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はてなキーワード: 社会貢献とは

2019-07-21

anond:20190721060054

犯人は刑期を終えたらどう生活するのも自由

更生を強制することも社会貢献強制するのも人権侵害だぞ

人に迷惑かけながら生活保護受けるのも自由

外に出てから刑罰でもないのに労働強制することなんて出来るわけないだろ

かなりの夢想家だなお前

2019-07-19

KKOとべらぼうな金持ち

https://anond.hatelabo.jp/20190718170026

この増田トラバを読んでもブコメを読んでも、KKOますます殴られていると思ってしまう。

それで、自分と比べてしまい不幸な気持ちになって、本当の幸せ定義に躍起になってくる。

「それぞれの幸せ」を認められたくてたまらなくなってしまう。

から、「それぞれの幸せ」を認めるために、周りの人々に強者に対するマイナスイメージを植え付けたいという強迫観念に駆られる。

典型的KKO思考であろう。

でも、ふと思った。

強者マイナスイメージを植え付けることは「それぞれの幸せ」を否定することであると。

逆に強者リスペクトしたとしても、弱者を卑しめることには繋がらないのではないだろうかと。

それどころか、強者へのリスペクトという気持ちが、強者のみならず社会全体による弱者へのリスペクトを呼び起こすのではないだろうかと思った。

KKOによるべらぼうな金持ちへのリスペクトが、KKOへのリスペクトを生むということだ。

トラバブコメリスペクトを見たとき自分気持ちを眺めてみてそう思った。

しかし、1つ懸念がある。

世の中には搾取的な商売が星の数ほどある。

依存症から金を巻き上げたり、法の穴を掻い潜って人から大金を騙し取ったり、枚挙にいとまがない。

べらぼうに稼ぐためには搾取に手を染めなければならないかもしれないという不安に駆られてしまう。

もし搾取に手を染めているのなら、当然リスペクト対象からは離れてしまうのだ。

KKOとして生きていると、金持ち世界を知らないためにこのような漠然とした不安を拭い去れない。

そして、自分活動ベクトル高収入へと向けることに不安感を感じてしまうのだ。

KKOの中には少なからずこういった感覚を持つ者もいるのではないかと思う。

したがってKKOとしては、願わくば搾取のない世の中を実現したい。

社会貢献度と収入が限りなく綺麗な相関を描くようになってほしい。

そうすれば、べらぼうな金持ちを屈託のない気持ちリスペクトできるだろう。

ひいてはKKOへの十分なリスペクトも得られる社会になるだろう。

2019-07-07

起業したいけど何したら良い?

まりに暇だから起業したい。お金もそこそこある。時間無限にある。

  • 致命的なことに人脈やツテはない。
  • 人を不幸にすることはしたくない。できれば笑顔にしたい。
  • あくせく働きたいわけじゃない。ちょびちょび働ければいい。
  • 稼ぎたいわけじゃない。赤字にならずに月5万円くらいコンスタントに稼げればまずは十分。
  • かといってアルバイトをしたいわけじゃない。人に使われたいわけじゃない。
  • やらなくてもいいけど、やったらやっただけ儲かるとかがベスト
  • 資産運用とかは働いてる感や社会貢献感が薄いのでちょっと違う。

なにやったら良い?

2019-07-04

anond:20190704134418

出産社会貢献として特別優遇しろ

子無し税でも独身税でもバンバン導入して

LGBTは「特別に」免除してあげる

だって差別なっちゃうもん

病気人達も「特別に」免除しないとね

だって差別なっちゃうから


でもパートナーが居なくて独身のやつ

お前らはダメ


男にも女にも選ぶ権利はある

選ばれない奴は自己責任


自己責任

自己責任

自己責任


少子化年金破綻とか政府無能

私達をとびきり優遇すれば、出産してあげなくもないけど、相手は誰でもいいわけじゃないよ

喪女キモオタ陰キャは死んで

とにかく与党無能なの

私達の暮らしは私達のもので、社会国家なんてもののものじゃないけれど

私達が好き勝手生きても、私達の安全暮らし勝手に守られるべき

それが国の責任ってものじゃないの

市民義務

しらなーい

2019-07-02

おい、些細なことでもいいか日本を良くするにはどうすればいいんだ

最近自分子供が産まれた。  

本当にかわいい。  

  

そんなかわいい子供のために、少しでも日本っていう国を良くしたいなと思ってる。

自分みたいなちっぽけな人間でもやれるようなことをやりたい。  

  

