はてなキーワード: えびとは
高校生くらいのときから甲殻類アレルギーだったんだけど、最近はどうやら花粉症をきっかけに色々な食物アレルギーが起こり始めている。
とある立ち食いそばで天ぷらそばを食べたときだけ刺すような腹痛に見舞われるようになっておかしいなあ?で気がついた。
それから気をつけて食べてみると、カニ味噌やエビまるごとでも腹痛になることがわかった。
・貝の肝
・大豆
・メロン
口の中が痒すぎて死ぬかと思った。
ジュースがしゃばしゃばしてないせいか、色んな所に浸透して行く感じのかゆみで地獄。
もともとアレルギーなんて全然なかったのに年齢とともに少しずつ包囲網がきつくなってきてる感じが本当に嫌。
食べられるときに食べておいたほうがいいよ!
付き合って数ヶ月になる彼氏がいる。
遊んでる人とは知っていたが、最近本当に下品な遊びばかりしていたと知って驚いた。
クラブやチャラチャラしたバーで声をかけた女の子とワンナイト。
コリドーやえび横でナンパ。セフレ、セフレ、ワンナイト、ワンナイト、即、即。
世の中にそういう人種がいることは知っていたが、まさかこんな身近にいるとは思わずに驚いた。
彼の友人からは「彼とは長い付き合いだけど、これだけいつも一緒にいて、あちこち連れ回す女の子は増田だけだから、かなり大事にしてると思う」と以前言われたが、正直下品な遊び方すぎて、ドン引きしてしまった。
彼もその場にいたが、泥酔していた上(泥酔している時は大概記憶が無い。)に過去は過去とはっきり割り切るタイプなので、「あー!あの話しね!」と爆笑していた。
私は笑うことなんて全く出来ずに、思わずトイレにこもってしまった。
元々他人の感情の機微に疎いひとだと思っていたが、ここまでとは思わなかった。
今はそんな遊び方していないと言うし、本当にその素振りはないが(平日も週末もいつも一緒にいるので)もう素直な気持ちで彼のことを好きとは言い難い。
なんだかなあ。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。
もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、
「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。
赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、
「何なにした。」とききました。
みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。
「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。
「しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。
「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、
「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
すると嘉助がすぐ叫びました。
そうだっとみんなもおもったとき、にわかにうしろのほうで五郎が、
「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。
みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、
「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。
五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。
「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。
たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。
「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。
みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。
「二百十日で来たのだな。」
「靴くつはいでだたぞ。」
「服も着でだたぞ。」
「髪赤くておかしやづだったな。」
「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。
「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」
「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。
すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。
二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。
するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。
みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。
「前へならえ。」と号令をかけました。
みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。
「直れ。」先生がまた号令をかけました。
「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱げたばこのある入り口にはいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。
まもなくみんなははきものを下駄箱げたばこに入れて教室へはいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。
「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」
「わあ、おらの机代わってるぞ。」
「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」
「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」
そのとき先生がはいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんうしろで、
「礼。」と言いました。
みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。
「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。
「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんうしろからあまりさわぐものを一人ずつしかりました。
みんなはしんとなりました。
先生が言いました。
「みなさん、長い夏のお休みはおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」
すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、
「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。
ところが嘉助がすぐ、
「先生。」といってまた手をあげました。
「高田さん名はなんて言うべな。」
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。
先生はまた言いました。
「きょうはみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」
みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。
ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。
「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたからちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」
一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人おとなも扇を下にさげて立ちました。
「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。
すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。
「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。
「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。
「何ぶんどうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分は玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。
運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。
「先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。
「そうです。」
「なんの用で来たべ。」
「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」
「モリブデン何にするべな。」
「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」
「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。
「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。
「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。
風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。
次の日一郎はあのおかしな子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除のときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。
「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。
「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。
一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。
嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。
「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、
「お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。
それは返事をしないのではなくて、みんなは先生にはいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。
ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。
それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。
そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。
みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。
その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
すると嘉助が突然高く言いました。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」
「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます。
そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。
「お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。
みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています。
先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室へはいりました。そして礼がすむと先生は、
「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」
さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、
「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、
「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、
「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かにの化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。
すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。
すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、
「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。
先生は向こうで一年生の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんうしろでちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかわからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。
「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生
似たタームで「愛され」なら、まー、うーん??多少対象が広いと言えなくもないか?とは思うが、えびもえ時代の「モテ」はど直球に狙ってるターゲット層の男性にウケること、それ以上でもそれ以下でもないぞ。
ぼーっと見てたらまた増田書こうと思えたので自分用に書き出してきた
繰り返すが、もし仮にタイトルがちょっと面白そうであっても本文を検索するのはお勧めしない(投稿確認時に諦めていて投稿されてないかもしれない)
あとなんでこの人食べものの話ばっかしてるんでしょうね
アナログ選局ラジオを買ってしばらく経つがコミュニティFMがかかっている
イオンでこにく(🐔肩肉)がパックで売ってたので買ってきた
ウーバートーユ
くらえ420ルーメン
このタイミングなら聞ける! コーンフレークって「牛乳かけてもおいしい」ってあるけど
スキル分岐《人前でも個室トイレ(大)に入れる》を取得しました
その作品はネタ切れモチベゼロでもう書けないが、創作活動は同じ名前で続けたいとき
ただいま増田では淡水魚飼育やちくわ生食など魚に関する話題がホットです
ていうかミンティア過剰包装じゃね?
