はてなキーワード: 風物詩とは
この町で日の出を見たいなら、港近くの展望台が手軽かつ最適な場所だ。
いや、“だった”というべきか。
なにせ、みんな考えることは同じだ。
そして生憎、展望台に“みんな”が納まるほどのスペースはない。
物理学だとか統計学だとかを専攻していなくても分かる、単純明快な話だ。
しかし、この世から若気の至りだとか、中年の無分別だとかが無くならないのも一つの真理である。
散乱するゴミ、酔っ払い、酔っ払ってないのに変なテンションの輩。
必ずといっていいほど何らかのトラブルが発生するため、近年では予約チケット制となっていた。
それでも何日も前から展望台に陣取る傍迷惑な連中は健在で、それがニュース番組などで取り沙汰されるのが新年の風物詩だ。
つまり懸命な住民ならば、あそこで日の出を見る選択はしないってこと。
誰のものでもない太陽を眺めるためだけに金を払って、挙句にニュース番組の見世物になるなんて御免こうむる。
じゃあ、どこがイチオシ……いや、ニオシなのか。
意見が別れるところではあるが、俺たちが向かったのは最寄の公園だ。
その公園内にある築山は隠れスポットで、日の出の方角に遮蔽物がほとんどない。
アクセスは良好で、近くに神社があるから、ついでに御参りもできる。
「……人いないね」
ひとつ誤算があるとするならば、あまりにも隠れスポットすぎたという点だった。
日の出まで約3時間といったところだが、その時点で築山にいたのは俺たちだけ。
「まあ、いいや。とりあえず場所を確保しよう」
結果として早く来すぎたのは否めないが、いい場所をとられるよりはマシだ。
気を取り直して、俺たちは準備に取り掛かった。
「日の出が出るのってこっちだっけ」
「そっちは西だ。新元号の天才バカボンでも目指しているのか?」
よさげな場所にシートを広げ、そこに使えそうなレジャーグッズを一通り置いていく。
「ゴミ袋は持ってきた?」
「レジ袋で十分だろ」
「……」
しかし、やはり手持ち無沙汰というか、娯楽に溢れた世の中では退屈な空間だ。
もうすっかり年末年始間ジワジワと迫り来る感じで
お友だちからメッセージでメリークリスマスと中国語できて何の意味だろう?と思って翻訳してみたら
私は忙しいから会えないんだけど、
とりあえず年賀状の準備もしなくちゃいけないのも確かだけど
なんだか周りでは年賀状辞めます宣言をしてる人もいるってニュースあったじゃない。
私も辞めたいんだけど、
とりあえず辞めてみたけど暑中見舞いは出しているという、
お正月に書くか夏に書くかってだけなのよね。
ハガキタイプに年賀切手を貼るタイプの年賀状なのでなおさらよね。
逆に申し訳ないし、
もう今の時期郵便局の窓口まえで年賀状書いてる人とかを見ると、
そこで書くのかよ!って思ってしまうわ。
なんかお家で書きなさいよお家でって思うけど、
そうも言ってられない事情があるのかも知れないわね。
この時期の風物詩と言うより、
またそこで年賀状書く人がいるってワケなのかも知れないわ。
私も同罪で年賀状だけを書くために毎年年に一度起動するパソコンがあって、
この時期家電量販店から自転車に乗ってそのカゴには買ってきたプリンタを載せたお父さんをみると、
ああ私もそのパソコンをレッツスターティングしたくなるわけで、
もう随分古いとうの昔のマイクロのソフトもサポート手放したパソコンなんだけど、
ぜんぜん減らないのよね。
古いプリンタなので、
なかなかお店の店頭では置いてなくて、
もうこれはアマゾルしかないと思ってポチっても届くのは年明けだというヘテペロ案件だったりすること濃厚だわ。
今のうちにプリンタを起動してインクのチェッキングをしておかなくちゃって思うし、
これで年2回ぐらいは起動出来そう!って
いい加減パソコンも起動しなくなったらどうしようといい加減住所データをエクスポートしたいけどネッツに繋がってないから、
これもどうにもならないのよね。
正に箱だね!って田村正和さんばりに言いたいところだけど、
うふふ。
ハムカツロールとハムカツとたまに行きたいリンガーハット系列の浜勝を思い出すわ。
丁寧にペットボトルに急須でいれたら良いってもんじゃないのよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
すっかり朝晩や昼ももちろん寒くなってきてひんやりしてきたんだけど
朝なんかキーンと冷え込むし
夜もまたおでんの美味さが爆発するほど冷え込むわ。
火の用心をこころがける見回りをしているわ。
こんばんは!ってすれ違いざま会釈して通り過ぎる際
私も一度あの「ちょんちょん!」ってやってみたいんだけど、
うまく鳴らせなかったら恥ずかしいわよね。
金魚すくいのアレ、
ってな三大なんだけど、
知ってたら教えてちょうだいって感じ。
夜回り大変だけど、
おでんの話をしていたら
今度やってみようかしらと手羽先を世界の山ちゃん級に大量発注の白濁スープを作ってみるのもまた冬の私の風物詩でもあり、
半日以上煮込んで作る、
翌日経ったら鍋をひっくり返しても落ちないほどコラーゲンで固まる煮こごりをも周到し
でもなんか本場の私が作ってみたい、
鶏の水炊きやさんの超純粋な白濁スープを一度作ってみたいのよね。
もう本格的に寒くなってきたから
そろそろ紅白歌合戦用で食べるコタツみかんの調達もしなくちゃいけないし、
ヨーロッパかどっかの世の中の事柄で賭け事をするイベント会社で、
あれなんだっけ?名前。
タコに賭けさせるやつじゃなくて、
まあそういう世の中の関心を賭け事ニュースにして時事的に取り上げるやつ、
今年の紅白歌合戦での石川さゆりさんが何を歌う買ってオッズが全く付かない1とかになってるから、
もうそりゃ、
それ以外しかなくて、
圧倒的人気の2曲のオッズが1とかでは無しにならないし、
あとパプリカを歌ってる劇団の子役の人の役者っぷり満載で言うキラキラした意気込みは
社会人になっても失いたくない初々しさやビュアな気持を思い出させてくれたわ。
なんか、まいんちゃんみたいに早咲すぎやしないかしら?って心配するレヴェルよ。
つっといてちゃんと紅白歌合戦用のコタツみかんとコタツ年越しそばも今から買って準備しておきたいところね。
どうしても
もう狐の耳を囓りたくなるぐらいのそれはURであーるでお馴染みのなんか名前なんだっけ?の星野源さんと一緒にシーエムやってる人!
その人その人!ってそれはもうそもそもとして蕎麦じゃなくうどんだったとか、
