はてなキーワード: 飲み会とは
Twitterでバズっているのか何度もタイムラインで見かけたし、それについて言及している人をたくさん見てなんか嫌な気持ちになったのを文章にして消化するだけです。あくまでも自分のため。おそらくここで日記を書くのは最初で最後です。
年齢なんて関係ない!
いや確かにそうなんだよな…推し、推しカプへの愛に年齢なんて関係ないもん。ただ、それと人間関係は別なんだよなぁ…。
今21歳でとある少年漫画ジャンルの二次創作をしてます。字書きです。ジャンル的にはそりゃまぁ、学生から20代いっても30代前半かな?みたいな感じがするんだけど、私が創作しているカップリングはそこら辺と比べると年齢層が高い。字書きの方が年齢層高いなと言うのは差し引いても。とはいってもアラフィフとかではなさそうなんだけどね。30代後半とか?40代かな?めちゃくちゃ失礼とは存じますが少しだけ推測させて頂きました。
お母さん業をバリバリしながらめちゃくちゃすっごい作品上げてたり元気だなぁって、自分が筆が遅いぶん余計に思うんですけど…。
私と同い年ぐらいの人がいないわけじゃないんです。でも多分私より年下はいない。ROM専アカウントのプロフに書いてある年齢だと年下がいたりするんだけど、創作活動してる人にはまじでいない。
絵描きさんにはたまにいるけど、けどやっぱり話す量って字書きは字書きの方が多くなるじゃないですか。絵描きだから字書きだから、というのじゃなくて、脳の回路的に話しやすいみたいなのとか、感想の言いやすさとか。絵描きと字書きが話さないって話ではないので悪しからず。仲良い絵描きさんもいるので。
だから年下がいない、今のところ同い年も見つけてない。18歳以下お断りなのもあるけど、にしてもね?
なんかそうなると、めちゃくちゃ疎外感を感じるんですよね…すっごい交流盛んな界隈なので(あと人数が少ないのもあって)クソガキとか思われてるんじゃないかって。
そういうふうに薄ら思ってるから今回のお話で、結構な割合で「肝に銘じる」とか「気をつけよ〜」とか、そういうツイートが流れてくるともうお腹が痛くて痛くて。
単純に解釈して、自分も気をつけよう老害にならないように〜ってことじゃん、曲解した私から見たらお前気をつけろよ!に見えて仕方なくて!
いや、気持ち悪いなそんなにお前のこと思ってないぞどうでもいいぞ、って言うのは分かるんだけど…
何って、寂しいんですよ。いや、今こんな世の中でオフ会とかをしている場合ではないから、元の話とはちょっと違うかもだけど、まぁその分リモート飲み会とか多いから…。
寂しい。年齢で区切るのを当たり前みたいに周りが言うのが。
元ネタ、どう考えても単純に空気読めてないだけで、普通に誘われたら行くし、たまには誘うし、みたいな感じになれなかったのかな。それをなんで年齢だけのせいにするんだろ…年齢も一つの理由なだけなのに。
そこだけが一番スポットライトを浴びてて、そこにだけ言及してて、なんかなぁ〜って思いました。私も気をつけよう。
この件に関して、あくまでもアラフィフが〜が前提なあたり私がなんか言ったらおかしいからな…気を使われた?みたいにも思われたくないし…もうどうしようもないからこれ書きました。
勢いだけで書きなぐったからめちゃくちゃだろうな見直さないけど。
もやもやした割に内容が薄かったな。
その先輩のFB見たらまだやってて(今はネットワークビジネスじゃなくて
MLMマルチレベルマーケティングって言うんだって)、
頻繁に億万長者を囲んで飲み会とかやってるみたい。
んで、嬉々としてその写真アップしてたりして。
メンツ見ると冴えないおっさんだったり陰キャっぽい女の子だったり。
まあその辺の人たちについては、いつか不労所得で暮らせるといいね~
そこまでCPやキャラ人気が強いわけではないので界隈の人数は少なめな感じ。
私も拙いながらも字書きとして活動していて、たまに絵も描いたりしていた。尊敬するフォロワさん達に出来るだけ小説や絵を見てもらいたい気持ちでとにかく書いていた。(今も書くけど)
尊敬するフォロワさん達にはよくいいねrtしたり、リプしたりする。さぎょいぷもお邪魔させてもらったりと正直他の人よりもよく話をしていると思っている。
でも自分だけがフォロワさん達の交流に馴染むことができないように感じる。
例えばイベント後のアフターとかは企画が表立って出てくると自分も参加させてもらうが、いつの間にかDMとか水面下での少人数での計画がされていて帰った後にアフター飲み会の写真がアップされていたりしてすごく悲しい思いをする事がある。
他にも旅行計画が密かに立てられたりしてて、Twitterの写真でみんな今日旅行に行ってるんだなと羨ましくて寂しくなる事がある。
自分だけがそういった計画に誘われない。自分だって尊敬するフォロワさんと仲良くしたい。
自分から誘いに行けばいいのかもしれないけどいつもそういう水面下で計画が組まれている会に誘われないあたり断られる可能性が怖くてお誘いできない。
というか水面下で計画を組むくらいならTwitterでその会の写真や報告をUPしないでほしい。水面下で写真や思い出を共有すればいいじゃないか。
