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パラリンピックが終わったけど、メダルと障害者支援の充実度との相関ってあるんだろうか
https://sports.yahoo.co.jp/paris2024/paralympic/medal/
スポーツが一般的じゃないインドがパラリンピックだとそこそこメダル取ってたり文化的な要因、ヒジャブの女性が参加していたり宗教的な要因、障害によってクラス分けがされるから国によって得意な競技でメダル量産しやすそう、とか障害者支援とは関係のない要因は沢山あるんだろうけど、それでも障害者支援の充実度と無関係ではないだろう
印象だと、日本は車椅子はそれなりに強いけど脳性麻痺は十分じゃないのかなって
ちなみにオリンピックとパラリンピックの差をメダルランキングの順位「オリンピック-パラリンピック」で示すと
中国1
アメリカ-1
日本-7
イギリス5
オーストラリア-5
フランス-3
オランダ2
ドイツ-1
カナダ0
ブラジル15
イタリア3
ウクライナ15
韓国-14
インド53
スウェーデン-56
ニュージーランド-40
何故か頭の悪いソニー信者は相変わらず奴隷を続けるようだが、ちょっとソニーを支えるには貧乏すぎる。
8年以上、150億円以上かけたソニーに肝いりタイトル、コンコードがわずか2週間で返金の大爆死をしたことは有名だが、
次は、もっとDEIゴリゴリのゲームが出る。アサクリの元プロデューサーが立ち上げたスタジオをソニーは既に買収していて、
そのゲームスタジオを見ると「私達は、ゲームを通して、多様性、公平性を学び、広げていきます」とか掲げてる。
別に悪いことはいってないよ。でもまぁ、文章で説明すんのも難しいけど、Xの投稿がね、コンコードの開発陣以上に香ばしいっていうが狂気をはらんでるんよ。
もちろん、コンコードを買わなかった層は、このゲームを買わないだろうに、ソニーは「社内で好評で引き続き支援してゆきます」と発表し大炎上
アサクリでもアジア人ヘイトが露骨な事がバレて、そこへPS5値上げでソニー主導の日本人バッシングが起きてフランスオリンピックは、特に日本人をヘイトする外国人youtuberが増えて
スパインでは今でも「卑怯者の日本人」と柔道の件でボロクソに日本人がバカにされまくってて、120万人以上の登録者を抱える黒人女性が「日本に行って女性を妊娠させると1000万もらえるわよ」と
PS5の値上げは当然だろ!
っていってたアホどもは責任取れ
今のオリンピックはもう男女別にやらないオリンピック総合版にしちゃうのよ。
柔道とか体重別競技があれば階級は残しても男だろうが女だろうがもう関係無し。
100mなら速い奴が勝ち。
その一方で今のパラリンピックがやってるみたいに身体の特徴ごとに足が無い人の部、手が無い人の部、目が見えない人の部、女の身体の部で分ければ全部解決やん!
あったまいー!!
