はてなキーワード: 農民とは
されねーよ
伝統的かつ熱心なカトリックでもない限り、『無駄だったね』と日本よりもはるかに直球で言われるしバカにされるわ
日本と同じく農民は男女とも働くのがフツーだったし、家に入るようになったのは近年のことだし、
現代においては自己実現以前に物価・教育費が高いから共働きが当たり前ですわ
国民として当然の権利を受けとっているって言う主張なら賛同するし(国に○○して貰ったら××を差し出すってのは神風特攻と変わらん)
男女どちらであっても家庭と子どものみに全力コミットするってのもひとつの生き方で優劣をつけるものではないにも賛同するが、
生きづらいちゃん・くんでないのなら、税金が大量投入されている国立大学を出てそれを社会に還元しないのは本来おかしい(反省)の "フリ" くらいはして
でもこういうこと書けるやつは何時も何時も自分自分自分自分自分自分自分自分自分だからあらゆる事でへーぜんと開き直るけどな
パブリックエネミーっすわ
夏野氏とまんま同じこと言ってるわ
やっぱ高額所得者は搾取されているとかいうトンチキはパブリックエネミーなので許してはいけないな
⭐️慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特別招聘教授で(内閣府)規制改革推進会議議長でデジタル庁有識者メンバーの夏野氏ありがたいお言葉の数々 ↓
夏野氏
「あと、言いにくいが、税金払ってない人の2倍の投票権を税金払っている人に与えていいと思う。どちらにしろ東京の人の票の重さは鳥取の半分以下だし。最高裁も2倍までいいと言ってたらしいしね。」
「国民に高いコストを払わせてお世話になっているくせに当然の権利のようにTPP反対デモしている農民を見ると、事実上倒産しているくせに解雇に反対するJALの組合とかぶる。どちらも既得権益を守ろうとしているだけで、決して弱者ではないことに注意」
「30年くらい先を見越すと、都会か地方か、ではなく、人口減少下のニッポンである一定の人口密度以下の場所に住むということはそこの公共サービスを維持するために莫大な税金が必要となり、ものすごく贅沢なことになるという認識を持たざるを得なくなる。」
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「人口密度の高い地域の電気や水道水、食料はどこの地域からのものでしょう?どれだけの恩恵を人口密度の低い地域に頼ってますか?
利用者が少ないからとせっかく築きあげてた鉄道は廃線になり、どこの地域にもあった学校も統廃合でスクールバス通学、最低賃金格差、人口減少に向かわせた政策です。」
「他人より稼げているのは社会システムによる富の分配の偏りの恩恵で、能力より役割ですよね。所得が少ない人は税金払ってないというのなら法治国家そのものが崩壊しますよ。教授は食料作り出せないでしょ。低収入農家をバカにしないで。」
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夏野氏「はあ。」
夏野氏「竹中さんに大いに期待する。竹中さんの明確すぎる論に反発する感情的な人たちが日本のガンなのだ。 / 英雄?悪玉?竹中氏に再び脚光 戦略特区メンバーの有力候補浮上」
夏野氏「今年選挙があるからだと思います。公平感?そんなクソなピアノの発表会なんかどうでもいいでしょ、オリンピックに比べれば。一緒にするアホな国民感情に今年選挙があるから乗らざるを得ない」
(「オリンピックで羽田の侵入経路が緩和されて五反田の上に(飛行機が)通るんだって。これに反対してる(人たちがいる)わけ」)
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夏野氏「その航路を開くときに、取り合えずB-2爆撃機でそのへん、絨毯爆撃したらいいよ。そいつら全員殺せ。いらねえよ」
なお、ありがたい数々のお言葉をくださる夏野氏が教授を務める慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 は、