誘われない側の気持ちも考えて欲しい。
そんな風に思っちゃいけないのにそんな呪詛ばかり唱えてしまう。そんな自分も悲しくなる。
一体どうすれば尊敬するフォロワさん達と仲良くできるんだろう。絵も文もそんなに書くわけじゃないし頻繁にイプもリプライもするわけじゃないあのフォロワさんはどうして仲良く出来るんだろう。
趣味でつながってる仲間に年齢差はない、みたいなこというの、ほんとやめてほしい。
それを信じていたせいで、ずっとイタイおばはんになってるのに気付かなかった。
私はアラフィフ、ハッキリ書くと54歳で、もう紛れもないババア。
30代40代のコが卑下してババアとかいうのとは違う、正真正銘、タテヨコ斜め前後左右どこから見ても完全なババアなんだけど、ちょっと前まで、20代30代の趣味を同じくする若い女の子達といっしょにごはんとか食べたりしてた。自分から誘うこともあったし、グループLINEとかで参加を呼びかけてる飲み会とかイベント後の打ち上げに参加することもあった。
参加の方はまだしも、自分から若いコ誘うなんてイタイよねって今ならわかる。
でも去年くらいまで気付かなかったんだよね…。
趣味は、少年漫画の二次創作。ジャンプ系の漫画やアニメの二次小説とか漫画とかを書いて、pixivに投稿したりコミケとか赤ブー主催とかのイベントに参加してる、そういうつながり。
で、私はわりと熱しやすいタイプなので好きなジャンルってその時々で変わるから、変わるたびにあたらしい知り合いができる。それでオフ会になったりする。しかしここ最近はそこで出会う人達がみんな自分よりはるかに若い。あたりまえだけど。
さすがに本出したりするのはお金がかかるので10代とかはいないんだけど、だいたいどのジャンル行っても20代30代が全体の7割以上。
でも私は去年くらいまでそういうのあんまり気にしてなくて、若い人達とも充分楽しんで話せてるって思ってた。
そんな意識だからそういう中で知り合う40代後半とかの人が「若い人だけじゃなくてよかった~」とか「高齢者オフしましょうw」とか言うの「なんで? 趣味つながりだし、年関係ないじゃん」と思ってて、もっというと「年齢にこだわるのって日本人の悪いクセだよなー」とか思ってた。すごいよねこの『自分は若いコとうまくコミュニケーションとれてる』というナゾの自信。
あー、あの頃の自分に会えるなら、肩揺さぶって「気付よそんなの勘違いだって事をよ!」と言いますよ…。
で、最近なんでそれに気付いたのかっていうと、それは実にシンプルで、誘っても誘っても断られることが増えたからなんですね。
美味しいお店見つけて写真をTwitterにupすると「わー美味しそうですねー」とかお愛想リプがくるじゃないですか(コロナ前の話です)。そういうのにたいして「あ、じゃあ今度いっしょにいこうよ~」とか返すと、たいてい「わー、ぜひ~、今仕事が立て込んでるので空いたらお声かけますね」とか「今原稿中なので今度かならず…!」とか「お給料日前なので…残念ですが次回に~」とか、礼儀正しく断られる。同じ人のこともあるし、全然ちがうグループのこともある。ともかく誘いに乗ってくれなくなることがすんごく増えて、ようやくそこで「アレ…?」って振り返ることができたわけです。
そういえばある話題について話してて、私が最後の言葉で終わることが多かったな(ちょっとずれたことを言って場がしーんとなった)とか、バブルの話をしてしらけたことあったなとか、そういう感じ。
あと、当然なんだけど、50代なので多少蓄えもあるし給料も20代30代よりは多い。そういう金銭感覚のズレも合ったかもと思う。いやあった。例えば、新幹線で移動するときの話で自由席がめっちゃ混んでて長時間立っての移動はツライ、って話になったときに「そういうときグリーン車だと空いてることあるよ」とか、「今度推しの車と同じの買おうと思うの~!」とか、そういうつもりはなかったけど、マウント臭のあるウザサっていうんでしょうか、そういうのやってた。
あと今思えば、メイクとかファッションとかダイエットとかの話題にもぐいぐい入り込んで「わかるわかる~ソレ悩むよね~」みたいな共感おしゃべりしてたのもたいそうイタかったと思う。何十歳も上のオバサンに共感されても…ですよね…ほんとすみません。
ほんとにほんとに趣味だけの話ならもしかして年齢関係ないと言えるのかもしれないけど、そんなオフ会ってそうそうないよね。
特に回数重ねて会うようになると、気心も知れてきて、雑談も増える。
趣味だけの話にしても、こっちは年取ってるから昔はね~みたいな昔ガタリしちゃっててうざかったと思う。私の趣味で言うと、「晴海の頃はね~」みたいなやつ。どうでもいいですよねそんな昔の話。「へ~そうだったんですね~」とか言うしかないですよね。いまならわかる。すまん。
それでも「いや、私はうまく話せてるよ」と思うおばさんがいたら、そのひとには、若い方があなたに合わせてるだけなんだよということを言いたいです。