  

だけど社会実業家になったりとか、社会貢献のためにボランティア

はちゃめちゃに頑張りたいっていう意気込みまでは無い。  

  

ただ、なんとなく生活する上で国のためになるようなことをしたい。  

些細なことでもいい。募金とか安易お金を出せば解決する方法以外で考えたい。  

というかお金にそんなに余裕はあまりないし。  

  

  

感覚としては、毎日100円ずつ貯金するような心がけに近い。  

ちょっとした心がけが、気づいたら国を良くしているような。。。  

  

  

会社員をしていて、毎日元気に仕事をして税金年金を納め  

ほどよく消費活動し、よく食べよく寝てよく遊んで学んで子供を育てる。  

たまに地域ボランティアをお手伝いするぐらいか選挙はもちろん行くぜ。  

  

それで十分と言われればお終いだけど、本当にそれだけじゃ衰退していくんじゃないの?  

  

  

なんとなく地域や町、国を良くしたいって思う人はたくさんいるだろうけど  

じゃー個人レベルではなにすればいいのさって思う人も多いと思うんだよな。。。  

くすぶってるというか、なんというか。  

  

  

ひとまず俺はしばらくしたら少子化対策として、  

嫁と相談してもう一人愛する子供ができるよう頑張ろうと思う。子供かわいいしな。  

  

  

増田たちの多種多様意見を聞いてみたい。  

anond:20190702174648

穴と子宮はワンセットで始めて社会貢献

穴があるだけなら単に選ぶ側であるというだけのこと。貢献はない。しかし本人の意に沿わない理由なら責めることもないというだけ

文章を読めない愚か者は寝てろ

anond:20190702173833

女が穴を提供することが社会利益ってお前おかしいで。「穴を提供される男みんなが喜ぶから社会貢献。穴を提供しないことは資源を腐らせる害悪。」ってことやろ。

行為めんどくさい、嫌い、という女は一定数いるが、穴を提供しないことは女が喜ぶから男が穴を求めないことは社会貢献。腰振りたがる男は害悪ってことになるのか?

フリーセックスホモソーシャル批判できるもんやないで。いいからさっさとアナル処女卒業しろや。資源腐らせてるぞ。

2019-06-21

anond:20190621121157

社会責任だなんだなんて、男にも無いだろ。

税金喜んで払って、喜んでボランティアとか社会貢献してるやついるか

みんな利己的に勝手に生んで勝手に育ててる。

2019-06-20

anond:20190620170045

社会貢献はし得る。それだけで十分だろ。

ゼロと一は違う。

2019-06-12

anond:20190612080616

追記2

僕も偉そうに意見をいえるほどプレゼンうまいわけではないのだが

  

話始めとして、「監視カメラ」「全席が優先席」というキーワードを持ってきちゃうと、精髄反射でそれぞれのワードに反感をもって話を聞かない人が出てくるので、

もったいない気がする。

  

例えば

""

「手助けを必要とするひと」には多様に種類があるということが明らかになってきた現在において、

女性専用車両は「手助けを必要とするひと」を女性限定しまうことで、いくつかの不具合を抱えてきてしまっています

""

↑(どう言う考えから始まっているか抽象的なところから伝える。かつ女性専用車増強版でもないよとアピールする)

  

  

""

そこで、女性だけでなく「手助けを必要とするひと」全員が安心して利用できるような車両「思いやり車両」の設置を提案します。

  

この試みは、乗客に新しい選択肢提供する共に、鉄道会社とその車両スポンサー社会貢献によるブランドイメージの向上をもたらすことが可能だと考えています

""

↑(あんたの顧客にもあんたにも多分利益あるってことを伝えとく)

  

くらいから始めて、

女性専用車両が抱える問題

「思いやり車両」として対象を拡大することのメリット

そのために必要仕様提案

監視カメラ」「この車両では、それぞれの方の必要に合わせて、手助け・譲り合いをお願いします」のステッカー

(全席優先席っていう言葉は 優先度がどれもMAX優先順位がわかんなくなるので僕はあまり好きではないです)

