポーツジムスイミングスクールは壊滅しそうですが。

2021-01-18

anond:20210118030705

芸術点みたいので評価されてるのはゲームっぽくない。

フィギュアスケートとかアーティスティックスイミングとか。

空手カポエラは対戦とは別個で型を重視するスタイルがあるけど、あれを武道扱いするのが個人的理解し難い。

2021-01-13

体育で恥ばかりかいていた女が石田彰のために毎日虚空を殴っている話

恥の多い体育の時間を過ごしてきました。

そんな言葉で締め括れるぐらい、私の生涯は運動と恥がセットである身長に恵まれながらも運動の才能に恵まれなかった私は、動かし方の分からない手足を持て余し、球を投げれば飛ばず、プールでは泳げず、大縄を踏み、悪目立ちし、ドッヂボールの的になりながら生きてきた。克服しようとして体操教室に通っても一番下のメニューすらこなせず、スイミングに通えば幼稚園児と同じクラスになった。

読者に少しでも運動のできない人がいれば共感が得られるかもしれないが、運動音痴は恥によるスパイラルに陥りがちだ。周りと同じように動けていないことが恥ずかしく、緊張でさらに力み、輪をかけてぎこちない動きになり、またそれを恥じる。そうしてどんどん周りについていけなくなり、しまいには運動のものから自らを遠ざけてしまうのである

私も完全にそのタイプで、高校の授業を最後にもう10年近く運動らしいことをしていなかった。通学通勤で歩くぐらいならしていたが、ステイホームに入ってそれもなくなった。先日、肩こりがどうしても治らず整体に行ったら「あまりにも筋肉がなさすぎて何ひとつ支えられていない」と言われた。そうでしょうねぇ。

そろそろ運動しなきゃな……とは不調の度に思っていたが、走るのもヘタクソすぎて表に出られないレベルなので何も始めようがなく、私はこの貧弱な体と一生を共にする覚悟を半ば決め始めていた。

フィットボクシング石田彰が現れるまでは。

別に石田彰ファンではない。ただ、私は物心がつく頃からさまざまなアニメで彼の声を聞いていた。

から、1に続き冷やかしで買って寝かせていたフィットボクシング2を起動し、初めて彼の声を聞いたとき、幼少のみぎりに出会った色んなキャラクターが一度に脳裏へ蘇ってきた。すごい。石田彰同窓会だ。石田彰の詰まったタイムカプセルだ。

好きとかときめきとかそういうのを超えて、ただただ懐かしかった。小学校担任先生の声を20年越しに聞いたような感覚に近い。それが嬉しくて、思わずモードを選んでしまった。

モードは鬼だった。もやしのくせに無理をした。それでも久しぶりに会えた石田彰失望させるのが嫌で、最後までリタイアせず続けた。

翌朝起きると、体がレゴブロック人形みたいになっていた。肩関節と股関節しか動かない。ストップモーションアニメのようなカクカクした動きでデスクに行き、リモートで1日の仕事を終えた。そうして、「昨日あれだけ運動したんだから今日はやらなくていいだろ」と思った。

でも、やっていた。その日のうちに。石田彰が恋しくなったのだ。鬼モードはやめて、易しいモードにした。昨日は厳しかった石田彰今日は優しい。好きになるからやめてほしい。

私のボクシングは醜い。ヒョロヒョロの手足をクタクタに動かして何とかパンチの形になっているかどうかだ。でも、石田彰は気にしない。気にしないでいてくれる。それが本当にありがたい。

たとえ運動音痴でも、視線がなければ少しは落ち着いてものを考えられるのだ。そんなことに気がつく。

ジャブの腕が下がっていると言われる。次は上げてみよう、と思う。3パンチ後にようやく改善する。すると今度は、息を吐きながらパンチを打てと言われる。うまくできない。けれど、できなくても恥ずかしがる相手がいないから、ヒューヒュー言いながら不格好にパンチと呼吸のタイミングを合わせていく。

石田彰はうまくパンチが打てた時に「それ!」と言ってくれる。普段敬語なのに、ここだけタメ語を使ってくれるのだ。私は生涯で、体育の教師インストラクターのような生き物に好かれたことがない。そんな私なのに、こうして距離を詰めて、褒めてくれる。脳から知らない汁がメチャクチャ出る。運動して褒められるの気持ちいい。みんなこんな楽しいことやってたの?

