はてなキーワード: キュレーターとは
毎日新聞記者の、コラボネタは報じる価値が低いということでマスコミ各社一致している、SNSは偏っているという旨の発言に触れて思ったこと。
「紙の新聞の余命は15年」との観測記事とあわせて眺めるに、たいへん趣深い。
https://togetter.com/li/2036314
https://news.yahoo.co.jp/byline/kamematsutaro/20230101-00330946
ここからは本当の末期だというわかりやすいメルクマールだ。闘病中と聞いていた知人がガリガリの別人みたいな相貌に変わっていたらいよいよかと思う、そんな感じ。
そもそも緘口令が出ているかのように黙殺したり、年はじめで各社一斉に同工のフォーマットで報じるその一糸乱れぬ斉一ぶりは異様だ。そういうのが当たり前になっていること自体が。
もっとコラボの悪行を報じろよとか暇空氏にも味方してやれよとかいう話ではない。
つまらない私闘にすぎないとかよくあることだとか言うなら、そのつまらないことがかくも多くの人間の関心を集めているということ自体が常には無い変事だろう。取り上げる切り口なんていくらでもあり得る。ネットでいま〇〇が話題だそうです式のお手軽ヤドリギ記事は大好きだったはずだ。
ひたすら「特落ち」を恐れ、また「抜け駆け」はせず、まるでお役所みたいに決めごとで動くジャーナリズム。どうかしてるぜ。という指摘はかつて上杉隆らが行った。その後の体たらくは誰もが知る通りだが。
有限な紙幅にニュースバリューの高い順に取り上げられてるだけで他意はないと言えばもっともらしいが、滑稽なまでに「一糸乱れぬ」動きの言い訳にはなっていない。
そもそも「情報の重大性」と「紙面への取り上げやすさ」は全く別である。
例えば紛争地域のリアルタイムでの実情などは、重大さは最大級であり、一次情報の取得コストも大きい。つまり取り上げやすさは最小。
一方「小学生が田植え体験をしました」みたいないわゆるヒマネタは、誰一人関心はないが業務上極めて扱いやすい「定型文の穴埋めで作れる記事」であり「予め予定が立つニュース」である。重要度ほぼゼロ、取り上げやすさMAX。
お上のプレスリリースと違い、スペースの都合で没にするのも自在。
大都市圏居住者は、あるいは実際には見たことがないかも知れない。地方紙の社会面や地方局の夕方ニュースにおいて、田植え体験や高校生のSDGsの取り組みの模様が永遠に垂れ流されるのを。ニュースバリューとは。
知られた話だが、新聞社は調査報道機関ではない。納品された情報を整理して受け流す、聞こえよく言えばキュレーターである。
形の揃った野菜を出荷するみたいに「いつもの定番ネタ」は業務ルーティンにするっと乗りやすい。
まだ世評・解釈の定まっていない新奇な話、いびつなキュウリははじかれやすい。ニュースバリューとは。
しかしそういう型にはまった本邦マスコミ報道のありかたはひとえに害でしかなかったのかと言えば、そんなこともない。主な利点はスタビリティということにある。おつむの軽い「熱血記者」は悪いやつらにうまく利用されるのが関の山だ。世間は大新聞の腰の重さをむしろ信頼してきた。
そもそも良い報道とは? ジャーナリズムとは本来どうあるべきか? といった問いにみんなが納得する答えはあるか。ジャーナリズムが共有すべき、一番ベーシックな価値とは何か。
「権力を監視すること」とか言ったって国家権力ばかりが権力じゃない。
「事実をありのままに」とか「客観的に、公平公正に」みたいなことは実現不能だ。
実現不能なお題目を掲げることは建前と実態の乖離を常態化させ固定してしまう。
そもそも電波法に縛られるTV局は別として、新聞社に中立の義務はない。
思うにやっぱり「果敢さ」しかねぇんじゃねぇの? なんとか月衣塑子みたいな薄っぺらい熱血妄動に陥らないようバランスを取りつつの。
こんにち新聞が相手にされなくなる一方で、文春のスキャンダリズムが一定の信頼を得ているのを見よ。
政権与党にガツガツ果敢に切り込む新聞があったり、むしろ野党にガンガン行く社があったり、それぞれの角度から検証可能な形で情報を提供する。
それらが合わさりデコボコを埋め合って、民主主義社会のいわば媒質であるところの公論の場ができる。
そもそも、マスコミの存在目的とはその社会に生きる人々の共有する「場」を提供することなのだ。一億人が同じ情報に容易に触れ得るということによって。情報の水の中に個人は油滴のように浮かんでいるのだ。
オールドメディアがネットにお株を奪われたのは、速報性とか取材力とかいうことではなく、その「共通の場を提供する機能」である。つまり本質の部分。
マスメディア全盛の時代にも、それ以外の情報伝達経路、例えば万古よりの「噂話」が命脈を失ないはしなかった。