とうゆだいすき
ネトゲ内オークションで4,545,072ゴールドの値をつけたらリジェクトされた
ひなまつり向けのえび入りスナックが売ってる。去年買っておいしくなかったが残り3種ある
ヘイ増田UnityのC#エディタをVSCodeにする利点教えろ
また目薬どっか行った
ラジオを買ったのだが、オーケーグーグル再生ストップができないのでつらい
Rangeを表す変数名
エンジニア経験20年以上にして、今初めてプログラミングしかしないプログラマーに開発を依頼してる。
自分が悪いのだが、設計書の条件文のコピペミスによる仕様バグをそのまま実装してきてビックリ
「ごめん💦仕様バグだった」
と、伝えたら
「オカシイと思ってたんですよね」
だって…— えび@プログラマー (@ebiebi_pg) January 22, 2021
自分が悪いから何も言えないけど、
「僕達(プログラマー)は設計書の通りにしか作りません」
「設計書の記述ミスであっても仕様変更依頼下さい」
言われましたw
開発チームは同じ部署の人間なんで、もうちょっとフラットに行きたい💨— えび@プログラマー (@ebiebi_pg) January 22, 2021
デッサンや模写が面倒だけど人前に出しても上手と思わせられる絵が描きたい奴~~~!
絵馬が10年前の絵ビフォー・アフターやってるのを見て、「10年間この人は努力してたのに私は・・・」と
落ち込む奴~~~!!!
現時点落書きすら描かず増田やようつべで時間食いつぶしてる奴~~~!
全部俺だよ
そんな俺が絵の練習サボりまくりながらも、フォロワーから上手と言われる程度の
絵が描けている方法ここに書いていくぞ
絵は紹介できないが、雰囲気はメイドインアビスにちかいといわれている
・人が描いている工程を眺める
あれって描いている工程を記録してくれて、早送りで再生できたんだよ
それを眺めるだけ
そうすると「ここってそういうふうにアタリをとるのか」などの発見が出てくる
・下書きをしない
下手な人間が下書きしたところで下手は変わらない
まず頑張って全体を簡単な一本線で描く
顔ばっかり描くんじゃない
・手を描く
シンプルな絵で描く
落書き程度でいい
https://www.youtube.com/channel/UCsHPU3d5yjMvsYDX9ypLKJQ
本当だ
実際は彼に影響されている
さすがにこんなに早く一発書きはできないが笑
あと相談(絵が下手で憂鬱になる、人と見比べてしまうなど)に対して
真摯に向き合ってくれる上に、その回答が絵にとどまらずいろんな場面で
支えになる。
・洗脳
なぜかそうなっていくから
下手だ下手だと思うと本当にそうなるぞ
新型コロナウイルス感染症が猛威を奮っているさなかではあるけれど、これまでの人生で屈指の贅沢体験をしたので書いてみます。
まず、宝塚歌劇団雪組トップスター、望海風斗さんをご存知でしょうか。
妻がドはまりしている宝塚のなかでももっとも気に入っているスターのひとりでいま最もチケットがとれないと言われているスターです。その望海風斗さんの退団公演が今年の1月1日(正月!)からはじまっているのですが、退団公演ということもあって、ファンクラブに入会している方でもチケットをとるのに難儀しているそうです。妻もチケットをとろうとさまざまな経路で応募したり模索したなかで唯一、だめもとで応募していた旅行会社の宿泊プランとセットが2席分とれたというところから今回のはなしがはじまります。
うちには0歳児がいるので最初は自分が家で面倒をみて友達と行くのだとばかり思っていたけれどチャイルドルームに預けられるからということで一緒に行くことにしました。自分よりも強く観たいと思っているファンにも取れない人がいると思うと申し訳なさを感じつつも当代随一のスターの舞台を観る最初で最後のチャンスという思いです。