そもそもですね。私、自分自身が年上の女性と話すのは苦手で、年下ならいくら下でも話しやすいのになーなんてこと思ってたんですよね…。ザ・ブーメラン。そりゃそうだよね、みんな自分のこと気遣ってくれてるんだもん。男の上司が若い女の部下と飲みに行きたいのと構図まったく同じだったんですよ。
でも言えないよね。おばさん、参加遠慮してよ、とか、もうちょっと聞き役に徹してよ、なんて、いえるわけない。みんなイタイなーと思いながらも、私の話すことに相槌うったり笑ったりしてくれてたんですよ。だから気づけなかった…。部下とごはん食べたがるダメ上司の心理、こういう感じだったんだなー…。
あとね、Twitterで絡んでくれるからって勘違いしちゃだめ、というのも言いたい。
『Twitterで敬遠するほどには嫌われてない』。それだけのことなんです。オンラインでやりとりする程度なら問題無い、でもわざわざ会って話したいわけじゃない、そういうこと。
3月以降、コロナ禍でオフ会自体が開かれてないんだけど、コロナ落ち着いたらまた開かれるようになるじゃないですか。
そのときちゃんと遠慮して不参加を貫く私をみてほしい、今はそんな気持ちです。
それと、ほんとに都合が悪いだけなんだと思って、断られても断られても重ねて誘ってしまった数人には、断らせる面倒をかけてほんとにすまなかったと思います。ゆるしてください。
ちょっと大げさかもしれないし、あくまでうちら夫婦に限った話かもしれないけど、割と目からウロコな話だったので聞いてくれ。
結論を先に書くと、「してもいい?」という言葉を「したい」に変えたということ。
同じと思うかもしれないけど、結婚して10年、前者はいつも使っていたけど、後者を使うことは多分一度もなかった。
その歪みが積もり積もって夫婦の関係を冷ややかなものにしてしまっていた。
なぜ「してもいい?」という言葉を使っていたのかと言われれば、夫婦とは二人いて初めて意味のあるもので、何かしらの決定は常にお互いの承諾が必要だと考えていたからだ。
おそらく、その考え自体は間違ってないと思う。
しかし、その承諾を得る方法として、自分が選んだのは「してもいい?」という問いかけだった。
この言葉は、一見自分の要望を丁寧に伝えているだけの言葉とも取れる。少なくとも自分はそのつもりで使い続けていた。
ところが、この言葉にはうっかり見落としてしまうような落とし穴があった。
それは、自分の要望に対する責任を相手に依存してしまっているという点だ。
例えば、「今日の帰りに飲み会に行ってもいい?」と聞くとする。
少し難しい話をすると、これに対して「いいよ」と答えれば、それは”承諾”だけではなく”許可”が行われたことになる。
同じと感じるかもしれないが、大きな違いとして承諾ではなく許可をした以上は、飲み会に行っことに不満を持つわけにはいかないし、後になって飲み会に行ったことを咎められれば、聞いた側も「許可を得たのにどうして?」となってしまう違いがある。
さらに言えば、許可を求められた側は断ることに対してほんの少しの罪悪感を消費する。(もちろん相手が思いやりのある人だという前提で。)
このほんの少しの罪悪感が、10年も経てば積もり積もって離婚の原因となるほどの大きな歪みに十分なり得るのだ。
それならば、これが「今日の帰り飲み会に行きたい」という投げかけになればどうだろう。
そこには返答に対する責任は存在せず、行きたければいけ、その代わりどうなっても自分で責任を持てよということになる。
ここに一方的な依存はなく、たとえ嫌な反応を示そうとも、それは素直な感情の表現でしかなく、罪悪感の歪みが生じることもない。
それどころか、受け入れれば相手に対してもポジティブな貸しをつくることもできるのだ。(もちろん自分が身勝手ではないとした上で。)
つまり、「してもいい?」の問いかけは受け入れて当然、断れば罪悪感が残り、「したい」という問いかけは、断ろうが勝手、受け入れれば相手への貸しを一つ作ることができるという大きな違いがあるのだ。
同じ承諾をするにしても、片やリスク、片やメリットがあるという大きな隔たりがそこにはあった。
これは承諾を得る側にも言える。
「してもいい?」という問いかけは比較的リスクが低く断られてもダメージが少ない一方で、「したい」という問いかけは一方的な要望を押し付けることになるので、承諾を得られたときに相応の報酬を与えなければならない。
つまり、ある意味では相手の良心の呵責に問いかけるようなずるい言い回しとも言えるのだ。
しかし、夫婦間での歪みはすでに危険なレベルにまで達していたのは事実だ。
こうしたやり取りを繰り返していくうちに、妻は断る自分ばかりが罪悪感を感じていることに馬鹿らしさを感じるようになった。
その結果、妻はこちらからの提案に対して、冷たくそっけなく返事をするようになる。
それに対して自分の受け取り方はこうだ。
こちらは相手の顔色を伺って平身低頭お願いをしているのに、それを聞こうともせず冷たくあしらうとはどういうことだ。
事実、こうしたいらだちがお互いに溜まりに溜まって、結婚10年目にしてはじめて食卓がひっくり返るような喧嘩をした。
その後一週間、子供の前以外では全く口を聞くことすらなかった。