お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳さんが「これからも学び続けます!」と高卒から慶應大学院修了を報告をしたことで有名ですね
田村淳さんの修士論文はまだ見れないけど見れるようになるといいですね
見れるようになっていました ↓
騎士は叙任されるもので、生まれついての身分・階級ではなかった。その点において単純に騎士を貴族とみなすことはできない。貧しい兵士が騎士身分に取り立てられることもあり、いったん騎士身分を得るとその長子も騎士となることが多かった[15]。フリードリヒ1世(1122年-1190年)は農民が騎士になることを禁じたが、12世紀に作られた武勲詩『ジラール・ド・ルシヨン』には、実際には農奴が騎士身分を得ることもあったことを伺わせるくだりがある[15]。とはいえ騎士は、その装備や馬を維持できるだけの財力のある領主階級と事実上重なる部分が大きかった[16]。12世紀に騎士修道会が創設されて宗教的騎士道が確立するとともに、騎士は社会的に認められた上流階級となり、13世紀にかけて一種の排他的・閉鎖的身分集団と化した[15]。なお騎士修道会の構成員は公的には修道士であるためウォリアーモンク(戦う修道士)と呼ばれ区別された。ドイツでは、騎士の黄金時代を迎えたホーエンシュタウフェン朝の後、次第に騎士の身分は一種の貴族としての性格を強めた[17]。他方、商売などで富裕になった者が金で騎士の身分を得ることも珍しいことではなくなった[15]。
どうも。他に吐き出すところもないので、こちらにレスさせてもらいますが、気に障ったらスルーして下さい。
仁藤氏の発言にやや過敏な反応をしてしまうのは、今回の暗殺事件の背景の語り口で、2.26の実行犯を飢餓・貧困に苦しむ農民の代弁者と捉えるような見方が、それなりのインテリ層にじわじわ広がっているように見えるんですよね。
いわゆる「天誅」という発想ですね。これはまずい。
安倍政権がまともな答弁をしなかったとか貧富の差を拡大させたとか、全く関係ないんですよね。
「安倍政権がその政策で国民を殺した」などの過剰なレトリックなど、論外です。
これが「安倍が統一教会を支援したからだ」でも、全く同じです。
こうした時におよそ知識人たるものは口を揃えて「いかなる理由・背景があっても要人暗殺など許されない」とのみ明言すべきであって、暗殺を正当化するような背景を付け加えてはならないと思うんですよ。
どうも自作の銃は、2発装填しかできない「一発必中」タイプだったようだ。
一発目の派手な空砲で振り向かせ、ミスしたとしても2発目で振り返ったところを仕留める、という、
宗教団体への私怨、といった情報錯誤で混乱させるところも訓練で織り込み済みなのだろう。
1発目で肩をすくめ、あたかも他人事のように緩慢に振り向いて硬直している。
レーガン氏の暗殺未遂事件では、後ろに配備していたSPが1秒以内に車に押し込んでいる。
https://www.youtube.com/watch?v=31Q52_rc2IA
もしSPもしくは県警が同じように動いていたら、確実に救われた命である。
18歳の目撃証言者によれば、3~4秒の間に犯人は間合いを詰めて、致命の2発目を撃ったようである。
その3~4秒というのは、SPが命を張って元首相に飛びつくのに十分な時間であると思う。
2007年以降、同様のテロ事件が起きていない平和な日本で銃撃など起きるわけがない、
テロリズムに付け入る隙を与えた、恥ずべき職務怠慢であるとしかいえない。
先日の尼崎USBメモリ紛失事件も、20年に渡って多重委託が行われており、
結果として重大事故となった。
連日の企業へのサイバー攻撃もそうだが、本当に日本の国防意識の甘さを露呈してしまった。
しかし、曲がりなりにも彼らはSP、シークレットサービスなのだから、
弾丸の音に首をすくめて、のそっと突っ立っていた事実は、まったく言い訳ができない。
ただ要人の横に立ってにらみを利かせていれば良い仕事と思われていたのではないだろうか?