その仕様変更の費用面での補填の案

みたいにしてったらどうかしら。

2019-06-09

子供って本当に贅沢な娯楽品だったんだな

子供って親にとっては一生物の暇潰しの道具みたいなもの

子供就職しないうちは親のお金時間マイナスになる損な存在しかない。

富裕層なら親の娯楽費も潤沢で教育費もたっぷり使えるが

貧困層中流階級の親はどうしても子どものために自分の娯楽費被服費食費が犠牲になる

中流階級夫婦二人だけの家族ならそれなりに贅沢して旅行に行ったり高くて美味しいものを食べに行ったりできるが

子供ができると学費やらなんやらで一気にお金子どもの方に流れて贅沢ができなくなる。

親の生活お金時間犠牲になって子供が育つ。覚悟はしておかないと。

子供ができて住宅ローン組んだら親の「楽しみ」が失われるんだなと思う。

これを払拭するくらいの「良い子」に育ってくれたらいいけど

から見て殺したいくらの子供が出来上がってしまったら

もう目が当てられない。

もし自分の娘が、田舎から東京学校に行かせたのにホスト貢ぐために学校中退して風俗堕ちするような娘に育ってしまったら毎日悲しすぎて号泣する自信があるし

子供が生まれることは決定しているので幸せな家庭を築きたい。

子供を産むのは親のエゴしかないし、親がいなくてもしっかり生きていけるように育てたい。

世間から見たら「子供を生む→将来の納税者を育てる→親は社会貢献している→親はエライ」ように見えるだろうけど、

子供から見たら、親の都合で勝手にこの世に産み出されたに過ぎない。だから食べ物を食べさせてもらえなかったり、お金が足りなくて望んだ進路に進めなかったり、虐待したりする親はクソでしかない。

自分お金時間子ども犠牲になる覚悟も、十分な子育て資金もないのに子供を作る親はクソ

今までは自分が一番大事だったけど親として覚悟を決めなくっちゃな

2019-05-23

anond:20190523023246

ちなみにゴミ先生が思う名作漫画(完結済み)をお願いします。

お前が自称製作中の超大作はどうせ一生完成しないし

せめてそのぐらい答えて社会貢献してくださいよ

2019-05-17

anond:20190517124757

経営者が突然社会貢献にでも目覚めない限り法律が変わらんと無理だろ。

その給料いいって言ってる額が平均ではなく上限の時点で。

2019-05-10

誰に対して、どこで、何まで話すかの選択が難しい

むずかしい

みんなどうしてるの?じぶんがヘタクソなだけなの?

まり考えがまとまっていない、雑なやつ

メディアごとに空気感が異なるので、それを考慮しての使い分け

note広告がなくて落ち着いてるから難しい話やポエムをするのに向いてる。

はてなエンジニアが多そうだから技術系の話をする。

twitterヤフーコメント欄などの「速度の速いSNS」は政治系・言論系には適さない。さんざん懲りて辟易したので、その辺の話題もっとスローで巧緻な媒体でやったほうが良い。

ニコニコネガティブ視聴者が多いが、インターネットノリは良い。

YouTubeポジティブが多いが、一般人寄り。

等々、たくさんある。

要件定義

「誰に対してどこまで話すか取捨選択するのが難しい」

言い換えれば、「このハンドルネームキャラ設定はどうするか」「キャラ崩壊しない運用」に悩んでいる。ということ。

1. 自分がやりたいこと・言いたいことがこれだけあって(リストアップ)、

2. そのためには、このハンドルネームからはこのアイテム、あのハンドルネームからはあのアイテム、を分担する。

という戦略を立てるわけだけど、キャラ設定が壊れがち。めんどくさくなって素が出てくる。そもそも演技が苦手で下手なので、あまりハンドルを細かく分けるのに向いてない自覚がある(ちゃぶ台返し)。

また「この話題はどこでアウトプットするか」を悩んでしまって、アウトプット自体が面倒になる。そうやって溜まってる記事企画が山ほどあって腐らせて旬を逃してもったいないと思う。そもそも、処理能力に対してやりたいこと(要求)が多すぎるのも問題だと思う。

というか、仲良くしたい・気に入られたい相手がいる場では、ネガティブイメージを抱かせてしまいかねないことは言いたくないんだよね。でもそれ以外のどこかで言いたいんだよね。という、取り扱いが面倒な話題需要自分の中にある。

何か、その辺のガイド指南してる本とかある?有料のネット記事でもなんでもいい。

もっと「居場所」をたくさん増やすと良いような気はしている。

「この話題はここなら話し相手がいる、あの話題はあそこなら話し相手がいる」という状態に持っていきたい。

独り言が多いのがさみしい。言い換えれば、「この話題について話せる相手・場を確保できていない」ことがちょっとつらい話題がある。ということか。

セルフブランディングの側面もあると思う。

SNSネガティブなことを書くな原理主義」の人もいれば、ネガティブなことも書くけど上手くやっていけている人もいる。ネガティブ話題アレルギーのるある人は、ネガティブなことを書く人からは離れていく。それは、政治アレルギーとほぼ同じで、政治的なことを書く人からサーッと離れていく人と似ている。