いまいち定着しきれない
年明けうどんのように
なんだか後味の悪いものを覚えたわ。
実はまだ11月なのよね。
師走が走るにはまだ早いわ。
うふふ。
さすがに寒いわ。
ジャスミンティーの茶葉が切れそうなので
追加買っておかなくちゃって、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
表現の不自由展騒動がきっかけなのか、最近「アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。
とりあえずポリティカルなことや特定の展覧会や人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違いを淡々と正してみる。
文章が読めない人向けに繰り返すが、別に「表現の不自由展」など特定の展覧会や作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート・芸術」に対する先入観について語っている。
前史時代から近現代に至るまで、金銭や作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれた芸術作品や芸術家はいない。
「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。
バッハ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族や王族の庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品がメディチ家の庇護のもと、もしくは依頼で作られている。
モーツァルトのようにフリーの音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。
現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。
こちらは王政・封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。
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政治思想とは一定の距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位でアーティストを雇い、パブリックアートの制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である。
因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックやベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動がバンバン興った。
それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代の前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界のアート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本の美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。
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一方、プロパガンダ芸術で有名なのは、ソ連やナチスなど。政府の意向や政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品は政府の思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。
上述した政治思想とは一定の距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。
ただ、これらの政府の体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。
あくまで個人的な見解だが、プロパガンダ芸術はその性質上大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。
なお、これらの国では、現代アート・前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧の対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストがアメリカに渡り、祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。
上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。
だが「20世紀を代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。
現代であれば例えばバンクシーは思いっきり政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。
文学・音楽・映画にだって、政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。
「政治色をもつ作品はアートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。
むしろ、現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。
バッハ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族や王族むけに作品を作っていた。そもそもが一般大衆向けの芸術ではない。
同時代の大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人が酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎やケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術のほとんどは淘汰されている。