「実業団とか社会人チームなんて廃止して、その分で浮いたお金で給与上げてほしい」と常々思う。
広告的な要素とかあるんだろうけど、それなら別に野球とかサッカーのプロスポーツにスポンサーとかでつくくらいにして、わざわざ当社で社員として抱え込むのはいい加減にしてほしい。
正直言って、広告要素であるなら、彼らがスポーツできている間は契約社員として給与を支払って、引退とかするなら、そのスポーツだけに従事させ、会社の業務へのタッチはしないでほしい。
これが確信に変わったのはいくつか理由があるけれど、大きな理由は2つある。
1つは先日、以前に部下だった後輩が退職した。
後輩は海外MBAも取得もしていて、英語堪能で経理とかの資格もいくつか持っているやつだったが、不幸にも会社が保有する社会人チーム上がりの奴が先輩(スポ先)と業務ペアになったことで、後輩の人生は大きく変わった。
スポ先はいわゆるそのスポーツ一筋で、私立高校をスポーツ推薦で行き、大学もスポーツ人材ばかり集めているようなF欄大学で、スポーツ一筋で我が社の実業団に入り、30前に引退して、本社勤務をしている。
そんなスポ先と後輩の、いわゆる知的労働的な部分での能力・実力なんて、圧倒的に違うのは明白で、特に一時代前ならともかく、最近は大手企業だと文系職でも経理財務の知識・英語・法務、ITスキルなども出世に必要なケースが多く、日々勉強に追われる奴らは多くて、頭空っぽコミュ力だけで勝てます!なんて業務は商社でさえ減ってきている。
だから、後輩は大変だった。頻繁な海外出張にそのスポ先と行くのだが、スポ先は英語もできないし、すべて後輩が通訳で、後輩がしている業務の専門性なんてないから会話もできない、はっきり行って、邪魔な置物。だからといって、一切メモも取らないし、体育会系だから先輩が偉いと思い、すべて出張ロジを後輩にぶん投げ。そもそも、受験なんてしたこもないから、学ぶ意欲もないし、そもそも論理的思考訓練が勉強を通じてできていないから、日本人の事業パートナーとかからも商談の場で「ポカン」とされる始末。
後輩はスポ先のせいで残業時間が大幅に増え、「クッソドウデモイイザツム」さえ押し付けられて、病んでしまった。2年も持っただけ、立派だとは思う。
で結局、後輩は先日退職した。外資系に引き抜かれたというのは後で聞いた話。
他部署にいたスポ先と同じような境遇の人と仕事をしたことがあるが、あまりにも仕事が杜撰で、一緒に仕事して3年目にいい加減にしてほしいと思い、自分の上司と相談し、担当を変えさせてもらったことがある。
まず、「議事録の誤字脱字・変な日本語が多すぎる」 「他の人が見やすいような資料の作成ができない」 「何をどうしたらよいかみたいな思考ができない」「そもそも何年経ても成長しない」「下の人に尊大」などだった。
後輩のケースと違って、自分の場合は、同じ部署じゃなかったから良かったが、後輩・先輩とかで仕事のサポートをするならば、大変だったと思う。
一部の人だけじゃないの?と思う人もいるかも知れないが、そんなことはないと思う。
それでいいならば、大手企業は学歴差別フィルターなんてかけないわ。知的レベルに差があるからこそ、ハズレ人材の採用を減らすべく、学歴フィルターかけてんだよ。
受験や資格試験だけでなく、語学にしても大学の研究にしても、「いわゆる勉強」というのは、それなりに精神力がいるし、継続的な努力が必要なんだよ。しかもスポーツと違って、受験や資格試験を除けば、明確に結果が出る場合は少ないからなおのこと、精神的に辛いこともある。
そういうのを踏まえると、幼少期から受験として突破して、大学でも努力して、それで大企業に入社している連中が総じてハズレ率が低いのは当たり前なんだよ。みんな意図せずにPDCA回して、成功する確率を上げてんだよ。