から自分はどうしたらいいのか?よくわからない。あちらを立てればこちらが立たず。

ネガティブ発言話題で盛り上がってるクラスタに参加してみたら、ポジティブクラスタから離れて敬遠されてしまうのがさみしい。

ネガティブ発言を減らしてポジティブにすり寄ってみたら、今度はネガティブ話題で会話が成立してるクラスタが羨ましくなり、「自分能天気な話しかしない人だと他者から見られているのでは」と気になったりする。

自分はどうしたいか」と問われれば、「ポジティブなこともネガティブなことも、難しいこともとりとめもないことも、言いたいことは全部言いたい」です。

二兎を追う者は一兎をも得ずなのか・・。

本名

べつに特別なことをしているわけではないと思っている。

インターネットがない時代でも、ハンドルネームでなく本名であっても、親に見せる顔、勤め先に見せる顔、友達に見せる顔、子供に見せる顔、・・・それぞれ違うわけでしょ、それと同じだと思う。

なぜかインターネット比較するとリアル顔の使い分けはうまくいっている。と思う。比較的。

父はオタク趣味を毛嫌いしていて兄弟にもブチギレて映画パンフレットビリビリ事件を起こした前科があるため、無意識オタク趣味エロゲ方面などは出さないように気を付けている。というか意識しなくても、無意識のうちに脳内金盾が発動している感じがする。

会社にはわりとオタクな話してる人を見かけるのだけど、なぜか自分オタク趣味を話したことがない。なんでだろうか。やっぱお金を稼ぐ場なので、お金を稼ぐのに問題が発生しうるかもしれない余計なことを言わないようにする、というリスク回避意識があるのかな。あるぽい。(というか、そもそも会社雑談できる人があんまりいない・・)

一般論の「酒の席では野球宗教政治の話はするな」ってやつだ。

でもインターネットでも、「身バレ・住所バレ・特定されないように気を付ける」というのは無意識にできてるなぁ。といってもリアルで会ったことある人は複数twitterでつながてるけど。

やりたいこと(目的を具体的に)


今の仕事一本で生きていけるのだろうか、という疑問は常にある。だから、何らかの生活費を稼げそうなスキルを伸ばすとか、仕事がもらえそうなスキル持ってますアピールをするとか、再就職に有利に働かないかなー?と思ってるんだけども。どうなのかな。

大学生は逆に「SNSでの活動ネガティブ要素になる」と判断しているようで、むしろ就活に見せないようにしてるみたいだけども。

  • 趣味や関心ごとについて話せる相手が欲しい

お金を稼ぐ以外の欲求の充足。恋人とか結婚とかは想定してないです。自分人生にはもう無関係だろうとおもっているから。

オタク趣味各種。

自分が抱える発達障害精神疾患比較的に軽いとは思う)

将来の不安

政治経済社会

というと大げさですが、自分提供できる有意義なことはやっておきたい。自分が調べた情報をまとめて公開するとか。ボランティアアンケートちゃんと答えるとか、クラウドファンディングをやるとか、知り合いの宣伝リツイートするとか。

2019-04-11

[]キャプテン・マーベル

キャプテン・マーベル』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

ほどよく100点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。ふむふむ満足であるぞ、と思いつつ帰路についた。とは言え、帰路において考察が止まらないとかはなく、色んな部分が程よく狙ったように及第点ではある。

MCU(マーベルヒーロー映画シリーズ程度のことだと思いねえ)ファン的にはくすりとわらえたり、ほろりと出来たりする要素はありつつ、全体としてのアクションCGバトルの派手さも有りつつ、脚本もウザくならないように欠点塞ぎつつ、いい感じというのが個人評価。大傑作じゃないけど程よく佳作。

ゆえに以上で感想終了である

ヒーロー内面資格

というわけで、ここからさきは感想じゃなくて感想風になる。

キャプテン・マーベル』は良かった。しかし、実はその良かった部分が自明じゃない。様々な要素が程よく及第点から全体合計で佳作なんだけど、何か突出した、訴えかけてくる部分が見つけづらい。