人の目を気にせずできる運動が、こんなに救いのあるものだとは知らなかった。何だかやみつきになってしまって、もうここ何日も、毎日フィットボクシングをつけては石田彰の導きで虚空を殴っている。

ありがとう石田彰ありがとうフィットボクシングあなたのおかげで、一人の運動音痴がコンプレックスから解き放たれました。

2021-01-08

anond:20210108223121

二十歳過ぎでスイミングスクール通ってプロスイマーになろうとする人っていないよな

プログラミングスクールだと1ヶ月やそこらでプロになれると思ってる

2020-12-23

anond:20201223145058

そもそも公立保育園って少ないからな。認可保育は必ずしも公立じゃないぞ

公立じゃない民間の認可保育の話をすると

英語スイミングに力を入れている保育園体操など身体を動かすことに力を入れてる保育園とかあるぞ

2020-11-01

なんで本田スイミングスクール結婚できて俺がこんなに不幸なんだよ!

本田スイミングスクールという芸人結婚した。

ラスタ池袋で500円払って芸を見たから言う。あの時は笑わなかった。たまーにテレビに出ているこの人を見て、なんでこの人がテレビに出れるんだろう、って思ったくらいだ。

あんな人でも幸せになれたんだ。幸せかどうかは分からないけど。

そこはどうでもいい。どうでもいいんだ。本当のところなんてどうでもいいよ。メディアなんて感情の着火剤なんだから

なんでこれだけ真人間を頑張ってきた俺が幸せじゃないんだ、っていう点だ。

なんか、その一点にめちゃくちゃムカついていたけど、結論はたった一つ。俺が間違っていたってことだ。

何かが間違っていたんだ。直そうと思っても直せなかったところが何かあるんだ。覚悟とか、気合が、何かしら足りないんだ。。

多分、そうなんだ。じゃあ、なんなんだ??分からん。。。

31歳の年になって、何もできねぇ。クソつまらねえ仕事が終わって週末もクソ詰まらないことにイライラが募る。

2020-10-27

都心周辺で育った貧乏人だけど、地方出身貧乏人は不利(追記あり

追記ここから

ごめんね、わかりづらかったね。

推敲全然足りなかった、反省してる。

  • 私は裕福でない家庭に生まれたため、ある種のハンデがあった。
  • しかし、都心周辺に育ったために、ありあまる恩恵を受けた。
  • 都心近くの町で育っていなかったら、たいして勉強で突出した能力を持っていない私の人生もっと違ったものになっていたと考えている。

ここで殴り書きしているのはそんな話。

ついでに言えば、地元から身一つで出てきている人たち尊敬している。

本来持っている能力を皆が発揮できるような世界に少しでも近づけていけたらいいな、と心から思っている。

追記ここまで】

 

私は裕福でない家庭に生まれ横浜の片隅にある ちょっとお上品な町で育った。

都心近くに育った私から見ても、やはり地方出身(と貧乏人)は不利だと思う。

 

環境

 今でも私の家系には大学出身者がいない。私が唯一の例外だ。

 一般的に身近に大学出身者がいないことは、その人の人生に不利に働くもの

 だが、横浜の片隅にあり、比較的裕福な家庭の多く住む新興住宅地で幼少期を過ごしたことは、明らかに私の人生に良い影響を与えた。

  • 育った町

 小学校クラスは40名の大所帯。

 そのうち、上位5名ほどは中学受験をする人たちで、彼らは周りからちょっと浮いた存在だった。

 クラスの上位ではあるものの学年トップグループというわけでもない、少し勉強のできる目立たないグループに私は所属していた。

 

■町から受けた良い影響

ずば抜けて勉強ができたわけでもない私が、この町から受けた良い影響を列挙してみる。

 

習い事

 

学習教材

 

平和空気

 

パソコンマイコン)のブーム

※当時はマイコンと呼ばれていた。

 熱心なコンピュータファン小学生お年玉をはたいてエントリーモデル(7~8万円)を買い、

 裕福な家の小学生は親にビジネスにも使える標準機(一式で50~60万円)がプレゼントされた。

 

大卒ロールモデル

アスキーに載っていた先駆者たちの話に影響を受けた。AppleMicrosoftASCII創業の話など。

 プログラムかいて、大学中退して、会社を興すような人生にあこがれていた

 