かつて明治維新直前の日本は、欧米の外国人商人や政府関係者が多数来日していた。
「我々のもつ短銃は、サムライの日本刀・居合術の前には無効である」
ということもよく知れ渡っていた。
中距離から一瞬で間合いを詰めて致命の一撃を食らわす日本刀は、非常に恐れられていた。
またそれは武士階級の持つプライドとセットであり、常に死と隣り合わせの緊張感を持っている、
中にはそういう知識がなく、日本刀と居合術を軽視して、斬撃にあって命を落とす外国人もいた。
被害者は蛮勇で挑戦的な性格があったといわれ、大名行列に馬で突っ込んだ。
馬頭を何度もひねって列を乱したため、数秒のうちに2名が切りかかった。
1撃目の袈裟懸け斬りで硬直させ、逃げようとしたところを下方向から顎に向けての深い抜き身の一撃で致命傷を与えた。
ほぼ一瞬の出来事であったろう。
また、92年の金丸氏銃撃事件では、周辺の日本人は、瞬間的に犯人を捕らえるために動けている。
まったく訓練を受けていない議員ですら瞬時に犯人を取り押さえている。
この時期はまだ平和ボケしていない、日本人らしい俊敏な所作ができていたということだろう。
このように、日本人は危機意識さえあれば、極めて統率性の高い武力・俊敏性を本来的に持っている。
今回の問題は、銃社会でない日本において、どう対処すればわからなかった、というのが本音だろう。
しかし、本当に任務意識があれば、首相に飛びつくなり、防弾カバンを投げつけるなり、
いくらでも「動けた」はずである。それを怠った3~4秒で、運命は決まってしまった。
まるでゆったりとした刈り入れ期の終わった農民のような所作で、武士の動作などみじんも感じられない。
偉大な宰相を失わせてしまった罪は大きく、世界に恥を晒し、まったく恥ずべき対応であった。
物理戦闘だけでなく、サイバーセキュリティや経済戦争など、多方面で防御力が問われている。
攻撃は最大の防御ともいうが、そのためには「自衛を想定とした先制攻撃訓練」も必要ではないだろうか。
まさに上に述べた、1人で5人を相手にできる居合術・抜刀術のようなことがそれである。
銃社会でない日本には、銃以外に適した短距離戦技術があるはずである。
それを研究してもらいたい。
本日妊婦健診で、助産師さんに産後のアドバイスとして色々お話いただいた中で「男性は脳の仕組み的に察することが苦手ですから、わかってあげて下さい。」みたいなこと言われたの。
例えば、洗濯物たたんでの一言には洗濯物を畳んだあとそれぞれあるべき場所にしまうが含まれてるつもりでも、男性には洗濯物をたたむってことしか伝わってなかったりすると。
ほう…
そんな高度なことこちらも求めてないんだよね。
いや、できてたらもちろん泣いて喜ぶけど。
スタンディングオベーション。感動の渦。
まず頼んだこと、やってほしいのよ。
頼んだことをやってもらうにはどうすればいいんだろう。
上の洗濯物の例で言うとたたむという行動にたどりつかない。
たたみ方が雑とかたたむのが遅いとかどうとか私の許す質やルールでできてないとかそう言う話じゃないのよ。
でもその行動ができない理由があるなら断ってもいいと思うの。命令してるわけじゃないから。
究極忙しいからできないから自分でやってとか、めんどくさいからやだとかね。(実際言われたらムカつくだろうけど。やれるならお願いしないから
とりあえず、やらないならそう言われた方がまだましなの。
でもやるって言うから期限までにやると思ってこっちもそのつもりですすめるじゃん。
もちろん忘れられてると困るのでリマインドはする。
けど、「わかってる!うるさいな!」って言われるのでやめた。
催促ってほどじゃなくただの進捗確認なんだけど、逆ギレ?されると疲れるよね。お母さんじゃねえし。もってる仕事は自分で管理してくれよ。
で、合意して決めた期限すぎても音沙汰ないから、やった?って確認します。
案の定やっておらず、「忘れた」
で、でたー!「忘れた!」
人間誰だって忘れてしまうことはありますからね。しょうがないよね。
次こそはやると思うじゃん。
もちろん対話ベースだとまた忘れてしまうのでLINEに必要情報を再度明記します。
やらないー!(叫
「忘れてた」
まあ期間空けずに2連続で同じこと忘れるとさ、信用失うよね。
リカバリーしようとする誠意感じられないし。
何かの病気とかでないなら、約束守らなくてもどうでもいい人のお願いだから忘れるんだろうなって思っちゃうよね。
それかマジで仕事できない人として職場でハブられてないか心配になっちゃうよね。
普通にサラリーマンで仕事やってる人なら他人から受ける依頼って順序はあれど割と優先的にやるよね?期限ない依頼ならともかく。
どういう論理でやらないのかできないのか謎なの。
とにかく、やると言っていつまでもやらないおかげでこっちがやった仕事やり直しになったり、遅くなったが故に損とかするんだけど、
どうすればやってくれるのかな…
ここでなんで?もうこうなったよとかって言うと責められてると思われて必要以上に感情を刺激してしまうので真実を言うことは我慢します。
あ、全然難しいことお願いしてないのね。
いわゆる仕事丸投げ、やるべきことが不明確な指示で再度確認が必要なのとかさ。
具体的かつ明確なことお願いしてるはずなの。
例えばこの書類(中身説明済み)に○日までに名前と住所書いてねとか。
頑張って時間かけても5分くらいのやつ。
こちらも完璧な人間ではないので想定が甘いとかはあるのかもしれないけど、それはそれで社会人10年以上経験あるならこれはどうする?って相談できてほしい。
もしかして「どうするじゃないだろ?まず自分で案をもってこい」とか詰められると思って放置しちゃうのかな…
手法を変えて「こっちも頼んだこと忘れちゃうからすぐやってくれる?」ってお願いすると、「えー?いま(今日)?そんなに急ぎでやんないといけないの?まだ日にちあるじゃん。」と宣う。(ゲームしながら)
そうなんですよー。いつやろうが期限までにやってくれればいいんです!!家庭内のことで、そんな緊急なことはそうそうありません!(お願いできるかっていう問題もある)
仕事で疲れたし息抜きも必要だしゲームくらいしたっていいんですよ。そりゃあ都合あるよね。
結局その日まで待ったけど、結局やりませんでしたーー!