でも文字通りマスに同時に届けられるという点で、すなわち前述の「場を作る機能」において、新聞TV会社は特権的立ち位置にあった。
今はそういう時代ではない。
それなのに「なんだかんだ言ってもぼくらプロの新聞記者の取材力、信用にはSNSなんかはまだまだ太刀打ちできないでしょ」とふんぞり返る記者様の図。まさに悲喜劇。
王国が滅びようとしてる現実に向き合えない落日のお貴族様の姿だよ。
■追記
「そんなに新聞様に取り上げてほしかったらしかじかの体裁をとれ」というコメントが付いている。
だから暇空のこともっと取り上げて欲しいという話はしてないんだけどな。
「取り上げてやるかどうかの基準はこうだ」と硬直的な決め事を振りかざすのは、換言すれば咀嚼力のなさを自慢するひ弱なお公家さん仕草であり、マスコミの生命力低下のあらわれであると言っている
笠井美樹(仮名・20歳)は、関東地方の美大に通う現役大学生だ。
専攻は西洋美術史で、将来は学芸員かギャラリーのキュレーターを目指している。
美樹の両親は、5年前に離婚をした。
父の浮気が原因だったため、離婚から数年は養育費が振り込まれていたのだが、
高校2年生の秋頃に、それまであった振り込みがピタリと止まった。
大学の学費は非常に高く、また学芸員を目指すコースは海外での美術研修や材料費などの出費も多いため、
ある日、いつもと同じようにパパ活アプリを開くと、一人の男性からメッセージが入っていた。
「泊まりで10万円、半日の場合は5万円払う」という内容だった。
決して高くはないが、安すぎる訳でもない。
順当な価格だったため、怪しむこともせずに美樹はすぐに、アプリから承諾の返信をした。
約束の時間から5分ほど過ぎた頃、カフェの入り口が開き、一人の男性が店に入ってきた。
美樹は驚きのあまり、全身の血の気が引いていくのがわかったという。
待ち合わせの場所に現れたのは、5年前に家を出ていった実父、賢治(仮名・51歳)だった。
美樹が実父に会ったのは、母との離婚以来だった。
父は浮気相手と再婚をし、2人の子供がいるという話を母から聞いていた。
このため「父親さえいれば、母も私も普通の暮らしができたはずだ」と、悲しく惨めな気持ちで日々、父のことを恨んで生きてきた。
一生会わないだろうと思っていた父と、こんな形で再会するなんて。
Twitterでは、キュレーションの正確性、公平性、公正性について、高い基準を維持することを目指しています。
モーメントでは、さまざまな内容の魅力的なオリジナルコンテンツを取り上げます。モーメントに掲載するツイートや動画の選定では、内容や画像/動画に加え、投稿者のプロフィール画像やユーザー名も検討の対象となります。
公平性: 議論を呼びそうな話題に関するツイートを選定する際には、データに基づいて決定を行い、すでにTwitterで大きな反応を呼んでいるツイートを見つけます。公の議論に関するトピックの場合、可能な限り多様な視点を提示するように務めます。キュレーターは、Twitterでのありのままの会話を客観的に映し出すことを目指し、公平性を期すためのトレーニングを継続的に受けています。
正確性: キュレーションの目的は、正確な情報を提示する質の高いツイートを紹介することにあります。キュレーションチームは、ソーシャルメディアの検証方法に関して定期的にトレーニングを受けています。また、ほとんどのモーメントは、レビューのプロセスを経てから取り上げられます。
誤情報の訂正: 万が一、取り上げた情報が誤りだったことが判明した場合には、モーメントに目に見える形で訂正を加え、その旨をツイートで発表します。ただし、稀に当該モーメントを削除し、関連する国のTwitterアカウントを使用して、誤情報を撤回する旨をツイートする場合があります。
基準: ニュース性の高い会話を紹介するために必要な場合を除いて、冒涜、暴力、裸体など、センシティブであるとみなされるコンテンツは選定の対象から外されます。また違法行為を描写したり、助長したりするようなコンテンツは採用しません。センシティブであると受け取られる可能性のあるコンテンツがモーメントに含まれる場合、警告を表示します。
確認したけど、これをそう捉えるのはかなり難癖のような
そもそも、ハフポストやバズフィードが多いから問題だと言われても、同程度に質の高い右派メディアがそもそも存在しないのだから偏るのは仕方ないのでは
本当に分からないのか?
落書き未満の絵が一瞬でわかるというのなら、YOUTUBEの歌ってみたにいるオンチは声を出した瞬間にそれが駄目だと分かるだろ?
素人の奏でるギターの音の歪みは、素人に描かせた円と同じぐらいにグチャグチャだろ。
プロの音楽と素人DTMの違いを判断するには30秒ぐらいはかかると言う話だとして、それなら君は展覧会に飾られている絵をキュレーターからの評価が高い順にちゃんと並べられるというのか?