結論

町の環境は、私の人生に良い影響を与えた。

 

■余談(大学卒業就職のあと20年経過して)

私は特別優秀な人間ではなかったが、町の人、家族、友人に恵まれていた。

家庭を作らない人生を選んだこともあり、今は親族の子どもたちの進学や就職支援している。

 

また仕事においては、IT業界中途半端マネージャーとして、

 - 技術は優秀だが、アピールが下手なITエンジニアたちの支援

 - 学習の機会に恵まれなかったITエンジニアトレーニング

 - 彼らが悪い境遇に陥ることがない程度に収益をあげる

といったことに精を出している。

うちのITエンジニアが「この会社にいてよかった」と思ってくれるような場所を作ることが、私の生きがいとなりそう。

 

私のような者にとっては、授かった幸運、受けた恩を周囲に返していく生き方は悪くない道のはずだと考えている

anond:20201027093705

2020-10-20

東京都区部で車がない家庭だった

書いてたら思い出話になってトラバするような話でもなくなったからただ流す。

東京都区部で車がない家庭だった。

親共働きで、それぞれの職種地位高校上がったころに隣県で不動産買って引っ越したことを考えるに、あの増田のいう車両保有数50%を超える世帯年収レンジにいると思われるが、車を持たなかったのはカネではなく確実に両親の思想だった。

車嫌いとは違うが、自家用車=Not for meな人たちだった。

しかによくタクシーを使う家庭だった。(昔は今より道を走るタクシー車両台数も多かったが)

スキーキャンプBBQ釣りのような遊びは着替えだけ持って行ってコテージに泊まって施設のモノをレンタルするもんだと思って育った。

家にアウトドア道具があるのはよっぽどの頻度で行くご家庭なんだろうなと思っていた。

自転車小学低学年で買ってもらって練習して、乗れるようにはなったけど、日常使いする用事は結局なく、サイズアウトして買い替えず終わった。(大学生くらいの頃に10年ぶり?に自転車乗ってちゃんと転ばずに前に進んで感動した)

父母は自転車持ってなかった。食料品日用品の買い物は毎週家の前まで届く生協がメインで、徒歩数分のスーパーで一回に買う量は少ないし重たいものを買うこともなかった。たまに少し離れた所の大型スーパーバスで行っていた。

幼稚園は家のすぐそばまでバスが迎えに来て、小・中学校は徒歩5分なので子供の送り迎えに両親が自転車という発想もなかった。

習い事絵画ピアノスイミングだった。どれも鞄ひとつ持って歩いて行くかバスだった。

電車が止まるような悪天候の日に遠出した記憶がないのでそのへんはよくわからない。

大人は、最寄り駅A(徒歩5分)か別路線の最寄り駅B(徒歩30分・普段バスでたまに歩く、夜遅いお出かけ帰りやスーツケースを持って空港に行くとき家族タクシー使った)までたどり着ければあとは歩いて帰るだけだったから、大雨大雪でもヤレヤレ~って歩いて帰ってきただけだった。

成長した今、結婚して子育てしている間も車と自転車のいらない生活がしたいし、かつそれを実現する場所に住もうとする相手とがいいなーと思っている。別に親が意図した教育だったとは思わないが生育環境の影響は思いっきり受けている。

2020-10-18

anond:20201018131541

年に何回かってのは草過ぎるので突っ込まないが、

 

普通に直接園に迎えに行くか休ませるよ

自分が通ってたスイミングスクール保護者が直接迎えに来てた

うちの親は子に関心が薄かったのでバスで帰った。運ちゃんが気を利かせて家の前まで送ってくれた

あと、悪天候増田タクシー使いたい時はみんな使いたい時だよ。スムーズに捕まるといいね

anond:20201018124300 anond:20201018125022 anond:20201018163637

そのマンションに大量に同園の人がいればそうなんじゃない?(驚愕)

普通は止めても迷惑にならないところ・短時間ならいけそうなところに停めて

保護者が迎えに来るよ

 