でもそれって無いわけじゃない。無かったら上映後もっと気持ちが尻すぼみになったと思う。だから良かった部分をちゃん言語化しておくほうが良いと思ってのメモだ。

いろいろ考えてたのだけど、『キャプテン・マーベル』は空っぽなところが良かった。その内面というか、背景が、他のヒーローに比べてポジティブに空白だ。そこが素晴らしく良かった。

ヒーローというのは超越的な存在で、それは能力的なものもそうなのだけど、内面的にもそうである必要がある。「信じられないほどの苦境や絶望に対して敢然と立ち向かう断固たる決意」みたいな部分だ。しかし一方で、ただ超越的であるだけではなく視聴者である凡人の僕らと地続きである必要もある。そうじゃないと視聴者ヒーロー感情移入することが出来なくて、彼らの苦悩や活躍他人事の白けた話だとしか思えなくなってしまうからだ。

アイアンマンキャプテン・アメリカというスーパーヒーローであっても、彼らの抱えた周囲から無理解へのいらだちや、内面孤独や、大切な人を失ってしま絶望という様々な苦難は、もちろん具体的な状況は違うのだけど、僕ら一般人生活を営む上で出会うそれらと変わりがない。ヒーローヒーローでありつつ僕らと同レベル人間存在であって、その同類が困難に向かって立ち上がるから胸が熱くなる。

マーベルというアメコミ企業は、扱ってる商品性質上、ヒーロー専門家であって、ヒーローについて多分毎日毎日めちゃくちゃ真剣に考えているから、そういうドラマの基本を十分に研究していてヒーローを生み出している。

その結果、例えば肉親を悪の襲撃や事故で失ったり、自分の将来の希望を奪われたり、社会からの拒絶で友を失ったり、両親との関係コンプレックスがあって取り戻せなかったり、愛を交わしたパートナーに去られたりする。……よくあるなー。

そういう内面的な危機を乗り越えた「から精神的に強いヒーローなのだー! ばりばりばりー! みたいなシナリオは本当に多い。でも、それってなんかこう……やりすぎて陳腐になったり、これみよがしな悲劇ドラマになったりもする。

言い方は悪いが「こんなにひどい目にあったんだから超絶能力を手に入れてもええやん?」みたいなエクスキューズにも見えてしまうのだ。ドクター・ストレンジお前の映画のことだゾ。

この「1)なんだかんだで凡人→2)内面的な困難や絶望の超克→3)不思議出来事が起きてヒーローパワー入手!(2と3は順不同)→4)乗り越えた主人公の爽快なアクション!→5)解決!」というドラマ構造はすごく強力なテンプレなのであらゆるメディアで見ることが出来る。

この構造において、ヒーロー内面的な資格は「不幸とその超克」だ。

でもたぶん、『キャプテン・マーベル』はそこに対して距離を取った。

ドラマを支えるために一応取ってつけたようにその構造はあるのだが、その部分には明らかに重心をおいていない。

主人公キャロルダンヴァース(キャプテン・マーベル)は、たしかにクリー人に洗脳されて傭兵扱いされてたわけで、そういう意味で裏切られていた(っていうか洗脳されてたって相当ひどい過去だよな。エリア88風間シンよりやべーだろ)わけだけど、じゃあそれが彼女内面悲劇であり彼女の中心か? というと別にそんなことはない。

リー指導者である超AIにたいしても自分を騙していた直接的な上官にたいしても、別段そこまで復讐意思はなさそうだ。現に上官のヨン・ロッグは叩きのめしたけれど宇宙船にわざわざ乗せてクリー星へ送り返している。

映画を見終わったあとに振り返ってみたけれど、彼女内面的な意味ヒーローになったきっかけというか契機となるイベントは実は本作のメインな時間軸中に存在しない。そのイベントの欠如は、従来の判断によればドラマ設計の失敗を意味するはずだ。でも、設計失敗の割にこの映画破綻してないしちゃんドライブされている。

これってどういうことなのか? 内面葛藤を経ていないキャロルは前述のヒーロー資格においては失格であるはずだ。しかし画面の中の彼女はさっそうとしてて格好いいし、見ていて気持ちいいし、応援も出来るしヒーローに見える。これってどういう設計なのだろう?