昨日今日始まったことではない問題の根深さは理解していたので、もしかするとこのまま決別ということもあり得るかもしれないと、割と本気で考えるほどだった。
気軽に言っているわけではない。今までさんざんお土産を買ったり、喜ぶようなことをしたり、事あるごとにありがとうと言葉を返したり、できる先回りして家事をやっつけたりと手を変え品を変え関係改善に努めてきたつもりだったのに、その結果がこうなのだからもう改善の余地はないのではないかという絶望すら感じていた。
しかし、今回こうして感情的にお互いの気持をぶつけてみて、現状に対する認識に対してズレがあると感じたのも事実だ。
ならばそのズレの原因、認知の歪みはどうして発生してしまったのだろうか。
そんなことを口を利かない一週間の間にずっと考えてみた。
実を言うと、先日話題になった依存症の漫画を読んだことが一番のきっかけだったのだけど、そこで改めて”Iメッセージ”とは何かを考えたときに、自分の使っていた「してもいい?」は、実は”Iメッセージ”ではなかったのではないかという疑問に行き着いた結果、言い回しを変えてみたらどうだろうということになった。
発信は確かに”I”にあるのだが、決済責任が”I”にはない、あっても希薄だということに気づいたのだ。
それならば、ストレートに要望を伝える言葉を選んでみたらどうだろう。
最初は、これすらも冷たくあしらわれたらどうしようと不安だったけど、いざ「~したい」と、自分の要望を言い切りで伝えてみたところ、妻は一瞬はっとしたような顔をしてからむしろとても嬉しそうに快諾してくれた。
なんだ。こんな簡単なことだったのか。
そう思うと、ほっとしたのと同時に、久しぶりの妻の笑顔が見られたことが嬉しくて涙が止まらなくなってしまった。
まともに喋れる状況ではなかったけど、そこではじめて妻に謝ることが出来た。
「今までごめん。多分、僕の要望の伝え方はずるかったよね。窮屈な思いをさせてごめんね。」
多分、そんなようなことを言葉になるかならないかギリギリのところで話をしたと思う。
恐る恐る妻の顔を見ると、微笑みつつも瞳から大粒の涙をこぼしながら突然強く抱きしめてきた。
実は、妻からもそうしたストレートな要望を聞いたことがなかった。
それも妻の遠慮がちな性格がそうさせていたのだと思うと、妻にもつらい思いをさせていたのだろうと悔やんだ。
これからはお互いを信用して、自分の要望に対して素直に相手に伝えあえるようになろう。
そんな提案をすると、妻はとてもうれしそうに、恥ずかしそうにうなずいた。
ここからは確証がもてないのだけど、おそらく、どちらかに偏ってしまったことに問題があったのだと思う。
自分の素直な要望は素直に伝えるべきだし、もしかして相手を傷つけてしまうかもしれないようなことは「~してもいい?」と相手の考えを口にできるきっかけを作り出すことが必要なのだと思う。
あんまり上手に説明できてないかもしれないけど、もしどちらかに偏ることで大切にしたい人との距離感がギクシャクしてしまっている人がいるなら、何かの足しになればと思い文字を起こしてみました。
大学時代の友人たちとの飲み会の席で「海外と違って日本のwebサービス関連企業はパッとしたところがないね」という話題の中での発言だった
その後その場ではてなについて誰かが何か言うこともなく、いつものように馬鹿話をしながら飲み会は遅くまで続いた
それから数年後、勤務先企業の旧態依然とした経営方針や無能な経営陣に嫌気が差した私は転職活動をはじめていた
色々な企業の情報を集める中で、不意に友人の呟きが脳内に蘇った「はてなはgoogleだよ…か」
そして私ははてなに転職し、そして1年ほどしてはてなを退職した
はてなへの転職は自分自身が決断したことだとはいえ、友人の台詞が一因であることは間違いない
私はその年の年末、大学の友人たちで集まった忘年会の席上で友人にその発言の真意を問い質した
「かなり前の話だけどさ、“はてなはgoogleだ”って言ってたよな 実際勤務してみたら全然違ったんだけどどういうことだよ」
「もう辞めるけどな でもどこがgoogleなんだよ お前のせいで酷い目にあったんだぞこっちは」
私がそう問い詰めると友人は爆笑した
「googleって言ったんじゃねーよ ぐう狂だよぐう狂 はてなはぐうの音も出ないほど狂ってるっていう意味」
友人のこんなくだらない発言のせいで私のキャリアは狂ってしまったのかと思いながらその日は浴びるように酒を呑んだ
呑んでも呑んでもなぜか全く酔わなかった
西日本豪雨があったとき政治家が無視して飲み会していたというひどい奴だ
外交で成果を出したいと先走り結果ロシアに領土を献上したことを知らんのか
何百億かけて配布されたアベノマスクを知らんのか?
総理が違えば違うはず
おお、みんなありがとう。
うちのオフィスはフタ付きドリンク以外の飲食物は持ち込みNGなんだ。(飴ガムは可)
音さえ小さくできればそれでいいんだがなー、血糖値制御だけじゃダメっぽいし固形物食うしかないよね。
というか、イジられて強迫症気味になってるだけだから、対策すべきはメンタルか?