どうすればいいか本気で悩む…
助産師さんにはここまで長々と話してないけど、チラッと片鱗を話したらそれはもうとても気の毒そうな顔をされた…
それは…ちゃんと話し合ったほうがいいですね…と。
まあ話して解決したら悩まないんだけどさー
無駄にプライド高いのか、殿にいち農民が物申すくらいの伝え方を考えないと話にならないというか、、
よく話し合いで喧嘩になる原因として女性が感情的になって話にならないというけど自分は至って冷静に論理的に話してるとは思う。
とにかく謝って〜とか私の気持ちをじゃなくてじゃあ今後自分の対応も含めてどうすればいいか建設的な話をしたい。
ここまでくると、結局なんたってこちらに関心がないから、やるメリットがないからなのかなーと思うんだけど、家庭内でこれやってくれたらご褒美とか小学生くらいまでなのかなと思ってるんです。
中年のおじさん(夫)にごく普通の家庭内の些細な雑務に少しだけでも協力してもらうにはどういう工夫が必要なんでしょうか…
最悪協力してくれなくてもやると言ってやらない姿勢だけは変えてもらいたい。やるならやる。やらないならやらないと返事してほしい。
察してくれなくて怒るとか期待されてていいじゃん。
もう、頼んだこともまともにできないと期待もクソもないよね…
それが中身の質の問題であればこうしてあーしてあるけどさ…
最近、赤松健候補をレドマツ呼ばわりするのがニガーと同種の深刻な差別問題だという主張が頻繁にされていて、酷暑の残酷さに心を痛め後遺症を心配するところなのだが、「ニガーを当事者が言うのはOKだが外部が言うのはダメ」という言説はちょっと違うので一言言わせてくれ。
この「罵倒文句を己らの呼称として使うようになる」っていうのはアメリカの伝統なんよ。
Yankeeは元々北部のアメリカ人の事で、主に南部人(デキシー)が使う罵倒語だった。
ところがこれを北部の連中は気に入ってしまい、自分らの事をヤンキーと自称するようになった。NY州の大リーグチームはNYヤンキースだ。今ではアメリカ人=ヤンキーという使い方も一般的だ。
一方外国がヤンキーという場合は大抵が罵倒語だ。でも当のヤンキー達は気にせず使い続けた。
日本の『アルプス一万尺』はアメリカの愛国歌、ヤンキードゥードゥル Yankee Doodleの歌詞を勝手に改変したものだ。
元は独立戦争に先立つフレンチインディアン戦争時に参戦したアメリカ植民地軍を揶揄した歌だった。
軍服も揃えておらず統率も取れていない、キビキビも出来ないアメリカ人達を正規軍人の英国人達が嗤った歌詞だ。
doodleとはダラダラテレテレしてる、ボケっとしてる、暇なのでイタズラ描きするってな意味だ。特別な日にGoogleロゴが特別なモノに変わるアレもdoodleだがこれは最後の意味のイタズラ描きって意味だな。
そんなアホアメリカ人が手入れもちゃんとしてるか判らん鉄砲持ってテレテレタラタラやってきたよ、あーあ。ってな感じの歌なんだな。
「いなかっぺのキョロ充が街に行った。羽付き帽被っただけでダンディのつもりだ。イカしてるねぇ神聖モテモテ王国だねぇ」
ところがアメリカ人たちはこの侮蔑的な歌を気に入ってしまった。それで自分らの歌としてしまったのである。
独立戦争で歌われ演奏され、独立後の米国軍の行進曲にしてしまった。
ペリーが日本にやってきた時に上陸後は鼓笛隊の演奏で行進したのだが、その時の曲はヤンキードゥードゥルだったのだ。
こんな風に建国の初めからしてこうなので、「罵倒語を気に入って使い始める」というのは後にアチコチで見られるようになった。
思いつく限り列挙してみたい。
The blackとかblack manとか使われていたが、肌の色を直接に示すので差別的だった。特にトイレやバスの座席、施設の入り口の区分けなどで「black」「colored」と書かれていたので猶更である。
だが公民権運動で「ブラック イズ ビューティフル」のスローガンが使われると当事者のプライドと結びつき、やがてblack musicなど一般化された。