結論から言うと、その資格論にたいする本作の返答は「主人公キャロルダンヴァースは最初からヒーローだった」だったいうものだ。

この「最初から」というのは、文字通り子供の頃からという意味で。

作中でインサートされるように、キャロルは、子供時代記憶としてカートレース事故にあう。子供野球三振する。軍の教練において体力勝負で負けて周囲から笑われる。つまり、僕ら凡人がするような挫折を一通り普通にやっている。

そして彼女はなんだかんだ人生につきもの紆余曲折を経て、当時まだまだ女性に対しては門戸を閉ざしていた空軍パイロットエリート象徴でもある!)に実験部隊ということで潜り込んでテストパイロットになる。

その実験部隊トラブルが起きて、キャロルは恩師ウェンディローソン博士を助けるために飛行任務立候補し、その騒動の中であわや命を失うというところまで行くのだが、それはさておき。

その実験部隊で同僚でもありキャロル親友黒人女性パイロットマリアランボーセリフに「その時(恩師を助けるためにパイロット立候補したときの)のあんたはまさにヒーロー登場! って感じだったよ」というものがある。過去を回想する形で親友主人公を思い返した言葉だ。

この立候補ときキャロルスーパーヒーロー能力を持たない普通地球人だったわけだけど、にもかかわらず、「まさにヒーロー」だったわけである

能力のみならず、内面危機においても主人公キャロルはこの時点で、ヒーローにつきもの特別悲劇経験していない。恋人を謎の組織に殺されたりしてないし、四肢を切断されて生きる力を失ったりしてないし、故郷帝国に焼き尽くされたりしていない。

この作品は「それでもいいんだ」と言っている。そこが良かった。

まりカートレース事故から負けん気で立ち上がったとき子供野球三振したけど凹まずに再挑戦したとき、軍の訓練の綱登りで落下してもへこたれなかったとき、そのときキャロルダンヴァースはすでにしてヒーローであった。あらゆる困難に「なにくそ!」と立ち向かったとき、「すでにしてヒーロー資格を得ていた」わけだ。もちろんアクションバトル映画であるので、主人公キャロルヒーロー能力を得たあとにも虐げられたスクラル人を助けようとして銀河規模の争いに身を投じる訳だが、それはなにも特別なことではなくて、「眼の前の困難に対して意地や義侠心で立ち上がる」ことそのもの子供時代と変わらない。

あらゆる人のあらゆる人生につきものの、しかし本人にとっては重要な、日常の無数の挫折や失意から立ち上がること、諦めずにチャレンジするその姿勢、それこそがヒーローであると『キャプテン・マーベル』という作品は主張している。

それはつまり主人公キャロルだけではなく、広く開かれた一般凡人である視聴者への無言のメッセージでもあるのだ。「ヒーローになるにあたって特別巨大な悲劇喪失必要ない」。「この映画を見ている圧倒的多数普通の人々も十分ヒーロー足りうるよ!」と言っている。

これは脚本家が、従来のヒーロードラマに対してまだまだ満足せずに、ドラマ構造として一歩先に進もうとした野心の結実のように思える。

そのチャレンジがとても良かった。

ハリウッドアメリカロールモデル

アメリカ映画において、とくにハリウッド映画において、さら子供ターゲットに含めたヒーロー映画において、ロールモデルっていうのはすごく重要ポイントだ。ロールモデルっていうのはざっくり「目指すべき人物像」とでも言えると思う。「こういうのが良い人間です」という制作側の提案、という側面がハリウッド映画には確かにある。

日本ではちょっと馴染みのない考え方かもしれないけれど、要するに子供の頃に課題図書で読む偉人伝と同じような役割文化装置だ。二宮欣二とか野口英世とか夏目漱石とか聖徳太子とか。あのような人々の物語と同じようなジャンルとしてキャプテン・アメリカアイアンマンがいる。

人々は彼らに憧れるとともに、彼らを通して、正義や公や仁愛や克己を学ぶ。どういうモデルが「目指すべき人物像」になるかっていうのは、当然制作側/脚本側の提案によるんだけれど、その背景には当然制作当時の(主にアメリカの)世相が反映されている。

近場で言えば『アクアマン』では主人公アーサー・カリー が抱えた苦悩は、まさに「移民二世が抱えるアイデンティティ問題」「おれはどっちの子供なのよ?」であって、すごく現代的だった。

アントマン』においては「娘に愛されたい父親としての俺と、金を稼ぐ社会の中での俺のどっちを選べばいいの?」というこれまた現代的でヴェットな問題が提起されている。『インクレディブル・ファミリー』においては「あっれー。なんか嫁さんのほうが稼ぎ多くて俺ってばヒモみたいな生活になりつつあって、家庭内での俺の地位とか、俺のオトコとしてのプライドとか、どうすればええん?」という現代的な――なんか世知辛くてしょっぱい話になってきたなあ。