自分は大劇場は観劇するのは初めてですが(観劇する妻に同行してロビーで本を読んで時間をつぶしたことはある)、よくよく聞いてみるとこれがなんとSS席でかつ、セットになっている宿泊というのも帝国ホテル大阪。
帝国ホテルといえば、日本でもっとも格式の高いホテルのひとつ。一度、東京で間に合わせで日比谷の帝国ホテルのロビーにいたときはその異常な空間ぷりその場にいる人間の立ち居振る舞いから階層の違いを実感したのを憶えています
ちなみに、大阪帝国ホテルはまったく別で道頓堀そばのビジネスホテルなのでご注意ください。大阪帝国とは・・・。
そんなこんなで観た雪組公演「fff フォルティッシッシモ」はなかなかよい作品でした。
ストーリーは、音楽家ベートーヴェンは失恋や孤独、失聴に苦しみつつも、なぜ交響曲9番歓喜をつくることができたのか、というもの。そんなに構えずに観に行ったんだけれど、とてもよい人間賛歌でした。ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、これは演劇でしか表現できないだろうという仕掛けがいくつかあっておもしろい。あるシーンでの2人のセリフは、Linuxをつくり世界を変えたリーナス・トーバルズの「それがぼくには楽しかったから」を彷彿とさせました。
シルクロードをテーマとしたレビュー(宝塚では、ストーリーの演目と合わせてストーリーがほぼないレビューと呼ばれるショーが上演されるのが定番なのです)は音楽提供を菅野よう子がつとめなかなか見ごたえ聞きごたえがある。これは、チャイナドレスのシーンがインパクトがあってすごかったのとグレーのサテン地の変わったスーツがかっこよかった。
そしてSS席ということで席が前から一桁列目。めちゃめちゃ近い。出演者をほんと間近にみることができてDVDでは気付けなかった衣擦れ音や舞台後方でのざわめき、スポットライトにゆれるミスト、また月並みだけれど息遣いまでも感じることができました。銀橋(という観客席に一番近い細い舞台)を通る出演者のライトを受けてきらめく装飾の細かさや顔の小ささなど、観劇に際して得る情報量がDVDとは桁違いです。ただ、近すぎるからか音響の問題か、声が逆に聞き取りにくいシーンもありましたが。
あと、近くのSS席の観客が何度か同じタイミングでサッとオペラグラスをとりだしたり、拍手タイミングがわからなかったり、幕間に泣いている方がいらっしゃたりと普通じゃない感がありました。
緊急事態宣言下でどうなるかはわかりませんが本公演については2月8日(月)に楽天TVでLIVE配信があるので興味があればご覧ください。
https://tv.rakuten.co.jp/content/366230/
そんな観劇中、我が子は4時間4千円で預かってもらったチャイルドルームにて機嫌よく過ごしていたとのことで安心。駐車場からも劇場からも近くたいへん便利です。しゅっとピックアップして、桜ノ宮の帝国ホテル大阪へ。
観劇後の夕食については0歳児がいる上に、新型コロナウイルスもあって外には食べに行けないので悩んだのですが、せっかく帝国ホテルに行くということとSS席で気も大きくなっているところ張り込みました。
ホテルには前首相の桜の会で話題になったあの久兵衛があるので握りをテイクアウトして部屋で食べようかと思ったのですが、参照していたネット上のメニューが古く握りの持ち帰りはしていないとのこと、さらに、一つしかない個室があいているとのことでここを予約。個室は最低でも16,500円(サービス料別)の握りのコースからということでしたが子がこれから動き回るようになると行けるお店も相当に限られるだろうことから自分を納得させて決行。
これは最高でした・・・。四畳半ほどの掘り炬燵で子がいても気にせず食べることができました。