-----
お腹が空くと物凄い音と頻度で腹が鳴って、静かなオフィスに響き渡るのが恥ずかしくて悩んでる。
MTGなんかでそれが起こると上司に自己管理がなってないと注意されたりもする。この前なんか飲み会でイジられた。
周囲の人も時折お腹を鳴らしてるが、頻度少ないし音が小さい。なんでだろう。
最近は息を止めたりトイレの個室でおからクッキーを食べたりしてやり過ごしてるが、ストレスになってきた。
大卒で、ぜってぇ高卒のコミュ力には、勝てねーって思いながら、
浪人時代は、なんか、長期休みごとに真剣ブーストかましていたが。
大学では、何も学ばずに、飲み会で騒ぐスキルだけをあげていた。
勉強が、自分を生かす道だろうと思いながらも、何を為べきか、不明だった。。
コロナ以前の世界にいたのに、何をおれは、無駄な時間を過ごしていたんだろう。
35歳を過ぎた、オジサンには、輝度の高いディスプレイで何かを学ぶのが無理ゲーになってるよ。
当時、人生のほとんどの時間を投入していたメインの仕事で著しく自信をなくし、その仕事を廃業してしまおうと思っていた時期があった
そんな時に同業者が連絡をくれ、励ましの飲み会を開いてくれて、見るからに憔悴していた俺に「自信がなくなった時は、途方もない目標を立ててみては?」と言ってきた
手頃な目標で成功体験を積み上げる程度では、失った自信は取り返せないどころか、そのままスケールダウンを続け萎縮してしまうと思ったそうだ
そこで俺は当時大好きだった竹内結子さん関連の仕事ができるように、今の仕事を続ける実績を積み続けようと気持ちを立て直し、それから10年が経過した
日曜日の朝に流れた速報はたまたま外出していて見ることはなかったが、妻からの連絡で知った
あまりにも突拍子もない話に、映画の話なのかドラマの話なのか、もしかすると竹内さんがゲームでもしていて……という話なのかと、理解が及ばなかった
スマホを見ればきっと事細かに報じたニュースを見ることもできただろうが、なんとなくできないまま夜になった
夜中、好きな音楽をかけて仕事を再開し、我慢できずに調べてしまった
悲しい知らせは事実で、悲しむ書き込みや心無い意見を見て、空虚な気持ちが膨らんで行って、現実感がとにかくなかった
4時半ごろ、カーテンの隙間からにわかに明るくなった空が見えて、とても穏やかな気分に包まれた
数年ぶりに感じた平穏だった
俺があの時に立てた目標はもう叶わない
それに対して、恨み言を言うでも竹内さんのせいにして逃げたり諦めたりすることもない
誤解を恐れずにいうなら、竹内さんが自ら死を選んだことで、悩みや苦しみから解放されたのならよかったと思う
きっかけは思い出せないが、いつからか同じグループで行動するようになった人たちがいる。
地元を離れて就職したから、周りに知り合いもおらず、何かと不安だった自分には当時はありがたい存在だった。
入社時研修。仕事終わりの飲み会。休日にはいろいろ遊びにも行った。
それから約15年。
グループの中には、会社を辞めた人もいれば、今も同じ会社で働いている人もいる。
そんな状況の中、未だに同じグループで集まろうとする。
だけど、だんだん何かズレを感じてくる。そのズレが大きくなり、楽しくなくなってくる。
貴重な仕事終わりの時間を、休日を、なぜこんなことに使わなければいけないか。そういう疑問が湧いてくる。
何が楽しくないかというと、
結局、いつも同じような話ばかりなのである。それも、参加してるメンバーの一部しか分からないような話。
(〇〇部の✕✕課長が~みたいな。知らない人だけど名前を覚えてしまった。)
自分含め、明らかに話に入れない人が他にもいるのにお構いなし。ずーっと同じ話。
さすがにどうかと思って、皆で話せそうな話題を振ってみる。でも、大したリアクションは返って来ず。
近況報告とかいろいろ聞いてみても、曖昧な回答ではぐらかされる。
既婚者の奴はやたら結婚生活をアピールしてくる割に(うちの嫁が〇〇で~)、こっちから質問すると回答をはぐらかす。
こっちのプライベートなことを聞いてくる割に(休みの日に何やってる?彼女できた?)、こっちから質問すると回答をはぐらかす。
毎回毎回こんな感じで、何時間もだらだら酒を飲むだけ。
仕事仲間でもないし、プライベートのこともはぐらかされるからよく分からない。
そんなよく分からない人たちと飲んでいる。
結局、「何年経っても同期で集まってる」っていう事実が欲しいだけなんだろうなと思う。
同期の絆?笑わせる。
そんな状況が続き、いよいよ参加したくなくなって、何かと理由をつけて断ったこともある。
そうすると、そっちの予定に合わせるからと言われる始末。
それでも断ると、まるでこっちが悪いかのように、文句を言われる。