MCUにおける二大ヒーローキャプテン・アメリカアイアンマンは「能力を持つもの社会貢献」をめぐる物語対立する。世界を救う能力を持つヒーローは、なんで救う義務があるの? というわりと古典的で、でも正義をめぐる物語としては避けて通れぬ踏み絵のようなテーマだ。

その問答に『キャプテン・マーベル』は踏み込まない。主人公キャロルは行動するが、行動に前だつ問答はない。それこそが彼女提示したヒーロー像で「アメリカ人の目指すべきロールモデル」だ。

困難を前にしてくじけない。不撓不屈。弱者に対して自然に寄り添う慈愛と、押さえつけてくる不当な力に対する反発。しかしそれらは、そういう問題がなにか特別大きな悲劇から、滅すべき悪だから立ち上がるというわけではなく、ごく自然に「それが私だから」というスタンスで、重く扱われない。そこで重要なのがくだらないユーモアと友人と日常であって、災厄を目の前にしてもひょうひょうと立ち向かう。ただ、絶対にくじけない。破れても失敗しても「もう一度」チャレンジする。

主人公キャロルはその戦闘能力においてMCUのなかでもかなり最高峰位置すると思うのだけど、政府超人兵士計画で生まれキャプテン・アメリカよりも、悲劇を背負った社長発明家大富豪ちょいワルモテ親父のトニー・スタークよりも、その内面姿勢において一般的な視聴者に近い。「顔を上げて誇り高く自分らしく生きる」だけでヒーローとして立っている。

その軽さ、明るさ、が心地よい映画であったと思う。

2019-04-03

人工知能展@ビッグサイト、予想以上の進化だった

恋愛サポートエージェントなんてのもあったぞ。ノウハウを先輩に聞くかAIに聞くかの違いかな(ただ、何が幸せかみたいなところまで人工知能に決めてもらいたくないな。人間人生設計価値判断をまで低く見ているのか知らんが余計なお世話

パチンコカジノ依存を冷静に止めてくれるAIエージェントは、うまく出来たら社会貢献だよ。

近未来ノイマンプログラマー職は上がったり、な予感も。いまからFPGAに親しんでいる技術者アドバンテージ高いよ。

あと、RPA然り、人間のほうが仕事観を変えていかなくちゃね…

2019-03-29

anond:20190328015628

多分あなた努力うまいわけでも記憶力がいいわけでもないと思う。

才能としてはちょっぴり出来損ないだけど小さい頃から親がそこそこの金をかけてそういう道に進めるように仕込んできただけ。

そういう二世にはまともな医者になれない。だからせめて今のうちから自分は出来損ないで金の力で医者となったけど、なったからには社会貢献出来るよう努力し続けようという紳士な心が必要

この先あなたじゃなくて別の医者に見てもらえば助かった命が一人でも減るように頑張って

2019-03-25

anond:20190324115152

環境が害をなすという考えは昔からあるわけでそういう固定的な位置にある設備や状況を忌場として社を立てたり祀ったりしたものはある

そこにいた人という流動物の時期的なものは碑を立てたりして記念したりする

しか傍観者が存命のうちには復讐することで自体を終息させる方法もあるだろうけどその場が再利用されることで再現される可能性を危惧されるから状況を保存して再現を防ぐべき事象にする