スポーツと言う世界は結果がすべての残酷な世界ではあるけど、それでいて、結果を出せばいいんだから楽な世界でもある。だからそんなスポーツ世界から来た人材が、結果もない知的労働の世界でいきなり無条件で溶け込めるわけない。
・受験とかも突破しつつ、スポーツもやって旧帝大やマーチ、早慶上智などに一般受験で入って、スポーツでも伸びた文武両道のやつら。
・工業高校とかから社会人スポーツが強い会社に入り、工業高校とかでの専門性活かして、現場仕事しながら、スポーツしているやつら。
前者は地頭がそもそもいいし、要領もいい。大学で同じような境遇・レベルの人と会話しているから一般的な会話レベルも高く、学習するノウハや利点も理解している人が多い。
こういった人材はスポーツ枠で会社に入社していても、ある程度最初から将来ルートが決まっているケースもあると聞く。ただ、こんな人材は多くはない。そもそもこういう人は自分の外部環境を理解しているから、将来的なリスクを踏まえて、社会人でもスポーツをやる価値がないと判断すれば、速攻で進路変更するだけの視野の広さがある人が多いからだ。
後者は完全に現場の人。例えば、電気とか建設とかそういう現場仕事は今も昔ながらの徒弟関係的なとこがあり、経験的が物を言う業界だったりする。だから、スポーツと同じ要領で反復的にうまくなるし、専門性も身体で覚えていく人が多い。そのため、スポーツがだめでも、現場職はスポ根風土が多いこともあり、スポーツ一筋に人には慣れた環境であるのも幸いし、自然とそのまま、その道のプロになるケースが多いし、場数を踏んで、その技術のプロになる人は結構いる。
これは例外で、大半はスポーツしかしてないし、現場仕事もできない奴が結構な割合でいるのが現実。特に、大学全入時代とかいって、Fラン大学に進学するやつが増えてからその傾向が顕著になった。
そのため、F欄といえど、大卒だからって理由もあるのか、大企業の社会人チーム・実業団の人って、必ずしも現場配属の奴らばかりではなく、結構な割合で、本社もしくはそれに近いところで引退後も働いている人が多い。
役員とか上層部は昭和の感覚で社会人スポーツ好きな人も多いからか、そういう社会人チームで引退した人を何故か優秀だと思って、本社配属にするんだよ。スポーツがうまいこととビジネスが強いことは全くの土俵違いで、それは大きな勘違いだよ。
仮にそいつが万能的に優秀なら、そいつはスポーツでも何かしら優秀な成績を収めるか、それを生かした仕事につけるだけのノウハウくらいは身につけてんだよ。そうじゃないから、社会人チーム引退後も、自主退職とか起業せずに、留まってんだよ、理解してくれ。そういうことせずに、大企業に留まったほうが年収高いと理解してるから、窓際族のおっさんどもと発想が一緒なんだよ。
上層部のおっさんどもよ、新卒の採用時で事務系総合職は旧帝大と早慶上智でフィルターかけてるけど、なんでスポーツチーム引退したF欄人材にはフィルターかけないんだよ。お前ら、新卒の採用時にそのF欄から採用したことあるのか??
そんな人材を留まらせて、他の優秀な新卒若手の心労増やすなよ!
だから、結論として、社会人チームや実業団なんて廃止して、その分スポンサーとしてプロスポーツに広告出すとか社員の給与上げるほうがはるかに有益。
そうじゃないなら、せめて実業団選手として契約しているうちは契約社員として勤務させ、それで結果を出せるくらいのリスクを取らさせないとだめだ、それで好成績でも残せば、プロとして改めて契約でもしたらいい。
それか、現場職種に従事させて、専門性を経験則として叩き込むほうが遥かに有益。
30前後で引退したやつに、英語勉強させたり、経理勉強させたりするコストを考えるなら、新卒でそういう素養があるやつを教育するほうが遥かに有益なんだからさ。
で、どのへんが先進国なん?