特に、見た目も美しいさより、吸いつくようなすみいか、未知の味がした寒ブリ、直球のうに、味がする甘鯛(?)、ほっとするような煮はまぐり、異様な旨さのある大トロの炙り、謎のねっとりとした半生のえび、端正なカツオ、箸休めのダイコン、塩味の穴子もたれの穴子も充実。かっぱ巻きと鉄火巻もよい。
大阪府の要請で21時閉店とのことでややせわしなかったのですが、濃い時間でした。。ビールも日本酒もよい。
うっかり持ち帰りの太巻も頼んでしまってお会計は45000円を越えてしまいました。2人で食べに行ってのぶっちぎりの新記録です(次点は入籍した日に訪れたイタリアンで9000円のコースを頼んだものの妻がワインを飲みまくって3.3万円となった日でしたがこれは3-4時間くらいいたので時間別では圧倒的)。
さらに最後までお店にいたことで板前さんに家族写真も撮っていただけました。
ここの撮影の合図はめちゃめちゃ笑えます。久兵衛経験者の一部しか知らないだろうので心の中にしまっておきます。
そして泊まった帝国ホテル。チェックインして部屋に荷物をおいてすぐ久兵衛にいったのでよくみれなかったけれど、部屋もよいしフロントの方の対応もさりげなく素敵で気持ち良い。
頼んでいたベビーベッドもテレビの前に鎮座されているし布団もしっかりしていてよい。
お風呂も熱くて広くてよかった。妻は買ってきたビールを4缶ほどあけてご機嫌。
自分は泊まるところどこでもよいと思っていたけれど、ハイブランドなホテルはちょっと違う。分不相応感の居心地の悪さはありますが。
ちなみに、ホテルの案内で知ったけれど、ルームサービスでコース料理5,600円、久兵衛のにぎりも7,300円からあるので(それぞれサービス料が+10%)、なにかハレの日にコロナの影響を避けて非日常を過ごすのによいかもしれません。
朝食は11時まで、事前にお願いすれば部屋に運んでもらうことも可能だったけれど、混んでそうな時間をさけて10時半ごろにいきました。ゆっくりできて便利。オムレツが火入れも完璧なうえにケチャップが別添えなのが高得点です。ただ、パンとコーヒーは凡庸な印象。あとあと、すらっとしたカトラリーがよかったので調べると燕市のトーダイさんとのこと。チェックアウトも12時だったのでゆっくり過ごせました。
宝塚と帝国ホテルのセット券は妻のポケットマネーから支出されており、金額は教えてもらえていませんが24時間で異常な額のお金を使ってしまいました。ただ、充実した時間でした。新型コロナウイルス感染症と戦っている医療現場、行政のみなさま、経営や生活に大きな影響を受けている観光や小売りや関係産業の方々には悪いと思いつつの消費です。これが今年の贅沢納めかもしれません。しかし寿司がうまかった・・・。
ふわっと やわらかえび味 🦐
思い知っちゃったね。
魚自体は好きなんだけどもっとこう焼き魚とか天ぷらとかのほうが好き。
上司と回転寿司にいったときにえびアボカドとか頼んでると「遠慮せずにトロとか食っていいんだぞ」っていわれるし、
友人と回転寿司いっても「おい しみったれたもんばっか食うなよ」と言われる。
好きで食ってるのに。
回転寿司にいって生魚食わないと許されない雰囲気がある。いや、あった。
だからしばらく回転寿司なんて行かずにスーパーで納豆巻きの寿司パックとかばっか買って家で食べてた。納豆巻おいしいよね。
かっぱ寿司で何を食べるか。
圧倒的サラダ軍艦しかないとおもうんだけど、そればっか食べることはどうも許されないらしい。(調べたところ長野はサラダ軍艦大量消費が認められているらしい、長野に転職すっかなぁ…)
昨日は15時頃まで家で作業に没頭していてつい昼食を取り忘れた。
「晩飯まで待つのはつらいな…」と思いつつ今の時間なら回転寿司がめちゃくちゃ空いているのでは?回転寿司なら食う量を調節できるのでは?と考え、近場のかっぱ寿司にいく。
まぁ結構人が入ってたんだけど、待つこともなく着席できた。
いいのか?いま俺を止めるものは誰もいないぞ?