さて、どうやってフェードアウトしていこうか。
なぁ、皆、感じてるのかな。
街ゆく人たちが皆、スポンジマスクやスカスカの布マスクをつけて「対策してます」って歩いている。
でも、実際に飲み屋へ入ると食事中はマスク外して談話してるし、酔って外へ出ればヘラヘラと数人でマスク外して大笑い。
店内でも普通に考えればカウンターツメツメ、クーラーガンガンなら飛沫感染やらクラスター感染してもおかしくないのだが
未だにそこかしこでクラスター大発生店舗や道端でバタバタと人が行き倒れになっている所を見たことがない。
「スカスカの布マスクやスポンジマスクにも多少なりとも効果はある」と主張する人もいるだろうが
マスクをするしないの論点だけで争っても仕方がない。現実を見て感染する周囲の行動と感染の可能性が高くなってきたかどうかだ。
手洗い、うがいをしましょうとは言うものの仕事場から自宅へ毎日まっすぐに帰って、目も耳も鼻も触らずに手洗いとうがいをすれば
しかし、実際には帰り道がてらにうがいもせずに飲み会をしたり、歯医者へ行って口を開けたりり、ラブホで恋人とセックスしたり。
家族以外の人との充分濃厚接触もしているはず。街中で実際に狭いカフェ内で友人同士で飛沫を飛び交わし合わせている姿を見ることもある。
実際にはそこまで感染者が続出しているという話も聞いたこがないし、病院で列を作ってPCR検査を受けている所を見かけたこともない。
それにPCR検査も今年早々に島津製作所が迅速な検査キットを開発して以来、幾多のメーカーが迅速な検査キットが出回っているはずなのに
それでも外を歩くときや店内入店時にはマスク着用、安全に為にマスク必須やらと矛盾が多い。
実際に罹る人も数%はいるだろうが、皆、以前よりもどの程度コロナに対して危険性を感じなくなっているのか。
ひょっとして社交辞令だけでマスクをしているのか、なぜ検査は遅々として受けられないのか(人手が足りないって話もあるかも知れないけど)
アンチマスク派、マスクマスト派とコロナ・マスク論争を争うつもりもないが、皆、もう以前ほど怖くはないと感じてきてるのかな。
自分も高透過率の布マスクを普段は付けているが、飲み屋やカフェで他人とノンマスクでだべったり、歯医者、美容室へ行ったりしても発症したことはない。
これは運がいいだけなのだろうか、もしくは感染はしているものの無発症なだけだろうか。
自分はそれほど良い運を持っているようにも思えないが。
どこかに吐き出したくて堪らなくなったので、ここに失礼します。
長くなったらすみません。
好きな仕事に就くために地元から一人で上京して数年。都内での暮らしには慣れましたが、ぼんやりと「ここで死ぬのは嫌だな。いつか地元に帰りたいな」と思い始めています。
そんな中、職場で知り合ったおじさんから「いい人がいるから紹介したい。3人で食事に行かないか」と誘われ、食事だけなら……とOKをしました。
結婚にはあんまり興味がなく、いい人がいればやってみてもいいかもしれない、というくらいの意識です。
恋人や伴侶がいなくても友達や家族がいれば楽しく生きていけるし、結婚すると自分の時間がなくなると聞くし、それなら一人の方が気楽でいいや……という感じです。
なのでおじさんからのお誘いも最初はやんわりと断っていたのですが、おじさんが私のことを心配してくれているのが伝わってきて、断るのが申し訳なくなり先程の流れに。
紹介された男性は10歳以上年上で、力持ちで優しくて、本当にいい人という感じでした。
結婚するならこんな人がいいんだろうな、奥さん大切にしてくれそうだな、と思いました。
おじさんを交えた食事会も楽しくて、また良かったらご飯しましょう、と私から提案して連絡先も交換しました。
相手の男性に好意を持っていると思われるのが怖くて、相手からのメールを待ち、社交辞令の返信をしました。
相手の方が嫌だという気持ちはなく、LoveではなくLikeの関係でいたいと思っています。
(それにしても失礼な対応をしているんですけどね……。いっそそれで嫌われてもいいと考えてしまっています)
そしてこの食事会を切っ掛けに、ある男友達のことを考えるようになりました。
Aと私を含めた男女混じりの5人組で、お昼休みや放課後によく遊びました。
皆ゲームが好きだったので、今日の放課後は○○の家に集合!と、64のコントローラーを持ってチャリを漕いだりしてました。
遊んでいく中で、私はAのことを好きになっていました。
理由は今となっては全然思い出せませんが、私に意地悪をしつつも優しいところに惚れたのかもしれません。
Aのことを好きになってからは、思春期特有の「好きな子に意地悪をする」が発動し、好きな気持ちを伝えることはできず、お互いに悪口(軽口?)を言い合ってました。