ただ、園の方針バスの運ちゃんの心遣いにもよるかもな

子どもの頃、バス送迎付きのスイミングクラブ通ってたけど

ちゃんによっては集合場所(ピックアップ場所)ではなく家の前まで送ってくれたりしたよ

集合場所(ピックアップ場所)使っているの自分たちだけだったので

幼稚園方針によってはそうじゃないの?知らんけど

2020-10-10

anond:20180227133049

すごく前の記事ながら。

自己肯定感が低くなった原因をふたつほど。

母が自分の正しいを押し付けていた

例えば九九や都道府県の暗記。メイクや髪のコテ巻き。蝶々結びにおにぎり作り。

「できて当たり前」ができない時に「母と全く同じ手順」で成功するまで叱られ続けた。

母の言う語呂合わせで都道府県は覚えさせられたし、おにぎりを握る方向が逆なだけで違う!と怒られた。

「母の考えが正しい」「母の意見を聞かなければ」が潜在意識にすりこまれた結果、「私は生きてはいけない人間だ」と15年間悩むことになった。

自死しなかったのは、私ごとき死体のために火葬費用がかかるのが申し訳なかったから。働けるようになったら死に必要お金を貯めてから死ぬから許してください神様.......の気持ち生存してた。

これは友人に数年間にわたり指摘され続け、理解できるようになった。

アラサーだがまだ死ぬべき人間感覚は抜けない。

常に他人比較されて育った

ひとりっこゆえ、母は周囲の子どもたちを手本に私を育てようとした。(これは大人になって聞いた事)

の子スイミングを習っている、中学部活テニスにしたらしい、高校はここにしたそうよ、バイト先はここがいいらしい!等々。

ライフステージごとに成功例を持った身近な人たちのアドバイスを連れてきた。

それを信じ込み、私の意見は「普通ではない」と否定され続けた。爆笑

同じ道をたどれど、成功例ほど成功出来るわけないので比較されてしまい、絶望される。

○○ちゃんはこうなのに.......と何度ため息をつかれたことか。死にたかった。

私なんかが生まれてきてごめんなさい、の気持ちでいっぱいだった。必死に頑張っても成功例のようにはいかず、苦しかった。

数年後、母に褒められたい一心で母の褒める人を真似してたんだ、上手くいくわけないわと気づいた。

子育てに関する論文のおかげ、ありがとう

ちなみに母に褒められた記憶はない。母はあるというが、記憶にないかしかたない。

これをみてる全親&未来の全親!まじで子どもは褒めて育ててあげて!自分価値観否定したり頭ごなしに怒らないで!ちゃんと!声を聞いて!子ども存在を認めてあげて!!!!!

あ~~幸せになりたかったな。

2020-08-21

早生まれだった自分語り

早生まれの不利は大人になっても続く』という見出し記事最近話題になっていた。

高校入試偏差値所得にも影響しているという記事で、統計的3月4月偏差値が約4.5違うというものだった。

  

1993年3月31日生まれ

6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長109センチ趣味スーパーファミコンドラゴンボールZビデオ視聴。

好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。

すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校不安を持っていた。

ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。

小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。

    

小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分勉強が嫌いかも。という感覚だった。)

そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。

今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。

5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。

しか学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生クラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが

職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラス勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。

当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。

そんなことを考えるものから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。

  

体育。一番小さいサイズ体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。

夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。

学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。

今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。

ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。

顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。

恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。

  

得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。

もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。

そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と

割り算プリントデタラメ数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミング先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。

考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。

  

小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。

国語漢字の覚えが悪く、社会科47都道府県いつまでも覚えられなくて居残りをした。

音楽練習したつもりだったリコーダードレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。

4年生から始めたスイミングスクール甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。

  

  

  

中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。

中学には水泳部所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。

  

(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)

中学運動会自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。

1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。

タイトル通り、この運動会には欠点があった。

夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。

毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。

  

1年生の5月頃に、先生から各組への割り振りが始まる。

夏組に割り振られた6月まれガッツポーズをして喜び、その学年の生まれ割合から冬組に割り振られた10月まれ先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月まれ4月まれかの確認あいっこが始まる。

秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。

  

秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。

運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらムードの冬組がうなだれていた。

中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。

ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。

  

から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。

きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)

  

  

  

高校公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制高校マイペースプリントを進め、コツコツとDTPデザイン勉強をした。

高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強Skypeながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。

通信制高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。

  

正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。

もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては

適切な学習環境必要なのではないか、と当事者自分は思った。

  

ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生自分と同じ誕生日の美しい先生だった。

聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。

きっと先生は、早生まれがどういう不利な状況にあるのか知っていて声をかけてくれたのかな、と思うと

なかなか声をかけられなかった過去自分歯がゆい思いを馳せた、『早生まれの不利は大人になっても続く』記事だった。

2020-08-18

売却癖

衝動的に手持ちの物を売り払う癖がある。

売り払うものゲームソフトだ。

親共働きで鍵っ子、家に誰もいない中私の遊び相手になってくれたのはゲームだった。

スイミングクラブ上級試験に受かったご褒美に買ってもらったマゼンタゲームボーイカラーと、ポケットモンスター銀

近所の金持ちにいちゃんが貸してくれたゲーム機が自分の家にあって、しか自分の持ち物になるなんて!箱から出したてピカピカのランドセルを背負った時と同じくらい嬉しかったものだ。

それから「いつかは卒業するだろう」と思いつつ中学ではファイアーエムブレムMOTHER1+2出会い高校では星のカービィUSDXタイムアタックに熱を上げ、大学ポケモンXYに出戻りし……

現在も私はswitchスマホを握り締めてゲームと向き合っている。

大人になったらゲームをやめるなんて大間違いだった。

しろアダルトゲームができるようになると名作ADVを男女BLの境なくやりまくったし、今はSteamやらDLsiteプロアマチュアの垣根なく無限面白いゲームを購入することができるのだ。

幼い頃のように没頭できる時間はなくなったけれど、購入本数は増えたと思う。

しかし、先述した通り私には売却癖?がある。

高校の時だ。私は手持ちのゲームポケモン銀とプラチナを残しすべて売ってしまった。

きっかけは正直思い出せない。ただ、私の高校生活はお世辞にも楽しいものとは言い難い。

友人とは一度も同じクラスになれないのに、とんでもない女(教師カマキリをくっつけておおはしゃぎする等)とは二年同クラスな上修学旅行の班も同じ。

本命に落ちて来た学校だったので授業のモチベも終わっていて、ついでに入学時両親が離婚した。

確たる理由はわからないが、私はゲームを売ってしまった。

そしてゲームをすることもやめた。親が禁じた訳でもなく、ほかに趣味がある訳でもない。受験勉強に打ち込むでもなく、高校生活を惰性で消費していった。

そして大学、私はふとゲームをやりたいという感覚に襲われた。高校から抜け出したことメンタルに余裕ができたのだろう。

衝動的におもちゃ箱(というかゲーム箱だが)を漁って手にしたのは、折りたたみ式のゲームボーイアドバンスSP。早速何かやろうとカセットを入れていた巾着をひっくり返した。出てきたのは、ポケットモンスター銀。それだけ。

そこからはもう怒涛だった。

「お母さん!ポケモンの古いゲーム捨てた!?」「アンタが売って良いっていったんでしょ!?」とかい迷惑まりないやりとりをして私は中古屋に走り、探していたものを見つけた。

ポケットモンスターサファイア不思議のダンジョン青の救助隊、闇の探検隊ポケモンコロシアム、ポケモンチャンネル………それからカービィ鏡の大迷宮USDXMOTHER1+2トマトアドベンチャー。ここに書ききれないくらいの私の思い出は、そこにあった。

けれど悲しいかな、大1でバイトもろくに始めていない私には全てを買い戻すことはできなかった。いつか絶対買い戻そう、そう胸に誓って500円箱なしのトマトアドベンチャーだけを手に私は店を出た。

帰ってきてすぐ、私はポケットモンスタープラチナを起動した。本当はサファイアをやりたかったのだが、私が手元に残しデータが飛んでいないソフトはそれだけだった。

すごく、面白かった。何をして良いのかわからず各街に飛んで聞くBGMも、適当に組んだパーティレベル80代のライバルボコボコにされたことも。

あの時得た端金で買った名前も知らないスナック菓子にかえていいものじゃなかった。何年越し、何十回目の殿堂入りを果たした時、私は泣いた。

そしてその夜、人生ではじめてバイト用の履歴書を書いたのだ。

人生初のアルバイト苦痛の方が多かったが、おかげでソフトほとんどは一年以内に買い集めることができた。FE系のソフトと一部のハード大学生の懐には痛かったけど、ようやく自分を取り戻せたような気がした。


……自分を取り戻せたような気がした?