「日本の注目論文数が世界13位であった」というニュースが今更ながら読売新聞に載っていたので、日ごろ思っていることを書いてみる
出勤前のただのガス抜き
日本「質の高い」論文数はイランに次ぐ世界13位、過去最低でも文科省研究所「下げ止まりの傾向」…自然科学分野 : 読売新聞 https://www.yomiuri.co.jp/science/20240903-OYT1T50055/
国立大学が法人化されてから20年、日本の大学における研究力の低下は歯止めがかからない。
研究力低下に対する危機感は、すでに10年以上前から言われていたが、文部科学省は長いことそれを認めなかった。
この記事のような明確なデータがようやく一般に見られるようになって、今になってあれこれ施策を出してきているが、どれもこれも遅きに失している。
大学の研究力がここまで低下した理由は、個々の教員の能力とかやる気問題ではなくて、完全に政策の問題。
個々の教員の努力でどうにかなるものではないということをはじめに書いておく。
国の研究力は(国内の研究者の数)×(研究時間)。あと金さえあれば向上する。
それがこの20年間、研究時間と金の両方が著しく減少している。
大学には金が無い、という話がネット上には溢れているのでここでは、教員の研究時間が無いことについて書く。
現状、ほんとうに時間がない。まったくない。
(わたしだって、ゆとりのある時間が確保できるのであれば、こんなところで愚痴を書かずに、ゆっくり腰を据えた研究をしている)
その原因の1つは明らかに「教育改革(笑)」に時間を投入しすぎているから。
この20年間、大学は教育改革w、教育改革w、教育改革w、そんなことばかり繰り返してきた。
これは、教育改革しないと文部科学省から予算が降りてこないからだ。
しかし、この教育改革(笑)と言うのは、ひたすらに教員の時間を奪う。それによって研究時間は大幅に減った。
学生はおおよそ4年間大学に在籍するだけで卒業していくから、その変化は感じにくいだろうし、すでに卒業後の社会人には今の大学の実情が見えていないだろう。
この教育改革には、学部改組、新規学科開設、ディプロマポリシーの明確化、カリキュラムマップ整備(笑)、シラバスの整備(笑)、成績評価の厳格化、学生からの不服申し立てへの対処法の整備、成績不振者のサポート、リメディアル教育(高校の内容の再教育)、海外留学支援、インターンシップ支援、情報リテラシー科目、データサイエンス科目の整備などなどがある。
反転授業、アクティブラーニング、グループ活動といった準備負荷の多い科目も増えた。
一般入試で入ってくる学生はひたすらに減少し、推薦、AC入試、各種特別枠で入学してくる学生が大半を占めるような大学もある。
一般入試を乗り越えていない学生は、基礎学力が怪しく学習習慣が身についていないケースも多い。おのずとサポートの負担は増加し(成績の悪い学生は呼び出して面談をしないといけない)、講義のレベルも下げざるを得ない。
アカハラ、パワハラは厳禁である。それようの講習も受けないといけない。学生に寄り添った学生の日常生活の支援、メンタルサポートも必要となってくる。
入試の多様化は入試業務の負荷増大に加え、オープンキャンパス、高校訪問、パンフレット整備、Webページ整備などの負荷も増やす(これらを教員がやっている)。
では、こういった教育改革によって大学を卒業する人材の質は向上したか。
おそらく底辺層、落ちこぼれ層の救済には一定程度貢献したに違いない。まさに我が国が得意とする、足並みをそろえて仲良く卒業しよう。という理想の実現に近づいているわけである。
(それでも、大学の教育は手抜きであって学生は遊んでいる、といつになっても非難される)
全体的に講義のレベルは下がった。授業への出席が求められるようになった。
初年次には、分野横断総合的な学習が重視され、専門を深く学ぶ機会が先送りされた。
その一方で、早くからインターンに参加し就職活動に取り組むことがあたりまえになった。総じて、深い学びの機会は失われている。
では、大学院はどうか。
大学院の重点化、大学院教育の実質化(笑)も、大学教員の負荷を確実に増やした。
修士の学生は増加傾向にあるが、残念ながら修士程度の学生は即戦力にはならない。