南部の白人の事で、農作業で首が赤く灼けた様をからかった語で、保守退嬰的、閉鎖的、進取の気性が無い、低学歴、民度が低い、反国家的など酷い意味が凝縮された罵倒語。
それは「なんでも自分らでやる」というライフスタイルへの愛着と自負で、南部の農家は食料の入手から機械の手入れ、家の修繕、家具の作成、車の修理や改造など、何でも自分でやる。これは日本の農家なども変わらない事で、全体的に器用貧乏だったり詰めが甘かったりするが都会の人間からすると広く何でも出来るスーパーマンみたいに見えるものだ。
以前、トラクター会社が機械部分をブラックボックス化して信頼性を上げる代わりにメーカーじゃなきゃ修理できないようにしたら大炎上した事があった。https://jfaco.jp/column/2435
「レッドネックスタイル」を理解していなかったのが原因だ。これは米国では結構大きな問題になり、欧州の「修理する権利」と結びつける形で法制化が進んでいる。
日本メーカーやアップルが欧州の「修理する権利」で叩かれて電池交換や社外インク可能にさせられているが、この背景にもこの「何でも自分でやりたい」というマインドがあるのを忘れてはいけない。金と財産権の問題にしか見えないのは飼い慣らされている為だ。
だから今では米国外で何でも自分で作ってみる、直してみるのを動画にしているDIY youtuberなどもレッドネックを自称している。
Queerは元々罵倒語で変なやつ、男性同性愛者(婉曲)とかの意味だったのだが、意味が逆転されてポジティブな意味になった。
1985年のバロウズ著『Queer』の日本語は『おかま』だ。この題は訳者の山形浩生が付けたのか?ちょっと意味が違うと思うのだが。つーか、1985年でも男性同性愛を一緒くたにおかま呼ばわりはしてなかったんじゃないか?どうも腑に落ちない邦題だ。
Wikipediaには頭でっかちな事ばかり書いてあるが、実際はドラッグクイーンとかのワザとらしい性的倒錯仕草をクィアとよんでたのが、マジのトランス女性などが世間に認められるようになると(イスラエルのDana Internationalなど)弾き出されて「LBGTに収まらない性的違和」を是認する意味になったとう感じだ。
この辺の変化、日本だと90sドラッグクイーンの代表格井原秀和円奴S(まるやっこスーパー)が女性目指すようになったのが象徴的。90sのクィアポジティブ化は米国のハウスシーンと共にあった。
ロバには馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の含意がある。
勘違いしてはいけないのは、当初の民主党は南部の農民が支持層の保守政党で黒人奴隷解放に大反対していた。民主党、共和党共に今と支持層、支持地域が逆転しているのである。
大統領選で、そんな南部の民主党出身の大統領候補、アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)をスマートで都会的な北部の共和党の議員たちがjackassと詰って呼んでいた。jackassは雄ロバの事だが、馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の意味もある。
これをレドマツさんじゃなかった、アンドリュー・ジャクソンは気に入ってしまい、「アンドリュー・ジャッカスです(観客ワハハ)」とか自陣の象徴として使ったのである。
それでその後もそのうすらバカでグズで間抜けの象徴であるロバを大統領選で使うようになって今に至るというわけだ。
ビデオチャットで「いい女やな~」「ぎゃ!ちんこある罠や!」っていうイタズラが元々なんだけど、すぐに生えてないなら興味ないっていう増田みたいなのが増えてtrapは売りに。
これはアメリカの伝統関係あるだろうか?3%ぐらいは関係ある気がする。付いててお得だし。
1987年のブライアン・デ・パルマ『アンタッチャブル 』では主任捜査官エリオット・ネスがガサ入れでヘマした所を記者に写真に撮られ新聞のトップ記事にされ、その記事をオフィスに貼るシーンがある。