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今現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキーやジョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったことだってある。
これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆の感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展の花形だし、ストラヴィンスキーはバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさんは美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆の感覚はあてにならなくなる。自分の感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。
かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ。
この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドとキッチュ」っていう論文が分かりやすい。
この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆の感覚と芸術作品の価値の乖離について論じている。要するに、「大衆に迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。
80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。
作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話や聖書の出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。
実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実の女性の裸を描くなんて、淫猥である!不道徳極まりない!下品なメスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。
しかし、どちらの作品も今やマネの代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代の芸術家からはオマージュの対象とされるような絵画として扱われている。
一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象は枚挙に遑がない。
簡単にいえば、写真が実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真と絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。
で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌやピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法は写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画だからこそできる表現」というものが重視されていくようになった。
そして「じゃあ絵画の価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート。特に後者の現代美術への影響は色濃い。
もちろん、写真のようにリアルな作品に価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアル」であるかどうかとは別の土俵で表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。
分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。
文章中でも少し触れたが、アメリカや中国、欧州と比較すると日本の美術市場はかなりちっぽけだ。国内でアートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府が美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在のアメリカの立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。
アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。
https://anond.hatelabo.jp/20190911195538
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それなりにじっくり読んで元増田の葛藤もある程度理解できた、つもりだ。煽りと言うか攻撃的な文章もそりゃ増田の風物詩みたいなもんだ。その上で言わせてもらう。
「結局お前は何になりたかったんだ?」
ZOZOTOWNの前澤みたいなカリスマ成金なのか、官僚閣僚として日本を牛耳るのかはたまたそこから代議士に転身して政治の世界に若い風を吹かすのか、そう言った「自分の成功した姿」が見えてこねぇんだよな。よく「敷かれたレール」なんて例えられるけれど、お前がモタモタしている間にお前よりもできの悪いトロッコ達が要領よくレールを奪っていったに過ぎん。
それからお前が言う22、3の頃から既に日本なんてオワコンもいいところなんだしそれだけ学力があるなら「俺様のスケールはこんな島国じゃ釣り合わねーよ」と日本を飛び出し世界中バックパッカーしても良かったんじゃねーの?帰国して今頃意識高い系ベンチャー社長になってたかも知らんし。
国が悪い?社会制度が悪い?まあそれも一理あるだろう。だがそんな国にお前は何の義理がある?優秀なお前を優遇しない国にしがみつく理由がどこにある?