サラダ軍艦5皿に納豆巻き3皿、わさびナス3皿、えびアボカド1皿をいきなり注文にぶち込んだ。
前半は夫が増田の分まで食べる件、後半はち○ち○について。
まず、夫はいくら稼いでも自分で追加を頼むことはない。夫は「人のもの」を半分以上食べて支配欲を満たしている。それを仕事と今の家庭両方で満たせてないから食卓で発散している。
普段の生活でも、増田の気づかないところでしている。物や体で増田のスペース占拠したり、言葉や行動量で増田の負担になる場面まで圧倒したり。
それはデリカシーが無いんじゃなくて、増田がストレスのはけ口なだけ。増田の領域を知りながら侵すことで彼は満たしている。
それは夫自身も無意識で悪気は全くない。夫にとっては、自分が多くて人が少ないのが自然。無意識なので、増田が出来ることはあまり無い。
できることは、夫の前で笑うこと、夫の「食事」を知ること、他人に話すこと。食事は、増田以外との食事情を聞くといい。増田がいない場面との比較が出来れば、溜飲は多少下がる。
友達や仕事の付き合いとの食事でも半分以上シェア奪うのか。結婚前(特に幼少期)は、家族とはどんな食卓を囲んでたのか。その頃から当たり前に人のものを半分以上食ってたのか。どんな食事形態で、どれくらい食べてたのか、どんな会話してたのか。
「なんで私がそこまでしなきゃ」は当然。無理せず気になったときになんとなく、ゆっくり。
カサンドラ症候群を調べて。
以下、ち○ち○について。
気持ち良さには二種類ある。感情的と物理的。「大きくて気持ちいい」は物理的な快感。増田が「書いた通り」だと、夫のその大きさを何度も指摘していることから、増田の快感=物理的>>>感情的となる。
しかしそこには大きな矛盾点が見られる。それは、本文でち○ち○についての記述が一切なかったにも関わらず、返信でそれを何度も記述した点。
増田は、返信欄でち○ち○のサイズを配偶者の選別指標、主たる理由と書いたにも関わらず、本文にそれを書かなかった。このことから増田が夫を選んだ際、それだけが理由ではなかったことが分かる。
また本文で「最初のデートから半分以上食べていた」「えびフライのしっぽも言い方次第で許す」とある。ことから増田は、普段から物理的な公平性以上に相手の感情を尊重しており、感情優位であることが分かる。決して生粋のち○ち○好きなどではない。
増田は過大なそれが好きだが、夫を好きになったからこそ、その大きさを愛している。
文字数全体の意義素からも、増田が人に対して最も価値を感じているのは感情であり、あれのサイズは付帯価値であることが分かる。
にも関わらず、返信欄で「サイズが大きかったから選んだ」と何度も断言した。そうしてこの考えに固執して幾重にも本心を覆い、さらに問題を深化させている。
今まで夫を愛し、満たされていた。
それが感情という水で満たされていた池が枯渇していく過程で、杭というち○ち○が表出した状態だと考えられる。
つまり、増田の快感=感情的>>>物理的が適切と考えられる。この増田は、全く異なる2つの考え方を抱えて生きている。
今後、愛情がマイナス値になると、その過大性(物理)までも嫌疑する可能性が極めて高い。
そして増田文章から、それがまさに現在進行形であることが危惧される。
「それが半分以上欲しいんじゃなくて、夫が半分以上欲しい。」そう聞こえた。
それで人間。
頑張るな増田^^
追記2を書いたよ。
旦那はファミレスやカフェ、コンビニ等で、2人で1つとして頼んだ物を何も言わず半分以上食べます。とてもムカつきます。
たった今も、ファミレスでピザを1枚頼んで10当分にカットしたものを勝手に7枚食べていました。
私がスマホを見ながら1枚目をだらだら食べている間に残りは3枚になっており、その時点でイラッとして皿を私の方に引き寄せたが、なんとも思っていない様にもう1枚食いよった。