これもアメリカの伝統があっての事なんだろう。屈辱に耐えるのではなく、「侮辱を気に入る」のだ。それが先人がしてきた事だから。
という訳で単にいつの間にか意味が逆転してしてしまうのではなくて、アメリカの場合「侮辱を気に入る」「恒久的に自分の表象にする」というコードがあるのだ。単に悪口を逆手にとって「○○ですが何か?」というのと違うのはその語をずっと使うって事だ。逆手に取るのとは違うマインドなんである。
だからニガーを当事者だけが言ってもいいというのはこのアメリカ的伝統の過渡期にある可能性があって、そのうち普通に使われるようになるかも知れないって事である。
だったら差別語は何言ってもいいんだな、とか言って差別発言で炎上して失職したり家が突き止められたりというバカが出るのもネットの常である。
ここまで頭おかしいと人災というより何らかの地理的因縁を感じる
八戸藩は、天明の大飢饉で深刻な打撃を受け、百姓一揆も起き、年貢の増徴による藩財政の改善も見込めない状況に陥っていた。このため、八戸藩の運営は御用商人からの借り入れに頼らざるを得なくなっていた。そんな中、時の藩主南部信真は野村軍記を登用し、文政2年(1819年)、「国政御主法替」と称する藩政改革に乗り出した。その一環として、八戸藩最大の産物である大豆の専売制を開始。もともと大豆の流通に力を持っていた商人たちを排除し、あらたな御用商人を登用した。その過程で、従来最大の権勢を誇っていた七崎屋を取り潰した。文政6年には大野鉄山を藩営とし、実際の運用を西町屋に任せて利益を藩に収めさせた。天保3年(1832年)、天保の大飢饉が発生。八戸藩では領知高2万石のうち1万1千石が損毛となる大凶作となった。翌年も8割の減収となった。藩は財政に窮し、御用商人の西町屋や美濃屋に銀札を発行させ、預かり小切手も発行して米や食糧の買占めを行おうとした。しかし、インフレが急激に進行し経済が大混乱となり、天保5年には久慈の農民が一揆をおこし、民衆が八戸城下へ押し寄せる事態となった。いわゆる「稗三合一揆」である。これは、藩が1人1日稗三合の食糧を残して、残りを全て価値の激減している銀札や小切手で買い占めようとしたことから、このように呼ばれた。一揆に対して野村軍記は武力鎮圧を主張したが採用されず、一揆側の主張をほぼ受け入れる形で決着した。そのため野村軍記が進めていた藩政改革はほとんどが否定されることになり、野村自身も失脚。幽閉され間もなく死去した[2]。
2022/6/21 18:48
新年会で男性に渡された賞状を模した書面。翌月、男性は自殺した(画像の一部を加工しています)
青森県八戸市の住宅会社「ハシモトホーム」が、青森市の40代の男性社員=平成30年に自殺=に、賞状を模し侮辱する内容の書面を渡していたことが、遺族側への取材で分かった。遺族は20日、パワハラや長時間労働が自殺につながったとして、会社などに約8千万円の損害賠償を求め、青森地裁に提訴した。会社側は「表彰の一環」と説明している。
原告側によると、関係会社も参加した30年1月の新年会で、男性は課長が作った「症状」と題した書面を渡された。文面には「今まで大した成績を残さず、あーあって感じ」などと書かれていた。上司から「おまえはバカ」とのショートメッセージを受け取るなどした男性は翌2月、重度の鬱病を発症し自殺した。
男性の妻は、代理人弁護士を通じ「こんな『症状』を渡して、家族が見たらどう思うのか、何も想像しなかったのかと不思議でなりません」とのコメントを出している。
https://www.sankei.com/article/20220621-SAR4XBLCPVNZNEDYKGDZKZPR74/
被害者に合掌
そもそも農民が名字許されたのって最近の話で、江戸時代はフリーセックスで誰の子かわからないなんてざら
家は既得権益を維持するための仕組みで、子どもの所有物化は労働力の確保と政略結婚の道具にするため