作りたい。
キャバクラなりなんなりに行っておけばよいのに、個人経営の普通の居酒屋などに出没する。
タチが悪いのは、クソおもんない以外には害が少ないこと。それどころか、金払いが良かったりして上客ですらある。
・すぐに他の客の会話に入ってこようとする
そのタイミングは最悪、もしくは準最悪
・自分が面白くないと自覚していない、あるいは自覚していても己の行動を改善、抑制しない
↑のような特徴がある。
初老を迎える前後の中途半端な年齢に多い。場末みたいな年齢層の高い立ち飲みに居るくそじじいまで行けば逆に風物詩であったりして保護の対象だが、人によってはもっと若い年代と(面白おかしく)話が出来る年齢層だ。
自分ではまだまだ若い、人と話が合うと思っている。(もしくは思ってなくてもそれを自戒して行動に移せない)
おそらく破滅的に面白くなくても、金なり立場なり(社会的に上位に位置していることが多いと思われ)で、相手に気を使わせてコミュニケーションを成立させてきたのであろう。(搾取の構造)
先に述べたクソじじいの場合は、飲み屋の自浄作用なりなんなりで、居座ることはそれほどない。(どんどん底辺の飲み屋に堕ちていく。そもそもとして人間的にもクズであることが多いので。遭遇すれば逆にネタになる)
だが、会話のセンスが壊滅している以外に落ち度のないおっさんは、排除することも躊躇われ、のうのうと通い続ける。
そして、隙あらば自分語りをし、盛り上がっている会話に水を差す。(水差したことに気づきすらしない)
こらえ性のない他の客が、時間や曜日をずらしたり、店を変えたりして自衛している。
これでは誰も得をしない。
いや、クソおもんないおっさんは十分利益を得ているし、店にとっては(その客が使う金がその客が居るから使われなかった金を上回る限り)メリットではある。
が、店の事情はおいておくと、居合わせた客からすれば、不利益でしかない。
クソおもんないおっさんの打率(少しでも面白いと思われる率)は絶望的に低いのだ。
クソおもんないおっさんは、時にウケることをもくろんで発言するのだが、クソすべりして、さらにそれで何かを学ぶわけではない。
一生滑り続けるのだ。
一生滑り続けるか、誰も興味ない話を自己満足のためだけにするだけなのだ。
そして、話が長すぎるのであれば干されるのだが、そもそもそんなに長い話を出来るスペックではなく、またしびれを切らした誰かによって話が遮られたりしてフェードアウトする。
遮れるならよいのでは? と思うのであれば、一度遭遇して何か月、何年と同じ時間を過ごしてみるといい。
こちらが盛り上がっているときに、割り込まれるのは相当のストレスだ。それが日に何回もあるのだ。
なので、提言したい。
クソおもんないおっさんが、発言して、スベる、あるいは、話がどこかに着地して、(その話、要らなかったじゃん)って思った人間が過半数に達した時に、罰金を取る制度を。
はじめは貯金箱とかを置いておいて、ネタとして受け入れてくれる、(クソおもんないが、それなりに自覚はあって、罰金を払える財力があって、それでも店に通い続けるメンタルのある)クソおもんないおっさんが行きつけの店で、お客さんにジャッジしてもらう。時にはすべってもスルーで良いだろう。
明らかにクソすべった時や、盛り上がった会話に割り込んで、場を冷やしきった時のみに札かなにかを挙げて罰金を徴取すればよい。
それを原資にして、システムを開発したい。
ここからは、クソおもんないおっさんの再発防止にもなる。もちろんそれ以外の人間にも適用する。(制度が適用されるのは絶望的にクソおもんないおっさんだけだと思うが)
飲み屋には、客と紐づけることが可能な端末を客席数分用意する。
その端末には、場が凍り付いた時、不快な話を聞いたときに押すボタンを用意しておく。
それが、同じタイミングで一定数押された場合に、その戦犯が誰か? を選択することが可能になり、戦犯はスコアが下がる。
罰金はシステム管理やら維持費で幾らかは引かれるが(あと若くて金がないクリエーターとかに振り分けたいが、それは後々の話)、店が自由にすればよい。
今の技術力では、しち面倒くさい、いろいろ角が立つし受け入れられがたいものに思えるだろうが、脳波で自動的に判断みたいなSF状況にはならなくとも、近いものはここ数年で出てくると思う。
週末は日本ダービーだ。競馬関係者にとってダービーは特別なものと聞く。それはわからなくもない。
広告で見たり知識をつけたりしたライト層はダービーが一番すごいのでしょう?と思っているかもしれない。でも、競馬クラスタからは、ダービーが一番好きとはあまり聞かない。せいぜい風物詩どまりの存在。
といってもレースレーティングが上の、ジャパンカップや天皇賞秋、海外の凱旋門賞やドバイワールドカップが一番好き、というわけでもないらしい。
マニアックな競馬クラスタはどのレースが好きなのかいろいろな人に話を聞いてみて、だいたいの人が好意的だったのは中山大障害だった。全馬が無事飛越したとき自然に沸く拍手を思うと、なんかわかる気がした。