ドライブ中(基本的に私が運転)に食べるマックの5個入りナゲットもそうだ。運転しながら旦那に食べさせて貰うのだが、旦那はまず自分が2個丸々食べ、3目以降は半分を旦那が食べた後、残りの半分を私にあげる。(私に半分あげた後、旦那が半分食べる時もある)
どっちにしろ旦那はナゲットを3.5/5個食べていることになる。
また1例追加。今私が増田を書いている間に3つあった唐揚げが残り1つになっている。
これは決して、私がスマホを見ながら食べ物に興味無さそうにしている時だけではない。私がガツガツ食べている時も結局超早食いの旦那に負けてしまうのだ。私は少食ではないし、なんなら量は旦那よりも食べる。時間はかかるけども。
初めてのデートの時からずっとそうなので、分け合う感覚が元々ない人だと思う。
今までちょいちょい「私も半分食べたい」と主張してきたが、何も言わなければ毎回コレなので今は言うのを諦める事が多いけど、やっぱりイライラする。
体重は旦那の方が2倍以上重いので、旦那の方が多く食べるという道理も分かるが、たまの外食の時くらいは気を使ってよと思う。私も美味しいものいっぱい食べたいんだ。
私がイライラして「なんで半分以上食べたの」と言うと、「なんでそんなことでイライラするの?足りなかったら追加で頼めばいいじゃん」と言われます。
食べる量にもムカつくけど、貴様のその気を使わない態度にイライラしとるんだと思うし、なら好きなだけ追加注文出来るくらい稼いでこいと思う。
あともう1つエピソード追加。前に回転寿司でえび天ロール(3つにカットされてる)を旦那が頼んだ時に、「これ食べていいよ!」と差し出してきたのが3つのうちしっぽが含まれた部分だった。
旦那はえびのしっぽを食べない。私は嫌いじゃないが大好き!って訳でもない。
これがもし、「しっぽの部分食べてくれない?」だったら喜んで食べただろうが、「食べていいよ!」って言い方で差し出す代物では無いだろう。
もちろんエビのしっぽが好物の方に喧嘩売ってる訳では無い。あくまで私にとってはという話だ。
きっとここまで飲んでくれたハテナの皆は私のことを面倒くさいヤツと思ったかもしれない。
私も書きながらそう思ったが、こういうちょっとしたことがちょこちょこ続くと、結構精神がえぐられるのだ。
オチはありません。
追記1
伝票別にしたらいいというブコメがありますが、旦那は自営業でコロナの影響もあり月10万くらいしか稼ぎがないので、給料高い方の私(と言っても30万くらい)がそれを言い出すとモラハラ?みたいになりません?
それに夫婦なので、稼ぎによって片方はいっぱい食べれて片方は貧乏メシみたいになったらそっちの方が嫌なので。
本人に言えば良いと言うのも、何回か言ってキレられた経験があるのでなかなか言う気になれません。まあ言い方も悪かったのかな。
追記書いてても思ったけど、私って面倒くさいですね。まあ愚痴くらいは好きに書かせてください。
追加2
ブコメでご指摘の通り、最初で取り分けてしまうのが1番いい方法だと思います。私も毎回きっちり半分食べたい訳ではないので、これは絶対半分食べたい!ってやつは取り分けようと思います!
ただ兄弟とか女友達と食事に行く時は、皆当たり前のようにシェアできていて、私もそれが当たり前だと思っていたので、そのギャップが苦しいのだと思います。
はい、面倒くさいですね笑
それから何故結婚したの?という質問に対してですが、それはもちろんいい所もいっぱいあるからです!
例えば私の好きなスイーツ等を買ってきてくれる所とか(そのスイーツも旦那が自分で食べちゃう時もありますが)、そういう私を喜ばせたい!みたいな気持ちは強めの人なのです。
気持ちがある時点で最終的に食べれたか食べれなかったかは問題ではないのです。
あとは私をいっぱい笑わせてくれる面白い人でもあります。ノロケですね。
それからトラバの食べ尽くしちゃう側の方の意見を聞いて、少し旦那に優しくなろうとも思いました。こればかりはどうしようもなさそうなので。