出来ないだろう。どうせ出来ないだろう。
どのジャンルでも「一瞬で良し悪しが分かるレベル」の違いは存在するし、「一瞬で判断できない程度の良し悪し」も存在する。
珍しい料理なので口に入れた瞬間は違和感があったが、食べ終わる頃には評価の高さに頷くしかないことがあっただろう?
小学生が肩をめいっぱい使っても150kmのボールは投げられないし、プロの世界における結果は球速だけでは予想ができない。
それはフェアじゃないんだな。
つまり君は意見を聞く相手としても議論の相手としても相応しくないんだ。
家のソファーに体を沈めて、パワハラを繰り返して君の言うことにイエスしか返せなくなった旦那や息子相手に君の身勝手なロジックをハイハイその通りと言わせてなさいな。
君は、インターネットに書き込むにふさわしくない
なんか投資関係の記事がバズっているので、暗号資産クラスタについてぶっこんでいく。(この記事はfinancial adviceではありません)
日本ではまだ怪しい投機扱いされている暗号資産だが、アメリカでは既存金融にすでに取り込まれている。
仮にこの記事にブコメがついたとしたら、やっぱり投機投機書かれるだろう。そういう人はこの記事の対象ではないし、すでに三周は遅いので無視して良い。
さて、暗号資産というやつは、実はナスダックとの相関性がかなり高いことがわかっている。ので、投資すべきタイミングは米株と同じ考え方で良い。
レバレッジナスダック(いわゆるレバナス)は一度下がってしまうと、元の価格に戻ってきても評価額は減価してしまうが、暗号資産は元の価格に戻ってくる動きをしやすい。
身も蓋もないが、レバナスよりマシな商品と考えればあまり外れていない。
ので、もし現状のマクロ経済状態では米株投資すべきでないと考えるのなら、今は暗号資産投資をすべきではないし、逆に投資しても良いと考えるのなら検討しても良いだろう。
これ以外の暗号資産にお金を入れてはいけない。お兄さんとの約束だぞ。
慣れてる人はスマコン系の代替L1通貨とか、ORU/zkRUのL2系通貨にお金を入れてもまあ良いと思う。ただ、これは自分で一次情報を取れて、かつ本当に詳しいと自認できる人だけにしたほうが良い。
情報を追いたいのならumbrelやLNを追っかけているビットコイナー、またはMergeやDA、Shanghaiを追っかけてるイーサリアンをフォローしておこう。
ただしtoxicなビットコイナーはやめとけ。心が汚れる。あと「ビットコインも環境問題でPOSに…」とか言ってるイーサリアンもやめとけ。心が汚れる。
詳しくなった人はsolana/avax/cosmos(atom)などの代替チェーン情報を発信している人をフォローしても良い。ただし火傷に気をつけろ。
stepnとかiost, xym, xrp, 魔界アルトなんかの情報を追っかけてる人、あなたは向いてない。いますぐ暗号資産投資をやめろ。金を失う最短ルートを走っている。もう一度チャートを見直して冷静になれ。
aptosやsuiが天下を取る…と中身を理解しないまま思ってる人も情報の取り方を再考したほうが良い。あなたは賢いように見えて、大口投資家の出口だ。
NFTは消費として買っても良いと思えるものを買え。これはそういう業界だ。
投資としてNFTを扱いたいのなら、細心の注意を払って行え。今の市況では、難易度が高すぎる。キュレーターより厳しい世界だ。
情報をフォローしたいのなら、XCOPYやNOUNSに言及している人にしておけ。
WBTCはおすすめしない。カウンターパーティーリスクがある。
ETHは、PriorityFeeやMEVが貰えるようになるので多少利率が高まる。
課税イベントは起こさないほうが将来的な利益は高いだろう。なのでガチャガチャしないことをオススメする。
この記事の言っていることが正しいかどうかは、界隈のこの記事に対する反応を参考にすること。
ウィッシュリストがある程度あると、その中から辿れる「類似品」の幅が膨らんで好みのタイトルに出会える相乗効果が出るよね。
個人的にはウィッシュリストを増やす初手としてキュレーターがもっと活用されれば良いのにと思ってる。
https://store.steampowered.com/curator/6862052-Simulation-Management/
ただこの時、幅を広げたいならゲームジャンルよりもフレーバーやフェチで絞った方が意外な出会いがあって面白い。
マイナーで供給不足な要素だと発掘隊の必死さが違うしね(偏見)
https://store.steampowered.com/curator/24223269-Anthro-Furry-Tag/
『Pine』なんかはかなり好みのタイトルだったけれど、ここ経由でなけれなオープワールドの大型タイトルの影に隠れて見つけられなかったと思う。
キュレーターとは,現代美術の文脈において展覧会の企画・運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトルの展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。
今日のクラシックにおける自主企画の演奏会は,多くの場合「プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家が架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートのマネジメントは演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないか。クラシック音楽にも,お客さんと作品をキュレーションで架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。
ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。
目次
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
5.まとめ
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
繰り返しになるが,現状のクラシック系自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目を披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家の独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家は選曲やプログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。
でもね,正直クラシックのコンサートの演目って似たり寄ったりじゃないですか。
コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックのサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去の音楽を再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。
ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり,技術で劣る演奏家の演奏会に行く理由がなくなってしまうのである。
このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽は特に「文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須のレパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベルが結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。
結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーにしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツと東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要な西洋音楽的技術が結構低いんですよ。川谷絵音や東京事変やKing Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスはクラシックに比べて多角的に評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価の観点として強烈に幅を利かせているのである。
「プロの世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。