小学校を卒業し、中学、高校がバラバラになっても連絡を取り合い、大人になった今でも年に1回は会って飲みに行ったりもします。
私とA以外の3人は結婚しており、最近は奥さん、旦那さんも交えての飲み会もしたりしました。
ある日、Aが仕事か研修かでこっちに数日間来ることになりました。
地元の友達がこっちに来ることは滅多になく、2人で飲むのも楽しそうなので、Aの仕事の後に飲みに行くことにしました。
いつも5人で集まるので、2人で会うのは初めてでした。
私の好みはガタイのいい筋肉質な人で、Aは真逆をいく細身なスタイルですが、何だかドキドキしてしまい、あまり目が見れませんでした。
その時は会うのが久しぶりだったので、お互いの近況や仕事の話をしました。
飲み屋でお腹がふくれたものの、まだ帰りたくないな……と思ったので、近くのカフェでお茶をしました。
自惚れですが、この時、Aも同じ気持ちだったのかな……とか考えてしまいます。
大人になってもAは相変わらず優しい人でした。
知り合った頃は私の方が背が高かったのですが、高校くらいから抜かされてしまい、加えて細身のまんまなのでモデルのようです。
結婚願望のない私ですが、Aとの結婚生活は楽しそうだな、と考えてしまいます。
Aも未だにアニメが好きで、オススメのアニメのDVDを郵送で貸してくれました。
(なかなか見れずに長く借りていたのに、全く怒ることもなく)
LINEでのやり取りも、私が飽きてしまうまで返信してくれました。
(どんどん話題がくっついて長文になっていくのに、全部に返事をくれて)
誕生日にはお祝いの連絡もくれました。
「もしかしてAも私のことを好きだったりして?」と期待する気持ちと、
「Aは優しいから誰にでもそうしているだけ」という諦めの気持ちがぶつかり合い、どこにも行けなくなってしまいました。
Aへの恋心に決着をつけない限り、A以外との男性と、ちゃんと向き合えない気がしています。
けれど、まだ、勇気が出ない……。
未だにバーベキューで感染、飲み会で感染、、とかニュースがあるが、そんなもんを自粛するフェーズはもう終わってる。
今は体調が悪かったら早めに休んで、手洗い消毒はこまめにして、不特定多数の人、大人数での飲食(クラブとか、部署単位での飲み会とか)を避ける、くらいが世の中のトレンドだ。
あとは飲食を共にする友人がコロナウイルスに感染していないことを祈るのみ。感染してたらそれはもう仕方がない。
家でじっとして嵐が過ぎ去ってるのを待ってるのはお前だけ。四連休の人手を見たら分かるだろう?
結局、何ヶ月も家にいて誰にも会うなって言われたって無理なのだ。我々大多数は家で仕事をするために生きているのではなく、家族や友人と楽しい時間を過ごすために生きているのだから。
地方公務員になって13年が経った。
元は民間企業の営業をしていて、諸事情があって公務員に転職した。
面接官ではないが、補佐役として面接中の受験者の斜め後ろに座って、喋り方やその他の挙動をチェックする仕事をしている。
自分のことを思い出すに、採用試験の面接では筋違いなことをして相当に苦労した。
できた!と思った面接でも、今になって思い返すと不採用にしてくれと言っているような、そんな内容だった。
受験1年目は公務員になれなかった。苦節の末、2年目でなんとか第一志望に合格できたけど、もっと早く知っておけばよかったという観点がいくつもある。
今回は、先達の1人として、地方公務員を目指す人のために面接試験で大事なことを話してみたいと思う。3点に絞って説明する。
というのも、一般人の平均を超える知能がなくては務まらないタイプの仕事が多いので、地方公務員に比べると筆記試験のウエイトが重くなる。
地方公務員にそこまでの知能レベルは求められない。ほとんどの業務は、中学校までに習うレベルの知識があれば十分に務まる。
※地域を盛り上げるためのイベントの企画・運営や、組織全体の予算を管理する業務などはもちろん除いている。
地方公務員の場合は、一にも二にも人柄や気質、人格などの人間性が重視される。理由は後述する。これが備わっているかどうかを面接で確かめることになるので、必然的に面接試験のウエイトが高い。
5段階評価で4以上の人を採用する。採用したい人の数と同じくらいしか4以上はつけないし、つかない。3を取った人は当落線上にあり、最終調整で選ばれるか、あるいは補欠合格になる。2の場合は自動的に不合格だ。少なくとも、うちの自治体で合格する可能性はない。
「筆記試験で満点近く取れたぞ!」とガッツポーズを決めることができたとしても、そんなに意味はない。仮に満点を取ったとして、面接官に「こいつ頭いいな」と思われるくらいだ。
2.どんな人が高い評価を受けるのか?