博士の学生や専任の研究員が減少し、修士の学生にも教員が手取足取り指導しなければならない。研究成果と言う面においては完全にマイナスの生産性だ。
こうやって育てた修士の学生が博士へ進学してくれればありがたいが、そうはならずに多くは就職してしまう。
ここ数年の博士進学実績は低下基調だ。日本のアカデミアは学生にも見限られている。
こういうった状況をスポーツ界に喩えるならば
国内トップクラスのスポーツ選手に対して、地元の中学高校の部活の面倒をみるのと同時にオリンピック出場を目指せと言うようなものだ。
さて、今後の展望。
これから少子化によって18歳人口が減少するため、ますます大学間の競争が激しくなる。一般入試を経ずに入学する学生が増えて学力は低下する。
活路を留学生に求めることになるため、ますます入試システムが複雑になり、学内には英語コースの設立が求められる。これは、新しく学科を1つ開設するのと同等の労力(つまり時間)が奪われることになる。
文部科学省(財務省)もようやく現状打破の施策を立ち上げ始めた。
博士の学生を増やすための支援を増やし、若手教員比率を高め、若手教員の研究時間確保のための取り組みを大学に求め始めた。
九州の男性に対する差別の話を聞いて思ったことをちょっと書く。
コメント何かを見てると日本人同士でさえそういった不毛な話し合いになるのだから差別は難しい。
・在日韓国人の中で悪事を働いているのは一部なのだから、それをもって全体が悪だと考えるのは差別である。
これは間違い。それは差別だよと教えることはできても、差別をやめろとか差別されたから殴り返すというのは間違い。
差別はなにもないところから生まれないし、人間もすべての差別に自覚ができているわけではない。
だから差別をする側の人間には、それが差別だと教えることができても、差別をした事自体を責めるのは間違ってる。
大体の人はここを勘違いしている。
差別は良くないけど、差別をした人間だけを責め続けても差別は解決しない。
責めるべき相手を間違えている。
・わたしが悪事を働いていないとしても、同じ在日韓国人なのだから悪事を働いている人間に働きかけるべきだ。
これも間違い。わたしはわたしで、悪事を働く在日韓国人とは関わりのない他人。他の在日韓国人の悪事の責任を他の在日韓国人が背負う必要は一切ない。
例えば日本人が日本人の犯罪に責任を感じてるところなんてほとんど見たことない。国内でもそうだし国外でもそう。
オリンピックで金メダルを取ると同じ日本人として誇らしいというのに、犯罪者を見て恥ずかしいと思ったとしても責任を感じてどうにかしなきゃいけないという話になっているのはほとんど聞いたことがない。
それくらいおかしいことを言っている。
・ではどうするべきか。
責めるべきは在日韓国人全体でもなく、差別した側の人間でもなく、悪事を働いた在日韓国人を放置している他の在日韓国人でもない。
では誰か。
それを在日韓国人という属性のせいにせず、とにかくその個人に責任を問うべきであり、その個人が自らの行動を省みるしかない。
それをもって、だからベトナム人を入れるべきではなかったというのは、わかっての通り完全な差別である。
すべてのベトナム人が犯罪を犯すわけではないし、かといって犯罪を犯したことがないベトナム人が、日本人に差別をしないでくれと言っても仕方がない。
国籍によって倫理観の違いはあれど、そんなものは日本人同士にだっていくらでも違いがある。
そうなれば、犯罪を犯したベトナム人を粛々と裁いて日本での犯罪の重さを自覚させていくことしか効果は期待できない。
その犯罪に対する刑が軽いなら、外国人関係なく世の中の流れに合わせて重くしていけばよいことだ。
日本人だけ軽いままで外国人だけ重くするなんてことはただの差別でしかない。
九州の話に戻って言えば、そういった男尊女卑の文化があった事自体が事実として、それをもって全体に言及すれば明らかに差別である。
かといって差別した側を責めたところで、現状は変わっていかない。
そうなれば、現行で男尊女卑の文化のまま生きている人間たちが、気づいて、変わっていくことが最も効果が高い。
くわえて、差別された側の人間だって、それが差別だと証明するような生活を送ることもできる。
言葉で反論するのではなく、行動で示して差別する人間達に対して知らんぷりをしていれば良い。