ガスがでてる洞窟があって中に入ったら死ぬって知ったら入るなって言ったり入らないほうがいいと指導したりはいれないようにするべき

そういう場を記念させて多くの人を入り口でなぐっては入れないようにする禁忌はありでしょう

ただ今回は自分が唆されてその穴に落とされたのか好きで入って住み心地を求めたが居住空間でなかったために居心地がわるかったのか

居心地を良くしたいのかよくあるべきという目標まりメリット社会貢献ほか後続の者に有益性があるかなどがずっかりなく

ただ自己満足したいためにその非難すべきなにかを非難している対象がその忌場でそのステージでさえなければ自分が輝いていたのか満足していたのか

それすらもわからないがとりあえず自分関係のあった人間自分不利益を蒔いていたらしい感想だけ書き連ねているだけなので

当人自身がその忌むべき場所の地縛霊になっていることに気が付いていない

こうやって表に出てこないだけでそういう地縛霊みたいな人はそこそこいたろうけれどもツイッターなんかで発現する場所を得て意味もなく呪いを吐いているようにみえ

足立って足をくじいて転倒して死んだ霊魂幸せだったのが死因だったので恨めしいとかいうのに近い

まり生きてるだけで呪わしいという事しかできない人間意味などないということを実証してる

2019-03-15

anond:20190315111101

海外ミスコン教養社会貢献活動との合わせ技になってきてるから、生まれつき以外の要素が不可欠だ

五輪ですら将来的にはそうなりかねない

まれつきの足の速さで得た100mのタイムに、フィギュア的な美しさの点を加算し、ほかにサッカーなど多様な種目にチャレンジしてきたかとか、母国の子ども達の貧困と戦ってきたか総合的に判定して金メダルが決まる

2019-03-13

anond:20190313130619

殴るとか書く増田品性を疑うという点はおいておいて、全体主義観点から見ても子どもをたくさん産むことは社会貢献では?そして2人目3人目を妊娠しなかった時のために休職保険かけさせとくのは会社がすべき支援では?それとも少子化日本で一時の人手を補うために一人っ子政策でもやるか?日本の将来の人手不足という観点が見えてなさ過ぎる。

2019-03-12

anond:20190312083254

まず、女性服装に関する法律はないので、服装自由です。

問題会社だけです。職場意見を取りまとめて、上司に直訴し、それでだめなら上司上司に直訴します。社会人なら当たり前。

こうやって他人のために戦うことが社会貢献で、それをやらないのはなぜなのか。

自己中もしくは保身の塊だから、ではないでしょうか。そこらの老害以上に保身の塊の女に誰が共感するものか。

2019-03-07

俺の闘争

大学院研究をしている。

大所帯の研究室だが、自分がやっているのはその中で小さなベンチャー企業みたいな感じ。

そのベンチャーみたいな構成員は、僅か6人。

先生ポスドク論文書いたり、書類会計で忙しいらしい。

実質的研究奴隷で手を動かしているのが4人。

だが、圧倒的に成果を出している研究室の中での、圧倒的に結果を出してる組織だ。

  

自分は、恐らく、研究でいい成果は出せないと思う。

というか、気力がホボ折れかけている。

研究室にたどり着く前に、人生辛いことがありすぎて、もはや余生みたいな感じで生きている。

ようやく人生勝負所にたどり着いたと思うけど、もう体力もやる気も人間性もホボ尽き欠けている。

研究に身が入らない。半分、研究とは関係ない趣味に走っている。

でも、趣味もないと研究だけだと多分、卒業までできずに狂ってしまうとも思うから、いいと思う。

  

アスペみたいな先輩が結構キツイんだけど、それでも毎回ディスカッションなどで成長できるから受け入れている。

先生や先輩方も、自分みたいな奴隷要員を使って、成果を出したいというスケベ心で自分を扱っているのはホボ確実だと思う。

何か言われても角が立たないように、へらへらして、「ありがとうございます、頑張ります」と言って、先輩方が気持ちよく研究に打ち込めるようにしている。先輩達が欲しそうな成果を出せるように頑張って、報告している。

  

自分研究成果は出せなくても、一応奴隷要因として働けば、先生や先輩達の論文として、社会貢献できるんではないかなーとは思っている。

アカデミックに残るつもりはサラサラ無いし、つまらない仕事田舎でやることで人生終わると思う(実家稼業をつぐため)。

  

でも、自分が生きた証拠は、多分この研究室で奉仕したことだと思う。

ここが自分人生ピークだと思う。

あとの学生生活時間キッチリ耐えきって、コンスタント奴隷やって終わりたい。

メッチャ地味だけど。これが俺の人生闘争だと思う。

個人的人間としての感覚でいえば、本当に嫌だし辛いし面倒くさい。でも、自分が触知できない、形而上の幸福がそこにあると思う。存在証明みたいな。

2019-03-02

働きたくはないけれど

働かざるを得ないのなら、せめて楽しく働きたい

楽しい働き方の定義って人それぞれだと思うんだけど、あなたの思う楽しい働き方を教えてください

俺は、知的好奇心が適度に満たされて、毎日さなイノベーションを感じられて、害にならない程度の体力知力の適度な消費があって、社会貢献度も適度に高い仕事、が良いなあ

適度を超えてしまうとその責任を重荷に感じてしまったり、楽しむ余裕が無くなってしまう。適度というのが大事

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