その前に、国家公務員と地方公務員の仕事の傾向の違いを述べる。ここでいう地方公務員は市の職員を、国家公務員は一般職を想定している。
・地方公務員の方が地域住民との折衝が多い。国家公務員の折衝先は法人が多くなる。ここでいう地域住民には、市会議員や工事業者なども含まれる。子ども時代に知り合った人が窓口にお客さんとして来ることは実際にある(小中学校の元担任や、高校で同じ部活だった先輩や後輩など)。
・地方公務員の方が業務の幅が広い。例えば、国土交通省だと、どこの部署に行っても、河川や道路の管理をする可能性が高いが、地方公務員の場合は、全ての中央省庁の仕事がひとつの組織内にまとまって存在する。よって、専門的な知識や技能を広く薄く身に着けることになる。
・地方公務員の方が同質性が強い。多くの自治体の場合、在籍している職員の卒業した学校(特に小中高)が被ることが多い。そのうえ、同期の1割~2割しか途中で辞めないので、どの部署にも同じような文化が定着する。例えるなら学校だ。卒業まで40年近くかかる学校といってもいい。それが市役所だ。年齢がいくつになっても「あの代は優れている。あの代は谷間の世代だ」といった話題が交わされる。
こんな世界で心も体も健康に生きていけるのは、誰とでも仲良くなれる人間であることは論を待たない。
特定の者としか仲良くなれない職員は必然的に孤立する。年を経るごとに、周りとの協調が必要になる仕事がやりにくくなり、頼られることが少なくなっていき、多くの場合は定年前に早期退職制度に応募することになる。
面接に臨む際に意識すべきは人柄だ。面接が始まれば終始スマイルを保ち、質問にはゆっくりと落ち着いた口調で最大限のわかりやすさで回答し、不明な点があればわかりませんと言い、回答に詰まったら、そのことを素直に認める。
私は凄い!とアピールしてはならない。本当に凄かったとしても駄目だ。そういうのは黙っていても伝わるものだし、面接官はエントリーシートをすでに読んでいる。
むしろ、アピールが過ぎると自意識過剰であると判断される危険がある。聞かれたこと以外は実績のアピールをすべきではない。どうしてもやりたいなら、数字で表現可能なものに限定する。
しつこくなるが、地方公務員の場合は能力よりも人柄重視で採用を行う。今では絶滅危惧種だが、かつては素行不良の公務員が多かった。市民にため口をきいたり、空残業をしたり、自宅のごみを市役所のごみ置き場に捨てたり、公用車に乗って家に帰ったり、自分は昇進できなかったので市に尽くす義務はないと宣ったり、逆に、俺は労働組合に言われて無理やり昇進させられたと言って部下にすべての仕事を投げたりといった具合に、やりたい放題の連中がたくさんいた。
それでもクビにはできない。処分できるかも怪しい。素行不良の公務員を守っている解雇規制は、同時に市民や仲間のことを思いやれる優れた職員も同時に守っているからだ。評価が低い職員がポンポン免職処分になっている官公庁があったとすれば、おそらくは政治的理由により、評価が高い職員もそれなりの頻度で免職や降格になっている。
今の40代・50代の職員は、こういう市役所の悪いOBをたくさん見ているので、同じ失敗を犯さないよう最大限に気を払っている。その対応のひとつとして、受験者の人柄を見ている。
面接に合格する可能性を高める情報しか集めてはならないし、触れてもいけない。
私の経験で有益だったのは、予備校の一室に置いてあった受験者の面接体験談だ。
この時ばかりは、高いお金を払って受講生になってよかったと思えた(社会人向けのコースを受けていた)。
今思えば、予備校講師による模擬面接もためになった。当時は、公務員ではない人間が面接指導などできるのか?と半信半疑だったが、彼らは受かる人間と受からない人間をごまんと見ている。
そんなキャラではだめだよ、と直観力をもって指摘することができる。予備校で面接指導をする講師の中には、傲慢だったり不遜だったりする人はもちろんいるが、それでも多くの講師から訓練を受けるべきだったと今では思う。
逆に、無益どころか害悪になる情報源もある。現役あるいは元公務員が書いたブログだ。
いったいどこがクソなのかと言うと――ブログ記事を読んでいてわかる。どんなに偉そうなことを言っていても、この人達は職場で高い評価を受けていない。むしろ低い評価を受けていて、その恨みつらみをブログという手段で発散している。
もしあなたが、面接対策として現役公務員や元公務員のブログを読むとしたら、この点に気を付けてほしい。そういう記述を見つけたら、すぐにタブを閉じて別のサイトに行こう。
以下に記事内容を例示する。
・残業時間が少ないと高い評価を得られない、飲み会を断れないなど職場への不満を多数漏らしている
・能力が低い職員を馬鹿にする発言(こういう人間は市民も馬鹿にする)
・副業を推奨している(アフィリエイトは100%懲戒処分案件なので特に注意する)
・給与や休暇などの福利厚生の話題や、得をする働き方など、金銭的な内容を扱った記事が多い
具体的には、これらのブログが該当する。
http://ps-kimotaku.officeblog.jp/
https://www.lifehacking360.com/
[番外にして論外]
公務員として、どんな人間が高い評価を受けるのか調べたい場合は、上に挙げたブログを読むべきではない。まして面接対策など論外だ。
逆に、これから面接対策をするにあたって効果的であると思われるブログもある。これらを挙げて結びとする。
(簡素な見た目で読みやすい。扱う内容も具体的で生々しい。下にある無料レポートは受け取らなくていい。オンライン講座への勧誘を受けることになる)
https://katigumikoumuin.com/siyakusyo-mennsetu/
(業務を進める中で起こった問題を赤裸々に表現している。後学として参考になる)
官公庁への営業活動を担当するあなたへ~元地方自治体の契約担当者による随意契約のコツ~
(元公務員のサラリーマンが書いている。実務を行う公務員の思考回路をリアルに描いている。有料(250円)だがそれ以上の価値はある)
https://note.com/innocence1/n/ne81f2831a9ae
画一的なマニュアルに沿って実施されるからだ。マニュアルがなければ、個人の経験や勘で採用活動をしてしまうことになる。だから、相性のいい面接官に出会って、個性が評価されて~というパターンは少ない。正しい受け答えの姿勢を身に着ける必要がある。