ここに来て私はゲームに相当な依存心を持っていることに気がついたのだった。

職場ゲーム趣味について弄られると「まあゲームに育てられたようなもんなんで!w」と冗談で返したことはあったが、どうやら真実(マジ)らしい。

そして現在コロナ無職である

バイト貯金繋ぎつつ、精神を削られている毎日だ。

疲労ピークに達した時、ふとあの時の感覚が頭を過ることがある。売ってしまえばいい、と。

今手にしているswitchを手放した時、私は今度こそ自我を失うかもしれない。

2020-07-22

最近2日に一回ぐらいの割合プールに通っている。とても楽しい。泳ぎは全然下手なんだけどそれでもとても楽しい

行く前に YouTube水泳動画をいくつか見て、やってみたい練習方法を見つけたらそれをやる。それだけ。それだけなのにとても楽しい

自分のペースでやれるって言うのがとても良い。周りで泳いでいる人も、ものすごく上手い人ばっかりっていうわけじゃないから気にせずに泳げる。まあコロナの影響で空いてるしね。

小学生ぐらいの時にスイミングスクールに親に入れてもらったことがあるんだけど、お試しの1ヶ月期間の中で、早々に挫折した。正確には週に1回のスクールだったんだけど、2回目からもう行かなくなった。そのことを泳いでいる最中に思い出してしまうと、とてもつらい気分になって、呼吸が乱れるアラフォーのこの歳になってもまだ、小学校の時の思い出に引きずられているのかと思うと、情けないなぁと思うと同時に、時間が経つのは早いなと感慨にふけるなどしながら泳ぐのも楽しい

泳ぐ前に飲み物を買って、プールサイドにおいておいて、途中で休憩しながら飲むんだけど、目の前のプールの中にこんなに大量に水があるのにわざわざペットボトルで水を飲むという行為冗長さ?も楽しい

水を飲みながら、プールで泳いでいるおじいちゃんおばあちゃんも見ると、こんな年齢になってもこんなに泳げるものなのかと感動して、楽しい

俺は全然泳げなくて、プールの途中で足をつきそうになったりするレベルなんだけど、俺も定年退職する頃にはこのくらい泳げるようになるのかなあと思うと、また楽しい

YouTube説明してたのはこれか!とわかる瞬間がたまにあってその時はとても楽しい

泳ぎ終わったらシャワーを浴びるんだけど、さっきまで水の中にいたのに上がってからまたシャワーを浴びるという冗長さ?も楽しい

更衣室で着替えながら、泳ぐ前に見た YouTube動画を見返して、よしよし思ったように練習できたなあ、と満足感に浸る時間が最高に楽しい

帰り道、両腕と腹筋と配筋と太ももあたりに疲れを感じながら歩くのも楽しい

そういえば今日は何メートル泳いだんだっけ?最初は数えてたけどだんだんわかんなくなっちまったなぁ。まあたくさん泳いだし楽しかったらまあいいか。今度からちゃんと数えてみよう。あれ?こないだもそんなこと思ってなかったか?とか思いながら、自宅で晩御飯を食べるのも楽しい

プール楽しい

2020-07-04

俺もスイミングスクール年収1000万のスイマーなりたい

どの泳ぎ方が一番稼げますか?

2020-05-02

anond:20200502193207

スイミングスクールですげぇ泳いでるおっさんの腹がすげぇ出ているのを見て効果がないのを実感した

2019-11-22

海に出かけた カルキングゥ~!

可愛い娘とラブフィーリングゥ~!

なんと人魚だよ、ショッキングゥ~!

みんなで泳ごう、スイミングゥ~!

グゥ~!グゥ~!グゥ~!グゥ~!ググゥ~!

コォー!!