例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。
このゲームでは,プレイヤーが最初のガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身の活動への俯瞰的視座」とか「個性的な音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初のキャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…
まともなゲームの運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。
…まぁでも現実世界にはゲームの運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである。
そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会のプログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものにデザインできれば,技術でトッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。
「モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会でデザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品の価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。
また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインのキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。
一方,クラシック音楽の演奏会はどうだろうか。そこに「体験のデザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツは演奏(楽曲)のクオリティ,そのほかはあくまで付属品」だと考えているし,むしろ演奏のクオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。
キュレーターは自分で作品を作れない。その代わりに,個別の作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験をデザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイートの意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。
具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説,選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。
とはいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体を仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験をデザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!
…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤー兼キュレーターになれ,もしくは②プレイヤー兼クリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。
クラシックの演奏家って特殊な立場なんですよね。CDやスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽を聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車が自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手が自動運転にとって変わられるように,中途半端な演奏家はオーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器や音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊的イノベーションだと思っている。
だからこそ,演奏家は「他者の作品の再現」以外の価値を作らなければならないのだ。
こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏を聴くより,自宅のスピーカーでトッププロの演奏を聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯の時間に丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCDの中の人の方が上でしょ?…これが一般人の残酷な本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験をデザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。
また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやすく価値を提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者の作品の再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコースピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。
ちなみに,「自分の作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身が作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています。
キュレーターの質が低いの間違いではないだろうか
ネットでなんでも検索できるから本なんて買う必要ないっていう人もいるけど、
ネットの集合知ってノイズが多すぎて玉石混交の中から玉を拾うのがとてもむずかしい。
クックパッドでいえば料理苦手だからクックパッドに頼ってるのに料理苦手な人には有用なレシピとゴミレシピの区別がつかない。
なので調理師や料理研究家として一定の知名度や実績のある人が著者の出版されてるレシピ本に戻った。
これってWikipediaでも知恵袋でもネットの集合知メディアはなんでもそうだよね。
素人も参加できるゆえにノイズが多すぎて素人には扱えないものになっている。
マジレスすると、限られた予算をどこに向けるかという点であまり良いお金の使い方と思えないということ。
地方の官公庁のアート部門とときどき仕事をしていて感じた実感なんだけど、
その地方由来という縛りをもうけると美術的にはあまり一般受けする展示にならない。
要はその地方で作品に触れて将来作家になるような人を育てるような展示にならない。
予算を投じるなら、長期的に見て文化的に豊かな人が育って文化的に豊かな街になるような使い方がいいと思っている。
才気あふれる作家が地方に移り住む場合は尖りすぎてて一般人の鑑賞に堪えない作品になりがち。
郷土史や博物学的に、この地方にはこういうことがありましたというアーカイブ目的と割り切るならいいけど
そうじゃないならそこに住んでいる人たちに影響を与えるような作品を、作家の出身地に関わらず展示するのがいいと思ってる。
ひとつのアイデアとしては、地元作家にフォーカスするのではなく、地元キュレーターにフォーカスした方が面白い展示になりそう。
男でもゴリゴリの出世主義者は結構いるから、その女がそう言う奴だってこと。
男でもそういう評価がついてしまうと周りから擁立されることは少なく、部長どまりになる人が多い。
その女だって今より一つ上のポジションには行けるかもしれないが、それ以上は難しい。(たまに君子豹変できる人もいるけど)
悲しいのは男気を持った女(?)は人生の早い時期に潔く身を引いてビジネス界に残らないこと。
裕福な旦那と結婚して子育てがひと段落した後はNPOやったり博物館のキュレーターやったり、そっちの方が楽しそうだし社会的意義もある。
雇用機会均等法でビジネス経験を積んだ女性が多く出て、いろんな分野で活躍するのはいいことだと思う。
女だからを振りかざす奴は、東大出を振りかざす奴と似たようなもの。
踏み台にされないように、身を隠していることが一番。