自分がしたことはまさにそれで、日本で生きることとは何かということだけを考えて、正しく生きてきた。
差別されたことを理由に一度でも自らの悪事を肯定してしまえば、それはもう差別ではなく事実になってしまうからだ。
こういう考えの人が一人でも増えれば差別のもととなる批判の原因がなくなり、やがて中身のない思い込みだけで差別をする人間だけが残る。
差別となる原因すらないのに差別を続けていれば、それはもう差別を越えてデマや虚偽の拡散という悪意でしかない。
そうなれば、それは罪となり、差別される側の人間が行動を起こすまでもなく社会によって正されることになる。
伝わるだろうか。
サブスクでランダム再生してたらたまたま好きな映画の挿入歌が流れてきてテンション爆上がりしたんだ
まずはトレインスポッティングより
アトミック / スリーパー
https://youtu.be/zaLMFRt9few?si=LAkaK3ePLejF6-Vn
主人公レントンとヒロインのダイアンの塗れ場で流れる曲で、ブロンディのカバー曲なんだけど、少ない音数でイントロから程よい高揚感があって、リフの部分で二人がベロチューし始めるのを目にして頭から離れなくなった
ラブシーンの曲って言ったらロマンチックでムードたっぷりなイメージあったし、エロい気分を盛り上げるような感じの曲ってほとんど知らなかったから20歳くらいのときにみて凄く衝撃的だったな
世間的にトレインスポッティングといえばアンダーワールドのボーン・スリッピーのイメージが強い気がするけど、こっちもすごく好き
フットルースより
https://youtu.be/_JjSC1r_zsM?si=oOQ3clIk8-g6OCwO
雑な説明だけど、ケビン・ベーコン演じる主人公レンがムシャクシャして憂さ晴らしみたいな感じで廃工場みたいな場所で怒りに任せて踊るシーンで流れる曲なんだけど
最初は曲に合わせて身体揺らす程度だったのが段々コンテンポラリーダンスよろしく動きが大きくなって、途中でトレーナー脱ぎ捨ててバタバタするわ
ラストに鉄棒で大車輪決めてフィニッシュでいやオリンピック出ろよってツッコミどころも多いシーンではあるんだけど、公開された年代とか考えるとそれくらいの大袈裟な感じが逆に持ち味な気もして好き
マンマ・ミーア!より
https://youtu.be/Do8oqR2TR1M?si=kKxwgwW9yz54C4BQ
マンマ・ミーア!はアバの楽曲で構成されたミュージカルが原作なんだけど
見進めて行く中で曲名知らなくても聞いたことある曲が絶対出てくるし、こういう内容歌ってたんだなーっていう発見もあってすごく楽しい映画だった
ダンシング・クイーンが披露されるシーンはものすごく雑に言うと、オバちゃんたちが大はしゃぎしながら歌って踊るっていう感じなんだけど
メリル・ストリープってプラダを着た悪魔のイメージあったからあんなはっちゃけた感じの演技もできるんだってギャップもあったし
「漠然とした恋愛の歌」とか「最大公約数的な現代社会の歌」とかよりもって意味な。
音楽って元々は何らかの物語を伝えるためのものだったわけじゃん?
クラシックとかの発展過程を考えていってもオペラだったり聖歌だったり、何らかの背景となる物語があってそこに曲を当てはめていく過程で発展していったわけでさ。
特にコレといったストーリーのない音楽っていうのが現代社会にしか存在しない異常事態な気がするんだよな。
でもなんか世の中が逆転していって、何らかの物語に沿わせるように作った曲が特別なタイアップソングという扱いになってるのが不思議だなーと。
オリンピックやサッカーの応援歌とかって延長線上としては軍歌とかと同じようなジャンルでさ、そのライン上にある何らかの儀式を鼓舞するための音楽とかが元々この世界で曲が奏でられていた理由というかさ。
映画にしろアニメにしろ大衆に知られ渡った共有の物語をより深く味わうための補助線として存在する音楽の方がよりプリミティブな音楽だよなーと。
あー結局、俺がいいたいのはそういうのが逆転して「ドラマのイメージソングってなんか音楽としての本来の姿じゃないよね。もっと自分たちの気持ちを素直に謳うのが音楽じゃん?」みたいな価値観が広がってるのが不思議だなってことね。