2019-11-19

勝負して決める」――唐突に思い出した子供の頃の出来事

子供の頃に行っていたスイミングスクールで他の生徒と言い争いになったことがある。

原因はよく覚えていないのだが、その後の展開が鮮烈だった。

喧嘩相手が「どっちが正しいか泳ぎの競争で決めよう」的なことを言い出したのだ。

幼い私は「勝負でどちらが正しいか決める」ということが全く理解できずひどく混乱した。

どう考えてもそれで正誤は定まらないし、納得することもさせることもできないと思ったのだ。

今、思うと自分感覚は全くもって正しかったし、彼の発想がどこから来ていたのか真剣に追及してみたい気もする。

実家が小さな個人塾なんだけど、なんで塾って悪者にされがちなんだろ

タイトル通りです。

地方都市で、しがない個人塾を父親がやってます講師父親一人。社長講師ってやつです。

みてるのは小学生から中学生まで。高校は難しいから教えられないって言ってた。

お月謝は学年によるけど、1万円から1万5000円くらい。週3、2時間+週末3時間です。

たぶん東京の人からみると激安なのでは。

これまで延べ1000人以上の生徒さんをみてきて、高校はみてないにもかかわらず、

大学合格したらわざわざ挨拶にきてくれたり、卒業してからもずっと年賀状を送ってくれたり、

卒業の子供が親子二代にわたって通ってくれたりと、それなりに愛されている先生なんだと思う。

子供からすると、父親は働きっぱなしで、休みもなく、全然遊んでくれないので、不満もあったけど、

自営業なので父親が働いている姿も見てたし、それなりに誇らしく思っていた。

なんかふとしたときに、父親が「うちは賤業で、すまんな」と言ったことがあり、かなりショックだった。

父親としては、サラリーマンだったり、公務員だったり、学校先生だったり、そういうのがまともな職業で、

自分のことは賤業として認識しているのか、ととても残念に感じた。

というのも、自分大人になってみると、「塾に通わず大学まで行った」とか「塾は下駄をはかせているだけ」とか

「塾は金儲け」といって塾を敵視する人にすごく合う。そのときはばつが悪いので、実家が塾であることを隠すのだが、

まり無意味攻撃をされているときは、「うちの実家は塾だけど、そんな感じじゃないよ」というようにしている。

(そういうと、彼らはバツが悪そうに、小さい個人塾じゃなくて、大手予備校みたいなところの話ね、と言い直すのだが、一緒じゃねえか!)

事実、塾に通わず大学まで行った人は経済的で賢い人だと思うし、

塾が金儲けというのは、他のすべての職業と同様、事実だと思う。あなたが通う定食屋携帯電話病院もすべては金儲けをしているのだし。

でも、スイミングスクールお絵かき教室体操教室スポーツクラブ悪者にされないのに、

なぜ塾はいつも悪者扱いなんだろうか?子供のころから不思議でたまらない。

勉強ができない子は反復学習でできるようになるまで付き合い、

学校勉強簡単すぎる子には、難しい問題を与えて、問題解決面白さや知的好奇心の大切さを伝える。

それって、そんなに変な職業なんだろうか?

学校が既にやっている?そりゃそうだろう。

じゃあ、図工の授業も、体育の授業も、学校にはあるのに、

なぜみんなお教室に通ったりするの?

それは良い指導者出会って、子供可能性を伸ばしたい、いろんな刺激を与えたいからじゃないの?

学校自分の子供と相性が良い先生がいればそれはとても幸運だけど、

それこそ選べないから、みんな自分お金を払って、いろんな教室に通ってるんだと思うんだよね。

そろそろ父親引退しそうで、なんとなく感慨深くなったので。

追記

おそらく父親世代にとっては、自営業がみっともないと思っていたのではないかと思う。

父親早稲田出身で、たとえば大学の同期などと比べたときに、みんなが名のある大企業のお偉いさんになっていたりするのに、

自分地方都市自営業だったので、引け目を感じたのではないか

自分にとっては格好いい父親だけどね。

急に廃業というのがその通りで、他の商売も同じかもしれないけど、

塾ってものすごく波がある商売なんですよ。

たとえば、毎年各学年30人くらいの生徒さんがいたと思ったら、

急に次の年の新入生は10人になったり、

かと思えば別の年には教室に入りきらないくらいの入塾希望が来て、お断りしなきゃいけなくなったり。

全然需要が読めない。毎年同じように教えて、同じように広告を打っていたとしても。

基本的固定費用は同じ(場所代自分人件費)だから

生徒さんが少ない年が数年続いちゃう廃業せざるを得ない。

そういう商売です。

ブコメを見てると、みなさん塾に対する悪印象がないようで嬉しい。年末帰った時に伝えてあげよう。

はてなにいる人は高学歴だったり、教育の大切さを知っている、または学校教育問題点を認識している人が多いから、

塾を擁護してくれる人は多いけれど、

世間全体ではそんなことは全然ないですよ。

たとえば、いまだに「子供は外で遊ばせるべき。塾なんて詰め込み教育!かわいそう!」と

批判してくる人やわざわざ家まで投書してくる人もいます

塾に通っていない人は、塾というのは教育の場ではなく、受験のための小手先テクニックを教える場所だと

思っている人がかなりの数、います

学校先生も、塾に対して嫌味なことを言ってくる人は多いです。

事実、私は小学校中学校では、教師にめちゃくちゃ目の敵にされていたので…。

良い点を取ると、お前は塾の息子だからと言われ、悪い点を取ると、父親は教えてくれなかったのか?と言われました。

しかったし、塾の評判が下がると困るので、めっちゃ勉強しましたが…。

会社に入ってからも、小学校から大学まで全部公立or国立で塾に通わず卒業した上司がいて、

その人は都内有名私立中出身社員をめちゃくちゃいじるめんどくさい人がいました。

「おぉ、お前ら、こんなこともできないのか。これは鉄緑会で教わらなかったのか?」みたいな。

(もちろん彼の場合はなんらかのコンプレックス発症していただけだと思います

世間全体で、東大生京大生を腐す風潮があると思うんですが、

それと同じレベルで、塾を敵視する人は一定層います

「え、東大生京大生を腐す人なんて見たことない!」と言うはてなーの人はいるかもしれませんが、

それはあなた環境がとても良いということだと思います

追記追記

塾が悪者にされたシーンを一度も見たことがない、そんな人に出会たことがない、という人へ。

92年うまれ。塾ブームが起きて、塾でたむろするDQNが授業を軽視するのが気に食わなかった。だから塾には行かず進学した自分が誇りだったし、増田が言われたようなことを思っているし実際に言った。これは現実の話。

私もずっといろんな人に同じことを何度も言われたことがあるので、個人攻撃するつもりでの引用ではありません。

でも、父親や私がよく言われてきたのは上記のようなコメントです。

私はこの方の意見がすごくレアものではないと思います

父親70年代から塾をやっていたのと、私が地方出身のためか、塾ブームがなんなのかよくわかりませんでした、すみません

最後に。今日増田を書こうと思ったきっかけ。

自分たちで教育破壊しておいて、これ。

https://www.sankei.com/politics/news/191118/plt1911180045-n1.html

「塾ばかりがもうかる世の中にすれば、日本は滅びる」んだそうです。なんで?

(そして、塾は英語民間試験なんて望んじゃいない)


二月の勝者は自分も今年読んで爆笑したので、父親にも夏に読むのを勧めました。

読みながら、東京の塾、こんなに高いのか…僕は経営下手くそからなぁ…って笑ってました。

二月の勝者は大手進学塾の話なので、生徒よりも親を見る、お客様扱いして集金するといったえげつないことをしてて

そこはうちの塾とは違うけど(してたら、いまごろうちの地域でいくつもの教室運営してたと思う笑)

生徒や親のエピソードは塾業界あるあるすぎるので、塾関係者は「あ〜こういう子(親)、いるいる」って笑えると思う。

伸びる子、伸びない子は本人や親と話すとすぐわかるって言ってました。

逆説的ですが、父親的には成績を上げることや受験に受かることを目的にしちゃうとよくなくて、

問題を解くのって面白いと思わせたり、もっと知りたいという知的好奇心を刺激したりすることが重要で、

生徒さんによってそのレセプターが違うので、手を変え品を変え、いろいろと玉を投げているようです。

二月の勝者、続きが気になりますが、すべての生徒さんにとって、受験自分ごとになるとよいですね。

みかづきは知らなかったのでさっき買った。今晩読みます

→読みました

https://anond.hatelabo.jp/20191120041544

あと,みんな、思った以上に塾のこと好きだったみたいなので、

いま30代でも40代でもいいから、通ってた塾の先生が存命なら年賀状で近況報告でもしてあげてください。

へぇーなんとか君、いまどこそこでこんな仕事してるのかー」とか

「なんとかさん、子供大きくなって、いまどこそこに通ってるのかー」と

毎年ニコニコしながら年賀状読んでます

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